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第二章

その六 ソドム:マヤ、執行部にて金平糖をかじる

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「う~ん、妙な文言ですこと……この『V』というのは、部長のイニシャルね。そしてこの手紙は部長の筆跡に間違いないけど、御免なさい。今は席を外しておりますの」
 執行部は最上階層の半分を占めていた。窓はなく、人工的な電気の光が冷たい印象を与える空間だった。
 その場に相応しい、シャツにネクタイを締めたこざっぱりした身なりの男性達が忙しそうに走り回っている。受付の女性は六十代くらいの小柄な女性で、黒の地味な服に白くなった髪を短く揃え、分厚いレンズの老眼鏡らしきものをかけていた。人懐っこそうな笑みを浮かべ、言葉遣いも格式ばっておらず、こちらの緊張をほぐすような優しい口調だった。女性は金平糖の乗った皿を二人に勧めてきた。
「どうですか、甘いものでも?」
 マヤは椅子から立ち上がると、机に手をついて一粒つまむ。
「むぐっ……あの、部長さんの名前を教えていただけますか?」
「はい? まあ、いいですけど……ヴィルジニー・ハーカー。私よりも年上ですが、きびきびした厳しい人で、正に独身女性の鑑――」
 マヤはガッカリして椅子に沈み込んだ。
 夢のヴィルジニーが部長さんの娘って線も消えたか――
 女性は困ったように首を捻って、手元の帳面をめくった。
「あなたの部屋は……あら? 部長の名前で予約をとってあるわ。妙ねえ……。あなたのお父様、パラディール姓の人からは――こういうのって事前に申請があるものだけど――娘を招待する、という届けは出てないわ。だから詳細は部長に直接聞かないと……」

 ジャンも一粒金平糖をつまむと、パクリと口に入れて、受付の机をこつこつと叩いた。
「マホガニー製ですか。趣味がよろしいですな。このような地味な色合いの物が客室にも欲しいですなあ。あの部屋じゃ落ち着けませんよ。えーと、ミナさんでよろしいですか?」
 女性の前の金属プレートを指差したジャンに、ミナは微笑んだ。
「はい。私、ミナ・ツェッペシです。あなたはジャンさんでしたわね?」
「おや、私をご存じで?」
「年をとっておりますが、受付は長いんですのよ? あなた、手品師でしょう? 今回はお仕事の依頼は無かったはずよ? どうやって潜り込んだのかしら?」
 マヤはギョッとして、ジャンとミナに目を走らせる。どちらもニコニコしているように見えるが……。
「まあ、手品でね。ちょちょいと」
「あらあら。じゃあ、こちらで処理しておきます。お部屋の方は変更する? 明日からになるけど」
「宿泊棟の『芸人の部屋』の一つを」
 マヤがジャンの脇をつつく。
「何それ?」
「ああ、芸人が自由に寝泊まりできる部屋だ。簡素で質素だが、座るとどこまでも沈み込むベッドなぞ落ち着かんよ」
「うわ、わかる!」
 ミナがいたずらっぽい目で、口の端に笑みを浮かべた。
「ところで、あなた前回のあれやこれやの税金を払っていかなかったわよね? ええっと、確かここに……はい、請求書です」
 ジャンはうっと呻くと、渋々とそれを受け取った。さっと目を走らせ、舌打ちした。

