ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士たち-

レオナード一世

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第八章 虚無の呪詛

虚無の呪詛 第七節

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「みなさん、僕のアトリエにぜひ寄ってくださいっ!すぐ近くに屋台もありますよ!」
人が賑わう通りで、昨日残ったビラを懸命に配るカトー。昨日カイが数十分でやっと一人に配れた具合と違って、ビラは面白いほどすぐに全部配り終わった。
「へえ、そこにもアトリエがあったのか」「屋台もあるし、後で寄ってみようか」

(凄い、凄いよっ!まだ配り始めて間もないのにこんなに早く配り終わるだなんて!)
予想外の結果にカトーの心はこれまでになく興奮する。握る両手に汗が滲み、まるで雲の上を浮遊している絶頂感に溺れていた。

(これできっと後で屋台に大勢のお客さんが来てくれるっ。そうすれば僕の名も一気に上がって、作品も爆売れすること間違いなしだよっ!アリスに相応しい男になれるんだ!)

脳裏に浮ぶアリスとの華美な生活、大きな豪邸に使用人、自分の作品を褒めあうファン達のイメージが、まるで最上の麻薬の如くカトーの頭を酔わせていく。

(そうだよ、成功だっ!今度こそ僕は成功成コウを掴みっ、|ヴィーネスに行く夢を叶えてかナえてっ!貧しい貧しイ生活から抜け出すんだ抜け出すンだっ!)

「早く屋台の方を用意しないと!」
興奮のあまりに口をあけて笑いながら走り出すカトー。地面に映る彼の影の中で赤色の目が妖しく光った。


******


ケントの館の自室にいたアリスは、繊細な手を窓に添えて曇天に覆われた町を見下ろしていた。憂いを帯びたその眼差しに映るのは、かつて思い人と出会ってからの楽しい日々の思い出だった。
(カトー…)

――――――

「ねえ、この服似合ってるかな、模様とかとても可愛らしいかったからつい買っちゃったけど」
ある晴れた日のカトーのアトリエ。彼との逢瀬を楽しんでいたアリスは、町で買ったばかりの民族服装を着てカトーに披露していた。民族独特の模様と装飾が目を引く綺麗な服装だが、やや高めな露出にカトーの目が泳いでしまう。

「あ、うん。とても似合ってるよ、ただ、その…」
「なあに?」
「め、目のやり場にちょっと困るかなあ、なんて」
「カトーったら…」
初々しく頬を赤く染める二人。

「でも確かに模様とか全体の造形とかとても面白いねっ、見てると結構良いアイデアが浮びそうだよ」
「本当?それじゃあさっそく作ってみましょう。今回は何にする?水彩絵?それとも油絵?」
「そうだね…、今回は簡単な彫刻にしたいな。いつものモデル、お願いできる?」
「ええ、どんなポーズをすればいいの?」
「どうしようかな…あ、今度は窓の傍で座っててもらえる?この服装風に靡くととても綺麗そうだから」
「分かったわ」

空も晴れ、爽やかな日光とそよ風が窓から差込み、椅子に座るアリスの髪と服を艶やかに靡かせる。恋人のその姿と、服から垣間見る肌色が、彼女を観察するカトーの胸を更に高鳴らせる。

「ふふ、カトーったら顔真っ赤よ。これじゃ次に約束したヌードモデルだと大変なことになりそうね」
「か、からかわないでよ。それよりももう少しリラックスして、好きなようにポーズとってていいから」
「ええ」

アリスが窓に顔を伏せては、自分を照れながら観察するカトーを見てくすりと笑う。
最初はカトーの目が中々定まらなかったが、徐々に彼は没頭し、アリスを色んな角度で見て長考すると、ノミを持ち上げて目の前の石を掘り始めた。

「こうかな…いや、こっちがいいや。よしっ。…う~む形はどうしよう…」
ふと一際強い風が窓から吹いて、アリスが思わず髪を抑え、それを見たカトーがパチンと指を鳴らす。
「そうだ、こうしようっ」

先ほどのウブな様相はもはや消え、時には悩み、時には浮んだアイデアに明るい笑顔を見せ、ただひたすらと自分の世界に没頭していく。アリスはそんなカトーを見て自然と顔が綻んだ。
(ふふ、やっぱり、そうやって楽しそうに物を作るカトーが一番素敵ね)

