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第十八章 邪神胎動
邪神胎動 第四節
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「うわっ、と、鳥が人に…っ!?まさか精霊っ?…て、あれ、君は…」
カイもまたレクスと同様によく目を凝らすと、目の前の女性と先ほどの青鳥をどこかで見たことを思い出す。
「あんた…新月の森でラナ様たちを探す時に出てきたあの鳥…?」
「そういえば…メルテラ山脈の吹雪の中で迷った時に見かけたような…」
女性はとても穏やかで美しい笑顔を見せた。
「あの時は無事助けになられて安心しました。エテルネ様の勇者とルミアナ様の勇者よ。ですが今は…」
女性の体がフワリと浮くと、ミーナの治療を受けてるウィルフレッドの前に移動した。
「まずは彼の体を処置しませんとね」
「処置って、おぬし…」
激痛に苛むウィルフレッドに、彼女は両手を広げ、衣がまるで羽のように軽やかに舞うと、青の輝きが彼の体を優しく包み込む。
「うぐぅ…っ!あ、あ…?」
ウィルフレッドが驚愕する。エリネの魔法しか効かないはずの自分の体から、肉体崩壊の痛みが段々と抑えられていく。ミーナ達もまた驚きの余り声をあげる。
「なんと、このようなことが…っ!」
程なくして、ウィルフレッドから痛みが完全に引いていった。
「兄貴!体はもう大丈夫なのか…?」
「あ、ああ…」
ウィルフレッドは困惑しながら、自分に微笑みかける女性を見上げた。
「君は確か…カスパー町で会っていた…」
「ええ、またお会いしましたね、ウィルフレッド。異世界の来訪者よ」
改めてウィルフレッドの体の様子を確認したミーナはただ驚くばかりだった。
「そんなばかな、ウィルへの治癒はエリーしか効かないはずなのに、いったいどうやって…っ」
この時、先ほどの女性の鳥の姿とその全体的に星を連想させる青の風貌を見て、ミーナはようやく理解した。
「まさか、まさかそなたは、スティーナの…っ」
「そうです、当代の封印管理者ミーナ」
女性は星空の青を堪えた衣と髪をなびかせては、名乗り上げた。
「私の名はネイフェ。夜空のあまねく星々の主たる女神スティーナ様の僕、青き鳥のネイフェです」
「ネ、ネイフェ様…?」
「ネイフェ様だとっ!?」
「女神スティーナ様の化身でもある、神鳥ネイフェ様っ!?」
ミーナやウィルフレッドを除いたその場にいる全員が跪き、祈りを捧げた。彼らにとってネイフェは巫女以上に、信仰の対象が誠に目の前に現れたのと同義であるゆえに。
「どうか畏まらずに、みなさま。我々はみな女神達を源とする命なのですから」
「あはは、軽く言ってくれるねぇ…。精霊ネイフェといえば星の女神スティーナ様が自ら産み落とした大精霊なんだから、そりゃ畏まってしまうよ」
カイもレクスに同意するように強く頷いた。
「あ、ああ…。ていうか、この前俺が見かけたのもネイフェ様だったのか?つまり結構前から俺たちを助けてきたってこと…?」
「そうですよ、カイ。…本来なら、もっと早い段階であなた達に力を貸したかったのですが」
「へ、どういうことなんだ?」
「私はいつか来る邪神の復活を予見したスティーナ様のご意思に従って、千年の間深い眠りについて力を蓄えていました。ゾルドの復活が近づいた時に巫女とその勇者の支えになるために。そして最初の巫女であるアイシャが誕生に合わせて覚醒し、その時点で邪神教団に備えて動こうと思っていましたが、残念ながらザナエルに先を越されてしまったのです」
「あの人形野郎にか?」
「はい。私が覚めるのを見計らって、ザナエルは邪神の邪気を帯びた呪いの槍で私の体を貫きました。邪神の御子でもある彼が繰り出すその槍の呪力は想像以上のもので、未だに体に刺さって私を苛んでいます。彼から逃れて山奥に潜んでいた私の殆どの力は傷を癒し、呪いに対抗するのに費やしています。ですから今まではこうして霊体の一部を飛ばして、途切れ途切れにしか顕現することができなかったのです」
「そんなことが…あれ、でもいまネイフェ様は普通に俺達の前に出てるよな?」
「それはゾルドが復活するために、世界中の邪気をあそこに収束させているからです」
ネイフェはおぞましき逆三角の結界を見た。
「それが原因で私の本体に刺さる槍の力は一時的に弱くなっており、こうして霊体をしっかりと維持できるようになりました。だからこそ先ほど、彼らを助けることができたのです」
マティとクラリスがネイフェに恭しくこうべを垂れる。
「な、なあ、だったらさあ、ネイフェ様ならあの逆三角やゾルドをなんとかすることができるのかっ?さっきまだ望みがあるって言ってたよなっ」
ミーナも切迫そうにネイフェに尋ねる。
「それにウィルのこともだ。そなたの治癒がエリーみたいにウィルに効いた理由はいったいなんなのだっ?それが同じスティーナ由来なのは察しはつくが、具体的な理由をそなたは存じてるのかっ?」
「そうですね。ここは一つずつ説明しましょう。まず、邪神の力を抑え、再び封印するための三位一体の秘法。ミーナもご存知とおり、これを構築するためには、巫女と彼女達が選んだ勇者達、そして三つの神器が必要です」
「うむ。けれど神器の一つヴィータが砕け、神器の鍛冶場もザナエルに破壊された。他に神器を作るのは無理と思うが…」
「そのとおりですが、欠けた要素を補う方法は他にありますよ。それは、この私が直接勇者に加護を授けることです」
「そなたがっ?」
「はい、ほんの一部ですが、私はスティーナ様の魂を分けられて作られた分身とも言えます。ですから私が加護を授けることは、女神が直接神器を授けることと殆ど同義になります」
「そうか…っ!それなら魔法的に千年前の状況を再現して、魔法の構築が可能となるのだなっ!」
ようやく明るい表情を見せるミーナだが、またすぐに翳ってしまう。
「しかしネイフェ、その勇者となるのは…」
目を一旦閉じて、静かにネイフェはその名をあげる。
「それはやはりウィルフレッド、貴方のほかにありません」
一同の視線がネイフェを見上げるウィルフレッドに集まった。
「けど、ネイフェ…、神器は俺に覚醒することはなかったんだ…。ここは寧ろシスティの方が――」
「いいえ、残念ながらそれはできません。今この時点で、エリネの勇者は貴方でなければいけないのです」
「え…」
ネイフェは一度システィを見てから続けた。
