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第十四章 逆三角
逆三角 第一節
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夜空に輝く月が照らす、まばらな林に連合軍のキャンプがあった。多く立てられたテントの一つの中に置かれたベッドで、ウィルフレッドが上着を脱いで座っている。ルルが見守る中、エリネは彼に向って治癒を唱えていた。鍛え抜かれた彼の体を包む青の光がやがて徐々に消えていく。
「気分はどうですかウィルさん?」
ウィルフレッドは手を何度か握り、腕を動かす。
「ん、とてもいい感じだよ。痺れも感じられないし、今のところはまったく問題ない」
彼の笑顔にエリネも安心したように微笑む。
「それは良かったです。何かあったら必ずちゃんと教えてくださいね。…あんな苦しそうなウィルさんの声、もう聞きたくないから…」
「エリー…」
彼は思わずぐっと唇に力込む。
肉体崩壊がついに明らかな症状として発作した日から既に数日が経った。この間エリネはミーナが行う治療以外、暇があれば必ずこのように治癒をかけるようにしていた。効果のほどはまだ不明瞭だが、それでも自分を救う一心で魔法をかけ続けてきた彼女の気持ちを考えると、自決でケジメしようとする自分にただ恥じるばかりだ。
「…あっ、そうだ」
「どうしたエリー?」
陰鬱な雰囲気を変えるかのように、エリネはバックから異なる色の花の意匠が施されたペンダントを取り出した。
「これは、ミリィ達がくれた…」
「うん。双色蔦のペンダント。覚えてますかウィルさん、恋の応援のために送られるこの装飾は無事恋が成就したら、片方を相手の方に渡すって」
ドキンとウィルフレッドの胸が高鳴り、エリネも頬を赤く染めていく。
「ほら、私達…もう恋人同士になったのですから…。そのお祝いってことで」
エリネがペンダントをいじると、それぞれ違う色の花の意匠を持った二つのペンダントに綺麗に分かれた。そのうち一つを自分の手に持ち、もう一つをウィルフレッドに渡した。
「私が持ってるこれをウィルさんに渡しますから、ウィルさんのも私に渡してください。そうすれば双色蔦のおまじないは完了します。それじゃ――」
「あっ、待ってくれ、だったら俺の方から先に渡させてくれ。いつもエリーにフォローしてくれたから、そのお礼、にはならないかもしれないけど…」
申し訳なさそうな彼の声に小さく笑うエリネ。
「ウィルさんったら、別に気にしなくてもいいのに…でも嬉しいです。それじゃ、お言葉に甘えて…お先にどうぞっ」
いつでも良いとアピールするように正座する彼女に、彼は緊張しながらも小さく微笑んでは、ペンダントを大事そうに手に持って、彼女に告げた。
「エリー…。君のことが大好きだ。言葉の乏しい俺がいくら語っても、果たしてそれが伝わるか…だから代わりに、俺のありたっけの気持ちをこのペンダントに込めて君に贈ろう」
緊張でかすかに震えていると同時に熱い気持ちの篭った声だった。
「うんっ、ありがとうウィルさん。…そのまま私の首につけてください。そういう流れですから」
「ああ」
背中を見せるエリネに、そのサラリと美しい髪を通して双色蔦のペンダントをつけてあげると、幸せが顔からこぼれ出すかのように感じる満面の笑顔をエリネが見せた。
「えへへ、ありがとうウィルさん。嬉しいです…」
少し稚気の篭った、恋する少女らしい声をし、エリネは愛しくペンダントに触れた。ウィルフレッドの胸もまた、熱くなる。
「それじゃ私の番ですね」
ペンダントを祈るように手で包んでは、エリネは告げる。
「ウィルさん、大好きです。これからもずっと、ずっと傍にいて、色んなことを感じて生きたい…。私のありたっけの気持ちを篭ったこのペンダントを、どうか受取ってください」
振り返るウィルフレッドに、今度はエリネが彼にペンダントを付けた。
「ありがとう、エリー。本当に…」
「どういたしまして、ですよ」
彼女がつけてくれたペンダントを同じく愛らしく触れるウィルフレッド。チャリと、元々つけてたツバメの首飾りにも触れた。その声にエリネはすぐさま気付く。
「あ、そういえばウィルさん。アオトさんが残した首飾りもつけていますよね」
「ああ。でも大丈夫。長さは違うから、同時につけるのに丁度良いさ」
「それは良かったです」
エリネはそっと手を差し出し、ツバメの首飾りに触れる。
「私、アオトさんに感謝しないといけませんね。キースさんやサラさん、ヘンリーくんやダニーくん、そしてジェーンさんにも。だってあの人たちがウィルさんと一緒にいたから、いま私はこうしてウィルさんと出会って、一緒にいられることができたのですから…」
「そう、だな」
泣くのを必死に抑えては、エリネの小さな手に自分のを重ねた。エリネが頬を赤く染める。
「ぁ…」
「それ以上に、俺は君に感謝するよ、エリー。俺は本当はもう精神が崩壊し始めてもおかしくないはずだ。そうならなかったのも、ハルフェンに来てからずっと君が俺を癒してくれたからだと思う。安心してくれエリー、これからは決して無茶なんかしない。ジェーンやキース達がくれた時間を無駄にしないために。なによりも、もっと君と長くいられるように…」
「ウィルさん…」
二人は手を繋いだまま、顔を向かい合った。肉体崩壊という影がもたらす不安を、お互いの暖かな存在を確認することで溶かすように。たとえ目を閉じたままでも、向けられた顔から彼女の熱い気持ちが伝わり、たとえ見えなくとも、彼からの温かい視線を肌で感じられた。
「ちょっとウィルくん~、ミーナ殿がお呼びだよ~」
「うあっ!?」「ひゃあっ!?」「キュキュッ!?」
テントの外からのレクスの声に、二人は隅で休んでるルルとともに軽く跳ね上がった。
「あっ、エリーちゃんも中にいたの?ごめんごめん~、お邪魔しちゃったかな」
申し訳なさそうな声に、少しだけ意地悪さが篭ったトーンだった。
「い、いや、別にその…」
「ちょ、ちょっと治療をしてだだけですからっ、別にお邪魔とかそんなのではないですからっ」
「そう?まっ、そういうことにしとくよ。会議用のテントで待ってるから、用意できたら来てね」
足音が遠ざかっていくと、二人はバクバクと高鳴る胸を押さえて必死に落ち着こうとした。
「そ、それじゃそろそろ行こうか」
「う、うんっ、そうですよねっ。ほらルル」
「キュッ」
まだ少しギクシャクしながら、二人はいそいそと用意を始めた。
******
会議用の大きめなテントの中で、様々な薬草に囲まれているミーナ。その手には実に濃厚な緑色をし、ぶくぶくと怪しげな煙を立たせている液体の入ったコップがあり、彼女はそれを上半身を露にしたウィルフレッドに差し出した。
「ほれ、飲んでみろ。泥濘の沼のシゲシゲ藻と千年キノコ、ヒカリコゲムカデを煮込んだ霊薬だ。衰弱したマナを強化し、傷の自己回復を促す効果がある」
衛生の悪いストリートに住み慣れたウィルフレッドでさえも、それを受け取った瞬間に強く顔をしかめる。すぐ傍に座ってるエリネやルル、同じ部屋にいるラナ、カイ達も思わず鼻をつまんで距離を取る。それぐらい強烈な臭いだった。
「うぐぅっ。こ、これを全部飲むっていうのか…?」
「そのとおりだ。一滴残さずにな」
助けを求めるようにエリネやレクス達を見ても、苦笑しか返ってこなかった。
「え、ええと…ファイトですよウィルさんっ!」「キュ~~……」
「ま、まあその、あれだよウィルくん。良薬は口に苦しってね。ここは我慢して一気にいこう!」
「おぇ…っ、が、がんばれよ~兄貴~」
「ウィルくん…ちゃんと、見守ってますから…」
「…こほん、覚悟を決めなさいウィルくん」
もはや助けは望めないと知り、ウィルフレッドは意を決する。
(…ままよ!)
