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第十七章 決戦前夜
決戦前夜 第七節
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「ここに集まった三国の諸侯と騎士達、そしてヒルダ皇妃に改めて挨拶と感謝を申し上げます――」
ステージの上でハロルドが演説を行い、ヒルダは娘であるラナとともに傍で控えていた。彼らの後ろにはヘリティア近衛騎士のアラン、カレスとルシア、そしてアイシャと、神弓を背負ってルルを肩に乗せるカイが立っていた。
「先ほどは迷惑をかけたな、レクス」
ステージの下でレクスとともに演説を聞いてたミーナが礼を述べた。
「別にいいって。ウィルくん達のことで一番悩んでるのは他でもないミーナ殿だからね」
「ふっ、やはりおぬし、間抜けに見えて結構気遣いがうまいな」
「ははは、間抜けは余計だよミーナ殿」
ロバルトの演説に会場に拍手が響く。
「…明日、ついにパルデモン山脈に向かうんだね。マティからの連絡がまだないけど、無事でいればいいなぁ…」
「場所が場所だから時間がかかるのも仕方がなかろう。なに、無事脱出できたのなら途中で合流することになるし、そうでなくとも現地で救出すればいいだけのことだ」
「不吉なこと言わないでよも~」
ステージでカイが照れながら、自分のことに言及したハロルドの傍に立つ。
「まあ。心配すべきことは他にもあるけどね」
「ほう、何か気になることがあるのか?」
「教団達の各地蜂起の件だよ」
「それがどうかしたのか?」
「いやさ、合間を縫って諸侯やロバルト陛下からもらった情報を整理してたんだけど、一部地域の教団兵力がちと不自然なんだよね」
「不自然?」
「うまく言えないけど、隠れそうな場所が近くにないのに、大型の魔獣や兵力の数が少し多すぎるようなところとか…。僕、魔法には疎いけど、魔獣召喚って無尽蔵に戦力を呼べる訳でもないよね?」
「当然だ。タウラーなどの召喚魔法自体は熟練した魔法使いしか使えないし、殆ど制約もついてくる。数日内に一回しかできないとかな。死霊兵召喚の呪骨も用意する手間はある。サポートならともかく、召喚魔法を戦いの主軸に置くことがあまりない理由のひとつだ」
「んじゃやっぱりただの気のせいかな。密かに邪神の復活を進めていた教団なら、予め各地で戦力を伏せているのも当たり前だし…」
「ふむ…だが改めて言われると、確かに気にはなるな…」
カイが緊張しながら一礼し、騎士や貴族達から歓声があがる。
「ごめん、ミーナ殿も例の逆三角の対策に頭を悩ませてるのに、いらない相談しちゃって」
「気にするな。これから教団の本拠地へと攻め込むのだ。万全を期そうとするのも理解できる」
「はは、ど~もありがと。んで、逆三角への対策の方は大丈夫かい?」
「一応ラナ達を主軸にいくつかの案はある。まだ曖昧なものだが、パルデモンへの道中で必ず形にして見せる。…ウィルの治療法も含めて、必ず…っ」
「頼りにしてるよ、ミーナ殿。手伝えることがあれば、いつでも言ってね」
「うむ…」
アイシャとカイが並び、ロバルトが二人について語る中、レクスはチラリと庭の方を見た。
(ウィルくん、エリーちゃん…)
******
ダンスホールから少し離れた庭。満天の星空の下、美しい三女神の彫刻が施された噴水の縁に座りながら、ウィルフレッドはエリネの顔を優しく撫でていた。
「もう大丈夫かエリー?」
「うん、ごめんなさいウィルさん。私、こんなに大勢な声の表情が自分に向けられてるの初めてだったから…」
「いいさ。嫌な声が結構多かっただろう?参った気分になるのも理解できるから」
「ウィルさん…」
エリネは自分の小さな体をウィルフレッドの逞しい胸板に預けると、何か硬いものにぶつかってしまう。
「あいたっ?」
「あ、すまない」
彼女が離れると、ウィルフレッドは服の下にある双色蔦のペンダントとツバメの首飾りを取り出した。チャリリとした音が鳴る。
「あ、これ、アオトさんと私達のペンダントですね」
「ああ、舞踏会では一応仕舞った方がいいとレクスに言われてな」
「私もです。ことが落ち着くまでは暫く仕舞った方が良いってアイシャさんが言ってましたけど――」
エリネも自分の双色蔦のペンダントを取り出す。二つのペンダントがまるで呼応するように互いに鈍く光った。
「パーティも終わりに近いし、もう付け直しててもいいですよね」
ペンダントを付け直したエリネが、ようやくいつもの元気な笑顔を見せた。
「うんっ、これでまたお揃いですね」
「そうだな」
嬉しそうに笑い合うと、ウィルフレッドはそっとエリネの綺麗に纏まった髪に触れる。恥ずかしながらも、任せるようにその温かい手に頬を寄せるエリネ。
「…ふふ」
「どうした?」
「ううん、ただ今まで、本当に色んなことが起こったなあって思って…。異世界で戦っていたウィルさんが偶然にこの世界に来て、私とお兄ちゃんと出会って、一緒に旅をして…そんなウィルさんと今は恋人になってるのって、本当に不思議って気がして…」