爽やかな風の音と、ノミが石を削る音だけが響くアトリエ。
(…でも…)
一意専心のカトーが嬉しそうに没頭する程、アリスの胸に軽くもやもやとした気持ちが湧き上がる。
(こういう時のカトーって、もう私じゃなく芸術だけを見てる気がするから、ちょっと複雑、かな)
そんな乙女心を感じながら、可愛らしく小さく口を尖らせるアリスであった。

「よし、もういいよアリスっ!」
やがて出来上がった彫刻は、実際のアリスとは見えないぐらい抽象的なラインで構成された人だった。

「相変わらず個性的な作りね。これってどんなコンセプトなの?」
「これは女性の美しさを強かさで表現しようとしてるんだ。たとえ強い風の中でもしっかりとしているその姿から美しさを見出す感じで作ったんだ。まだ大体の形だけで、後でもっと細かく作りこまないといけないけどね」

「ふふ、カトーって本当に面白い発想するわね。普通の人ならもっとロマン流寄りに作るのに」
「せっかく作るのなら、主流とは違うものの方が楽しいからね。…そのせいで商売は上がったりだけど…ヴィーネスへの金も全然溜まらないし…」
「カトー…」

カトーは、アトリエで灰を被っている自分の作品群を虚しく見つめた。
「やっぱり、夢を叶うのならもっと主流に合わせた方がいいのかなぁ…。自己流の作風で創作するのが楽しくて今日までがんばってきたけど、誰かに認められてもらわないと何の意味もないし…」

アリスの心が軽く締め付けられる。芸術商の商人の娘としてずっと見届けてきたアーティスト達の苦労の姿は、カトーの苦悩を知るのに余りあるものだから。

「大丈夫よカトー。確かに貴方のスタイルは流行のものではないけれど、そこにちゃんと光るものがあるのは間違いないわ。それにいまさら主流に合わせても、競争の激しいヴィーネスじゃどこまで通用できるか分からないじゃない」
「それは…そうかもしれないけど…」

「作品をもっと多くの人に見てもらえれば、きっと貴方のスタイルを気に入ってくれる人が増えてくるわ。私もお父さまの隙を見て知り合いの美術商にカトーの作品を勧めるから、もっと自信を持って」

カトーは思わず口を噛み締める。アリスの優しさがカトーの卑屈な心をさらに辛くさせたから。
「ねえ…アリスは僕と一緒で本当にいいの…?このままじゃ君も辛い生活を強いられるかもしれないし…そもそも僕みたいなしがないアーティストじゃ、お嬢さんの君と釣りあわないし…」

段々と声が小さく鳴るカトーに彼らしいと苦笑しながらも、少し不満を表すように軽く口を尖らせるアリス。
「カトーったらまだそれを気にしてるの?初めて私がお父さまの娘と知った時と全然変わらないのね。あの時は青ざめた顔で私に土下座して謝ってばかりだったし」

「そっ、そりゃそうだよっ。まさか付き合ってた子が領主様のご令嬢だなんて…。心臓止まるかと思ったくらいびっくりしたよ本当に…」
「ふふ、でもそんなカトーもちょっと面白おかしくて可愛かった。私、つい大笑いしてたの覚えてる?」
「当然だよっ、あんな恥ずかしいこと忘れる訳ないじゃん…」

「じゃあ、あの時に私が言ったこともちゃんと覚えてる?」
「う、うん…。アリスは、それでも僕と一緒にいる…って…」
「そうよカトー。これでも私は美術商の娘なのよ。その生活がいかに辛いのか少しは理解しているつもりだし、一緒にいるために辛さを分担する覚悟も私はちゃんと持ってるわ」

アリスの繊細で美しい手がカトーの手に重なる。
「お願いカトー、私から、貴方自身から逃げないで。他の誰から理解されなくとも、私だけはちゃんと貴方のことを見ているわ。貴方の作品をいつも見ているようにね。それだけは忘れないで」
「アリス…」

少し恥ずかしそうに顔を上げてアリスを見つめるカトー。細身な彼女からは想像もできないぐらいその瞳は真っ直ぐで、強い意志に溢れていて、そして美しかった。

「分かったよアリス。僕、もう少しがんばってみるよ。自分の夢をかなえるために」
「うん。その意地よカトー。…大好き」
そう言うと、アリスはカトーの頬に不意打ちの口付けをした。

