ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士たち-

レオナード一世

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第十七章 決戦前夜

決戦前夜 第四節

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「先ほどの話は本当ですかご主人っ」
ある村の宿屋の外で、主人はクラリスに肯定の頷きを返す。
「ああ、ラナ殿下率いる女神連合軍は、ルーネウスのロバルトと協力して帝都を取り返したらしい。まだ正式な発表はされてないが、戦争はこれでようやく一段落って話だ」

馬を連れてきたマティが主人に一礼する。
「ご主人ありがとうございます。私達は道を急いでますのでこれで」
「ああ、道中きをつけてなさんな、二人とも」

――――――

ヘリティアの帝都ダリウスへと続く林道を、マティとクラリスは全力で馬を走らせる。
「ラナ様たち、無事帝都を取り戻したのですね」
「ええ。ラナ様たちならきっとやり遂げると信じてました。本当に良かった…」

クラリスの安堵が父のことも含まれるのを察するマティは静かに微笑む。
「ですが戦いは寧ろこれからですね。クラリス殿、聖剣の様子は?」
クラリスは背中の包みに触れる。その中で聖剣が発するかすかな振動を感じた。

「やはり、前と変わらずに不思議な音と光を出してます」
「そうですか。教団蜂起の件もありますし、一刻も早くラナ様たちと合流しましょう」
「ええ、追手もいつこちらに気付くのか分かりませんものね。ここからなら一日半ぐらいですぐに帝都まで着きます」
「ならばここからは一気に行きましょう。はいやっ!」

マティは馬を思い切って走らせ、二人は林道を駆け抜けていった。


******


パルデモン山脈の奥、邪神教団の本拠地である暗き神殿。その奥にある豪華な部屋のソファに一人で座っているオズワルドは体の調子を確認するように両手を握っては開くのを繰り返していた。
(…体調に問題はない。ギルバート殿の言うとおりだな)

メディナもいなくなり、静まり返ったその部屋は終始無表情なオズワルドと相まって、どこか孤高な雰囲気さえ漂っていた。テーブルに置いたワインを一口飲んではソファに背を持たせる。

(それにしても本当に方だ、ギルバート殿は)
オズワルドの記憶が、ギルバートが連合軍の攻城兵器を全て破壊したあの日の夜へと遡っていく。

――――――

「乾杯だ、オズワルド」
「乾杯」
皇城のオズワルドの個室で大らかにソファに座ってるギルバートは、向かい側に座っているオズワルドと互いにグラスを挙げた。優雅にグラスを傾けるオズワルドに対し、ギルバートは豪快にワインを飲み干した。

「…ふぅ~~~っ!やっぱここはワインもビールも一級品だなっ、地球こっちのとは大違いだ」
「お気に召されて何よりです。これでも今回の働きへのお礼としては足りないぐらいですが」
「はんっ、泣けるねえ。まっ、てめぇは他の平和ボケとは違って最初から壊れてる面白い奴だからなぁ。そんなあんたと話しに興じるのも悪くねぇ」
オズワルドが自嘲するかのように軽く笑った。

「それにしても良い目をしてやがるなあんた。最初に出会った時はつまらねえ顔をしてたのによ」
飲みかけのワインを止めて目を瞬くオズワルド。
「そうだろうか。いや、貴殿がそう言うのならそうであるな。願いが叶える瞬間が近いと人は悦びを隠せなくなるというが、どうやら本当らしい」

「願い、ねぇ…」
鼻を鳴らしながらにやりと笑うギルバート。
「まさか天才とも呼ばれる奴の願いがあんなもんとはなぁ…。あんた、地球でも案外上手くやっていけるかもな」
「ふむ…良くは分からないが褒め言葉として受け取っておこう」
グラスを傾け、オズワルドは無表情なまま血のように赤いワインを眺めた。

「…しかし、運命とは皮肉なものだな」
唐突の一言にギルバートの手が止める。
「運命だぁ?」
「ああ。傍系とはいえ、私の家系は曲りなりにもゾルドを倒した勇者ダリウスの血筋だ。そんな家から教団に手を組む私が生まれた。これを運命といわずになんと言う」

「…つまり、あんたがここにいるのも運命のせいってことだと言いてぇのか?」
「そうだな。でなければそれほどあの願いに渇望することもないだろう。決定打は、ザナエルが私に目を付けたときだな。あの時は初めて運命の導きというものを感じたよ」

