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空を満たす何か

変わるタイミング

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「カエデちゃん、ちょっとこっちの卵抱えてて欲しいの。温まりが弱いみたいなのよ。」

ララランドという偽名を使うことをやめた。名前を変える事で、自分自身を変えたいと思ったのかもしれない。

私は床に座ってドラゴンの卵を抱き締めた。卵は人間の赤ちゃん程の大きさがあり、かなりずっしりしている。

ドラゴン族は生んだ卵を1ヶ所に集め、交代で世話をする。床に厚く藁をしき、部屋の数ヵ所に炎が浮かんでいる。この炎は温度を保つ用途用なので、火傷や火事の心配が無い優れものらしい。先に生まれた幼竜がうっかり触っても平気なようにしているようだ。

今ある卵は8つ。卵は成長と同時に大きくなっていくらしい。そのうちの1つ、今私が温めている卵は他に比べて一回り以上も小さい。皆ほとんど同時期に生まれたにも関わらずだ。

この一番小さい卵を生んだ竜はこれが初産だった。出産時の無理が祟り現在は療養中だ。ドラゴン族は通常一回の妊娠で1つの卵を生む。初産の場合、母体の機能も不安定だからか卵が孵らないケースがほとんどだという。仮に卵から孵れたとしても産まれた仔は身体が弱く、成人まで生きられない。それ故、生んだ卵が小さいのを見てとると、そこで卵を温めるのを止めてしまう事が多い。

だがドラゴン族とてこれから産まれる我が子が可愛くない筈がなく、どの仔も無事に産まれて欲しいと願う気持ちは変わらなかった。今回は生んだ女性の強い希望により、最善を尽くす事になったらしい。

そこで、手の空いている私が手伝いを申し出た。自分を変えたかった。自分自身だけでは変われなかった。変わるにはきっかけが必要だった。ドラゴン族の卵は半年程で孵る。既に半分は経過しているため、残り3ヶ月。必死だった。卵をお風呂に入れて温めてみたり、一日中抱えていたり、と色々やった。

そして迎えた節目。

7つの卵は無事に孵った。各々の母が交代で乳をやっている。だが、この小さな卵は未だ孵らない。だがまだ温かい。

「カエデ…。サファテサフィスフィアには私から言っておくからその卵はもう諦めなさいな…。これ以上、辛くなってしまう前に。」

私は静かに首を振る。サファテサフィスフィアさんとは私が温めている卵を生んだ女性のことだ。療養中のベッドから「我が子を腕に抱かせてほしい」と泣きながら私に頼んできた事は忘れられない。

それに卵はまだ温かい。もう少しだけ頑張りかった。

卵を布でお腹に固定し、先に産まれた幼竜達の相手もする。幼竜達はぐんぐん大きくなり、皆がその世話に追われた。

私は思いを吐露して以来まだ、はい、いいえ、頷き以外の返答が出来ずにいた。

更に1ヶ月後。

遂に卵の中から亀裂が入った。ここからは自力で殻を破り外に出てくるまで待たなければいけない。卵をゆっくりと藁の敷かれた床に下ろす。一度亀裂が入ってからかなりの時間が経ち、殻の中で動いている様子はあるものの、亀裂を広げるような決定打がなかなか出ない。そのうちその動きも弱くなっていき、静寂が訪れた。既に半刻が経過しようとしており、このままでは本当に死んでしまう。手を出せない事がもどかしかった。                   

「お母さんに会いたいのでしょう!?」
知らずと私の口から大声が出た。少なくともこの子の母はあんなにも子に会いたがっていた。産道が傷つき、母子共に危険な状態だったのを乗り越え、今は精魂尽き果てベッドから起き上がれない状況でも彼女はこの子を諦めなかった。

私はもう家族に会う事は出来ない。どうにもならない私と違って、この子にはまだ会える可能性がある。あれだけ母に望まれているのだ、その思いに応えて欲しかった。

「殻くらい死ぬ気で割れ!死ぬならせめて殻を割って家族に会ってから死ね!!」

私の怒号のような声援に、周囲にいた人達がドン引きしているのが分かる。だが今は気にしている場合ではなかった。

「ツニート!!!!サフィーさんベッドごと連れてきて!!急いで!」

『わわわ、分かったっ!』

私の言葉を理解したのか、ただ騒がしさに再び気力を与えられたかは分からないが、卵の中で再び動く気配があった。だがどれも弱々しく亀裂を入れる事は叶わない。それでも声援を送り続けた。

「家族に会える事が、どれほどの事か分かっているの!?」

再び卵の中の動く気配が消える。今度こそもうだめか、と思った時。小屋の扉がけたたましく開いた。

「カエデ!!」

中に入ってきたのはベッドごと運ばれてきた窶れきったサファテサフィスフィアさんだった。

「母はここにいますよ!!早く貴方の姿を母に見せて頂戴!!さぁ!!!!」

暫く間を置いてから、バキッ!と音がして、卵は横に倒れた。倒れた弾みに子の頭だけ殻から出た。殻に頭突きでもしたのかおでこが赤く、また幼竜は気絶していた。

身体の一部が殻から出たのだから通過儀礼はもういいだろうと思い、急いで殻から子を引きずり出し、軽く身体を布で拭い、サファテサフィスフィアさんに手渡す。産まれた幼竜は他の幼竜が産まれた時よりも身体は小さいが、サファテサフィスフィアさんに良く似た淡い水色をしていた。

「あぁ…。ありがとう…。カエデ、貴方が居てくれたからこの子は生き延び、私は子に会えた。何とお礼を言ったらいいのか分からないわ。」

私は首を横に振る。本当に頑張ったのは生んだ
母と、気合いで殻を割った幼竜だ。

応援だけしか出来なかった私ではない。無事に産まれる事が出来て良かった。


私の中で何かが決定的に変わったわけではなかった。それでも、これで私も変われると思った。


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