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第十二章 恐怖の町
恐怖の町 第十七節
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その夜は暫く混乱が続いた。最後にミリィとフレンの状態を確認すると、二人はエリネとウィルフレッドに礼を言って家族の元へと戻った。エリネ達も無事に宿へと戻ってカイやアイシャ達と再会の喜びを交わし、魔人化後の治療もあって二人は宿で休むことになった。カイやアイシャ達は、後で戻ったラナ達とともに地元の騎士団、警備隊たちの支援に向かった。
運よく難を逃れた領主パヴァルは連合軍の支援のもと、各地に起きる火災などの災害対処と、寄生体から解放された人々の処置に傾注した。ことの規模もあって完全とまではいかなくとも、ある程度落ち着きを取り戻すことが出来た。
今回の事件について、ラナはウィルフレッドのことを伏しながら教団の仕業であると領主に報告した。連合軍は引続き協力の為に明日もう一日滞在することを申し出て、パヴァルは感激とともに快諾したことになる。こうしてカスパー町を震撼した恐ろしい事件は幕を閉じた。
そんな事件が起きたのと同じ夜。溶岩と毒気に覆われた不毛地帯の奥深くに座す、邪神教団の本拠地となる神殿。過酷な環境とは裏腹に、見るからに歴史を感じさせる彫刻、壺などのアンティークや、趣のある家具によって飾られた接客室。そこにあるテーブルを挟んでソファに座っているギルバートとザナエルが、二人っきりで歓談をしていた。
「ほほぅ、ではその生体兵器とやらが、その『パラサイト』の大元になったと?」
「あぁ、面白れぇ話だろ?」
にやりと笑うギルバートの手に持った小瓶の中では、小さな寄生体の成体が触手を不気味にうねらせていた。しかしその動きはカスパー町で暴れていた成体とは違って、どこか弱弱しく感じられた。
「大手合成食品メーカーのアーダイン社が秘密裏に開発していた浸透殲滅型生体兵器『クロリディム』。こいつぁ生き物に寄生して繁殖していくタイプの奴だが、それを他の人を操る生物兵器と組み合わせて改良したのが変異体『パラサイト』よ」
まるで彼の話に反応するかのように、寄生体生体の触手が軽く瓶の壁を軽いた。
「そいつの繁殖力が実に馬鹿にならなくてなぁ。単体はそこまで脅威じゃねえが、数が揃えると実に厄介極まりない。まだ俺たちがアルマじゃねぇ時に遭遇した時はマジひやひやしたもんだ」
「だがそれもギルバート殿たちは無事乗り越えたのだろう?事件が起きたタウンの人と協力して」
「そうだな。けど結局、最後に生き残ったのは俺たちとタウンのガキ一人しかねぇし。生体兵器とアーダイン社を紐づけられる証拠も隠滅されてて、アオトはそれで嘆いてたな。その後はガキのお守りでウィルと忙しくなったんだが、まっ、似たようなコンセプトの奴なんざ地球じゃそうも珍しくもないし、気にする余裕もないからなぁ」
「素晴らしい…実に素晴らしいお話ですなギルバート殿」
感慨深げに語るザナエルだが、その視線の先が瓶の中の変異体に向けられてるのか、それもギルバートに向けられてるのかは、その仮面では推し量れなかった。
「あん?まあ確かにあんたが好きそうな話だよなぁ。実際戦争を起こしてるしよ」
「それもあるが、それ以上にそなたらが素晴らしいのだよギルバート殿」
「それってどういう――」
ザナエルの言葉の意味を察し、仰向けて笑い仕出すギルバート。
「あはははは!こりゃ傑作だっ!やっぱ俺の目に狂いはなかったなぁ!あんた、俺たちの世界でもうまくやっていけるぜっ」
「んククク、お褒めに預かり光栄だギルバート殿」
不気味な笑い声を仮面の下から発するザナエル。