グラスをテーブルに置くギルバートの手はかすかに震えていた。
「…プッ、ククク…っ」
やがて我慢できずに、彼は腹を抱えて実に豪快に笑い出した。
「ぷはぁーはははははっ!ひゃはははははっ!」
「? 何かおかしいこと言ったかな?」

「あはははっ!そりゃあんた、今時に運命って…っ、ぶははははっ!ああいや、すまねぇ、ここだとありってか?平和ボケな世界らしいなぁっ!」
「その言い方、ギルバート殿の世界に運命という言葉はないと?」

笑い涙を拭うギルバート。
「あ~おかしい…。まあ時にはそれを口にする変わりもんはいるけどよ。他にそんなことを言う奴は宗教家を装って臓器を騙し取るサイコパスか、死にかけの新米兵士ぐらいだぜ?ていうか、あんた運命とかに反逆とか、不満の一口を浴びせるとか、そういうの考えたことはなかったのか?」
「不満?運命に?」
オズワルドの声は困惑に満ちていた。

「当たり前だろうが。運命あいつに自分の人生を操られてんだぜ?俺だったら何様のつもりだと真っ先にぶっ殺していただろうよ。ちなみに聞くが、例えば俺がここであんたと話しているのも運命ってぇ奴になるのか?」
オズワルドは持ち前の因果カルマ学への見識で逡巡した。
「…いや、異世界人である貴方となら、これは恐らく…いえ、間違いなく偶然でしょう」

苦笑して肩を竦める。
「だろ?つまり運命じゃ掌握できねぇことも普通あるってことだ。そんな奴らに自分の人生を任せるとは、ほんと愉快な奴だなてめぇらは」
オズワルドは答えずに黙した。長い沈黙だった。

「ああ~いや、やっぱ今の話は忘れてくれ。これからの本番であんたが『願い』をかなえた時にどんな目をするのか、実は結構期待してるからなあ」
ヘラヘラと手を振りながらワインを飲み干すギルバート。

「…いえ、実に興味深い話です。良く考えたらさっきのことは今まで誰にも語ったこともないのに、何故か君にはつい話してしまいましたね。これもまた、私達の運命に属さない異世界人ゆえでしょうか」
「さあね。どっちでもいいじゃねえか?それが運命かどうなのかは、結局てめぇで決めることだからな」
呑気にグラスを遊ぶギルバートに、オズワルドは興味深そうな眼差しを向ける。

「せっかくです。よろしければもう少し、君の世界のことを教えてはくれないか」
「いいぜ。変わりにワインもう一杯お代わりしてくれるか?ボトルそのままでも構わねぇ」
「勿論です」

――――――

あの日と同じワインが注がれたグラスを飲み干すと、オズワルドはただ静かにソファに背を持たせ、ボトルにある残りのワインを見つめ続けた。


******


空に浮ぶ封印の水晶の鳴動音にロウソクさえも揺れると感じられる、暗黒の祭壇。慟哭にも悲鳴にも似た音と共に震える邪神剣を手にしたザナエルの、表情を計り知れないはずのその仮面は、ロウソクの明かりで歓喜さえ感じられるような錯覚をもたらす。

「時が迫ってきておるな。などの準備は万全かエリク。…エリク?」
「――っ、はい、特に問題はありません。レギオンレイスの作業もまもなく完了します」
「どうした、なに呆然としていた?何か気になることがあるのか?」
「…その、聖剣ヘリオスの件について考えてました。まだ追跡は続いてるようですが、それもラナたちのところに渡っては、色々面倒なのではないかと」

「ふっ、かまわん。確かに神器は脅威ではあるが、三つの塚は既に完成され、邪神剣の真なる覚醒の目処もついた。いまさら神器が揃っても遅い」
「それもそうですね」

祭壇が一際大きく鳴動した。封印の水晶が定期的に発する鼓動の音によって。
「ククク、ゾルド様もまどろみの中で見る混沌の世に興奮しておるな」
ザナエルは激情を抑えるかのように邪神剣を地面に突き刺した。
「あと少しだ、あと少しでゾルド様は復活し、この世は感情の混沌に包まれる。罪人は悉く許され、我らの楽園が降臨するぞ…っ。ンははははははははっ!」