「そう、だな」
小さな笑みを浮かべるウィルフレッド。
「アオト達もきっと信じないだろうな。俺がまさか童話みたいな世界に迷い込んで、君達と一緒に世界を守る旅に出ているだなんて。サラが知ったらきっと大笑いしてるに違いない」
「ふふ、そうですよね。そしてキースさんはフォローしてて、アオトさんは羨ましがってそうです」
「うまいなエリー」
楽しそうに笑う二人の笑い声が段々と小さくなり、手を繋いだまま暫しの沈黙が訪れた。
「…明日、いよいよ教団の本拠地に向かうことになりますね」
「ああ。ギルもきっとそこで待ち構えてるはずだ」
お互いを握る手に力が入り、寄り添った。これから迎える結末に感じる不安をかき消すように。
ウィルフレッドは懐から、エリネから託され、ずっと大事にしまっていた神環ヴィータを取り出した。いまだに淡い兆しの光を発していても、微塵に覚醒する様子は見られない。
「神器、まだ覚醒しないんですね」
エリネが彼の手と重ねるように腕輪に触れる。
「ああ。…エリー、いざとなったら、前に言ったように必ずシスティに渡してくれ。パスカー町の時みたいに、自分のせいで君達が危険に陥るのは嫌なんだから」
「うん、分かってますよ」
パスカー町の件は彼の責任ではない。と言っても多分聞かないだろうと思い、ただ重なった手をさらに強く握る。
「でも、それまでにはちゃんとウィルさんが大事に保管する約束も守ってくださいね」
「分かってる、エリーの気持ちが篭ってる大事な品だからな。俺もできればずっと取っておきたい」
「ふふ、ウィルさんったら」
ウィルフレッドは腕輪を懐に仕舞おうとすると、ふと手が緩んで危うくそれを落としそうになった。
「う…っ」
「わ、ウィルさん大丈――」
この時、エリネは彼の手がかすかに震えていることに気付いた。
「ウィルさんっ、貴方、手が…っ?」
腕輪を改めてしまうウィルフレッドの声は落ち着いていた。
「気にしないでくれ。ここ最近、何をしなくても手足に軽い痺れや震えが来るようになっていたんだ」
「もうっ、どうしてもっと早く言ってくれなかったんですかっ」
「エリー」
自分に向けて治癒を放つエリネの手を下そうと掴む。
「いますぐ治療しますから…っ」
「エリー、いいんだ」
エリネの手がゆっくりと彼に押さえられる。彼女も気付いた。治癒をかけても、震えを押さえることができなくなっていることに。
「もういい。結構前から、君が魔法をかけても震えが止まらなくなっていたんだから」
「ウィルさん…っ」
ダンスホールから歓声が上がる。
「各々の勇者の血脈を継ぐ三国の方々、明日はついに、私達の真の大敵である教団の本拠地へと進軍することになります――」
ラナに支えられながら立つヒルダがパーティの締めとして最後の演説を始めた。
「エリー。決戦の前に、一つお願いしたいことがあるんだ」
彼女の小さな手を強く握るウィルフレッド。
「もし、最後になっても俺の体が治らなかったら――」
「っ、ウィルさん…っ」
少し怒り気味の顔を見せるエリネ。
「頼む、聞いてくれっ。君達が最後まで諦めないのは勿論信じているけど、万が一と言うこともあるから…っ」
一旦俯いてから、彼は続いた。
「もし…俺の体が治らずに崩壊することになったら、最後まで俺の手を握って欲しい」
エリネが唇を噛み締めた。
「子供の頃、たった一人で泣いていた時の俺は本当に寂しくて、怖かった。あの時の気持ちや自分の泣き声は今でも頭の中にこびり付いている。俺は、死ぬこと自体は怖くない、けど…また自分が独りだと感じるのだけは、きっと耐えられないと思う。君達と出会った今は、特に…。だから、もし逝くことになったら、どうか手を繋いだままにして欲しい。そうすればきっと、自分は独りじゃないことを感じながら安心して逝くことができる」
「ウィルさん…っ」
「…それと、これだけは本当に俺のエゴに過ぎないけど…」
ツバメの首飾りに触れて、彼はお願いした。
「どうか俺のことを…、できるのなら、アオトやキース、サラのことも忘れないで欲しい。本当に、ワガママな願いだけど――」
続こうとする言葉が、胸に顔を埋めるエリネに遮られる。
「――わけ…」
必死に涙を堪えている、そんな声だった。
「忘れるわけ、ないじゃないですか…っ。忘れるわけ…っ」
「エリー…」
二人はそのまま抱きしめあった。最後の平穏になるのかも知れないこの一分一秒を、全て互いの温もりを感じるのに費やしたいように。いま感じるその気持ちを、決して忘れないために。
ヒルダが最後の演説を終え、人々の喝采がホールから響く。エリネはウィルフレッドの胸に顔をうずめたまま、彼に語りかけた。
「…分かり、ました。でも、だったらウィルさんも私のわがままを聞いてください」
「なんだい?」
「私は最後の最後まで絶対にウィルさんの治療を諦めません…っ。貴方が嫌がっても、魔力の最後の一滴を絞るまで、私はウィルさんを助け続けますから…っ」
エリネの手が、ウィルフレッドが着けた双色蔦のペンダントに触れる。彼は軽く唇をかみしめた。