「そなたには実に感謝しきれんよ。今までの働きだけでなく、かような素晴らしい世界を教えてくれたことに」
不思議にもそれは己の神ゾルドに向けての畏敬とはまた違った、どこか真摯さを感じる口調だった。
「我らよりも遥かに上回る人口と技術を持ちながら、紛争が絶えず、極限状態で藻掻く人々…。言葉で聞くだけでも震えがくるほど混沌に満ちた世界であるなぁ、地球とやらは。ハルフェンも、いつかはそなたらの様に鮮烈な世界になれれば…」
「そのためにあの邪神なんたらを復活させようとしてんだろ?こっちは結構期待してるんだぜ、そん時この平和ボケな世界がどうなっちまうのかをな」
「んククク、ギルバート殿にそう言われては、こちらもより奮発しなければなりませんなぁ」
仮面越しでも感じ取られるザナエルの笑みに、ギルバートもまた不敵に鼻を鳴らした。
『KYAAAAーーー!』
丁度その時、瓶の中の寄生体成体が悲鳴を上げては動かなくなり、やがて泡を立ちながら消滅した。
「ぬ?どうかされましたかな」
「ああ、寿命だよ。こいつら寄生体は本体から特殊な脳波を常時受信しているが、暫く脳波を受信しないと衰弱して死ぬようになってんだ。『クロリディム』の経験から『組織』がつけたリミッターみたいなもんだな」
「なるほど。それで世界全体に拡散する心配はないと仰ったのですな」
「そーいうこった」
空になった小瓶は後ろに捨てられ、パリンとあっけなく砕け散った。
(だがさっきの奴はもう少し持つと思ってたんだが…。まさかウィルあたりが本体を殺ったのか?距離的にショック脳波は届かないはずだが…そうだとしたら、相変わらず世話好きなこったなぁ)
どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、ギルバートはテーブルに置いていたワインボトルを一気に飲み干した。
******
翌日、夜と昼の境界線が徐々に空へと上がってくる頃。安寧を取り戻したカスパー町白猫亭のレクスの部屋にて。
「…んごぉーぉ…すぴぃいー…」
「こらっ、起きなさいっ!」
「んわあっ!?」
布団を勢い良く取り上げられるレクスが思いっきり床へと転げ落ちた。手を下したのは既に正装に着替え、部屋へと入ったラナだった。
「まったく、遅いと思ったらやっぱり寝坊してたのね。今日は早めに会議を開くこと忘れてたの?」
「いっつうう…。ラナちゃ…様」
彼女の後ろに、苦笑するミーナと笑いを堪えているアイシャが見えた。
「仕方ないでしょ…昨日あんな大事件があったんだし…夜遅くまで指揮してたからもうちょっと寝てても別にいいじゃん…」
「上に立つものは常にこういう状況に遭遇するものよ。早く顔を洗って着替えてきなさいっ」
「わ、分かったよったあ!尻はやめてっ!」
暫くして着替えたレクスは欠伸をしながら宿の休憩室に入る。女将の計らいによりラナが宿泊している間は彼女貸し切りとなっており、ラナは既にミーナ達とそこで待っていた。
「ふぁ~あ、ねっむ…。急いでるのは理解できるけどさ、だからと言ってこんなに早い時間で会議やらなくても…」
「それは我からの頼みだ。みなと相談したいことがあってな」
「相談?」
「今回の事件、変異体が出現した時点で教団が絡んでるのは確実だが、それだと当然一つの懸念が浮かんでくる」
まだぽりぽりと頭を掻くレクスだが、その目は真剣さが増していた。
「教団はこの混乱を利用して何をしたかった、でしょ。奴らがそれについて話してたのエリーちゃん言ってたもんねアイシャ様」
「ええ。確か塚、でしたよねラナちゃん。勇気あるもの達の恐怖心を集めて塚を作るって…」
「そうね。そしてそれを利用して邪神ゾルドを復活させるとも言ったわ。具体的にどうするのかは分からないけど――」
「正にそれについてだが…」
