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第十八章 邪神胎動

邪神胎動 第六節

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あれはハルフェンという世界に、太陽と月、星々と大地が女神達により作られ、大自然という揺りかごから人間ヒューマ、エルフとドワーフら心を持った人々が発生して暫くのことだった。

各々の文化を持つ種族の間の交流は多少のいざこざはあったが、大きな紛争に繋がることはなく、種族の中でも軽い喧嘩はあっても、基本的に互いに尊重しあい、争いという概念自体がないほどに平和だった。三女神たちの導きもあり、人々の生活は満ち足りていた。

男はそんな人間の、ある小さな村の出身だった。誠実な人で人柄も良く、村ではとても評判が良かった一人の弟とともに、ハルフェンで生きるほかの人間やエルフ、ドワーフ同様満ち足りた生活を送っていた。

村では、二人ととても仲の良い一人の女性がいた。遊びも仕事も、なにかする時はいつも一緒だった。そして当然のように、その女性は弟と恋に落ち、やがて結ばれる。男は最初はとても嬉しい気持ちで二人を祝福した。けれど結婚式の日に、幸せそうに寄り添う二人を見て、男の心の奥に感じたことのない感情が芽生え、それが時間と共に発酵していく。

ある日、男は弟が狩りに出た隙に、弟の家に入って女性と話をした。何を話したのかはもはや覚えていない。気が付くと、自分は割れた壺を手にして、女性は床に倒れて絶命していた。この世界初めてのだった。

男は、味わったことのない激情に掻き立てられてしでかしたことに戸惑い、ただ呆然と立ち尽くす。やがて狩りから戻った弟は、目の前の惨状に絶句していた。

男は泣いて経緯を伝えた。弟もまた戸惑っていた。このような、人が人を殺すこと自体、今まで前例が一つも無かった故に。やがて弟は、泣きじゃくる男に意外な答えを返した。

二人で女性を密かに埋葬した後、君は遠くへ逃げて、と弟は言ったのだ。

自分のしでかしたことに怒りを覚えないのか?という問いに、弟は、わだかまりはある、けど、それでも君は僕の大好きな兄だから、と伝えた。

男は感涙極まった。自分を許したこと自体ではない。自分をいまも気にしてくれる弟の愛が、

――そんな弟を、男は彼が背中を見せた隙に、椅子で殴り殺した。

この時、男はようやく理解した。女性へ抱いてる感情が『嫉妬』であり、弟を殺すよう自分を駆り立てる感情が『独占』であることを。未曾有の感動と呵責が複雑に胸で絡み合う痛みは、快感をも覚えさせるほど鮮烈なものだった。

この感動をより味わうために、男はそれから各地を放浪しながら、人々の心に揺さぶりをかけた。欲しいものを盗めと囁き、嘘をつくよう説得してそのことを隠蔽させる。些細な紛争をついて殺人を唆し、他の女を愛した男を奪うよう女性に働きかける。不義など悪性の心はこうして人々に根付き始め、『罪』と『法』の概念が生まれた。

善者と悪者の概念も広がり始めた。悪事を働く村長を糾弾して村人を守る勇敢な青年が称えられ、盗人をうまく言いくるめて盗品を取り戻す女性が聡明だと褒められる。

それらを横から見るたびに、男はその出来事の全てに感動していた。『悪』を打ちのめす『善』の輝きに、『善』に決して滅ぼされない『悪』のしぶとさに、或いはそれらが複雑に絡む様に。あの時、悪に染めた自分を許した弟の善が眩しく見えたように。

だが男は憂いていた。『悪』がもたらされることで、『善』はより美しく輝くのに、今の世界は女神達の導きもあり、『悪』の存在が弱すぎている。これでは『善』はよりその美しさを磨くことができないのではないか。何かせねば、『善』の美しさと輝きは永遠に半調子のままだ。

『善』をより輝かせるために、より『悪』を栄えなければならない。だがどうやって?魔法を研鑽しながら思案するうちに、やがて年老いた男はある谷へと辿りついた。

「許されざる者たちへの祈り…?」
「そうですよ」
谷の住民たちの村長らしき人物が、男に彼らが拝む女神の教義を説いていた。
「人のカルマは人では贖うことができず、一生付き纏うもの。ですがどのような罪人でも、死後はみな塵へと返ります。死は平等ですからね。生前で贖えない罪人でも、せめて死後は人ならざる女神がその安らぎを許すよう祈る。それが、カルマの中で生きる人々の生き様に深く心を打たれた、ガリア様のご慈悲なのです」