「…ああ、その時はエリーの好きなようにしてくれ」
ペンダントに触れるエリーの手を握り、エリネの頬をその大きな手でそっと包んで、彼女の顔を自分に向かせた。
「この先、たとえ肉体崩壊が治らなくとも、俺は必ずギルを倒し、ゾルドを倒すのを最後まで手伝う。君やラナ達が良い未来を迎えられるように。君の、世界中の景色を感じて回る夢がかなうように」
「ウィルさん…っ」
自分の頬に触れるその手を重ねるエリネ。閉じてた瞼を無意識に開いていく。いまの気持ちを持てる全てで訴えたいように。
「いまの私の夢は、大好きなウィルさんと一緒に回る、ですよ…っ」
「エリー…っ」
「愛してます、ウィルさん、この世界の誰よりも。ウィルさんだけが私の宝なんです…。だから、私――」
ウィルフレッドの指が、エリネの唇に触れて言葉を遮った。二人はそれ以上言葉を発することはなかった。絡み合う手の仕草が、触れ合う肌の温もりが全てを代弁したのだから。
諸侯らがダンスホールのステージへと順番に上がり、ヒルダとロバルト、ラナ達に今日の最後の挨拶を交わしていく。そんなパーティ最後の喧騒もいまや二人には届かない。優しく頬と髪を撫でるウィルフレッドの大きな手、盲目であろうとも、潤う瞳が全ての気持ちを伝えるエリネの美しい瞳。
ウィルフレッドとエリネは互いの顔を近づけさせる。明日から挑む決戦の前に、他のなにもかも忘れてはこのひと時が永遠になるために。
城外で祝う人々が放つ花火がドドンと夜空を照らした――
「――取り込み中で悪ぃが、少しお邪魔するよ」
ウィルフレッドとエリネが声の方向を向いた。全身を強く強張らせながら。
「貴方は…っ」
「ギルっ!?」
エリネを庇いながら、ウィルフレッドは噴水の彫像の上で大らかに座ってるギルバートを睨んだ。
「よおウィル、また会ったな。…くっ、ぶははははははっ!す、すまねえっ、あんたその服っ!その格好…っ!うひゃははははははっ!」
面白おかしく笑うギルバートに反し、ウィルフレッドとエリネの顔は強く緊張していた。
「あーおかしい、まったく、今のあんたをサラが見たらなんて言うんだろうなあ?っていうかお前、あんなのがタイプだったのか?早く教えてもらったらその手の店にも連れてったのによ」
「茶化するなギルっ、あんた何しにここに来たんだっ?教団の本拠地に戻ったんじゃないのかっ?」
ギルバートが不敵に笑う。
「忘れたのかウィル?俺はこの前、すぐ会うことになるって言ってなかったっけ?そしてそん時は、正真正銘の決戦だってこともな」
「なんだって…」
庭が緊迫な雰囲気に包まれる中、ダンスホールにいるラナは一旦挨拶を中止して、カレス達に支えられるヒルダに耳打ちする。
「母上、さすがにそろそろ座っても宜しいのでは?」
「ありがとうラナ、でもいいのですよ。この時ぐらいは皇妃らしいところを見せないと、エイダーンに笑われるもの」
ラナが苦笑する。
「揃って強がりですよね、私達。分かりました。でもあまり無茶はしないでくださいね」
「ええ、分かってますよ」
お互い笑うと、またそれぞれ諸侯達の挨拶に戻るラナ達。
「ウィルさん…っ」
エリネをより後ろへと隠し、ウィルフレッドが問い質す。
「大丈夫だエリー。…正真正銘の決戦…?いったいどういうことだっ?」
「くく…、なあウィル。ザナエルの旦那が軍を各地で放った時、あんたはおかしく思わなかったか?」
「なに?」
ヒルダ達の貴族達との挨拶も終わりが近づき、アイシャとカイがラナに声をかける。
「ラナちゃんお疲れ様、そろそろ着替えに行きましょうか?」
「俺もさすがにちょっと疲れてきたよ。早く部屋に戻って休みてぇ…」
「ふふ、カイくんがんばったものね。そうね、母上やロバルト様の方もそろそろだし…」
ラナが、最後の数名の貴族達と会話しているヒルダの方を見た。
「ヒルダ様。今夜は本当に素晴らしいパーティでした。教団との戦いが終わりましたら、今度は国全体で挙げる宴会を開きましょう」
「ええ、勿論ですみなさま」
噴水の彫像上から立ち上がり、意味ありげな笑みをウィルフレッドに見せるギルバート。
「俺達ゃ前線に出る兵士だから、こういうのは気づき難いかも知れないな。旦那たちの兵力が、一部地域で不自然に数が多いってことを」
「アイシャ姉様、ちょっとここで待ってて」「ええ」
ラナはヒルダが最後の貴族達の挨拶を見計らって、彼女の方に向けて歩いた。ヒルダは貴族達に小さく会釈する。
「その時は三国で大きく祝いましょう。その時は改めてよろしくお願いしますね」
「お任せください。ハロルド陛下とともにルーネウス全国で協力しますよ」
「私も同じ思いです。…それができなくなるのは、誠に遺憾なのですが」
「え?」
ギルバートがゆっくりと手を挙げる。
「それはな、俺とあいつがこうしてここにいる理由と同じなんだよ」
「な…」「え…」
ウィルフレッドとエリネは、ギルバートが指差すダンスホール、ヒルダ達がいる場所を向いた。
「失礼します。母上――」
ラナが人混みを分けてヒルダに声をかけようとした。
「ポラス様、失礼ですがそれは一体どういう意味ですか?」
