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第十三章 ウィルフレッド

ウィルフレッド 第十九節

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「こちらギル。聞こえるかウィル?」
ロドニーの豪邸から離れた小さな巷の中。降りしきる酸性雨の中でいまだ呆然と手に持ったサラのグローブを眺めながら、俺はギルの通信に答えた。

「…聞こえるよ、ギル」
「あんたら、ロドニーを逃がしたようだな。サラはどうした?呼んでも通信に出てこないんだが」
ギュッと手を強く握り、答えた。
「…サラは………サラは、死んだ…」

「……どうやって?」
ギルの声は、あまり意外そうではなかった。
「俺が…殺したんだ」
「なに?」
「サラの記憶が混乱して…俺は彼女を止めようとして……俺の剣が…サラを…っ」

ギルはすぐに返事せず、俺が掠れた声で延々とさっきの出来事を述べるのを聞いてくれた。
「…そうか。とにかく俺とアオトのところに合流しろ。ロドニーは俺達の方が確保した」
「え……」
「あいつの家から飛び出た飛行ビーグルをアオトが捉えてな。てっきりあんたらだと思ったら女達がロドニーと一緒に乗っているのを見て、運よく捕まえることができた。今セーフハウスに連れてくところだ、あんたもすぐに戻ってこい、以上」

通信が切られた。サラの件についてギルが問い質すことは以降もなかった。彼なりに、サラの期限が近かったことを察していたのだろうか。だからと言って、俺のサラへの罪悪感が軽くなる訳でもなかった。

「…っ、サラ…っ」
グローブの感触を感じ、自然とそれを手に着けていく。今までのサラと過ごした日々、そして彼女の最後の言葉を偲ばせながら、俺はセーフハウスへ向かった。


******


「――ブラッド」「ピエロ」
シティから少し離れたゴーストタウンエリアの廃屋のドアで合言葉を交わすと、アオトがドアを開けた。

「…遅かったね。ウィル」
アオトが無気力な声をかける。その顔は憔悴しきっていた。もっとも、今の自分も恐らく似たようなひどい顔をしているとは思う。中の隅で座ってるキースは言わずもなが、丈の合わない黒いコートを今でもかけながら、ブツブツと囁いてばかりだった。

「ギルは?」「俺ならこっちだ」
屋内で、ギルは椅子に縛られたロドニーの傍で立っていた。
「無事に帰ってきたんだな」
アオトがふらふらと隅の椅子に座ると、俺は改めてギルを見た。

「ギル…その、サラのことは――」
「言わなくていい。サラは時が来た、それだけのことだ。俺達が家族ファミリーとしてちゃんとあいつのことを覚えていればいいさ」
ギルの言葉に思わず拳を握りしめ、また湧き出そうとする涙を我慢した。

「今はこいつから情報を引き出すことに専念しとけ」
ギルが肩を叩くロドニーを見る。確保時に何かあったのか、服は泥まみれで、体に血がついていて、嗚咽してはぼそぼそと何かを囁いていた。
「う…うぅ…キャシー…っ」

彼のささやきを聴いてあることに気付く。
「…ギル」
「ん、どうした?」
「ロドニーは一人の女と子供を連れてたはずだが…彼女達は?」

ギルはすぐには答えなかった。傍で座ってるアオトが頭をより深く俯けるのを見て、すぐに悟った。惨めに嗚咽してロドニーがギルに向けて狂ったかのように叫ぶ。
「ああ…キャシー…キャシー!どうしてだ!あの子は何も関係ないじゃないかっ!どうしてキャシーをほっといてくれなかったガフっ!」
ギルの平手がロドニーを黙らせた。
「少しは黙ってろ」
「うっ、うぅ…っ!キャシー…っ!」

「ギル、あんた…まさかあの子を…っ」
「まっ、不幸の事故って奴だ。この野郎をビーグルから引き摺り下ろそうとしたら、あいつらが俺にしがみついて来てな。つい、手が動いてしまった」

さもいつもののことのように平然と語るギルに対し、初めて戦慄を感じた。手はかすかに震え、喉の奥が燃えるようにカラカラと感じた。
「なに、所詮はこいつの贅沢な暮らしで飼い馴らされたペットだ。そこまで気にするこたあない」