目を閉じ、それを一気に喉に流し込んだ。レクスとカイが思わず声をあげる。
「「い、いった~~~!」」
まるで数年間溜まった生ごみの上にさらに嘔吐物をかけて蒸し暑い環境下で熟成させたような味だった。かつて地球の変異ジャングルでサバイバルした時にすすった泥水でも、ここまでひどい味はしなかった。飲み干してから襲い掛かる味覚と臭覚の逆襲にウィルフレッドが思わず咳き込む。
「っ!ごほごほぉっ!」
「ウィルさんっ、よしよし…」
彼の背中をさするエリネを余所に、ミーナが声をかける。
「吐き出すでないぞ。エリー、治癒を」
「あ、はい」
ミーナの指示通りエリネが杖で治癒をかけ、ミーナも診査の為に杖を掲げる。淡い光がウィルフレッドを包む。
暫くしてエリネは魔法を止め、ミーナがウィルフレッドの診査を続けた。
「――ふぅ…」
やがて小さく溜息をして杖を下ろすと、アイシャはおずおずと尋ねた。
「どうでしたか先生?効果はありました?」
ミーナがアイシャに頭を横に振った。
「だめだ。他の霊薬と同じでまったく効果がない。やはりエリーの魔法以外の治療をウィルの身体はまったく受け付けないようだ」
「そんな…」
カイが悔しそうに拳を手のひらに打つ。
「くそっ、やっぱりだめかよっ。色んな薬を試したのに一つも効かないなんて…っ」
レクスも残念そうに軽く溜息する。
「仕方ないもんね…。ウィルくんの体はマナを発しないから、マナの促進を促す霊薬じゃ効き目がないだろうし」
「だからと言って、それで試すのをやめる訳にはいかないのだ」
一息つくよう小さく茶を一口すするミーナ。
「ウィルの身体を構成する…アニマ・ナノマシン、だったか。そしてその核となるアスティル・クリスタルは、我らにとって完全に未知なものだ。未知なものの性質を探るにはとにかく回数による試行錯誤が必要不可欠だからな」
「数撃てばいずれかは当たる、か。今はそれしかないよねラナ様」
「そうね。それに明日になればエステラ王国内に入るわ。薬草や霊草の知識や種類が三国で一番豊富なエステラなら、もっと色んな霊薬が試せるし、ちゃんとした場所での治療儀式もできるから、まだまだこれからよ」
ウィルフレッドの手をエリネは強く握りしめる。
「大丈夫ですよウィルさん、私達、きっと貴方を治してあげますから」
「みんな、エリー…。ありがとう、頼りにして――エリー?」
エリネと彼女の肩に乗っているルルが少し嫌そうな顔をして彼から遠さがる。
「どうしたんだエリー?その、俺、何か変なこと――」
「違うのウィルさん。その…………臭いです」「キュウウ~~~」
「あっ」
ウィルフレッドは気付いてなかった。舌まで濃い緑色になってる自分の口から未だとてつもない臭いを発していると。テント内にどっとラナ達の笑い声が響き、彼は恥ずかしそうに手で口を覆った。
「これは困ったわねウィルくん。口が臭いままじゃせっかくのいい男が台無しよ。はやく口を洗わないと」
「あははははっ、ラナ様のいうとおりだね。はい、ウィルくん」
レクスは予め用意した温かい飲み物の入ったコップを彼に渡した。
「マティ直伝のハーブ入りお茶だよ。どんな臭い口でもすぐにさっぱりなれること請け合いってね。紳士たるもの、いつも身だしなみを怠らずに、さ」
「あ、ああ、ありがとう」
軽くウィンクするレクスからコップを受け取り、それを一口含んで漱いで飲み込むウィルフレッド。ホッと小さく息を吐くと、その顔は小さく笑っていた。
「どうかしたウィルくん?」
「いや、さっきのレクスの言葉で、ついキースのことを思い出して…。なんとなく似てるんだなと」
「へ?僕が、あのキースさんに?」
レクスが実に意外そうに自分を指差す。
「あはははははっ、ナイナイナイ、こんなひょろひょろとしたインドア派な僕が、あんな逞しいキースさんに似てるわけないでしょ」
ヘラヘラ笑うレクスにカイがうんうんと頷く。
「だよなあ。あのキースさんと全然違って、レクス様っていつも間抜けた顔してるんだし」
「んぐぅっ、事実だけどそう改めて言うと僕でも傷つくよカイくぅん~~……」
ラナもふふんと冗談交じりに追撃を加える。
「カイくんの言うとおりね。それにキースさんの思慮深い言葉とは違って、レクスのはただの悪ふざけよ。彼と比べるだなんてキースさんが可哀想よ?」
「ラナ様までぇ…いいもんどーせ僕なんて貧相で間抜けな田舎領地のインドア領主ですよ~だ」
ひねくれるレクスにカイ達の笑い声が再びテント内で響くと、ウィルフレッドは少し照れそうに呟いた。
「やはり、家族っていいもんだな…。まるでジェーンやキース達と一緒にいた頃のようで…」
「ウィルさん…」
エリネはどこか嬉しそうに彼の手を握る。
「でも、今の俺にとっての家族は君達だ。一番大切なのは君なんだ。そのことを絶対に履き違えないから」
「うん…」
お互いの手を握りしめながら向き合う二人。
「こほん。あー…、申し訳ないがそういうのは後で二人っきりで存分にやってくれ」
その熱い空間にミーナの軽い咳が割り込む。
「えっ、あ、す、すみません…」「す、すまない…」
いつの間にか全員がニヤニヤと自分達を見てるのに気付き、顔が真っ赤に茹でる二人。
「あはは、いいっていいって、お陰でこっちも色んな意味で満腹できるんだからさ」
「ああっ、妹が尊敬する兄貴と一緒になれて俺もお得気分でめっちゃ嬉しいしぜっ」
「キュキュッ」
アイシャは意外とその熱気に当てられたように顔を小さく赤く染めていた。
(お、思った以上に自然と惚気るのですね、エリーちゃんとウィルくん…。私にはちょっと無理かも…)
ラナもまた同じように暖かく見守るも、少しだけその光景が切なく感じた。二人が付き合って間もなくなのに、こうも熱く距離を縮ませてるのは、その幸せがいつ肉体の崩壊ととも崩れ去るのが分からないからだと理解しているから。