「エリネがいま最も強く勇者と認定しているのは他ならぬウィルフレッドで、システィを勇者とするには彼女が改めてそうであると強く認識することが必要です。それに、神器覚醒の魔法的要素において、相手となる勇者を心の中で最も強い思いを抱くことはとても重要なのです。エリネの心が貴方を強く思っている以上、例え神器がシスティによって覚醒しても、その力の程度は大きく削がれるでしょう」
システィが軽く動揺する。
「そ、そんな…。それじゃ、それじゃエリー様がウィル殿を選んだ時点で…っ」
それ以上語るのを憚るシスティに代わりに、レクスが静かに続けた。
「エリーちゃんが、ウィルくんを愛してしまった時点で詰んでたってこと…?」
「そんなことあってたまるかよっ!」
カイがその答えを拒絶するかのように叫んだ。
「エリーが兄貴を好きになったから神器が砕けてゾルドが復活しようとするっていうのかっ!?誰かを好きになったせいでこんなことになるなんて、そんなのあんまりじゃないかっ!」
「カイ…」
ウィルフレッドは流れようとする涙を堪えた。
「というかそもそも、何で神器は兄貴に覚醒しなかったんだっ?元はといえばそれが原因なんだろっ?ネイフェ様ならその理由も当然知っているよなっ?」
「…そうですね。エリネや私以外にウィルフレッドに魔法が殆ど効かないことも含めて説明しましょう。ウィルフレッド。まず、貴方に魔法が効かない理由は、いま貴方の命そのものであるアスティル・クリスタルのせいです」
「これが…?」
胸で静かに青い宇宙の輝きを堪えるアスティル・クリスタルに触れるウィルフレッド。
「はい。異世界の人が来訪すること自体が今までにないことなのですが、ハルフェンの理により、例え身体的な基本構成が多少異なったとしても普通に魔法は効くはずです。ですが、貴方の体を構成するアニマ・ナノマシン、そしてアスティル・クリスタル…前者は一応似たものはありますが、それでも根本的に私たちの世界には存在しない物質ですし、後者に至ってはそれ以上、私たちの世界と乖離しているのです」
「どういう、意味だ…?」
「貴方の世界でその結晶は空間を歪める力を発現していますよね。あの逆三角の塚がここに瞬間移動し、貴方が|この世界に飛ばされたのも、この力によるものでした」
「あ、ああ…」
「貴方の世界の人々は、それがクリスタルの特性だと考えていますが、実際は少し違います。このクリスタルは、世界の理に干渉することでその力を発現してるのです」
「なんだって…?」
驚愕するのはウィルフレッドだけでなく、ミーナも信じがたいという
顔を浮かべていた。
「理って…確かミーナ殿がこの前に説明してた…」
レクスに頷くミーナ。
「うむ。世界を形作る法則であるが…。つまりあのクリスタルは空間を歪む力を持つのではなく、《《空間を歪む力を持つよう世界の理を定める》》ことで、かような力を発揮している、という認識でいいのかネイフェ殿?」
「そのとおりです。この世界を作り、同じ理というレイヤーにある女神の分身である私だから、知ることができました。それでも、クリスタルの理への干渉原理、仕組みは違いますし、その干渉力の強度と深度はたとえスティーナ様たちと比べても桁違いです。なにせ、数百億年も長い時間を経たウィルフレッドの世界にある深層の...あえてここの用語を使いますと、深層にある巨大な神秘が、そのクリスタルを経路としてその力を発現しているのです。創造されてまだ数千年しか経ってない私達の世界では比べ物になりません。貴方の力がここで驚異的な力を発揮できるのもそのためです」
「そんな…このクリスタルが…これほどまでに危険なものだったのか…?」
クリスタルに触れるウィルフレッドに頷くネイフェ。
「幸い、貴方とあのギルバートのクリスタルの経路の規模は既に定着化し、深層の神秘がさらに発現して世界を押しつぶすことはありませんが、それでも法則深層への干渉力は非常に強力なものです。私達の世界の一部の理をも歪んで反発するほどに」
「では、ウィルに魔法や霊薬が効かず、神器が覚醒しないのも…」
「そのとおりです、ミーナ。この世界に存在しないアニマ・ナノマシンとアスティル・クリスタルの存在自体、すでに理のレイヤーにおいて私たちの世界からズレており、そこに加えてクリスタルの理を歪める力により完全にここの法則から外されてしまったのです」
首を傾げるカイ。
「ええと…、理とか法則とかは良くわかんないけど、だったらどうしてエリーの魔法は兄貴に効くんだ?」
「それは、ウィルフレッドのクリスタルはエリネからの魔法に対して理レベルでお互い受容しているからなんです」
「クリスタルとエリーの魔法が…お互い受容している…?」
「巫女が直系の女神の魔法を使うことで、その魔法をより強力に行使できるのは理解していますね。その理由の一つは、女神の魂の力を受けづいた巫女が、私とは別のベクトルで理のレイヤーに近しい存在ゆえ。そして治癒はスティーナ様を源とする魔法。恐らく、同じレイヤー故にエリネの治癒はウィルフレッドに効きやすくなっていると考えられます」
「…考えられるって、ちょっと確信のない言い方だねネイフェ様?」
「ええ、レクス。なぜならその場合、クリスタルがエウトーレの魔法を受容しないのがおかしいからです」
「エウトーレ殿の魔法?」
ウィルフレッドは大地の谷で、エウトーレが一度自分にガリアを源とする魔法をかけていたことを思い出す。
「はい。巫女ではありませんが、彼もまた谷の管理者として女神の加護を濃く受け継いてます。先ほどの理論だと、そんな彼の魔法が少しもウィルフレッドに反応しないのは不自然です」
(やはり、ガリアも女神の一人なのだな…)
ミーナはそれについて問い詰めることはしなかった。ガリアでなく女神という単語を使ってる時点で何かあると察しているから。
「ですので、ウィルフレッドがエリネの魔法を受容するのは他の理由があると私は推測しています」
「他の理由?」
「ええ。それは、貴方とエリネがどこかにおいて、互いを補う何らかの要素があるからではないかと。それこそ異なる法則が、二つの世界の理が互いに受容するほどの補完の形で」
「俺と…エリーが…?」
「受容するほどの補完…その推測の根拠は?」
困惑するミーナに対するネイフェの答えは、実に意外なものだった。
「だってその方がロマンチックとは思いませんか?本来ならまったく交わらない世界の人が、お互いの世界で持ち得ないところを補うのですから」
「へ、そ、それだけで…?」
優しい笑顔のネイフェに、レクス達やその場の全員が唖然する。
(い、意外~、女神様のしもべだから、結構几帳面な方じゃないかと思ったけど、割とミーハーしてる…。それとも、愛を体現するスティーナ様の分身だからこそなのかな?)
