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第十二章 恐怖の町
恐怖の町 第十六節
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少し前。遠目でドッペルゲンガー変異体がエリネを飲み込もうとするのを見て、全力で駆けてたウィルフレッドは絶望していた。今のままで疾走しては間に合わない。かといって魔人化して全力で飛んでは、あの距離、方向だと加速度による衝撃でエリネを傷つけてしまい、打ち所が悪ければ死ぬ可能性もあった。
それでもと一か八かと魔人化しようとしたその瞬間、見知らぬ少女が変異体に飛び掛り、数秒の隙を作った。そのお陰で彼は間に合った。エリネを失わずに済んだ。怯えながらも貴重な数秒の隙を作ってくれた少女の勇気を、彼は決して無駄にはしない!
『WrooOoo…!』
「ウィルさん!」
「エリー!その子を連れて下がれ!」
「はいっ!ミリィさんこっち!」
「あ、あぅぁ…っ」
ウィルフレッドが変異体を押しとどめてる隙に、エリネはウィルフレッドの姿に震えてるミリィを支えては後退する。
「キュ~!」
「ルル!」
エリネ達のところに跳びついたルルを彼女は抱きしめる。
「ありがとうルル!ウィルさんを連れてきたのね!」
「キュキュキュッ!」
「あっ、ああぁ…エリーさんっ、あ、あれ、か、怪物が…もう一匹…っ」
「大丈夫よミリィさんっ、あれは味方です!」
「み、みか…た…?」
「はいっ、この世界で誰よりも頼れる、私達の大事な仲間なんですっ!」
「カアァッ!」
『WROOooOOo!』
渾身の力でドッペルゲンガー変異体を弾くウィルフレッド。彼から離れた変異体は異常に緊張した動きを見せる。その全本能が警鐘を鳴らし、告げているのだ。目の前のウィルフレッドは、先ほどの人間の女性なぞよりも遥かに危険で、自分の命を脅かす恐ろしい存在なのだとっ!
『WruooOOAA!!!』
『『『KuiIIiIIi!』』』
ドッペルゲンガー変異体の黒き本体が肉体へと溶け込む。おぞましく不快な奇声を上げると、周りの寄生体成体が変異体へ飛びついては融合していき、残りの寄生体たちがウィルフレッドに襲い掛かる!
「おおお、結晶励起ッ!」
ブースト結晶が励起され、胸のアスティル・クリスタルが神秘なる音と青い輝きを放つ。ウィルフレッドの体に青い電光が走り、腕を突き出すと大気が歪み、空気の塊が寄生体たちを吹き飛ばしたっ。
『『『GiIIiiAAaaA!』』』
「クアアアアアッ!」
両腕を大きく振り回し、電光を帯びた突風がさらに集ってきた寄生体を全て吹き飛ばす。電光に焼かれ、壁などに衝突した寄生体らは気を失う。
『WrrOOOAAAA!!!』
寄生体成体をさらに融合させてよりグロテスクになったドッペルゲンガー変異体が、おびただしい数の触手を威嚇的に震わせ、ぐぱりと二つの口を開けながら背筋をも凍る奇声をあげるっ。
「ガアアァァァッ!!!」
双剣を生成し、ウィルフレッドが高揚する戦意とともに猛々しく吼え返すっ。
『RooOoAAAA…!』
それだけに変異体がすくみ、慄くっ。まるでウィルフレッドこそ己を凌駕する真の恐怖かのようにっ!
『WROAauUAAA!』
変異体が触手を振り回しながら飛び掛る!
「コーティングッ!」
ウィルフレッドに夜の闇を照らす小さな太陽のごとき青の閃光が爆ぜると、双剣に青き輝きが帯び、彼は迎撃する!
二閃とともに交差!紫色の光る血が飛散しては蒸発し、青の軌跡で触手を切断された変異体がその蛇の如き体躯とともにのた打ち回る。
『ROoAAAAA!』
「す…凄い…っ」
先ほどまで自分の恐怖の対象だった怪物を、さらなる恐怖がうちのめしていることに、ミリィは恐れよりも感嘆の声をあげた。
「そうでしょ、ウィルさんは絶対に、誰にも負けないんです!」
「オオオオッ!」
急回転して、ウィルフレッドは追撃を加えるようさらに飛び掛る。
『UrooOOo!!!』
それを迎撃するかのように変異体は残りの触手を構えた。ウィルフレッドが剣を振り下ろす極限の距離に、胴体の先端にある頭部から今まで最も濃厚な黒き靄が噴出され、ウィルフレッドの顔にかけられるっ。
「ぐあっ!?」
「ウィルさんっ!」
変異体とすれ違って着地するウィルフレッド。着地の勢いで一筋のえぐり跡が地面に削りあがる。
『RyoOOoOoO!』
それを隙に変異体が大きく触手を強張らせ、胴体や頭部にあるエラのような隙間から、その口から、光を通さない黒き霧をさらに噴射させ、周囲にばら撒くっ。
「「きゃああっ!」」「キュキュッ!」
振り撒かれた黒き霧はウィルフレッドと変異体を中心に、エリネ達もろともあたり一面を覆い、全て暗闇の中に包まれた。
「ぐっ!これは…っ!」
黒の靄をかけられ、ブスブスと煙を立てる顔を抑えるウィルフレッド。視覚センサーが乱れ始め、心なしか聴覚にも乱れがあるかのように感じた。
(ナノマシンによる分解がすぐに追いつかないかっ、なら…っ)
イダカと対峙した時のように直感で変異体の位置を探るよう意識を集中すると、突如体中に軽い痺れが走り、手が震え始めた。
(うっ、こんな時に…っ!)