「はいはい、からかうのはこれぐらいにして本題に戻るわよ」
ラナがパンパンと手を打つ。
「ウィルくんの体が完治するまではいくつか決め事を決めておかないと。まず、ウィルくんとエリーちゃんはこれから常に二人一組で行動すること。テントや部屋も可能な限り隣り合うように配置するわ」
ミーナが賛同する。
「確かに。前回みたいにいきなり肉体崩壊が発作するのか分からん。現在それを唯一抑えられるエリーが常に付き添うのが望ましいな。…もっとも、決まり事にしなくとも、暫くお主らが離れて行動するのはまずないと思うが」
意味ありげな彼女の笑みにウィルフレッドとエリネが再び真っ赤な顔を俯かせる。ラナは続いた。
「先生の言うとおりね。もう一つ付け加えると、これから例え変異体と遭遇しても、気軽に魔人化するのは禁止よ、ウィルくん」
「え」
「だって貴方の肉体崩壊、魔人化をすればするほど進むものよね?だったらこの前みたいにポンポンと魔人化するのは認められないわ」
「確かにそうだが…変異体の力がこの世界の人達にとって脅威的なのはラナも知ってるだろ?俺が手を出さないと被害が…」
「それは否定しないけど、シルビアみたいに私達の魔法で倒せる場合もあるわよね?ウィルくんからの情報である程度は対処できるかもしれないし、何よりも貴方、変異体よりも力を温存すべき相手がいるのよ」
「っ、ギル…」
「そう。変異体はともかく、同じ魔人であるギルバートと対峙できるのは、今ウィルくんしかいないし、貴方だって、彼とはちゃんと決着をつけておきたいでしょ?」
ギルバート達と一緒に過ごした地球での日々がウィルフレッドの脳内に過ぎり、拳に力が入る。
「…ああ、そうだな」
「だったらこれから魔人化は控えるようにしなさい。もう何度も言ってるでしょ、もっと私達に頼りなさいって。ウィルくんに及ばなくとも、私達だってそれなりに戦えるんだからね」
「そーそー、ラナ様の言うとおりだよ。それに邪神教団自体の相手は元から僕達がすべきなんだしね」
「ああっ、兄貴に色々と教えてもらったし、俺だってそう簡単にやられはしないさっ!」
「どうか私達に任せてください、ウィルくん。女神の巫女として、貴方にだけ重荷を背負わせませんからっ」
「そういうことだ。エリクみたいに一人でなんとかしようとする馬鹿な真似はするでないぞ」
もはや何度目かも分からずに、目頭を熱くしたウィルフレッドはただ礼を述べるかのように深々と頭を下げた。エリネもまた頬に嬉し涙を流して、彼の手の温もりを感じていた。
机の上に座るレクス。
「にしても、明日ようやっとエステラ王国内に入るんだよね。星の巫女の情報の確認に、女王様に助力を仰げればいよいよ帝都の奪還かあ。思えば長いようで短い行軍だったけど、これでもまだ半分までしか来てないんだよね」
カイが腕を組む。
「そうだよな…。今まで教団を放置するしかなかったけど、これでようやく反撃ができるってことだ。ちくしょ…邪神なんか復活させてたまるかってんだ」
「そのことについでだが、みんなに説明したいことがある」
アイシャ達の視線がミーナに集中する。
「ひょっとしたらこの前言っていた、邪神の復活手段の目処が立ったことですか、先生?」
「そうだ。メルベとハーゼン町の採掘場、ソラ町の妖魔事件、そして先日のカスパー町で、エリーが教団の奴らから聞いた情報…これらのピースから、ようやくその全体図が見えてきたんだ」
ウィルフレッドの手を握ったままエリネが尋ねる。
「それはいったいどんな方法なんですか…?やはり、あの二人が言ってた塚と関係あるのでしょうか?」
「そうだな。まずはこれら事件を一つ一つ振り返ってみよう。メルベとハーゼン町の採掘場では、主に子供達が集められて酷使されてたの、覚えているな?」
カイが頷く。
「ああ、胸糞悪いやり方だったぜまったく」
「次にソラ町。そこは変異した妖魔ライムが、夢や気質あるアーティスト達を呪殺して、その呪詛を帯びた美術品を集めていたな」
アイシャがギュッと手を胸元で握る。
「はい、カトーさんも危うくその餌食になるところでした」
「最後にカスパー町。ドッペルゲンガー亜種の変異体が、特に勇気あるもの達を好んでその恐怖を貪っていた…。一見関連ないように見えるが、実はこれら事件は、どれもあるものと相反する性質を現しているのだ」
「あるものと相反する性質…ですか?」
「うむ、被害者達を起点にして考えてみたまえ、答えがおのずと出てくるはずだ」
レクス達は暫く考え込んだ。
「なんなんだろ…採掘場は子供…ソラ町はアーティスト…パスカーは勇気ある者たち…」
「…あっ!」
エリネが何か思いついたように声を上げた。
「まさか…女神様…っ?これらの事件の性質、どれも三女神と相反しています…っ」
「うむ、正解だ」
ミーナは机に置いてある紙に何かを描きながら続けた。
「まずは子供達だが、子供は純粋なもので、女神スティーナが体現する性質に対応する。次に夢あるアーティスト達は、気質や芸術を体現する女神ルミアナの性質であり、勇気や誇りある人達は、女神エテルネの性質を現している。そしてそれぞれの町で、彼らは誰もが異なる手段で濃厚な呪いを残すようになっている。それから導き出す結論が…これだ」
ミーナが紙を掲げると、それは大きな円の中に三角形がはめ込まれたシンボルだった。だがそれは、ウィルフレッドがこの世界で見てきた三位一体のシンボルのような正三角形ではなく、逆さまな三角形となっていた。
「純真な子供の怖れや憎悪、かつて夢を抱いていたアーティスト達の虚無の心、そして勇気ある人達から生み出された恐怖…。三名の女神と真逆になるこの三つの性質を基点として構築された反女神の邪法、逆三角の陣だ」
「逆…」「三角…」
レクスやアイシャ達が軽く身が震える。恐らくウィルフレッドを除いて、女神の加護下にあるハルフェンの人なら誰もがそのシンボルと名前に魂的な怖れを抱くことになるだろう。