ネイフェが一度目を閉じると、穏やかでありながらも深刻そうな表情を浮かべた。
「…ただ残念なことに、それが貴方の、法則を歪む力を調和するまでは至りませんでした。いえ、寧ろ法則に近しいエリネの近くにいたことで…今の事態に至ってしまったです」
「どういう、ことだ…?」
ネイフェは目を開いてウィルフレッドを見た。
「スティーナ様が残した予言は、運命の未来を示す星辰に働きをかけ、ある程度そのとおり導くよう運命の因果を編んでいくものです。巫女達は勇者になるべき人達と出会い、ともに神器を手に邪神に対抗するはずでした」
彼女の顔に少しだが、初めて辛そうな表情が読み取れた。
「ですが、法則に大きく干渉するアスティル・クリスタルの存在が、クリスタル自身とも言える貴方が巫女達と接することで予言の法則が乱れ、つられて因果が紡ぐ運命をも変えてしまったんです。その結果、エリネが本来ハルフェンに存在するはずもない貴方を愛してしまって、砕かれるべきでない神器も砕かれてしまいました」
ウィルフレッドの体が震え出す。
暗雲に覆われた空を見上げるネイフェ。
「それによって、未来を示す星辰の並びはいま破滅的な未来を示すことになりました。邪神が復活し、ハルフェン全てを飲み込む未来を…。今でも私は感じ取れます、この世界に干渉をし続けている、貴方とあのギルバートの存在が、法則のレイヤーにある因果の糸が織り成す運命を揺らし続けているのを」
ズガンと、地面が激しく叩かれ、ひび割れる。涙で頬を濡らすウィルフレッドによって。
「兄貴!」「ウィルくん!」
「やはり…やはり俺のせいだ!ギルの言うとおり…っ、始めから俺はエリーに関わるべきじゃなかった!」
まるで泣きじゃくる子供のようなかすれ声だった。
「それは違うよ兄貴!」
「違うものかっ!君達も聞いただろうっ!?俺のクリスタルがこの世界を歪ませているってっ!実際神器は砕かれ、エリーは囚われになったんだ!あの岩柱も、俺とギルがいなかったら帝都に移動することはなかった!違うかっ!?」
「そ、それは…っ」
「ウィルくん...っ」
カイやレクス、ミーナ達は、ウィルフレッドを励まそうと思っても、言葉が出なかった。
「こうなると知っていれば、採掘場の時に君達と分かれるべきだった!俺のせいで、みんなが…っ!エリーが…っ!」
両手で顔を覆うウィルフレッド。システィは、主であるエリネが彼と一緒にいた時に見せる幸せそうな笑顔を思い出し、胸に強い痛みを感じた。
(ウィル殿…エリー様…っ)
このとき彼女はふと、何かが足元に落ちてるのに気付く。
(? これは…)
「……ウィルフレッド。いえ、ここはウィルと呼ばせて貰いますね」
ネイフェの呼びかけに、ウィルフレッドが顔をあげる。
「正直に言いますと、貴方の存在を察知した時、私は迷っていました」
「迷って、いた…?」
「ええ。貴方とギルバートの存在がこの世界の未来に影響していることを知った時、たとえギルバートに力が及ばなくとも、せめて貴方だけはエリネ達から遠ざけるように考えてたのです。それがエリネの意思に背くことになっても、巫女達を導き、この世界を守るのが私の務めですから」
ウィルフレッドは辛く顔をしかめる。
「…ですが、夢を介して貴方を知って、貴方と一緒に過ごすラナ達やエリネを見て、気が変わったのです」
再び顔をあげるウィルフレッド。
「その理由の一つは、正にエリネが貴方を選んだこと自体ですね。予言による運命は、巫女が勇者となるものと邂逅させるよう導くことになっていますが、その人を選ぶかどうかは巫女自身の意志に委ねられています。つまりエリネは、自分の意志で貴方を選んだのですよ。ですからこれはこう考えられません?エリネの貴方への愛と絆は、運命の導きさえも凌駕するほど強いものだと」
「自分の…意志で…」
「そう。そしてなによりも、貴方と一緒にいるエリネは本当に幸せそうな顔を浮かべていたのですもの。その幸せと彼女の愛を、私は否定したくありませんでした。あらゆる愛の守護神であるスティーナ様もきっとエリネの愛を否定することはしないと断言できますよ」
「ネイフェ…」
「私はエリネの愛を信じたい。スティーナ様の魂の一部を受け継いだ彼女と異世界からの貴方の愛がこの窮境を打開できることを。それこそが、かつて愛を知らないスティーナ様が惹かれて受け入れた人々の一側面ですもの。ですから貴方もどうか、エリーの貴方への愛を信じてください」
「エリーの…俺への…愛…」
「ウィル殿…」
「システィ…?」
「…これを」
システィは手に持った何かをウィルフレッドに手渡した。
「これは…っ」
それは、先ほど帝都から一緒に飛ばされてきたエリネの双色蔦のペンダントだった。
(((私はエリネ、エリネ・セインテールです。エリーって呼んで構いませんよ)))
初めて出会ったときの元気で明るいエリネの笑顔が鮮やかに目に浮かぶ。
(((私にとってウィルさんは…ウィルさんは…この世界でたった一人の…大好きな人なんです…)))
泣きじゃくりながら、秘めた思いをぶつけてくれたエリネ。
「エリー…」
(((ウィルさん、知らないっ)))
(((えへへ、あったかいです…まるで朝日に包まれてるみたい…)))
怒っては自分に拗ねて、幸せに満ちた笑顔で甘えるエリネの温もり。
「エリー…っ!」
(((愛してますよ、ウィルさん、この世界の誰よりも)))
「エリーーーーーーっ!うわあああぁぁーーーーっ!」
まるで子供のように思い切って泣いた。エリネと過ごしてきた日々が、互いの思いが感情の波となって強く彼の胸を打つ。大粒の涙が雨のようにエリネと自分の双色蔦のペンダントを濡らし、二つのペンダントもまた、泣いているように鈍く光った。
嗚咽するウィルフレッドを暫く見て、システィが強く拳を握った。
「…ウィル殿、貴殿は言ったのだろう?エリー様のことはきっと大事に守り抜いて見せると..っ。だったらここでめそめそしている暇はないはずだっ」
「システィの言う通りだよ兄貴っ。運命とか法則とか、そういうの俺はよくわかんないけどさ、俺とアイシャが一緒になったのは、自分達で決めたことなんだ。エリーが兄貴を選んだのもきっとそうだよっ」
カイに同意して頷くレクスとミーナ。
「そうだね、それにウィルくん。もし君の存在が今の状況を招いたなら、それを覆せるのも君しかいないはずだよ」
「そうだな。法則の歪みの原因となるおぬしなら、正せる可能性は十分にあるはずだ」
