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第二十章 繋がれる明日へ
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重厚な重金属を含んだ暗雲がいつもと変わらないように空を覆う、地球のガチーナシティ。イーサンはシティ政府から配られた食糧をギャング達に奪われないよう、分厚いコートで袋を隠しながら、いそいそと貧民街にあるアパートの自宅へと入っていく。
「ただいま。ヤーナ、ユリアン。食べ物をもってきたよ」
「イーサン」「パパっ」
妻のヤーナと息子のユリアンがホッとしては、袋から合成缶詰を取り出すイーサンのところに集まった。
「今日はとてもついてるよ、缶詰を四個も貰ってるから、残ってるものと合せれば次の配布までは持つだろう」
「四個も?ついてるわね。普段なら二個ぐらい貰えばラッキーなのに…」
「…それがさ、このうち一個は他の人から貰ったんだよ」
「えっ」
ヤーナがとても心配そうな顔を浮かべる。
「大丈夫なのイーサン?実は金属汚染されたものとか、何かゆすられたのっ?」
「落ち着けって、ヤーナ。缶詰自体に破損はないし、同じ型番の奴を相手が喰ってたし、放射線も確認したから問題ないよ。威嚇された訳でもないんだ」
「じゃあ…本当に…」
自分も信じられないと言わんばかりの苦笑をするイーサン。
「とにかく今は早く食事を用意しよう。ユリアンも腹を空かせているからな」
軽くヨダレを垂れているユリアンを見て、これ以上気にしても仕方ないとヤーナは軽くため息をしながら、イーサンと一緒に食事の用意を始めた。
「…先日の全世界を襲った特異現象により、一部甚大な打撃を受けたシティでは市民達によるチャリティグループの活動によって…」
傷だらけの古い木製テーブルを囲んで、イーサン一家は時々ノイズの走る古いテレビで流れるニュースを見ながら、所々歪んだ金属食器に乗せた合成ペーストを食べていた。お腹がすいていたのか、ユリアンは実に美味しそうにガツガツとペーストを口に運んでいく。
ニュースが報道している、地球全土を襲った怪異現象。一定規模を有するシティの上空に浮かぶ見知らぬ風景、電気系の混乱や、いわれのない狂気に駆り立てられた人々。暫くしてその現象が跡形もなく消えた後は大きな混乱が残されたものの、シティは生き物のようにすぐにその傷跡を癒して、いつも通りの生活が戻った。
シティ政府などは未だに現象の解明には至ってはいないが、数週間も時間が流れると、地球の人々はやはりすでに興味を失せ、いつもの抑制された日々を生きるために専念していた、それを真剣に語るのはニュースを除き、オカルト集団やもの好きな人達ぐらいだ。
「…そういえば、イーサン」
「なんだい?」
「さっき、トムが家にやってきてたんだけど」
イーサンの体が軽くこわばる。トムはヤーナの兄で、自分たちとは違ってそれなりの規模を有する企業の正社員だ。彼は昔からイーサンのことを気に入っておらず、今でもヤーナとの付き合いをこころよく思っていない。それで彼はいつもイーサンに暴言を吐いては彼女に自分の傍から離れるよう促していたが、ヤーナの為というよりも、それを言い訳に仕事で受けた鬱憤を発散しているのが実情だ。
「…それで、今度はどんな愚痴を言いに来たんだトムは」
「それがそうでなくて…」
ヤーナが小さな携帯型クレジットチップを机に置いた。
「お金を渡しに来てたの、私たちの生活の足しにしろって…」
「えっ?」
今度はイーサンが大きく驚愕する。チップとリンクして確認すると、少額ではあるが確かにD.Cが入っていた。
「あのトムが…私たちにお金を…?ほかに何も言わなかったのか?」
「ううん。あとは私たちの最近の生活を聞いただけで戻っていったわ」
「そ、そうか…」
ヤーナがユリアンの口についたペーストを小汚いナプキンで拭いていく。
「ねえイーサン、なんだか最近、色んなことが細かく変わっているような感じがしない?」
「…そう、だな。ちょっとうまくは言えないが、確かに昔とは何かが違うような…」
誰かが親切に食料を分けてくれたり、自分ではなくヤーナにであっても、あのトムがまさか生活支援の金をくれることなど、今までの常識ではまず考えられないような出来ことだ。…いや、そういえば、昔は一度、似たような助けを受けていたことがあった。
異星人の先兵であると報道されていた銀髪の男。いま考えてみると、追われの身であり、しかも満身創痍な状態で自分たちを助けることもまた、極めて珍しい出来事だった。彼は今何をしているのだろう。あれから無事逃げ切れたのだろうか…。今になって彼のことを気になりかけたこともまた、何かが変わった証拠なのだろうか。
「…これ以上考えても仕方ないわね。明日も朝早く工場にいくのでしょう。今日は早めに休んだ方がいいわ」
「ん、そうだね…」
「んぐ…ごちそうさまっ」
ペーストを綺麗に平らげて元気よくそれを見せるユリアンに、イーサンとヤーナは苦笑しながらもその頭を撫でた。
――――――
「こらっ!あんたたちまだ外にいるのかっ!?」
