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第十五章 星の巫女

星の巫女 第五節

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連合軍がルヴィアを先頭にエステラ王国の王都へと向かうなか、ラナとミーナは彼女と轡を並べて互いの情報を交換していた。
「やはりエステラ国内では教団の動きはあまり見られなかったのだな、ルヴィア」
「ええ。ミーナ殿もご存知のとおり、マリアーナ伯母の件以来、わが国は常に不穏な動きに目を光らせてました。それを警戒してか、教団の動きは殆どありませんでした。だからこそ先ほどの襲撃には驚くばかりです。あれほどの兵力が国内に潜んでいたのであれば、すぐに気付くはずなのに…」

ラナがフォローする。
「元々隠密行動に長けていたからでしょうね。秘密裏でわが国のオズワルドと内通するぐらいの輩ですから」
「であれば、後で城の騎士団にさっきの奴らの残党を掃討させるついでに怪しい場所をくまなく捜索させなければ」
「その方が良いでしょう。…にしても、いつも秘密裏で動いている彼らが軍勢を率いてくるということは…」
「彼らもいよいよ本格的に表立てて活動することになったということですね」

ミーナが頷いた。
「うむ。今度の集会の邪魔が目的なら暗殺の方が都合が良いはずだ。なのに身を晒すことをいとわずに軍を出すということは、いよいよ邪神復活が近いゆえか、或いはその進捗が遅れたゆえか…。巫女三名が集い、神器の一つも覚醒した今、決戦の時が近いのかもしれん」
ラナとルヴィアの顔に軽く緊張が走った。

「…それにしても、ラナ様たちには改めてお礼を述べなければいけませんね。貴方がたの助けがなければ、私達は間違いなく大損害を受けるところでしたから」
話題を変えたルヴィアにラナがふわりと微笑む。
「それもルヴィア様の見事な指揮と、勇者を覚醒に導いた女神様のご采配あればこそですよ。私はただ皆さまの助力を仰いだに過ぎません」
「ご謙遜を。…あと、あちらの方にも感謝しなければですね」

ルヴィアは、後ろでルルやエリネと一緒にいるウィルフレッドの方を見た。
「先ほどは彼の勇猛さに随分と助けられました。…それに、従妹エリーとも大層仲が良さそうですし」

ラナはミーナと目を合わせ、改めてルヴィアに話す。
「彼らについてですが、後でメアリー様と相談したいことがあります」
「ええ、構いませんよ。内容は大体察しが付きますけれど」

後方でエリネと同乗しているウィルフレッドは、彼女がどこか落ち着かないことに気付く。
「どうしたエリー?」
「ウィルさん。その、さっきから私達に視線が…」
「ああ…」「キュキュ…」
ルルと二人が苦笑して振り返ると、後ろからシスティが特にウィルフレッドに向けて、正にメラメラと目に『敵意』を燃え上がらせながら睨みついていた。

「きっとエリーのことを心配しているんだ。失踪したあるじの娘が無事に生きて、その傍に見知らぬ男がいるのを見れば誰だってそうなるさ」
「それはそうですけど…」
エリネは顔をシスティ、そして前のルヴィアに向いては、そのまま俯いた。
「…気になるんだな。彼女たちのことを」
頷くエリネ。

「システィさんもルヴィア様も、私の知らないお母さんとお父さんのこと一杯知ってるんだろうなあと。でも、お話は聞いてみたいけど、やっぱり少し緊張もするし、もう気持ちがごちゃごちゃでなにがなんだか分からなくて…」
「エリー…」

ウィルフレッドが片腕で優しく彼女を撫でて、そっと抱きしめた。
「大丈夫だ。前にも言っただろ、俺が一緒に受け止めるから」
「…うん」

彼の温もりを感じて幸せそうに微笑んで身を寄せた途端、今にも口から火を吹きそうなシスティが横に移動して砲火をウィルフレッドに向けた。
「こらぁっ!この変態野獣ロリコン野郎っ!その薄汚い手でティア様に触るなっ!」
「ロ、ロリコ…っ?」
「あ、その、システィさん。ウィルさんと私はその――」

