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第二章

その七 ソドム:年中泣いているロシア貴族夫人

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「僕達の依頼人はその部長さんという事なのかな?」
 猫の姿になったガンマがジャンの懐から顔を出した。ジャンがさてね、と呟くと、マヤの手を引いて階段を降り切った。三人は宿泊棟まで戻ってきた。

「さて二人はこれからどうするんだい? ああ、カレーを食べに行くんだったかな?」
「……ちょっと喉が渇いた」
 ガンマの問いに、マヤはブスっとした顔でそう言うと、手近なカフェに向かって、がに股で歩いて行った。ガンマが情けない声を出す。
「まったくもって、ドレスが台無しじゃないか……」
「なあ、ガンマ。聞きたいことがあるんだが」
「答えられる範囲で、できるかぎりお答えしよう」
「お前はヴィルジニーから『金の他に』何を貰うことになってるんだ?」
 ガンマはくつくつと嗤った。
「ささやかなモノさ。大体、君の方こそ何を貰うんだい?」
「当ててみろよ」
「はは、どうせ『追っている事件絡みの何か』だろう? 君はマヤ・パラディール――」
 ガンマの目が細くなった。
「――いや、マヤちゃんが、君が追っている事件に何か関係があると感じているね。
 あの力……だけではなく、彼女の夢の話、特にセントエルモの火とかは興味深い。だから、彼女から目が離せない……違うかい?
 君の行動はわかりやすくてね」
「……ふん」

 ガンマはひたりと床に降り立った。
「くくっ。君は思い込んだら、ひたすらに、の人だからな。しかしね、大奇術師君、ゴーレムの可聴範囲は思ったより広いようだ。そういう話は、また後でしようじゃないか。僕はちょいと散歩に行ってくるよ」
「何処に行く? 下か?」
「ジャン、君は下をどのくらい知っているんだい?」
「何も。前に来た時は下に用事は無かったからな。それに時間も無かった」
「では、僕の報告を待っていてくれたまえ。
 君は彼女の相手をするんだね。
 もしかしたら依頼人との交渉材料になるかもしれない人物だ。無いとは思うが、思い悩んで海にでも飛びこんだり、残酷大公に対する暴言を吐いて首をはねられたら大変だ」
「前者は天地がひっくり返ってもなさそうだが、後者は容易に想像できるのが怖いな」
「だろう? じゃあ、頼んだよ」
 ガンマはばらりと解けると、壁の通風孔にするすると入って行った。ジャンはそれを見送ると、しばらくその場に佇んだ。

 マヤはカフェの奥の席に座り、すでに給仕に注文をしているようだった。ジャンはしばらくマヤを眺めると、頭を振ってカフェに入った。そこは吹き抜けにせり出しており、客はまばらだった。
 マヤはテーブルに突っ伏し、ジャンが座るとぶつぶつとこぼし始めた。
「あーあ、こういうのって、早く終わしちゃいたいのになあ……どうもスッキリしないよ。これが明日の朝まで続くのかと思うと……あ~、やだやだ!」
 ジャンはナプキンをとると、くるくると丸め、こよりを作る。
「なんだ、行く前にカレーカレーと騒いでたお前は何処に行ったんだ?」
 ジャンはマヤの耳にこよりをすっと差し込んだ。
「うっひゃ!?」
「動くな。昨日のあれやこれやで耳の中が煤だらけだぞ」
「おおう、なんという黒さ……。
 いや、部屋のお金といい、このドレスといい、なんか気持ち悪い! 思いっきり楽しみたいってのに、どうも引っかかる。すっきり遊ぶには親父に会うしかない訳だけど……正直言って、今は会いたくないんだよなあ。困ったな」
 ジャンが耳からこよりを抜いた。マヤが顔を上げると、ウェイターが注文の品、アップルティー二つを持ってくるところだった。

 マヤはカップを手に取ると、口もつけずにくるくるとしばらく回していた。
「なあ、ジャンさん」
 紅茶を一啜りすると、ジャンは、ほうっとため息をついた。
「……何だ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」
 マヤはカップを覗き込んだ。
「親父は何で、あたしと母さんを捨てたのかな?」
「お前の母親は、本当に何も話さなかったのか?」
「なにも。話すこと自体が嫌だったみたい。だから、あまりしつこく聞けなかったんだ」
「そうか……ところで、あまり覗き込むなよ」
「ん? カップを? 何で?」
「お前は今、自分を覗き込んでいる」

 マヤはカップを見た。
 ゆっくりと湯気をあげながら、回っているアップルティー。
 そこには歪んだ自分が映っている。

「……ジャンさんは、あたしの魔法――力を見ても、そんなに驚かなかったよね? ってことは、あたしみたいなのに会ったことがあるってこと?」
「……ああ」
「教えてくれない?」
 ジャンは椅子をぎしぎしとやっていたが、再びアップルティーに口をつけた。
「あのな、『あたし以外にも、そういう人がいる』なんて聞いたって、何の意味もないぞ? お前さんのもやもやは、父親に会う以外に晴らす方法は無いんだぞ?」
「そりゃ、まあ、そうだろうけど……気になり出すと、なんかどんどん……こう、気分転換っていうか、ううん……」
「……かなり嫌な人物の話だぞ? いいのか? 本当にいいのか?」
「い、いいけど……」

「わかった。題して『年中泣いているロシア貴族夫人』」
 マヤは姿勢を正すと、ジャンの顔を見た。
「なんで年中泣いているの?」
 ジャンは頭をしかめ、「……あのクソババアは――」と呟いた。マヤは吹き出した。
「いきなり、ひどい!」
「いやいや、言い過ぎじゃないさ。あれはクソババア以外の何物でもない。
 あいつが言うには『わたくしは無線アンテナのように、国中の悲しみを感じ取れるのでございますの。流れ込んでくる、と言った方が正しいかしらね』ときたもんだ」
「へえ、確かにあたしに似てる! でも、あたしより凄いなあ! 
 ……ん? それじゃ寝ている間ですら、ずっと悲しさが入ってきて大変じゃないの?」
「いや、お前みたく、感情を媒介にしてエネルギーを吸えるわけじゃないんだ。
 ただただ、感じるだけ・・・・・なんだよ」
「それって――参っちゃって、おかしくなっちゃうんじゃ……」
「ところがなあ……まあ、あれはある意味狂ってたのかもしれんし、もしかしたら、これ以上ない位に正常だったのかもしれんが――ともかくあのババアは俺に言った。
『寝る前にご本を読みますでしょう?』ってな」

 マヤは一瞬ぽかんとし、うっと小さく呻いた。
「そ、それって『他人の不幸を泣く』ってのを『楽しんでいる』ってこと!?」
 ジャンは頷いた。
「あのババア、『どんな文学作品も、叶わない本物の悲しみでしてよ』と言いやがった」
「うわぁ……」

 マヤは想像する。
 豪奢な部屋で、一人はらはらと涙を流す白髪の老婆。
 だがその口元は、うっすらと笑っているのかもしれないのだ。

 ジャンは額をがりがりと掻いた。
「俺もそういう能力って聞いた時は、同情したよ。若かったんだな。
 俺が悩みを解決してやろうって乗り込んでみたら、あのババア、紅茶をすすりながら、狼に襲われて食べられてしまった少女のことを、うっとりと話すときた! 痛い! 苦しい! お母さん助けて! ところでチョコレートはいかが?」
 ジャンのくねくねした動きに、マヤはバンバンとテーブルを叩いた。
「胸糞わりぃぃぃぃ!!!」
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