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C3:6/17~6/18:栃木県居種宮市『拠点を防衛せよ!』
2:八木佐希子、登場す
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二人は玄関から転がるように外に飛び出すと、ひぃひぃと荒い息をついた。
「み、水を――あ、水道って出るの?」
大根田の質問に、麗子は深呼吸をして、無理無理と手を振った。
「電気、水道、ガス、あらゆる物が全部ダメ! ネットも携帯もよ! 下水もダメだからトイレは簡易式のやつを外に用意したから、そっちを使ってね!」
「そ、そうか。じゃあ――」
大根田はそこで絶句した。
自宅の玄関を出ると左手には小さな庭があるはずだった。
しかし、そこは『広場』になっていた。
隣家の八木家、裏の浜本家との壁が取り払われているのだ。
また、三つの家の二階からはワイヤーらしきものが張られ、灯りがぶら下げられている。
よく見ると、その灯りには、上部に勢いよく回っているプロペラが取り付けられていた。
風力発電――いや、しかしこんなに強く回るほど風は吹いてないような――
「これ――あ、あれ? ……敷石取っちゃったの?」
大根田家の庭には家庭菜園と花壇があるのだが、その間を通る敷石が取り払われ、玄関の横に積んであるのだ。
しかも、敷石のあった場所や、八木家、浜本家の庭の一部にびっしりと丈の短い植物が植えられているようだった。
大根田はしゃがむと、懐中電灯でその植物を照らした。どう見ても、芝生に使う芝草にしか見えない。
「これは――何のために植えたの?」
「まだ、秘密よ。とりあえず、顔を洗ってうがいをしましょう」
麗子はそう言って浜本家の庭に向けて歩き出す。と、すぐ近くからタタタタと軽い連続音が聞こえた。
大根田はさっと小太刀を構えた。
射撃音か!?
近い?
遠い?
家の中からか?
「こちら大根田。だれか撃ってる? 現状を教えて」
麗子がマナ電話のポーズをとりながら大根田の横に並んだ。
「旦那にも聞かせたいけど、いい? ……OK。じゃあ共有する」
麗子の手が大根田の肩に置かれた。
途端に――
『どうもどうも、大根田さん! わたしです~、浜本の妻です~。先ほどは大変でしたね~』
『こちら宝木! ゴキブリ! うわ、でっか! ぎゃぁああ、キモイキモイギモイィィィ!!』
『落ち着かんか。旦那はどうしたんじゃ? 息子は? あ、わしは光江じゃ。この前はチーズの詰め合わせをどうも。あれはワインによく合ったわ』
『旦那と息子はゲーゲー吐いてるわよ! うおおお、こっちきたぁぁぁぁ!』
『井沢です。旦那さん用の武器を作りますんで、手が空いたらうちに来てください』
『こちら間宮、宝木家到着まで一分。鍵は?』
『玄関も窓も締まってる! ごめん! 今、庭の方の――ああ、ダメだダメだ! うじゃうじゃだ! 割って入っちゃっていいや!』
『あ、あの……大根田です、どうも……』
『『『『『どうも、こんにちは~』』』』』
麗子の手が肩から離れ、大根田は額を抑えて、目を瞬いた。
「これから応援に向かいます。通信終わり――で、どうだった、マナチャットは?」
「へぁ? あぁ……頭の中で、今まで使っていなかった場所が猛烈に疲れたような感じ?」
「そうだ、和樹と話してみて。向こうもバタバタしてるらしいから」
「あ、和樹とも話せるのか……えっと、どうすれば――」
「簡単よ。顔を思い浮かべて、呼びかけてみればいいの。本来なら『マナ電話ができると認識できる相手』と『やりましょう』という『事前契約』が必要なんだけどね。親しい間柄だと、色々すっ飛ばしてできちゃうみたい。私がすでにかけて、マナ電話は説明してあるから、うまくいけば返事が来るわよ」
大根田はこめかみに指を当てた。
和樹は二十六歳。大根田の息子である。
盆と正月には帰ってくるが、それ以外はやりとりがない。別に仲が悪いというわけではなく、和樹本人が、なんというか――一人の人間として出来上がっているので、妙な安心感があり、それ故に距離があるのだ。
便りが無いのは良い便り、というやつである。
『え~と……和樹? 和樹? 聞こえますか~、こちらお父さんです……なんつって……』
『おう、親父か。元気か?』
おお、と大根田は麗子を見てガッツポーズをした。
『げ、元気だ! そっちは――』
『俺も元気だ。今ちょっと立て込んでるんで、後でな。じゃあな――』
ぶつり、とマナ電話が切れた。
「……元気だってさ。切られちゃった」
麗子はにんまりと笑うと、浜本家の玄関の脇を指さした。
「ま、元気ならいいじゃない? ほら、あそこに井戸があるの。許可は取ってあるから顔を洗わせてもらってきなさい。
水は軟水で、変化生物で――まあ、ともかく飲めるから、一息ついて、私を待ってて」
「あ、いや、僕も――いや、無理か。足手まといか……」
「いいから休んでて。そんなんじゃ、格好良くないわよ?」
麗子はそう言って笑うと、フェイスガードをずり上げ、宝木家の方へ走って行った。
大根田は、ふうと小さく息を吐き、とぼとぼと歩き出した。
浜本家の玄関の脇には小さなお堂があった。
へえ、こんなものがあったのか。
お稲荷さん、とかかな?