今まで抑え込んだ感情が頭で狂おしく暴れた。恐れに満ちたあの子の目。ロドニーにしがみつきながら泣き喚く声。俺達の戦いで巻き込まれた人々の悲鳴。周りから孤立され続ける孤独。いつか訪れるのかも分からない肉体崩壊への恐怖。それら全てが、サラを失ったばかりの喪失感と混ざり合い。爆発した。

「それよりもこれからどうするか考えないとな。こいつを餌にして――」
「嫌だ…」
「あぁ?」
「もう、こんなことするのは沢山だ…っ!」
「どういう意味だそれは?」
「『組織』を見返したいのなら、あんたらがやって行けばいい。俺はここから抜けてもらう…っ」

アオトがようやく驚愕した目でこちらに向いた。ギルは平然とした態度を崩さなかった。
「おいおいなに言ってんだウィル。ここを抜けるってチームからか?ずっと一緒に戦い抜いた俺達を捨てて?」
「ああ…っ、もうこれ以上、誰かが俺達のせいで死ぬのは見たくない…!」
「ぷっ、あはははははっ!」
まるで面白い冗談を聞いたかのような笑い方だった。

「そうかそうか。相変わらずのお人よしだな。まっ、いいんじゃねえの?抜けたいんなら抜ければいいさ」
「え…」
「一応聞いておくが、俺達から離れてあんたはこれからどうするつもりだ?ビリーの奴はそれでもあんたを追い続けるし、今の世の中で誰があんたを受け入れてくれる?他にいける場所があるとでも言うのか?今までの間、俺達五人でずっと探してきたのに?」
俺はすぐには言い返せなかった。

「ねえよな?当然だ。なぜならあんたにとっての家族ファミリーは俺達しかいねえんだ。戻れる場所はしかいねえんだ。そもそも、今の状態のキースを置いていけるのかあんたは?何の計画もなく抜けるとか言うのなら、そりゃ子供の駄々こねだぞ」

子供の駄々こね。実際その通りかもしれない。けれど俺はこれ以上、心の奥底から叫び続けていた声を、泣き続けている声を押し殺すことはできなかった。
「それがどうしたっていうんだ…っ、俺は残りの命をこんな…こんな虚しいことに費やすのはもうごめんだっ!」

「ウィル…っ!」
アオトの制止の声も、虚ろな目で呟くキースも、俺を鋭い目で見据えるギルの視線全てを無視して、振り返りもせずに外に走り出した。

「ギ、ギル…っ」
「ほっとけアオト。子供の反抗期のようなものだ。暫く頭を冷やせばすぐに戻ってくるさ」
「…ウィル……」

――――――

酸性雨に打たれながら、俺はなりふり構わずにゴーストタウンを必死に走った。
「うあっ!」
無様にもこけて水溜りに倒れ、起き上がると感情任せに地面を叩いた。
「…くそぁっ!」
亀裂が地面を走る。瓦解しかけるチームの関係を示すかのように。

廃棄ビルの壁に座り込んでは、思い切って泣き出した。
「どうしてだ…っ、どうして、こんなことに…っ」
それに答えてくれる人はどこにもない。容赦なく降り注ぐ酸性雨だけが、嗚咽の声を覆い続けた。


******


あれ以来、俺はギル達のところに戻ることはなかった。一人だけで『組織』や賞金稼ぎバウンティ・ハンター、企業らの目線から逃げながら、行く当てもなく各シティを転々と流浪の生活を送っていた。

「ふんっ!」「ぐぅっ!」
賞金稼ぎバウンティ・ハンターの、サイバネ化した右手から展開される高熱ブレードが、俺が咄嗟に拾った鉄棒を両断して頬を掠めた。切りつけの勢いで体を回転させ、さながら小さな刃の竜巻のように連続して叩き込まれるブレードを必死に躱し続けていた。ペイヤンシティの商業通り、その裏にある入り込んだ暗い巷に高熱ブレードが酸性雨を蒸発させながら赤い軌跡を刻んでくる。

「くそ…っ!」
肩から切られる覚悟をしてその懐に一気に潜り込んでは右手を受けきり、回転を堰き止めたかと思った途端、「終わりだっ!」その左手の掌のプラズマ弾機構が開く。
「ガアァっ!」
危機を感じて反射的に限定変異した。赤いサイバネアイを光らせながら、青い電光の走る手で発射口のある掌を掴み、力を流し込むっ。

ボゥンッ!
「ぐあぁぁっ!」
青いプラズマ炎が暴発し、その左手が粉砕される。

「クアァァッ!」
高ぶる力に乗って、そのまま彼の右手をも握りつぶし、地面が抉れるほどの力で足を踏み込んでは背中全体をぶつけた。

「かはぁぁっ!」
両手が粉砕されて高速球かのようにごみ袋の中へと吹き飛ばされる賞金稼ぎバウンティ・ハンターに一瞬に追いついては足でその体を押さえ、拳銃の弾を容赦なくその脳天へと撃ち込んだ。

パパパパンッ!