「ア、アリスっ」
顔を真っ赤にして慌てふためくカトーにアリスも少し恥ずかしながらくすりと笑った。二人の初々しくも幸せに溢れた笑顔が、その空間を温かな一枚の夢の絵画へと塗り上げた。

――――――

軽くノックされるドアの音がアリスの意識を今に引き戻した。彼女に付き添う専属メイド、マルーの声がドア越しに伝わる。
「お嬢様。レクスと呼ばれる殿方がお会いしたいとのことですが」
「レクス様っ?すぐ通してっ」
「かしこまりました」


マルーは来訪したレクスを接客室へと案内すると、程なくしてアリスも入室した。
「レクス様っ、こちらへお越しに頂いたということは、まさかっ」
「うん。そうだよ。その前に…」
レクスはメイドのマルーの方を一瞥する。

「マルーのことなら安心してください。昨日、信頼できるメイドに手紙を依頼していると仰いましたね」「じゃあ…」
「ええ。マルー」「はい」
アリスの意図を理解し、マルーは廊下に誰も居ないのを確認してからドアを閉じた。

「この部屋はお父様が重要な密会をする時に利用していて、壁の防音性も高いのですから誰かに聞かれる心配はありません」
「なら安心だね。それじゃあ報告しますよ」
レクスは、昨日ラナ達との調査で教団と妖魔ライムのこと、そしてウィルフレッド達から聞かされたカトーの件について説明した。

「そんな…お父様に言われて…カトーが離れて…」
「うん。町からまだ離れてないのが僥倖ぎょうこうだったね。たださっき言ったとおり、いま町には妖魔ライムが潜んでるから、僕達がこの件を解決してから彼を探しに――」
「…カトー…っ…」
「アリス殿?」

俯くアリスの頬にかすかに涙が見え、焦がれる思いに苦しむ胸に添える彼女の手は、まるで何かの決意を込めるように強く握り締める。
「レクス様、どうか今すぐ私をカトーの所に連れてってくださいっ」
「へっ?いやいや、さっき言ったでしょ、いま町には危険な妖魔が――」
「だからこそ尚更ここでじっとしてる訳にはいきませんっ!お願いですレクス様っ、少しでも良いので私も皆様の…カトーの力になりたいんですっ」

真摯なアリスの眼差しに気圧されそうなレクス。
「そうは言ってもね、そもそも衛兵達が貴女を外出させるかどうか…」
マルーが割り込んだ。
「それならご安心を。いま館の衛兵は領主視察の護衛に合わせて大半は町にいます。館から出るなら今が一番のチャンスです」
「マルー殿ぉ、ここは合わせて止めるのが普通でしょ~」

マルーは手を口に添えて不敵に笑う。
「まあ、レクス様は恋する乙女を止めるような無粋なマネなどしない、紳士なお方だと思っておりましたけど」
「いや、それとこれととはだね…」
なるほど、アリスとカトーの手助けをするだけのことはあるとレクスは苦笑する。

「分かりましたよ。ただしっ、万が一ライムに遭遇した場合は身の安全を最優先してくだいね」
「はいっ、ありがとうございます…っ」
「とは言っても、具体的にはどうやって館から出るの?」
「そこは私にお任せを。レクス様は先に正門から出て、館の裏口でお待ちしてください」

――――――

暫くして、使用人の普段着に素早く着替えたアリスはマルーとともに館の裏口へと向かってゆく。
「服に問題ありませんかお嬢様」
「ええ。ぴったりですよ。…ごめんねマルー、カトーの手紙といい、いつも貴女に迷惑をかけてしまって」
「いいのですよ。曇るお嬢様の顔を見るのは偲びないですし、女として誰かの恋路が邪魔されるのは見過ごせませんからね」
二人が微笑み合うと、衛兵が一人だけ立っている裏口へと到着した。

「おやマルー、今日はいつよりも買出し早いね」
「そうよラウル。この気恥ずかしい新入りの指導も兼ねてるから」
「新入り?へえ、どんな子なんだ?」
フードを深く被ったアリスに近寄ろうとするラウルにマルーが阻んで彼の頬にキスをした。

「もうラウルったら、私という恋人がいながら他の子に浮気する気なの?」
「あ、いやあ別にそういう訳じゃ…」
デレデレするラウルの胸にマルーの手が甘えるように撫でていく。

