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第一章:記憶
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どうしていいか分からない俺の隣に、そっと立ったのは真田さんだ。
「すみません。驚かせましたね。迅速な対応に心から感謝します。……先生は子供の頃から消防車の音がダメみたいで」
やはりそうなのか。
「トラウマ……というやつですか」
「そうだと思うのですが、本人に火事の経験はないと言うんです」
「え?」
それは意外だな。
「では、見た、ということでしょうか」
「確かに見てしまっても同じ症状になるらしいのですが、子供の頃に火事現場に遭遇したこともないらしく……、どうしてそこまでダメなのかは、本人もきちんと分かっていないんですよ」
原因不明、ということか。
「大人になっても克服できない、強烈なトラウマです。必ず原因があるとは思うのですが」
そうなのだろうけど、現状、その原因を誰一人分かっていないわけだ。
「病院には?」
「何度か。俺も強引に連れて行ったことがあるのですが、やっぱり原因が分からないのと、克服もほぼ無理で」
相当根強いと見える。
華頂さんは、呼吸を荒くしながら、呼びかける女性たちに軽く応答し、俺のスーツを被り直すみたいにぎゅっと体を小さくした。
俺はそんな彼の背中にそっと手を添える。
「大丈夫ですか? 吐きそうではないですか?」
尋ねる俺に、彼は突然、勢いよく俺を振り返った。
その目は見開かれ、俺も、もちろん他の従業員たちもビックリした。それくらい勢いよく俺を振り返ったのだ。
「……え?」
けどそう聞いたのは、俺じゃなく華頂さんだ。
え?と聞き返したいのは俺の方だろ。
「え、いやあの……、吐きそうでは……ないですか?」
聞こえなかったのかと思ってもう一度尋ねると、彼は見開いた目を徐々にまともな色へと戻し、困惑したように瞳を泳がせると、「大丈夫です」と小さく返事した。
「お茶でも準備します。それか、お水の方がいいですかね?」
聞くと、彼は首を振り、何故か俺の手を掴んだ。
繋がれた手は、驚くほど熱を感じなかった。冷たいわけではない。自分の手と融け合っているのではないかと思うほど、同じ体温だったのだ。力の強さも、肌の質感も、「他人」とは思えないほど、「自分の手」のように感じた。
そう思った次の瞬間。
繋いだ手から、ぼっと燃えるような熱が放たれて、お互い、同じスピードでその手を引っ込めた。
「あつ!」
そう言った言葉さえ、俺と華頂さんの声は重なった。
さっき、肩に感じた熱とほぼ同じ。
火傷したんじゃないかと思うほどの熱で、お互い自分の手を見たが、案の定赤くも爛れてもいない。そしてもう、まったく熱を持っていなかった。
「また……?」
驚く俺に、彼も首を傾げ、「ごめんなさい」と謝った。
「お互い、帯電体質なのかもしれないですね。すみません、不用意に触ってしまって」
「あ……いえ」
「やっぱり、お水を貰ってもいいですか?」
そう言われ、俺は自分の手の平をもう片方の手で擦りながら頷いた。
「もちろんです。少しお待ちください」
静電気なんかじゃない。
あれは、炎のような熱さだった。さっきはスーツ越しだったから、もしかして静電気だったのかもしれないと思えたけど、今のは絶対に違う。あれは、発火するような熱だった。現に彼だって「痛い」ではなく「熱い」と言って俺の手を離したのだから。
「一体……何なんだ」
不思議な感覚に首を捻りながら、俺は華頂さんの分の水と、皆さんに温かいお茶を入れてホールへと戻った。
その頃にはもう消防車は無事に遠ざかっており、華頂さんは恥ずかしそうに俺へスーツを返してお礼を言った。その時に一瞬手が触れたけど、発火するような熱はもう感じ取れなかった。やはり、ただの静電気なのだろうか。
その後、平常心を取り戻した華頂さんは改めて俺に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
「とんでもございません。また、式の事で何かあればいつでも連絡ください。僕からも、何か変更事項等あれば連絡させていただきます」
「ありがとうございます」
最後の挨拶を交わし、雨の中走り去るバンを式場の玄関から見送った。
あの熱は一体何だったのか。彼のトラウマの原因が何なのか。そして何故彼の手に、何も感じなかったのか。
あまりに不思議で、俺は首を捻りながら事務所へと踵を返した。
本当は「また降りましたね」という言葉も、お互い「大事な時に雨が降る」という共通項も、華頂さんと聞く雨音に心が凪いたことだって、不思議なことだったのだが、この時はもうそれらを忘れてしまっていた。