「この邪法自体が記されてる書物はビブリオン族の大図書館でも一冊だけ。しかも禁書扱いだが、妖魔まで扱うあのザナエルならこの邪法を知っててもおかしくはなかろう。一度この陣が完成したら、陣内における女神由来のものはその反性質により力を大きく削がれることになる」
少し顔をしかめるレクス。
「そうか…この陣の中なら、女神の封印の力もかなり落ちてしまうってことなんだね」
「うむ。あくまで予測だが、恐らく奴らはこの陣の中央に封印の水晶を置き、ザナエルが持っていた例の短剣で水晶を封印ごと砕くつもりだろう。そしてそれは恐らくやつらの本拠地がいるパルデモン山に行われるはず。かつて女神と邪神ゾルドの最後の戦いの地となれば、儀式的な要因としてもこれ以上ないほど合致するからな」
ラナも頷く。
「彼らがそこに本拠地を作るのもそれが理由だったのね。身も隠すことができて一石二鳥ってことかしら。…先生の見立てでは、その準備を教団はどこまで進めていると思いますか?」
「前にも言ったが、三女神の作った封印の力は絶大だ。それに応じて陣を構成するためのこの三つの点…恐らくこれが奴らのいう塚だと思うが、その力も規模もそれ相応のものでないとまず破れない。そこでだ、実はライムの事件の後、我は密かにロバルト王に手紙で警告を送ってたが、案の定、各地で採掘場やソラ町に類似した場所に事件などを確認できたようだ」
ウィルフレッドが続く。
「そこまで素材集めの場を広げているということは、ミーナの言うとおり相当の量が必要ということの裏返しにもなるな」
「そのとおり。そしてそれらの場所や事件はロバルトの方で既に解決されており、我らもこの道中で素材となる場所を知らずに潰してきたことになるから、ある程度奴らの進捗を遅らせることはできたはずだ」
カイが頷く。
「そっか。俺達の回り道も完全に無駄じゃなかったってことだなっ」
「うむ、だから彼奴らが陣を完成させるまでまだ時間の余裕はあると思う」
エリネが続いた。
「それでも進捗は完全に止まった訳ではないですから、やはりこちらも一日もはやく帝都を奪還して戦争を終わらせないと」
「エリーちゃんの言うとおりだね。そのためにも星の巫女、聖剣の行方をちゃんと確保しておかないと」
「ああっ、なんだか段々とやる気が沸いてきたぜ!今に見てろよ教団め…っ!」
カイ達が戦意高揚とガッツするなか、ミーナは改めて自分の描いた絵を見た。
(エリクらがやろうとしているのは間違いなくこの陣を完成させようとすることだ。これとあの短剣、そしてパルデモンという地の利で、いかに女神の封印でも破られる。…けれどなんだこの物言えぬ不安は…何か…大事な要素を見逃してるような…)
ミーナがちらりとウィルフレッドを見たが、すぐに軽く頭を振った。いまだにザーフィアスの警告の意味が分からずとも、自分はもう既に彼を助けると決心したんだ。いまさら実体も見えない疑問で、その決意を揺るがせるつもりはなかった。
ふとテントの外から、アランがトレイに茶杯を載せては入ってきた。
「みなさん、お茶をどうぞ」
「あっ、ありがとアラン殿。苦労をかけるよ、マティがいないから、こんなことまで任せることになって」
「どうか気になさらずにレクス殿。これぐらいのこと、エイダーン陛下に仕えた時から慣れてますからね」
杯を受け取って小さく啜るウィルフレッド。
「そういえばマティ、無事なのだろうか…。まがりなりにも敵の本拠地がいる場所だ。無事でいれればいいが…」
ふーふーとミーナが茶を吹く。
「なに、エル族といえばエルフ百氏族のなかでも五本指に入るぐらい狩りに長けた氏族だ。偵察もお手のものだから心配はいらぬだろう」
「そーそー、自慢じゃないけど、むかし父さんと一緒にスケールパンサー退治に行った時は、一人で何日も森の中で追跡してあいつを仕留めたんだよ。僕より何倍も頼れるから問題ないよ」
「あら、そのあたりの自覚はあるのねレクス殿」
カイとエリネも軽く笑い出す。
「あはは、ブラン村ではレクス様よりマティ様の方が領主らしいって言われるぐらいだからなあ」
「ふふ、だらしなさにかけてはお兄ちゃんと良い勝負とも言われるぐらいからね」
「ん、んなことねぇよっ!」
一同の笑い声の中で、レクスとアランは心で密かにマティを案じた。
(マティ…君なら問題ないと思うけど、無理はしないでよね…)
(マティ殿…どうかご無事で…)
【続く】
「気分はどうですかウィルさん?」
ウィルフレッドは手を何度か握り、腕を動かす。
「ん、とてもいい感じだよ。痺れも感じられないし、今のところはまったく問題ない」
彼の笑顔にエリネも安心したように微笑む。
「それは良かったです。何かあったら必ずちゃんと教えてくださいね。…あんな苦しそうなウィルさんの声、もう聞きたくないから…」
「エリー…」
彼は思わずぐっと唇に力込む。
肉体崩壊がついに明らかな症状として発作した日から既に数日が経った。この間エリネはミーナが行う治療以外、暇があれば必ずこのように治癒をかけるようにしていた。効果のほどはまだ不明瞭だが、それでも自分を救う一心で魔法をかけ続けてきた彼女の気持ちを考えると、自決でケジメしようとする自分にただ恥じるばかりだ。
「…あっ、そうだ」
「どうしたエリー?」
陰鬱な雰囲気を変えるかのように、エリネはバックから異なる色の花の意匠が施されたペンダントを取り出した。
「これは、ミリィ達がくれた…」
「うん。双色蔦のペンダント。覚えてますかウィルさん、恋の応援のために送られるこの装飾は無事恋が成就したら、片方を相手の方に渡すって」
ドキンとウィルフレッドの胸が高鳴り、エリネも頬を赤く染めていく。
「ほら、私達…もう恋人同士になったのですから…。そのお祝いってことで」