ミーナが一口お茶を飲んで喉を潤う。
「その手段の目処がついた」
――――――
宿のキッチンで皆の朝食を調理している女主人の傍に、軽やかな動きで何かを作ってるエリネの姿があった。
「本当にありがとうございます女将さん、朝の忙しいときにキッチンを借りて頂いて…」
「別にいいのよ。貴方はラナ殿下の大事な友人さんですし…、ふふ、大事な人のためのお菓子を作るっていうものだから、貸さない道理はないからね。私の若い頃を思い出すわぁ」
「え、えへへ…」
いじらしく頬を苺色に染めて俯くエリネ。彼女の後ろの机にはラナ達用の大きな苺タルトが既に一つ置かれている。そして彼女が今作っている、小さいけれど緻密に作られてるタルトの生地が、一つ。
「それじゃ私は先にこれと朝食を持ち出すから、エリネさんはじっくりとここを使って構わないですからね」
「はいっ」
女主人が既に完成した苺タルトを料理と一緒に持ち出すと、エリネは目の前のタルトつくりに専念する。
「ふんふふ~ん♪ 少女パレティよ~♪ 戦いに赴く~騎士への思いを~♪ 一きりのチョコに載せて~♪」
胸に溢れる気持ちを歌にしては、冷やしたばかりのカスタードをタルト生地に載せるエリネ。隠し味である少量のスカリアの実の粉をかけ、細心の注意を払って昨日ウィルフレッドが持ち帰った苺を載せ、その隙間にベリーなどを盛り付け、最後に小さなミントを沿えては特製のシロップを少しだけかけた。
「…できた…っ」
それはエリネが独自に開発し、今まで一度も他の人に食べさせたことのない、この世界唯一無二の特製苺タルトだった。
「名づけて、エリネスペシャルっ!…なんちゃって」
ファンファーレが聞こえそうにそれを得意げに高く掲げては、少し恥ずかしそうに降ろすエリネ。
この前カイの一言で作ると決めて以来、中々タイミングが見つからなかったが、今回を機にウィルフレッドのお礼として作った特製苺タルトだ。これを作るために、昨日あれほど大変な目に会っても、はやる気持ちを抑えきれないエリネは朝いち早く起きては、これの制作に取り掛かっていた。昨日のお礼を、ようやく確認できた自分の気持ちとともに伝えるために。
(ウィルさん…いつものように美味しいって言ってくれるのかな…嬉しく、思ってくれるのかなあ…)
自分のありったけの気持ちを込めたその手作りタルトを手に、エリネの顔が思わず綻ぶ。その頬は手に持った苺タルトの苺のように赤くて、その微笑みは特製シロップのように甘い幸せに溢れていた。
(((ありがとうエリー、凄く嬉しいよ)))
(((甘い…。こんな美味しいの初めてだ)))
ウィルフレッドの嬉しそうな声を想像するだけで、胸から心地良い熱が滲んでは全身にめぐり、口元が緩んでは気恥ずかしさに小さく体がくすぐったくなる。
ああ、恋という気持ちって、ただ一人誰かを好きになる気持ってこういうことなのかな。告白することへの緊張は、不安と期待がまるでさっき作ったカスタードのようにもったりと混ざっているけれど、思い人のことを考えるだけで満ち溢れる高揚感は、甘酸っぱい苺のように、かみしめば涙が流れるぐらい切なくて、温かくて…。
(ウィルさん…一緒にいたい…)
生まれて初めて感じる気持ちを込めた苺タルトを持って、エリネはキッチンを出る。
「ルルっ」
「キュッ」
キッチンの外で待っていたルルを肩に乗せ、軽いステップを踏みながら、思い人のウィルフレッドの元へと向かった。
******
「うぅ…っ、ぐうぅ…っ!」
宿の連絡通路を、ウィルフレッドは痛みではじけそうな頭を抑えながら必死に歩いていた。その息遣いは荒く、手は強く震えており、彼の視線は時折激しいノイズが走っていた。
(くそっ!昨日エリーに魔法をかけてもらったのに…っ!間隔が…短くなってるのか…っ?)
