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第十二章 恐怖の町
恐怖の町 第八節
しおりを挟む領主の兵士に案内されたミーナは、その館のメイドとラナ達が見守る中、魂が抜かれたかのような目をしてベッドに横たわっている老人を診断していた。
「…そんなバカな」
「どうしたのです先生。何か異常を見つけたのですか?」
「その逆だ。なにもない」
意外な答えにレクスは困惑する。
「なにもない…って、それどういう意味なのミーナ殿」
「言葉どおりの意味だ。この男、マナ活性が常人よりも低く、年寄りと言う点を除いて、身体的や霊的な面においてどこにも異常はない。いたって健康な個体だ」
「ボーバン、ボ…ボー…」
時々うわ言を発しながら死んだ魚の目をした老人を見て、さすがのラナも納得いかなかったようだ。
「じゃあ今の彼のこの状態はどう説明すればいいのですか?」
「分からん。呪いとかそういう痕跡も全くないし、魔法による有毒成分の鑑定も全てシロだ。…ただの痴呆としか解釈がつかない」
「そんなまさか…ジェラド様は確かにご高齢ですが、昨日まであんなに活気溢れてるのにいきなりここまで痴呆になるなんて考えられません」
メイドのルイダは立ち上がるミーナの代わりにベッドの傍に座り、老人ジェラドが流す冷や汗を拭いてあげた。
「ボーバンっ、許してくれぇ…ボーバン…」
「彼が言っているボーバンって誰の事か分かるかい、ルイダ殿?」
「ジェラド様の昔の部下で、既に亡くなっていたと昔聞いたことがありますが、詳細は私も…」
レクスとミーナ達は部屋の隅へと移動し、未だにうわ言を発するジェラドを見た。
「レクス殿はどう思う?彼は本当にただの痴呆と?」
「さすがにないと思うな。今の彼の症状は失踪した人達と完全に一致しているし、ボーバンとか言う人への口ぶり、つまり誰かに悔恨を抱いて許しを乞いてるところは一部失踪者にもあった行為だ。偶然にしては出来すぎているよ。けれどミーナ殿ほど魔法に精通している人でも異常が見つからないのであれば――」
「ウィルくんの世界の技術によるもの、例えば変異体の可能性が高いわね」
レクスがラナに頷く。
「こればっかりはウィルくんに見せてもらわないと何も分からないよね。ウィルくんに明日改めて見に来るようにするしかないよ」
「そうね。出発がまた長引きしてしまうけど、教団、しかも変異体が絡む可能性もある以上、これを見過ごす訳にもいかないわ」
「ボ、ボボーバン…っ、ボーバンんんんン!」
ラナやミーナ達は改めて、一際大きなうわ言を発するジェラドを見る。物言えぬ不安を感じながら。
「先生。もしこれが変異体の仕業だとしたら、それがどんな魔獣を基にしていると思います?」
「そうだな…」
どこか恐怖に染められたジェラドの顔を観察し、ミーナは考え込む。
「パッと思いつく候補は二つある。仮に過去の悔恨が悪夢として彼を苛んでいるというのなら、夢馬という悪霊がある。だが夢馬が悪夢を見せるにはその人に取り憑いたままでなければならない。さっきの検査から見てもこの線は低いだろう」
レクスが首を傾げる。
「んじゃもう一つは?」
「――ドッペルゲンガーだ」
「へっ、ドッペルゲンガーって、相手に化けて驚かせる、あのイタズラの精霊?」
「正確に言うとその亜種だ。ドッペルゲンガーはイタズラされた人の驚きの感情を糧とする無害の精霊だが、中には驚きの中に混ざる恐怖に魅入られてしまい、人の恐怖を主食とするように悪性化した奴もいる」
「そんなタチの悪い精霊までいんの?今まで一度も聞いたことないけど…」
「元より希少な精霊種の、さらに少ない亜種だからな。文献で確認されてるこの亜種の発見数も、この千年において10件も超えていないぐらいだ」
「それじゃジェラド殿は、死んだはずのボーバンに化けたドッペルゲンガーの亜種のせいで気が触れてしまったと?」
「どうだがな…。亜種は相手を呪うタイプの悪性精霊ではなく、彼にも呪いとかの反応がないことからの推測だ。これらはどれも失踪と結び付けられる要素がないし、そもそも相手が変異体ならば、こっちの常識が通用しない可能性もある。やはり一度ウィルと一緒に見なければなんとも言えん」
ミーナは既に夕暮れ色から夜の色に染め始める窓の外を見た。
「もうこんな時間か。今日の調査はここまでだ。宿に戻ってウィル達と意見を交わそう」