「うわやばっ!鬼ばばが来たよ!早く戻ろうミリルっ、ラング!」
「あ、待ってエルっ!」
「ちょっとエル!」
シティから少し離れた、荒地が広がる砂漠にある小さなタウン。そのさらに離れにある小さなメンテナンス屋のガレージ。『メガスクリュー』と英語で書かれたネオン看板が今にも壊れそうに色鮮やかなに点滅し、三人の子供はガレージの主人であるエイミーの横を走りすぎては屋内へと逃げ込んだ。
「誰がばばぁだいっ!まったく、拾われたくせに妙に粋がるよ」
オイルまみれの作業服を着ているエイミーが笑顔で愚痴った。一度周りを見回ると、ふとジャンクパーツの山の傍に、鉄棒などで作られた墓の前で座り込んでいる女の子が見えた。
「あっ、あんたもまだ外にいたのかいシェリー」
シェリーと呼ばれる子はただ静かに屈んでは、エイミー・ファリントンの父であり、自分の命の恩人であるニコライ・ファリントンの墓を見つめていた。
あの日、化学工場でウィルフレッドとビリー達の戦闘によって起こされた爆発に巻き込まれたニコライとシェリーだが、半サイバー化しているニコライは咄嗟にシェリーをかばい、サイバー機構に内蔵された自作の簡易保護装置を全開して彼女を爆発から守った。
その衝撃で工場外へと吹き飛ばされた二人だが、限界以上にサイバーパーツを酷使し、当たりところも悪かったため、ニコライは最後にエイミーと通信を終えるとそのまま帰らぬ人となった。
こうしてシェリーを引き取ったエイミーは、シティで軽犯罪を起こしていたエルたちもろとも自分で面倒することにした。かつてニコライがウィルフレッドと協力してやってた時のように。
「ほらシェリー、もうすぐ雨が降ってくるから早くガレージに戻りな。ここの酸性雨はシティよりも体に毒だからさ」
そう言って近寄ったエイミーに、シェリーは墓の下を指さし、ゆっくり振り返ってはつぶやく。
「…ここ、お花が咲いてる」
「なっ!?」
「わっ」
エイミーは咄嗟にシェリーを墓から遠さげるように引っ張っては自分の後ろに隠した。今の地球で野生の花と言われれば、大抵は毒性の花粉をまき散らすか、種類によっては針や蔦などを飛ばしてくる危険な変異種がほとんどなためだ。
「花には触ってないよなシェリーっ?体に異常はっ?」
「大丈夫だよエイミー、あれ、とても綺麗な花だったから」
「なん、だって…」
シェリーをさらに遠さげては、エイミーは作業服からゴーグルとマスクを取り出しては着けて、慎重に墓へと近づいていく。
「…なんだこれ…」
墓の前でそれを見たエイミーは思わずゴーグルを上に外した。先ほどシェリーが指さす墓の下に、錆ばかりのジャンクパーツや汚染された土壌の中で一層美しく輝いてさえ見える、小さな白色の花が咲いていた。
「ほらね、綺麗でしょ」
「あ、ああ…けどなんだこれ…こんなタイプの花、今まで見たこともない…」
エイミーはグローブを着けた手で軽くそれに触れてみた。花粉らしき小さな光が星屑のようにきらきらと散っていく。ゆらゆらと頼りなさそうに揺れては、それでもしっかりとそこにひっそりと咲いていた。
どこか幻想じみた光景だった。何もかもが醜悪に汚染されたこの地球で、花は弱々しくありながらもとても健やかに生きようとしているかのように感じられて、不思議な感動に思わず涙をこぼすエイミー。
「ねえエイミー、このお花さん、雨に降られると可哀そうだから、小さな屋根作ってあげてもいい?」
「…ああ…そうだね、それぐらいならすぐにできるかな」
ジャンクパーツを漁り、エイミーはシェリーと協力して手際よく作業を始めた。
「よしできたっ」
「やったぁ」
ほどなくして小さな屋根とボロ布が墓もろとも白花を守るように建てられた。お互い手を軽くハイタッチすると、シェリーは祈るように花に話しかけた。
「お花さん、どうか元気に大きくなってね。ニコライさん、お花さんのこと、お兄ちゃんと一緒に見守ってあげて」
シェリーの言葉と父の墓が、エイミーの胸に複雑な気持ちをもたらす。かつて自分とニコライを助けてくれたウィルフレッドとアオトは未だに消息不明。普通なら、すでにどこかで野垂れ死になったのが当たり前だろう。
けど、なぜだろう。この花を見ると、彼らはきっとどこかで無事生きていると妙な確信を抱くようになれる。我ながらあのアオトみたいにロマン主義者になってるかのようで思わず苦笑しながらも、悪い気持ちじゃないなとエイミーは思った。
「これで満足かい?ほら、もう戻ろう」
「うん。またねお花さん、ニコライさん」
二人がガレージに戻って程なく、重金属を含んだ酸性雨が降り注ぐ。屋根とボロ布に守られてもなお強い風に吹かれながら、白い花はまるでそれに抗うよう強かに咲き続ける。それは、地球になにかの変化がもたらす兆しなのだろうか。それは誰も分からない。辛い抑制的な日々はなおも続き、混沌とした世界情勢は変わらぬ残酷な現実を人々につき続ける。
それでも、汚染された大地で、ふとした思い付きで守られて必死に生きる小さな白い花は、確かにそこに咲いていた。