その裏に小さな水道があり、成程、大きなモーターと地中に伸びているパイプが横にあった。
お水いただきます、と玄関に向けて言うと、大根田は蛇口をひねった。
ごぼっという音と、モーターの駆動音が聞こえ、一拍遅れて透明な水が出始める。手に取って、顔を洗うと、ほうっと溜息が出た。
続けて湿った汗臭いハンカチを濯いで絞り、顔を拭く。
嗚呼、生き返った――
大根田は腰を下ろすと、手に水を受け飲もうとした。
よく見ると、小さなコップが蛇口の脇に、ビニール紐でもってぶら下がっていた。手に取ってみると、水滴がついているが清潔そうだ。
誰かが、最近使ったんだな。
水をなみなみとコップに満たすと、大根田は一気にあおった。冷たい水が乾いてささくれた喉を通り、胃の腑に落ちてひんやりとしたゲップが出る。
はああ、と長く長く息を吐くと、大根田はお代わりをなみなみと注いだ。
暑く、長い日の終わりに、冷たい水をゆっくりと飲むことのできる幸せ。
大根田は空を見上げた。
昼間に感じた違和感はなかったが、星が多いように感じる。
停電だからか。
そういえば震災の時もそうだったな。
不謹慎な話だが、これはこれで最高じゃないか。
ぐびりと冷たい水を飲み、ややあって大根田は腹が減っていることに気が付いた。
さて、どうしたものか。
家に帰って冷蔵庫を――いや、あの廊下の臭いと残骸で食欲がなくなるのは必至だな。
麗子が帰ってきたら、掃除かな――
風が吹き、ざわざわと植え込みが揺れる。と、べごべご、と金属音が聞こえた。
大根田は立ち上がると、浜本家の門を出て、塀の外に目をやった。
ここも道路は、ひび割れ、所々がめくれあがって段差ができていた。ひっくり返った自動車と、まるで無傷に見える自動車が並んで停まっている。
その横で、数枚のトタン板が風に揺れて音を立てていた。付近には大小様々な角材やログフェンス、金属パイプが積まれている。
「それ、何だと思います?」
大根田は反射的に小太刀に手をかけ、声のした方に鋭く振り返った。
「うひゃっ!? ちょ、たんま! ブレイク! ジャストアモーメント!!」
細身の女性がわたわたと尻もちをついていた。
大根田は、慌てて頭を下げた。
「いや、これは申し訳ありません! てっきり、その――」
大根田の差し出した手を取って、女性はふへぇと言いながら立ち上がる。
「て、てっきりマナモノだと思って抹消しにかかる、と! いや、さっすが闘将大根田! 気合が違いますね!」
にっこり笑ったショートカットの女性は、赤ブチの大きな眼鏡をかけており、その下から覗く目は大きく、せわしなく動いていた。
誰だったか――自分の名前を知ってる人は、たいてい覚えているんだけれども――
大根田は、必死に記憶を手繰ったが、やはり判らない。
「あ、あのお……大変恐縮ですが、お名前の方をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あ、私ですか? 八木です。八木佐希子」
「……はい? 八木って、お隣の――」
「はいはい! 八木家の一人娘です! いや、どーもお久しぶりです! ずっと部屋に――あ、実は夜中に外をフラフラしてたんですけどもね――まあ、ともかく、いつもカーテンの陰から出勤姿を拝んでから寝ておりました!」
八木佐希子と大根田が顔を合わせたのは、数年ぶり、彼女が高校に通っていた頃以来だった。
ある日、彼女はぱたりと見えなくなった。
妻の麗子は、人の家の事情にはあまり深く関わりたくないから、と断片的な話だけを、時々聞かせてくれた。
曰く、彼女は学校で何かあって、部屋に籠ってしまった。
曰く、彼女は精神科に通っているらしい。
曰く、成人したらしい。
曰く、症状は改善に向かっているし、親子関係は良好らしい……。
「いやあ、色々あったんですよ!