「私達は、ここでお別れという意味ですよ。――姉上」
次の瞬間、ラナを含んだ周り全ての人達が呆気にとられた。ポラスの体が菫色の光を発すると、そこにはオズワルドが立っていた。その前腕から、再び短剣となった邪神剣が生やすように取り出される。
トスッと、実に軽い音だった。ダンスホールの喧騒が数秒で静寂となる。ヒルダはゆっくりと下を向いた。短剣は深々と自分の腹に刺さり、真っ赤な血がぽたぽたと床に滴る。顔をあげると、己の弟の顔がかすんで見えてきた。
「おさらばです、姉上。いままでありがとうございました」
オズワルドの顔に表情はなかった。
「あ、オズ――」
崩れた人形のように、ヒルダはオズワルドによりかかり、そのままずるりと床へと倒れこむ。
「母、上…?」
ラナの声が凍てつく。
数秒経てついに、会場の人々の悲鳴がダンスホールの静寂を打ち破り、ホールは瞬時にパニックに陥った。
「ヒ、ヒルダ…!」「ヒルダ陛下っ!」
ミーナとレクス達はステージへと駆けつける。
「うおおおぉっ!」
ヒルダ達にもっとも近いアランやカレス達は剣を抜いてオズワルドに切りかかる。
「あっ!?」
だがオズワルドは信じがたい速度でそれを避け、ステージのより奥の方に後退した。
「母上…っ、母上っ!」
ラナが顔の血の気を引きながらヒルダの体を抱える。血にまみれたヒルダは、優しく微笑みながらラナの頬に手を添える。
「ラ、ナ…」
そしてその手からも力が消え、ヒルダは事切れた。
「は、母上ーーーーっ!」
その様子を庭から確認したエリネとウィルフレッド。
「ヒルダ様…!」
「ラナ!ギル、あんたはっ!」
「おおっと早まるなよ。まだ答え合わせをしてねえ」
ギルバートは牽制しながらニヤリと笑う。
「ウィル、あんた忘れちゃいないよな?俺達がどうやってこの世界へと飛ばされたのか。そしてそいつにはある機能がついてることを。最後であんたが制御権ロックを解除したままだから、今は使い放題なんだよ」
「あ…」
ウィルフレッドが大きく目を見開く。
「運よくアレを見つけた時はひどく損傷してたから、蜂起の時に試運転をやっててな。最初は何回が失敗してるし、何度も使うことはできねえんだ。だから完全に壊れる前に、ここはぱーっと使ってクライマックスに向けて盛り上がろうじゃねえか」
「ギル、あんたまさか…っ」
ギルバートが服の襟についている端末を押して、通信を始めた。
「こちら登録ナンバーAT-02だ。…メルセゲル、応答しろ」
『登録ナンバー及び声紋、認証完了、ご命令をどうぞ』
演算装置兼次元跳躍特化アスティル・クリスタル、メルセゲルの無機質な音声が響いた。戦術艦ヌトで戦っていた時と同じ声で。
「…オズワルドォォーーーーッ!」
「あっ、ラナ様っ!」
「ラナちゃん!」
レクスとアイシャ達の制止も構わず、激昂したラナが咄嗟にアランの剣を奪い、無表情のオズワルド目がけて切りかかる。
「やめろギルっ!」
「ウィルさん!」
不吉極まりない悪寒が全身を襲うウィルフレッドは、ギルバートを阻止するために全力で飛びかかる。ギルバートはただ冷笑し、バチンと赤い電光を走らせ、噴水が吹き飛ばされては大きく水しぶきがあがる。
「うあっ!」「きゃああっ!」
ウィルフレッドとエリネが軽く吹き飛ばされて倒れるのを上に浮いて見つめては、魔人化したギルバートが指示を続けた。
「俺の座標を中心に、グループαからλまでのオブジェクトをパターンDで転移させろ」
『指令確認、転移シークエンス開始』
「うおおおおーーーーっ!」
青い電光が砂塵を巻き上げ、魔人化したウィルフレッドが双剣を生成してギルバート目がけ突進する。両者がぶつかり合う直前だった。
『次元位相シフト確認。―――跳躍』
「「「きゃああああっ!」」」
オズワルドに切りかかろうとするラナが弾けられ、ダンスホールが震撼する。皇城だけではない、悲鳴と絶叫が帝都全体から挙げられた。天までも揺らぐと感じられるほどの爆音が、大地が裂けたかと思うほどの衝撃がその一帯にいる全てを襲った。
しかし、衝撃は大きかったが、一瞬だけのものだった。転倒したレクス達は頭を抑えながらゆっくりと立ち上がろうとする。
「あぐ…っ、だ、大丈夫ミーナ殿…っ」
「あ、ああ…っ、しかし、一体何が起こっ――」
「う、うわああぁ!なんだあれはっ!?」
貴族達が窓の外を指差して悲鳴をあげる。その理由となる異変を確認したミーナの体が凍てついた。
「なっ、あ、あれは…!」
ミーナだけではない、ダンスホールにいる全員が、帝都やその周りに集う人々がみな一瞬で戦慄を覚えた。――三本のおぞましい岩柱が、帝都中心部を囲むように唐突に現れたのだ。
それだけではない、ホールのステージの後方の壁が砕け、無数の鉄製の棺桶のような大きな容器が、悠然と立つオズワルドの後ろに出現している。棺桶の蓋が次々と開き、中からエリクとザレたち教団の信者達が現れる。
「エリク…っ!」
しかしミーナの注意はすぐにエリクから、背筋も凍るおぞましい邪気を纏って棺桶から立ち上がる姿に移った。
