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第十一章 老兵とツバメ
老兵とツバメ 第七節
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作戦本部の会議室で、ウィルフレッド達五人は手元のレポートを無表情のまま目を通すミハイルを見る。ほどなくしてミハイルはホログラムパネルを閉じ、いつもの淡々とした口調で告げた。
「大体の状況は理解した。シティにも特に被害はなく、作戦は大成功と言えるな。ご苦労だった。メンテを受けてしっかり休むと良い」
「え」
「? どうしたウィルフレッド」
「いえ、その…、こ、子供の件については…?」
「子供?」
ミハイルがずっと傍で待機しているビリーを見て、ビリーはぶんぶんと顔を横に振った。
「…レポートでは変異体が無事排除されたこと以外書かれてない。こちらの人員やシティにも大した被害はないから、このケースはこれで終了だ。以上」
訳の分からないウィルフレッド達を残し、ミハイルは会議室を出た。
自分のポータブルパネルでレポートを確認するサラ。
「マジだ、あのガキのことどこにも載ってねぇぞ?」
ウィルフレッド達はレポートを書いた本人、ビリーの方を見る。
「ビリー、まさかあんたが…?」
「あはは、僕がこっそりと先に救助した後部列車の人員リストに移動させたよ。他のアルマと変異体の目撃者同様に記憶操作と三か月間の監視は免れないけど…これで貴方がまた命令違反による処罰を受けずに済むから」
「けれど、どうして…?上にバレたら、あんただって無事には済まさないのに」
ビリーが少し照れ臭そうに頬を掻く。
「それは…あなたに影響されたから、かな」
「俺、に?」
怪訝とするウィル。
「貴方が命令違反も顧みず誰かを助けるのを見たときは、酔狂な人だなと思ったけど…、アルマとして異星人から地球を守って、子供を助ける様を見ててさ、英雄ってのはまさにあなたみたいな人を指すのではないかと感じて、こっちまで胸も熱くなって、つい、ね」
アオト達が微笑ましそうに眼を見張るウィルフレッドを見つめると、ビリーが敬礼してその場を離れた。
「はっ、傑作じゃねぇかウィル、てめぇが英雄だとさ」
「やめてくれサラ、俺はそんなつもりじゃ…」
照れるウィルフレッドの肩にキースが手を乗せる。
「どうやらあんた、あいつの王子様になったようだね」
「キース…」
この前、アオトにひっそりと童話の話を教えられたキースは、穏やかな笑顔でアオトを見てから視線をウィルフレッドに戻す。
「あいつはあんたの行動見て、たとえ自分が処罰されても行うに値すべきことを見つかったってことだ。つまりウィルはツバメと同時に王子様でもあるんだな」
「うん、キースの言う通りだよ」
更に賞賛するアオトにますます顔が赤くなるウィルフレッド。
「だから俺はそんなわけじゃ…ギルが俺のわがままを許してくれたから…」
ギルバートがいつもの不敵な笑顔を返す。
「言ったろ、身内を甘やかすのも家族というものだ。気にすんな」
「おいキース、なんだツバメとか王子とかってんのは?」
「あ、やば」
キースに申し訳なさそうに見られ、アオトが慌てて話に割り込む。
「ああっ、別に大したことじゃないよ。それよりも今日は疲れたんだから――」
「ほーぅ、あんたがこう慌てるってこたぁ、何かアタシに知られてはまずいことでもあんのかアオト?」
「いや別にそういう訳じゃぐぇっ!」
ニヤ付くサラの腕が首絞め殺法を繰り出す。
「おらおら白状しろやアオトッ、てめぇ何隠してんだっ?」
「別になにもぐぇぇぇぇっ」
「ちょっとちょっと、穏便に頼むよサラ」
キースが苦笑しながら二人を引き離そうとし、ウィルフレッドも手伝おうとしてはサラにぶたれ、それを見てギルバートが大笑いする。会議室は暫く、彼らの談笑の声が響き渡っていた。
******
ガルシアの館のテラスに、ウィルフレッドの意識が戻る。きらめく夜空を見上げたまま、その手に持っているツバメの首飾りをさすり、今は亡き友人達のことを偲ぶ。
「アオト…キース…みんな…」
「アオトさん…って誰ですか」
ウィルフレッドが振り返ると、そこにはルルを肩に乗せたエリネが立っていた。
「エリー」
「すみません。廊下を通ったらウィルさんの声が聞こえて、つい。…ひょっとしたら立ち入ったこと聞いちゃいました?」
「いや、そんなことはないさ」
微笑むウィルフレッドの傍で、エリネもまた当たり前のように手すりにもたれる。
「寝なくていいのか?今日は一日子供の相手して疲れただろう?」
「大丈夫ですよ。こうして誰かとお話しするのも立派な休みですから」
「そうか」
「それで、その、アオトというのは人の名前ですか?…もし、言いづらい話だったら、無理に話さなくても――」
「別に大丈夫だ。それに、この前エリーのこと教えてくれたんだから、俺が何も言わないのは不公平だしな」
その話にエリネは寧ろむっと顔を可愛らしくしかめる。
「だめですよ。こういうのは公平とかそう言うもので比べるものじゃないのですから。嫌でしたら無理に言わなくてもいいですからね」
エリネの言葉に、やはりしっかりしていると密かに感心する。
「君の言う通りだな。でも本当に大丈夫だ。少しぐらい、昔話をしたくなる気持ちになってるから」
そう言ってウィルフレッドは再び星空を見上げる。
「アオトはギルと同じように元の世界でチームを組んでいた、俺の大事な友人…家族の一人だった。気が弱い奴だが、俺の世界の童話とか神話を読むのが好きで、今日聞かせたお話は全部彼に教えてもらったんだ」