「うん。それに何よりも、この瀬戸際でラナ様やアイシャ様を、エリーちゃんを見捨てる君でもないでしょ?だってそれが君の人生の価値なんだから。違うかい?」
暫くすすり泣き続けたウィルフレッドは、やがて涙を拭いていく。
「…ああ…そう、だな」
エリネのペンダントを強く握り、決意を秘めては力強く立ち上がる。
「ありがとう、みんな。いつもいつも世話をかけてしまって…」
「いまさらだよ兄貴っ」
「おぬしのアホともいえるほどの不器用さは十分承知しておるからな」
「早く助けにいかないと、またラナ様の鉄拳が飛んでくるしね。ここで立ち直ってもらわないと困るよ」
「こ…こっちは単にエリー様のためなだけだっ」
互いに微笑むウィルフレッド達はそっぽ向くシスティに軽く苦笑する。ネイフェもまたそんな彼らを慈母のように優しく見守っていた。
「…ネイフェ。君はエリーの勇者に加護を授けると言ったが、具体的にはどうすればいい?俺は何をすればいい?」
強き決意を込めて問うウィルフレッド。
「はい。これはあなたの肉体崩壊を抑えることにも繋がりますが、まずは私の本体を邪気の槍から解放する必要があります」
「君の肉体を…?」
「私の本来の役目は、邪神に挑む勇者たちをその邪気から守るための鎧と化すことにありますが、その力を全て貴方に使いましょう。貴方は私達の法則から外れてはいますが、エリネと同じ力の源を持ち、近いレイヤーに位置する私なら、貴方の体の浅層を覆い、同化することで肉体崩壊は抑えられましょう」
「できるのか、そんなことが…?」
「私の本体は万物の礎となる原初のマナを基に作られています。同化する際に可能な限り互いが受容するよう調整すればできましょう。これによって私という神器はエリネの勇者たる貴方に授けられ、三位一体の封印秘法の要素は再び全て揃うでしょう」
カイが力強く拳を握る。
「だったら早いとこ肉体を解放しようぜっ!ネイフェ様、その肉体はどこに――」
「ああっ!なんだあれはっ!?」
貴族たちが指さす方向を、邪神ゾルドの揺り籠たる暗黒のドームをカイ達は見た。この一帯近くに収束していた暗雲が再び周りへと広がっていき、ドームから次々と何かが現れる。禍々しい赤い模様を帯びた、無数の不定な形をした黒の怪物達だった。ミーナ達が訝しむ。
「あれはザナエル達が放った魔獣なのかっ?」
「いいえ、あれはかつて千年前にゾルドが生み出した邪神の眷属、その成りそこない達です。魔獣よりも魔物というべきでしょう」
「成りそこない…?」
「収束した邪気も再び広がっていきます。間もなくゾルドは封印の殻からその末端を出せるようになるでしょう。それまでに急がなくては」
「クソっ!そんなことさせるかよ!」
広がる暗雲から雷鳴が轟く。ドームから溢れ出る魔物たちが咆哮をあげながら、逃げ遅れた帝都の人々を、混乱している騎士団たちを襲い始めた。ルヴィアが声をあげる。
「いけない、あれでは外まで逃げた民たちまでもが…っ」
「ロバルト陛下!ルヴィア様!」
聖剣ヘリオスを手に、レクスが強き声で呼びかける。二人は頷く。
「レクス殿、いや、勇者レクス。我らルーネウスの命と剣をそなたに預けよう。命じたまえ」
「エステラも同じですよ、レクス殿」
アランとマティ、ジュリアス達も頷く。レクスは返礼の会釈をしては、剣を掲げた。
「全員!今すぐ各々の騎士団の指揮を執って、帝都に残ってる人達や外に逃げた民たちを保護するんだ!」
「よっしゃ!そうこなくっちゃな!」
カイが背負い直す神弓フェリアの光、暗雲を切り裂く太陽の輝きを堪えたヘリオス、そして高揚としたレクスの声に応じて人々が雄叫びをあげる。
「兄さん!俺達も!」
「分かってるさルイ!」
「システィっ、今すぐ騎士団のところへ戻りますよ!」
「はい!ルヴィア様!」
ルドヴィグやジュリアス達も次々と自分の部下達に指示を下しながら、帝都の外周にある騎士団駐屯地へと向かう。聖剣の覚醒とネイフェの出現が、絶望に打ちひしがれていた人々の心に再び希望を灯したのだ。
「ウィルくんはネイフェ様の肉体を解放しに行って。その間、ゾルドの軍勢は僕たちがなんとかするから」
「うむ。逆三角を破り、ゾルドを封じるにはネイフェの加護を受けたおぬしが必要だからな」
「ここは俺たちに任せてくれ兄貴。後で一緒にエリー達を助けにいこうぜっ!」
「レクス、ミーナ、カイ…っ」
ネイフェはカイとレクス、そしてミーナの方に向けて両手を広げると、淡い輝きが三人ともを包む。
「うおっ!?」
カイ達の鎧と、ミーナのローブに淡い青の輝きが宿った。
「先ほど言った加護のわずかな一部を施しました。これで少なくとも逆三角の外周部で活動することはできましょう」
体に溢れる力を感じ、カイが軽く手足を動かした。
「す、凄い…なんだか体も凄く軽くなってる感じだ」
「もとより身体強化の加護でもありますからね。もっとも、ウィルフレッドの為に力を温存する必要がありますから、要となるあなた達三人にしか施せませんし、限度もあります。本体を取り戻せば、よりしっかりした加護を授けられるのですが…」
「今はそれだけで十分だよ。ありがとさん、ネイフェ様」
頷くネイフェはミーナに顔を向ける。
「最後に、ミーナ。三位一体の秘法の呪文を完成させるための最後のピースはあのエリクが持っています。知恵の宝珠という封印管理者が代々密かに伝わってる秘宝です」
ミーナの杖を握る手がエリクへの鬱憤でみしみしと力が入る。
「やはりエリクは師からそういうものを奪っていたのだな…っ。わかった、後で必ず彼奴からそれを奪い返そう」
「おおぉぉぉっ!」
ウィルフレッドに再びアスティル・クリスタルの青きが包み、魔人と化した。
「兄貴!」
「行ってくれカイ、みんな。すぐ戻ってくるからっ」
「…ああっ、頼んだぜ、兄貴!」
ネイフェが再び両手を翼のように広げ、青いオーラと化しては魔人化したウィルフレッドを包んだ。
「うっ!?」
ネイフェの声が響く。
『貴方の体の表層に仮憑依させていただきました。これで私の本体にたどり着くまでは持ちましょう』
「ありがとうネイフェ。…みんな、また後でっ」
「うむ。行ってこいウィル!」
ドォンッと砂塵を巻き上げ、ウィルフレッドは一瞬にして地平の遠くまで飛翔していった。
(ウィルくん…っ)
聖剣の柄を強く握りしめ、レクスは気を取り直して再度号令した。
「みんな行こう!民たちを助けるんだ!」
絶望の暗雲に走る赤の雷光の下、カイ、ミーナ、マティ達が力強く応え、それぞれの武器を高く掲げた。