『WroOOoOo!』
ドッペルゲンガー変異体の触手の一振りが、暗闇に紛れてウィルフレッドに叩きこまれる。
「があっ!」
「ウィルさんっ!?」
叩き込まれた方向に剣を振るうも空を振り、闇の中で変異体が周りをズルズルと這う音が四方八方から伝わる。さらに一撃が背中にっ「ぐぅ!」振り返る隙に右から「うあっ!」あらゆる方向から次から次へと攻撃が跳んでくる。
イダカとは違い、変異した肉体を得たドッペルゲンガー変異体の攻撃は確実にウィルフレッドにダメージを蓄積させてくる。いま体に走る痛みと相まって、彼は意識集中ができない。
「ウィルさん!ねえミリィさんっ、いまどうなってるのか見えますっ?」
「ケホケホッ!わ、わからないですっ、周りに黒い霧が覆って…っ、何も見えなくて…っ」
「霧ですって…?」
エリネは訝しむ。あの人は例え霧の中でも見通す力を持ってるはずなのに、それができないことは、この霧自体のせいか、或いは彼に何があったのか。
「ぐっ!くそっ…」
ウィルフレッドは思い切って全方位攻撃を出そうとするも、すぐ近くにエリネ達や気を失った町の人々もいて、それができずにいた。
『RooOOOoOo!』
「ウィルさん!右です!」「!」
エリネの声に、ウィルフレッドは右の方に向けて剣を振るう。青き一閃が黒霧のなかできらめき、襲い掛かる変異体の触手を切り落とすっ。
『RugYAaAooOOo!』
変異体は痛みで身を引き、位置を替えてはさらに仕掛ける。
「左前!やや上!」
「おおおっ!」
『KyAaAaaAoo!』
双剣の輝きが再び触手を捉え、変異体が悲鳴を上げるっ。
「後ろ!地面から!…今度は真上!」
続く変異体の攻撃方向をウィルフレッドに伝えるエリネ。彼女の体は先ほどのように淡く青く光っていた。
「エリーさん…っ?」
例え暗闇の中でも、黒霧に含まれるドッペルゲンガー変異体の幻惑魔素に惑わされず、彼女は声と直感ではっきりと認識することができた。その中で蠢く変異体の位置と動き、その全てを!
『KuRooOOo…!』
「えっ」
変異体が標的を変えた。先ほどから鬱陶しいほど傍から指示を出してくるエリネに。やはり彼女は真っ先に消すべきだったと思考電流を走らせ、ドッペルゲンガー変異体が全触手を彼女らに向けて放った!
『WruoOOoAAA!』
「「きゃあああぁぁっ!」」
鈍い声が黒霧の中で響き、変異体が驚愕するっ。
『GruoOoOo!?』
放った触手の全てが、両者の間に割り込んだウィルフレッドに絡まり、止められたっ。例え知覚が鈍くなっても、彼は決してエリネの声を聞き逃さない!
「エリーに…っ」
絡む触手を掴むその手は怒りに震え、一度変異体を自分に向けて強く引っ張っては、ウィルフレッドの人外の目が輝いたっ。
「触るなあぁあああっ!!!」
胸のアスティル・クリスタルが雄々しい吼え声に応じて輝き、位置を捉えた変異体めがけて飛び出すっ。双剣と体を回転させ、触手を細かに切り刻みながら、螺旋の弾丸と化したウィルフレッドが飛翔する!
『KYooOAAAaAA!』
ドッペルゲンガー変異体が恐怖するっ、自分に向けて放たれた死の弾丸に!変異体が逃げるよりも早く、アスティルエネルギーが強く注ぎ込まれた双剣が、回転の勢いに載せて変異体の口内へと突き刺し、剣先が胴体を貫いたっ。アスティル・クリスタルが全身に青き力をめぐらせ、ほとばしる電光とともにウィルフレッドは変異体を串刺しにしたまま、まるごと空へと持ち上げ、飛翔する!
「ウオオオォォオッ!!!」
『RoKYoOOoーーー!!!』
さながら猛禽に空へと捕らわれた蛇の如く激しくもがく変異体っ。ウィルフレッドのコーティングされた剣に焼かれながら、おぞましき魔の明かりを内包した変異魔素の塊、ドッペルゲンガー変異体の本体がその頭部からドロリと溶け出るっ。作り上げた肉体から脱出しようとしているのだ。だが!
「させん…っ!」
『KiYOoOooO!?』
ウィルフレッドの胸から発する青の奔流が、アスティルエネルギーがバチバチと本体に絡み、それを許さないっ。
ブースト結晶をさらに励起させ、ウィルフレッドの胸のアスティル・クリスタルが眩く光るっ。
「消えてなくなるがいい…っ!」
『WuROoOAAAA!』
「アスティル・バスターアアアァァッーーーーー!」
闇を切り裂く青き光の柱が暗雲に包まれたカスパー町の上空に駆け上った!