エリネはあえて彼がどうなったのかは聞かない。"だった"と言う時の声の表情が、既に答えを出しているから。
「彼は今日で話したツバメの話…『物好きなツバメ』がとても好きで、俺はそのツバメに似ていると良く言っていたな」
それを語るウィルフレッドの声の表情はどこか嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。
「なるほど、言われて見たら確かにどことなく似てる気がしますね」
「エリーもそう思うのか?俺はどうもピンと来ないな…。人を助けるところが特に、と彼は言うが、俺はあくまで自分のためにやってるんだから…」
「それでも、助けられた人達にとってウィルさんがツバメなのは間違いないですし、ハーゼン町で子供をなだめた時や、今日子供達にお話を聞かせた時のウィルさんの声の表情ってとても優しかった。だからウィルさんの優しさは本物だと私は思ってますよ。貴方がどう思っても、子供達の喜びの声は本物ですからね」
「キュッ」
エリネの明るい笑顔に、ウィルフレッドもまた釣られて微笑む。
「…ありがとう、エリー。俺としては人を助ける意味ならエリーの方がツバメっぽいんだけどな」
「そうかなあ。私はただ女神様の教えに従ってるだけですし、誰かを助けるのってあたりまえだと思いますから」
「…なんだかお世話の件といい、お互い、似たようなやりとりをずっとやってるような気がするな」
「ふふ、本当にそうですよね」
少し面白おかしそうに笑う二人。
「そういえば、もう一人の友人が言っていたな。人は誰しも誰かのツバメになる可能性を秘めていて、その違いはその人にとっての王子に出会ってるかいないかにあると」
「なるほど、例えばシスターがいなかったら、私も多分今の私じゃなかったかも知れないって感じかな。…凄いですね、ウィルさんの友人さん。とても面白い観点です」
「そうだな。その友人…キースというのだけど、俺とアオトの兄貴みたいで、チームの中で一番逞しい図体してるのに、見た目以上に思慮深くて、奥深い言葉を良く言ってるから、いつもサラというもう一人の友人に良く突っ込まれててたんだ」
彼らを語るウィルフレッドの声には懐かしさと、今までに見ない心からの嬉しさがあった。それをエリネは少しだけ、嬉しくも寂しく感じられた。この前、銃を構えた時に感じた隔てが異世界と言う空間の遠さなら、これは遠い過去の思い出という、時間の壁に隔てられたみたいだから。
「…ウィルさんって、その人達ととても仲が良かったのですね」
エリネはあまり踏み込まず、注意深く言葉を選んだ。ごく僅かな悲しみの声の表情で、彼らの行く末はなんとなく察するし、なによりその話題の先には、あのギルバートがいるから。
「ああ」
彼はギュッと、ツバメの首飾りを掴む。
「…エリー、その、もう少し待ってくれ。整理がついたら、君や皆に全部明かすから、俺とギル達に起こったこと、全てを」
「うん」
もっと彼のことを知りたいという渇望を、無自覚に抑えながら応えるエリネ。今の語らいやソラ町で夢を語っていた時のように、彼の言葉に隠されたやりきれなさがその渇望をより育てている理由も気付かずに。
「…あれ?」「キュッ?」
ふと、エリネは何かに気がついたようにウィルフレッドに向いて匂いを嗅ぎ始める。
「エリー?」
「ウィルさんから、なんだかとても良い匂いがする」
「あ、そうか、危うく忘れるところだった」
彼はコートの中から、とても丁寧に包まれた綺麗な小瓶を取り出す。
「これは今日買った香水なんだけど、エリーにあげるよ」
「えっ、私にっ?」
「ああ。この世界に来てからずっと君の世話になったし、今は治療までお願いしているからな。その感謝のお礼として、君にこれをあげたい」
予想外のプレゼントに、エリネが手を合わせて満面の笑顔を見せてあげる。
「わあっ、ありがとうございますっ!別に気にしなくてもいいのに、でも、嬉しいですっ!」「キュキュウッ!」
彼の手から小瓶を受け取り、それをとても大事そうに触れて形を確かめる。
「今ここで開けてもいいですか?」「ああ」
コルク栓を抜き、さっぱりとしながら、元気で明るい香りがふわりと彼女の鼻をくすぐる。
「良い匂い…っ。今まで嗅いだこともない香りですっ」
「店員がお勧めしたもので、アクリタスという花から精製された香水だそうだ。花言葉は明るさで、いつも元気なエリーにはぴったりと思って」
「へえ~、そうなんですね」
ルルも遠くから小さく嗅いだが、あまり合わなかったのか頭をそっぽ向いた。
小瓶をより鼻に近づけて嗜むように香りを満喫するエリネ。
「ふふふっ」
「どうした?」
「ううん、こんな素敵な贈り物を頂いて、なんだか凄く嬉しいな、と思っただけです」
小瓶を大事そうに抱え、元気良く、そしてどこか照れてるような、愛らしく微笑む彼女。それをまるで自分のことのように嬉しく微笑むウィルフレッド。
「ありがとうウィルさん、大事に使いますねっ」「ああ」
栓をしなおし、それを大事に懐にしまうエリネ。
「今日はなんだかウィルさんと凄く距離を縮められた感じです。一杯素敵なお話を知っていて、お友達のことも知って、こんな素敵なものをもらえて、本当に嬉しいです」
その言葉に彼は少し申し訳なさそうに俯く。
「そ、そうか。すまない、別にわざと距離を置いてる訳では――」
「分かってますよ。それよりもウィルさん、いつかそちらの童話をもっと聞かせてください。ツバメさんとか、素敵なお話が本当に一杯だったのですから」
「ああ、時間があれば俺にも是非ここの童話を聞かせてくれ」
「勿論ですっ」
「…ツバメ」
テラスの入口からの声に、二人は振り向く。