******
メルテラ山脈の奥深くに隠された大地の谷。かつてリアーヌから谷への道を教えられ、再びここに訪れたウィルフレッドとエリネは、谷にある村を見下ろせる小さな丘の上に立っていた。リアーヌから頂いた旅装束を着たウィルフレッドは、花々が咲き誇るその丘に建てられた無名の墓標の前に、脱ぎ捨てた地球での服をキースのコートとサラのグローブとともに掘られたばかりの穴に置いていく。
「本当に良いのですかウィルさん?」
「ああ」
心配そうなエリネに頷くと、最後に首にぶら下がったツバメの首飾りを外し、それを穴に置いていくウィルフレッド。本当はギルバートもこの墓で弔いたかったが、あいつのことだ、そのようなことはきっと望まないと思ってやめることにした。それに、彼のことは自分がいつまでも覚えていく、彼にはそれで十分だった。
「これからの旅では、今までの服装のままじゃやはり目立つからな。…アオト達との別れの挨拶も、もうとっくに済ましている」
目に隠しきれない寂しさを堪えながらも、服と首飾りを優しく撫でては、ウィルフレッドは立ち上がる。
「それに、これで俺がキース達を忘れる訳ではないさ。彼らは今でも俺の中で生き続いている。俺が生きていること自体が、彼らが存在したことなる証なんだ」
「ウィルさん…」
エリネもまた墓の前に出て、両手を合わせては祈りを捧げた。
「キースさん、サラさん、アオトさん。私達を助けてくれてありがとう。私も皆さんのこと絶対に忘れませんから。…どうか貴方達に、女神様の慈愛が包むように」
「…ありがとう、エリー」
「えへへ」
互いの手を握り、ウィルフレッドは肩に飛びついたルルを気持ちよく撫でては、少し離れたところで待っているリアーヌのところに寄った。
「もうよろしいのですね」
「ああ」
リアーヌが頷くと、彼女の傍に立つ二人の谷の民が墓の方へ行き、穴を埋めては鎮魂の祈りの儀式を行った。埋まれていくアオト達の形見を、ウィルフレッドは目を離さず最後まで見届けた。
「どうかご安心ください。たとえ人々に知られざる異邦人であっても、他の方達のように私達は祈りを捧げ、その墓を守り続けましょう。それがこの谷のあり方なのですから」
「ありがとうございます、リアーヌ様。いきなり押し込んできた私達のお願いを聞き入れてくれて」
「どうか気になさらずに、星の巫女様。他でもない貴方とその勇者のお願いですもの。微力ながらも力になれたことを、とても嬉しく思います」
エリネ、ウィルフレッドはリアーヌと互いに小さく感謝の会釈をした。女神ガリアの話については、ウィルフレッドは黙っていた。ネイフェから教えられたように、それが感情という呪いから解き放たれ、永遠の安寧を願ったガリアの願いだったのだから。
村に戻る最後に、ウィルフレッドはサラ達の墓を振り返る。過酷で冷たき世界でともに生き抜いた大事な家族との思い出をかみしめ、思わず濡れた目を拭った。
(サラ、キース、アオト。どうか安らかに)
******
大地の谷がいるメルテラ山脈を離れ、ウィルフレッドとエリネは馬に乗りながら、暖かな木漏れ日が降り注ぐのどかな林道を歩いていた。撫でるように吹く風が心地良い新緑の木々の匂いを運び、すぐ傍に流れる川のせせらぎが、伴侶を求めて鳴く小鳥達とともにハーモニーを奏でる。
「わあ~凄く気持ちいいですっ。とても良い匂いがしますし、音も気持ちよくて…っ」
「キュッ、キュキュッ!」
満面の笑顔で森林浴を満喫するエリネに、彼女を前に座らせているウィルフレッドもまた嬉しそうにこのひと時を享受していた。
「ああ。このまま通り過ぎるには勿体無いぐらい綺麗な風景だな」
同じように大きく息を吸っては進むウィルフレッドは、ふとエリネが黙り込んで俯いていることに気付く。
「どうしたエリー?」
「ううん。ただ、こうしてウィルさんと二人で旅に出られて、しかもずっと一緒にいられることがまだあまり実感が沸かなくて…」
エリネの目から嬉し涙がこぼれる。
「ウィルさん、私、こんなに幸せでいいのかなあ…。こうして世界を感じて周って…しかも大好きなウィルさんが傍にいて…もう、ウィルさんが亡くなることも心配しなくても良くて…私…」
甘くも苦い気持ちに唇を噛みしめるウィルフレッドは馬を止まらせ、エリネの小さな体を両手で抱きしめた。彼の目にもまた、小粒の涙が滲み出る。
「俺も同じだよ、エリー…。あの暗い街角で泣き続けて、生きるために何でもしてきた自分が、こうしてこの世界で君達と出会って、アオト達に助けられて、こうして君と生き続けられるだなんて…。今でもまた怖いぐらいだ…次の瞬間、君とまた離れてしまうんじゃないかと思うぐらいに…」
「ウィルさん…」
逞しい彼の胸板にその小さな体を寄せるエリネ。自分の存在を確かに伝えるために。彼が生きている事実をより感じ取れるために。
「ダメな訳、ないですよ。だってウィルさんがいてくれて、お兄ちゃん達はとても楽しかったし、私もウィルさんから一杯幸せもらっていて…。そんなウィルさんが、幸せになってはいけないなんて訳ない。ウィルさんの幸せが、私の幸せですから」
「エリー…」
エリネがゆっくりと顔を上げて、その美しい星の瞳を彼に見せる。
「ウィルさん、これからも一生懸命生きてください。他の誰でもない私のために」