最初にね、変な声が聞こえ始めた時は、うわー、あたしもうだめだーって一時期パニくって家に籠って布団に頭を突っ込んで震えてたりしてですね、最終的に精神科に行ったりしたんですけども、同好の士? まあ同じ症状の人と偶々通信できて、自信回復! ってな感じだったんですよぉ!」
「え、あ、はあ。
あ、通信って、麗子が言ってたマナ電話とかいうやつかい?
そもそも、そのマナってのは――」
「ああ、それは後でとっくりと教えますんで!
で、どこまで話したっけか――まあ、ともかく私たちは迫りくる危機に気づきまして、こりゃやばいぜ! ってなもんで、備えを充実せよ! ってことで、株をやってみたり仮想通貨をやってみたりと金策に励み、莫大な資金を調達! で、今に至ります!」
「……は、はあ」
「判りました?」
「いや、全然」
「ま、今は全部脇に置いときましょう!」
佐希子は満面の笑顔で大根田に一歩近づいた。
「聞きましたよ! あのヤーさん――じゃなかった、五十嵐さんとか自衛官から! なんでも大根田さん、マナモノとバチバチやりあったらしいじゃないですか!」
「マナモノ――ああ、あの化け物と――」
「どんなでした!?」
「はい?」
ずい、と佐希子は一歩近づいてくる。
「どんな感じでした? 形状は? 大きさは? ハァハァ、攻撃力はどんなもんでした?」
ずいずい。
「ハァハァ、連中、鳴きました? 匂いは? 色は? ウヘヘヘ! 倒した際に発生するマナは結晶? ゲル状?」
ずずいっ。
「あ、大根田さんの能力って、限界温度はどのくらいなんですか? ウヒヒヒヒ! アスファルトを柔らかくしたと聞きましたよぉ!!! ってことは――70度くらい? いや、でも、100℃で限界ってことはないっすよね!? もしかして、ハァハァ、て、鉄とか溶かせちゃいます!!? ねえねえねえね大根田さん!」
「はい、そこまで」
ぽこんと、良い音がして、佐希子がうぎゃっと頭を押さえてうずくまった。
「お隣の旦那に迫るんじゃないよ、バカ娘が」
黒尽くめの女性、佐希子の母、八木由比子が彼女の後ろにいつの間にか立っていた。
「いやあ、どうもすいません。なんかテンション上がっちゃって……それで、もし差し支えなかったらですね、お昼間にお戦いになられましたマナモノの情報なぞを、この私めに教えていただけると、とってもありがたいんでございますが~」
「すいませんねえ、大根田さん。この子ったら社会経験皆無だから、べしゃりがアレすぎるでしょ?」
八木由比子はいわゆる、気風の良い人だ。
背は麗子と同じくらいだが、がっしりとした体形で、実家は農家だと大根田は聞いたことがある。格闘技などの経験はないけれども、実家に入った強盗を大根で殴って取り押さえた事があるそうだ。
「ちょ、ママは引っ込んでてくれませんこと! わ、私のコレクションがですね――」
「はい? コレクション?」
意表を突かれた大根田に、由比子はうんうんと頷いた。
「訳判んないわよね? 簡潔に言うとね、この子は遠方の人とマナ電話――」
「電話じゃなくて通信だもん! もっとこう、容量のでかい――」
「はいはい、マナ通信ね。まあ、ともかく通信して、今の状況をデータ化してるのね」
「はぁ~、データ化……え? それは、とても凄いことなのでは?」