「あっ!みんなあそこっ!」
レクスがタイミングを計ったかのように前方を指差した。森が開けた先の開いた草原には、騎士団のテントが多く立てられており、実に多様な旗がはためいていた。
「うひゃあ、これは凄い、まるで三国騎士団博覧会みたいだ」

ラナもまた満足そうにそれを見渡した。
「ルーネウスのカーライム女爵のカナリア騎士団。ヘリティア我が国の騎士ガナムの緑風騎士団に、エステラのウィミネ女史の鉄蔦騎士団…もうこんなに諸侯たちが集まってたのですね、ルヴィア様」
「ええ。教会国の大司祭様も含め、あと数名が明後日あたりで到着しますよ」

そしてキャンプ地のさらに向こうにあるものに、カイ達が感嘆の声を挙げた。
「うおっ、すげぇ…」
蔦が茂る城壁の向かい側に、建物の白と木々の緑が心地良いコントラストを織り成す美しい町並みがあった。その中央に立派な城と、そこから高く聳える白亜の塔。色鮮やかな花々が所々に茂る蔦に咲き誇り、塔から流れ落ちる滝が虹を作り出していた。

「めっちゃ綺麗だ…っ、あれがそうなのかアイシャ?」
「そうですよカイくん。あれがエステラ王国の王都、白亜の都セレンティア。そして女王メアリー様がおわす白塔城です」

ウィルフレッドもまた思わず溜息をするほど見とれていた。それはまさにアオトが見せたおとぎ話に出てくる、幻想の城のイメージがそのまま形を成したかのようなものだった。

エリネもまた、吹きすさぶ風が運んでくるマナを通してセレンティアの存在を感じた。
(あそこが…お母さんとお父さんが暮らしていた、城…)


******


連合軍を安置するようアランに任せ、エーデルテとシャフナスに挨拶して分かれると、ラナ達は白塔城内の接待室に案内される。ルヴィアとシスティが女王にラナ達のことを伝えるまでに待機するようになっていた。

レクスは窓からセレンティアの風景を見下ろしていた。晴れた青空が、下に広がる都の美しい白色をより魅力的に引き立てる。
「ひゅ~っ、この景色、ルーネウス王都ペレネでも顔負けだよねアイシャ様」
「そうですね。前に来た時はもう随分昔のことでしたけど、相変わらず美しい町並みでほっとします」

はしゃぐレクスとは対照的に、部屋のソファでウィルフレッドと一緒に座ているエリネは何度も茶杯を飲んでは置いて、なかなか落ち着かずにいた。そんな彼女をラナがなだめる。
「安心なさい、エリーちゃん。メアリー様はとても優しいお方よ。貴方のこともきっと良く接してくれるわ」

「あ、うん。ありがとうラナさん…えへへ、やっぱりどうしても緊張しちゃいますね、ちゃんと向き合うって決意したはずなのに…」
「それが普通な反応よ。あまり思い詰めないようにね」
「ラナ様のいうとおりだぜエリー。俺もついているからきっと大丈夫さ」
「うん、ありがとお兄ちゃん」
「キュッ」「ふふ、勿論ルルもね」

入り口の方で、ルヴィアとシスティが戻ってきた。
「皆様、お待たせしました。女王様が謁見の間でお待ちしておりますよ」
軽く身体が強張るエリネに、ウィルフレッドが優しくその手を握った。
「行こう、エリー。一緒に」
彼の暖かな声が、優しい手の感触が、エリネの緊張を和らげた。
「…うんっ」

「あの男またティア様に…っ」
「これシスティ、落ち着きなさい」
「でも、ルヴィア様…っ」
システィを押さえながら、手を繋いだまま立ち上がるエリネとウィルフレッドに、ルヴィアは微笑した。

――――――

謁見の間の門の前に、ルヴィア達に案内されるよう、ラナとアイシャ、ミーナが先頭に立ち、その後ろでエリネに添うような形でウィルフレッド、レクス、そしてルルを肩に乗せたカイが続いていた。時折自分に振り返ってはガルルと敵意をむき出すシスティにウィルフレッドが苦笑する。