「…そうか…それがあったか、んクククク」
「御仁?」
男は顔を俯いて不気味に笑い、こう思った。
――善性を導く女神達が存在するであれば、、と。

「御仁、どうかされましたか?」
「いや、そなたらの教義にいたく感服しただけです。…ところで、私も貴方の一員として祈りを捧げたいと思いますが、構わないのでしょうか」

こうして男はその谷に定住した。それからまた長い年月が経ると、邪神戦争が勃発した。


******


「――ザナエル様、いかがされましたか?」
エリクの呼びかけに、邪神の卵を注視していたザナエルが振り返る。
「なんでもない。大願成就も目前で、少し思い出に耽っていてな」
そう言っては、ザナエルは祭壇の隣で信者達が行っている作業に目を移した。

それは何らかの骨の欠片のようだった。信者達は魔法陣が描かれた床にその欠片を、生前の姿に模すように並び始めている。アイシャは息苦しくもラナに話しかける。
「はぁっ…ラナ、ちゃん、あれがなんなのか、分かります…?」
「人の骨じゃないのは、確かよ…ふうぅ…っ、あの並び方…多分、何かの魔獣モンスターだとは思うけど…」

「これから迎えるであろうクライマックスを綴るための小道具だ。巫女殿。詳細は…その時が来てからの楽しみだな。ンくくくく」
ザナエル笑いに、ラナとアイシャはただ静かに睨み返すだけ。

「はぁ…はぁ…っ」
苦しそうなエリネの息遣いに気付くアイシャ。
「大丈夫、エリーちゃん」
「はぁ…大丈夫、ですよ…ウィルさんがまたここに来るまでに…ちゃんと意識は、保って見せますから…っ」
なんとか元気な笑顔を見せるエリネに、アイシャは胸を辛く締め付けられる。

「なんとも美しい愛情よ。星の巫女。実に素晴らしい。そなたと異邦人との恋、たとえ望まぬ結果となっても…いや、寧ろこの結果になったからこそ、それは実に美しく輝いておる」
「そんな皮肉なんて…ぜんっぜんいいらないから…っ」

「やめなさいエリーちゃん…さっき言ったでしょ…はあ…頭がイカれている人と答弁すること自体が無意味なのよ」
「…はい…そう、ですね、ラナさん…ふぅ…っ、これ以上バカに付き合っても…疲れるだけ、ですものね…っ」

「それでこそラナ様ですよ」
淡々とした口調に、仄暗い熱情を目に秘めたオズワルド。
「ザナエル殿の言うとおり。こういう時こそ、貴方は実に美しく燃えています」
「そうか。貴様の思い通りになってよかったな」
オズワルドを見るラナの目に敵意も激情もなく、どこか憐れみの念さえ込められていた。

「そうやって私に敵意を向けないところも、実に貴女らしい」
オズワルドは外のビジョンを見上げる。騎士達を率いて必死に戦っているレクスが丁度映し出される。
「…姉上を殺めた時の貴女が私を見る目は、私の胸をえぐるほど実に素晴らしかったものでした。であれば、貴女が勇者と認めた彼も殺めれば、また同じ眼差しで私を焼いてくれるのかもしれませんね」

「随分と自分のことを饒舌に語るようになったな、オズワルド」
縛られ、結界と卵に体力を奪われ続けながらも、ラナは不敵に微笑む。
「彼に手をかけたいのなら勝手にすればいい。もっとも、貴様にそれが出来るかどうかは疑わしいものだな。私の選んだ男だ。そう簡単にはくたばらないぞ」
「それは期待が膨らみますね」

オズワルドがザナエルを見る。
「構わないですね、ザナエル殿」
「お好きなように。そなたの願いをかなえるのが、我らの契約ですからな。だが早めに帰ってくる方がよい。でなければラナ殿の最後を見れなくなるかもしれんぞ」
「そうですね。時間は厳守します」

一度ラナを一瞥するオズワルド。ラナは依然と不敵な顔を崩さず、オズワルドも意味ありげに笑い、外に向けて数歩あるくと、ギルバートの隣で止まった。
「貴方には本当にお世話になりました、ギルバート殿」
「言っただろ、どうってことないってな。あんたにゃ変異体ミュータンテス適性もあるようだし、もう俺がやれることはなにもねえ、とっとと失せな」

