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第六話
ある朝突然に 上
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人生ってのは何があるか判らない。
品行方正な奴が、悲惨な運命を迎えちまう事もあれば、俺みたいなクズ人間が、ちゃんとした会社に就職しちまったりする。
だから、今朝、突然世界がおかしくなっちまったのも、まあ、よくある事なんだろう。
俺は煙草に火を点けた。
始まりは、『多分』今から少し前、しとしとと雨が降る中、振り返ると車が突っ込んできたあたりだろう。
繁華街の裏、俺が会社への近道として使っている細い路地。左手には神社に続く長い石段があるが、俺は距離が近い右の壁へと体を投げ出した。
一瞬前まで俺がいた場所を、白い軽自動車が水を跳ね上げ猛スピードで通り過ぎていき、手から離れた傘が舞い上がる。
また老人の暴走か、それともトイレにでも急いでいたのか。
ともかく白い軽はスピードをそのままにカーブを曲がり見えなくなり、俺は壁に背中からぶつかった。咄嗟に後頭部を手でカバーするも間に合わなかったのか、頭に強い衝撃が響く。
足が萎え、ずるずると尻餅をつくと、ちょうど水溜りが目の前にあり、俺は足を開いた。
壁に擦った際に捲れあがっていたスーツが、はらりと顔にかかった。ふふっと笑い声が漏れた。
おいおい、ひでーな……。
軽が跳ねあげた水で上から下まで服はグチャグチャ、触ってみると後頭部には小さな瘤ができているようだ。今誰かに見られたら、泥酔して意識を失い、今ここで目覚めました的などうしようもない状態に見えてしまうだろう。
まあ、そういう経験は豊富で、そういう時にとる行動は決まっている。
……休むか。
俺は上司に連絡をしようとスマホを取り出した。
指先に違和感――ゆっくりと取り出してみれば、スマホはディスプレイにびっしりとひびが入り、何をしようが電源が入らない状態だ。
溜息もでない俺の足元に、傘が風に吹かれて転がってきた。轢かれたのか、それとも落下の衝撃か、骨が何本か折れ、柄の部分が曲がっていた。
つまり二つとも完璧にぶっ壊れているのだ。
俺は頭を振って鼻歌を歌いながら、煙草を取り出し火を点けた。
いやあ、最悪ってのは重なるもんだ。だが、これ以上は重なりようがないはずだ。そう考えれば気も楽じゃないか? 今はとにかく会社に連絡を入れ、傘を買わないとな。コンビニは――確か表通りに一件あったよな。
ふっと目の端で何かが動いた。
足の間の水溜りに何かが映っている。
どんよりと暗い空と電柱、網の目のように張り巡らされた電線を背景に、何かが映っている。
俺はびくりと体を震わせた。
水溜りの中から、子供がじっと俺を見つめていた。
「――はい、それでは失礼いたします」
公衆電話の受話器を置くと俺は通りを眺めた。雨はしとしとと降り続いていて、歩道は傘に埋め尽くされている。買ったばかりのビニール傘の持ち手を撫でると、取り切れなかったバリが指先に感じられた。
どういうことだ……。
歩道や車道の水溜りの中に子供達がいた。そこに映るべき大人の影のように、足の裏を水面越しにくっつけ佇んだり、歩きまわったりしている。
ただし大人たちと同じポーズは取っていない。談笑し、急ぎ足でスマホを見る大人たちを、子供達はじっと見上げ――いや、見下ろして睨んでいるのだ。
俺の足元の水溜りにも、当然さっきの子供が同じようにいて、睨み続けている。
何故、こんな物が見えているのだろう?
頭を打った所為だろうか?
となると医者に早く行くべきなのだろうが、それにしても――
俺は辺りに気を配りながら、そっと水溜りの子供に向かって手を振った。
子供がしゃがみ込んだ。水面に顔を近づけ俺の顔を睨み上げてくる。
幻覚の類にしては、リアルすぎる。
爪先で水溜りの端をつつく。水紋が子供の顔を揺らすと、子供は不快そうに顔を歪めた。ならば、と近くに転がっていた小石を水溜りに足で押し込んでみる。
石は水溜りには沈まない。
俺は思い切ってしゃがみ込むと、指を水溜りに差し入れた。
アスファルトの固い感触が指先に感じられた。
子供は相変わらず水面に顔を近づけたまま、俺のことを睨み続けていた。
なんだってんだ。
どうして俺をそんなに睨むんだ?
俺に怒ってるのか?
何故?