「そうだね。そろそろ腹も減ってきたし」
「あんたねえ…」
「仕方ないもんっ、腹が減っては戦は出来ないって言うでしょ」
いつもの調子なレクスとラナを無視して、ミーナはメイドに小さな包みを渡す。
「この精神安定の霊薬を出しておこう。あと、今まで同じ症状が出た人がみな失踪しているから、彼のことは暫く一日中見張った方がいい。領主に連絡して見張りの人手を呼ぶことにしよう。何か異常があったら彼らを通して知らせてくれ」
「ええ、ありがとうございます」
部屋を離れる前に、レクスは最後に一度ジェラドの恐怖に満ちた顔を見て、なぜか体がぶるりと小さく震えた。
――――――
ジェラドの館の門前で、領主の兵士はラナ達に一礼する。
「それでは、私はここの見張りを手配してきます。この空模様だと後で雨が降るかもしれませんので、ラナ様たちもどうか早く宿へとお戻りくださいませ」
「ええ、明日またよろしくお願いしますね」
最後にもう一度ラナに最敬礼をすると、兵士はその場を離れた。
「やれやれ、ここに来てまた異世界絡みのものが出てくるだなんて。あのギルバートとか言う奴、ウィルくんと違ってほんと碌なことしないよね」
「しかも教団と組んでるから尚更タチが悪いわね。ウィルくんが私達の味方であることに感謝しないと」
「…ねえ、こういう言い方ちょっとおかしいかもしれないけど」
「なに?」
「さっきジェラド殿のところで、なんだか今までと違う違和感を感じなかった?その、ジェラド殿本人じゃなくて、なんか言葉では言えない、雰囲気の違いというか…。まるで、僕達の知る現実とは大きく乖離したなにかが割ってはいるような、そんな感じしない?」
ラナとミーナの顔が少し険しくなる。
「ええ、私もさっき言いたかったけど、うまく纏められなかったから黙ってたの」
「そうだな。事件の不可解さからではなく、根本的に違う不気味な違和感というものは確かに感じられた」
「やっぱ二人ともそう思う?いったいなんなんだろうね、この感覚…」
暫くして、ラナは肩をすくめた。
「これ以上考えても仕方ないわ。今は分かることに集中しましょう」
「まっ、そうだよね。んじゃ早いとこ帰ろうよ。ウィルくん、無事エリーちゃんと仲直りできたらいいけど」
空が段々と雲に覆われていくなか、三人はやがて宿へと向かう。その道中、ミーナは終始堅い表情をしたまま考え込んでいた。
――――――
「はい、これで汗は綺麗に拭きましたよジェラド様」
「あぅ…あ…」
ジェラドの汗を拭き、濡れたシーツも替えて彼をベッドに寝かせるルイダは、傍の机に置いている水桶に向かう。
(ふう、それにしてもいったいどうしたのかしらジェラド様…)
ジェラドに背を向けたルイダは困惑しながら、タオルをしっかりと洗っていく。
「あ…ぁぁ…ボーバン…ぁ…」
ベッドに横たわっているジェラドが小さく喚いた。肌寒い空気が彼の回りを包み、その体がピクピクと痙攣しては虚ろな口が大きく開く。
「あぅ…あ…A…」
黒い靄が、その口から溢れ出した。顔を覆うように、体全身を覆うように。黒い靄はジェラドを包み込み、部屋の中にゆっくりと散っていく。
「ふぅ…、ジェラド様、今日は住み込みになりますので、上の物置――」
振り返ったルイダが、まるで体の芯から凍りついたかのような戦慄に身を縛られた。
「…お、お姉ちゃん…」
「え…ト、トーマ…?」
ベッドの上に、全身に赤い斑点が浮んで苦しそうに悶えている少年がいた。かつて不治の病に冒され、年若くして他界してしまったルイダの弟だ。
「お姉ちゃん…苦しいよ…寒いよ…」
「うそ…こんなことって…貴方は、貴方はもう死んで…っ」
「クスリ…もって来るって言ったじゃない…どうして…どうして僕を見捨てたの…?」
「トーマ!」
弟を救えなかった悔恨がルイダを彼の傍へと駆り立て、その手を握らせる。
「ごめんなさいトーマ!私が、私が早く家に戻れなったばかりにっ、貴方に辛い目にあわせてしまって…っ」
「お、お姉ちゃ…あ、うああ…っ、あっ!」
「トーマ!」
苦しそうに痙攣し、痛みで顔が歪むトーマに、ルイダは再び彼を失う恐怖に支配される。
「しっかりしてトーマ!トーマ!」
「あっ、あがががが…っ」
一際大きく口をあげ、苦悶で大きく見開くトーマの目が震えながらルイダに向く。
「ト――」
『WroOOooOo!』