「ああ…、エリーもどうかずっと傍にいてくれ。他の誰でもない俺のために」
頬に伝わる涙を指で拭い、さらりと流れる彼女の髪をかいては額に口付けを落とすウィルフレッド。エリネは少し恥ずかしながらも溢れる幸せに笑顔を浮かべては顔をさらに上げて唇を差し出した。この世の誰よりも強く優しい彼の指が、自分の柔らかな唇に何度も触れてくる。されるがままにその熱に酔いしれると、やがて彼の唇が重なった。
とめどない幸せの暖流が、拙いながらも寄り合う唇から全身を巡る。小鳥達の求愛の鳴き声と優しい木漏れ日中で、二人はずっと求めてきたこのひと時を噛み締め続けた。
やがて口惜しそうに離れると、エリネは体を軽くよじりながら恥ずかしそうに両手を口に添えてフフッと照れ笑いし、ウィルフレッドもまた頬を染めては幸せの笑顔を浮かべては、互いの額をコツンと当てる。
「好きだ、エリー。これからもずっと一緒だ」
「うんっ、ずっと一緒ですよ」
「キュキュ~~っ」
「わわっ」「おっと」
自分もそうだ言わんばかりに割ってはいるルルを二人は笑いながら撫でる。
「ふふ、勿論ルルも一緒ね」
「ああ、そうだな」
「キュッ!」
「少し急ごう。時間は一杯できたけど、これから二人でやりたいこと一杯あるしな」
「ふふ、そうですよね。私、まだ海感じたことないですから行ってみたいですし、まだまだ行ったことのない町とか、食べたことないお料理も一杯ありますからっ」
「ああ、俺もこの世界の海は見てみたいな。料理も楽しみだけど、今一番食べたいのは…」
「食べたいのは?」
「エリーの作る特製苺タルトだな」
少しきょとんとしてから、頬を苺のように染めながらクスリと微笑むエリネ。
「ウィルさんったら。…これからはいつまでも、どこまでも作ってあげますから」
同じように微笑んでは、その頬に口づけをして暖かな幸せに浸かる二人。
「行こうエリー、一緒にっ」
「うんっ、行きましょうウィルさんっ」
「キュキュウ~~~っ」
馬を軽く走らせては、林道を走り抜ける。程なくして林を抜け、二人に吹いてくる平原の風とどこまでも続く青空は、まるで彼らの行く先を祝福するかのようだった。
******
「…こうしてハルフェンは巫女とその戦士達の奮戦により邪神の脅威を退け」
「破滅を免れ、平和が訪れることになりました」
おぼろげとした現実と夢の境界に、白い服の男の子と黒ドレスの女の子が語る。
「まあでも、まだ問題が全部解決した訳じゃないよね。異世界と一時繋がったことで、ハルフェンに何かしら変化が起こされたのかもしれないし」
白服の精霊テオが腕を組む。
「あと行方不明のザレとか、えへえへとザナエルの研究資料をもって逃げ出したウォルテくんとビクターくんとかもね」
黒ドレスの精霊ハナが続ける。
「でも、自分の強い信念を持った人々がいる限り、きっと無事だよね」
「だよね、強くて優しい魔人さんもいるし、ここは女神様たちの加護のおわすハルフェンだから」
「とにかく、これで邪神ゾルドとの戦いの物語は幕を閉じました」
「当代の巫女たちと勇者たちの戦いは、これからも語り継がれていくのでしょう」
「ヘリティアは新たな女帝とその夫の下でかつてない繁栄を誇り」
「ルーネウスも若き勇者がもたらした新しい風によって大きく生まれ変わりましたとさ」
「え、魔人さんのこともそうなのかって?」
「ちょっと残念だけど、何代も先で星の勇者こと魔人さんの話だけは、いつのまにかなかったことにされてるだそうだよ」
「誤謬とかで話自体が変わっていくのもあるし」
「宗教的に受け入れられないとか、魔人が勇者だと都合悪いとかもあるよね。まあ、別の話になっちゃうけど」
「けど大丈夫。実は子供たちにはね、一つおとぎ話がひっそりと言い伝えられてあるんだよ」
「そのおとぎ話とはね―――」
むかしむかし、一匹のこわいこわーいオオカミさんがいました。
怖い顔をしたオオカミの力はとてつもなく強大だけど、そのせいで誰も彼に寄りつこうとせず、オオカミさんはいつも独りぼっちでした。
けどある夜、一つの流れ星が落ちたのを見てオオカミさんがかけつけると、落ちた場所には一人の綺麗な女性がいました。星のお姫様と名乗るその女性は優しくオオカミを撫でました。からっぽだったオオカミさんの心は癒され、ツバメとなる力を手に入れたのです。
世界を旅するお姫様はオオカミさんとともに、誰にも知らさずにこっそりと多くの魔獣を退治し、多くの人々を助けました。けど最後に強大な力を持った悪魔との戦いに、オオカミさんは深く傷ついてしまう。そんなオオカミさんを星のお姫さまが口づけを落とすと、なんとオオカミさんは銀の鎧をまとった騎士となり、無事悪魔を打倒しました。
悪魔を倒した銀の騎士さんと星のお姫様は、人々の前からひっそりと姿を消して、二度と現れることはありませんでした。みんなは最後まで、自分たちを助けたのがお姫様たちということを知ることはありませんでした。
けど、空で世界を見守る太陽とお月さまだけは知っています。
多くの人々を助けた騎士さんとお姫様は、人知らずの土地で穏やかに生き、子供を儲け、愛を囁いて寄り添っては、幸せな余生を過ごしましたとさ。