そんなザナエルを、エリクは跪いたままただ黙然と見据えていた。


******


太陽が沈み始めた頃、帝都ダリウスの近郊にある三国駐屯地では、火が星々のように次々と付けられ、兵士達は明日の出陣に向けた準備と休息を交代制で行っている。帝都の町は未だ随所に修復工事が行われているにもかかわらず、人々は活気に溢れ、常に巫女達を称える祭状態になっていた。

そして、帝都の皇城にある皇族御用達のダンスホールは今、三国の諸侯らの殆どが集まっている。たとえこの世界の一大祭事である三女神生誕祭でも見られない程の盛大な光景だった。

三女神と三名の勇者の物語が描かれた天井のフレスコ画の下、あるものはテーブルに披露された美味やワインを楽しみながら歓談し、あるものは楽団が奏でる優美なメロディの中で、親睦を深めたい相手との舞踏ダンスに興じている。臨時開催だったため、用意された料理等はやや素朴に見えるが、それでも三国の諸侯や騎士達は千年以来、初めての大きな戦争が残した爪痕を少しでも癒すようにパーティーを楽しんでいた。

ルーネウス王であるロバルトは、侍女たちに介抱されながら出席しているヘリティア皇妃ヒルダ、そしてミーナとワインを飲み交わしていた。

「ヒルダ様、エイダーン皇帝のことは改めて悔やみを申し上げたい。彼とは互いに王になる以前からの長年の付き合いになるが、まさかあのような終わりを迎えるとは…」
「良いのですよ。うちの人はきっと貴方にそのような難しい顔をして欲しくないと思いますよ。ね、ミーナ殿」
「そうだな。エイダーンならばきっと、『なに情けない顔をしとるか、その様子なら、次の一騎打ちは俺の勝利間違い無しだな』とほざくに違いない」
「ははは、ミーナ殿の仰るとおりですな」
長い付き合いの旧友のように三人はまたグラスを互いに上げる。

「ミーナ殿にも改めて礼を申し上げなければな。ラナ殿やアイシャを導いてくれただけでなく、ずっと探し続けていたマリアーナ殿の子まで見つけるとは」
「封印管理者一族の一人として当然のことをしたまでだ。それにマリアーナの遺児の件は女神の采配あってのことだし、ここまでこれたのもカイやウィル達の助けあってこそだ。我一人で成し遂げた訳ではない」

「ミーナ殿らしいですな。…にしても、ウィル殿ですか。例の魔人の件がなければ、異世界から来たと言う話は実に信じがたいことですな」
ここで一旦、ミーナが俯きながら、ロバルトとヒルダに尋ねた。
「ロバルト、ヒルダ、そなたらはウィルとティア…エリーのことについてどう思っておる?」

ヒルダとロバルトが顔を軽くしかめた。
「不安がないといえば嘘になりますね。異世界の方自体が未曾有の事件なのに、それがまさか女神の魂の力を受け継いだ巫女と恋に落ちるだなんて」
「そうですな、神器の件も考えると、我らの思想に大きな波紋を起こすのは目に見える。セレンティアでの会議も実際そうだと聞いたが」

「うむ。また首脳会議を開いても良いぐらいの出来事だ。メアリーとアイーダの意見は聞いたが、そなたらの意見も伺いたい」
二人は暫く黙考した。やがてヒルダが穏やかに述べた。
わたくしはそれでも、二人の仲を支持します。ウィルフレッド殿が信用に値するのは、他でもないラナとアイシャ殿が認めている。女神の巫女が、何よりもティア本人が認める以上、それを異端だと誰が言えるのでしょうか」

ロバルトも力強く頷いた。
「そうだな。かのような愛情を認めてこそ、女神様を信奉する我らの精神に相応しい選択だ。二人のことを私も応援したいと思っておる」
「ええ、そのとおりです。…ミーナ殿はどう思いますか?ともに旅してきた貴女なら、二人のことを誰よりも見てきたのでしょう?」

一瞬、ザーフィアスの警告がミーナの頭を過ぎった。だがウィルフレッドの辛酸の記憶が、それを慰めるエリネの愛が、なによりも、二人の幸せそうな顔が、その不安を押し退け、彼女の決意を再度固めた。
「…私も、二人の仲に異論を申し出るつもりは毛頭ない。ただ、彼らには暫く私達のフォローが必要なのは間違いないな」