奇声とともにルイダに飛びかかるトーマの口から、鼻と耳からずるりとヌメリとした灰色の触手が伸びては、彼女の口と耳へと突っ込んでいった。
「んごぉっ!?おごぉっ!」
驚異的な力で床に押し倒されたルイダの耳と口からズルズルと触手が奥へと侵入し、怪しい光が血管のようにその表面を走っては音を立てて脈動する。そうするたびにルイダの体がビクビクと陸に打ち上げられた魚のように痙攣する。
「んんンンんっ!んぅっ…ぅ…」
暫くして恐怖の形相を浮かべたまま、ルイダは気を失った。彼女を解放したトーマが立ち上がると、耳や口などから伸びた灰色の触手はウネウネと動き、その先端に輝く紫色の明かりが怪しげな軌跡を描く。
『WrorooOOo…』
やがて触手はゆっくりと引っ込んでいく。黒い靄がその体から散ると、白目をひん剥いたまま棒立ちのジェラドが現れた。
「Roo…おおお…」
さながら夢遊病者のようにふらふらとしているジェラドは、呻き声をあげながら部屋から出て行った。床で時おり震えるルイダを残して。
******
温泉宿へと戻ったウィルフレッドは、既にリビングのソファで休憩しているアイシャとアランに出会う。
「あ、お帰りなさいウィルくん」
「お帰り、ウィル殿」
「アランさん?キャンプ地の方にいたんじゃ?」
「実はですね――」
アランは、ミーナ達が領主から教えられたこと、そして知らせを受けて一部軍の兵士達と町で聞き込みをしたことを教えた。
「そうか、この失踪事件、数百人にも及ぶ規模だったんですね…。となるとやはり教団が絡んでるのでしょうか」
「どうでしょうね。確かに私達の調査でもいくつか疑わしい点がありますが…。ラナ様たちが戻ったらまた相談しましょう」
ウィルフレッドは頷くと、苺入りの袋を一つテーブルに置いた。
「これ、先ほど買った苺ですが、サービスで多く貰ってましたので、よろしければラナ達を待ってる間に先にどうぞ」
「おお、ありがとうございます」
「まあ、ウィルくんさっきは苺を買いにいったのですね」
なるほどと何か察するもただ微笑むアイシャにウィルフレッドも苦笑しては、二人と一緒に苺を食べ始めた。瑞々しい甘さと、それに隠された小さな酸味。ウィルフレッドでもこれがかなり質のいい苺だと分かる。
「うむ、美味いですね。これを育てた農家さん。中々良い手腕してらっしゃる」
「はい、本当に美味しいですっ。エリーちゃんなら最高の苺タルトを作れそうですね」
エリネのことに胸が軽く締め付けられるウィルフレッドは、正門のドアから外を眺めた。
空を覆う雲のせいで外は既に暗くなり、魔晶石製の街燈が次々と付き始めていく。
「ラナ達やエリーはまだ帰ってこないな…」
「まだ夕方になったばかりですから、少し待てれば戻ってくるかと」
「たぶん雲のせいでもう夜になってるように見えるのですね」
再び曇天を見上げるウィルフレッドの顔に、ポツリと雨粒が落ちる。それに呼応するように雷雨が光りながら唸りをあげた。
(…エリー…)
ウィルフレッドは、後でどうエリネと接することに悩んだ。
******
ペロリと、頬を舐める感触がエリネに伝わる。
「キュッ、キュキュッ!」
「う…ん…」
徐々に意識が戻ると、それが懸命に自分を呼び起こそうとするルルだと分かった。
「ルル…そうだ…、私…ミリィさんと一緒に落ちて…」
痛みに耐えながらゆっくりと起き上がるエリネ。
「ミリィさん…ミリィさんっ?」
「う…うぅ…」「キュッ」
自分のすぐ傍で、同じく意識を取り戻したミリィに気付く。
「ミリィさんっ、大丈夫ですか?ミリィさんっ」
「あ…エリーさん…ルルちゃんも…つぅ…っ」
「待ってください、いま治癒をかけます」
ミリィと自分の傷を癒し、改めて照明魔法をかけるエリネ。
「ありがとうエリーさん、もう大丈夫です」
「大事なくて良かったです」
お互いの無事を確認して安心すると、改めて自分達が置かれた状況を確認する。
先ほど自分達がいた石橋は崩れており、上の天井にある鉄格子付きの穴から雨がパラパラと降ってくる。周りに先ほど妙な行動をしてた人達は既に見当らない。上へと戻る道を探ろうとするエリネだが、ふと腕部に違和感を感じた。
「あ、補助具が…」
腕を触ってみると、補助具に嵌められた魔晶石に亀裂が入っていた。
「ご、ごめんなさいエリーさんっ。私がヘマをしたせいで…っ」