 ミナはマヤに向き直った。
「さてっと……現在宿泊している男性全員の苗字を調べましょうか?」
 マヤは頭を下げた。
「お願いします!」
 ミナはぱたぱたとスリッパの音をさせて、奥に入って行った。マヤは椅子に深く腰掛けると、ジャンを見た。ジャンは請求書を、襟から顔を出したガンマに見せていた。
「――というわけで、ギャラを半々という約束なんだが、一考してもらえんか?」
「ん~……まあ、僕は活躍が少ないからね。いいよ。ジャンが六でいいかな?」
「すまんな」
 マヤはジャンに囁いた。
「ねえ、ジャンさん達の依頼人にはもう会えたの? そっちの線を調べた方が良い気がしてきたよ」
 ガンマがこちらに結び目を向けた。
「まだだ、お嬢さん。ところでヴィルジニーだが、霊的な接触なら、姿形を偽っている可能性がある。まずは、その部長に会ってみなくてはいけないと思うね」
「ああ、成程……夢の中で変身してるかもしれないわけか」
 ミナが大きな帳簿を抱えて戻ってきた。
「はあ、もう、重くて仕方ないわ!」
 ドスンという音ともに机に広げられた帳簿から埃が舞い上がった。
「さてさて……マヤさん、向こうの部長の机に面白い物があったわ。あなたの部屋の金庫にお金があるわよね?」
「はあ、何だか気味の悪い大金が……」
「あれね、使っても大丈夫よ。これ、部長の机にあった指示書ね。誰かが昨日、カジノで大勝ちして、その儲けをあの部屋の客に使わせろ、って言ったらしいわ。カジノ側から部長に申請があって、それであそこに入れたのね」
「そのカジノで大勝ちした奴は何処に!?」
 ミナは指示書を二人の目の前で机に広げた。
「名前は書いてないわね。カジノのオーナーのクラリオンのサインと、部長のサインだけよ。でも、あの金は合法的にあなたの物よ。それに異を唱える者は……逮捕させます」
 マヤはミナの冷たい目に気圧されて、椅子に更に深く沈みこんだ。

 ミナは帳面に目を落とす。
「……うん、パラディールというのは特徴のある姓だけど、現在はいないわね」
「あの~……偽名を名乗るって可能性は……」
 ミナは気の毒そうな顔をした。
「だとしたら、ここでは調べられないわ。ここには基本的には招待状が無ければこれないの。でも、この手品師みたく偽造品で入ってくる人もいる。そういった人たちをこの国は別に罰しないわ。ただ、出国する時に手続きが面倒になるくらいね」
「招待状は、どういう基準で送られるんですか?」
「推薦よ。名士や元貴族。財界の繋がりなどが主かしら。芸人とかは協会からの推薦ね」
「……じゃあ、私を推薦したのは誰なんですか?」
「それは私にはわからないわ。
 普通、招待状には推薦人の名前も記載するの。あなたのにはイニシャルしか書いてないし、お父様の事まで書いてある。しかも部長の筆跡でね。
 あの厳しくて、はっきりものを言う人が、こんな奥歯に物が挟まったような物を書くなんて、正直信じられないわ……。
 一応聞いておきますが、あなたとジャンさんが組んでの悪ふざけ、という事ではないですよね? 国王様好みの謎かけですからね、この推薦状は」
 マヤは首を振った。
「ジャンさんとは汽車が一緒で、会ったばかりです。私、田舎に住んでる普通の……」
 口籠ってしまったマヤの横から、ジャンが口をはさんだ。
「推薦状の話ですが、普段から偽名を使ってる大物詐欺師なぞが来てしまう可能性は?」
 ミナはううんと唸った。
「一応、推薦があった後、調査をしておりますの。偽名を名乗っている場合は――本名で招待状を出しますわ。現に、今滞在している人の中にも、『そういう人』はおりますの。でも、この国は、『そういう人』も受け入れるのよ」

 ミナはマヤの顔を見た。
「とにかく、出直してちょうだい。明日の朝には部長が帰ってくるから。忙しい人で今日は下船してドーヴィルにいるのよ」
 マヤは頭を掻きむしった。
「なんだよ、入れ違いかあ!」
 ミナはマヤに微笑んだ。
「今日は楽しんだら? ぱあっとお金を使うとか……」
「……まあ、とりあえず帰ります。部長さんが早く帰ってきたら、知らせてくださいよ!」
 立ち上がって執行部から出ていく二人の背に、ミナは深々とお辞儀をした。
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