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なけなしザッハトルテ4
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はっとして振り返ると、木崎さんの表情も突然険しくなっていて、この電話が良くないものだというのが一瞬で分かった。
しばしの沈黙。着信音。
「……出てください」
言う俺に、木崎さんは眉を顰めたまま、観念したように小さく頷き、電話に出た。
「もしもし」
少し緊張したような声。きっと……奥さんだろう。
「おはよう。……うん、今日は休みだよ。……今? あぁ、今は……」
一瞬言葉を詰まらせ、木崎さんは嘘をつかずに答えた。
「職場の人の家。……あぁ、いや、いつもはホテルで寝泊まりしてるけど。たまたまだよ」
敬語を使わない木崎さん。優しい喋り口調だ。
電話はその後、ホテルで待ち合わせという話になり、子供たちはどうしているか、という父親らしい質問も出てきたりした。
俺は味噌汁に湯を注ぐことを躊躇い、じっとキッチンから木崎さんの電話に耳を傾ける。この様子じゃきっと、ご飯を食べずにここで出ていくだろう。
ザッハトルテ……食べて貰えそうにないな。
手に持っていたケトルを戻し、俺は買い物袋に入ったままのケーキの材料を一人で片付け始める。
がっかりしている自分がいる。食べて欲しかったと思っている自分がいる。行かないでくれと思っている自分が……いる。
ダッセ。
一日中一緒に居られると、どこかでそれを期待してた。今夜も泊っていくだろうかという淡い期待だってあった。まだ一度だってしていないキスだって……。
通話を終えた木崎さんの大きなため息をキッチンから見つめる。
「これから出るんですか」
尋ねると、彼は申し訳なさそうに眉を垂れて俺を見た。
「すみません……。せっかく買って頂いたのに」
そう言ってテーブルの上のお弁当と俺を交互に見る。
……いいんだよ、それは。
「俺の晩ご飯になるだけなんで、気にしないでください」
それよりも俺は……木崎さんに──。
「でも、良かったじゃないですか! 奥さんのヒステリック、落ち着いたみたいで! これでちゃんと離婚の話し合い、出来そうですね」
極力明るい声で言ったが、木崎さんは薄っすらと苦笑いを浮かべただけだった。その苦笑いが意味するものが俺には分からなくて、僅か……しん、と沈黙が下りる。
この妙な沈黙の後、木崎さんはふふっと小さく笑い、ポケットから指輪を取り出すと、それを薬指へとはめた。
「ゲイの私が……結婚できたのは奇跡でした。叶うはずのなかった家庭と子供を授かって、この十七年間は、決して地獄ではなかったです。後悔と罪悪感にただただ苦しむ毎日ではありましたけど、妻には感謝もしてるし、子供を愛してもいます。十七年……守り続けて来た家族を手放すことは……、正直怖いし……少し、寂しいです」
そんな木崎さんの言葉に……、俺は返す言葉がなかった。
結婚したことのない俺には分からない。だけど、分からないなりに、よく分かる気がした。俺もゲイだから……。結婚はまだしも、子供は完全に諦めているから。本来なら味わうことのなかった「父親」としての、「夫」としての、……十七年。
地獄ではなかった……、か。
しばしの沈黙。着信音。
「……出てください」
言う俺に、木崎さんは眉を顰めたまま、観念したように小さく頷き、電話に出た。
「もしもし」
少し緊張したような声。きっと……奥さんだろう。
「おはよう。……うん、今日は休みだよ。……今? あぁ、今は……」
一瞬言葉を詰まらせ、木崎さんは嘘をつかずに答えた。
「職場の人の家。……あぁ、いや、いつもはホテルで寝泊まりしてるけど。たまたまだよ」
敬語を使わない木崎さん。優しい喋り口調だ。
電話はその後、ホテルで待ち合わせという話になり、子供たちはどうしているか、という父親らしい質問も出てきたりした。
俺は味噌汁に湯を注ぐことを躊躇い、じっとキッチンから木崎さんの電話に耳を傾ける。この様子じゃきっと、ご飯を食べずにここで出ていくだろう。
ザッハトルテ……食べて貰えそうにないな。
手に持っていたケトルを戻し、俺は買い物袋に入ったままのケーキの材料を一人で片付け始める。
がっかりしている自分がいる。食べて欲しかったと思っている自分がいる。行かないでくれと思っている自分が……いる。
ダッセ。
一日中一緒に居られると、どこかでそれを期待してた。今夜も泊っていくだろうかという淡い期待だってあった。まだ一度だってしていないキスだって……。
通話を終えた木崎さんの大きなため息をキッチンから見つめる。
「これから出るんですか」
尋ねると、彼は申し訳なさそうに眉を垂れて俺を見た。
「すみません……。せっかく買って頂いたのに」
そう言ってテーブルの上のお弁当と俺を交互に見る。
……いいんだよ、それは。
「俺の晩ご飯になるだけなんで、気にしないでください」
それよりも俺は……木崎さんに──。
「でも、良かったじゃないですか! 奥さんのヒステリック、落ち着いたみたいで! これでちゃんと離婚の話し合い、出来そうですね」
極力明るい声で言ったが、木崎さんは薄っすらと苦笑いを浮かべただけだった。その苦笑いが意味するものが俺には分からなくて、僅か……しん、と沈黙が下りる。
この妙な沈黙の後、木崎さんはふふっと小さく笑い、ポケットから指輪を取り出すと、それを薬指へとはめた。
「ゲイの私が……結婚できたのは奇跡でした。叶うはずのなかった家庭と子供を授かって、この十七年間は、決して地獄ではなかったです。後悔と罪悪感にただただ苦しむ毎日ではありましたけど、妻には感謝もしてるし、子供を愛してもいます。十七年……守り続けて来た家族を手放すことは……、正直怖いし……少し、寂しいです」
そんな木崎さんの言葉に……、俺は返す言葉がなかった。
結婚したことのない俺には分からない。だけど、分からないなりに、よく分かる気がした。俺もゲイだから……。結婚はまだしも、子供は完全に諦めているから。本来なら味わうことのなかった「父親」としての、「夫」としての、……十七年。
地獄ではなかった……、か。
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