「そうですね。二人の道は間違いなく険しいものですから」
「亡きマリアーナ殿ためにも、私達で出来る限りの助力をしよう」
「うむ、感謝する、二人とも」
とんがり帽子のつばを深く被り、ミーナは礼を述べた。


******


エリネに当てられた皇城の臨時部屋で、既に着飾りを終えたシスティとルヴィアは、これからパーティに出場するエリネのおめかしをしていた。化粧台の鏡の前で座っているエリネの髪を最後に整えると、ルヴィアは満足そうに頷いた。

「…はい、これでできあがりですよエリー」
「ありがとうルヴィアさん、でも、何も貴女の手を煩わなくても…」
「いいのよ、せっかく従妹のおめがしができるチャンスなのに、侍女たちに任せるのは勿体無いわ」

優しく肩に手を置くルヴィアにエリネは少し照れる。
「えへへ、そうですね。私もまるでお姉ちゃんができた感じで嬉しいです」
「キュキュッ」
ルルが嬉しそうにエリネの膝に跳び移る。

「ああ、美しい…美しいですよエリー様っ!星の巫女として実に相応しい麗しさです!」
二人の傍で手伝ってたシスティがいつもの調子で感涙した。
「そ、そうかな。私、美しいとかそういうのあまり良く分からないけれど…」
「大丈夫、誰からどうみても綺麗な子に見えるわ。ウィル殿もきっと見とれること間違いなしね」

ウィルフレッドの名が出た途端、エリネは指を絡めては幸せそうな照れ顔を見せた。
「…ふふ、そうだといいなぁ…」
その様子にシスティは少し不満を感じながらも苦笑し、ルヴィアは微笑ましそうにエリネの髪を撫でた。

「エリーは本当に、ウィル殿のことが好きなのね」
「うんっ、大好きですっ。これからもずっとずっとウィルさんの傍にいて、一緒に色んなことできればと思うぐらい、大好きで…」
エリネの声が段々と小さくなり、ギュッと両手を握って黙り込む。

その理由を察するシスティ達。ルヴィアは励ますようにエリネの背中に手を置いた。
「きっとできるわ。たとえ諸侯らが何を言おうとも、私やシスティ、母上は必ず最後まで貴女のことを応援するから」
「ルヴィアさん…」

エリネの髪を優しく撫でるルヴィア。
「私は、貴女には幸せになってほしいの。マリアーナ伯母のためだけでなく、私のためにも」
「ルヴィアさん?」
彼女の声の表情に切ない感情が混じっていると気付くエリネだが、ドアを叩く声が思考を遮った。

「エリーちゃん?もう用意はできました?」
「あっ、アイシャさんっ。はいっ、もういけますよっ」
「それは良かった。私とジュリ兄様は先に会場の控え室に行くから、あとで会いましょうね」
「うんっ、また後でっ」

ドアの外には、二人の足音が離れていくのが聞こえていた。ルヴィアの表情に僅かに変化があったことをシスティだけが察し、彼女は何も言わなかった。
「それじゃ行きましょうエリー。主役が遅れてはパーティは本当の始まりにはならないからね。大丈夫、私とシスティがちゃんとフォローするからね」
「はい。ありがとう、ルヴィアさん、システィさん」


******


皇城でずっと生活してきた自室で、侍女たちに囲まれてはおめかしをしているラナ。それがほぼ終わったタイミングで、ドアからレクスの声が聞こえてきた。
「ラナ様、レクスですよ。僕をお呼びでしょうか?」
「ええ、どうぞ入って」

侍女が恭しく開けたドアから部屋の中へと入ると、レクスは化粧台に座るラナに思わず見とれた。パーティのために仕立てられたラナは、凛々しい騎士姿からうって変わって穏やかな雰囲気を醸し出していた。

優雅さを感じさせるドレスが美しい金髪に良く映え、太陽を象徴する赤いルビーがはめ込まれた皇女の冠が、元から持つ彼女の高貴さをより引き立てる。けれども騎士姿の気高さが消えた訳でもなく、正に上に立つものたる風貌を遺憾なく披露している。もはや何度目なのかわからないが、やはりラナは綺麗だとレクスは密かに思った。