『KYAAAAAAA-------!!!!!』
ドッペルゲンガー変異体の黒き本体が凄惨な断末魔を上げながら、アスティルバスターの輝きにかき消される。変異体が作り上げた肉体も周りに走るアスティルエネルギーに焼かれ、落下しながら泡を立ち、空中で雲散した。
『『『KYAAAAAAA-------!!!!!』』』
まるで本体と呼応するかのように町中の寄生体が一斉に悲鳴をあげ、次々と寄生された人々の中から飛び出る。エリネ達の周りに倒れていた人々、アイシャやカイ達の宿を囲んでる人々、いまださ迷ってる人々、その全てから跳び出ては激しく痙攣して数歩進むと、成体含めた寄生体はみな倒れ込み、泡を立てて溶解して消え去った。
「…こ、これは」
宿で立てこもったアイシャ達は慎重に結界から出て、倒れこんだ人々を確認する。何名かの人達がゆっくりと目を開き、意識を取り戻した。
「うっ、あたま痛い…」
「あ、あれ…私、どうしてここに…」
「カイくん、これって…っ」
「ああ…みんな正気に戻ってる…っ。さっき空のあれで変異体が倒されたんだ…っ、兄貴がやったんだ!」
下水道を進むレクスやミーナ達に襲い掛かってた寄生体たちもまた、宿主から飛び出ては絶叫して泡と化していった。
「うわっ、こいつらいきなり消滅したよっ?」
「しかも空気中のドッペルゲンガーの魔素も消えた…これはまさか」
「ええ、きっとウィルくんが変異体の本体をやっつけたんだわっ」
そして、エリネとミリィの周りの人々も次々と困惑した顔で起き上がっていく。
「…エリーさん…まさか…」
「うん、変異体が亡くなったお陰でみんな解放されたのっ。助かったんですよ私達!」
「助かった…私達…無事に…っ」
その事実をミリィが完全に認識する前に、ウィルフレッドが地面へと降り立ち、青い輝きを発しては人の姿へと戻った。
(良かった、間に合ったようだ)
正気に戻る人々を見て一息つくと、ウィルフレッドは振り返る。
「エ――」
「ウィルさぁんっ!!!」
エリネがウィルフレッドに抱きついた。
「おわ、エリーっ」
「ウィルさんっ!やっぱり、来てくれた…来てくれたんですね…っ!」
勢いで危うく倒れそうなのを耐えると、ウィルフレッドは自分に抱きついたまま座り込むエリネを支えるように屈んだ。彼女の小さな体が怯えた子供のように震え、その目からは大きな涙が流れていた。今まで抑えてた恐怖が一気に溢れ出したかのように。
「ウィルさん…怖かった…凄く、怖かった…っ」
ウィルフレッドの胸元でエリネは小さな体を震わせ、貯め込んだ気持ちを全て吐露しては、嗚咽する。
「エ、エリー…」
今日自問してきた彼女への対応の悩みが一瞬頭をよぎるが、それ全てを忘れるほどあふれ出す今の気持ちのままに、彼はエリネを抱きしめた。
「ぁ…」
エリネが小さく声を上げた。ザナエルと対峙した自分を支えてくれた時のように、逞しいウィルフレッドの腕が、震える体を包んでくれる。メルテラ山の時のように、温かい彼の体温が全身に伝わって恐怖の悪寒を駆除してくれる。そして何より――
「もう大丈夫だ。エリー、俺がここにいる。だから、大丈夫だ…」
優しくも暖かなその声が、すぅっと心の奥へと入っていく。じんわりとした気持ちが胸に溢れる。安心、温かみ、幸福、そして悦び。エリネは確信した。ウィルフレッドに向けたこの感情がなんなのかを。
「うん…うん…っ」
涙を流しながら、まるで甘える幼子のように思い人のぬくもりに身を委ね、顔をその胸に埋めるエリネ。ようやく理解できたこの感情をかみしめるように。
ウィルフレッドもなだめるようにその背中をさすっては、そっと彼女の髪を愛おしく撫でた。ようやく助けられた大事な人のその存在をもっと感じられるように。
(エリーさん…なるほど…あの人が、そうなのですね…)
抱きしめあう二人を見て、ミリィは全て察したように小さく微笑んだ。
「…ミリィ、ミリィ、なのか」
「フレン…っ」
声の方向に顔を向けると、そこは頭を抑え、まだ状況を掴んでないフレンが立っていた。
「うぐっ!」「ウィルさんっ!?」
ウィルフレッドが突如胸を押さえて苦しみ出した。
「魔人化の反動ですねっ?いま治癒かけます…っ」
呪文を唱え、優しい青の光が彼を包んだ。
「ありがとう、エリー…、いつも癒してくれて…恐ろしい目に会ったばかりなのに…」
苦しそうな息遣いの彼に、エリネは微笑む。
「ううん、これぐらい当然ですよ。それにウィルさん、ちゃんと助けに来てくれましたから…」
「エリー…」
「キュキュ~!」
ルルが元気そうに二人の間に飛び込む。
「ルルっ、ふふ、今回はルルが一番の功労者よね」
「ああ、エリーの危機を報せてくれたのはルルからな」
「キュッ!」
得意げに胸を張るルルだった。
その傍、ミリィとフレンが気まずそうに互いを暫く見つめると、フレンはがくりと座り込み、震える声でミリィに謝った。
「ミリィ…、すまない…僕の…僕のせいで君を苦しめてしまって…っ」
「フレン…?」
「僕、おぼろげだけど、怪物に襲われたことや、さっきまでのことはなんとなく覚えてる…。君のダンへの返事と…その、僕に言った言葉も…」
ミリィの頬が軽く朱に染める。
「…君にはまだ、伝えてなかったね。俺とダンが事故にあった時、なにが起こったのかを…」
フレンはあの夜、ダンと一緒に堤防の決壊に巻き込まれたこと、ダンを助けようと手を離してしまったこと、そして、ダンが最後に叫んだ言葉をミリィに伝えた。ミリィはただ静かにそれを聞き入れた。
「あのあと、俺の頭からどうしてもダンが君を呼ぶ声を…僕を見るあの眼差しを忘れなくて…君に会うのを避けてたんだ…。まるでミリィと一緒にいられる自分を恨んでいるかのようなその声と目から逃げるように…」
「それで、私に別れを言い出したのね…」
力なく頷くフレン。
「ダンは僕のせいで死んだ上、彼が好きな君と一緒にいる資格には、僕にはとても――」
「ううん、そうじゃない。そうじゃないの、フレン」
「ミリィ…?」
「私たちは恐れてばかりだった…。私はダンとの関係が変わることに、フレンはダンの死に…。でも、例え一度だけでも、私たちはしっかりと恐れることに顔を向けるべきだと思うの。一度顔を逸らしたら、二度と向き合う勇気は持たなくなるから…」
ミリィは一度、自分を温かく見守るエリネをチラ見してから続いた。
「それにダンのことは、私たち二人で受け止めるべきなの。恋人とはそういうものでしょ?女神様の教えもあるじゃない、一緒に苦楽を分かち合うべきって」