【続く】
カイもまたレクスと同様によく目を凝らすと、目の前の女性と先ほどの青鳥をどこかで見たことを思い出す。
「あんた…新月の森でラナ様たちを探す時に出てきたあの鳥…?」
「そういえば…メルテラ山脈の吹雪の中で迷った時に見かけたような…」
女性はとても穏やかで美しい笑顔を見せた。
「あの時は無事助けになられて安心しました。エテルネ様の勇者とルミアナ様の勇者よ。ですが今は…」
女性の体がフワリと浮くと、ミーナの治療を受けてるウィルフレッドの前に移動した。
「まずは彼の体を処置しませんとね」
「処置って、おぬし…」
激痛に苛むウィルフレッドに、彼女は両手を広げ、衣がまるで羽のように軽やかに舞うと、青の輝きが彼の体を優しく包み込む。
「うぐぅ…っ!あ、あ…?」
ウィルフレッドが驚愕する。エリネの魔法しか効かないはずの自分の体から、肉体崩壊の痛みが段々と抑えられていく。ミーナ達もまた驚きの余り声をあげる。
「なんと、このようなことが…っ!」
程なくして、ウィルフレッドから痛みが完全に引いていった。
「兄貴!体はもう大丈夫なのか…?」
「あ、ああ…」
ウィルフレッドは困惑しながら、自分に微笑みかける女性を見上げた。
「君は確か…カスパー町で会っていた…」
「ええ、またお会いしましたね、ウィルフレッド。異世界の来訪者よ」
改めてウィルフレッドの体の様子を確認したミーナはただ驚くばかりだった。
「そんなばかな、ウィルへの治癒はエリーしか効かないはずなのに、いったいどうやって…っ」
この時、先ほどの女性の鳥の姿とその全体的に星を連想させる青の風貌を見て、ミーナはようやく理解した。
「まさか、まさかそなたは、スティーナの…っ」
「そうです、当代の封印管理者ミーナ」
女性は星空の青を堪えた衣と髪をなびかせては、名乗り上げた。
「私の名はネイフェ。夜空のあまねく星々の主たる女神スティーナ様の僕、青き鳥のネイフェです」
「ネ、ネイフェ様…?」
「ネイフェ様だとっ!?」
「女神スティーナ様の化身でもある、神鳥ネイフェ様っ!?」
ミーナやウィルフレッドを除いたその場にいる全員が跪き、祈りを捧げた。彼らにとってネイフェは巫女以上に、信仰の対象が誠に目の前に現れたのと同義であるゆえに。
「どうか畏まらずに、みなさま。我々はみな女神達を源とする命なのですから」
「あはは、軽く言ってくれるねぇ…。精霊ネイフェといえば星の女神スティーナ様が自ら産み落とした大精霊なんだから、そりゃ畏まってしまうよ」
カイもレクスに同意するように強く頷いた。
「あ、ああ…。ていうか、この前俺が見かけたのもネイフェ様だったのか?つまり結構前から俺たちを助けてきたってこと…?」
「そうですよ、カイ。…本来なら、もっと早い段階であなた達に力を貸したかったのですが」
「へ、どういうことなんだ?」
「私はいつか来る邪神の復活を予見したスティーナ様のご意思に従って、千年の間深い眠りについて力を蓄えていました。ゾルドの復活が近づいた時に巫女とその勇者の支えになるために。そして最初の巫女であるアイシャが誕生に合わせて覚醒し、その時点で邪神教団に備えて動こうと思っていましたが、残念ながらザナエルに先を越されてしまったのです」
「あの人形野郎にか?」
「はい。私が覚めるのを見計らって、ザナエルは邪神の邪気を帯びた呪いの槍で私の体を貫きました。邪神の御子でもある彼が繰り出すその槍の呪力は想像以上のもので、未だに体に刺さって私を苛んでいます。彼から逃れて山奥に潜んでいた私の殆どの力は傷を癒し、呪いに対抗するのに費やしています。ですから今まではこうして霊体の一部を飛ばして、途切れ途切れにしか顕現することができなかったのです」
「そんなことが…あれ、でもいまネイフェ様は普通に俺達の前に出てるよな?」
「それはゾルドが復活するために、世界中の邪気をあそこに収束させているからです」
ネイフェはおぞましき逆三角の結界を見た。
「それが原因で私の本体に刺さる槍の力は一時的に弱くなっており、こうして霊体をしっかりと維持できるようになりました。だからこそ先ほど、彼らを助けることができたのです」
マティとクラリスがネイフェに恭しくこうべを垂れる。
「な、なあ、だったらさあ、ネイフェ様ならあの逆三角やゾルドをなんとかすることができるのかっ?さっきまだ望みがあるって言ってたよなっ」
ミーナも切迫そうにネイフェに尋ねる。
「それにウィルのこともだ。そなたの治癒がエリーみたいにウィルに効いた理由はいったいなんなのだっ?それが同じスティーナ由来なのは察しはつくが、具体的な理由をそなたは存じてるのかっ?」
「そうですね。ここは一つずつ説明しましょう。まず、邪神の力を抑え、再び封印するための三位一体の秘法。ミーナもご存知とおり、これを構築するためには、巫女と彼女達が選んだ勇者達、そして三つの神器が必要です」
「うむ。けれど神器の一つヴィータが砕け、神器の鍛冶場もザナエルに破壊された。他に神器を作るのは無理と思うが…」
「そのとおりですが、欠けた要素を補う方法は他にありますよ。それは、この私が直接勇者に加護を授けることです」
「そなたがっ?」
「はい、ほんの一部ですが、私はスティーナ様の魂を分けられて作られた分身とも言えます。ですから私が加護を授けることは、女神が直接神器を授けることと殆ど同義になります」
「そうか…っ!それなら魔法的に千年前の状況を再現して、魔法の構築が可能となるのだなっ!」
ようやく明るい表情を見せるミーナだが、またすぐに翳ってしまう。
「しかしネイフェ、その勇者となるのは…」
目を一旦閉じて、静かにネイフェはその名をあげる。
「それはやはりウィルフレッド、貴方のほかにありません」
一同の視線がネイフェを見上げるウィルフレッドに集まった。
「けど、ネイフェ…、神器は俺に覚醒することはなかったんだ…。ここは寧ろシスティの方が――」
「いいえ、残念ながらそれはできません。今この時点で、エリネの勇者は貴方でなければいけないのです」
「え…」
ネイフェは一度システィを見てから続けた。
「エリネがいま最も強く勇者と認定しているのは他ならぬウィルフレッドで、システィを勇者とするには彼女が改めてそうであると強く認識することが必要です。それに、神器覚醒の魔法的要素において、相手となる勇者を心の中で最も強い思いを抱くことはとても重要なのです。エリネの心が貴方を強く思っている以上、例え神器がシスティによって覚醒しても、その力の程度は大きく削がれるでしょう」
