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第二章

その一 ソドム:マヤ、ソドムに入国す

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 マヤは左右を見渡すが霧に邪魔され、見通せなかった。目の前の真っ黒な鉄壁にはフジツボや貝がびっしりとこびりついている。
 小舟が壁に沿って移動していくに従い、上方に毒々しい赤で蛇のようにうねる文様が描きこまれているのが見えてきた。
 更に上の方に目を凝らすと、何か青みがかった巨大な物が見えた。霧が動き、それが鉄骨製の骨組みで、上に巨大な半球状の傘のような物が乗っているのが判った。
「何だありゃあ……鉄の塔?」
「ああ。アンテナの一種と聞いたな」
「アンテナぁ? うわぁ~っ、でっかいなあ! もしかしなくても、中もでっかいわけ?」
「ああ。改築しながら今でも巨大化しているらしい。魔術で空間自体をいじっている場所もあると聞いたな。そんなわけで非公式で世界最大の客船ってことになる。マジェスティックを知ってるか?」
「いや、さっぱり」
「現時点で世界一大きい船の呼称だ。ソドムは外観で言えば、それの五倍弱の大きさだそうだ。アメリカの海運会社の社長は、この船をベヘモスと呼んだとか」
「ほへぇ~……ん? もしかして、これ全部パーティ会場なの?」
「いやいや。中は幾つかのスペースに別れているんだよ。
 客が泊まる『宿泊エリア』、『歓楽街』、『従業員の居住スペース』、他は図書館に役所……ソドムは独立国家と言ったよな?」
「…………」
「信じ始めたようだな? さっきの海魔の件と同じく俺が言ったことを守れよ。ここで国王に対する反逆は『良くて』死刑だ。逃げようとしても、階層警察というのが飛んでくる」
「う、うん」
「ともかく、俺から離れるな」

 マヤはあれっとジャンを見た。
「ジャンさんもソドムに入るんだ! 帰るんじゃなかったの?」
「マッタクだよ。で、どのくらいタイザイするんだい?」
 ガンマが懐から猫の顔を出した。マヤがおうっと声を出した。
「ガンマさん復活!」
「ここらは魔力が多いんでね。ソドムに乗り込めバ一日でマンタンになるかもシリェない」
 言葉尻を噛んで、ガンマはふむと呟くとジャンの懐に引っこんだ。
 マヤはニコニコしながらジャンの腕をつついた。
「んで、どのくらいいるの? 夕食までいる? パーティ出る? ところで歓楽街って何があるの?」
「ヴィルジニーに会ったら帰る。色々気になることがあるんでな。
 しかし、お前、遊ぶ気満々なのか? 自分の正体探しや、父親との対決はどうした?」
「いやあ……この船見たら、まあ、あたしみたいなものもいても不思議じゃないかなあと思い始めてさ。勿論、親父に色々聞くけど、それですぐに帰るってのも味気ないし? 大体、あたしもガンマさんみたく幸せを追及しているわけでさ、だから自分の正体が気になってるわけだし。だから、全部終わったら、いや、それだと落ち込んじゃうかもしれないから、色々やる前にちょっと飲んだり食ったり遊んだりってのも良いかなって!」
「……ま、まあ、お前がそれでいいのならいいがな。あまり羽目を外すなよ。外す気になりゃあ、何処までも外せる場所だからな」
 マヤは真っ赤になって手をパタパタ振った。
「んじゃ、そんな感じで親父は勢いで、あたしを作っちゃったんじゃないの! はは、やっぱり親子だな!」
 ジャンは人差し指でずれかけていた、マヤの眼鏡を押し上げた。
「しかしな……そんないい加減な男が、殊勝にも、しかもこんな場所で、お前を待ってると思うか? お前の夢はどうだ? そのヴィルジニーって奴はどうだ? お前さんの能力は勢いじゃ説明できんぞ」
「う~ん……あたしをパーティに呼んで罪滅ぼし、みたいに考えてたけど、どうもそうじゃない雰囲気かな。どう思う?」
「さあな。ただ、お前は多分その能力故に狙われた。それを忘れちゃいかん」
「あたしを攫ってどうするつもりだったのかな? あ! この手紙は残酷大公の罠……」
 ジャンが首を捻った。
「判らん。残酷大公は外で動く実働部隊を持ってると聞く。つまり、お前さんを連れ去りたいなら列車の時みたく、どこかで薬でももればいい。招待状をわざわざ送る意味はないんだよ。だから、俺は混乱しているんだ」
「ふうん。港のガスマスクの野郎はソドムの兵隊なの?」
「わからん。見たこともない軍服だった。ドイツの物にも似ていたが……」
 マヤは溜息をついた。
「なんにせよ、乗ってみなくちゃわからないか。そういや、さっき居住スペースとか言ってたけど、従業員は何人ぐらい住んでるの? もしかしたらその中にヴィルジニーがいるかもしれないよね?」
「さてな……万はいないと思うが、殆ど街だからな。しかも最下層には貧民街みたいなものもある」
「なんでもあるんだな!」
「墓地や教会も、非公式ながらあると聞いたな」
「へえ……。あ! 怪物とかは?」
「さっきの海魔みたいなやつはいない。ただ、通路脇に設置してある彫像には気をつけろ。ありゃ、ゴーレムって噂だ。どういう基準かわからないが、残酷大公に対する敵対行為を感じると、自身が破壊されるまで襲ってくると聞いたことがある……お、見えたぞ」