「何か落とされましたか?」
声をかけられ、俺は立ち上がった。
コンビニの店員が箒と塵取りを持って入口に立っている。その横には水溜りがあった。コンビニの店員が映るべき場所には、やはり子供がいて睨んでいる。
「……いや、そこの水溜りに……」
店員は俺が指差した水溜りを見下ろした。しばらく見つめた後、俺に視線を戻す。
特に驚いている風ではない。
「……五十円を落としたんですけど、こっちの水溜りにまで転がったみたいで、今やっと見つけたんです」
俺はそう言って苦笑いを浮かべた。店員は、はあ、そうですかと不信感を露わにした顔をした。俺はビニール傘を開くとコンビニから離れる。
子供は誰にでも見えるというわけではない、ということか……。
品行方正な奴が、悲惨な運命を迎えちまう事もあれば、俺みたいなクズ人間が、ちゃんとした会社に就職しちまったりする。
だから、今朝、突然世界がおかしくなっちまったのも、まあ、よくある事なんだろう。
俺は煙草に火を点けた。
始まりは、『多分』今から少し前、しとしとと雨が降る中、振り返ると車が突っ込んできたあたりだろう。
繁華街の裏、俺が会社への近道として使っている細い路地。左手には神社に続く長い石段があるが、俺は距離が近い右の壁へと体を投げ出した。
一瞬前まで俺がいた場所を、白い軽自動車が水を跳ね上げ猛スピードで通り過ぎていき、手から離れた傘が舞い上がる。
また老人の暴走か、それともトイレにでも急いでいたのか。
ともかく白い軽はスピードをそのままにカーブを曲がり見えなくなり、俺は壁に背中からぶつかった。咄嗟に後頭部を手でカバーするも間に合わなかったのか、頭に強い衝撃が響く。
足が萎え、ずるずると尻餅をつくと、ちょうど水溜りが目の前にあり、俺は足を開いた。
壁に擦った際に捲れあがっていたスーツが、はらりと顔にかかった。ふふっと笑い声が漏れた。
おいおい、ひでーな……。
軽が跳ねあげた水で上から下まで服はグチャグチャ、触ってみると後頭部には小さな瘤ができているようだ。今誰かに見られたら、泥酔して意識を失い、今ここで目覚めました的などうしようもない状態に見えてしまうだろう。
まあ、そういう経験は豊富で、そういう時にとる行動は決まっている。
……休むか。
俺は上司に連絡をしようとスマホを取り出した。
指先に違和感――ゆっくりと取り出してみれば、スマホはディスプレイにびっしりとひびが入り、何をしようが電源が入らない状態だ。
溜息もでない俺の足元に、傘が風に吹かれて転がってきた。轢かれたのか、それとも落下の衝撃か、骨が何本か折れ、柄の部分が曲がっていた。
つまり二つとも完璧にぶっ壊れているのだ。
俺は頭を振って鼻歌を歌いながら、煙草を取り出し火を点けた。
いやあ、最悪ってのは重なるもんだ。だが、これ以上は重なりようがないはずだ。そう考えれば気も楽じゃないか? 今はとにかく会社に連絡を入れ、傘を買わないとな。コンビニは――確か表通りに一件あったよな。
ふっと目の端で何かが動いた。
足の間の水溜りに何かが映っている。
どんよりと暗い空と電柱、網の目のように張り巡らされた電線を背景に、何かが映っている。
俺はびくりと体を震わせた。
水溜りの中から、子供がじっと俺を見つめていた。
「――はい、それでは失礼いたします」
公衆電話の受話器を置くと俺は通りを眺めた。雨はしとしとと降り続いていて、歩道は傘に埋め尽くされている。買ったばかりのビニール傘の持ち手を撫でると、取り切れなかったバリが指先に感じられた。
どういうことだ……。
歩道や車道の水溜りの中に子供達がいた。そこに映るべき大人の影のように、足の裏を水面越しにくっつけ佇んだり、歩きまわったりしている。
ただし大人たちと同じポーズは取っていない。談笑し、急ぎ足でスマホを見る大人たちを、子供達はじっと見上げ――いや、見下ろして睨んでいるのだ。
俺の足元の水溜りにも、当然さっきの子供が同じようにいて、睨み続けている。
何故、こんな物が見えているのだろう?
頭を打った所為だろうか?
となると医者に早く行くべきなのだろうが、それにしても――
俺は辺りに気を配りながら、そっと水溜りの子供に向かって手を振った。
子供がしゃがみ込んだ。水面に顔を近づけ俺の顔を睨み上げてくる。
幻覚の類にしては、リアルすぎる。
爪先で水溜りの端をつつく。水紋が子供の顔を揺らすと、子供は不快そうに顔を歪めた。ならば、と近くに転がっていた小石を水溜りに足で押し込んでみる。
石は水溜りには沈まない。
俺は思い切ってしゃがみ込むと、指を水溜りに差し入れた。
アスファルトの固い感触が指先に感じられた。
子供は相変わらず水面に顔を近づけたまま、俺のことを睨み続けていた。
なんだってんだ。
どうして俺をそんなに睨むんだ?
俺に怒ってるのか?
何故?
「何か落とされましたか?」
声をかけられ、俺は立ち上がった。
コンビニの店員が箒と塵取りを持って入口に立っている。その横には水溜りがあった。コンビニの店員が映るべき場所には、やはり子供がいて睨んでいる。
「……いや、そこの水溜りに……」
店員は俺が指差した水溜りを見下ろした。しばらく見つめた後、俺に視線を戻す。
特に驚いている風ではない。
「……五十円を落としたんですけど、こっちの水溜りにまで転がったみたいで、今やっと見つけたんです」
俺はそう言って苦笑いを浮かべた。店員は、はあ、そうですかと不信感を露わにした顔をした。俺はビニール傘を開くとコンビニから離れる。
子供は誰にでも見えるというわけではない、ということか……。
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