「ごきげんよう。三大聖王国の諸君。どうやら宴も酣のようだな、んクククク…!」
邪神教団の大神官ザナエルが冷笑した。
【第十七章 終わり 第十八章に続く】
ステージの上でハロルドが演説を行い、ヒルダは娘であるラナとともに傍で控えていた。彼らの後ろにはヘリティア近衛騎士のアラン、カレスとルシア、そしてアイシャと、神弓を背負ってルルを肩に乗せるカイが立っていた。
「先ほどは迷惑をかけたな、レクス」
ステージの下でレクスとともに演説を聞いてたミーナが礼を述べた。
「別にいいって。ウィルくん達のことで一番悩んでるのは他でもないミーナ殿だからね」
「ふっ、やはりおぬし、間抜けに見えて結構気遣いがうまいな」
「ははは、間抜けは余計だよミーナ殿」
ロバルトの演説に会場に拍手が響く。
「…明日、ついにパルデモン山脈に向かうんだね。マティからの連絡がまだないけど、無事でいればいいなぁ…」
「場所が場所だから時間がかかるのも仕方がなかろう。なに、無事脱出できたのなら途中で合流することになるし、そうでなくとも現地で救出すればいいだけのことだ」
「不吉なこと言わないでよも~」
ステージでカイが照れながら、自分のことに言及したハロルドの傍に立つ。
「まあ。心配すべきことは他にもあるけどね」
「ほう、何か気になることがあるのか?」
「教団達の各地蜂起の件だよ」
「それがどうかしたのか?」
「いやさ、合間を縫って諸侯やロバルト陛下からもらった情報を整理してたんだけど、一部地域の教団兵力がちと不自然なんだよね」
「不自然?」
「うまく言えないけど、隠れそうな場所が近くにないのに、大型の魔獣や兵力の数が少し多すぎるようなところとか…。僕、魔法には疎いけど、魔獣召喚って無尽蔵に戦力を呼べる訳でもないよね?」
「当然だ。タウラーなどの召喚魔法自体は熟練した魔法使いしか使えないし、殆ど制約もついてくる。数日内に一回しかできないとかな。死霊兵召喚の呪骨も用意する手間はある。サポートならともかく、召喚魔法を戦いの主軸に置くことがあまりない理由のひとつだ」
「んじゃやっぱりただの気のせいかな。密かに邪神の復活を進めていた教団なら、予め各地で戦力を伏せているのも当たり前だし…」
「ふむ…だが改めて言われると、確かに気にはなるな…」
カイが緊張しながら一礼し、騎士や貴族達から歓声があがる。
「ごめん、ミーナ殿も例の逆三角の対策に頭を悩ませてるのに、いらない相談しちゃって」
「気にするな。これから教団の本拠地へと攻め込むのだ。万全を期そうとするのも理解できる」
「はは、ど~もありがと。んで、逆三角への対策の方は大丈夫かい?」
「一応ラナ達を主軸にいくつかの案はある。まだ曖昧なものだが、パルデモンへの道中で必ず形にして見せる。…ウィルの治療法も含めて、必ず…っ」
「頼りにしてるよ、ミーナ殿。手伝えることがあれば、いつでも言ってね」
「うむ…」
アイシャとカイが並び、ロバルトが二人について語る中、レクスはチラリと庭の方を見た。
(ウィルくん、エリーちゃん…)
******
ダンスホールから少し離れた庭。満天の星空の下、美しい三女神の彫刻が施された噴水の縁に座りながら、ウィルフレッドはエリネの顔を優しく撫でていた。
「もう大丈夫かエリー?」
「うん、ごめんなさいウィルさん。私、こんなに大勢な声の表情が自分に向けられてるの初めてだったから…」
「いいさ。嫌な声が結構多かっただろう?参った気分になるのも理解できるから」
「ウィルさん…」
エリネは自分の小さな体をウィルフレッドの逞しい胸板に預けると、何か硬いものにぶつかってしまう。
「あいたっ?」
「あ、すまない」
彼女が離れると、ウィルフレッドは服の下にある双色蔦のペンダントとツバメの首飾りを取り出した。チャリリとした音が鳴る。
「あ、これ、アオトさんと私達のペンダントですね」
「ああ、舞踏会では一応仕舞った方がいいとレクスに言われてな」
「私もです。ことが落ち着くまでは暫く仕舞った方が良いってアイシャさんが言ってましたけど――」
エリネも自分の双色蔦のペンダントを取り出す。二つのペンダントがまるで呼応するように互いに鈍く光った。
「パーティも終わりに近いし、もう付け直しててもいいですよね」
ペンダントを付け直したエリネが、ようやくいつもの元気な笑顔を見せた。
「うんっ、これでまたお揃いですね」
「そうだな」
嬉しそうに笑い合うと、ウィルフレッドはそっとエリネの綺麗に纏まった髪に触れる。恥ずかしながらも、任せるようにその温かい手に頬を寄せるエリネ。
「…ふふ」
「どうした?」
「ううん、ただ今まで、本当に色んなことが起こったなあって思って…。異世界で戦っていたウィルさんが偶然にこの世界に来て、私とお兄ちゃんと出会って、一緒に旅をして…そんなウィルさんと今は恋人になってるのって、本当に不思議って気がして…」
「そう、だな」
小さな笑みを浮かべるウィルフレッド。
「アオト達もきっと信じないだろうな。俺がまさか童話みたいな世界に迷い込んで、君達と一緒に世界を守る旅に出ているだなんて。サラが知ったらきっと大笑いしてるに違いない」
