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第一章

その十 ぶらり旅:リンゴのタルトと貴賓席

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 ジャンは全てを察して、頭を振った。
「母親か……」
「……だって、山崩れがあって……助けたくて、だからその……みんなの前で家を掘り出したんだ。……そしたら、無意識に周りから吸っちゃってたらしくて、倒れちゃった人がいて、で、村で次の日から誰もあたしに近づかなくなっちゃって……」
 口ごもるマヤに、ああ、とジャンは溜息をついた。
「それで、誰かが村の外に漏らしたか、見張られていたかで、裏社会でお前が知れ渡ったわけか。で、お前さんはソドムに招かれて、争奪戦が起きたってところか」
「……だって……母さんを……」
 しゅんとするマヤの髪を、ジャンは、くしゃくしゃにする。
「ああ、もう、落ち込むな。やっちまったもんは仕方ないし、お前さんは反省して慎重に力を使ってる。それは褒めてやるよ」
「ちぇっ……そんなに年齢変わらないのに保護者ぶるなよ」
「お前、何歳だ? 二十五か?」
「なんで、あたしの方が年上なんだよ! 十七だよ!」

 ガンマが、するするとジャンの懐から口を出した。
「安全な場所はソドムだネ」
 ジャンは腕を組んだ。
「まあ、村にも戻れんし、各国に追われてるとなると、そうなるか……。
 おい、お前、ホントのトコロを教えろ。ソドムに行ってどうする気なんだ?」
 マヤは、うーんと唸った。
「ヴィルジニーと親父がいるんだろうから、なんでこんな力が使えるか聞く。母さんは教えてくれなかったし……。それから、親父を二発殴って、小遣いをもらう……かな?」
「スバラしい、計画ダネ」
 マヤはガンマに、どうも、と頭を下げた。

 ジャンはマヤの顔を指差した。
「ところで、問題は、その眼鏡だ。一体誰が作った?」
「ああ……実はその、母さんが作ってくれたんだ。ボクシングの後に、これで力を抑えられるって」
 ジャンが身を乗り出す。
「……お前の母親は、お前の能力をちゃんと理解していたわけだな? だが、由来は教えてくれなかった。父親の事はどうだ? 身体的特徴は?」
「なんにも……。ただ、知ると不幸になる。追うと不幸になるって。だから、まあ、親父があたしの力の原因なんじゃないかなーって……」

 マヤは母親が作ってくれたリンゴのタルトが無性に恋しくなった。こういう話をする時はいつも食べていたからだ。涙が溢れてきて、慌ててごしごしと目を拭った。
 髭面の男が湯気の立つ料理が乗ったお盆を持って階段を降りてきた。
「おや、試合の御見学ですかな? ん? 嬢ちゃん腕は?」
 マヤは愛想笑いを返した。
「あ、いや、包帯で圧迫されて変色してただけで、大したことなかったみたいで――」
「ほ、そりゃ良かった。ささ、部屋に行きましょうや。あっしの自慢の料理を熱いうちに味わってくださいよ! いやね、料理が趣味でね、へへ。
 あ、これなんか絶品ですぜ。焼き立てのリンゴのタルトでさ。さ、部屋までお持ちしますんで――」
「いや、これ以上あんたの手を煩わすわけにはいかない」
 ジャンはそういうと盆を受け取った。

 マヤはタルトの上のリンゴをつまむと、口に放り込んだ。二度三度咀嚼すると、また、ぼろぼろと泣き出した。
「や! どうなすったんで!? もしや、味付けに問題が――」
 扉の向こうの歓声が復活し、ジャンはホッとしながら髭面の男に微笑んだ。
「いやいや、しばらく食事をしてなかったんで、嬉し泣きだよ。
 ところで、ドーヴィルまで馬車かタクシーで行きたいんだが、朝一番は、何処に行ったらいい?」
 髭面の男は、エプロンのポケットから包帯と鍵を出した。
「旦那が歩いてきた通りをそのまま真っ直ぐ行きゃすと、大通りに出やす。そこの正面に観光用の馬車屋がありやして、御者は四時に出勤してきやす。そのくらいに行けば大丈夫でさ。
 ちなみに今の時期ならドーヴィルまでは、そう――三、四時間ってとこでさあ」
「ありがとう。さて、賭けでもするかな」
 髭面の男は通路の奥を指差した。
「通路の奥の階段を上がると貴賓席があります。両替の方は、窓からザルに金を直接入れて下に降ろしてくだせえ。あとは係のもんがやりやす」
 髭面の男はそう言うと、ジャンに耳打ちした。
「一応ベッドもありやす。お楽しみをしようってんなら窓を閉めてくださいや。閉めりゃあ声はもれませんので」
 ジャンは片眉を上げ、リンゴタルトで相変わらず泣いているマヤを盗み見た。
「どうも、今夜はそんな感じじゃないな」