やがてドアが開いていくと、爽やかな風が一行を迎えた。部屋の奥は都を見下ろせる開放的なテラス。天井の独特な設計により日差しが実に明るく心地良く部屋全体を照らす。その中心に座す玉座に、一人のエルフの大臣を従えながら、彼女が座っていた。

「はるばる遠路からようこそおいでになられました。ラナ様。巫女として超えてきた苦難の数々、さぞや辛いものではあったのでしょう」
落ち着きのある暖かな声。優しくありながら威厳も感じられる顔。

ラナとアイシャ達が前に出ては、それぞれの国のスタイルで一礼しては跪く。ウィルフレッドもそれに倣った。
「労いの言葉、心より嬉しく存じます。このラナ・ヘスティリオス・ヘリティア。メアリー様に今回の作戦をご協力して頂き、感謝の言葉もございません」
「アイシャ・フェルナンデス・ルーネウス。ラナ様と同じお気持ちでございます。平素よりわが父ロバルトが大変お世話になっております。メアリー様」
「ふふ、あいも変わらず堅いですねお二人さんとも。昔みたいにもう少し力を抜いても良いのですよ」

顔を上げたラナがフワリと微笑んだ。
「では、お言葉に甘えさせていただきますね。メアリー様」
立ち上がると、ミーナもまた珍しく嬉しそうな表情を浮かべた。
「久しいなメアリー。元気そうで何よりだ」
「ミーナ殿に置かれましても、ですよ。一緒に茶会したのは随分と昔のことなのに、変わらぬ貴女を見るとまるで昨日のことのように感じられます」

メアリーは今度は、アイシャの傍に、神弓を背負って立つカイを見た。
「勇者により神器が覚醒したとルヴィアから伺っていますけど、貴方がそうなのですか?」
「あっ、はいっ!」

カイは慌ててアイシャ仕込みのルーネウス式の礼をした。
「ブラン村のカイ・ジェリオと申します。メアリー女王にお会いできて、とても光栄に思いますっ」
ほほうとミーナやレクス達が密かに感心する。
(ふむ。まだ言葉がつたないが結構良い感じではあるな)
(なあに、これぐらいできれば社交入門には十分だよ)

「ふふ、とても誠実そうな子ですね。アイシャ様が神弓を託すのもなんとなく理解できます」
メアリーの言葉にアイシャとカイが思わず頬を赤くして俯いた。

「さて、ラナ様…、あの子が?」
メアリーの視線はラナ達とともに後ろの方に移った。それを感じたエリネに緊張が走る。ウィルフレッドの手が彼女の背中に添えられる。エリネはウィルフレッドと顔を向かい合い、決意を決するように頷くと、ラナとアイシャに案内されて前へとでた。

「さあ、エリーちゃん」
ラナに優しく励まされ、エリネは一人で毅然と前へと出て、メアリーに改めて一礼した。
「あの、初めまして、女王メアリー様」
暫く考えてから、続いた。
「私、本名はティアと呼ばれるそうですが、不躾ながら今はブラン村のエリネ・セインテールと名乗らせてください」

何か言おうとするシスティをルヴィアが引きとめ、メアリーは慈しむように微笑んだ。
「ええ、全然構わないですよ。…申し訳ないけど、もっと顔を良く見せてもいいかしら?」
「は、はいっ」

ぎくしゃくとメアリーに立ち寄るエリネの手と顔に、メアリーの手が触れてくる。それはとても優しいもので、思わず瞼を開けた。メアリーが目を潤わせながら溜息を漏らした。
「ああ…間違いないわ…。貴方の目、マリーとそっくり…本当に、よくぞ無事生き残れましたね」
「メアリー様…」

いたわるようにエリネの頬あたりを撫でるメアリー。
「貴方、目が見えないのね。昔からさぞ多くの辛酸を舐めてきたでしょう」
「ご心配なさらずに、メアリー様。確かに色々大変でしたけど、あそこにいるカイ兄ちゃんやレクスさん、それにシスターのお陰で、とても幸せに育てられましたから」