エリネがペンダントをいじると、それぞれ違う色の花の意匠を持った二つのペンダントに綺麗に分かれた。そのうち一つを自分の手に持ち、もう一つをウィルフレッドに渡した。
「私が持ってるこれをウィルさんに渡しますから、ウィルさんのも私に渡してください。そうすれば双色蔦のおまじないは完了します。それじゃ――」
「あっ、待ってくれ、だったら俺の方から先に渡させてくれ。いつもエリーにフォローしてくれたから、そのお礼、にはならないかもしれないけど…」
申し訳なさそうな彼の声に小さく笑うエリネ。
「ウィルさんったら、別に気にしなくてもいいのに…でも嬉しいです。それじゃ、お言葉に甘えて…お先にどうぞっ」
いつでも良いとアピールするように正座する彼女に、彼は緊張しながらも小さく微笑んでは、ペンダントを大事そうに手に持って、彼女に告げた。
「エリー…。君のことが大好きだ。言葉の乏しい俺がいくら語っても、果たしてそれが伝わるか…だから代わりに、俺のありたっけの気持ちをこのペンダントに込めて君に贈ろう」
緊張でかすかに震えていると同時に熱い気持ちの篭った声だった。
「うんっ、ありがとうウィルさん。…そのまま私の首につけてください。そういう流れですから」
「ああ」
背中を見せるエリネに、そのサラリと美しい髪を通して双色蔦のペンダントをつけてあげると、幸せが顔からこぼれ出すかのように感じる満面の笑顔をエリネが見せた。
「えへへ、ありがとうウィルさん。嬉しいです…」
少し稚気の篭った、恋する少女らしい声をし、エリネは愛しくペンダントに触れた。ウィルフレッドの胸もまた、熱くなる。
「それじゃ私の番ですね」
ペンダントを祈るように手で包んでは、エリネは告げる。
「ウィルさん、大好きです。これからもずっと、ずっと傍にいて、色んなことを感じて生きたい…。私のありたっけの気持ちを篭ったこのペンダントを、どうか受取ってください」
振り返るウィルフレッドに、今度はエリネが彼にペンダントを付けた。
「ありがとう、エリー。本当に…」
「どういたしまして、ですよ」
彼女がつけてくれたペンダントを同じく愛らしく触れるウィルフレッド。チャリと、元々つけてたツバメの首飾りにも触れた。その声にエリネはすぐさま気付く。
「あ、そういえばウィルさん。アオトさんが残した首飾りもつけていますよね」
「ああ。でも大丈夫。長さは違うから、同時につけるのに丁度良いさ」
「それは良かったです」
エリネはそっと手を差し出し、ツバメの首飾りに触れる。
「私、アオトさんに感謝しないといけませんね。キースさんやサラさん、ヘンリーくんやダニーくん、そしてジェーンさんにも。だってあの人たちがウィルさんと一緒にいたから、いま私はこうしてウィルさんと出会って、一緒にいられることができたのですから…」
「そう、だな」
泣くのを必死に抑えては、エリネの小さな手に自分のを重ねた。エリネが頬を赤く染める。
「ぁ…」
「それ以上に、俺は君に感謝するよ、エリー。俺は本当はもう精神が崩壊し始めてもおかしくないはずだ。そうならなかったのも、ハルフェンに来てからずっと君が俺を癒してくれたからだと思う。安心してくれエリー、これからは決して無茶なんかしない。ジェーンやキース達がくれた時間を無駄にしないために。なによりも、もっと君と長くいられるように…」
「ウィルさん…」
二人は手を繋いだまま、顔を向かい合った。肉体崩壊という影がもたらす不安を、お互いの暖かな存在を確認することで溶かすように。たとえ目を閉じたままでも、向けられた顔から彼女の熱い気持ちが伝わり、たとえ見えなくとも、彼からの温かい視線を肌で感じられた。
「ちょっとウィルくん~、ミーナ殿がお呼びだよ~」
「うあっ!?」「ひゃあっ!?」「キュキュッ!?」
テントの外からのレクスの声に、二人は隅で休んでるルルとともに軽く跳ね上がった。
「あっ、エリーちゃんも中にいたの?ごめんごめん~、お邪魔しちゃったかな」
申し訳なさそうな声に、少しだけ意地悪さが篭ったトーンだった。
「い、いや、別にその…」
「ちょ、ちょっと治療をしてだだけですからっ、別にお邪魔とかそんなのではないですからっ」
「そう?まっ、そういうことにしとくよ。会議用のテントで待ってるから、用意できたら来てね」
足音が遠ざかっていくと、二人はバクバクと高鳴る胸を押さえて必死に落ち着こうとした。
「そ、それじゃそろそろ行こうか」
「う、うんっ、そうですよねっ。ほらルル」
「キュッ」
まだ少しギクシャクしながら、二人はいそいそと用意を始めた。
******
会議用の大きめなテントの中で、様々な薬草に囲まれているミーナ。その手には実に濃厚な緑色をし、ぶくぶくと怪しげな煙を立たせている液体の入ったコップがあり、彼女はそれを上半身を露にしたウィルフレッドに差し出した。
「ほれ、飲んでみろ。泥濘の沼のシゲシゲ藻と千年キノコ、ヒカリコゲムカデを煮込んだ霊薬だ。衰弱したマナを強化し、傷の自己回復を促す効果がある」
衛生の悪いストリートに住み慣れたウィルフレッドでさえも、それを受け取った瞬間に強く顔をしかめる。すぐ傍に座ってるエリネやルル、同じ部屋にいるラナ、カイ達も思わず鼻をつまんで距離を取る。それぐらい強烈な臭いだった。
「うぐぅっ。こ、これを全部飲むっていうのか…?」
「そのとおりだ。一滴残さずにな」
助けを求めるようにエリネやレクス達を見ても、苦笑しか返ってこなかった。
「え、ええと…ファイトですよウィルさんっ!」「キュ~~……」
「ま、まあその、あれだよウィルくん。良薬は口に苦しってね。ここは我慢して一気にいこう!」
「おぇ…っ、が、がんばれよ~兄貴~」
「ウィルくん…ちゃんと、見守ってますから…」
「…こほん、覚悟を決めなさいウィルくん」
もはや助けは望めないと知り、ウィルフレッドは意を決する。
(…ままよ!)