「さ。仕事だ、仕事だ」
「すみません。驚かせましたね。迅速な対応に心から感謝します。……先生は子供の頃から消防車の音がダメみたいで」
やはりそうなのか。
「トラウマ……というやつですか」
「そうだと思うのですが、本人に火事の経験はないと言うんです」
「え?」
それは意外だな。
「では、見た、ということでしょうか」
「確かに見てしまっても同じ症状になるらしいのですが、子供の頃に火事現場に遭遇したこともないらしく……、どうしてそこまでダメなのかは、本人もきちんと分かっていないんですよ」
原因不明、ということか。
「大人になっても克服できない、強烈なトラウマです。必ず原因があるとは思うのですが」
そうなのだろうけど、現状、その原因を誰一人分かっていないわけだ。
「病院には?」
「何度か。俺も強引に連れて行ったことがあるのですが、やっぱり原因が分からないのと、克服もほぼ無理で」
相当根強いと見える。
華頂さんは、呼吸を荒くしながら、呼びかける女性たちに軽く応答し、俺のスーツを被り直すみたいにぎゅっと体を小さくした。
俺はそんな彼の背中にそっと手を添える。
「大丈夫ですか? 吐きそうではないですか?」
尋ねる俺に、彼は突然、勢いよく俺を振り返った。
その目は見開かれ、俺も、もちろん他の従業員たちもビックリした。それくらい勢いよく俺を振り返ったのだ。
「……え?」
けどそう聞いたのは、俺じゃなく華頂さんだ。
え?と聞き返したいのは俺の方だろ。
「え、いやあの……、吐きそうでは……ないですか?」
聞こえなかったのかと思ってもう一度尋ねると、彼は見開いた目を徐々にまともな色へと戻し、困惑したように瞳を泳がせると、「大丈夫です」と小さく返事した。
「お茶でも準備します。それか、お水の方がいいですかね?」
聞くと、彼は首を振り、何故か俺の手を掴んだ。
繋がれた手は、驚くほど熱を感じなかった。冷たいわけではない。自分の手と融け合っているのではないかと思うほど、同じ体温だったのだ。力の強さも、肌の質感も、「他人」とは思えないほど、「自分の手」のように感じた。
そう思った次の瞬間。
繋いだ手から、ぼっと燃えるような熱が放たれて、お互い、同じスピードでその手を引っ込めた。
「あつ!」
そう言った言葉さえ、俺と華頂さんの声は重なった。
さっき、肩に感じた熱とほぼ同じ。
火傷したんじゃないかと思うほどの熱で、お互い自分の手を見たが、案の定赤くも爛れてもいない。そしてもう、まったく熱を持っていなかった。
「また……?」
驚く俺に、彼も首を傾げ、「ごめんなさい」と謝った。
「お互い、帯電体質なのかもしれないですね。すみません、不用意に触ってしまって」
「あ……いえ」
「やっぱり、お水を貰ってもいいですか?」
そう言われ、俺は自分の手の平をもう片方の手で擦りながら頷いた。
「もちろんです。少しお待ちください」
静電気なんかじゃない。
あれは、炎のような熱さだった。さっきはスーツ越しだったから、もしかして静電気だったのかもしれないと思えたけど、今のは絶対に違う。あれは、発火するような熱だった。現に彼だって「痛い」ではなく「熱い」と言って俺の手を離したのだから。
「一体……何なんだ」
不思議な感覚に首を捻りながら、俺は華頂さんの分の水と、皆さんに温かいお茶を入れてホールへと戻った。
その頃にはもう消防車は無事に遠ざかっており、華頂さんは恥ずかしそうに俺へスーツを返してお礼を言った。その時に一瞬手が触れたけど、発火するような熱はもう感じ取れなかった。やはり、ただの静電気なのだろうか。
その後、平常心を取り戻した華頂さんは改めて俺に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
「とんでもございません。また、式の事で何かあればいつでも連絡ください。僕からも、何か変更事項等あれば連絡させていただきます」
「ありがとうございます」
最後の挨拶を交わし、雨の中走り去るバンを式場の玄関から見送った。
あの熱は一体何だったのか。彼のトラウマの原因が何なのか。そして何故彼の手に、何も感じなかったのか。
あまりに不思議で、俺は首を捻りながら事務所へと踵を返した。
本当は「また降りましたね」という言葉も、お互い「大事な時に雨が降る」という共通項も、華頂さんと聞く雨音に心が凪いたことだって、不思議なことだったのだが、この時はもうそれらを忘れてしまっていた。
「さ。仕事だ、仕事だ」
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