「ふふ、そうですよね。そしてキースさんはフォローしてて、アオトさんは羨ましがってそうです」
「うまいなエリー」
楽しそうに笑う二人の笑い声が段々と小さくなり、手を繋いだまま暫しの沈黙が訪れた。
「…明日、いよいよ教団の本拠地に向かうことになりますね」
「ああ。ギルもきっとそこで待ち構えてるはずだ」
お互いを握る手に力が入り、寄り添った。これから迎える結末に感じる不安をかき消すように。
ウィルフレッドは懐から、エリネから託され、ずっと大事にしまっていた神環ヴィータを取り出した。いまだに淡い兆しの光を発していても、微塵に覚醒する様子は見られない。
「神器、まだ覚醒しないんですね」
エリネが彼の手と重ねるように腕輪に触れる。
「ああ。…エリー、いざとなったら、前に言ったように必ずシスティに渡してくれ。パスカー町の時みたいに、自分のせいで君達が危険に陥るのは嫌なんだから」
「うん、分かってますよ」
パスカー町の件は彼の責任ではない。と言っても多分聞かないだろうと思い、ただ重なった手をさらに強く握る。
「でも、それまでにはちゃんとウィルさんが大事に保管する約束も守ってくださいね」
「分かってる、エリーの気持ちが篭ってる大事な品だからな。俺もできればずっと取っておきたい」
「ふふ、ウィルさんったら」
ウィルフレッドは腕輪を懐に仕舞おうとすると、ふと手が緩んで危うくそれを落としそうになった。
「う…っ」
「わ、ウィルさん大丈――」
この時、エリネは彼の手がかすかに震えていることに気付いた。
「ウィルさんっ、貴方、手が…っ?」
腕輪を改めてしまうウィルフレッドの声は落ち着いていた。
「気にしないでくれ。ここ最近、何をしなくても手足に軽い痺れや震えが来るようになっていたんだ」
「もうっ、どうしてもっと早く言ってくれなかったんですかっ」
「エリー」
自分に向けて治癒を放つエリネの手を下そうと掴む。
「いますぐ治療しますから…っ」
「エリー、いいんだ」
エリネの手がゆっくりと彼に押さえられる。彼女も気付いた。治癒をかけても、震えを押さえることができなくなっていることに。
「もういい。結構前から、君が魔法をかけても震えが止まらなくなっていたんだから」
「ウィルさん…っ」
ダンスホールから歓声が上がる。
「各々の勇者の血脈を継ぐ三国の方々、明日はついに、私達の真の大敵である教団の本拠地へと進軍することになります――」
ラナに支えられながら立つヒルダがパーティの締めとして最後の演説を始めた。
「エリー。決戦の前に、一つお願いしたいことがあるんだ」
彼女の小さな手を強く握るウィルフレッド。
「もし、最後になっても俺の体が治らなかったら――」
「っ、ウィルさん…っ」
少し怒り気味の顔を見せるエリネ。
「頼む、聞いてくれっ。君達が最後まで諦めないのは勿論信じているけど、万が一と言うこともあるから…っ」
一旦俯いてから、彼は続いた。
「もし…俺の体が治らずに崩壊することになったら、最後まで俺の手を握って欲しい」
エリネが唇を噛み締めた。
「子供の頃、たった一人で泣いていた時の俺は本当に寂しくて、怖かった。あの時の気持ちや自分の泣き声は今でも頭の中にこびり付いている。俺は、死ぬこと自体は怖くない、けど…また自分が独りだと感じるのだけは、きっと耐えられないと思う。君達と出会った今は、特に…。だから、もし逝くことになったら、どうか手を繋いだままにして欲しい。そうすればきっと、自分は独りじゃないことを感じながら安心して逝くことができる」
「ウィルさん…っ」
「…それと、これだけは本当に俺のエゴに過ぎないけど…」
ツバメの首飾りに触れて、彼はお願いした。
「どうか俺のことを…、できるのなら、アオトやキース、サラのことも忘れないで欲しい。本当に、ワガママな願いだけど――」
続こうとする言葉が、胸に顔を埋めるエリネに遮られる。
「――わけ…」
必死に涙を堪えている、そんな声だった。
「忘れるわけ、ないじゃないですか…っ。忘れるわけ…っ」
「エリー…」
二人はそのまま抱きしめあった。最後の平穏になるのかも知れないこの一分一秒を、全て互いの温もりを感じるのに費やしたいように。いま感じるその気持ちを、決して忘れないために。
ヒルダが最後の演説を終え、人々の喝采がホールから響く。エリネはウィルフレッドの胸に顔をうずめたまま、彼に語りかけた。
「…分かり、ました。でも、だったらウィルさんも私のわがままを聞いてください」
「なんだい?」
「私は最後の最後まで絶対にウィルさんの治療を諦めません…っ。貴方が嫌がっても、魔力の最後の一滴を絞るまで、私はウィルさんを助け続けますから…っ」
エリネの手が、ウィルフレッドが着けた双色蔦のペンダントに触れる。彼は軽く唇をかみしめた。
「…ああ、その時はエリーの好きなようにしてくれ」
ペンダントに触れるエリーの手を握り、エリネの頬をその大きな手でそっと包んで、彼女の顔を自分に向かせた。