微かに震えるフレンの手をミリィがそっと握りしめる。
「フレン、二人でダンのことを背負いましょう。私、例えダンのことがあっても、フレンが今でも一番好きなの。だから…」
「ミリィ…僕は…」
フレンは何も言い返さずにただ俯いた。
「…すまない。少し、邪魔していいか」
エリネに支えられながら歩いてくるウィルフレッドだ。
「エリーさん…」
エリネはミリィに、無事気持ちを伝えてよかったねといわんばかりの頷きを見せる。
「君はミリィだね。さっきエリーを助けてくれて、本当にありがとう」
少しおどおどしていたミリィは、先ほどの竜の如き力を持つ彼の意外と優しい表情と声に戸惑う。
「い、いえ、私こそ、エリーさんに勇気をもらった方ですから…」
「そんなことないですよ。さっきのはミリィさん自身の勇気によるものです。恐怖に抗ってくれてありがとう、ミリィさんっ」
「エリーさん…」
「そして君はフレン、だな。実は二人に渡したいものがある」
「え、私達に、ですか…?」
互いを見て困惑する二人に、ウィルフレッドは懐から小さな箱を取り出した。
「これは…?」
「これは今日ダンの家から見つけたものだ。生前の彼が注文したものらしくて、箱には宛先の、君達二人の名前が彫刻されている」
「え…ダンから…」「僕達二人に…っ?」
二人は箱を受け取り、そこに彫られた文字を読んだ。
「本当だわ…ダンから、最高の友人フレンとミリィへ、って書いてて…っ」
箱をゆっくりと開けると、そこには二つの異なる色の花が象った一対のブローチが入っていた。
「これは…っ」「双色蔦のブローチ…っ」
「エリー、双色蔦って確か…」
「うん、ソラ町でカトーさんからお兄ちゃんにも贈ったあれですよ。恋人を応援するために別の恋人達から送られるものです」
「ということは、ダンは二人を応援するためにこのブローチを…?」
「そうなりますね。ダンさんはこれを直接ミリィさん達に渡そうと思ったけど、店から家に届く前にあの事故が起こって…」
大きな涙が、ミリィの目から落ちる。
「そんな…、じゃあ、じゃあダンは…私達のことを…もう知って…っ」
フレンもあの夜、ダンと交わした言葉を思い出す。
(((俺からも言いたいことはあるけどさ…フレンが先に言いなよ)))
もし本当にダンがミリィと自分のことを既に知ってるのであれば、あの時彼が言いたいことは、つまり―――
「うっ!?」
「フレンっ?」
強烈な頭痛が突如フレンを襲う。堤防が決壊し、ダンを掴んだ手を離してしまい、絶叫の中で流されていくシーンが蘇る。
――――――
「ダ、ダァンッ!」
フレンの心が凍てつく。脳内にノイズが走る。
「ああぁぁっ!フレン!どうして、どうしてだぁっ!?」
ノイズが再度走り、景色が変わる。
「ダ、ダァンッ!」
手を離されて流れるダンは、辛うじて別の街燈に掴まる。
「ぐっ…フレンっ!」
「ダン!待ってろ!今すぐに――」
ギギギと街燈が音を立てて傾斜する。死を悟ったダンの眼差しは、思った以上に落ち着いていた。
「フレン…っ」
「ダン…っ」
ダンが、フレンに微笑んだ。
「フレンっ!ミリィとっ!しあわせに――」
流れるガレキがダンと街燈にぶつかり、もろとも激流の中へ流していった。
「ダ、ダァァァーーーン!」
――――――
「そうだ…そうだった!思い出した…!ダンはあの時、僕にミリィのことを…任せて…っ。どうしてそれを、僕は恨んでると思って…っ」
「恐らくドッペルゲンガー変異体の仕業だ」
ウィルフレッドが推測する。
「ダンへの罪悪感を利用して君の恐怖心を最大限に煽るために記憶をいじったに違いない。奴が死んで、その操作も解除されたってことか」
「ダン…っ、あんたって奴は…っ!ごめん…ごめんよ、ダン…!」
「ごめんなさいダン…っ!フレン…!」
今までは別の意味で亡き親友に謝る二人。ダンからの祝福である双色蔦のブローチを一緒に握りしめ、二人の目から、溢れる切なさと感謝しきれない気持ちが涙となって流れた。
「良かった…ミリィさん…フレンさんも…」
「ああ…。けど双色蔦って、恋人持ちか夫婦だけが贈れる決まりじゃなかったか?」
エリネに尋ねるウィルフレッドに、ミリィ達が泣き笑いしながら代わりに応える。
「ダンはこういう人なんです…決まりがめんどくさい~とか、俺には俺のルールがあるとか、よく暴走して警備隊の人達を悩まして…」
「ははは、あいつ、こんなときでも全然ぶれないな…僕たちのことを知っててもすぐに言わなかったのは、きっと…、僕たちを驚かせるように、これがあいつの家に届くのを待ってて…っ、こういうサプライズ、好きなんだからな…っ、ダンは…っ」
泣きながら懐かしむように笑う二人。
ふと、ウィルフレッドが自分を小さく抱き寄せるのを感じるエリネもまた、ようやく理解できた感情とともにそっと身を彼に寄り添う。
雨はいつの間にか止み、アスティル・バスターによって散らされた空の雲から、優しい月の顔が見えた。町の騎士団や自警団が、連合軍たちの協力とともに町の救助活動に勤しんでいる。カスパー町から、恐怖が去っていった。
******
「うえぇ…なんとも悲惨な…戦場でもこれほどの光景ってなかなか見れないよ」
下水道の奥の奥、かつてドッペルゲンガー変異体が餌場として利用した巨大な貯水室。そこの地面に倒れこむ夥しい数のミイラの死体と、あたり一変に広がる血と悪臭に、レクスは思わず顔をしかめる。
本体は消滅したものの、変異体の巣で要救助の人の確認や、今回の事件の手がかりを探すために、ラナ達はそのまま巣探しを続行し、やがてここに辿りついた。
「レクス殿、こっち」
「どうしたのラナ様。…これは」
ラナの前には、他の死体のようにミイラの如く干からびていた、邪神教団の信者の亡骸があった。
「やっぱり今回の事件も教団が絡んでたね」
「ええ、問題は奴らはここで何をしていたか」
二人から離れたところで、ミーナは地面にこびり付いた赤黒い血の跡に触れて調査していた。
(この血についている念、怨嗟の種類…。メルベの採掘場といい、ソラ町の事件といい、間違いない。エリク、おぬしらはあの禁法を使うつもりだな…っ)
ミーナの杖が手に込められた力によりミシミシと鳴った。
【続く】
それでもと一か八かと魔人化しようとしたその瞬間、見知らぬ少女が変異体に飛び掛り、数秒の隙を作った。そのお陰で彼は間に合った。エリネを失わずに済んだ。怯えながらも貴重な数秒の隙を作ってくれた少女の勇気を、彼は決して無駄にはしない!