驚く大根田に、佐希子はぱっと顔を明るくすると、ほらほらっ! やっぱあたしって凄いんじゃん! 褒めて褒めて! と由比子に胸をぐいぐい押し付けた。
「はいはい、いつも褒めてるでしょうが。あんた達はもしかしたら日本の救世主かもしれないんだから、もうちょっと頭が良いふりしてなさいよ」
「うわっ、すげーディスられた気がするんだけど!」
由比子はきーきーと地団駄を踏む佐希子を変顔で煙に巻くと、大根田に肩をすくめた。
「で、そのついでにその人達と競ってるらしいの。ほら、ソシャゲとかでモンスターをコレクションする奴があるでしょう? あれを『マナモノ』でやってるわけ。うちの地域にはこんな奴がいたぞ! ってね」
ああ、そういうことですか、と大根田は頷いた。
由比子は苦笑いをする。
「最初に聞いたときは不謹慎かなと思ったんだけどね。でもこういうデータ集めはモチベーションも大事だし――」
いやいや、と大根田。
「中々面白いですよ。他の地域の化け物――マナモノのデータまで手に入れられるなら、私たちも準備ができるし、いいことずくめだと思います」
佐希子は、でしょう! と今度は大根田にぐいぐいと迫ろうとして、由比子に頭を叩かれた。
「DVだーっ!」
「だから、隣人の旦那に迫るなといっとろーが!!」
「あー、えーっと、私が遭遇した奴らのことですよね。話します話します。じゃあ、どっか落ち着ける場所は――」
「じゃあ、浜本さんの家で晩御飯にしましょう」
振り返ると麗子を先頭に、黒尽くめの女性達が立っていた。
全員、頭から靴まで、どろどろのぐちょぐちょであった。
「……お帰り」
「……ただいま」
麗子がそう答えると、佐希子が手で口を押えて、ぐろえっぷと嘔吐いた。
「み、水を――あ、水道って出るの?」
大根田の質問に、麗子は深呼吸をして、無理無理と手を振った。
「電気、水道、ガス、あらゆる物が全部ダメ! ネットも携帯もよ! 下水もダメだからトイレは簡易式のやつを外に用意したから、そっちを使ってね!」
「そ、そうか。じゃあ――」
大根田はそこで絶句した。
自宅の玄関を出ると左手には小さな庭があるはずだった。
しかし、そこは『広場』になっていた。
隣家の八木家、裏の浜本家との壁が取り払われているのだ。
また、三つの家の二階からはワイヤーらしきものが張られ、灯りがぶら下げられている。
よく見ると、その灯りには、上部に勢いよく回っているプロペラが取り付けられていた。
風力発電――いや、しかしこんなに強く回るほど風は吹いてないような――
「これ――あ、あれ? ……敷石取っちゃったの?」
大根田家の庭には家庭菜園と花壇があるのだが、その間を通る敷石が取り払われ、玄関の横に積んであるのだ。
しかも、敷石のあった場所や、八木家、浜本家の庭の一部にびっしりと丈の短い植物が植えられているようだった。
大根田はしゃがむと、懐中電灯でその植物を照らした。どう見ても、芝生に使う芝草にしか見えない。
「これは――何のために植えたの?」
「まだ、秘密よ。とりあえず、顔を洗ってうがいをしましょう」
麗子はそう言って浜本家の庭に向けて歩き出す。と、すぐ近くからタタタタと軽い連続音が聞こえた。
大根田はさっと小太刀を構えた。
射撃音か!?
近い?
遠い?
家の中からか?