めでたし、めでたし。
【ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士達- 完】
「ただいま。ヤーナ、ユリアン。食べ物をもってきたよ」
「イーサン」「パパっ」
妻のヤーナと息子のユリアンがホッとしては、袋から合成缶詰を取り出すイーサンのところに集まった。
「今日はとてもついてるよ、缶詰を四個も貰ってるから、残ってるものと合せれば次の配布までは持つだろう」
「四個も?ついてるわね。普段なら二個ぐらい貰えばラッキーなのに…」
「…それがさ、このうち一個は他の人から貰ったんだよ」
「えっ」
ヤーナがとても心配そうな顔を浮かべる。
「大丈夫なのイーサン?実は金属汚染されたものとか、何かゆすられたのっ?」
「落ち着けって、ヤーナ。缶詰自体に破損はないし、同じ型番の奴を相手が喰ってたし、放射線も確認したから問題ないよ。威嚇された訳でもないんだ」
「じゃあ…本当に…」
自分も信じられないと言わんばかりの苦笑をするイーサン。
「とにかく今は早く食事を用意しよう。ユリアンも腹を空かせているからな」
軽くヨダレを垂れているユリアンを見て、これ以上気にしても仕方ないとヤーナは軽くため息をしながら、イーサンと一緒に食事の用意を始めた。
「…先日の全世界を襲った特異現象により、一部甚大な打撃を受けたシティでは市民達によるチャリティグループの活動によって…」
傷だらけの古い木製テーブルを囲んで、イーサン一家は時々ノイズの走る古いテレビで流れるニュースを見ながら、所々歪んだ金属食器に乗せた合成ペーストを食べていた。お腹がすいていたのか、ユリアンは実に美味しそうにガツガツとペーストを口に運んでいく。
ニュースが報道している、地球全土を襲った怪異現象。一定規模を有するシティの上空に浮かぶ見知らぬ風景、電気系の混乱や、いわれのない狂気に駆り立てられた人々。暫くしてその現象が跡形もなく消えた後は大きな混乱が残されたものの、シティは生き物のようにすぐにその傷跡を癒して、いつも通りの生活が戻った。
シティ政府などは未だに現象の解明には至ってはいないが、数週間も時間が流れると、地球の人々はやはりすでに興味を失せ、いつもの抑制された日々を生きるために専念していた、それを真剣に語るのはニュースを除き、オカルト集団やもの好きな人達ぐらいだ。
「…そういえば、イーサン」
「なんだい?」
「さっき、トムが家にやってきてたんだけど」
イーサンの体が軽くこわばる。トムはヤーナの兄で、自分たちとは違ってそれなりの規模を有する企業の正社員だ。彼は昔からイーサンのことを気に入っておらず、今でもヤーナとの付き合いをこころよく思っていない。それで彼はいつもイーサンに暴言を吐いては彼女に自分の傍から離れるよう促していたが、ヤーナの為というよりも、それを言い訳に仕事で受けた鬱憤を発散しているのが実情だ。
「…それで、今度はどんな愚痴を言いに来たんだトムは」
「それがそうでなくて…」
ヤーナが小さな携帯型クレジットチップを机に置いた。
「お金を渡しに来てたの、私たちの生活の足しにしろって…」
「えっ?」
今度はイーサンが大きく驚愕する。チップとリンクして確認すると、少額ではあるが確かにD.Cが入っていた。
「あのトムが…私たちにお金を…?ほかに何も言わなかったのか?」
「ううん。あとは私たちの最近の生活を聞いただけで戻っていったわ」
「そ、そうか…」
ヤーナがユリアンの口についたペーストを小汚いナプキンで拭いていく。
「ねえイーサン、なんだか最近、色んなことが細かく変わっているような感じがしない?」
「…そう、だな。ちょっとうまくは言えないが、確かに昔とは何かが違うような…」
誰かが親切に食料を分けてくれたり、自分ではなくヤーナにであっても、あのトムがまさか生活支援の金をくれることなど、今までの常識ではまず考えられないような出来ことだ。…いや、そういえば、昔は一度、似たような助けを受けていたことがあった。
異星人の先兵であると報道されていた銀髪の男。いま考えてみると、追われの身であり、しかも満身創痍な状態で自分たちを助けることもまた、極めて珍しい出来事だった。彼は今何をしているのだろう。あれから無事逃げ切れたのだろうか…。今になって彼のことを気になりかけたこともまた、何かが変わった証拠なのだろうか。
「…これ以上考えても仕方ないわね。明日も朝早く工場にいくのでしょう。今日は早めに休んだ方がいいわ」
「ん、そうだね…」
「んぐ…ごちそうさまっ」
ペーストを綺麗に平らげて元気よくそれを見せるユリアンに、イーサンとヤーナは苦笑しながらもその頭を撫でた。
――――――
「こらっ!あんたたちまだ外にいるのかっ!?」
「うわやばっ!鬼ばばが来たよ!早く戻ろうミリルっ、ラング!」
「あ、待ってエルっ!」
「ちょっとエル!」
シティから少し離れた、荒地が広がる砂漠にある小さなタウン。そのさらに離れにある小さなメンテナンス屋のガレージ。『メガスクリュー』と英語で書かれたネオン看板が今にも壊れそうに色鮮やかなに点滅し、三人の子供はガレージの主人であるエイミーの横を走りすぎては屋内へと逃げ込んだ。