今にも倒れそうな足取りを強引に立たせ、呼吸をなんとか整えようとする。
(まだだ…っ、もし、ここで発作したら…っ)
大地の谷でギルバートと交わした会話を思い出す。
(その時は…っ、ケジメとして…っ)
何度も深呼吸する。そのような結果にならないように、心を、体を整える。けれど心に引っかかる恐れが、それを乱す。
「おはよう、ウィルさん」
バッと振り向く。そこには両手を後ろに隠しているエリネが立っていた。ルルは空気を読んで既に彼女の肩から降りて傍で二人を見守っていた。これからすることで頭がいっぱいなのか、彼の異変にはまだ気づいていない。
「エリー…っ」
「? ウィルさんどうかしました?何か声が…」
「…いや…なんでもない、まだ少し、疲れていて…」
彼女に悟られてはならない。ウィルフレッドは己の声を偽る。
「おはよう、エリー…食堂にいくのか?」
「ううん、私、ウィルさんを探してたの」
「俺を?」
ウィルフレッドの体がピクリと震える。
「あの…その…」
頬を朱に染め、いじらしく体をよじっては、ようやく背中のそれを前に出した。
「これを、ウィルさんに渡したいと思って…」
「…苺、タルト…?」
照れた笑顔で頷くエリネ。
「昨日、私を助けたお礼ということで。それと…それと…」
緊張で高鳴る胸を何とか押さえようとも、寧ろより早く鼓動しては言葉を喉に詰まらせる。ウィルフレッドもまた、薄々エリネが何を言おうかと察する。彼の体が、別の意味で震えだす。
「私も、なぜウィルさんにこんな感情を持つようになったのか、よく分かってはいませんけど…この暖かな気持ちは、間違いなく本物ですから…」
ダメだ。
「できればこのタルトとともに、私の、私の思いを、受け取ってくれたら、う、う、嬉しいかなって…」
ダメだ、言ってはダメだ。
「ウィルさん…私…わ、私…っ、ウィルさんのこと、す――」
「ダメだ…っ」
「えっ」「キュッ?」
エリネの体が凍りつく。
「ダメだ、俺はそれを…君の気持ちを受けいれてはいけない…っ」
心が二つに引き裂かれるような感覚に苛まれながらも、ウィルフレッドは拒絶した。
「ウィル、さん…っ」
エリネもまた、彼の声の表情の異常に気付く余裕がないほどに体が小さく震え、目に涙が溢れた。
「そ、そうですよね…、ウィルさん、優しいもん。私を助けたのも、当たり前のことで…」
違うっ。
「だらか昨日、ウィルさんはああ言ったんだもの…騎士さんの方が私に似合うって…私、その意味も読み取れないなんて…っ」
違う、そうじゃない!
「迷惑かけてごめんさない…っ!」「キュキュッ!」
涙をこらえてエリネが離れようとする。強烈な恐怖が、ウィルフレッドの心を襲った。
「エリーっ!!!」
ドンッ!と、エリネの行く先をウィルフレッドの手が壁に亀裂を作るほどの勢いで遮られた。
「きゃあっ!?」
「待ってくれエリーっ!違う…っ、そうじゃない、そうじゃないんだっ!」
「ウ、ウィル、さん?」
ここに来てようやく、ウィルフレッドの異常に気付くエリネ。異様に震える彼の体。異常なまでの過呼吸。そして、恐れに満ちた声の表情。
「ウィルさん大丈夫…っ?なんか様子が――」
「お、俺は…俺は…っ!」
突如、それは起こった。
「あっ、あがあぁぁぁっ!!!」
「ウィルさん!?」「キュキュ~ッ!?」
まるで強烈な痛みが全身を流れるように彼の体が極限まで強張り、のた打ち回り、暴れだしたウィルフレッド。
「ウィルさんっ!しっかりしてウィルさんっ!いきなりどうしたのっ!?」「キュキュキュ~~~っ!?」
「ガァァアアアァアッ!」