「こちら大根田。だれか撃ってる? 現状を教えて」
麗子がマナ電話のポーズをとりながら大根田の横に並んだ。
「旦那にも聞かせたいけど、いい? ……OK。じゃあ共有する」
麗子の手が大根田の肩に置かれた。
途端に――
『どうもどうも、大根田さん! わたしです~、浜本の妻です~。先ほどは大変でしたね~』
『こちら宝木! ゴキブリ! うわ、でっか! ぎゃぁああ、キモイキモイギモイィィィ!!』
『落ち着かんか。旦那はどうしたんじゃ? 息子は? あ、わしは光江じゃ。この前はチーズの詰め合わせをどうも。あれはワインによく合ったわ』
『旦那と息子はゲーゲー吐いてるわよ! うおおお、こっちきたぁぁぁぁ!』
『井沢です。旦那さん用の武器を作りますんで、手が空いたらうちに来てください』
『こちら間宮、宝木家到着まで一分。鍵は?』
『玄関も窓も締まってる! ごめん! 今、庭の方の――ああ、ダメだダメだ! うじゃうじゃだ! 割って入っちゃっていいや!』
『あ、あの……大根田です、どうも……』
『『『『『どうも、こんにちは~』』』』』
麗子の手が肩から離れ、大根田は額を抑えて、目を瞬いた。
「これから応援に向かいます。通信終わり――で、どうだった、マナチャットは?」
「へぁ? あぁ……頭の中で、今まで使っていなかった場所が猛烈に疲れたような感じ?」
「そうだ、和樹と話してみて。向こうもバタバタしてるらしいから」
「あ、和樹とも話せるのか……えっと、どうすれば――」
「簡単よ。顔を思い浮かべて、呼びかけてみればいいの。本来なら『マナ電話ができると認識できる相手』と『やりましょう』という『事前契約』が必要なんだけどね。親しい間柄だと、色々すっ飛ばしてできちゃうみたい。私がすでにかけて、マナ電話は説明してあるから、うまくいけば返事が来るわよ」
大根田はこめかみに指を当てた。
和樹は二十六歳。大根田の息子である。
盆と正月には帰ってくるが、それ以外はやりとりがない。別に仲が悪いというわけではなく、和樹本人が、なんというか――一人の人間として出来上がっているので、妙な安心感があり、それ故に距離があるのだ。
便りが無いのは良い便り、というやつである。
『え~と……和樹? 和樹? 聞こえますか~、こちらお父さんです……なんつって……』
『おう、親父か。元気か?』
おお、と大根田は麗子を見てガッツポーズをした。
『げ、元気だ! そっちは――』
『俺も元気だ。今ちょっと立て込んでるんで、後でな。じゃあな――』
ぶつり、とマナ電話が切れた。
「……元気だってさ。切られちゃった」
麗子はにんまりと笑うと、浜本家の玄関の脇を指さした。
「ま、元気ならいいじゃない? ほら、あそこに井戸があるの。許可は取ってあるから顔を洗わせてもらってきなさい。
水は軟水で、変化生物で――まあ、ともかく飲めるから、一息ついて、私を待ってて」
「あ、いや、僕も――いや、無理か。足手まといか……」
「いいから休んでて。そんなんじゃ、格好良くないわよ?」
麗子はそう言って笑うと、フェイスガードをずり上げ、宝木家の方へ走って行った。
大根田は、ふうと小さく息を吐き、とぼとぼと歩き出した。
浜本家の玄関の脇には小さなお堂があった。
へえ、こんなものがあったのか。
お稲荷さん、とかかな?