外のビジョンを見上げながら実に不機嫌そうなギルバートに、オズワルドは恭しく一礼する。最後にエリクの方を見ると、人並外れの一躍で祭壇から飛び離れた。それまでにエリネはずっと、どこか意味ありげにギルバートの方に顔を向けていた。
(あの人…)

「ラナちゃん…」
どこか心配そうなアイシャに、安心させるよう笑顔を見せるラナ。
「大丈夫よアイシャ姉様。レクスあいつのしぶとさはあなたも知っているでしょ?彼ならきっとオズワルドを返り討ちにしてくれるわ」
「…そう、ですね…」

「健気に勇者を信じるのは素晴らしいですが、そろそろ静かにして頂けませんか」
アイシャ達は自分達に近寄るエリクを見上げた。
「エリク…」
「間も無くゾルド様が復活を遂げ、ミーナ殿は真の自由を得ることができます。それを見届けるまでに体力を温存してもらわないと」

「ここまでくると、その頭もオズワルドみたいに腐ってるのか疑うものだな、エリク」
ラナの皮肉にエリクは悪そびれずに微笑む。
「私の頭は正常ですよ、ラナ殿。今でも真摯にミーナ殿の幸せを願ってるのですから。貴方達もそれまでの辛抱ですので、今はとにかく安静でいてください。いざとう時のためにね」

(え…)
エリクの言葉、その声の表情に、エリネはどこか違和感を感じた。


******


「おおおっ!」
「たぁっ!」
ルドヴィグの月の魔法を帯びた大剣の大振りの斬撃をひらりと避け、連係して襲い掛かるシスティの剣を短剣でいなすと、ザレは再び毒針の弾幕を張りながら後退する。

「そんな手がまた通用するか!――風塊ヴィンダート!」
システィの魔法の風が一部毒針を弾き飛ばす。魔法の風が過ぎると、ザレは身を低くしながら彼女目掛けて瞬時に急接近する。システィが驚愕する。
「うっ!?」

「させんっ!」
それを阻むようルドヴィグの大剣の嵐がザレに切りかかりる。その見かけからは想像もできない疾やさで。ザレは突進の勢いのまま体を回転するようひねり、闇黒の魔力を帯びた短剣で大剣の腹を叩いて強引にその軌道を逸らした。質量の迎撃にザレの筋肉が軋む。
「…っ」

逸らされた大剣が地面を抉る。ザレは体の痛みに耐えながら、間合いに入ったルドヴィグにミドルキックを見舞った。
「ぐぅっ!」
この機にザレはさらに追撃しようと跳びかける。

「させるかあっ!」
システィが横から剣を構えながらザレ目がけて突撃する。ザレは咄嗟に方向を変え、彼女の肩に蹴りを食らわせては反動で飛び離れ、再度毒針の雨を放つ。
「ぐぁっ!」
「システィ殿!はぁっ!」

再び放たれる毒針を大剣で打ち払い、システィの傍に並んで立つルドヴィグ。
「システィ殿、無事ですかっ」
「は、はい…っ、ルドヴィグ様は?」
「問題ない。君のお陰です」
「お気になさらずに。…もうこれ以上、私の不甲斐なさで誰かが亡くなるのは見たくないですから…っ」
「システィ殿…」

ルドヴィグとシスティが改めて構えなおす。同じように構えたザレの心はチラリとルドヴィグを見た。
(確かに、やる)
その心は仄かに熱を帯びていた。

ロイド、皇帝エイダーン、そしてルーネウス親善団の面々。数多くの手練れの騎士と比べて、目の前のルドヴィグは確かに他にない強さを持っている。最も勇者に近いと言われるのも頷ける。だが。
(…だが、足りん)

ルドヴィグがいかな強くても、ウィルフレッドと戦った時みたいに血が滾るような感覚と比べれば、今の熱など所詮ただの篝火に過ぎないからだ。
(やはり、貴様でなければな)

「いくぞ、システィ殿」
「はい!」
三者が再び切り結ぼうとしたその時、何者かが彼らの頭上を跳び越えていった。システィが驚愕する。

「な、なにっ!?」
状況を確認するようにも、既にそれは遠くまで離れていった。

――――――

「はぁっ!」
避難する民を襲うリノケラスに似た魔物を、聖剣ヘリオスで切り伏せたレクス。彼とカイ達の奮闘で、帝都内での民達はいま殆ど外へと逃げ出すことができた。
「カレス殿!ルシア殿!こっちの方はもういいよ!二人はアラン殿とマティの方の支援に周って!」
「「承知!」」