「きみは…ノア?」
そこには昼の時に、ずっと一人で積み木を遊んでいた子が立っていた。熊のぬいぐるみを抱いたまま呆然と二人を、いや、ウィルフレッドを見ていた。
「君は…?」
「ノアという子だ。両親が助けた盗賊に殺されて孤児になったところをガルシアに引き取られたそうだ」
「そんな…」
二人はノアの前で屈んで彼に話しかける。
「どうしたの君、眠れないの?」
エリネが優しく彼に語りかけるが、彼は依然としてその視線をウィルフレッドに向けていた。
「ツバメさん…」「え?」
「ツバメさん。人を助けて、死んじゃった。父さんと母さんも、人を助けたのに、死んじゃった。悪魔に殺された」
ウィルフレッドとエリネが互いを見る。
「女神様は、人を助けるのは良いことだって言ったのに、どうして父さんと母さんは死んじゃったの?どうしてツバメと王子さまは死なないといけないの?」
「ノアくん…」
心を締め付ける感覚に、杖を強く握りしめるエリネ。
「…そうだな。確かにひどいよな」「ウィルさん…」
ウィルフレッドは跪き、ノアの肩にその手を置いた。それは、かつて自分が幾度も自問した質問でもあり、その子の今の気持ちを、彼は痛いほど共感していた。
「誰かを助けても、必ずそれが報われる保証はどこもないし、自分が良いことと思ったことをしても、それが結局悪い結果になることもある。理不尽だよな」
アオトの最後の姿が、かつて地球での様々出来事とともにウィルフレッドの脳裏を過ぎる。
「じゃあ…良いことをするのって意味ないことなの?」
「それは違う、違うさ、ノア」
彼は、どう言えばまだ幼いノアに理解できるのか必死に考えた。
「もし俺達がそれで誰かを助けることをやめたら、その時点で俺達は理不尽に負けてしまう。…例えば、君を引き取ったガルシアがそうだ」
ガルシアの過去なぞ知らないが、それでも彼は言い続けた。
「彼も過去できっと、似たような理不尽に会ったことがあると思う。でもそこで彼が良いことをやめたら、ノアは今でも一人ぼっちのままかも知れないし、今この館にいる子供達もみんな、悲しく怖い思いをしたまま過ごしていることになる」
子供の頃、ストリートでさ迷った光景が過ぎる。
「エリーも俺も君と同じ孤児だけど、どっちも優しい人に出会ってたから、こうしてノアにお話を聞かせることができた。もし理不尽に負けたら、このような結果になる可能性は一ミリも存在しなくなってしまう。ツバメも王子様も、それを知って最後まで人を助け続けたと思う。だからノア、君も今の状況という理不尽に負けないでくれ」
(ウィルさん…)
エリネも彼の隣に跪いてノアに優しく語りかける。
「それだけじゃないですよ。今ノアくんのお父さんとお母さんは、きっとツバメと王子様のように女神様の元で幸せに暮らしながら、ノアくんのことを見守っているわ。だから元気出して、その姿を二人に見せてあげないとね」
「僕を…見てる…父さん…母さん…」
虚ろなノアの目からほろりと涙が流れ、そんな彼をウィルフレッドはなだめるように頭を撫で、エリネもそっと背中をさすってあげた。
「ほらノアくん、もう遅いから早く寝ましょう。朝で元気な姿をご両親に見せるためにもね」
ノアは少し怯えるように頭を振るう。
「…寝るの嫌い。悪魔、またくるかも知れないから」
手を通してノアの体が少し震えてるのを感じたエリネ。どうなだめようと思案するなか、ウィルフレッドがテラスの傍まで生え上がってる木に近づき、ナイフでその枝一本を切り落としては素早く細工をしていく。
「ウィルさん?」
ほどなくして彼の手に、簡易な糸を通して首飾りとして作られた、小さな一枚の木製のメダルが出来上がる。それを見たノアが軽く声をあげる。
「あ、ツバメさん…」
そのメダルに一羽のツバメが彫刻されていた。ウィルフレッドはそのメダルをノアに手渡し、大きな両手で彼の手を包んだ。
「これはお守りだ。もし本当に悪魔がきたら、ツバメが王子の短剣とともにそれを追い出すように祈ってみてくれ。…君の両親のことは助けられなかったけど、今度はちゃんと間に合うよう、俺も女神様に祈るから」
「まあ、凄いっ、良かったねノアくんっ」
手渡されたメダルをノアはじっと見つめ、エリネもまたウィルフレッドの優しさに触れたのか、嬉しそうな表情を彼に向けた。
「一人で寝るのが嫌なら、私の部屋で一緒に寝てもいいですよノアくん」
ノアはメダルを見つめたまま、こくりと頷いた。
「よかった。それじゃいきましょ。ウィルさん、今日は本当に色々とありがとう」
「こっちこそ、明日の朝はよろしく頼む。お休み二人共」
「うん、おやすみなさい。ほら、いきましょノアくん」
手を繋いでは、二人は館内へと向かう、その途中、ノアが立ち止まっては振り返る。
「ノアくん?」「…オオカミさん…」
何か言いたげなノアは、暫く戸惑ってるように彼を見つめては、また振り返って屋内へと移動し、エリネもそのまま彼に軽く引張られては館内に入る。そんな二人をウィルフレッドは見送った。
(…まだ少し、時間がかかりそうだな)
自分の手を力強く掴むノアに、エリネはそれぐらいの元気は出たと安心する。すると先ほどウィルフレッドとの会話が、優しさの温かみが再び記憶に浮かび上がり、口元を軽く緩ませる。彼女はそっと懐にしまった彼からの香水の小瓶に触れた。
二人を見送ると、ウィルフレッドは最後に夜空を見上げては館内へと入る。一階でそっと聞き耳を立てたガルシアもまたその場を離れた。
******
「そうだったの…とても辛い目にあったのね、ノアくん」