その裏に小さな水道があり、成程、大きなモーターと地中に伸びているパイプが横にあった。
お水いただきます、と玄関に向けて言うと、大根田は蛇口をひねった。
ごぼっという音と、モーターの駆動音が聞こえ、一拍遅れて透明な水が出始める。手に取って、顔を洗うと、ほうっと溜息が出た。
続けて湿った汗臭いハンカチを濯いで絞り、顔を拭く。
嗚呼、生き返った――
大根田は腰を下ろすと、手に水を受け飲もうとした。
よく見ると、小さなコップが蛇口の脇に、ビニール紐でもってぶら下がっていた。手に取ってみると、水滴がついているが清潔そうだ。
誰かが、最近使ったんだな。
水をなみなみとコップに満たすと、大根田は一気にあおった。冷たい水が乾いてささくれた喉を通り、胃の腑に落ちてひんやりとしたゲップが出る。
はああ、と長く長く息を吐くと、大根田はお代わりをなみなみと注いだ。
暑く、長い日の終わりに、冷たい水をゆっくりと飲むことのできる幸せ。
大根田は空を見上げた。
昼間に感じた違和感はなかったが、星が多いように感じる。
停電だからか。
そういえば震災の時もそうだったな。
不謹慎な話だが、これはこれで最高じゃないか。
ぐびりと冷たい水を飲み、ややあって大根田は腹が減っていることに気が付いた。
さて、どうしたものか。
家に帰って冷蔵庫を――いや、あの廊下の臭いと残骸で食欲がなくなるのは必至だな。
麗子が帰ってきたら、掃除かな――
風が吹き、ざわざわと植え込みが揺れる。と、べごべご、と金属音が聞こえた。
大根田は立ち上がると、浜本家の門を出て、塀の外に目をやった。
ここも道路は、ひび割れ、所々がめくれあがって段差ができていた。ひっくり返った自動車と、まるで無傷に見える自動車が並んで停まっている。
その横で、数枚のトタン板が風に揺れて音を立てていた。付近には大小様々な角材やログフェンス、金属パイプが積まれている。
「それ、何だと思います?」
大根田は反射的に小太刀に手をかけ、声のした方に鋭く振り返った。
「うひゃっ!? ちょ、たんま! ブレイク! ジャストアモーメント!!」
細身の女性がわたわたと尻もちをついていた。
大根田は、慌てて頭を下げた。
「いや、これは申し訳ありません! てっきり、その――」
大根田の差し出した手を取って、女性はふへぇと言いながら立ち上がる。
「て、てっきりマナモノだと思って抹消しにかかる、と! いや、さっすが闘将大根田! 気合が違いますね!」
にっこり笑ったショートカットの女性は、赤ブチの大きな眼鏡をかけており、その下から覗く目は大きく、せわしなく動いていた。
誰だったか――自分の名前を知ってる人は、たいてい覚えているんだけれども――
大根田は、必死に記憶を手繰ったが、やはり判らない。
「あ、あのお……大変恐縮ですが、お名前の方をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あ、私ですか? 八木です。八木佐希子」
「……はい? 八木って、お隣の――」
「はいはい! 八木家の一人娘です! いや、どーもお久しぶりです! ずっと部屋に――あ、実は夜中に外をフラフラしてたんですけどもね――まあ、ともかく、いつもカーテンの陰から出勤姿を拝んでから寝ておりました!」
八木佐希子と大根田が顔を合わせたのは、数年ぶり、彼女が高校に通っていた頃以来だった。
ある日、彼女はぱたりと見えなくなった。
妻の麗子は、人の家の事情にはあまり深く関わりたくないから、と断片的な話だけを、時々聞かせてくれた。
曰く、彼女は学校で何かあって、部屋に籠ってしまった。
曰く、彼女は精神科に通っているらしい。
曰く、成人したらしい。
曰く、症状は改善に向かっているし、親子関係は良好らしい……。
「いやあ、色々あったんですよ!
最初にね、変な声が聞こえ始めた時は、うわー、あたしもうだめだーって一時期パニくって家に籠って布団に頭を突っ込んで震えてたりしてですね、最終的に精神科に行ったりしたんですけども、同好の士? まあ同じ症状の人と偶々通信できて、自信回復! ってな感じだったんですよぉ!」
「え、あ、はあ。
あ、通信って、麗子が言ってたマナ電話とかいうやつかい?
そもそも、そのマナってのは――」
「ああ、それは後でとっくりと教えますんで!