サイボーグ特有のオイルを流し、賞金稼ぎバウンティ・ハンターはこれ以上動くことはなかった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
上がった息をなんとか落ち着かせようとする。もっと早く限定変異していれば、こんなに時間はかからなかったのだが、寿命の件がそれを思いとどまらせていた。

パァンッ
「うっ!」

いきなり打ち込まれた銃弾をとっさに腕を上げて受け止める。
「いた…っ!異星人はこっちだ!こっちにいます!」
が発砲したばかりの銃をもっていた。数名の警官まで連れてきて。遠いところからは市警ビーグルのサイレンさえ聞こえる。俺は歯軋りしながら脱走するようひたすらに走った。

彼らの声が遠くなる。打ち込まれた弾丸が吐き出され、修復していく腕を抑えては、悔しさが胸をかきむしる。なんて無様な。ギャング達に脅迫されてたあの人の泣き声でつい手を出して助け、それが原因で賞金稼ぎバウンティ・ハンターにばれてしまうばかりか、助けた張本人にまで裏切られるだなんて。

(((なんで今でもそんなバカなことしてるんだよウィルっ!?僕達には賞金がかかってるんだよっ!?周りのみんな全部敵なんだよっ!?)))
(((今の世の中で誰があんたを受け入れてくれる?)))

今までの自分のしてきたことが愚かだと薄々思い始めた頃だった。他人を巻き込まないよう、ギルと喧嘩してまでしたのが滑稽でならなかった。
「くそっ…、くそぉっ!」
自分に憤りながら、追跡を振り切るように下水道へと降りていった。


******


重金属を含んだブリザードが吹きすさぶ北方シティ。立ち並ぶ工場の煙突の先で炎が燃え盛り、工場敷地の隙間にある小さな巷を、俺はフードで顔を隠しながら歩いていた。先ほど盗んだばかりの合成食料を口にし、凍え死んだホームレス達の死体を迂回しながら。

ガラクタで無数の小屋が建てられたスラムで、工業廃棄物を燃やして暖をとっているホームレス達は俺を一瞥するだけでまたうずくまる。ここでは無関心こそが長生きの秘訣だと知っているために。皮肉だがお陰で俺も、何もしなければ正体が暴かれてることはまずない。

無関心の人々。貧しい食べ物。厳しい寒さ。アルマとして餓死も凍死とも無縁であっても、忘れて久しい感覚が孤立された自分の心を締め付ける。かつてヘンリーとダニー達と一緒に凌いできた『住家』での生活。そして誰にも見返ってくれずに、ひたすら泣いていたあの雨の夜に戻ったかのような感じだった。

周りを確認し、スラムを通りぬいた無人の建物に入ると、俺は力が抜けたように座り込んでは、先ほど調達したばかりの小型モニターに電源を入れた。
「ピピ…先日のヘキサシティで起こった、ヘブンワールドショッピングモール襲撃事件は…例の異星人たちによる犯行だと確認され…ガピ…死傷者は300名以上にものぼり…」

ノイズが走るモニターに、ギル達による破壊活動のニュースが報じられる。彼らと別れて以来、ギル達と『組織』との戦いは過激していく一方で、この前は一つの発電施設がまるごと爆破され、数千人にも及ぶ死者が出ることになっていた。

最初はそのような報道を見るたびに心が痛んできたが、長い逃亡生活の中で、徐々にその感覚も麻痺していった。ギルと喧嘩してまで、このようなことに気をかける価値はあるのかという疑問が心を蝕む。ふと、アオトやキース達の顔が懐かしく思えた。

(…キース…っ)
例えギル達から離れても、彼らのことを忘れることは一度もなかった。最近のニュース映像で確認できるのがアオトとギルだけなのを見ると、キースはひょっとしたらもう亡くなってるのかもしれない。
(キース…すまない…すまない…っ!けれど俺はもう、これ以上戦うことは…っ)
ずっと俺やアオトの良き兄貴分だった彼の傍にいてやれないことに、思わず悔し涙を流した。