『WrooOoo…!』
「ウィルさん!」
「エリー!その子を連れて下がれ!」
「はいっ!ミリィさんこっち!」
「あ、あぅぁ…っ」
ウィルフレッドが変異体を押しとどめてる隙に、エリネはウィルフレッドの姿に震えてるミリィを支えては後退する。
「キュ~!」
「ルル!」
エリネ達のところに跳びついたルルを彼女は抱きしめる。
「ありがとうルル!ウィルさんを連れてきたのね!」
「キュキュキュッ!」
「あっ、ああぁ…エリーさんっ、あ、あれ、か、怪物が…もう一匹…っ」
「大丈夫よミリィさんっ、あれは味方です!」
「み、みか…た…?」
「はいっ、この世界で誰よりも頼れる、私達の大事な仲間なんですっ!」
「カアァッ!」
『WROOooOOo!』
渾身の力でドッペルゲンガー変異体を弾くウィルフレッド。彼から離れた変異体は異常に緊張した動きを見せる。その全本能が警鐘を鳴らし、告げているのだ。目の前のウィルフレッドは、先ほどの人間の女性なぞよりも遥かに危険で、自分の命を脅かす恐ろしい存在なのだとっ!
『WruooOOAA!!!』
『『『KuiIIiIIi!』』』
ドッペルゲンガー変異体の黒き本体が肉体へと溶け込む。おぞましく不快な奇声を上げると、周りの寄生体成体が変異体へ飛びついては融合していき、残りの寄生体たちがウィルフレッドに襲い掛かる!
「おおお、結晶励起ッ!」
ブースト結晶が励起され、胸のアスティル・クリスタルが神秘なる音と青い輝きを放つ。ウィルフレッドの体に青い電光が走り、腕を突き出すと大気が歪み、空気の塊が寄生体たちを吹き飛ばしたっ。
『『『GiIIiiAAaaA!』』』
「クアアアアアッ!」
両腕を大きく振り回し、電光を帯びた突風がさらに集ってきた寄生体を全て吹き飛ばす。電光に焼かれ、壁などに衝突した寄生体らは気を失う。
『WrrOOOAAAA!!!』
寄生体成体をさらに融合させてよりグロテスクになったドッペルゲンガー変異体が、おびただしい数の触手を威嚇的に震わせ、ぐぱりと二つの口を開けながら背筋をも凍る奇声をあげるっ。
「ガアアァァァッ!!!」
双剣を生成し、ウィルフレッドが高揚する戦意とともに猛々しく吼え返すっ。
『RooOoAAAA…!』
それだけに変異体がすくみ、慄くっ。まるでウィルフレッドこそ己を凌駕する真の恐怖かのようにっ!
『WROAauUAAA!』
変異体が触手を振り回しながら飛び掛る!
「コーティングッ!」
ウィルフレッドに夜の闇を照らす小さな太陽のごとき青の閃光が爆ぜると、双剣に青き輝きが帯び、彼は迎撃する!
二閃とともに交差!紫色の光る血が飛散しては蒸発し、青の軌跡で触手を切断された変異体がその蛇の如き体躯とともにのた打ち回る。
『ROoAAAAA!』
「す…凄い…っ」
先ほどまで自分の恐怖の対象だった怪物を、さらなる恐怖がうちのめしていることに、ミリィは恐れよりも感嘆の声をあげた。
「そうでしょ、ウィルさんは絶対に、誰にも負けないんです!」
「オオオオッ!」
急回転して、ウィルフレッドは追撃を加えるようさらに飛び掛る。
『UrooOOo!!!』
それを迎撃するかのように変異体は残りの触手を構えた。ウィルフレッドが剣を振り下ろす極限の距離に、胴体の先端にある頭部から今まで最も濃厚な黒き靄が噴出され、ウィルフレッドの顔にかけられるっ。
「ぐあっ!?」
「ウィルさんっ!」
変異体とすれ違って着地するウィルフレッド。着地の勢いで一筋のえぐり跡が地面に削りあがる。
『RyoOOoOoO!』
それを隙に変異体が大きく触手を強張らせ、胴体や頭部にあるエラのような隙間から、その口から、光を通さない黒き霧をさらに噴射させ、周囲にばら撒くっ。
「「きゃああっ!」」「キュキュッ!」
振り撒かれた黒き霧はウィルフレッドと変異体を中心に、エリネ達もろともあたり一面を覆い、全て暗闇の中に包まれた。
「ぐっ!これは…っ!」
黒の靄をかけられ、ブスブスと煙を立てる顔を抑えるウィルフレッド。視覚センサーが乱れ始め、心なしか聴覚にも乱れがあるかのように感じた。
(ナノマシンによる分解がすぐに追いつかないかっ、なら…っ)
イダカと対峙した時のように直感で変異体の位置を探るよう意識を集中すると、突如体中に軽い痺れが走り、手が震え始めた。
(うっ、こんな時に…っ!)