「ご苦労様。もう下がって良いわ」
「かしこまりました」
侍女達が部屋から出ると、ドアを閉めたレクスは気を取り直してラナの方を向く。
「用意はできたようだねラナちゃん。ドレス姿、とっても似合うよ」
「ありがとう。このドレス結構気に入ってたから、処理されてなくて安心したわ」

「それはなによりだ。んで、僕に何か用事あるのかい?」
「ええ。レンくんには改めて礼を言いたかったの」
「お礼?」

「そうよ。帝都を取り戻し、私を無事に母上と合わせたことのね」
「…ああ。別に気にしなくてもいいんだよ。女神軍結成の時から…いや、初めて出会った時の約束だったからね、ラナちゃんが困った時は、僕が必ず助けるって」
「そうね。…最初からその約束を忘れなければ、もう少し綺麗に締められたのが残念極まりないけど」
少し意地悪そうな笑顔を見せるラナ。

「うぐぅ、それは本当に申し訳ないと思いまして…」
「ふふ、いいのよ。今となってはもう全然気にしてないわ。それだけにレンくんには心から感謝してるの。本当は覚悟してたんだもの、父上だけでなく、母上とももう会えないかも知れないと思ってたから」
「ラナちゃん…」

ゆるりとラナは立ち上がり、窓から街燈の明かりが煌く城下町を見下ろす。
「思えばレタ領でレンくんに会ってから遠く来たものね。あの時はいつここに戻れるのかも分からなかったけど、こうしてまた帝都の灯火を見ると感慨深く感じられるわ」
「センチになるにはまだ早いよラナちゃん。僕達にはまだ教団という最後の大敵が残っているのだから」

「…確かにそうね」
軽く苦笑するラナ。
「困ったわね、昔の私ならこれぐらいで感傷を感じることないはずないのに、いったい誰のせいでセンチになったのかしら?」
「う~む誰のせいだろうねぇ?」

二人は互いに軽く笑い出す。
「まあでも、ラナちゃんがお母さんと無事再会して安心したよ。そのために僕はここまでがんばってきたんだから」
頬を掻くレクス。
「これで少しでもラナちゃんが僕を見直してくれたら、がんばった甲斐――」

レクスの言葉が遮られた。自分の顔を両手で引き寄せたラナの唇が、彼の口を塞いだのだから。
「んぅっ!?」
時間が止まったと感じるぐらいの、長い口付けだった。艶やかな桜色の唇が、緩やかに、求めるかのように、愛でるかのように何度も彼の唇と離れては重なり、温もりを分け合った。

「んん…っ」
驚愕するレクスはただされるがままに棒立ちしていた。間近で伝わる仄かな香り、日差しを連想させる体温、そして、日頃触れえぬ気質をまとう彼女の、柔らかな唇の感触。その全てがレクスの思考を蕩けさせた。

止まった時間がようやく動いたかのように、ラナはゆっくりと離れ、いまだに唖然としてるレクスに不敵な笑みを見せる。
「…言ったでしょう。お礼というのは、ここぞという時にこそ意味があるって」
「あ…」

最後にドレスを整えて、ラナはドアの方へと移動する。
「先に控え室にいくわ。前みたいに遅刻しないようにね」
「え、あ、ラナちゃ…」
ようやく我に返ったレクスにラナが振り返る。

「――大好きよ、レンくん。あの時からずっと、ね」
今までの彼女から想像もつかない、愛嬌と喜びに満ちた笑顔だった。

ラナが離れて暫くの間、レクスは上の空でただそこで立ち尽くしていた。唇にまだかすかに残る彼女の唇の感触と、太陽のような笑顔が彼の頭から離れずにいた。
「………………、ははは」
ようやく動いたレクスは、まるで気恥ずかしさを紛らわすように頭を掻いて、ぎくしゃくと歩きながらドアに向かった。

「いやあ~、ラナちゃんにはやっぱかなわないや~…って!」
そして思い切って傍の棚に足をぶつかり、
「いたぁっ!」
棚から落ちた本に思いきって頭をぶつけた。

「いっっっっっつううぅぅぅ~~~~っ!」
襲い掛かる鋭い痛みにしばし苦悶し続けるレクスだった。



【続く】
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