(アオト…前よりも参ってはいるのだろうか…ギル…あんたは本当に、このまま死ぬまで戦い続けるのか…?)
これ以上考えるのをやめた。事故とはいえ、サラを殺めてしまい、自分からギル達から離れた自分に、口を挟む資格なんてあるはずもない。

報道が終わり、モニターの電源を消すと、今度は傍受用の小型デバイスを取り出し、ここら一帯の無線ネットワーク信号を拾うように調整した。あとはAIが情報をろ過して再生してくれる。有線ハッキングは、サポートのない今ではあまりにリスクが高く、あくまで『組織』所属の下端会社から運よく何か情報を拾えればのものであり、これが意外にも追跡から逃れる助けとなる時もある。

デバイスから情報のノイズがザリザリと音となって発せられ、それはまるでネットの海に寄せて返す波の音のようだった。その音を聞きながら、俺は再び思いふける。

(これからどうする…?)
逃亡の間、ずっと自問してきた疑問が再び脳内に湧き出る。
(このまま逃げ回って、ただ死を待つだけで良いのか…?本当に…?)
それ以外に何がある?残り少ない人生を費やせる何かなんざ、自分には―――

(((逆に聞こう。君にとって人生の価値はなんだ?)))
「…っ」
なぜか、ミハイルの言葉が頭を過ぎった。

(((人生の価値を自分で決められる機会というのは、この時代ではある意味もっとも贅沢な権利だ。そして私は運よく自分にとって最高の価値に出会い、全力でそれを掴み取った。それが私にとって全てを賭けるのに値する、人生の価値そのものだから)))
(全てを賭けるのに値する…人生の価値…)

(((クソったれな戦争、クソったれな理由で命が失われる。それは全て搾取する裕福層のせいか?何事も関心を持たない民衆のせいか?)))
今度はキースの声が耳元に響く。

(((確かに一部、理由らしい理由が見つかるかもしれないが、そこからさらに深く突きつくと分かるのさ。それらは結局、単にそうなってしまっただけのことという結論にな。確かな理由の存在しないこのくそったれな世界なら、くそったれのように一生懸命生きるのも悪くないってことだ)))
「俺にとっての…人生の、価値……それを…一生懸命に…」

「…ザザ…ザピー…聞こえ…聞こえるでしょうか。ウィルさん」
デバイスからの声にバッと頭をあげた。
「ビリー…っ!」
「『組織』のエージェントであった貴方なら、この帯域を拾うようにしているでしょう。いまここ一帯で潜伏しているのは知っています。ウィルさん、この人の声を聞いてください」

「…げほっ…ウィル…っ」
向こうから響く弱々しい中年の男の声に思わず体が震えた。
「ニ、ニコライ、さん…!?」
間違いない、かなり弱っているようだが、それは紛れもなくニコライの声だった。クァッドフォース社時代で知り合い、子供を引き取る契約を交わした男だ。

「ウィル!これは罠―――」
ニコライの声が途切れる。
「貴方が時おり子供達を拾って他人に託すという情報は掴んでましたが、用心深く『組織』以外の手段でやりとりしてるから探すのに結構手間かかりました」
胸が強く締め付けられた気がした。ニコライが捕まったということは、彼の娘のエイミーや他の子どもたちも捕まってる可能性が高いからだ。

「チェルケシティのTHO-88地区にある1743-BS番の倉庫へ一人で来てください。一週間待ちます。―――聞こえるでしょうか。ウィルさん」
あらかじめ録音したメッセージが繰り返していく中、力が抜けていた体に熱が入り、思わず拳を握る。

さっきのニコライが本人かどうかは分からないが、彼が言う罠というのはまず間違いないだろう。けれど、もしニコライが本物だったら、エイミーや他の子達も捕まっているのだったら…。サラが亡くなった瞬間が心を揺さぶり、俺は立ち上がった。

正直、自分が何がしたいのかは未だに分からない。だけど、自分に関わる誰かが…、手が届くのに差し出さずに誰かが亡くなってしまうのは自分には耐えられない。そのことだけは俺にとって間違いなく真実だ。ましてやニコライ達のことは殆ど俺の責任でもあるのだから。

(チェルケシティ…ここからなら一日でつく…っ)
未だに荒れ狂うブリザードの中に、俺は走り出した。


【続く】
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