就寝用の服装に着替え、同じく着替えたエリネと同室となったアイシャは、エリネの膝で熊のぬいぐるみを抱きながらツバメのメダルをいじっているノアを見ていた。
「うん。だからごめんなさい、アイシャさん。部屋で一緒に寝ることになってて」
「いいんですよ。私だって子供と一緒に寝られるの結構嬉しいのですから」
「良かった。ほらノアくん、覚えてる?昼では女神の巫女様と紹介したアイシャさんよ」
「…巫女様?」
女神の巫女という言葉に反応し、ノアはエリネの膝から降りてはアイシャの方に歩みよる。
「巫女様、今度は女神様、ちゃんとツバメを送ってくれるの?」
「ツバメって…、ああ、ウィルくんが言ってたあのお話の?」
「あ、実はですね――」
エリネは先ほどウィルフレッドと一緒に屋上で話したことをアイシャに説明する。
「なるほど、そうだったのね。よいしょっと」
アイシャはノアを自分の膝に抱き上げ、月の明かりのような柔らかな笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ、ツバメさんを送って悪魔を追い払うよう、私がしっかりと女神様に伝えてあげますから」
アイシャを暫く見つめると、ノアは少し安心したような頷きをし、アイシャとエリネは互いを向いて微笑んだ。
疲れたのか、エリネ達になだめられたノアは程なくしてアイシャの膝を枕にして熟睡し、彼女は母のように彼を優しく撫でる。
「ノアくん、余程辛かったんでしょうね…。今日になってようやく気持ちが和らいだ気もします」
「うん。彼の境遇を考えたら無理ないもの」
メダルを首飾りにして握ってるノアの安らかな寝息が聞こえると、アイシャは興味津々とエリネに尋ねる。
「ねえエリーちゃん。さっきウィルくんとはどんなお話をしてたの?」
「え?ただの雑談ですよ」
ウィルフレッドの友人の話は、本人から言った方が良いと思って避けた。
「他にいつものお礼として、お土産を貰ったぐらいで――」
「まあまあっ、ウィルくんからの贈り物なのっ?」
そこに食いついたアイシャの声の表情から、エリネはすぐさまアイシャの考えを察し、苦笑する。
「あはは、別にアイシャさんが思うような意味じゃないですよ。あれは単に日ごろの感謝という意味でウィルさんが――」
「本当~?本当は別に伝えたいことがあるんじゃないかなぁ~」
「もお~、違いますから。私よりも寧ろアイシャさんの方が気になりますよ。お兄ちゃん、何かアイシャさんに失礼働いてはいません?」
「え?カイくん?」
話題を切替されてアイシャはすぐさま口ごもる。自分のこととなるとこうなるのねと、エリネは心の中で苦笑した。
「大丈夫ですよ。カイくんはとてもしっかりしていて。失礼を働くどころか色々と気付かせてくれることが多くて…」
彼女の声がだんだんと小さくなる。
「アイシャさん?」
「…エリーちゃんは、カイくんが王族の私と付き合うのは反対ですか?」
「まさか、確かに平民のお兄ちゃんが巫女様で王女様のアイシャさんと付き合うのが勿体無いというか、それ自体が難しいと思ってますけど、アイシャさんが望むなら私はお二人さんをちゃんと応援しますよ」
「エリーちゃん…」
「それに、私もお兄ちゃんもあまり貴族様や王族との交流にそこまで意識しないんです。だってほら、レクス様はあの通りですから、慣れてるんですよ。身分の差をあまり気にしないと言いますか」
くすりとアイシャが笑う。
「その言い方だと、まるでレクスさんによる悪影響のせいみたいですね」
「えへへ、実際その通りかも知れないです」
心なしか遠くからくしゃみの音と、それを愚痴る女性の声が聞こえた。
「とにかく、王族のことはあまり詳しくありませんけど、私はいつまでもアイシャさんのこと応援してますし、お話もいつも聞いてあげますよっ」
少し気合を入れるように愛らしいガッツポーズを取るエリネ。
「ふふ、ありがとうエリーちゃん。ごめんなさいね、変な話してしまって」
「良いのですよ。ノアくんももう寝てるし、私達もそろそろ寝ましょう」
「そうですね。おやすみなさい、エリーちゃん」
「おやすみなさい、アイシャさん」
二人は魔晶石と蝋燭の明かりを消し、ふかふかと気持ちよいベッドへと潜り込んだ。アイシャは、寝てもしっかりとメダルとぬいぐるみを掴んでいるノアを優しく抱きしめ、程なくして夢のまどろみに包まれる。
――――――
町を見回る数少ない衛兵を除き、虫の鳴き声しか聞かなくなった真夜中。ガルシアの館内、ラナとミーナ、ウィルフレッド、レクスにカイ、そしてアイシャ、エリネにノア、及び子供専用の寝室で寝ている子供達はみな、優しい夢を見ながら熟睡していた。
――――ィィ…
ゆっくりと、エリネが身を起こす。
「…?」
意識がはっきりせず、何故起きたのもわからないまま、再び寝込む。
――――イィィ…
「…なに?」
再び身を起こし、耳を手で当てながら軽く揉むエリネ。
「…いつもの耳鳴りかしら」
聴覚が常人よりも敏感なエリネは時折意図しない耳鳴りを起こす。今回もそうだろうと思い、ぼーっとしながらエリネは室内の予備用の枕を取って耳を塞ぐように当てる。
「これでよし…」
暫くして、エリネの意識は再び夢へと沈んだ。外の虫の鳴き声だけが、壁を通してかすかに聞こえる。
――――イィィィィ
ノアの目が開いた。未だ穏やかに眠るアイシャの手をどかしながら、ベッドから降りて、ドアを開けて外へと歩き出す。
静まり返った廊下を、ノアは目を開いて通り過ぎる。そして他の部屋からも一人、また一人と、館の子供達がノアと同じような目で歩き出て、ともに館の裏から出ていく。門番の衛兵たちもまた、虚ろな瞳を夜空に向けては呆けていた。