システィが軽く動揺する。
「そ、そんな…。それじゃ、それじゃエリー様がウィル殿を選んだ時点で…っ」
それ以上語るのを憚るシスティに代わりに、レクスが静かに続けた。
「エリーちゃんが、ウィルくんを愛してしまった時点で詰んでたってこと…?」
「そんなことあってたまるかよっ!」
カイがその答えを拒絶するかのように叫んだ。
「エリーが兄貴を好きになったから神器が砕けてゾルドが復活しようとするっていうのかっ!?誰かを好きになったせいでこんなことになるなんて、そんなのあんまりじゃないかっ!」
「カイ…」
ウィルフレッドは流れようとする涙を堪えた。
「というかそもそも、何で神器は兄貴に覚醒しなかったんだっ?元はといえばそれが原因なんだろっ?ネイフェ様ならその理由も当然知っているよなっ?」
「…そうですね。エリネや私以外にウィルフレッドに魔法が殆ど効かないことも含めて説明しましょう。ウィルフレッド。まず、貴方に魔法が効かない理由は、いま貴方の命そのものであるアスティル・クリスタルのせいです」
「これが…?」
胸で静かに青い宇宙の輝きを堪えるアスティル・クリスタルに触れるウィルフレッド。
「はい。異世界の人が来訪すること自体が今までにないことなのですが、ハルフェンの理により、例え身体的な基本構成が多少異なったとしても普通に魔法は効くはずです。ですが、貴方の体を構成するアニマ・ナノマシン、そしてアスティル・クリスタル…前者は一応似たものはありますが、それでも根本的に私たちの世界には存在しない物質ですし、後者に至ってはそれ以上、私たちの世界と乖離しているのです」
「どういう、意味だ…?」
「貴方の世界でその結晶は空間を歪める力を発現していますよね。あの逆三角の塚がここに瞬間移動し、貴方が|この世界に飛ばされたのも、この力によるものでした」
「あ、ああ…」
「貴方の世界の人々は、それがクリスタルの特性だと考えていますが、実際は少し違います。このクリスタルは、世界の理に干渉することでその力を発現してるのです」
「なんだって…?」
驚愕するのはウィルフレッドだけでなく、ミーナも信じがたいという
顔を浮かべていた。
「理って…確かミーナ殿がこの前に説明してた…」
レクスに頷くミーナ。
「うむ。世界を形作る法則であるが…。つまりあのクリスタルは空間を歪む力を持つのではなく、《《空間を歪む力を持つよう世界の理を定める》》ことで、かような力を発揮している、という認識でいいのかネイフェ殿?」
「そのとおりです。この世界を作り、同じ理というレイヤーにある女神の分身である私だから、知ることができました。それでも、クリスタルの理への干渉原理、仕組みは違いますし、その干渉力の強度と深度はたとえスティーナ様たちと比べても桁違いです。なにせ、数百億年も長い時間を経たウィルフレッドの世界にある深層の...あえてここの用語を使いますと、深層にある巨大な神秘が、そのクリスタルを経路としてその力を発現しているのです。創造されてまだ数千年しか経ってない私達の世界では比べ物になりません。貴方の力がここで驚異的な力を発揮できるのもそのためです」
「そんな…このクリスタルが…これほどまでに危険なものだったのか…?」
クリスタルに触れるウィルフレッドに頷くネイフェ。
「幸い、貴方とあのギルバートのクリスタルの経路の規模は既に定着化し、深層の神秘がさらに発現して世界を押しつぶすことはありませんが、それでも法則深層への干渉力は非常に強力なものです。私達の世界の一部の理をも歪んで反発するほどに」
「では、ウィルに魔法や霊薬が効かず、神器が覚醒しないのも…」
「そのとおりです、ミーナ。この世界に存在しないアニマ・ナノマシンとアスティル・クリスタルの存在自体、すでに理のレイヤーにおいて私たちの世界からズレており、そこに加えてクリスタルの理を歪める力により完全にここの法則から外されてしまったのです」
首を傾げるカイ。
「ええと…、理とか法則とかは良くわかんないけど、だったらどうしてエリーの魔法は兄貴に効くんだ?」
「それは、ウィルフレッドのクリスタルはエリネからの魔法に対して理レベルでお互い受容しているからなんです」
「クリスタルとエリーの魔法が…お互い受容している…?」
「巫女が直系の女神の魔法を使うことで、その魔法をより強力に行使できるのは理解していますね。その理由の一つは、女神の魂の力を受けづいた巫女が、私とは別のベクトルで理のレイヤーに近しい存在ゆえ。そして治癒はスティーナ様を源とする魔法。恐らく、同じレイヤー故にエリネの治癒はウィルフレッドに効きやすくなっていると考えられます」
「…考えられるって、ちょっと確信のない言い方だねネイフェ様?」
「ええ、レクス。なぜならその場合、クリスタルがエウトーレの魔法を受容しないのがおかしいからです」
「エウトーレ殿の魔法?」
ウィルフレッドは大地の谷で、エウトーレが一度自分にガリアを源とする魔法をかけていたことを思い出す。
「はい。巫女ではありませんが、彼もまた谷の管理者として女神の加護を濃く受け継いてます。先ほどの理論だと、そんな彼の魔法が少しもウィルフレッドに反応しないのは不自然です」
(やはり、ガリアも女神の一人なのだな…)
ミーナはそれについて問い詰めることはしなかった。ガリアでなく女神という単語を使ってる時点で何かあると察しているから。
「ですので、ウィルフレッドがエリネの魔法を受容するのは他の理由があると私は推測しています」
「他の理由?」
「ええ。それは、貴方とエリネがどこかにおいて、互いを補う何らかの要素があるからではないかと。それこそ異なる法則が、二つの世界の理が互いに受容するほどの補完の形で」
「俺と…エリーが…?」
「受容するほどの補完…その推測の根拠は?」
困惑するミーナに対するネイフェの答えは、実に意外なものだった。
「だってその方がロマンチックとは思いませんか?本来ならまったく交わらない世界の人が、お互いの世界で持ち得ないところを補うのですから」
「へ、そ、それだけで…?」
優しい笑顔のネイフェに、レクス達やその場の全員が唖然する。
(い、意外~、女神様のしもべだから、結構几帳面な方じゃないかと思ったけど、割とミーハーしてる…。それとも、愛を体現するスティーナ様の分身だからこそなのかな?)