 マヤ達の前方に大きな浮桟橋が、うっすらと見えてきた。
 そこに男が一人立って手を振っていた。ターバンを巻いた小太りの男だ。満面の笑みを浮かべていたが、その顔が驚いたような表情になる。
「ようこそ、お二人様……おい、ジャン・ラプラスじゃないか! 久しぶりだなあ! 相変わらず太ってるなあ!」
 ジャンが桟橋に踏み出しながら笑った。
「お前には言われたくない。そら、招待状だ」
 男はちらりと見ると、ジャンに手を振って奥に行くように促した。
「よしよし、いいから上がれ。さて、手品師、こちらのお嬢さんは助手か?」
 マヤは自分が道化師の服を着ているのを思い出した。
「あ、いや、私は招待状を貰って……この服は色々ありまして、服が汚れちゃって……」
「それは災難でしたな! ジャン、ここの概要はお嬢さんに説明したのかい?」
「まあ、少しはね」
 ジャンの答えにターバンはふむと言うと、マヤに頭を下げた。

「ようこそ、お出でくださいました。私はお客様係のグスターヴ・ヨハンセンです。グスターヴという名の乗務員がもう一人いますので、苗字の方で、ヨハンとお呼びください。ジャンに聞いて知っておいでと思われますが、決まりなので一くさり申しあげます。

 ここからは残酷大公様の統括する国でございます。
 ここからは宗教・階級・道徳などに特定の縛りがない国となります。ですからそれに不満を覚えるなら、この場からお帰りくださいませ。

 また、お命の保証もできかねますので、恐怖を感じるようでしたらお帰りくださいませ。

 また、物品の持ち込みは自由ですが、持ち出しの際にはチェックが入ります。それがご不満でしたら、やはりお帰りくださいませ。

 国王であらせられます、残酷大公様に対する不敬等は当国家の法律に照らし合わせ、厳罰がくだされます。それがご不満でしたら、お帰りくださいませ。

 ……以上でございます。如何なさいますか?」
「……え、えっと~……この招待状に妙な事が書いてあって――」
 マヤはヨハンセンに招待状を見せる。ヨハンセンはざっと目を通すと、両手をあげた。
「おぉ! 執行部から伺っております。お部屋にプレゼントが用意してありますよ! 確か換えのドレスもございます! いや、良かった!」
「えぇ!? それって――親父から?」
「そう聞いております。あ、いや、そのお父様ご自身は存じ上げません。名前も何処にいるのかもです。そのVなる人物でございますが――私は憶測しか申し上げられません。お客様向けのあれやこれや、勿論手紙を書くのも、執行部のお仕事ですので、そちらにてお聞きなさるのがよろしいかと存じます。後でご案内いたしましょうか? いや、それ以前にソドムに入国するかどうかを、お決めくださいませ」
 ヨハンセンはさあ、どうしますか? と肩を竦めた。
「……入国します」
 マヤはそういうと、浮桟橋に一歩踏み出した。
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