子供達は行軍のように規律よく二列となり、無人の街道を歩いてゆく。この町の一番高い建物、荘厳な四階立ての鐘塔の屋根に、鳥のような形の大きな影が、紫の目を怪しく光らせながらその光景を見下ろしていた。
【続く】
「大体の状況は理解した。シティにも特に被害はなく、作戦は大成功と言えるな。ご苦労だった。メンテを受けてしっかり休むと良い」
「え」
「? どうしたウィルフレッド」
「いえ、その…、こ、子供の件については…?」
「子供?」
ミハイルがずっと傍で待機しているビリーを見て、ビリーはぶんぶんと顔を横に振った。
「…レポートでは変異体が無事排除されたこと以外書かれてない。こちらの人員やシティにも大した被害はないから、このケースはこれで終了だ。以上」
訳の分からないウィルフレッド達を残し、ミハイルは会議室を出た。
自分のポータブルパネルでレポートを確認するサラ。
「マジだ、あのガキのことどこにも載ってねぇぞ?」
ウィルフレッド達はレポートを書いた本人、ビリーの方を見る。
「ビリー、まさかあんたが…?」
「あはは、僕がこっそりと先に救助した後部列車の人員リストに移動させたよ。他のアルマと変異体の目撃者同様に記憶操作と三か月間の監視は免れないけど…これで貴方がまた命令違反による処罰を受けずに済むから」
「けれど、どうして…?上にバレたら、あんただって無事には済まさないのに」
ビリーが少し照れ臭そうに頬を掻く。
「それは…あなたに影響されたから、かな」
「俺、に?」
怪訝とするウィル。
「貴方が命令違反も顧みず誰かを助けるのを見たときは、酔狂な人だなと思ったけど…、アルマとして異星人から地球を守って、子供を助ける様を見ててさ、英雄ってのはまさにあなたみたいな人を指すのではないかと感じて、こっちまで胸も熱くなって、つい、ね」
アオト達が微笑ましそうに眼を見張るウィルフレッドを見つめると、ビリーが敬礼してその場を離れた。
「はっ、傑作じゃねぇかウィル、てめぇが英雄だとさ」
「やめてくれサラ、俺はそんなつもりじゃ…」
照れるウィルフレッドの肩にキースが手を乗せる。
「どうやらあんた、あいつの王子様になったようだね」
「キース…」
この前、アオトにひっそりと童話の話を教えられたキースは、穏やかな笑顔でアオトを見てから視線をウィルフレッドに戻す。
「あいつはあんたの行動見て、たとえ自分が処罰されても行うに値すべきことを見つかったってことだ。つまりウィルはツバメと同時に王子様でもあるんだな」
「うん、キースの言う通りだよ」
更に賞賛するアオトにますます顔が赤くなるウィルフレッド。
「だから俺はそんなわけじゃ…ギルが俺のわがままを許してくれたから…」
ギルバートがいつもの不敵な笑顔を返す。
「言ったろ、身内を甘やかすのも家族というものだ。気にすんな」
「おいキース、なんだツバメとか王子とかってんのは?」
「あ、やば」
キースに申し訳なさそうに見られ、アオトが慌てて話に割り込む。
「ああっ、別に大したことじゃないよ。それよりも今日は疲れたんだから――」
「ほーぅ、あんたがこう慌てるってこたぁ、何かアタシに知られてはまずいことでもあんのかアオト?」
「いや別にそういう訳じゃぐぇっ!」
ニヤ付くサラの腕が首絞め殺法を繰り出す。
「おらおら白状しろやアオトッ、てめぇ何隠してんだっ?」
「別になにもぐぇぇぇぇっ」
「ちょっとちょっと、穏便に頼むよサラ」
キースが苦笑しながら二人を引き離そうとし、ウィルフレッドも手伝おうとしてはサラにぶたれ、それを見てギルバートが大笑いする。会議室は暫く、彼らの談笑の声が響き渡っていた。
******
ガルシアの館のテラスに、ウィルフレッドの意識が戻る。きらめく夜空を見上げたまま、その手に持っているツバメの首飾りをさすり、今は亡き友人達のことを偲ぶ。
「アオト…キース…みんな…」
「アオトさん…って誰ですか」
ウィルフレッドが振り返ると、そこにはルルを肩に乗せたエリネが立っていた。
「エリー」
「すみません。廊下を通ったらウィルさんの声が聞こえて、つい。…ひょっとしたら立ち入ったこと聞いちゃいました?」
「いや、そんなことはないさ」
微笑むウィルフレッドの傍で、エリネもまた当たり前のように手すりにもたれる。
「寝なくていいのか?今日は一日子供の相手して疲れただろう?」
「大丈夫ですよ。こうして誰かとお話しするのも立派な休みですから」
「そうか」
「それで、その、アオトというのは人の名前ですか?…もし、言いづらい話だったら、無理に話さなくても――」
「別に大丈夫だ。それに、この前エリーのこと教えてくれたんだから、俺が何も言わないのは不公平だしな」
その話にエリネは寧ろむっと顔を可愛らしくしかめる。
「だめですよ。こういうのは公平とかそう言うもので比べるものじゃないのですから。嫌でしたら無理に言わなくてもいいですからね」
エリネの言葉に、やはりしっかりしていると密かに感心する。
「君の言う通りだな。でも本当に大丈夫だ。少しぐらい、昔話をしたくなる気持ちになってるから」
そう言ってウィルフレッドは再び星空を見上げる。
「アオトはギルと同じように元の世界でチームを組んでいた、俺の大事な友人…家族の一人だった。気が弱い奴だが、俺の世界の童話とか神話を読むのが好きで、今日聞かせたお話は全部彼に教えてもらったんだ」
エリネはあえて彼がどうなったのかは聞かない。"だった"と言う時の声の表情が、既に答えを出しているから。
「彼は今日で話したツバメの話…『物好きなツバメ』がとても好きで、俺はそのツバメに似ていると良く言っていたな」
