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第七章 小休止

小休止 第九節

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「この実、どうやって食べるんだ…?」
ミーナとエリネと一緒にデザートを食べながら雑談しているウィルフレッドは、まん丸の硬い実を手にして何とか殻を剥くよう苦戦していた。

「あ、このスカリアの実はね、まずこうして置いて、こう開くの」
彼の手から実を取って机に置くと、エリネは実と一緒に盛られた模様付きの石で軽く三回リズムを刻んで叩くと、パカッとあっけなく開いた。
「おお…」
「はいどうぞ。これは塩を付けて食べたほうが美味しいけど、まずはこのまま食べてみてください」

ウィルフレッドがそれを口に入れてじっくりと咀嚼する。独特の香りとクルミに似た芳醇な味が口内を満たす。口元が思わず緩んだ。
「うまいな」
「でしょ。ポポルとはまた違った味で、これを原料として作ったオイルとかもとても良い香りがするのですよ」

「一つで取れるオイルの量が極めて少ないから、オイル自体は生産量が少なく値段も高いがな」
もう一つ割ってルルに食べさせながら説明するエリネや補足するミーナの話を、目を輝かせては聞き入るウィルフレッド。

「おう、お前らもここに来てたのか」
「あ、ドーネさん」「ドーネ」
片手にビールのジョッキを持ったドーネが無表情なままお構いなしに彼らの向かいに座り込んだ。

「ドーネさん。先日は杖の留め具の調整をしてくれてありがとうございます。連合軍の装備点検も、お陰で大変楽になったとボルガさんが言っていましたよ」
「いつもどおり仕事をしただけだ。ごくごく…それにまだ使える装備が雑にメンテされるのも見るに堪えないからな」

ビールを豪快に飲みながら話すドーネにミーナが眉を寄せる。
「まったく話すか飲むかどっちに専念してくれ。飛沫がこっちに飛んできそうだぞ」
「…ぶはあっ、おい、あんちゃん。他の奴らの武器はともかく、あんたには専用の奴を用意せんとあかんな」
シカトされて唸るミーナをエリネがなだめると同時に、ウィルフレッドは、死霊鎧リビングメイルのように、普通の武器では自分の腕力に耐えられないことを指しているのを理解する。

「別に気にしなくても良いと思う。そもそも俺の力に耐えられるものがこの世界にあるかどうか…」
「何もおまえの全力に耐えれるものでなくても良い。ある程度耐えれるものがあった方が対応できる場面も広くなるし、何かと便利だろ?」
「それは…確かにそうだ」
「まあお前の腕力相応のものを作るには、まず良い鉱石と良い鍛冶場を見つからないといかんがな。今回の旅の道中でミスリルぐらい見つかれば良いのだが」

ボリボリと噛んでたスカリアの実を呑み込むミーナ。
「んぐ…。そんな希少品がホイホイ見つかるものか。…だが確かに、それぐらい良質なものがあれば、少なくとも普段の姿のウィルが使う分には問題ないな。おぬしにとっても例の力は可能な限り使わない方が都合がいいだろ?」
「ああ」

ビールにまた一口がぶつくドーネ。
「ふぅ…。まっ、こればかりは女神様の気持ち次第だな。そん時はそん時ってことで」
「それで十分だ、ありがとう。…ドーネ、君はなんで――」

ふと隣の席に歓声が上がった。何事かとミーナ達が見ると、ラナとレクスが机にびっしり並ばれたジョッキを互いに次々と飲み干し始めていた。
「ふぅ…思った以上にやるわねレクス殿、けれどこれぐらいまだまだ序の口よ」
「なんの、ラナ様こそ、無理して足元をすくわれないようにねっ」
「上等…っ」
お互い不敵に笑いながらまた満杯のジョッキを豪快に飲んでいき、その隣で空となったジョッキが猛スピードで積もっていった。

「やれやれ。アイシャに釣られて飲み比べしおったか」
軽く苦笑するミーナ。
「ほう。あの嬢ちゃん見かけによらず中々良い飲みっぷりじゃないか」
ドーネはウィルフレッドの飲みかけのジョッキを見やる。
「ようお前、せっかくだから俺とも飲み比べしてみねぇか。あんたも中々飲める口のようだしな」

「そういえばウィルさん、ちびちびとは飲んでますけど結構おかわりしてましたよね」
「ああ、ここのビールとても美味いからな。だがすまないドーネ、俺との飲み比べはやめた方がいい」
「なんでぇ、俺と飲むのが嫌ってことなのか?」
「いや、そうじゃない」
ウィルフレッドは軽く苦笑する。
「俺は酔えないんだ」

「酔えない、だと?」
ミーナやエリネ達が訝しむ。
「俺の体は有害になる成分を自動的に分解する機能を持っていて、アルコール…人を酔わせる成分をすぐに分解してしまうから、どれ程飲んでも酔うことにはならないんだ」