「この先、たとえ肉体崩壊が治らなくとも、俺は必ずギルを倒し、ゾルドを倒すのを最後まで手伝う。君やラナ達が良い未来を迎えられるように。君の、世界中の景色を感じて回る夢がかなうように」
「ウィルさん…っ」
自分の頬に触れるその手を重ねるエリネ。閉じてた瞼を無意識に開いていく。いまの気持ちを持てる全てで訴えたいように。
「いまの私の夢は、大好きなウィルさんと一緒に回る、ですよ…っ」
「エリー…っ」
「愛してます、ウィルさん、この世界の誰よりも。ウィルさんだけが私の宝なんです…。だから、私――」
ウィルフレッドの指が、エリネの唇に触れて言葉を遮った。二人はそれ以上言葉を発することはなかった。絡み合う手の仕草が、触れ合う肌の温もりが全てを代弁したのだから。
諸侯らがダンスホールのステージへと順番に上がり、ヒルダとロバルト、ラナ達に今日の最後の挨拶を交わしていく。そんなパーティ最後の喧騒もいまや二人には届かない。優しく頬と髪を撫でるウィルフレッドの大きな手、盲目であろうとも、潤う瞳が全ての気持ちを伝えるエリネの美しい瞳。
ウィルフレッドとエリネは互いの顔を近づけさせる。明日から挑む決戦の前に、他のなにもかも忘れてはこのひと時が永遠になるために。
城外で祝う人々が放つ花火がドドンと夜空を照らした――
「――取り込み中で悪ぃが、少しお邪魔するよ」
ウィルフレッドとエリネが声の方向を向いた。全身を強く強張らせながら。
「貴方は…っ」
「ギルっ!?」
エリネを庇いながら、ウィルフレッドは噴水の彫像の上で大らかに座ってるギルバートを睨んだ。
「よおウィル、また会ったな。…くっ、ぶははははははっ!す、すまねえっ、あんたその服っ!その格好…っ!うひゃははははははっ!」
面白おかしく笑うギルバートに反し、ウィルフレッドとエリネの顔は強く緊張していた。
「あーおかしい、まったく、今のあんたをサラが見たらなんて言うんだろうなあ?っていうかお前、あんなのがタイプだったのか?早く教えてもらったらその手の店にも連れてったのによ」
「茶化するなギルっ、あんた何しにここに来たんだっ?教団の本拠地に戻ったんじゃないのかっ?」
ギルバートが不敵に笑う。
「忘れたのかウィル?俺はこの前、すぐ会うことになるって言ってなかったっけ?そしてそん時は、正真正銘の決戦だってこともな」
「なんだって…」
庭が緊迫な雰囲気に包まれる中、ダンスホールにいるラナは一旦挨拶を中止して、カレス達に支えられるヒルダに耳打ちする。
「母上、さすがにそろそろ座っても宜しいのでは?」
「ありがとうラナ、でもいいのですよ。この時ぐらいは皇妃らしいところを見せないと、エイダーンに笑われるもの」
ラナが苦笑する。
「揃って強がりですよね、私達。分かりました。でもあまり無茶はしないでくださいね」
「ええ、分かってますよ」
お互い笑うと、またそれぞれ諸侯達の挨拶に戻るラナ達。
「ウィルさん…っ」
エリネをより後ろへと隠し、ウィルフレッドが問い質す。
「大丈夫だエリー。…正真正銘の決戦…?いったいどういうことだっ?」
「くく…、なあウィル。ザナエルの旦那が軍を各地で放った時、あんたはおかしく思わなかったか?」
「なに?」
ヒルダ達の貴族達との挨拶も終わりが近づき、アイシャとカイがラナに声をかける。
「ラナちゃんお疲れ様、そろそろ着替えに行きましょうか?」
「俺もさすがにちょっと疲れてきたよ。早く部屋に戻って休みてぇ…」
「ふふ、カイくんがんばったものね。そうね、母上やロバルト様の方もそろそろだし…」
ラナが、最後の数名の貴族達と会話しているヒルダの方を見た。
「ヒルダ様。今夜は本当に素晴らしいパーティでした。教団との戦いが終わりましたら、今度は国全体で挙げる宴会を開きましょう」
「ええ、勿論ですみなさま」
噴水の彫像上から立ち上がり、意味ありげな笑みをウィルフレッドに見せるギルバート。
「俺達ゃ前線に出る兵士だから、こういうのは気づき難いかも知れないな。旦那たちの兵力が、一部地域で不自然に数が多いってことを」
「アイシャ姉様、ちょっとここで待ってて」「ええ」
ラナはヒルダが最後の貴族達の挨拶を見計らって、彼女の方に向けて歩いた。ヒルダは貴族達に小さく会釈する。
「その時は三国で大きく祝いましょう。その時は改めてよろしくお願いしますね」
「お任せください。ハロルド陛下とともにルーネウス全国で協力しますよ」
「私も同じ思いです。…それができなくなるのは、誠に遺憾なのですが」
「え?」
ギルバートがゆっくりと手を挙げる。
「それはな、俺とあいつがこうしてここにいる理由と同じなんだよ」
「な…」「え…」
ウィルフレッドとエリネは、ギルバートが指差すダンスホール、ヒルダ達がいる場所を向いた。
「失礼します。母上――」
ラナが人混みを分けてヒルダに声をかけようとした。
「ポラス様、失礼ですがそれは一体どういう意味ですか?」
「私達は、ここでお別れという意味ですよ。――姉上」
次の瞬間、ラナを含んだ周り全ての人達が呆気にとられた。ポラスの体が菫色の光を発すると、そこにはオズワルドが立っていた。その前腕から、再び短剣となった邪神剣が生やすように取り出される。