それを語るウィルフレッドの声の表情はどこか嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。
「なるほど、言われて見たら確かにどことなく似てる気がしますね」
「エリーもそう思うのか?俺はどうもピンと来ないな…。人を助けるところが特に、と彼は言うが、俺はあくまで自分のためにやってるんだから…」
「それでも、助けられた人達にとってウィルさんがツバメなのは間違いないですし、ハーゼン町で子供をなだめた時や、今日子供達にお話を聞かせた時のウィルさんの声の表情ってとても優しかった。だからウィルさんの優しさは本物だと私は思ってますよ。貴方がどう思っても、子供達の喜びの声は本物ですからね」
「キュッ」
エリネの明るい笑顔に、ウィルフレッドもまた釣られて微笑む。
「…ありがとう、エリー。俺としては人を助ける意味ならエリーの方がツバメっぽいんだけどな」
「そうかなあ。私はただ女神様の教えに従ってるだけですし、誰かを助けるのってあたりまえだと思いますから」
「…なんだかお世話の件といい、お互い、似たようなやりとりをずっとやってるような気がするな」
「ふふ、本当にそうですよね」
少し面白おかしそうに笑う二人。
「そういえば、もう一人の友人が言っていたな。人は誰しも誰かのツバメになる可能性を秘めていて、その違いはその人にとっての王子に出会ってるかいないかにあると」
「なるほど、例えばシスターがいなかったら、私も多分今の私じゃなかったかも知れないって感じかな。…凄いですね、ウィルさんの友人さん。とても面白い観点です」
「そうだな。その友人…キースというのだけど、俺とアオトの兄貴みたいで、チームの中で一番逞しい図体してるのに、見た目以上に思慮深くて、奥深い言葉を良く言ってるから、いつもサラというもう一人の友人に良く突っ込まれててたんだ」
彼らを語るウィルフレッドの声には懐かしさと、今までに見ない心からの嬉しさがあった。それをエリネは少しだけ、嬉しくも寂しく感じられた。この前、銃を構えた時に感じた隔てが異世界と言う空間の遠さなら、これは遠い過去の思い出という、時間の壁に隔てられたみたいだから。
「…ウィルさんって、その人達ととても仲が良かったのですね」
エリネはあまり踏み込まず、注意深く言葉を選んだ。ごく僅かな悲しみの声の表情で、彼らの行く末はなんとなく察するし、なによりその話題の先には、あのギルバートがいるから。
「ああ」
彼はギュッと、ツバメの首飾りを掴む。
「…エリー、その、もう少し待ってくれ。整理がついたら、君や皆に全部明かすから、俺とギル達に起こったこと、全てを」
「うん」
もっと彼のことを知りたいという渇望を、無自覚に抑えながら応えるエリネ。今の語らいやソラ町で夢を語っていた時のように、彼の言葉に隠されたやりきれなさがその渇望をより育てている理由も気付かずに。
「…あれ?」「キュッ?」
ふと、エリネは何かに気がついたようにウィルフレッドに向いて匂いを嗅ぎ始める。
「エリー?」
「ウィルさんから、なんだかとても良い匂いがする」
「あ、そうか、危うく忘れるところだった」
彼はコートの中から、とても丁寧に包まれた綺麗な小瓶を取り出す。
「これは今日買った香水なんだけど、エリーにあげるよ」
「えっ、私にっ?」
「ああ。この世界に来てからずっと君の世話になったし、今は治療までお願いしているからな。その感謝のお礼として、君にこれをあげたい」
予想外のプレゼントに、エリネが手を合わせて満面の笑顔を見せてあげる。
「わあっ、ありがとうございますっ!別に気にしなくてもいいのに、でも、嬉しいですっ!」「キュキュウッ!」
彼の手から小瓶を受け取り、それをとても大事そうに触れて形を確かめる。
「今ここで開けてもいいですか?」「ああ」
コルク栓を抜き、さっぱりとしながら、元気で明るい香りがふわりと彼女の鼻をくすぐる。
「良い匂い…っ。今まで嗅いだこともない香りですっ」
「店員がお勧めしたもので、アクリタスという花から精製された香水だそうだ。花言葉は明るさで、いつも元気なエリーにはぴったりと思って」
「へえ~、そうなんですね」
ルルも遠くから小さく嗅いだが、あまり合わなかったのか頭をそっぽ向いた。
小瓶をより鼻に近づけて嗜むように香りを満喫するエリネ。
「ふふふっ」
「どうした?」
「ううん、こんな素敵な贈り物を頂いて、なんだか凄く嬉しいな、と思っただけです」
小瓶を大事そうに抱え、元気良く、そしてどこか照れてるような、愛らしく微笑む彼女。それをまるで自分のことのように嬉しく微笑むウィルフレッド。
「ありがとうウィルさん、大事に使いますねっ」「ああ」
栓をしなおし、それを大事に懐にしまうエリネ。
「今日はなんだかウィルさんと凄く距離を縮められた感じです。一杯素敵なお話を知っていて、お友達のことも知って、こんな素敵なものをもらえて、本当に嬉しいです」
その言葉に彼は少し申し訳なさそうに俯く。
「そ、そうか。すまない、別にわざと距離を置いてる訳では――」
「分かってますよ。それよりもウィルさん、いつかそちらの童話をもっと聞かせてください。ツバメさんとか、素敵なお話が本当に一杯だったのですから」
「ああ、時間があれば俺にも是非ここの童話を聞かせてくれ」
「勿論ですっ」
「…ツバメ」
テラスの入口からの声に、二人は振り向く。
「きみは…ノア?」
そこには昼の時に、ずっと一人で積み木を遊んでいた子が立っていた。熊のぬいぐるみを抱いたまま呆然と二人を、いや、ウィルフレッドを見ていた。
「君は…?」
「ノアという子だ。両親が助けた盗賊に殺されて孤児になったところをガルシアに引き取られたそうだ」