彼のために作った苺タルトが弾かれ、床に落ちて崩れた。
【第十二章 終わり 第十三章へ続く】
運よく難を逃れた領主パヴァルは連合軍の支援のもと、各地に起きる火災などの災害対処と、寄生体から解放された人々の処置に傾注した。ことの規模もあって完全とまではいかなくとも、ある程度落ち着きを取り戻すことが出来た。
今回の事件について、ラナはウィルフレッドのことを伏しながら教団の仕業であると領主に報告した。連合軍は引続き協力の為に明日もう一日滞在することを申し出て、パヴァルは感激とともに快諾したことになる。こうしてカスパー町を震撼した恐ろしい事件は幕を閉じた。
そんな事件が起きたのと同じ夜。溶岩と毒気に覆われた不毛地帯の奥深くに座す、邪神教団の本拠地となる神殿。過酷な環境とは裏腹に、見るからに歴史を感じさせる彫刻、壺などのアンティークや、趣のある家具によって飾られた接客室。そこにあるテーブルを挟んでソファに座っているギルバートとザナエルが、二人っきりで歓談をしていた。
「ほほぅ、ではその生体兵器とやらが、その『パラサイト』の大元になったと?」
「あぁ、面白れぇ話だろ?」
にやりと笑うギルバートの手に持った小瓶の中では、小さな寄生体の成体が触手を不気味にうねらせていた。しかしその動きはカスパー町で暴れていた成体とは違って、どこか弱弱しく感じられた。
「大手合成食品メーカーのアーダイン社が秘密裏に開発していた浸透殲滅型生体兵器『クロリディム』。こいつぁ生き物に寄生して繁殖していくタイプの奴だが、それを他の人を操る生物兵器と組み合わせて改良したのが変異体『パラサイト』よ」
まるで彼の話に反応するかのように、寄生体生体の触手が軽く瓶の壁を軽いた。
「そいつの繁殖力が実に馬鹿にならなくてなぁ。単体はそこまで脅威じゃねえが、数が揃えると実に厄介極まりない。まだ俺たちがアルマじゃねぇ時に遭遇した時はマジひやひやしたもんだ」
「だがそれもギルバート殿たちは無事乗り越えたのだろう?事件が起きたタウンの人と協力して」
「そうだな。けど結局、最後に生き残ったのは俺たちとタウンのガキ一人しかねぇし。生体兵器とアーダイン社を紐づけられる証拠も隠滅されてて、アオトはそれで嘆いてたな。その後はガキのお守りでウィルと忙しくなったんだが、まっ、似たようなコンセプトの奴なんざ地球じゃそうも珍しくもないし、気にする余裕もないからなぁ」
「素晴らしい…実に素晴らしいお話ですなギルバート殿」
感慨深げに語るザナエルだが、その視線の先が瓶の中の変異体に向けられてるのか、それもギルバートに向けられてるのかは、その仮面では推し量れなかった。
「あん?まあ確かにあんたが好きそうな話だよなぁ。実際戦争を起こしてるしよ」
「それもあるが、それ以上にそなたらが素晴らしいのだよギルバート殿」
「それってどういう――」
ザナエルの言葉の意味を察し、仰向けて笑い仕出すギルバート。
「あはははは!こりゃ傑作だっ!やっぱ俺の目に狂いはなかったなぁ!あんた、俺たちの世界でもうまくやっていけるぜっ」
「んククク、お褒めに預かり光栄だギルバート殿」
不気味な笑い声を仮面の下から発するザナエル。
「そなたには実に感謝しきれんよ。今までの働きだけでなく、かような素晴らしい世界を教えてくれたことに」
不思議にもそれは己の神ゾルドに向けての畏敬とはまた違った、どこか真摯さを感じる口調だった。
「我らよりも遥かに上回る人口と技術を持ちながら、紛争が絶えず、極限状態で藻掻く人々…。言葉で聞くだけでも震えがくるほど混沌に満ちた世界であるなぁ、地球とやらは。ハルフェンも、いつかはそなたらの様に鮮烈な世界になれれば…」