ネイフェが一度目を閉じると、穏やかでありながらも深刻そうな表情を浮かべた。
「…ただ残念なことに、それが貴方の、法則を歪む力を調和するまでは至りませんでした。いえ、寧ろ法則に近しいエリネの近くにいたことで…今の事態に至ってしまったです」
「どういう、ことだ…?」
ネイフェは目を開いてウィルフレッドを見た。
「スティーナ様が残した予言は、運命の未来を示す星辰に働きをかけ、ある程度そのとおり導くよう運命の因果を編んでいくものです。巫女達は勇者になるべき人達と出会い、ともに神器を手に邪神に対抗するはずでした」
彼女の顔に少しだが、初めて辛そうな表情が読み取れた。
「ですが、法則に大きく干渉するアスティル・クリスタルの存在が、クリスタル自身とも言える貴方が巫女達と接することで予言の法則が乱れ、つられて因果が紡ぐ運命をも変えてしまったんです。その結果、エリネが本来ハルフェンに存在するはずもない貴方を愛してしまって、砕かれるべきでない神器も砕かれてしまいました」
ウィルフレッドの体が震え出す。
暗雲に覆われた空を見上げるネイフェ。
「それによって、未来を示す星辰の並びはいま破滅的な未来を示すことになりました。邪神が復活し、ハルフェン全てを飲み込む未来を…。今でも私は感じ取れます、この世界に干渉をし続けている、貴方とあのギルバートの存在が、法則のレイヤーにある因果の糸が織り成す運命を揺らし続けているのを」
ズガンと、地面が激しく叩かれ、ひび割れる。涙で頬を濡らすウィルフレッドによって。
「兄貴!」「ウィルくん!」
「やはり…やはり俺のせいだ!ギルの言うとおり…っ、始めから俺はエリーに関わるべきじゃなかった!」
まるで泣きじゃくる子供のようなかすれ声だった。
「それは違うよ兄貴!」
「違うものかっ!君達も聞いただろうっ!?俺のクリスタルがこの世界を歪ませているってっ!実際神器は砕かれ、エリーは囚われになったんだ!あの岩柱も、俺とギルがいなかったら帝都に移動することはなかった!違うかっ!?」
「そ、それは…っ」
「ウィルくん...っ」
カイやレクス、ミーナ達は、ウィルフレッドを励まそうと思っても、言葉が出なかった。
「こうなると知っていれば、採掘場の時に君達と分かれるべきだった!俺のせいで、みんなが…っ!エリーが…っ!」
両手で顔を覆うウィルフレッド。システィは、主であるエリネが彼と一緒にいた時に見せる幸せそうな笑顔を思い出し、胸に強い痛みを感じた。
(ウィル殿…エリー様…っ)
このとき彼女はふと、何かが足元に落ちてるのに気付く。
(? これは…)
「……ウィルフレッド。いえ、ここはウィルと呼ばせて貰いますね」
ネイフェの呼びかけに、ウィルフレッドが顔をあげる。
「正直に言いますと、貴方の存在を察知した時、私は迷っていました」
「迷って、いた…?」
「ええ。貴方とギルバートの存在がこの世界の未来に影響していることを知った時、たとえギルバートに力が及ばなくとも、せめて貴方だけはエリネ達から遠ざけるように考えてたのです。それがエリネの意思に背くことになっても、巫女達を導き、この世界を守るのが私の務めですから」
ウィルフレッドは辛く顔をしかめる。
「…ですが、夢を介して貴方を知って、貴方と一緒に過ごすラナ達やエリネを見て、気が変わったのです」
再び顔をあげるウィルフレッド。
「その理由の一つは、正にエリネが貴方を選んだこと自体ですね。予言による運命は、巫女が勇者となるものと邂逅させるよう導くことになっていますが、その人を選ぶかどうかは巫女自身の意志に委ねられています。つまりエリネは、自分の意志で貴方を選んだのですよ。ですからこれはこう考えられません?エリネの貴方への愛と絆は、運命の導きさえも凌駕するほど強いものだと」
「自分の…意志で…」
「そう。そしてなによりも、貴方と一緒にいるエリネは本当に幸せそうな顔を浮かべていたのですもの。その幸せと彼女の愛を、私は否定したくありませんでした。あらゆる愛の守護神であるスティーナ様もきっとエリネの愛を否定することはしないと断言できますよ」
「ネイフェ…」
「私はエリネの愛を信じたい。スティーナ様の魂の一部を受け継いだ彼女と異世界からの貴方の愛がこの窮境を打開できることを。それこそが、かつて愛を知らないスティーナ様が惹かれて受け入れた人々の一側面ですもの。ですから貴方もどうか、エリーの貴方への愛を信じてください」
「エリーの…俺への…愛…」
「ウィル殿…」
「システィ…?」
「…これを」
システィは手に持った何かをウィルフレッドに手渡した。
「これは…っ」
それは、先ほど帝都から一緒に飛ばされてきたエリネの双色蔦のペンダントだった。
(((私はエリネ、エリネ・セインテールです。エリーって呼んで構いませんよ)))
初めて出会ったときの元気で明るいエリネの笑顔が鮮やかに目に浮かぶ。
(((私にとってウィルさんは…ウィルさんは…この世界でたった一人の…大好きな人なんです…)))
泣きじゃくりながら、秘めた思いをぶつけてくれたエリネ。
「エリー…」
(((ウィルさん、知らないっ)))
(((えへへ、あったかいです…まるで朝日に包まれてるみたい…)))
怒っては自分に拗ねて、幸せに満ちた笑顔で甘えるエリネの温もり。
「エリー…っ!」
(((愛してますよ、ウィルさん、この世界の誰よりも)))
「エリーーーーーーっ!うわあああぁぁーーーーっ!」
まるで子供のように思い切って泣いた。エリネと過ごしてきた日々が、互いの思いが感情の波となって強く彼の胸を打つ。大粒の涙が雨のようにエリネと自分の双色蔦のペンダントを濡らし、二つのペンダントもまた、泣いているように鈍く光った。
嗚咽するウィルフレッドを暫く見て、システィが強く拳を握った。
「…ウィル殿、貴殿は言ったのだろう?エリー様のことはきっと大事に守り抜いて見せると..っ。だったらここでめそめそしている暇はないはずだっ」
「システィの言う通りだよ兄貴っ。運命とか法則とか、そういうの俺はよくわかんないけどさ、俺とアイシャが一緒になったのは、自分達で決めたことなんだ。エリーが兄貴を選んだのもきっとそうだよっ」
カイに同意して頷くレクスとミーナ。
「そうだね、それにウィルくん。もし君の存在が今の状況を招いたなら、それを覆せるのも君しかいないはずだよ」
「そうだな。法則の歪みの原因となるおぬしなら、正せる可能性は十分にあるはずだ」
「うん。それに何よりも、この瀬戸際でラナ様やアイシャ様を、エリーちゃんを見捨てる君でもないでしょ?だってそれが君の人生の価値なんだから。違うかい?」