カレスとルシアが、最後の民達の誘導をしているアラン達のところへと駆ける。
「よし、みんな!僕についてきて!後は魔物が帝都から出ないように阻止――」
彼の言葉を、突如目前の建物の瓦礫にひらりと跳び降りた一人によって遮られた。

「見事な健闘振りです。レクス殿」
「オズワルド…!」

変異体ミュータンテスと化し、今やこの世ならざる重圧を放つオズワルド。いつも気軽な態度を取っているレクスでさえも、その空虚な瞳を見て思わず体が震えた。

だが例えその異質な威圧感に身がすくんでも、ヘリティアの騎士達は心を奮い立たせて彼に挑む。
「逆賊オズワルド!エイダーン陛下とヒルダ陛下の無念を晴らさせてもらうぞ!」
「あっ、待って――」

レクスが止めるよりも先に、ヘリティアの騎士達が猛々しくオズワルドへと仕掛ける。オズワルドはただ淡々と目を閉じると、上半身の服が裂けては無数の蜘蛛にも似た小型の変異体が続々と飛び出て、騎士達に襲い掛かった。
『GiiRiRirrrriii!』
「う、うおおぉぉ!」
「みんな!」

たとえ小型でも、まがりなりにも変異体ミュータンテス。並みの魔獣モンスターとは訳が違うし、数も多い。歴戦の騎士や兵士達はレクスから離れることを余儀なくされ、一人となったレクスの前にオズワルドが軽やかに瓦礫から降り立つ。それだけでレクスの騎馬は本能的な恐怖に支配され、暴れるように嘶いた。

「くっ…」
やむなく下馬したレクスに、オズワルドが静かに声をかける。
「数日前に会ったばかりでしたね、レクス殿。あの時も言いましたが、わが国の騎士たちをまとめて善戦するその腕、実に見事です」
「…いやぁ、こっちこそあんたにはびっくりするばかりだよ。教団と結託するだけでなく、まさか人間までやめるだなんてね。いったいどんなイカレ方すればそんなことできるのやら」

いつもの軽口を叩くレクスだが、聖剣を構える彼の目に余裕はなかった。
(聖剣やネイフェ様の加護もあるけど、ウィルくんもラナちゃん達もいなくて変異体ミュータンテス相手にどこまでやれるだろうか…)
その考えを見抜けたかのように、オズワルドは静かに目を細める。

「パーティ会場に潜り込んで姉を手掛けるに便利なものがあると、あのギルバート殿に勧められましてね。リスクもありましたが、私たちの創造主たる女神達に反旗を翻すのですから、これぐらいの賭けはしなければと思って」
「う~ん、やってることがこんな鬼畜な所業でなければ、寧ろその勇気を讃えてもいいぐらいの美談になれるのに」

軽く冷笑すると、ゆっくりとあげられたオズワルドの右手に怪しいエネルギーラインが走っては変形し、異形の手へと変化する。
「この前、本気でない私に勝てても嬉しくないと仰いましたね。ここは望み通り、本気の私がお相手いたしましょう」
「化け物になってからそれを言っても嫌味にしか聞こえないけど」

「確かに。なら言い方を変えましょう。私の願いをかなえるために、貴方には私の手で死んで頂きます」
(こいつ、やっぱり…)

レクスが深く構えると、聖剣ヘリオスは彼の戦意に呼応するように黄金のオーラを放つ。
「悪いけど、そんな訳も分からない理由で僕の命はあげられないなあ。館で仲良しのメイドちゃん達が悲しむしさ」
「存分にその軽口を叩きなさい。これで最後になるのですから」

いつもの氷の如き無表情を顔に浮かべると、オズワルドが人外の速度でレクスに襲いかかった。
「うおおっ!」
レクスが大きく踏み込んで応戦し、激しい衝撃が周りを震撼させた。


******


雪が軽く降り積もるロードレン山の奥深く、岩や枯れ木に巧妙に隠された千年前の神殿跡。複雑に入り込んだ神殿内の道を、ネイフェの指示に従ってウィルフレッドが進む。はずだった。