「そのためにあの邪神なんたらを復活させようとしてんだろ?こっちは結構期待してるんだぜ、そん時この平和ボケな世界がどうなっちまうのかをな」
「んククク、ギルバート殿にそう言われては、こちらもより奮発しなければなりませんなぁ」
仮面越しでも感じ取られるザナエルの笑みに、ギルバートもまた不敵に鼻を鳴らした。
『KYAAAAーーー!』
丁度その時、瓶の中の寄生体成体が悲鳴を上げては動かなくなり、やがて泡を立ちながら消滅した。
「ぬ?どうかされましたかな」
「ああ、寿命だよ。こいつら寄生体は本体から特殊な脳波を常時受信しているが、暫く脳波を受信しないと衰弱して死ぬようになってんだ。『クロリディム』の経験から『組織』がつけたリミッターみたいなもんだな」
「なるほど。それで世界全体に拡散する心配はないと仰ったのですな」
「そーいうこった」
空になった小瓶は後ろに捨てられ、パリンとあっけなく砕け散った。
(だがさっきの奴はもう少し持つと思ってたんだが…。まさかウィルあたりが本体を殺ったのか?距離的にショック脳波は届かないはずだが…そうだとしたら、相変わらず世話好きなこったなぁ)
どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、ギルバートはテーブルに置いていたワインボトルを一気に飲み干した。
******
翌日、夜と昼の境界線が徐々に空へと上がってくる頃。安寧を取り戻したカスパー町白猫亭のレクスの部屋にて。
「…んごぉーぉ…すぴぃいー…」
「こらっ、起きなさいっ!」
「んわあっ!?」
布団を勢い良く取り上げられるレクスが思いっきり床へと転げ落ちた。手を下したのは既に正装に着替え、部屋へと入ったラナだった。
「まったく、遅いと思ったらやっぱり寝坊してたのね。今日は早めに会議を開くこと忘れてたの?」
「いっつうう…。ラナちゃ…様」
彼女の後ろに、苦笑するミーナと笑いを堪えているアイシャが見えた。
「仕方ないでしょ…昨日あんな大事件があったんだし…夜遅くまで指揮してたからもうちょっと寝てても別にいいじゃん…」
「上に立つものは常にこういう状況に遭遇するものよ。早く顔を洗って着替えてきなさいっ」
「わ、分かったよったあ!尻はやめてっ!」
暫くして着替えたレクスは欠伸をしながら宿の休憩室に入る。女将の計らいによりラナが宿泊している間は彼女貸し切りとなっており、ラナは既にミーナ達とそこで待っていた。
「ふぁ~あ、ねっむ…。急いでるのは理解できるけどさ、だからと言ってこんなに早い時間で会議やらなくても…」
「それは我からの頼みだ。みなと相談したいことがあってな」
「相談?」
「今回の事件、変異体が出現した時点で教団が絡んでるのは確実だが、それだと当然一つの懸念が浮かんでくる」
まだぽりぽりと頭を掻くレクスだが、その目は真剣さが増していた。
「教団はこの混乱を利用して何をしたかった、でしょ。奴らがそれについて話してたのエリーちゃん言ってたもんねアイシャ様」
「ええ。確か塚、でしたよねラナちゃん。勇気あるもの達の恐怖心を集めて塚を作るって…」
「そうね。そしてそれを利用して邪神ゾルドを復活させるとも言ったわ。具体的にどうするのかは分からないけど――」
「正にそれについてだが…」
ミーナが一口お茶を飲んで喉を潤う。
「その手段の目処がついた」
――――――
宿のキッチンで皆の朝食を調理している女主人の傍に、軽やかな動きで何かを作ってるエリネの姿があった。