「そんな…」
二人はノアの前で屈んで彼に話しかける。
「どうしたの君、眠れないの?」
エリネが優しく彼に語りかけるが、彼は依然としてその視線をウィルフレッドに向けていた。
「ツバメさん…」「え?」
「ツバメさん。人を助けて、死んじゃった。父さんと母さんも、人を助けたのに、死んじゃった。悪魔に殺された」
ウィルフレッドとエリネが互いを見る。
「女神様は、人を助けるのは良いことだって言ったのに、どうして父さんと母さんは死んじゃったの?どうしてツバメと王子さまは死なないといけないの?」
「ノアくん…」
心を締め付ける感覚に、杖を強く握りしめるエリネ。
「…そうだな。確かにひどいよな」「ウィルさん…」
ウィルフレッドは跪き、ノアの肩にその手を置いた。それは、かつて自分が幾度も自問した質問でもあり、その子の今の気持ちを、彼は痛いほど共感していた。
「誰かを助けても、必ずそれが報われる保証はどこもないし、自分が良いことと思ったことをしても、それが結局悪い結果になることもある。理不尽だよな」
アオトの最後の姿が、かつて地球での様々出来事とともにウィルフレッドの脳裏を過ぎる。
「じゃあ…良いことをするのって意味ないことなの?」
「それは違う、違うさ、ノア」
彼は、どう言えばまだ幼いノアに理解できるのか必死に考えた。
「もし俺達がそれで誰かを助けることをやめたら、その時点で俺達は理不尽に負けてしまう。…例えば、君を引き取ったガルシアがそうだ」
ガルシアの過去なぞ知らないが、それでも彼は言い続けた。
「彼も過去できっと、似たような理不尽に会ったことがあると思う。でもそこで彼が良いことをやめたら、ノアは今でも一人ぼっちのままかも知れないし、今この館にいる子供達もみんな、悲しく怖い思いをしたまま過ごしていることになる」
子供の頃、ストリートでさ迷った光景が過ぎる。
「エリーも俺も君と同じ孤児だけど、どっちも優しい人に出会ってたから、こうしてノアにお話を聞かせることができた。もし理不尽に負けたら、このような結果になる可能性は一ミリも存在しなくなってしまう。ツバメも王子様も、それを知って最後まで人を助け続けたと思う。だからノア、君も今の状況という理不尽に負けないでくれ」
(ウィルさん…)
エリネも彼の隣に跪いてノアに優しく語りかける。
「それだけじゃないですよ。今ノアくんのお父さんとお母さんは、きっとツバメと王子様のように女神様の元で幸せに暮らしながら、ノアくんのことを見守っているわ。だから元気出して、その姿を二人に見せてあげないとね」
「僕を…見てる…父さん…母さん…」
虚ろなノアの目からほろりと涙が流れ、そんな彼をウィルフレッドはなだめるように頭を撫で、エリネもそっと背中をさすってあげた。
「ほらノアくん、もう遅いから早く寝ましょう。朝で元気な姿をご両親に見せるためにもね」
ノアは少し怯えるように頭を振るう。
「…寝るの嫌い。悪魔、またくるかも知れないから」
手を通してノアの体が少し震えてるのを感じたエリネ。どうなだめようと思案するなか、ウィルフレッドがテラスの傍まで生え上がってる木に近づき、ナイフでその枝一本を切り落としては素早く細工をしていく。
「ウィルさん?」
ほどなくして彼の手に、簡易な糸を通して首飾りとして作られた、小さな一枚の木製のメダルが出来上がる。それを見たノアが軽く声をあげる。
「あ、ツバメさん…」
そのメダルに一羽のツバメが彫刻されていた。ウィルフレッドはそのメダルをノアに手渡し、大きな両手で彼の手を包んだ。
「これはお守りだ。もし本当に悪魔がきたら、ツバメが王子の短剣とともにそれを追い出すように祈ってみてくれ。…君の両親のことは助けられなかったけど、今度はちゃんと間に合うよう、俺も女神様に祈るから」
「まあ、凄いっ、良かったねノアくんっ」
手渡されたメダルをノアはじっと見つめ、エリネもまたウィルフレッドの優しさに触れたのか、嬉しそうな表情を彼に向けた。
「一人で寝るのが嫌なら、私の部屋で一緒に寝てもいいですよノアくん」
ノアはメダルを見つめたまま、こくりと頷いた。
「よかった。それじゃいきましょ。ウィルさん、今日は本当に色々とありがとう」
「こっちこそ、明日の朝はよろしく頼む。お休み二人共」
「うん、おやすみなさい。ほら、いきましょノアくん」
手を繋いでは、二人は館内へと向かう、その途中、ノアが立ち止まっては振り返る。
「ノアくん?」「…オオカミさん…」
何か言いたげなノアは、暫く戸惑ってるように彼を見つめては、また振り返って屋内へと移動し、エリネもそのまま彼に軽く引張られては館内に入る。そんな二人をウィルフレッドは見送った。
(…まだ少し、時間がかかりそうだな)
自分の手を力強く掴むノアに、エリネはそれぐらいの元気は出たと安心する。すると先ほどウィルフレッドとの会話が、優しさの温かみが再び記憶に浮かび上がり、口元を軽く緩ませる。彼女はそっと懐にしまった彼からの香水の小瓶に触れた。
二人を見送ると、ウィルフレッドは最後に夜空を見上げては館内へと入る。一階でそっと聞き耳を立てたガルシアもまたその場を離れた。
******
「そうだったの…とても辛い目にあったのね、ノアくん」
就寝用の服装に着替え、同じく着替えたエリネと同室となったアイシャは、エリネの膝で熊のぬいぐるみを抱きながらツバメのメダルをいじっているノアを見ていた。
「うん。だからごめんなさい、アイシャさん。部屋で一緒に寝ることになってて」
「いいんですよ。私だって子供と一緒に寝られるの結構嬉しいのですから」
「良かった。ほらノアくん、覚えてる?昼では女神の巫女様と紹介したアイシャさんよ」