「着きましたよウィル、あそこが私の本体がいる神殿です。道が入れ込んでますので、私が道を――」
ネイフェの言葉も待たずに、空中ですかさず神殿をスキャンし、構造物の最上階に熱源を確認したウィルフレッドは、アスティルエネルギーを纏ってそのまま岩壁を突き破り、一瞬にしてその部屋へと降り立った。

激しい衝撃とともに天井からガラガラと落石が落ち、外の光が部屋へと差し込む。
「――ウィル、急ぎたい気持ちはわかりますけど、一歩間違えたら神殿全体が崩落したかもしれませんよ?」
それでようやく気付いたウィルフレッドが気まずそうに俯く。
「あ、そ、そうだった…すまない…」

「ふふ、いいのです。それだけエリネのことが心配なのは分かってますから」
さらに深く俯くウィルフレッドは、やがて部屋の奥にある熱源の姿を確認した。
「…ネイフェ、あれがそう、なのか?」
「はい。あれが私の本体、スティーナ様より星々の輝きを練り込んで創造された、青き星の鳥です」

それは、魔人アルマ化した自分よりもひと際大きい青色の鳥だった。祭壇の上で死んだかのように目を閉じ、微動だにせずうずくまっているその体に、帝都にいる暗黒のドームを思わせるような闇色の槍が突き刺さっている。そのせいか、鳥の羽は光沢がなく、淀んでいるとさえ感じられた。

「あれが、ザナエルが放った邪気の槍。どうかそれを引き抜いてください。本来なら巫女たちの力で浄化すべきですが、私たちのことわりの外にあり、それを歪めるほどの貴方の力なら、容易にそれを取り除けるはずです」
「分かった、やってみる」

ネイフェの本体へと近づくと、邪気の槍が突如ウィルフレッドを拒むようにおぞましい音を発しながら凍てつく寒気を放つ。だが鋼鉄の異形である彼にそれが効く訳でもなく、ウィルフレッドは手を伸ばして容易く槍を掴んだ。

「…っ」
ジュウジュウと煙が立ち上がり、邪気が手を焼く。邪神の邪気となると、さすがにウィルフレッドの装甲を侵食するぐらいの物理的な力は持つようだが、それだけだった。

「おお…っ」
腕の結晶からバチンと青いアスティルエネルギーが走り、今度は槍の方が焼かれたような悲鳴を上げる。ウィルフレッドはネイフェの本体を傷つけないよう、ゆっくりと、だが確実に槍を引き抜いていく。

「…おあっ!」
ようやく引き抜いた槍にウィルフレッドはアスティルエネルギーを容赦なく流し込む。いかな邪神の槍といえど、外なるウィルフレッドの強大な力に抗える訳でもなく、絶叫にも似た音を発しながら跡形もなく消滅した。

「ありがとうございます、ウィル。少し下がってください」
言われたとおり下がると、彼の体が青く輝いては、ネイフェの霊体が飛び出て本体の方へと溶け込んだ。ウィルフレッドの体が元の姿に戻る。

思わずため息が出た。淀んでいた青い羽根が、まるで清らかな水が大地を潤うようにみるみる瑞々しさを取り戻していく。孔雀を思わせる麗しくも長い尻尾の羽根を翻し、星空の色を帯びた翼を大きく広げると、星屑が夜空を綴るかのように部屋を照らす。神々しい首をあげ、高らかに美しい鳴き声を発し、神鳥ネイフェは真にここに復活した。

「改めて礼を言います、ウィル。おかげさまで体を取り戻すことができました」
鳥から優しくも荘厳なネイフェの声が発せられる。暫く見とれてたウィルフレッドが頷く。
「これで、ネイフェは俺に君の加護を与えることができるんだな」

「ええ。ミーナ達にも説明したように、元より私は神器の材質となる神鋼グラーディアと同じ源から生まれしもの。これからこの体を変化させ、貴方の体の表層に同化すれば、貴方は千年前のカーナと同じようにスティーナ様から神器を授けられた勇者となり、邪神ゾルドを封印する三位一体トリニティの秘法の条件は再び揃うでしょう。貴方を苛む肉体崩壊もより大きく抑制できるはずです。ただ、そうするためにはこの体でさっきみたいに貴方に憑りついて、こちらのマナなどの調整を行う必要があります」