「分解…あのナノマシンとかいう奴によるものか?目に見えないほどの小さな機械、いや、正確には機械じゃなかったか?実に興味深い話だが、我らにまだそれを検証できる技術がないのが悔やまれるな」
「へっ、俺にしちゃあ酔えない人生なんざ大損だからとんだ迷惑な話だな」
ドーネがグビグビとジョッキを飲んでいく。

「別にいいじゃないですか。私はビールの苦味はどうしても慣れないですし、ビールを楽しまなくても他に楽しいことは一杯あるのですから」
フォローするエリネにウィルフレッドは小さく微笑む。
「ありがとうエリー。ただ酔えなくても、ビールの味と飲む感覚は結構楽しんでいるよ。そもそも、この世界自体が俺にとって楽しさそのものなんだから」

「そう感じるのは確かおぬしの世界の苛酷さゆえだと前に話しておったな。そちらの自然は極度汚染されているとか」
「ああ…永い冬ロング・ウィンターと呼ばれる氷河期の後、シティを発展させるために多くの地帯は環境改造工程が施されたが、それに伴う重度な汚染、それを抑えるためのさらなる環境改造のせいで、地球の気候は酷暑か極寒とか、雨の日が殆どとか極端なものばかりだ。郊外に出れば遺伝子改造された奴や突然変異した危険な生き物しかないし。正直、永い冬ロング・ウィンター前の自然のデータを見ていなかったら、ここの景色には多分もっと驚いていたんだろうな」

エリネが小さくティーカップを啜る。
「私達だってちょっと想像し難いですよ。世界が何年も続く冬とか、自然を改造するとか…実感が沸きにくいと言いますか…」
「うむ。そもそも自然を改造する発想自体ないからな」

「ふう~む。前から顔の難しいあんちゃんと思ってたが、想像以上に複雑な場所から来ておるなおまえ」
一つ大きくゲップして話すドーネをミーナが睨み、ウィルフレッドは小さく苦笑する。

「そういうこともあるから、ハルフェンこの世界で最初に来た時は本当に驚いた。今やデジタルデータでしか見られない豊かな自然に、天然な食べ物、活気に溢れる人々に文化…争いもあるにはあるが、それ以上に素晴らしい物に満ち溢れて、とても心地良いものなんだ」
「ふ。今までおぬしの反応からもそれが分かるな」
「うんっ。ウィルさんいつもウキウキしてますからね。正に楽しんでる感じでこっちまで楽しくなりますっ」

また広場のように照れては、どこか複雑そうな表情を浮かべるウィルフレッド。
「だから正直、ここの素晴らしさに俺は少し場違い感さえ感じるんだ。自分がここにいて本当に良いのかどうか…」
ミーナの顔がかすかに強張る。

「そんなの、聞くまでもないじゃないですか」
エリネはいつもの満面の笑顔を見せる。
「昔はどうであれ、私やお兄ちゃん、そしてラナ様達はみんなウィルさんがいてくれることを嬉しいと思っているのですから。そうですよねミーナ様?」「キュッ」
「そうだな…」
ザーフィアスの言葉がミーナの脳裏を横切るも、彼女はエリネに悟られないよう注意して答えた。

「俺としちゃあ自分が作るものをちゃんと扱える人がいればそれで十分だ。それが誰であれ、な。ヒック」
「ドワーフの単純さはこういう時頼もしいな」
「けっ、書斎篭りのビブリオン族のエルフに言われたかねえ」
「まあまあ」

三人の言葉で照れ笑いするウィルフレッドが呟く。
「ありがとう、みんな。俺から返すものが何も無いのがもどかしいけど…」
「そういうなら一杯乾杯に付き合え。飲み比べでなくともこれぐらいは構わねえだろ?」
「ああ」

ジョッキを持つウィルフレッドに合わせて、エリネもまた葡萄ジュース入りの杯をあげる。
「それじゃついでに、これからもよろしくお願いしますということで」
「おうよ、乾杯」「うむ」「ああ」

四人のジョッキが鳴らす音とともに、隣の席でドッと歓声があがる。ラナとレクスの勝負がつき、机に伏すレクスの前に、空のジョッキを上げるラナが誇らしげな笑顔を浮かべてで喝采を受け止めた。

「まったく、明日まだ一日ここにいるのが幸いだな。あの様子じゃレクスは二日酔い間違いなしだぞ」
「ふふ、でしたら後で酔い覚め用のお茶でも用意しとかないといけませんね」

ミーナやエリネ達が誇らしげなラナや伏したレクスを見守る中、レクスは目を半開きしてラナをチラ見した。
(ふぅ、これで少しは機嫌良くなってくれるといいんだけどね)