『WroOOoOo!』
ドッペルゲンガー変異体の触手の一振りが、暗闇に紛れてウィルフレッドに叩きこまれる。
「があっ!」
「ウィルさんっ!?」
叩き込まれた方向に剣を振るうも空を振り、闇の中で変異体が周りをズルズルと這う音が四方八方から伝わる。さらに一撃が背中にっ「ぐぅ!」振り返る隙に右から「うあっ!」あらゆる方向から次から次へと攻撃が跳んでくる。
イダカとは違い、変異した肉体を得たドッペルゲンガー変異体の攻撃は確実にウィルフレッドにダメージを蓄積させてくる。いま体に走る痛みと相まって、彼は意識集中ができない。
「ウィルさん!ねえミリィさんっ、いまどうなってるのか見えますっ?」
「ケホケホッ!わ、わからないですっ、周りに黒い霧が覆って…っ、何も見えなくて…っ」
「霧ですって…?」
エリネは訝しむ。あの人は例え霧の中でも見通す力を持ってるはずなのに、それができないことは、この霧自体のせいか、或いは彼に何があったのか。
「ぐっ!くそっ…」
ウィルフレッドは思い切って全方位攻撃を出そうとするも、すぐ近くにエリネ達や気を失った町の人々もいて、それができずにいた。
『RooOOOoOo!』
「ウィルさん!右です!」「!」
エリネの声に、ウィルフレッドは右の方に向けて剣を振るう。青き一閃が黒霧のなかできらめき、襲い掛かる変異体の触手を切り落とすっ。
『RugYAaAooOOo!』
変異体は痛みで身を引き、位置を替えてはさらに仕掛ける。
「左前!やや上!」
「おおおっ!」
『KyAaAaaAoo!』
双剣の輝きが再び触手を捉え、変異体が悲鳴を上げるっ。
「後ろ!地面から!…今度は真上!」
続く変異体の攻撃方向をウィルフレッドに伝えるエリネ。彼女の体は先ほどのように淡く青く光っていた。
「エリーさん…っ?」
例え暗闇の中でも、黒霧に含まれるドッペルゲンガー変異体の幻惑魔素に惑わされず、彼女は声と直感ではっきりと認識することができた。その中で蠢く変異体の位置と動き、その全てを!
『KuRooOOo…!』
「えっ」
変異体が標的を変えた。先ほどから鬱陶しいほど傍から指示を出してくるエリネに。やはり彼女は真っ先に消すべきだったと思考電流を走らせ、ドッペルゲンガー変異体が全触手を彼女らに向けて放った!
『WruoOOoAAA!』
「「きゃあああぁぁっ!」」
鈍い声が黒霧の中で響き、変異体が驚愕するっ。
『GruoOoOo!?』
放った触手の全てが、両者の間に割り込んだウィルフレッドに絡まり、止められたっ。例え知覚が鈍くなっても、彼は決してエリネの声を聞き逃さない!
「エリーに…っ」
絡む触手を掴むその手は怒りに震え、一度変異体を自分に向けて強く引っ張っては、ウィルフレッドの人外の目が輝いたっ。
「触るなあぁあああっ!!!」
胸のアスティル・クリスタルが雄々しい吼え声に応じて輝き、位置を捉えた変異体めがけて飛び出すっ。双剣と体を回転させ、触手を細かに切り刻みながら、螺旋の弾丸と化したウィルフレッドが飛翔する!
『KYooOAAAaAA!』
ドッペルゲンガー変異体が恐怖するっ、自分に向けて放たれた死の弾丸に!変異体が逃げるよりも早く、アスティルエネルギーが強く注ぎ込まれた双剣が、回転の勢いに載せて変異体の口内へと突き刺し、剣先が胴体を貫いたっ。アスティル・クリスタルが全身に青き力をめぐらせ、ほとばしる電光とともにウィルフレッドは変異体を串刺しにしたまま、まるごと空へと持ち上げ、飛翔する!
「ウオオオォォオッ!!!」
『RoKYoOOoーーー!!!』
さながら猛禽に空へと捕らわれた蛇の如く激しくもがく変異体っ。ウィルフレッドのコーティングされた剣に焼かれながら、おぞましき魔の明かりを内包した変異魔素の塊、ドッペルゲンガー変異体の本体がその頭部からドロリと溶け出るっ。作り上げた肉体から脱出しようとしているのだ。だが!
「させん…っ!」
『KiYOoOooO!?』
ウィルフレッドの胸から発する青の奔流が、アスティルエネルギーがバチバチと本体に絡み、それを許さないっ。
ブースト結晶をさらに励起させ、ウィルフレッドの胸のアスティル・クリスタルが眩く光るっ。
「消えてなくなるがいい…っ!」
『WuROoOAAAA!』
「アスティル・バスターアアアァァッーーーーー!」
闇を切り裂く青き光の柱が暗雲に包まれたカスパー町の上空に駆け上った!