健やかに微笑むエリネにメアリーは優しく彼女の髪を撫でる。
「そう…これもまた女神様のお導きなのでしょうね…。マリーが教団に襲撃され、赤ん坊だった貴方が行方不明になったと知った時はどれほど絶望したか…。けれども、まさかこんなに健やかで強い子に育てられたなんて…。貴方を育てたシスターイリスには、ちゃんと礼をしておかなければ」

シスターの名前が語られたことに困惑するエリネ。
「え…シスターをご存知なのですか?」
「ええ。…どうぞ、お入りなさい」
メアリーが声をかける横の扉が開くと、カイとレクス、ウィルフレッドが驚愕した。

「なっ!シスターっ!?」「キュキュウッ!?」
「シスターイリスっ!?」
「シスター…っ!」
「お久しぶりね、カイ、レクス様、ウィルさん、そしてエリー」
「え、うそ…シスター…シスター!」

ウィルフレッド達がイリスのところへと駆け寄った。エリネとカイに至っては喜びのあまりに彼女に飛びつくほどだった。

「あははっ、シスター久しぶりだよっ!」「キュ~!」
「シスターぁ!会いたかったぁ!」
「ふふふ、私も会いたかったですよ」
お互い再会の抱擁を交わす三人。

「エリーとカイったら、暫く見ないうちにこんなに逞しくなって…。ルヴィア様から話を聞きましたよ。カイ、女神の勇者に選ばれたんですって?」
「あぁっ、そうなんだよシスター、自分も正直、今でも信じられないよ」
カイが照れながらアイシャの方を見て、アイシャもつられて恥ずかしそうにイリスに会釈する。

「ウィルさんもお久しぶりですね」
「はい。息災でなによりです、シスター」
「貴方にはちゃんと礼を言わないといけませんね。エリーとカイをずっと守ってくれてありがとうございます」
「そんな…当たり前のことをしたまでです」
出会った時と同じ優しい笑顔を浮かべると、イリスはエリネの方を向いた。

「エリー、よくここまでがんばってこられたわね。貴方のこと、ずっと黙っててごめんなさいね…」
「シスター…」
エリネの目に涙が浮ぶ。

「シスターイリスはね、数日前に私のところに着たのですよ」
エリネ達はメアリーの方を向いた。
「貴方達がブラン村を発って暫く、ラナ様が巫女の身分を明かしたと聞いたイリスは時が熟したと判断してここに来たの。貴方とマリーのことを私達に伝えるためにね」
「それじゃ、やっぱりシスターは私のお母さんに会ってたのね…」
「ええ。このことについては、メアリー様に最初から話してもらった方がいいわね」

メアリーが頷いた。
「ラナ様やミーナ殿たちも既に説明してたと思われますが、今から十六年前、身ごもった私の妹マリーは出産のために、夫のロイド卿と彼女の近衛騎士であるそちらのシスティとともに、ここから離れた離宮の館で暮らしてたのです。やがて生まれた子…つまり貴女が、聖痕のついた女神の巫女であると知った時、本当はすぐにでも白塔城で保護したかったけれど、まさか二日過ぎただけで教団が襲って来るなんて思いもよりませんでした。襲撃当日のことは、システィが説明した方がよろしいですね」

システィが前に出てメアリーに一礼すると、エリネに顔を向けた。
「はっ。…ティア様が生まれた日のことは、今でもありありと目に浮びます。あの時のマリアーナ様はティア様を見てどれほど喜ばれたか…。生まれたばかりのティア様はそれはもう正に女神の御使いの天使如き可愛さで、いや、寧ろ巫女様ですから女神そのもののように――」
コホンとルヴィアが興奮するシスティをインタラプトした。

「システィ。襲撃の話を」
「あ、はい、失礼しました…」
エリネやレクス達が苦笑するなか、システィは真顔になって続いた。
「…これは後で知ったことですが、離宮に仕えていたメイドの一人が、実は邪神教団の信者だったのです。星の巫女様であるティア様が生まれてすぐ情報管制されましたが、敵の動きが予想以上に早く、この白塔城へ移る前日の夜に襲撃は起こりました――」