「今日の仕事が終わったらまたデートしてあげるから、ちゃんと大人しく待っててくれる?」
「も、勿論さっ、早く買出しを済ませてくれよ」
二人がキスを交わしたら、マルーはいそいそとアリスと共に裏口を出ると、その一部終始を見ていたレクスが待っていた。

「隅に置けないですねマルー殿。道理でアリス殿を手助ける訳だよ」
「ふふ、覚えてくださいねレクス様。この世で最も油断できない生き物は、恐ろしい魔獣モンスターよりも恋する乙女なのですよ」
「肝に銘じておくさ」

アリスがマルーに振り返る。
「ありがとうマルー。ラウルとは相変わらずで安心したわ」
「生真面目過ぎるのが玉に瑕ですけどね。それよりも早く行ってください。レクス様、お嬢様を頼みますよ」
「分かってますよ。行きましょうアリス殿。この時間ならカトーは屋台にいるはず」
「はいっ」
マルーに手を振りながら、二人はカトーがいる屋台を目指した。

(カトー…、今行くから待っててねっ)


******


道沿いで展示されたアーティスト達の作品の数々や、一部広場で開かれる彫刻コンテスト、絵画の鑑賞会で溢れかえる人々の景色を、ケントは衛兵と共に満足そうに見回っていた。
(今回のイベントも大成功だな。色んな人達の意欲的な作品が見られてこちらとしても眼福だ)

イベントの一環であるコンテストの会場で、ケントは展示された参加者の作品をじっくりと鑑賞する。作品には作者の情報が載ってるカードが添えており、今回もどうやら若い人達の参加者が結構多いようだ。これなら町の文芸活動も更に活気付けてられるだろう。

ふとカトーのことが頭の中を過ぎ、レクスが自分に言った言葉を思い出す。
(((ケント様だって、最初の頃は資金面や人脈で他人から色々と助けてもらったからこそ、今の成果があるんでしょ)))

確かに、それは紛れもない事実だ。こうしてイベントを開催して若いアーティストをサポートしているのに、光るところのあるカトーを一度の支援もせずに拒絶するのは、アリスを抜いてとても公平なものでは言えない。
(やはり、アリス絡み故に少々厳しすぎたのだろうか…付き合いは別として、支援くらいはすべきだったかも知れない…)

「おや。これはケンではないか。久しぶりだな」
ケントが振り返ると、そこには口ひげを蓄えた老紳士が立っていた。
「メイソン様っ?いつお戻りに?」
「一週間前にな。戦争で一部地域が行けなくなったから、早めに旅を切り上げて戻ってきたのだ」
「でしたら私のところに寄ってくださっても良かったのに」
苦笑するケントに老紳士が愉快そうに笑い出す。

「はっはっは、その前に今回のイベントを堪能したくでな。お陰で良い収穫もできた」
そう言って、メイソンは懐から一つの彫刻を取り出した。
「それは…?」
「昨日あるアーティストから買った彫刻でね。中々に味のある造形で妻に見せたら気に入ってもらえたし、新しいマーケットの開拓に繋がるかもと思って君に相談したかったのだよ」

メイソンが差し出すその彫刻を手に取って鑑賞する。リアリズムではない抽象的な造形にも関わらず、それが何故か娘のアリスを連想させた。それ故に、作者の心当たりはすぐについた。
「メイソン様、この彫刻はどのアーティストから買い上げたのですか?」
「確かカトーとかいう少年だったな。昨日にアトリエの宣伝ビラも貰ったぞ」

更に取り出したビラをケントが受け取ってみると、そこには確かにカトーの名前が書かれていた。彼が町から出なかったことに、ケントは困惑と同時に妙な安堵感も沸いた。
「中々見ないスタイルだろう。作者自身もまだ若いから、発展性には中々期待できると私は思っているが」
ケントは心中複雑そうにビラを見つめた。

「どうだケン。君は彼の作品についてどう考える。いや、言うまでも無いな。確かに独特性はあるが、安定性に欠けては作品としてリスクが高すぎる。このことは無しにしよう」
「えっ」
いきなりの態度変わりに驚愕するケント。

「それよりどうだ。久しぶりに一杯付き合ってくれないか。最近新しくできた酒場もあるしな」
「いや、それは構いませんが。先ほどはカトーのこと期待できると仰ったのでは?」
「カトー?誰かねそれは」
「なっ、誰って、ほら、この彫刻の…彫刻?」

ケントは更に混乱する。自分の手に見たことも無い彫刻と、聞いたこともない名前が書かれたビラがあるからだ。
(何故、私はこれを持って…?確かアリスと交際した■■■が…■■■?)