「ううん、気にしないで。念のために補助具がない場合の歩きの練習もしてますから。精度は落ちますけど大した問題にはなりませんよ」
平然とした顔で壊れた補助具を捨てたエリネ。
「ねえミリィさん、この周りに上へと登れる階段とかありそうですか?」
ミリィは周りを見渡すが、上へのハシゴはどうやら壊れており、他にそれらしいものは見当らなかった。
「ない、ですね。ここから登るのは無理かと…」
「さっきの人たちが通った道は?」
「道は…あっ、埋もれてます…さっき上から崩れたガレキがちょうど通路口に落ちて…」
「そうですか…。ミリィさんさっきいきなりどうしたのです?」
「その…実はさっきの人達の中でフレンの姿があったんです」
「フレンさんが?」
「でも、今良く考えたら、ただの見間違いかもしれません。遠かったですし…」
(…ぉぉぉ…)
二人はバッと、不気味な呻き声が聞こえる道の方を見た。ミリィは体を震えながらエリネにしがみつく。
「あ、あの方向…さっきの人達が向かっていた…っ」
エリネはその道に意識を集中して耳を立てた。
(これは…凄い数の人の声が混ざってる…)
「ちょっと見てみましょう。他に道もないし、ひょっとしたらフレンさんがこの先にいるのかも知れません」
「…そう、ですね」
「うん。ルル」「キュッ」
先ほどのようにルルに先導させながら、二人は細長い下水道を進んでいく。さっきと比べてエリネの歩くペースは僅かに落ちているけれど、注意しなければ体感できないぐらい程度で、ミリィは思わず感心する。
「…あれ、この道、魔晶石のカンテラが置かれてるのですか?」
エリネは壁に掛けられてるカンテラから発する微量のマナを感じた。
「はい。これ、人が通るとそのマナに反映して点灯するタイプですね。保守のために残したものではないでしょうか…」
道の先、人々の呻き声が段々と大きくなってきてることにエリネは気付く。
「すみませんミリィさん。ここから照明魔法の明かりを消しますね。この先、何かあるのか分からないので」
「はい、このカンテラの明かりなら大丈夫かと」
エリネは頷くと魔法の明かりを消し、念のためにミリィの手を握りしめてさらに前進した。
(――ぉぉぉぉ…――)
まるで地の底へと通じそうなほの暗い通路を進むにつれ、不気味な呻き声が段々と大きくなる。何かに恐れる人達がさらに恐怖を煽るような、苦悶の声。それだけではない、前に進むにつれ、薄い靄が周りを包み、温度が段々と低くなっていく。ミリィ達は無意識に体が震えだした。
「エ、エリーさん…、なんだか、怖いです…っ」
ミリィは思わずエリネの手を強く握る。声のせいか、または寒さによる錯覚なのか、由来のない恐怖感が段々とミリィの中で膨らんで行く。エリネもまた不安を胸に抱くものの、不思議と彼女ほど恐ろしくは感じていない。
ミリィを支えるよう、エリネはしっかりと彼女の手を握り返す。
「大丈夫です。私が傍にいますよ。もし何かあったら私が魔法で援護してちゃちゃっと逃げ出しちゃいましょう」
気軽な口調のエリネとその笑顔に、ミリィの不安が幾ばくか消える。
「キュウゥウゥゥ…」
前方の不穏な空気を感じ取ったのか、ルルもまた全身の毛を逆立てては、やがて見えた通路の終わりに向けて唸りを上げた。
(うっ?何この臭い…)
何かの悪臭を感じたエリネが耳打ちする。
「ミリィさん、頭抑えて」
「はい…っ」
二人は身を低くし、通路を抜けだした。
二人は、先ほどよりも数倍ほど広い貯水用の空間を俯瞰できる、高い土台の頂上に出た。貯水用空間の壁沿いに建てられた折り返し階段が繋がる、その空間の底は水が枯れており、細い流れが数本しか流れていない。壁には同じ魔晶石のカンテラが多く設けられてるため、視界の確保には困らない。
ただ広い空間は先ほどのように多くの柱があるが、その殆どが倒壊していた。壁には他の場所へ続く通路口がいくつもあり、恐らくかつて資材置き場としての空間を改築したものだろう。
――そんなただ広い空間の中に、何百もの人々がそこにいた。
頭をあげ、苦悶と悲痛の声をあげては呆然と立つ彼らの鼻と耳、口から、異形の触手がみな同じ方向へと、さながら祈りを捧げるように鳴きながら怪しくうねる。天井に貼り付いては紫色の脈動を怪しく打つ、半球体のそれに向けて。
【続く】
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