「誰がばばぁだいっ!まったく、拾われたくせに妙に粋がるよ」
オイルまみれの作業服を着ているエイミーが笑顔で愚痴った。一度周りを見回ると、ふとジャンクパーツの山の傍に、鉄棒などで作られた墓の前で座り込んでいる女の子が見えた。
「あっ、あんたもまだ外にいたのかいシェリー」
シェリーと呼ばれる子はただ静かに屈んでは、エイミー・ファリントンの父であり、自分の命の恩人であるニコライ・ファリントンの墓を見つめていた。
あの日、化学工場でウィルフレッドとビリー達の戦闘によって起こされた爆発に巻き込まれたニコライとシェリーだが、半サイバー化しているニコライは咄嗟にシェリーをかばい、サイバー機構に内蔵された自作の簡易保護装置を全開して彼女を爆発から守った。
その衝撃で工場外へと吹き飛ばされた二人だが、限界以上にサイバーパーツを酷使し、当たりところも悪かったため、ニコライは最後にエイミーと通信を終えるとそのまま帰らぬ人となった。
こうしてシェリーを引き取ったエイミーは、シティで軽犯罪を起こしていたエルたちもろとも自分で面倒することにした。かつてニコライがウィルフレッドと協力してやってた時のように。
「ほらシェリー、もうすぐ雨が降ってくるから早くガレージに戻りな。ここの酸性雨はシティよりも体に毒だからさ」
そう言って近寄ったエイミーに、シェリーは墓の下を指さし、ゆっくり振り返ってはつぶやく。
「…ここ、お花が咲いてる」
「なっ!?」
「わっ」
エイミーは咄嗟にシェリーを墓から遠さげるように引っ張っては自分の後ろに隠した。今の地球で野生の花と言われれば、大抵は毒性の花粉をまき散らすか、種類によっては針や蔦などを飛ばしてくる危険な変異種がほとんどなためだ。
「花には触ってないよなシェリーっ?体に異常はっ?」
「大丈夫だよエイミー、あれ、とても綺麗な花だったから」
「なん、だって…」
シェリーをさらに遠さげては、エイミーは作業服からゴーグルとマスクを取り出しては着けて、慎重に墓へと近づいていく。
「…なんだこれ…」
墓の前でそれを見たエイミーは思わずゴーグルを上に外した。先ほどシェリーが指さす墓の下に、錆ばかりのジャンクパーツや汚染された土壌の中で一層美しく輝いてさえ見える、小さな白色の花が咲いていた。
「ほらね、綺麗でしょ」
「あ、ああ…けどなんだこれ…こんなタイプの花、今まで見たこともない…」
エイミーはグローブを着けた手で軽くそれに触れてみた。花粉らしき小さな光が星屑のようにきらきらと散っていく。ゆらゆらと頼りなさそうに揺れては、それでもしっかりとそこにひっそりと咲いていた。
どこか幻想じみた光景だった。何もかもが醜悪に汚染されたこの地球で、花は弱々しくありながらもとても健やかに生きようとしているかのように感じられて、不思議な感動に思わず涙をこぼすエイミー。
「ねえエイミー、このお花さん、雨に降られると可哀そうだから、小さな屋根作ってあげてもいい?」
「…ああ…そうだね、それぐらいならすぐにできるかな」
ジャンクパーツを漁り、エイミーはシェリーと協力して手際よく作業を始めた。
「よしできたっ」
「やったぁ」
ほどなくして小さな屋根とボロ布が墓もろとも白花を守るように建てられた。お互い手を軽くハイタッチすると、シェリーは祈るように花に話しかけた。
「お花さん、どうか元気に大きくなってね。ニコライさん、お花さんのこと、お兄ちゃんと一緒に見守ってあげて」
シェリーの言葉と父の墓が、エイミーの胸に複雑な気持ちをもたらす。かつて自分とニコライを助けてくれたウィルフレッドとアオトは未だに消息不明。普通なら、すでにどこかで野垂れ死になったのが当たり前だろう。
けど、なぜだろう。この花を見ると、彼らはきっとどこかで無事生きていると妙な確信を抱くようになれる。我ながらあのアオトみたいにロマン主義者になってるかのようで思わず苦笑しながらも、悪い気持ちじゃないなとエイミーは思った。
「これで満足かい?ほら、もう戻ろう」
「うん。またねお花さん、ニコライさん」
二人がガレージに戻って程なく、重金属を含んだ酸性雨が降り注ぐ。屋根とボロ布に守られてもなお強い風に吹かれながら、白い花はまるでそれに抗うよう強かに咲き続ける。それは、地球になにかの変化がもたらす兆しなのだろうか。それは誰も分からない。辛い抑制的な日々はなおも続き、混沌とした世界情勢は変わらぬ残酷な現実を人々につき続ける。
それでも、汚染された大地で、ふとした思い付きで守られて必死に生きる小さな白い花は、確かにそこに咲いていた。
******
メルテラ山脈の奥深くに隠された大地の谷。かつてリアーヌから谷への道を教えられ、再びここに訪れたウィルフレッドとエリネは、谷にある村を見下ろせる小さな丘の上に立っていた。リアーヌから頂いた旅装束を着たウィルフレッドは、花々が咲き誇るその丘に建てられた無名の墓標の前に、脱ぎ捨てた地球での服をキースのコートとサラのグローブとともに掘られたばかりの穴に置いていく。