思い出せない。いや、の名前を、何故娘のアリスと関わりがあると思ったのか。ケントは呆然として立ち尽くしていた。


******


「みな、みなさん、ほら、僕の作品を、作品を…っ」
通りが人波で溢れかえる時間帯、賑やかな声が町に響き渡るのとは対照的に、やや離れたところの自分の屋台で座るカトーが、必死に客を呼び寄せようとしていた。

(どうして…どうして誰も僕のところに寄ってくれないんだっ、僕の作品を見てくれないんだっ…さっきはあんなに嬉しそうに僕のビラを受け取ってくれたじゃないか…っ!)

人波がついにカトーの屋台のところまで及んできたが、彼の屋台の前で立ち止まる人も、作品を一瞥する人さえもなく、そのまま通り過ぎるか、隣や向かい側の屋台へと集まっていく。

「あ…あの…おねがい…僕の…っ…さっ、さくひ…」
カトーの声が段々と囁き程度まで小さくなる。いまや多くの人達が自分を取り巻く屋台に楽しそうに並び、鑑賞し、そこの主人や友人と歓談する。彼のところで立ち止まる人は一人もなく、それがかえって孤独感を煽った。

ふと、先ほど配ったビラが目の前の地面に飛び、通りすがりの人が無残にもそれを踏みしめ、くしゃくしゃとなって破れていく。
(…っ…)

カトーの全身に羞恥の熱が火照り、冷たい汗が流れ出す。あんなに図々しくビラを配ってた自分が恥ずかしい。粗末で価値のない自分の作品を、自分のことを。穴掘りて隠すなんてものじゃない。自分の存在そのものを消したいぐらいの恥ずかしさだ。

人が通り過ぎると、体がビクッっと顫動する。
人混みから笑い声がするたびに、心臓が跳ねる。
自分を見てない目が、自分を語ってない言葉が、全てが自分を無視しながら自分を嗤っているからだ。

(((…すまないが、君たちの交際を認めることはできない…)))
「あ…」
かつてケントが自分のアトリエに訪れた時の言葉が、呪詛の如くカトーの耳元に響く。

(((君にはアリスを支える自信はあるのか?自分の作品が人々に受け入れられる自信はあるのか?今の君ではヴィーネスに行くのは無理だと、本当は理解しているだろう?)))
「ケント様っ、僕は…僕は…っ」

(((悪いことは言わない、だがアリスのことを本当に思ってるのならば、どうすれば彼女にとって一番良いのかをしっかり考えて欲しい)))
ケントの記憶の中の姿と声がまるで抽象絵のように歪んでいく。

(((そレに、夢とか大層ナ言葉を使っても、本当は、たダ自分はすゴいと認めテ欲しカッタだけだロウ?ス敵だと言って欲しいダケだろウ?)))
「違う…っ、違うっ!僕は…夢は…っ、アリスを…っ!」
(((アリスのこトも、所セン矮ショウな自分を大キく見せるためだケの『トロフィー』にしか見テない癖に、そンな君がどウやっテアリスを幸せにするんだイ?)))

「アッ、アッ、アリスっ…アッ…、………アハ、アハハハハ…ッ」

天地が回る。視線がかすむ。孤独が麻縄のように心臓を絞め、胃が煮えたぎる。
悔し涙を流して嗚咽しても誰も省みず、それが更に羞恥を煽り、卑屈感を肥大化させていく。

「何が夢だっ…、創作の楽しさだっ!本当に馬鹿だよ…っ。そんなものでそンなもノデ、アリスを幸せ幸セにできる訳ないじゃん…っ。誰も見ない作品に陶酔して…っ!こんな…っ、誰も見ないゴミに誰モ見ナいゴみニ…っ」

泣きとも嗤いともつかない表情で震えるカトー。彼の後ろで長く伸びる影もまた震え、肩の影にドロリと一つのシルエットが溶け出る。血のように赤い目が開き、影のカラスは『カアッ』と不吉極まりない声を鳴き出す。

虚無が、カトーを飲み込んだ。



【続く】

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