******


館の外に騎士達の剣戟の声が伝わってくるが、それも一瞬で静寂となった。白塔城が手配した護衛は間に合わず、事前に連れてきた少数の騎士だけでは、教団の手練れの暗殺者に歯が立つ訳なかった。襲撃を察して急いで逃げようとするロイド達だが、館の出入り口は全て敵に塞がれてしまう。ロイドは、生まれたばかりのティアを抱えたマリアーナや残りの騎士とともに館の奥へと逃げ込み、部屋のドアを家具などで塞いで時間を稼ごうとした。

「早く!椅子でもなんでもいい!壁に使えるものは全部もってくるんだっ!」
ロイド達が部屋で使えるものすべてをドアに集めてバリケードとする。すぐ後ろに、マリアーナが泣き止まないティアを必死にあやしていた。
「大丈夫よティア、大丈夫だから…っ」

ズドンっ、とドアが大きく揺れた。黒い呪詛の炎が燃え上がってはバリケードを焼いていく。ティアが一層大きな泣き声を上げた。
「くそっ、魔法かっ!」
「ロイド様ぁっ!」
システィが部屋の反対側のドアから駆けつけた。

「地下倉庫の隠し通路はまだ使えます!早くこちらへっ!」
ズシンと二発目の魔法が打ち込まれる。ドアが破れ、バリケードの向こうに赤い単眼の模様が描かれたフードを被った教団精鋭兵の姿が見えた。他の騎士達がロイド達を守るように前に出る。
「ロイド様!ここは私達に任せて早く!」
「…すまないっ!」

マリアーナとティア、そしてシスティとともに、ロイドは反対側の出入り口を出て素早くドアを閉じると傍の棚を倒した。向こう側に三度目の魔法の音と、騎士達の叫び声が聞こえた。

小さな地下倉庫へシスティたち三人が駆け込むと、ロイドはすかさず鉄製のドアにロックをかけ、まわりの荷物を倒してドアを塞いだ。その途端、さっきのようにドアに魔法が打ち込まれて大きく震動する。
(早い…っ!これじゃ隠し通路に入ってもすぐに追いつかれるっ)

「マリアーナ様!ロイド様!こちらです!」
隠し通路へ通じる床の蓋を開けるシスティ。
「あなた…っ」「…っ」
意を決したロイドは、マリアーナをシスティのところへ連れていき、彼女の肩を力強く掴んだ。

「システィ、マリーとティアを連れて逃げるんだ。私はここで奴らを足止めするっ」
「そんなっ、ロイド様!」
「嫌ですっ、貴方をここに残していくなんて…っ!」

別れの予感に涙するマリアーナをロイドがそっと彼女の頬を手で包んだ。
「マリー、今はティアの身の安全が一番重要なんだ。巫女だからじゃない、この子は私達が長年祈っててようやく女神様から授かった、君と私の思いの結晶だから…っ」
「あなた…ロイドさん…っ」

ロイドは泣きじゃくるティアの額にそっと口付けを落とす。
「ティア…君の成長を見届けられなくてすまない…どうか健やかに育ててくれ」
そして同じぐらい涙を流すマリアーナに別れの口付けをした。
「…マリー、愛してる。どうかティアとともに生き延びてくれ」
「ロイドさん…っ、私も、ずっと大好き…っ」

ドアがまた震撼する。魔法ではなく火薬の類で、鉄製のドアがひび割れる。
「いけシスティ!マリーたちを守り通すんだっ!」
「はいっ!」「ロイドさんっ!」
涙を流しながら、システィはマリアーナを隠し通路へと引張っていった。ロイドは蓋を閉じ、周りの荷物を崩しては、正に破れようとするドアに剣を構えた。
「こいっ!邪神の手下ども!ここは一歩も通さんっ!」

――――――

システィとマリアーナは三日月が照らす森の中を駆けていた。遠方で館が爛々らんらんと燃え盛る。しかしマリアーナは決して振り返らずに懐のティアをあやしていた。いまティアにはシスティが急ごしらえで作った小範囲の音消しの結界護符を付けており、その泣き声は周りには響いていない。