『KYAAAAAAA-------!!!!!』
ドッペルゲンガー変異体の黒き本体が凄惨な断末魔を上げながら、アスティルバスターの輝きにかき消される。変異体が作り上げた肉体も周りに走るアスティルエネルギーに焼かれ、落下しながら泡を立ち、空中で雲散した。
『『『KYAAAAAAA-------!!!!!』』』
まるで本体と呼応するかのように町中の寄生体が一斉に悲鳴をあげ、次々と寄生された人々の中から飛び出る。エリネ達の周りに倒れていた人々、アイシャやカイ達の宿を囲んでる人々、いまださ迷ってる人々、その全てから跳び出ては激しく痙攣して数歩進むと、成体含めた寄生体はみな倒れ込み、泡を立てて溶解して消え去った。
「…こ、これは」
宿で立てこもったアイシャ達は慎重に結界から出て、倒れこんだ人々を確認する。何名かの人達がゆっくりと目を開き、意識を取り戻した。
「うっ、あたま痛い…」
「あ、あれ…私、どうしてここに…」
「カイくん、これって…っ」
「ああ…みんな正気に戻ってる…っ。さっき空のあれで変異体が倒されたんだ…っ、兄貴がやったんだ!」
下水道を進むレクスやミーナ達に襲い掛かってた寄生体たちもまた、宿主から飛び出ては絶叫して泡と化していった。
「うわっ、こいつらいきなり消滅したよっ?」
「しかも空気中のドッペルゲンガーの魔素も消えた…これはまさか」
「ええ、きっとウィルくんが変異体の本体をやっつけたんだわっ」
そして、エリネとミリィの周りの人々も次々と困惑した顔で起き上がっていく。
「…エリーさん…まさか…」
「うん、変異体が亡くなったお陰でみんな解放されたのっ。助かったんですよ私達!」
「助かった…私達…無事に…っ」
その事実をミリィが完全に認識する前に、ウィルフレッドが地面へと降り立ち、青い輝きを発しては人の姿へと戻った。
(良かった、間に合ったようだ)
正気に戻る人々を見て一息つくと、ウィルフレッドは振り返る。
「エ――」
「ウィルさぁんっ!!!」
エリネがウィルフレッドに抱きついた。
「おわ、エリーっ」
「ウィルさんっ!やっぱり、来てくれた…来てくれたんですね…っ!」
勢いで危うく倒れそうなのを耐えると、ウィルフレッドは自分に抱きついたまま座り込むエリネを支えるように屈んだ。彼女の小さな体が怯えた子供のように震え、その目からは大きな涙が流れていた。今まで抑えてた恐怖が一気に溢れ出したかのように。
「ウィルさん…怖かった…凄く、怖かった…っ」
ウィルフレッドの胸元でエリネは小さな体を震わせ、貯め込んだ気持ちを全て吐露しては、嗚咽する。
「エ、エリー…」
今日自問してきた彼女への対応の悩みが一瞬頭をよぎるが、それ全てを忘れるほどあふれ出す今の気持ちのままに、彼はエリネを抱きしめた。
「ぁ…」
エリネが小さく声を上げた。ザナエルと対峙した自分を支えてくれた時のように、逞しいウィルフレッドの腕が、震える体を包んでくれる。メルテラ山の時のように、温かい彼の体温が全身に伝わって恐怖の悪寒を駆除してくれる。そして何より――
「もう大丈夫だ。エリー、俺がここにいる。だから、大丈夫だ…」
優しくも暖かなその声が、すぅっと心の奥へと入っていく。じんわりとした気持ちが胸に溢れる。安心、温かみ、幸福、そして悦び。エリネは確信した。ウィルフレッドに向けたこの感情がなんなのかを。
「うん…うん…っ」
涙を流しながら、まるで甘える幼子のように思い人のぬくもりに身を委ね、顔をその胸に埋めるエリネ。ようやく理解できたこの感情をかみしめるように。
ウィルフレッドもなだめるようにその背中をさすっては、そっと彼女の髪を愛おしく撫でた。ようやく助けられた大事な人のその存在をもっと感じられるように。
(エリーさん…なるほど…あの人が、そうなのですね…)
抱きしめあう二人を見て、ミリィは全て察したように小さく微笑んだ。
「…ミリィ、ミリィ、なのか」
「フレン…っ」
声の方向に顔を向けると、そこは頭を抑え、まだ状況を掴んでないフレンが立っていた。
「うぐっ!」「ウィルさんっ!?」
ウィルフレッドが突如胸を押さえて苦しみ出した。
「魔人化の反動ですねっ?いま治癒かけます…っ」
呪文を唱え、優しい青の光が彼を包んだ。
「ありがとう、エリー…、いつも癒してくれて…恐ろしい目に会ったばかりなのに…」
苦しそうな息遣いの彼に、エリネは微笑む。
「ううん、これぐらい当然ですよ。それにウィルさん、ちゃんと助けに来てくれましたから…」
「エリー…」
「キュキュ~!」
ルルが元気そうに二人の間に飛び込む。
「ルルっ、ふふ、今回はルルが一番の功労者よね」
「ああ、エリーの危機を報せてくれたのはルルからな」
「キュッ!」
得意げに胸を張るルルだった。
その傍、ミリィとフレンが気まずそうに互いを暫く見つめると、フレンはがくりと座り込み、震える声でミリィに謝った。
「ミリィ…、すまない…僕の…僕のせいで君を苦しめてしまって…っ」
「フレン…?」
「僕、おぼろげだけど、怪物に襲われたことや、さっきまでのことはなんとなく覚えてる…。君のダンへの返事と…その、僕に言った言葉も…」
ミリィの頬が軽く朱に染める。
「…君にはまだ、伝えてなかったね。俺とダンが事故にあった時、なにが起こったのかを…」
フレンはあの夜、ダンと一緒に堤防の決壊に巻き込まれたこと、ダンを助けようと手を離してしまったこと、そして、ダンが最後に叫んだ言葉をミリィに伝えた。ミリィはただ静かにそれを聞き入れた。
「あのあと、俺の頭からどうしてもダンが君を呼ぶ声を…僕を見るあの眼差しを忘れなくて…君に会うのを避けてたんだ…。まるでミリィと一緒にいられる自分を恨んでいるかのようなその声と目から逃げるように…」
「それで、私に別れを言い出したのね…」
力なく頷くフレン。
「ダンは僕のせいで死んだ上、彼が好きな君と一緒にいる資格には、僕にはとても――」
「ううん、そうじゃない。そうじゃないの、フレン」
「ミリィ…?」
「私たちは恐れてばかりだった…。私はダンとの関係が変わることに、フレンはダンの死に…。でも、例え一度だけでも、私たちはしっかりと恐れることに顔を向けるべきだと思うの。一度顔を逸らしたら、二度と向き合う勇気は持たなくなるから…」
ミリィは一度、自分を温かく見守るエリネをチラ見してから続いた。