暫くすすり泣き続けたウィルフレッドは、やがて涙を拭いていく。
「…ああ…そう、だな」
エリネのペンダントを強く握り、決意を秘めては力強く立ち上がる。
「ありがとう、みんな。いつもいつも世話をかけてしまって…」
「いまさらだよ兄貴っ」
「おぬしのアホともいえるほどの不器用さは十分承知しておるからな」
「早く助けにいかないと、またラナ様の鉄拳が飛んでくるしね。ここで立ち直ってもらわないと困るよ」
「こ…こっちは単にエリー様のためなだけだっ」
互いに微笑むウィルフレッド達はそっぽ向くシスティに軽く苦笑する。ネイフェもまたそんな彼らを慈母のように優しく見守っていた。
「…ネイフェ。君はエリーの勇者に加護を授けると言ったが、具体的にはどうすればいい?俺は何をすればいい?」
強き決意を込めて問うウィルフレッド。
「はい。これはあなたの肉体崩壊を抑えることにも繋がりますが、まずは私の本体を邪気の槍から解放する必要があります」
「君の肉体を…?」
「私の本来の役目は、邪神に挑む勇者たちをその邪気から守るための鎧と化すことにありますが、その力を全て貴方に使いましょう。貴方は私達の法則から外れてはいますが、エリネと同じ力の源を持ち、近いレイヤーに位置する私なら、貴方の体の浅層を覆い、同化することで肉体崩壊は抑えられましょう」
「できるのか、そんなことが…?」
「私の本体は万物の礎となる原初のマナを基に作られています。同化する際に可能な限り互いが受容するよう調整すればできましょう。これによって私という神器はエリネの勇者たる貴方に授けられ、三位一体の封印秘法の要素は再び全て揃うでしょう」
カイが力強く拳を握る。
「だったら早いとこ肉体を解放しようぜっ!ネイフェ様、その肉体はどこに――」
「ああっ!なんだあれはっ!?」
貴族たちが指さす方向を、邪神ゾルドの揺り籠たる暗黒のドームをカイ達は見た。この一帯近くに収束していた暗雲が再び周りへと広がっていき、ドームから次々と何かが現れる。禍々しい赤い模様を帯びた、無数の不定な形をした黒の怪物達だった。ミーナ達が訝しむ。
「あれはザナエル達が放った魔獣なのかっ?」
「いいえ、あれはかつて千年前にゾルドが生み出した邪神の眷属、その成りそこない達です。魔獣よりも魔物というべきでしょう」
「成りそこない…?」
「収束した邪気も再び広がっていきます。間もなくゾルドは封印の殻からその末端を出せるようになるでしょう。それまでに急がなくては」
「クソっ!そんなことさせるかよ!」
広がる暗雲から雷鳴が轟く。ドームから溢れ出る魔物たちが咆哮をあげながら、逃げ遅れた帝都の人々を、混乱している騎士団たちを襲い始めた。ルヴィアが声をあげる。
「いけない、あれでは外まで逃げた民たちまでもが…っ」
「ロバルト陛下!ルヴィア様!」
聖剣ヘリオスを手に、レクスが強き声で呼びかける。二人は頷く。
「レクス殿、いや、勇者レクス。我らルーネウスの命と剣をそなたに預けよう。命じたまえ」
「エステラも同じですよ、レクス殿」
アランとマティ、ジュリアス達も頷く。レクスは返礼の会釈をしては、剣を掲げた。
「全員!今すぐ各々の騎士団の指揮を執って、帝都に残ってる人達や外に逃げた民たちを保護するんだ!」
「よっしゃ!そうこなくっちゃな!」
カイが背負い直す神弓フェリアの光、暗雲を切り裂く太陽の輝きを堪えたヘリオス、そして高揚としたレクスの声に応じて人々が雄叫びをあげる。
「兄さん!俺達も!」
「分かってるさルイ!」
「システィっ、今すぐ騎士団のところへ戻りますよ!」
「はい!ルヴィア様!」
ルドヴィグやジュリアス達も次々と自分の部下達に指示を下しながら、帝都の外周にある騎士団駐屯地へと向かう。聖剣の覚醒とネイフェの出現が、絶望に打ちひしがれていた人々の心に再び希望を灯したのだ。
「ウィルくんはネイフェ様の肉体を解放しに行って。その間、ゾルドの軍勢は僕たちがなんとかするから」
「うむ。逆三角を破り、ゾルドを封じるにはネイフェの加護を受けたおぬしが必要だからな」
「ここは俺たちに任せてくれ兄貴。後で一緒にエリー達を助けにいこうぜっ!」
「レクス、ミーナ、カイ…っ」
ネイフェはカイとレクス、そしてミーナの方に向けて両手を広げると、淡い輝きが三人ともを包む。
「うおっ!?」
カイ達の鎧と、ミーナのローブに淡い青の輝きが宿った。
「先ほど言った加護のわずかな一部を施しました。これで少なくとも逆三角の外周部で活動することはできましょう」
体に溢れる力を感じ、カイが軽く手足を動かした。
「す、凄い…なんだか体も凄く軽くなってる感じだ」
「もとより身体強化の加護でもありますからね。もっとも、ウィルフレッドの為に力を温存する必要がありますから、要となるあなた達三人にしか施せませんし、限度もあります。本体を取り戻せば、よりしっかりした加護を授けられるのですが…」
「今はそれだけで十分だよ。ありがとさん、ネイフェ様」
頷くネイフェはミーナに顔を向ける。
「最後に、ミーナ。三位一体の秘法の呪文を完成させるための最後のピースはあのエリクが持っています。知恵の宝珠という封印管理者が代々密かに伝わってる秘宝です」
ミーナの杖を握る手がエリクへの鬱憤でみしみしと力が入る。
「やはりエリクは師からそういうものを奪っていたのだな…っ。わかった、後で必ず彼奴からそれを奪い返そう」
「おおぉぉぉっ!」
ウィルフレッドに再びアスティル・クリスタルの青きが包み、魔人と化した。
「兄貴!」
「行ってくれカイ、みんな。すぐ戻ってくるからっ」
「…ああっ、頼んだぜ、兄貴!」
ネイフェが再び両手を翼のように広げ、青いオーラと化しては魔人化したウィルフレッドを包んだ。
「うっ!?」
ネイフェの声が響く。
『貴方の体の表層に仮憑依させていただきました。これで私の本体にたどり着くまでは持ちましょう』
「ありがとうネイフェ。…みんな、また後でっ」
「うむ。行ってこいウィル!」
ドォンッと砂塵を巻き上げ、ウィルフレッドは一瞬にして地平の遠くまで飛翔していった。
(ウィルくん…っ)
聖剣の柄を強く握りしめ、レクスは気を取り直して再度号令した。
「みんな行こう!民たちを助けるんだ!」
絶望の暗雲に走る赤の雷光の下、カイ、ミーナ、マティ達が力強く応え、それぞれの武器を高く掲げた。
【続く】
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