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第九章:ゼロ距離

ーside 日下ー 1

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 いつもより半時間早く出勤した。既に厨房スタッフが一人出勤している。早いですねと声を掛けられ、僕は事務所に入る前に彼へと歩み寄った。

「今日はもしかすると、店が混雑するかもしれません」

 きょとん、と音がなったかなと思うほど彼は目を丸くした。

「また、どうして? 夏休みだから?」
「いや、ちょっと……あぁ、そうか。夏休みか」

 夏休みということを忘れていた。大学生も例外なく夏休みだ。思っているより噂は広まらないかもしれないな。
 とはいえ、油断はしない方がいいだろう。大学生の情報ツールは馬鹿にならない。

「まぁ、とにかく。覚悟だけはしておいて貰えますか? 何もなければそれに越したことはありませんが」

 彼は小首を傾げながら頷き、ちょっと多めに仕込みをしておきますと返事をくれた。
 事務所に入り、昨日作成した貼り紙をラミネートする。

 ご飲食以外の入店お断り

 こんな貼り紙、絶対に出したくない。だけど万が一を想定しておかないと、僕のせいでスタッフに迷惑をかけてしまう。常連のお客様にだってそうだ。
 貼り紙のラミネートを終えると、買い置きしておいたトレイを探す。ドリンクカウンターの棚に仕舞っておいたはずだ。
 五枚見つかる。

「五枚も増えれば上等だろ」

 新品の9タンも出しておいて方がいいかもしれないな。
 ワンダース、箱ごと厨房に運び食洗機に掛けると、後ろから呆れたように笑われた。

「それ、新品ですか?」
「えぇ」
「またどうして?」

 気になるのは分かるが……。

「それはミーティングでお話します。今は仕込みの数を余分に作っておいてもらえると助かります」

 彼は肩を竦め、苦笑いだ。

 加藤君の人気がどれほど店に影響を与えるか分からない。ただ西崎さん達の予想では大混雑で間違いないという。どこまで信用していいかは分からないが、ANNADOLアナドルは侮れないなんてギャル三人がバカみたいに騒いでいたから。

 ANNADOLはANNA プロダクション所属のアイドル達の総称だ。僕でさえANNADOLという単語を知っているくらいだ。確かに甘く見ない方がいい。 とにかく今は準備出来ることをやり尽くさないと。

 朝八時。
 スタッフ達がチラホラと出勤してくる。厨房も僕の要請に応え、多めに仕込みを始め、ホールスタッフ達は店内の清掃に取り掛かる。

 九時、冷やしておいたショーケースにケーキを並べ、僕はレジオープンの作業をこなす。コーヒーマシンを起動させ、ビールサーバーの栓も開く。ソフトクリームマシンの電源も入れ、はっと気付いた。生クリームの解凍を忘れている! 慌てて三本冷蔵庫へ移した。
 その後は昨夜の洗い物を片付けたり、オープン準備に向けてスタッフ達とバタバタ動き回る。

 十時半、厨房とのランチミーティングが始まる。予約状況の報告とランチメニューの打ち合わせだ。一緒にディナーのこともそれぞれ報告しあうけど、予約が増えたり、食材の兼ね合いもあるので、結局夜は夜でミーティングを行う。

「えぇ……と、遅かれ早かれバレる可能性があるので、先に皆さんに報告しておきます」

 一通りの通常ミーティングを終えてすぐ、僕は口を開いた。
 厨房スタッフの視線がチクチクとささる。余分に仕込みをさせておいて、余ったなんてことになれば責められるのは僕だ。
 ホールスタッフ達も何事だと僕に注目した。

「実は私は、今芸能人と一緒に暮らしています」

 みんなが凍りつくほど異様な空気が漂った。完全に困惑した空気。いきなり何の報告だとスタッフ達が顔を見合わせる。

「昨日、それが世間にバレました」
「あぁっ!」

 赤坂さんが叫ぶ。

「もしかして、codeの加藤亮介ですか!?」
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