「それにダンのことは、私たち二人で受け止めるべきなの。恋人とはそういうものでしょ?女神様の教えもあるじゃない、一緒に苦楽を分かち合うべきって」
微かに震えるフレンの手をミリィがそっと握りしめる。
「フレン、二人でダンのことを背負いましょう。私、例えダンのことがあっても、フレンが今でも一番好きなの。だから…」
「ミリィ…僕は…」
フレンは何も言い返さずにただ俯いた。
「…すまない。少し、邪魔していいか」
エリネに支えられながら歩いてくるウィルフレッドだ。
「エリーさん…」
エリネはミリィに、無事気持ちを伝えてよかったねといわんばかりの頷きを見せる。
「君はミリィだね。さっきエリーを助けてくれて、本当にありがとう」
少しおどおどしていたミリィは、先ほどの竜の如き力を持つ彼の意外と優しい表情と声に戸惑う。
「い、いえ、私こそ、エリーさんに勇気をもらった方ですから…」
「そんなことないですよ。さっきのはミリィさん自身の勇気によるものです。恐怖に抗ってくれてありがとう、ミリィさんっ」
「エリーさん…」
「そして君はフレン、だな。実は二人に渡したいものがある」
「え、私達に、ですか…?」
互いを見て困惑する二人に、ウィルフレッドは懐から小さな箱を取り出した。
「これは…?」
「これは今日ダンの家から見つけたものだ。生前の彼が注文したものらしくて、箱には宛先の、君達二人の名前が彫刻されている」
「え…ダンから…」「僕達二人に…っ?」
二人は箱を受け取り、そこに彫られた文字を読んだ。
「本当だわ…ダンから、最高の友人フレンとミリィへ、って書いてて…っ」
箱をゆっくりと開けると、そこには二つの異なる色の花が象った一対のブローチが入っていた。
「これは…っ」「双色蔦のブローチ…っ」
「エリー、双色蔦って確か…」
「うん、ソラ町でカトーさんからお兄ちゃんにも贈ったあれですよ。恋人を応援するために別の恋人達から送られるものです」
「ということは、ダンは二人を応援するためにこのブローチを…?」
「そうなりますね。ダンさんはこれを直接ミリィさん達に渡そうと思ったけど、店から家に届く前にあの事故が起こって…」
大きな涙が、ミリィの目から落ちる。
「そんな…、じゃあ、じゃあダンは…私達のことを…もう知って…っ」
フレンもあの夜、ダンと交わした言葉を思い出す。
(((俺からも言いたいことはあるけどさ…フレンが先に言いなよ)))
もし本当にダンがミリィと自分のことを既に知ってるのであれば、あの時彼が言いたいことは、つまり―――
「うっ!?」
「フレンっ?」
強烈な頭痛が突如フレンを襲う。堤防が決壊し、ダンを掴んだ手を離してしまい、絶叫の中で流されていくシーンが蘇る。
――――――
「ダ、ダァンッ!」
フレンの心が凍てつく。脳内にノイズが走る。
「ああぁぁっ!フレン!どうして、どうしてだぁっ!?」
ノイズが再度走り、景色が変わる。
「ダ、ダァンッ!」
手を離されて流れるダンは、辛うじて別の街燈に掴まる。
「ぐっ…フレンっ!」
「ダン!待ってろ!今すぐに――」
ギギギと街燈が音を立てて傾斜する。死を悟ったダンの眼差しは、思った以上に落ち着いていた。
「フレン…っ」
「ダン…っ」
ダンが、フレンに微笑んだ。
「フレンっ!ミリィとっ!しあわせに――」
流れるガレキがダンと街燈にぶつかり、もろとも激流の中へ流していった。
「ダ、ダァァァーーーン!」
――――――
「そうだ…そうだった!思い出した…!ダンはあの時、僕にミリィのことを…任せて…っ。どうしてそれを、僕は恨んでると思って…っ」
「恐らくドッペルゲンガー変異体の仕業だ」
ウィルフレッドが推測する。
「ダンへの罪悪感を利用して君の恐怖心を最大限に煽るために記憶をいじったに違いない。奴が死んで、その操作も解除されたってことか」
「ダン…っ、あんたって奴は…っ!ごめん…ごめんよ、ダン…!」
「ごめんなさいダン…っ!フレン…!」
今までは別の意味で亡き親友に謝る二人。ダンからの祝福である双色蔦のブローチを一緒に握りしめ、二人の目から、溢れる切なさと感謝しきれない気持ちが涙となって流れた。
「良かった…ミリィさん…フレンさんも…」
「ああ…。けど双色蔦って、恋人持ちか夫婦だけが贈れる決まりじゃなかったか?」
エリネに尋ねるウィルフレッドに、ミリィ達が泣き笑いしながら代わりに応える。
「ダンはこういう人なんです…決まりがめんどくさい~とか、俺には俺のルールがあるとか、よく暴走して警備隊の人達を悩まして…」
「ははは、あいつ、こんなときでも全然ぶれないな…僕たちのことを知っててもすぐに言わなかったのは、きっと…、僕たちを驚かせるように、これがあいつの家に届くのを待ってて…っ、こういうサプライズ、好きなんだからな…っ、ダンは…っ」
泣きながら懐かしむように笑う二人。
ふと、ウィルフレッドが自分を小さく抱き寄せるのを感じるエリネもまた、ようやく理解できた感情とともにそっと身を彼に寄り添う。
雨はいつの間にか止み、アスティル・バスターによって散らされた空の雲から、優しい月の顔が見えた。町の騎士団や自警団が、連合軍たちの協力とともに町の救助活動に勤しんでいる。カスパー町から、恐怖が去っていった。
******
「うえぇ…なんとも悲惨な…戦場でもこれほどの光景ってなかなか見れないよ」
下水道の奥の奥、かつてドッペルゲンガー変異体が餌場として利用した巨大な貯水室。そこの地面に倒れこむ夥しい数のミイラの死体と、あたり一変に広がる血と悪臭に、レクスは思わず顔をしかめる。
本体は消滅したものの、変異体の巣で要救助の人の確認や、今回の事件の手がかりを探すために、ラナ達はそのまま巣探しを続行し、やがてここに辿りついた。
「レクス殿、こっち」
「どうしたのラナ様。…これは」
ラナの前には、他の死体のようにミイラの如く干からびていた、邪神教団の信者の亡骸があった。
「やっぱり今回の事件も教団が絡んでたね」
「ええ、問題は奴らはここで何をしていたか」
二人から離れたところで、ミーナは地面にこびり付いた赤黒い血の跡に触れて調査していた。
(この血についている念、怨嗟の種類…。メルベの採掘場といい、ソラ町の事件といい、間違いない。エリク、おぬしらはあの禁法を使うつもりだな…っ)
ミーナの杖が手に込められた力によりミシミシと鳴った。
【続く】
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