目を閉じ、それを一気に喉に流し込んだ。レクスとカイが思わず声をあげる。
「「い、いった~~~!」」
まるで数年間溜まった生ごみの上にさらに嘔吐物をかけて蒸し暑い環境下で熟成させたような味だった。かつて地球の変異ジャングルでサバイバルした時にすすった泥水でも、ここまでひどい味はしなかった。飲み干してから襲い掛かる味覚と臭覚の逆襲にウィルフレッドが思わず咳き込む。
「っ!ごほごほぉっ!」
「ウィルさんっ、よしよし…」
彼の背中をさするエリネを余所に、ミーナが声をかける。
「吐き出すでないぞ。エリー、治癒を」
「あ、はい」
ミーナの指示通りエリネが杖で治癒をかけ、ミーナも診査の為に杖を掲げる。淡い光がウィルフレッドを包む。
暫くしてエリネは魔法を止め、ミーナがウィルフレッドの診査を続けた。
「――ふぅ…」
やがて小さく溜息をして杖を下ろすと、アイシャはおずおずと尋ねた。
「どうでしたか先生?効果はありました?」
ミーナがアイシャに頭を横に振った。
「だめだ。他の霊薬と同じでまったく効果がない。やはりエリーの魔法以外の治療をウィルの身体はまったく受け付けないようだ」
「そんな…」
カイが悔しそうに拳を手のひらに打つ。
「くそっ、やっぱりだめかよっ。色んな薬を試したのに一つも効かないなんて…っ」
レクスも残念そうに軽く溜息する。
「仕方ないもんね…。ウィルくんの体はマナを発しないから、マナの促進を促す霊薬じゃ効き目がないだろうし」
「だからと言って、それで試すのをやめる訳にはいかないのだ」
一息つくよう小さく茶を一口すするミーナ。
「ウィルの身体を構成する…アニマ・ナノマシン、だったか。そしてその核となるアスティル・クリスタルは、我らにとって完全に未知なものだ。未知なものの性質を探るにはとにかく回数による試行錯誤が必要不可欠だからな」
「数撃てばいずれかは当たる、か。今はそれしかないよねラナ様」
「そうね。それに明日になればエステラ王国内に入るわ。薬草や霊草の知識や種類が三国で一番豊富なエステラなら、もっと色んな霊薬が試せるし、ちゃんとした場所での治療儀式もできるから、まだまだこれからよ」
ウィルフレッドの手をエリネは強く握りしめる。
「大丈夫ですよウィルさん、私達、きっと貴方を治してあげますから」
「みんな、エリー…。ありがとう、頼りにして――エリー?」
エリネと彼女の肩に乗っているルルが少し嫌そうな顔をして彼から遠さがる。
「どうしたんだエリー?その、俺、何か変なこと――」
「違うのウィルさん。その…………臭いです」「キュウウ~~~」
「あっ」
ウィルフレッドは気付いてなかった。舌まで濃い緑色になってる自分の口から未だとてつもない臭いを発していると。テント内にどっとラナ達の笑い声が響き、彼は恥ずかしそうに手で口を覆った。
「これは困ったわねウィルくん。口が臭いままじゃせっかくのいい男が台無しよ。はやく口を洗わないと」
「あははははっ、ラナ様のいうとおりだね。はい、ウィルくん」
レクスは予め用意した温かい飲み物の入ったコップを彼に渡した。
「マティ直伝のハーブ入りお茶だよ。どんな臭い口でもすぐにさっぱりなれること請け合いってね。紳士たるもの、いつも身だしなみを怠らずに、さ」
「あ、ああ、ありがとう」
軽くウィンクするレクスからコップを受け取り、それを一口含んで漱いで飲み込むウィルフレッド。ホッと小さく息を吐くと、その顔は小さく笑っていた。
「どうかしたウィルくん?」
「いや、さっきのレクスの言葉で、ついキースのことを思い出して…。なんとなく似てるんだなと」
「へ?僕が、あのキースさんに?」
レクスが実に意外そうに自分を指差す。
「あはははははっ、ナイナイナイ、こんなひょろひょろとしたインドア派な僕が、あんな逞しいキースさんに似てるわけないでしょ」
ヘラヘラ笑うレクスにカイがうんうんと頷く。
「だよなあ。あのキースさんと全然違って、レクス様っていつも間抜けた顔してるんだし」
「んぐぅっ、事実だけどそう改めて言うと僕でも傷つくよカイくぅん~~……」
ラナもふふんと冗談交じりに追撃を加える。
「カイくんの言うとおりね。それにキースさんの思慮深い言葉とは違って、レクスのはただの悪ふざけよ。彼と比べるだなんてキースさんが可哀想よ?」
「ラナ様までぇ…いいもんどーせ僕なんて貧相で間抜けな田舎領地のインドア領主ですよ~だ」
ひねくれるレクスにカイ達の笑い声が再びテント内で響くと、ウィルフレッドは少し照れそうに呟いた。
「やはり、家族っていいもんだな…。まるでジェーンやキース達と一緒にいた頃のようで…」
「ウィルさん…」
エリネはどこか嬉しそうに彼の手を握る。
「でも、今の俺にとっての家族は君達だ。一番大切なのは君なんだ。そのことを絶対に履き違えないから」
「うん…」
お互いの手を握りしめながら向き合う二人。
「こほん。あー…、申し訳ないがそういうのは後で二人っきりで存分にやってくれ」
その熱い空間にミーナの軽い咳が割り込む。
「えっ、あ、す、すみません…」「す、すまない…」
いつの間にか全員がニヤニヤと自分達を見てるのに気付き、顔が真っ赤に茹でる二人。
「あはは、いいっていいって、お陰でこっちも色んな意味で満腹できるんだからさ」
「ああっ、妹が尊敬する兄貴と一緒になれて俺もお得気分でめっちゃ嬉しいしぜっ」
「キュキュッ」
アイシャは意外とその熱気に当てられたように顔を小さく赤く染めていた。