 男に礼を言うと、二人は階段を登って突き当りの扉を開けた。成程、小さな窓から闘技場を見下ろすことができ、伝声管を通して賭けができるようになっていた。
 だが、テーブルは小さく粗末なもので、ベッドも一人が寝るのがやっとの汚いものだった。マヤがぐずりながら呆れたような声を出した。
「ここが貴賓室なら、あたしの家は王宮だよ!」
 小さな椅子にドカッと座ったジャン。その懐からガンマがひょろひょろと出てきて、テーブルの上で猫の形を取ろうとする。だが、無様な形になった。
「ヤッパリ駄目だ。僕もマヤのように、自由に力を吸収できレバナア」
 マヤがベッドに腰掛けた。
「やっぱり、あたしのこれって魔術なのかな?」
「知らんね」
 ジャンは短く答えると、伝声管の蓋を上げた。
「上のものだが、赤いパンツの奴に二万だ」
 ジャンは伝声管を閉じると、窓枠に吊るしてあったザルに金を入れ下に降ろす。
「ともかく、食べ終わったら寝るんだ。傷は治ったが体力は戻ってないんだろう? 足がふらついてるぞ」
 マヤは口の端を上げた。
「よく見てるなあ。もうちょっと吸えば体力も回復できたんだけどね」
「あのまま吸っていたら、どうなっていた?」
「ここを追い出されてたよ。さっき言ったボクシングの試合の時は、みんな気絶しちゃった。お客は百人はいたかな。あんなのはもう御免だけどね」
 そう言うと、マヤはがつがつと食事を始めた。

「ジャン、君はソドムに彼女を届けたら、ドウスル気なんだい?」
 ガンマの問いにジャンは片眉を上げた。
「ソドムには行かん。ドーヴィルで報酬を受け取ったら、あとは向こうの係に任せるさ。その後は、まあ、適当にやるさ」
「ふうん……。そういえばソドムは、魔力が満ち溢れてイルンだよね?」
「ああ。聞くところによると、魔法文明が盛んだった時代に近いらしいぞ」
「じゃあ、僕はソドムに、し――シバラク滞在するよ。ヒトツキも動けないんじゃ、ショウバイアガッタリだからね。君もドウダイ?」
「残酷大公に見つかったら、標本にされるぞ?」
 マヤが顔を上げた。
「おぉ! ほの、ざんこふはひほうってのをおひえへふれよ! あとソドムも!」
「物食いながしゃべんじゃねえ! 淑女は口元隠しながら、しずしず食え!」
「やなこった! あー美味い美味い!」
「おい、こら、残しとけ!」
 そういうとジャンは、マヤから顔を背けた。
「馬車の中で、お前の疑問にはわかる範囲で答えてやる。今は休め」
 マヤはふうんと、小さく言うと食事を続け、半分を平らげるとジャンの前に残りの料理を置いた。
「じゃ、お休み!」
 ガンマが、驚いたようにマヤに聞いた。
「キミ、今聞かせてと――セガマないのカイ?」
 マヤは手を振ると、布団をかぶり、しばらくすると、かーかーと鼾をかき始めた。

 ジャンは顔をしかめた。
「顔だけ見れば美人の類なんだが、絶望的に色気が……」
 ガンマは体を結局崩すと、紐の塊になった。
「でも、彼女は、ハナシテイテ気持ちイイ。ソドムの男はホットカナイだろうナ」
 ジャンは腕を組んで、マヤの寝顔を見続けた。
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