システィが声をかける。
「マリアーナ様、どうかお気を確かに…」
「…大丈夫ですシスティ。あの人の…ロイドさんの犠牲を無駄にはしませんから…っ」
涙を拭って自分を奮い立たせるマリアーナにシスティは唇を噛み締める。
(マリー様、本当はお辛いはずなのに…、私が無力なばかりに…っ)

この時、前方から不穏な気配を感じたシスティが急停止する。
「システィっ?」
「しっ!伏せてくださいっ!」

草むらの中に隠れる二人の前方に、赤い単眼のフードを被った教団精鋭兵たちが捜索をしていた。
(こいつら、もうここまで追ってきて…っ)

マリアーナ達を捜索している教団兵たちのリーダー、教団屈指の暗殺者ザレが、ロイドの血を吸ったばかりの短剣を手に持ちながら、周りの闇を見透かすかのように見渡している。システィの背筋に思わず悪寒が走る。フードをかぶっていても、彼が只者ではないことは一目で分かった。
(まだこちらに気づいていないか。かくなる上は…っ)

「マリアーナ様、失礼します」
「システィ?」
「守護精霊オルテよ。その翡翠の御鏡に映る姿をわが身に――水鏡ルテーミネ
マリアーナの体を淡い光が包み、それがシスティに移ると、服も含めてマリアーナの姿へと変化した。

「私が囮になりますっ、そのうちにマリアーナ様はティア様を連れてお逃げくださいっ」
「でも…っ」
「ロイド様のご遺志を無駄にはしません。そうでしたよね」
マリアーナは腕の中で泣いてるティアを見て、唇をかみしめた。

「…必ず逃げ切って、システィ。あなたも子供のからずっと私を守ってきた、誰よりも大事な騎士でお友達ですからっ」
「はい…っ。このシスティ、必ずや生き残りますっ、大事な主でお友達であるマリー様のためにっ」
赤ん坊を包んでるような形に布を巻いては、マリアーナの姿に化けたシスティが走り出す。気づいた教団兵らが全員彼女を追いかけていく。

「システィ…っ」
マリアーナもまた、教団兵たちが全て去ったのを確認すると、反対側へと逃げ出した。

――――――

「はぁ…っ、はぁ…っ」
教団兵を引きつけて逃げるシスティは、時おり振り返っては追手の様子を確認する。
(そうだ…っ、そのまま追ってこい…っ!)
だが、ほどなくして教団兵たちがいきなり足を止めた。

(!?どうしたっ、なぜ追ってこないっ?)
木陰に隠れるシスティを暫く見つめると、ザレが指示を出すように手を振る。ほとんどの教団兵が来た方向へと戻っていく。
(なっ、あっちに行ってはだめだっ!まさか変装が見破られたっ!?そんなばかなっ!)

焦ったシスティは迷った。今すぐ飛び出して彼らを阻止するべきか、それとも逃げ続けるのか。迷ってるうちにザレが二本の短剣を構え、システィに突進する。
「うあっ!」
いきなりの出来事にシスティは思わず変装魔法を解き、剣で短剣を受け止めた。

「やはりな。必死に逃げる人にしては振り返り過ぎた」
「…っ!」
システィが次の動きをする前に、ザレの蹴りが彼女の足に入り「うあっ!」がくんと膝をついてしまうとさらにザレの膝蹴りが直撃した。

「ぐああっ!」
大きくのけぞって地面に転ぶシスティに止めを刺そうとザレが駆ける。
「おのれぇっ!」
剣を大振りに振り回すも、ザレの短剣捌きが容易くその軌道をそらし、槍のごとき重々しい蹴りが腹に直撃。
「がふっ!」

その一撃でシスティが大きく吹き飛ばされ、斜面の下へと転んでいった。
「あああぁぁ…っ!」

下で動かなくなったシスティを置いて、ザレはその場を離れていった。薄れゆく意識の中で、システィは主であり友でもあるマリアーナとその子の身を案じた。
「マ、マリー様…、ティア、さ、ま…――」
システィの意識が途絶えた。


【続く】



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