(お、思った以上に自然と惚気るのですね、エリーちゃんとウィルくん…。私にはちょっと無理かも…)
ラナもまた同じように暖かく見守るも、少しだけその光景が切なく感じた。二人が付き合って間もなくなのに、こうも熱く距離を縮ませてるのは、その幸せがいつ肉体の崩壊ととも崩れ去るのが分からないからだと理解しているから。
「はいはい、からかうのはこれぐらいにして本題に戻るわよ」
ラナがパンパンと手を打つ。
「ウィルくんの体が完治するまではいくつか決め事を決めておかないと。まず、ウィルくんとエリーちゃんはこれから常に二人一組で行動すること。テントや部屋も可能な限り隣り合うように配置するわ」
ミーナが賛同する。
「確かに。前回みたいにいきなり肉体崩壊が発作するのか分からん。現在それを唯一抑えられるエリーが常に付き添うのが望ましいな。…もっとも、決まり事にしなくとも、暫くお主らが離れて行動するのはまずないと思うが」
意味ありげな彼女の笑みにウィルフレッドとエリネが再び真っ赤な顔を俯かせる。ラナは続いた。
「先生の言うとおりね。もう一つ付け加えると、これから例え変異体と遭遇しても、気軽に魔人化するのは禁止よ、ウィルくん」
「え」
「だって貴方の肉体崩壊、魔人化をすればするほど進むものよね?だったらこの前みたいにポンポンと魔人化するのは認められないわ」
「確かにそうだが…変異体の力がこの世界の人達にとって脅威的なのはラナも知ってるだろ?俺が手を出さないと被害が…」
「それは否定しないけど、シルビアみたいに私達の魔法で倒せる場合もあるわよね?ウィルくんからの情報である程度は対処できるかもしれないし、何よりも貴方、変異体よりも力を温存すべき相手がいるのよ」
「っ、ギル…」
「そう。変異体はともかく、同じ魔人であるギルバートと対峙できるのは、今ウィルくんしかいないし、貴方だって、彼とはちゃんと決着をつけておきたいでしょ?」
ギルバート達と一緒に過ごした地球での日々がウィルフレッドの脳内に過ぎり、拳に力が入る。
「…ああ、そうだな」
「だったらこれから魔人化は控えるようにしなさい。もう何度も言ってるでしょ、もっと私達に頼りなさいって。ウィルくんに及ばなくとも、私達だってそれなりに戦えるんだからね」
「そーそー、ラナ様の言うとおりだよ。それに邪神教団自体の相手は元から僕達がすべきなんだしね」
「ああっ、兄貴に色々と教えてもらったし、俺だってそう簡単にやられはしないさっ!」
「どうか私達に任せてください、ウィルくん。女神の巫女として、貴方にだけ重荷を背負わせませんからっ」
「そういうことだ。エリクみたいに一人でなんとかしようとする馬鹿な真似はするでないぞ」
もはや何度目かも分からずに、目頭を熱くしたウィルフレッドはただ礼を述べるかのように深々と頭を下げた。エリネもまた頬に嬉し涙を流して、彼の手の温もりを感じていた。
机の上に座るレクス。
「にしても、明日ようやっとエステラ王国内に入るんだよね。星の巫女の情報の確認に、女王様に助力を仰げればいよいよ帝都の奪還かあ。思えば長いようで短い行軍だったけど、これでもまだ半分までしか来てないんだよね」
カイが腕を組む。
「そうだよな…。今まで教団を放置するしかなかったけど、これでようやく反撃ができるってことだ。ちくしょ…邪神なんか復活させてたまるかってんだ」
「そのことについでだが、みんなに説明したいことがある」
アイシャ達の視線がミーナに集中する。
「ひょっとしたらこの前言っていた、邪神の復活手段の目処が立ったことですか、先生?」
「そうだ。メルベとハーゼン町の採掘場、ソラ町の妖魔事件、そして先日のカスパー町で、エリーが教団の奴らから聞いた情報…これらのピースから、ようやくその全体図が見えてきたんだ」
ウィルフレッドの手を握ったままエリネが尋ねる。
「それはいったいどんな方法なんですか…?やはり、あの二人が言ってた塚と関係あるのでしょうか?」
「そうだな。まずはこれら事件を一つ一つ振り返ってみよう。メルベとハーゼン町の採掘場では、主に子供達が集められて酷使されてたの、覚えているな?」
カイが頷く。
「ああ、胸糞悪いやり方だったぜまったく」
「次にソラ町。そこは変異した妖魔ライムが、夢や気質あるアーティスト達を呪殺して、その呪詛を帯びた美術品を集めていたな」
アイシャがギュッと手を胸元で握る。
「はい、カトーさんも危うくその餌食になるところでした」
「最後にカスパー町。ドッペルゲンガー亜種の変異体が、特に勇気あるもの達を好んでその恐怖を貪っていた…。一見関連ないように見えるが、実はこれら事件は、どれもあるものと相反する性質を現しているのだ」
「あるものと相反する性質…ですか?」
「うむ、被害者達を起点にして考えてみたまえ、答えがおのずと出てくるはずだ」
レクス達は暫く考え込んだ。
「なんなんだろ…採掘場は子供…ソラ町はアーティスト…パスカーは勇気ある者たち…」
「…あっ!」
エリネが何か思いついたように声を上げた。
「まさか…女神様…っ?これらの事件の性質、どれも三女神と相反しています…っ」
「うむ、正解だ」
ミーナは机に置いてある紙に何かを描きながら続けた。