「本当に良いのですかウィルさん?」
「ああ」
心配そうなエリネに頷くと、最後に首にぶら下がったツバメの首飾りを外し、それを穴に置いていくウィルフレッド。本当はギルバートもこの墓で弔いたかったが、あいつのことだ、そのようなことはきっと望まないと思ってやめることにした。それに、彼のことは自分がいつまでも覚えていく、彼にはそれで十分だった。
「これからの旅では、今までの服装のままじゃやはり目立つからな。…アオト達との別れの挨拶も、もうとっくに済ましている」
目に隠しきれない寂しさを堪えながらも、服と首飾りを優しく撫でては、ウィルフレッドは立ち上がる。
「それに、これで俺がキース達を忘れる訳ではないさ。彼らは今でも俺の中で生き続いている。俺が生きていること自体が、彼らが存在したことなる証なんだ」
「ウィルさん…」
エリネもまた墓の前に出て、両手を合わせては祈りを捧げた。
「キースさん、サラさん、アオトさん。私達を助けてくれてありがとう。私も皆さんのこと絶対に忘れませんから。…どうか貴方達に、女神様の慈愛が包むように」
「…ありがとう、エリー」
「えへへ」
互いの手を握り、ウィルフレッドは肩に飛びついたルルを気持ちよく撫でては、少し離れたところで待っているリアーヌのところに寄った。
「もうよろしいのですね」
「ああ」
リアーヌが頷くと、彼女の傍に立つ二人の谷の民が墓の方へ行き、穴を埋めては鎮魂の祈りの儀式を行った。埋まれていくアオト達の形見を、ウィルフレッドは目を離さず最後まで見届けた。
「どうかご安心ください。たとえ人々に知られざる異邦人であっても、他の方達のように私達は祈りを捧げ、その墓を守り続けましょう。それがこの谷のあり方なのですから」
「ありがとうございます、リアーヌ様。いきなり押し込んできた私達のお願いを聞き入れてくれて」
「どうか気になさらずに、星の巫女様。他でもない貴方とその勇者のお願いですもの。微力ながらも力になれたことを、とても嬉しく思います」
エリネ、ウィルフレッドはリアーヌと互いに小さく感謝の会釈をした。女神ガリアの話については、ウィルフレッドは黙っていた。ネイフェから教えられたように、それが感情という呪いから解き放たれ、永遠の安寧を願ったガリアの願いだったのだから。
村に戻る最後に、ウィルフレッドはサラ達の墓を振り返る。過酷で冷たき世界でともに生き抜いた大事な家族との思い出をかみしめ、思わず濡れた目を拭った。
(サラ、キース、アオト。どうか安らかに)
******
大地の谷がいるメルテラ山脈を離れ、ウィルフレッドとエリネは馬に乗りながら、暖かな木漏れ日が降り注ぐのどかな林道を歩いていた。撫でるように吹く風が心地良い新緑の木々の匂いを運び、すぐ傍に流れる川のせせらぎが、伴侶を求めて鳴く小鳥達とともにハーモニーを奏でる。
「わあ~凄く気持ちいいですっ。とても良い匂いがしますし、音も気持ちよくて…っ」
「キュッ、キュキュッ!」
満面の笑顔で森林浴を満喫するエリネに、彼女を前に座らせているウィルフレッドもまた嬉しそうにこのひと時を享受していた。
「ああ。このまま通り過ぎるには勿体無いぐらい綺麗な風景だな」
同じように大きく息を吸っては進むウィルフレッドは、ふとエリネが黙り込んで俯いていることに気付く。
「どうしたエリー?」
「ううん。ただ、こうしてウィルさんと二人で旅に出られて、しかもずっと一緒にいられることがまだあまり実感が沸かなくて…」
エリネの目から嬉し涙がこぼれる。
「ウィルさん、私、こんなに幸せでいいのかなあ…。こうして世界を感じて周って…しかも大好きなウィルさんが傍にいて…もう、ウィルさんが亡くなることも心配しなくても良くて…私…」
甘くも苦い気持ちに唇を噛みしめるウィルフレッドは馬を止まらせ、エリネの小さな体を両手で抱きしめた。彼の目にもまた、小粒の涙が滲み出る。
「俺も同じだよ、エリー…。あの暗い街角で泣き続けて、生きるために何でもしてきた自分が、こうしてこの世界で君達と出会って、アオト達に助けられて、こうして君と生き続けられるだなんて…。今でもまた怖いぐらいだ…次の瞬間、君とまた離れてしまうんじゃないかと思うぐらいに…」
「ウィルさん…」
逞しい彼の胸板にその小さな体を寄せるエリネ。自分の存在を確かに伝えるために。彼が生きている事実をより感じ取れるために。
「ダメな訳、ないですよ。だってウィルさんがいてくれて、お兄ちゃん達はとても楽しかったし、私もウィルさんから一杯幸せもらっていて…。そんなウィルさんが、幸せになってはいけないなんて訳ない。ウィルさんの幸せが、私の幸せですから」
「エリー…」
エリネがゆっくりと顔を上げて、その美しい星の瞳を彼に見せる。
「ウィルさん、これからも一生懸命生きてください。他の誰でもない私のために」
「ああ…、エリーもどうかずっと傍にいてくれ。他の誰でもない俺のために」
頬に伝わる涙を指で拭い、さらりと流れる彼女の髪をかいては額に口付けを落とすウィルフレッド。エリネは少し恥ずかしながらも溢れる幸せに笑顔を浮かべては顔をさらに上げて唇を差し出した。この世の誰よりも強く優しい彼の指が、自分の柔らかな唇に何度も触れてくる。されるがままにその熱に酔いしれると、やがて彼の唇が重なった。