トスッと、実に軽い音だった。ダンスホールの喧騒が数秒で静寂となる。ヒルダはゆっくりと下を向いた。短剣は深々と自分の腹に刺さり、真っ赤な血がぽたぽたと床に滴る。顔をあげると、己の弟の顔がかすんで見えてきた。
「おさらばです、姉上。いままでありがとうございました」
オズワルドの顔に表情はなかった。
「あ、オズ――」
崩れた人形のように、ヒルダはオズワルドによりかかり、そのままずるりと床へと倒れこむ。
「母、上…?」
ラナの声が凍てつく。
数秒経てついに、会場の人々の悲鳴がダンスホールの静寂を打ち破り、ホールは瞬時にパニックに陥った。
「ヒ、ヒルダ…!」「ヒルダ陛下っ!」
ミーナとレクス達はステージへと駆けつける。
「うおおおぉっ!」
ヒルダ達にもっとも近いアランやカレス達は剣を抜いてオズワルドに切りかかる。
「あっ!?」
だがオズワルドは信じがたい速度でそれを避け、ステージのより奥の方に後退した。
「母上…っ、母上っ!」
ラナが顔の血の気を引きながらヒルダの体を抱える。血にまみれたヒルダは、優しく微笑みながらラナの頬に手を添える。
「ラ、ナ…」
そしてその手からも力が消え、ヒルダは事切れた。
「は、母上ーーーーっ!」
その様子を庭から確認したエリネとウィルフレッド。
「ヒルダ様…!」
「ラナ!ギル、あんたはっ!」
「おおっと早まるなよ。まだ答え合わせをしてねえ」
ギルバートは牽制しながらニヤリと笑う。
「ウィル、あんた忘れちゃいないよな?俺達がどうやってこの世界へと飛ばされたのか。そしてそいつにはある機能がついてることを。最後であんたが制御権ロックを解除したままだから、今は使い放題なんだよ」
「あ…」
ウィルフレッドが大きく目を見開く。
「運よくアレを見つけた時はひどく損傷してたから、蜂起の時に試運転をやっててな。最初は何回が失敗してるし、何度も使うことはできねえんだ。だから完全に壊れる前に、ここはぱーっと使ってクライマックスに向けて盛り上がろうじゃねえか」
「ギル、あんたまさか…っ」
ギルバートが服の襟についている端末を押して、通信を始めた。
「こちら登録ナンバーAT-02だ。…メルセゲル、応答しろ」
『登録ナンバー及び声紋、認証完了、ご命令をどうぞ』
演算装置兼次元跳躍特化アスティル・クリスタル、メルセゲルの無機質な音声が響いた。戦術艦ヌトで戦っていた時と同じ声で。
「…オズワルドォォーーーーッ!」
「あっ、ラナ様っ!」
「ラナちゃん!」
レクスとアイシャ達の制止も構わず、激昂したラナが咄嗟にアランの剣を奪い、無表情のオズワルド目がけて切りかかる。
「やめろギルっ!」
「ウィルさん!」
不吉極まりない悪寒が全身を襲うウィルフレッドは、ギルバートを阻止するために全力で飛びかかる。ギルバートはただ冷笑し、バチンと赤い電光を走らせ、噴水が吹き飛ばされては大きく水しぶきがあがる。
「うあっ!」「きゃああっ!」
ウィルフレッドとエリネが軽く吹き飛ばされて倒れるのを上に浮いて見つめては、魔人化したギルバートが指示を続けた。
「俺の座標を中心に、グループαからλまでのオブジェクトをパターンDで転移させろ」
『指令確認、転移シークエンス開始』
「うおおおおーーーーっ!」
青い電光が砂塵を巻き上げ、魔人化したウィルフレッドが双剣を生成してギルバート目がけ突進する。両者がぶつかり合う直前だった。
『次元位相シフト確認。―――跳躍』
「「「きゃああああっ!」」」
オズワルドに切りかかろうとするラナが弾けられ、ダンスホールが震撼する。皇城だけではない、悲鳴と絶叫が帝都全体から挙げられた。天までも揺らぐと感じられるほどの爆音が、大地が裂けたかと思うほどの衝撃がその一帯にいる全てを襲った。
しかし、衝撃は大きかったが、一瞬だけのものだった。転倒したレクス達は頭を抑えながらゆっくりと立ち上がろうとする。
「あぐ…っ、だ、大丈夫ミーナ殿…っ」
「あ、ああ…っ、しかし、一体何が起こっ――」
「う、うわああぁ!なんだあれはっ!?」
貴族達が窓の外を指差して悲鳴をあげる。その理由となる異変を確認したミーナの体が凍てついた。
「なっ、あ、あれは…!」
ミーナだけではない、ダンスホールにいる全員が、帝都やその周りに集う人々がみな一瞬で戦慄を覚えた。――三本のおぞましい岩柱が、帝都中心部を囲むように唐突に現れたのだ。
それだけではない、ホールのステージの後方の壁が砕け、無数の鉄製の棺桶のような大きな容器が、悠然と立つオズワルドの後ろに出現している。棺桶の蓋が次々と開き、中からエリクとザレたち教団の信者達が現れる。
「エリク…っ!」
しかしミーナの注意はすぐにエリクから、背筋も凍るおぞましい邪気を纏って棺桶から立ち上がる姿に移った。
「ごきげんよう。三大聖王国の諸君。どうやら宴も酣のようだな、んクククク…!」
邪神教団の大神官ザナエルが冷笑した。
【第十七章 終わり 第十八章に続く】
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