「…巫女様?」
女神の巫女という言葉に反応し、ノアはエリネの膝から降りてはアイシャの方に歩みよる。
「巫女様、今度は女神様、ちゃんとツバメを送ってくれるの?」
「ツバメって…、ああ、ウィルくんが言ってたあのお話の?」
「あ、実はですね――」
エリネは先ほどウィルフレッドと一緒に屋上で話したことをアイシャに説明する。
「なるほど、そうだったのね。よいしょっと」
アイシャはノアを自分の膝に抱き上げ、月の明かりのような柔らかな笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ、ツバメさんを送って悪魔を追い払うよう、私がしっかりと女神様に伝えてあげますから」
アイシャを暫く見つめると、ノアは少し安心したような頷きをし、アイシャとエリネは互いを向いて微笑んだ。
疲れたのか、エリネ達になだめられたノアは程なくしてアイシャの膝を枕にして熟睡し、彼女は母のように彼を優しく撫でる。
「ノアくん、余程辛かったんでしょうね…。今日になってようやく気持ちが和らいだ気もします」
「うん。彼の境遇を考えたら無理ないもの」
メダルを首飾りにして握ってるノアの安らかな寝息が聞こえると、アイシャは興味津々とエリネに尋ねる。
「ねえエリーちゃん。さっきウィルくんとはどんなお話をしてたの?」
「え?ただの雑談ですよ」
ウィルフレッドの友人の話は、本人から言った方が良いと思って避けた。
「他にいつものお礼として、お土産を貰ったぐらいで――」
「まあまあっ、ウィルくんからの贈り物なのっ?」
そこに食いついたアイシャの声の表情から、エリネはすぐさまアイシャの考えを察し、苦笑する。
「あはは、別にアイシャさんが思うような意味じゃないですよ。あれは単に日ごろの感謝という意味でウィルさんが――」
「本当~?本当は別に伝えたいことがあるんじゃないかなぁ~」
「もお~、違いますから。私よりも寧ろアイシャさんの方が気になりますよ。お兄ちゃん、何かアイシャさんに失礼働いてはいません?」
「え?カイくん?」
話題を切替されてアイシャはすぐさま口ごもる。自分のこととなるとこうなるのねと、エリネは心の中で苦笑した。
「大丈夫ですよ。カイくんはとてもしっかりしていて。失礼を働くどころか色々と気付かせてくれることが多くて…」
彼女の声がだんだんと小さくなる。
「アイシャさん?」
「…エリーちゃんは、カイくんが王族の私と付き合うのは反対ですか?」
「まさか、確かに平民のお兄ちゃんが巫女様で王女様のアイシャさんと付き合うのが勿体無いというか、それ自体が難しいと思ってますけど、アイシャさんが望むなら私はお二人さんをちゃんと応援しますよ」
「エリーちゃん…」
「それに、私もお兄ちゃんもあまり貴族様や王族との交流にそこまで意識しないんです。だってほら、レクス様はあの通りですから、慣れてるんですよ。身分の差をあまり気にしないと言いますか」
くすりとアイシャが笑う。
「その言い方だと、まるでレクスさんによる悪影響のせいみたいですね」
「えへへ、実際その通りかも知れないです」
心なしか遠くからくしゃみの音と、それを愚痴る女性の声が聞こえた。
「とにかく、王族のことはあまり詳しくありませんけど、私はいつまでもアイシャさんのこと応援してますし、お話もいつも聞いてあげますよっ」
少し気合を入れるように愛らしいガッツポーズを取るエリネ。
「ふふ、ありがとうエリーちゃん。ごめんなさいね、変な話してしまって」
「良いのですよ。ノアくんももう寝てるし、私達もそろそろ寝ましょう」
「そうですね。おやすみなさい、エリーちゃん」
「おやすみなさい、アイシャさん」
二人は魔晶石と蝋燭の明かりを消し、ふかふかと気持ちよいベッドへと潜り込んだ。アイシャは、寝てもしっかりとメダルとぬいぐるみを掴んでいるノアを優しく抱きしめ、程なくして夢のまどろみに包まれる。
――――――
町を見回る数少ない衛兵を除き、虫の鳴き声しか聞かなくなった真夜中。ガルシアの館内、ラナとミーナ、ウィルフレッド、レクスにカイ、そしてアイシャ、エリネにノア、及び子供専用の寝室で寝ている子供達はみな、優しい夢を見ながら熟睡していた。
――――ィィ…
ゆっくりと、エリネが身を起こす。
「…?」
意識がはっきりせず、何故起きたのもわからないまま、再び寝込む。
――――イィィ…
「…なに?」
再び身を起こし、耳を手で当てながら軽く揉むエリネ。
「…いつもの耳鳴りかしら」
聴覚が常人よりも敏感なエリネは時折意図しない耳鳴りを起こす。今回もそうだろうと思い、ぼーっとしながらエリネは室内の予備用の枕を取って耳を塞ぐように当てる。
「これでよし…」
暫くして、エリネの意識は再び夢へと沈んだ。外の虫の鳴き声だけが、壁を通してかすかに聞こえる。
――――イィィィィ
ノアの目が開いた。未だ穏やかに眠るアイシャの手をどかしながら、ベッドから降りて、ドアを開けて外へと歩き出す。
静まり返った廊下を、ノアは目を開いて通り過ぎる。そして他の部屋からも一人、また一人と、館の子供達がノアと同じような目で歩き出て、ともに館の裏から出ていく。門番の衛兵たちもまた、虚ろな瞳を夜空に向けては呆けていた。
子供達は行軍のように規律よく二列となり、無人の街道を歩いてゆく。この町の一番高い建物、荘厳な四階立ての鐘塔の屋根に、鳥のような形の大きな影が、紫の目を怪しく光らせながらその光景を見下ろしていた。
【続く】
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