「本当にありがとうございます女将さん、朝の忙しいときにキッチンを借りて頂いて…」
「別にいいのよ。貴方はラナ殿下の大事な友人さんですし…、ふふ、大事な人のためのお菓子を作るっていうものだから、貸さない道理はないからね。私の若い頃を思い出すわぁ」
「え、えへへ…」
いじらしく頬を苺色に染めて俯くエリネ。彼女の後ろの机にはラナ達用の大きな苺タルトが既に一つ置かれている。そして彼女が今作っている、小さいけれど緻密に作られてるタルトの生地が、一つ。
「それじゃ私は先にこれと朝食を持ち出すから、エリネさんはじっくりとここを使って構わないですからね」
「はいっ」
女主人が既に完成した苺タルトを料理と一緒に持ち出すと、エリネは目の前のタルトつくりに専念する。
「ふんふふ~ん♪ 少女パレティよ~♪ 戦いに赴く~騎士への思いを~♪ 一きりのチョコに載せて~♪」
胸に溢れる気持ちを歌にしては、冷やしたばかりのカスタードをタルト生地に載せるエリネ。隠し味である少量のスカリアの実の粉をかけ、細心の注意を払って昨日ウィルフレッドが持ち帰った苺を載せ、その隙間にベリーなどを盛り付け、最後に小さなミントを沿えては特製のシロップを少しだけかけた。
「…できた…っ」
それはエリネが独自に開発し、今まで一度も他の人に食べさせたことのない、この世界唯一無二の特製苺タルトだった。
「名づけて、エリネスペシャルっ!…なんちゃって」
ファンファーレが聞こえそうにそれを得意げに高く掲げては、少し恥ずかしそうに降ろすエリネ。
この前カイの一言で作ると決めて以来、中々タイミングが見つからなかったが、今回を機にウィルフレッドのお礼として作った特製苺タルトだ。これを作るために、昨日あれほど大変な目に会っても、はやる気持ちを抑えきれないエリネは朝いち早く起きては、これの制作に取り掛かっていた。昨日のお礼を、ようやく確認できた自分の気持ちとともに伝えるために。
(ウィルさん…いつものように美味しいって言ってくれるのかな…嬉しく、思ってくれるのかなあ…)
自分のありったけの気持ちを込めたその手作りタルトを手に、エリネの顔が思わず綻ぶ。その頬は手に持った苺タルトの苺のように赤くて、その微笑みは特製シロップのように甘い幸せに溢れていた。
(((ありがとうエリー、凄く嬉しいよ)))
(((甘い…。こんな美味しいの初めてだ)))
ウィルフレッドの嬉しそうな声を想像するだけで、胸から心地良い熱が滲んでは全身にめぐり、口元が緩んでは気恥ずかしさに小さく体がくすぐったくなる。
ああ、恋という気持ちって、ただ一人誰かを好きになる気持ってこういうことなのかな。告白することへの緊張は、不安と期待がまるでさっき作ったカスタードのようにもったりと混ざっているけれど、思い人のことを考えるだけで満ち溢れる高揚感は、甘酸っぱい苺のように、かみしめば涙が流れるぐらい切なくて、温かくて…。
(ウィルさん…一緒にいたい…)
生まれて初めて感じる気持ちを込めた苺タルトを持って、エリネはキッチンを出る。
「ルルっ」
「キュッ」
キッチンの外で待っていたルルを肩に乗せ、軽いステップを踏みながら、思い人のウィルフレッドの元へと向かった。
******
「うぅ…っ、ぐうぅ…っ!」
宿の連絡通路を、ウィルフレッドは痛みではじけそうな頭を抑えながら必死に歩いていた。その息遣いは荒く、手は強く震えており、彼の視線は時折激しいノイズが走っていた。
(くそっ!昨日エリーに魔法をかけてもらったのに…っ!間隔が…短くなってるのか…っ?)