とめどない幸せの暖流が、拙いながらも寄り合う唇から全身を巡る。小鳥達の求愛の鳴き声と優しい木漏れ日中で、二人はずっと求めてきたこのひと時を噛み締め続けた。
やがて口惜しそうに離れると、エリネは体を軽くよじりながら恥ずかしそうに両手を口に添えてフフッと照れ笑いし、ウィルフレッドもまた頬を染めては幸せの笑顔を浮かべては、互いの額をコツンと当てる。
「好きだ、エリー。これからもずっと一緒だ」
「うんっ、ずっと一緒ですよ」
「キュキュ~~っ」
「わわっ」「おっと」
自分もそうだ言わんばかりに割ってはいるルルを二人は笑いながら撫でる。
「ふふ、勿論ルルも一緒ね」
「ああ、そうだな」
「キュッ!」
「少し急ごう。時間は一杯できたけど、これから二人でやりたいこと一杯あるしな」
「ふふ、そうですよね。私、まだ海感じたことないですから行ってみたいですし、まだまだ行ったことのない町とか、食べたことないお料理も一杯ありますからっ」
「ああ、俺もこの世界の海は見てみたいな。料理も楽しみだけど、今一番食べたいのは…」
「食べたいのは?」
「エリーの作る特製苺タルトだな」
少しきょとんとしてから、頬を苺のように染めながらクスリと微笑むエリネ。
「ウィルさんったら。…これからはいつまでも、どこまでも作ってあげますから」
同じように微笑んでは、その頬に口づけをして暖かな幸せに浸かる二人。
「行こうエリー、一緒にっ」
「うんっ、行きましょうウィルさんっ」
「キュキュウ~~~っ」
馬を軽く走らせては、林道を走り抜ける。程なくして林を抜け、二人に吹いてくる平原の風とどこまでも続く青空は、まるで彼らの行く先を祝福するかのようだった。
******
「…こうしてハルフェンは巫女とその戦士達の奮戦により邪神の脅威を退け」
「破滅を免れ、平和が訪れることになりました」
おぼろげとした現実と夢の境界に、白い服の男の子と黒ドレスの女の子が語る。
「まあでも、まだ問題が全部解決した訳じゃないよね。異世界と一時繋がったことで、ハルフェンに何かしら変化が起こされたのかもしれないし」
白服の精霊テオが腕を組む。
「あと行方不明のザレとか、えへえへとザナエルの研究資料をもって逃げ出したウォルテくんとビクターくんとかもね」
黒ドレスの精霊ハナが続ける。
「でも、自分の強い信念を持った人々がいる限り、きっと無事だよね」
「だよね、強くて優しい魔人さんもいるし、ここは女神様たちの加護のおわすハルフェンだから」
「とにかく、これで邪神ゾルドとの戦いの物語は幕を閉じました」
「当代の巫女たちと勇者たちの戦いは、これからも語り継がれていくのでしょう」
「ヘリティアは新たな女帝とその夫の下でかつてない繁栄を誇り」
「ルーネウスも若き勇者がもたらした新しい風によって大きく生まれ変わりましたとさ」
「え、魔人さんのこともそうなのかって?」
「ちょっと残念だけど、何代も先で星の勇者こと魔人さんの話だけは、いつのまにかなかったことにされてるだそうだよ」
「誤謬とかで話自体が変わっていくのもあるし」
「宗教的に受け入れられないとか、魔人が勇者だと都合悪いとかもあるよね。まあ、別の話になっちゃうけど」
「けど大丈夫。実は子供たちにはね、一つおとぎ話がひっそりと言い伝えられてあるんだよ」
「そのおとぎ話とはね―――」
むかしむかし、一匹のこわいこわーいオオカミさんがいました。
怖い顔をしたオオカミの力はとてつもなく強大だけど、そのせいで誰も彼に寄りつこうとせず、オオカミさんはいつも独りぼっちでした。
けどある夜、一つの流れ星が落ちたのを見てオオカミさんがかけつけると、落ちた場所には一人の綺麗な女性がいました。星のお姫様と名乗るその女性は優しくオオカミを撫でました。からっぽだったオオカミさんの心は癒され、ツバメとなる力を手に入れたのです。
世界を旅するお姫様はオオカミさんとともに、誰にも知らさずにこっそりと多くの魔獣を退治し、多くの人々を助けました。けど最後に強大な力を持った悪魔との戦いに、オオカミさんは深く傷ついてしまう。そんなオオカミさんを星のお姫さまが口づけを落とすと、なんとオオカミさんは銀の鎧をまとった騎士となり、無事悪魔を打倒しました。
悪魔を倒した銀の騎士さんと星のお姫様は、人々の前からひっそりと姿を消して、二度と現れることはありませんでした。みんなは最後まで、自分たちを助けたのがお姫様たちということを知ることはありませんでした。
けど、空で世界を見守る太陽とお月さまだけは知っています。
多くの人々を助けた騎士さんとお姫様は、人知らずの土地で穏やかに生き、子供を儲け、愛を囁いて寄り添っては、幸せな余生を過ごしましたとさ。
めでたし、めでたし。
【ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士達- 完】
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