「まずは子供達だが、子供は純粋なもので、女神スティーナが体現する性質に対応する。次に夢あるアーティスト達は、気質や芸術を体現する女神ルミアナの性質であり、勇気や誇りある人達は、女神エテルネの性質を現している。そしてそれぞれの町で、彼らは誰もが異なる手段で濃厚な呪いを残すようになっている。それから導き出す結論が…これだ」
ミーナが紙を掲げると、それは大きな円の中に三角形がはめ込まれたシンボルだった。だがそれは、ウィルフレッドがこの世界で見てきた三位一体のシンボルのような正三角形ではなく、逆さまな三角形となっていた。
「純真な子供の怖れや憎悪、かつて夢を抱いていたアーティスト達の虚無の心、そして勇気ある人達から生み出された恐怖…。三名の女神と真逆になるこの三つの性質を基点として構築された反女神の邪法、逆三角の陣だ」
「逆…」「三角…」
レクスやアイシャ達が軽く身が震える。恐らくウィルフレッドを除いて、女神の加護下にあるハルフェンの人なら誰もがそのシンボルと名前に魂的な怖れを抱くことになるだろう。
「この邪法自体が記されてる書物はビブリオン族の大図書館でも一冊だけ。しかも禁書扱いだが、妖魔まで扱うあのザナエルならこの邪法を知っててもおかしくはなかろう。一度この陣が完成したら、陣内における女神由来のものはその反性質により力を大きく削がれることになる」
少し顔をしかめるレクス。
「そうか…この陣の中なら、女神の封印の力もかなり落ちてしまうってことなんだね」
「うむ。あくまで予測だが、恐らく奴らはこの陣の中央に封印の水晶を置き、ザナエルが持っていた例の短剣で水晶を封印ごと砕くつもりだろう。そしてそれは恐らくやつらの本拠地がいるパルデモン山に行われるはず。かつて女神と邪神ゾルドの最後の戦いの地となれば、儀式的な要因としてもこれ以上ないほど合致するからな」
ラナも頷く。
「彼らがそこに本拠地を作るのもそれが理由だったのね。身も隠すことができて一石二鳥ってことかしら。…先生の見立てでは、その準備を教団はどこまで進めていると思いますか?」
「前にも言ったが、三女神の作った封印の力は絶大だ。それに応じて陣を構成するためのこの三つの点…恐らくこれが奴らのいう塚だと思うが、その力も規模もそれ相応のものでないとまず破れない。そこでだ、実はライムの事件の後、我は密かにロバルト王に手紙で警告を送ってたが、案の定、各地で採掘場やソラ町に類似した場所に事件などを確認できたようだ」
ウィルフレッドが続く。
「そこまで素材集めの場を広げているということは、ミーナの言うとおり相当の量が必要ということの裏返しにもなるな」
「そのとおり。そしてそれらの場所や事件はロバルトの方で既に解決されており、我らもこの道中で素材となる場所を知らずに潰してきたことになるから、ある程度奴らの進捗を遅らせることはできたはずだ」
カイが頷く。
「そっか。俺達の回り道も完全に無駄じゃなかったってことだなっ」
「うむ、だから彼奴らが陣を完成させるまでまだ時間の余裕はあると思う」
エリネが続いた。
「それでも進捗は完全に止まった訳ではないですから、やはりこちらも一日もはやく帝都を奪還して戦争を終わらせないと」
「エリーちゃんの言うとおりだね。そのためにも星の巫女、聖剣の行方をちゃんと確保しておかないと」
「ああっ、なんだか段々とやる気が沸いてきたぜ!今に見てろよ教団め…っ!」
カイ達が戦意高揚とガッツするなか、ミーナは改めて自分の描いた絵を見た。
(エリクらがやろうとしているのは間違いなくこの陣を完成させようとすることだ。これとあの短剣、そしてパルデモンという地の利で、いかに女神の封印でも破られる。…けれどなんだこの物言えぬ不安は…何か…大事な要素を見逃してるような…)
ミーナがちらりとウィルフレッドを見たが、すぐに軽く頭を振った。いまだにザーフィアスの警告の意味が分からずとも、自分はもう既に彼を助けると決心したんだ。いまさら実体も見えない疑問で、その決意を揺るがせるつもりはなかった。
ふとテントの外から、アランがトレイに茶杯を載せては入ってきた。
「みなさん、お茶をどうぞ」
「あっ、ありがとアラン殿。苦労をかけるよ、マティがいないから、こんなことまで任せることになって」
「どうか気になさらずにレクス殿。これぐらいのこと、エイダーン陛下に仕えた時から慣れてますからね」
杯を受け取って小さく啜るウィルフレッド。
「そういえばマティ、無事なのだろうか…。まがりなりにも敵の本拠地がいる場所だ。無事でいれればいいが…」
ふーふーとミーナが茶を吹く。
「なに、エル族といえばエルフ百氏族のなかでも五本指に入るぐらい狩りに長けた氏族だ。偵察もお手のものだから心配はいらぬだろう」
「そーそー、自慢じゃないけど、むかし父さんと一緒にスケールパンサー退治に行った時は、一人で何日も森の中で追跡してあいつを仕留めたんだよ。僕より何倍も頼れるから問題ないよ」
「あら、そのあたりの自覚はあるのねレクス殿」
カイとエリネも軽く笑い出す。
「あはは、ブラン村ではレクス様よりマティ様の方が領主らしいって言われるぐらいだからなあ」
「ふふ、だらしなさにかけてはお兄ちゃんと良い勝負とも言われるぐらいからね」
「ん、んなことねぇよっ!」
一同の笑い声の中で、レクスとアランは心で密かにマティを案じた。
(マティ…君なら問題ないと思うけど、無理はしないでよね…)
(マティ殿…どうかご無事で…)
【続く】
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