今にも倒れそうな足取りを強引に立たせ、呼吸をなんとか整えようとする。
(まだだ…っ、もし、ここで発作したら…っ)
大地の谷でギルバートと交わした会話を思い出す。
(その時は…っ、ケジメとして…っ)
何度も深呼吸する。そのような結果にならないように、心を、体を整える。けれど心に引っかかる恐れが、それを乱す。
「おはよう、ウィルさん」
バッと振り向く。そこには両手を後ろに隠しているエリネが立っていた。ルルは空気を読んで既に彼女の肩から降りて傍で二人を見守っていた。これからすることで頭がいっぱいなのか、彼の異変にはまだ気づいていない。
「エリー…っ」
「? ウィルさんどうかしました?何か声が…」
「…いや…なんでもない、まだ少し、疲れていて…」
彼女に悟られてはならない。ウィルフレッドは己の声を偽る。
「おはよう、エリー…食堂にいくのか?」
「ううん、私、ウィルさんを探してたの」
「俺を?」
ウィルフレッドの体がピクリと震える。
「あの…その…」
頬を朱に染め、いじらしく体をよじっては、ようやく背中のそれを前に出した。
「これを、ウィルさんに渡したいと思って…」
「…苺、タルト…?」
照れた笑顔で頷くエリネ。
「昨日、私を助けたお礼ということで。それと…それと…」
緊張で高鳴る胸を何とか押さえようとも、寧ろより早く鼓動しては言葉を喉に詰まらせる。ウィルフレッドもまた、薄々エリネが何を言おうかと察する。彼の体が、別の意味で震えだす。
「私も、なぜウィルさんにこんな感情を持つようになったのか、よく分かってはいませんけど…この暖かな気持ちは、間違いなく本物ですから…」
ダメだ。
「できればこのタルトとともに、私の、私の思いを、受け取ってくれたら、う、う、嬉しいかなって…」
ダメだ、言ってはダメだ。
「ウィルさん…私…わ、私…っ、ウィルさんのこと、す――」
「ダメだ…っ」
「えっ」「キュッ?」
エリネの体が凍りつく。
「ダメだ、俺はそれを…君の気持ちを受けいれてはいけない…っ」
心が二つに引き裂かれるような感覚に苛まれながらも、ウィルフレッドは拒絶した。
「ウィル、さん…っ」
エリネもまた、彼の声の表情の異常に気付く余裕がないほどに体が小さく震え、目に涙が溢れた。
「そ、そうですよね…、ウィルさん、優しいもん。私を助けたのも、当たり前のことで…」
違うっ。
「だらか昨日、ウィルさんはああ言ったんだもの…騎士さんの方が私に似合うって…私、その意味も読み取れないなんて…っ」
違う、そうじゃない!
「迷惑かけてごめんさない…っ!」「キュキュッ!」
涙をこらえてエリネが離れようとする。強烈な恐怖が、ウィルフレッドの心を襲った。
「エリーっ!!!」
ドンッ!と、エリネの行く先をウィルフレッドの手が壁に亀裂を作るほどの勢いで遮られた。
「きゃあっ!?」
「待ってくれエリーっ!違う…っ、そうじゃない、そうじゃないんだっ!」
「ウ、ウィル、さん?」
ここに来てようやく、ウィルフレッドの異常に気付くエリネ。異様に震える彼の体。異常なまでの過呼吸。そして、恐れに満ちた声の表情。
「ウィルさん大丈夫…っ?なんか様子が――」
「お、俺は…俺は…っ!」
突如、それは起こった。
「あっ、あがあぁぁぁっ!!!」
「ウィルさん!?」「キュキュ~ッ!?」
まるで強烈な痛みが全身を流れるように彼の体が極限まで強張り、のた打ち回り、暴れだしたウィルフレッド。
「ウィルさんっ!しっかりしてウィルさんっ!いきなりどうしたのっ!?」「キュキュキュ~~~っ!?」
「ガァァアアアァアッ!」
彼のために作った苺タルトが弾かれ、床に落ちて崩れた。
【第十二章 終わり 第十三章へ続く】
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公爵令嬢である私シルア・アリュシオンはアドラント王国第一王子クリストフと政略婚約していたが、私だけが精霊と会話をすることが出来るのを、あろうことか悪魔と話しているという言いがかりをつけられて婚約破棄される。
しかもクリストフはアイリスという女にデレデレしている。
王宮を追い出された私だったが、地水火風を司る四大精霊も私についてきてくれたので、精霊の力を借りた私は強力な魔法を使えるようになった。
そして隣国マナライト王国の王子アルツリヒトの招待を受けた。
一方、精霊の加護を失った王国には次々と災厄が訪れるのだった。
※「小説家になろう」「カクヨム」から転載
※3/8~ 改稿中
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
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マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
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16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
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そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
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外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。
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