「分かった、ならすぐやってくれ」
だがネイフェはすぐそうはせず、暫くウィルフレッドを見つめたままだけだった。
「ネイフェ?」
「…その前に、貴方に一つ伝えたいことがあります。ここまでくる途中でも私は貴方の体を調べ続けていました。ウィル、貴方の肉体崩壊についてですが…」

「もう、長く持たないんだな」
雰囲気から察したウィルフレッドは代わりに続けた。ネイフェは静かに頷く。
「というよりも、貴方の体はとっくの昔からすでに限界を超えていました。本来なら今まで持ちこたえることもなかったはずです」
「そう、なのか?ならなぜ…」

「それは勿論、エリネのお陰ですよ。ミーナも教えていたとは思いますが、彼女の治セラディンは、崩壊した肉体の部分を修復してある程度持たせるようにしています。特に肉体崩壊のことを知って以来、エリネが貴方への思いを込めた魔法は、本来の崩壊の加速をも緩和することができました。それ自体こそは止めることはできませんが、それでもエリネの頑張りは、貴方の命を今日までに長らえてくれたのです」

「エリー…」
エリネが一生懸命に自分を治療する光景が浮かび、涙がウィルフレッドの目から零れ落ちる。

「…ですが、今や崩壊の速度はエリネの魔法の回復速度よりも上回ってきました。たとえ私の加護があっても、これからゾルドとの戦い、何よりも貴方の同胞ギルバートとの戦いも控えてますから、恐らく、今回であなたは――」

「いいんだネイフェ」
「ウィル…」
顔をあげるウィルフレッドの笑みは、どこか幸せそうだった。

「俺にはそれだけ分かっただけで十分だ。教えてくれてありがとう。早くいこう。レクスやラナ達が、エリーが待っているんだからっ」
「…ええ」

頷くネイフェが流麗に翼を羽ばたかせ、青き流星と化しては再びウィルフレッドを包み、溶け込んだ。彼の頭に彼女の声が響く。
『ウィル。このまま帝都に戻ってください。そして私に貴方の願いを、祈りをください。この世界ハルフェンでは、思いと言葉には力が宿ります。カトーを呪いから解放したアリスの愛のように。貴方が願えば、私は貴方を肉体の崩壊から守る鎧と化しましょう』

「ああ。行こうっ!」
激しい青の雷光が神殿を震撼し、ドォンと砂塵を巻き上げては、天井の穴から再び空高く飛び上がり、帝都へと向けて飛翔した。

いまこの瞬間でも、ウィルフレッドは自分の死期が近づいているのをその身で感じていた。ヒリヒリと震える手足に、時折視界に走るノイズが、死の予兆を容赦なく突き付けてくる。けどウィルフレッドの心はとても晴れやかだった。

(((それは勿論、エリネのお陰ですよ)))
とっくの昔に死ぬはずだった自分がここにいる。エリネのお陰で生かされている。ならば自分が生きること自体が、エリネの自分の愛への証ではないか。死による孤独を恐れていた心は、もはやエリネの自分への愛にかき消され、ボロボロのその体は、彼女への思いに溢れていた。自分自身の存在こそが、彼女の思いそのものなのだから。

(((ちぃっ、相変わらず甘ったれたお人よしで虫歯が走るんだよウィル!)))
(((だがあんたらしいな。好きにやれ、ウィル)))
(((がんばってウィル。僕のツバメさん)))

心なしか、サラやキース、アオトの声が聞こえたような気がした。死ぬ前の妄想みたいなものだろうか。初めて知り合った友人のダニーとフレディ、狂いながらも自分に家を与えてくれたジェーン。アオト達と一緒に生き延びたクァッドフォース時代。そして、サラとキース、ミハイルとギルバート達と過ごした、アルファチームとしての日々。その一つ一つの光景が鮮明に目に浮かび、胸を締め付けては去来する。

(俺もすぐ君たちのところに行くよ。けどただでは死なない。アオト、君と約束したように、ギルは必ず止めて見せるっ。そしてエリー…、君が輝かしい未来を迎えられるよう、必ずゾルドを阻止してみせる。だから待ってくれ、今すぐ助けに行くから!)

エリネの思いを胸に燃やして、ウィルフレッドは一気に加速する。青の流れ星が、暗雲に覆われたハルフェンの空を駆ける。自分が信じる価値のために。誰かを愛するチャンスをくれた彼女の元に向かって。


【続く】
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