で、どこまで話したっけか――まあ、ともかく私たちは迫りくる危機に気づきまして、こりゃやばいぜ! ってなもんで、備えを充実せよ! ってことで、株をやってみたり仮想通貨をやってみたりと金策に励み、莫大な資金を調達! で、今に至ります!」
「……は、はあ」
「判りました?」
「いや、全然」
「ま、今は全部脇に置いときましょう!」
佐希子は満面の笑顔で大根田に一歩近づいた。
「聞きましたよ! あのヤーさん――じゃなかった、五十嵐さんとか自衛官から! なんでも大根田さん、マナモノとバチバチやりあったらしいじゃないですか!」
「マナモノ――ああ、あの化け物と――」
「どんなでした!?」
「はい?」
ずい、と佐希子は一歩近づいてくる。
「どんな感じでした? 形状は? 大きさは? ハァハァ、攻撃力はどんなもんでした?」
ずいずい。
「ハァハァ、連中、鳴きました? 匂いは? 色は? ウヘヘヘ! 倒した際に発生するマナは結晶? ゲル状?」
ずずいっ。
「あ、大根田さんの能力って、限界温度はどのくらいなんですか? ウヒヒヒヒ! アスファルトを柔らかくしたと聞きましたよぉ!!! ってことは――70度くらい? いや、でも、100℃で限界ってことはないっすよね!? もしかして、ハァハァ、て、鉄とか溶かせちゃいます!!? ねえねえねえね大根田さん!」
「はい、そこまで」
ぽこんと、良い音がして、佐希子がうぎゃっと頭を押さえてうずくまった。
「お隣の旦那に迫るんじゃないよ、バカ娘が」
黒尽くめの女性、佐希子の母、八木由比子が彼女の後ろにいつの間にか立っていた。
「いやあ、どうもすいません。なんかテンション上がっちゃって……それで、もし差し支えなかったらですね、お昼間にお戦いになられましたマナモノの情報なぞを、この私めに教えていただけると、とってもありがたいんでございますが~」
「すいませんねえ、大根田さん。この子ったら社会経験皆無だから、べしゃりがアレすぎるでしょ?」
八木由比子はいわゆる、気風の良い人だ。
背は麗子と同じくらいだが、がっしりとした体形で、実家は農家だと大根田は聞いたことがある。格闘技などの経験はないけれども、実家に入った強盗を大根で殴って取り押さえた事があるそうだ。
「ちょ、ママは引っ込んでてくれませんこと! わ、私のコレクションがですね――」
「はい? コレクション?」
意表を突かれた大根田に、由比子はうんうんと頷いた。
「訳判んないわよね? 簡潔に言うとね、この子は遠方の人とマナ電話――」
「電話じゃなくて通信だもん! もっとこう、容量のでかい――」
「はいはい、マナ通信ね。まあ、ともかく通信して、今の状況をデータ化してるのね」
「はぁ~、データ化……え? それは、とても凄いことなのでは?」
驚く大根田に、佐希子はぱっと顔を明るくすると、ほらほらっ! やっぱあたしって凄いんじゃん! 褒めて褒めて! と由比子に胸をぐいぐい押し付けた。
「はいはい、いつも褒めてるでしょうが。あんた達はもしかしたら日本の救世主かもしれないんだから、もうちょっと頭が良いふりしてなさいよ」
「うわっ、すげーディスられた気がするんだけど!」
由比子はきーきーと地団駄を踏む佐希子を変顔で煙に巻くと、大根田に肩をすくめた。
「で、そのついでにその人達と競ってるらしいの。ほら、ソシャゲとかでモンスターをコレクションする奴があるでしょう? あれを『マナモノ』でやってるわけ。うちの地域にはこんな奴がいたぞ! ってね」
ああ、そういうことですか、と大根田は頷いた。
由比子は苦笑いをする。
「最初に聞いたときは不謹慎かなと思ったんだけどね。でもこういうデータ集めはモチベーションも大事だし――」
いやいや、と大根田。
「中々面白いですよ。他の地域の化け物――マナモノのデータまで手に入れられるなら、私たちも準備ができるし、いいことずくめだと思います」
佐希子は、でしょう! と今度は大根田にぐいぐいと迫ろうとして、由比子に頭を叩かれた。
「DVだーっ!」
「だから、隣人の旦那に迫るなといっとろーが!!」
「あー、えーっと、私が遭遇した奴らのことですよね。話します話します。じゃあ、どっか落ち着ける場所は――」
「じゃあ、浜本さんの家で晩御飯にしましょう」
振り返ると麗子を先頭に、黒尽くめの女性達が立っていた。
全員、頭から靴まで、どろどろのぐちょぐちょであった。
「……お帰り」
「……ただいま」
麗子がそう答えると、佐希子が手で口を押えて、ぐろえっぷと嘔吐いた。
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