******


満月の柔らかな明かりが照らす酒場二階のベランダ。アイシャはカイが持ってきた酔い覚め用の水を美味しそうにに飲んで、それをカイが傍で見守っていた。町のレストランなどから流れる吟遊詩人達の穏やかな歌や演奏が、祭りで騒いだ一日に余韻を添えていく。

「ふぅ~、ありがとうカイさん。やっぱりビールの後の美味しい水は最高です」
「あはは、それはなによりだよ」
いまだ酒が回っているのか、頬がかすかに赤く染められるアイシャの大らかな笑顔に、カイはつい見とれそうになる。

「ごめんなさい。こうして気兼ねなくビールが飲めるの本当に久しぶりなので、つい自制がきかなくて…。びっくりしました?」
「その、まあ、確かに驚いたよ。アイシャ様ってこういう一面もあるんだなって」
アイシャが小さく笑うと、今度は少し切なそうに月を仰いだ。
「カイさんはルーネウスの王族や貴族における礼儀作法について、どれぐらいご存知です?」

「そうだなあ。レクス様から聞いた話だけど、滅茶苦茶面倒ってことは分かるよ。お茶の飲み方、相手の礼への仕草まで男女に分けているし、常に優雅であるべきと心がけないといけないって。正直、最初に聞いた時は何でそんなめんどくさい生き方しなきゃならないんだと思ってたな」
「ふふ、カイさんはやはり、飾らずに率直にことを言うお方ですね」
「単に何も考えないお馬鹿さんだといつもエリーに言われるけどな」
二人が軽く笑い出す。

「…私ね、巫女である以前に、この国の第三王女として幼い頃から礼儀作法を厳しく躾けされてきたんです。ごく一部私が巫女だと知る大臣は、それはもう毎日に一回は言いつけるぐらいに、はしたなく遊ばないように、公衆の前でははしゃぎ過ぎないように…と。王族として、巫女として生まれたからにはこれもまた義務の一つでは理解していますけど、やはりどうしてもプレッシャーを感じずにはいられなかった…。父上や母上は理解して良くしてくださるし、過度に礼儀作法に拘りしすぎてるこの国の風潮を変えようとはしてるけど、なにぶん千年も続けてきた伝統なだけあって、そう一朝一夕で変えられるものでもなくて…」

(そっか、レクス様が普通にアイシャ様と接したのも、これを見越してのことなのか)
「でも誤解しないでください。王女や巫女としての誇り、それに伴う義務を背負う覚悟は私もあります。ただ、それでも一部煩わしい決まりや、それに合わせて自分を偽らなければならないことはやはり辛いところもあって…。それに比べて、ラナちゃんは凄いですよね。自分より年下なのにすごく頼もしいのですから」

アイシャが苦笑する。
「幻滅しました?優雅さの体現であるルミアナ様の巫女が、こんな情けない子だったなんて」
「んな訳あるかよ。そりゃ、確かに想像してる巫女や王女とかとちょっと違ってるんだけど…。さっき凄く楽しそうにはしゃいでたアイシャ様の笑顔は、いつよりも断然元気で、その、魅力的だと、思うよ」

そっぽ向きながら頬をかいて語るカイの言葉に、くすぐったそうに感じながらも嬉しそうに微笑むアイシャ。
「ありがとうカイさん。お世辞でも嬉しいですよ」
(お世辞な訳あるかよ…)

「それと、出会ってから私にアプローチしてくれたこともですね。ふふ、必死に礼儀を気にしているカイさんは、とても可愛らしかったです」
カイの顔が一気に耳まで赤くなりながら頭をかく。
「いや、それはその、ごめん。王女様であるアイシャ様に一介の村人の俺があんな失礼な真似をしまって」
「ううん。私、寧ろお礼を言いたいぐらいに嬉しかったです」
「え」

月に照らされるフィレンスの灯火を見つめるアイシャ。
「王宮で私に近づいてくる男性は、私が第三王女だからかどれも遠慮しているか、または腹に一物あってあまり気持ちの良い感じがしない方が殆どなんです。礼儀作法を重視しているせいか、誰も仮面をつけてるような感じで…」

コップに入った残りの水を飲み干すと、アイシャは笑顔でカイを見た。
「でも、貴方のアプローチは全然嫌いじゃありませんよ。少々拙いところはあるかも知れませんが、とても純粋で真っ直ぐな気持ちが感じられて心地良かったです。カイさんのそういうところ、ちょっと羨ましいですし、私は好きです」

アイシャの笑顔と言葉に心臓を穿たれたかの如き強い衝撃がカイを襲い、熱気が湯煙を作るほど真っ赤になったカイがやり場のない手でポリポリと後ろ頭を掻いては口ごもる。
「なははは、それは、その、どうも、ありがと…」

ギュッと手を強く握り、必死に気持ちを落ち着かせるカイは、そんな自分を楽しそうに見てニコニコ微笑むアイシャにぐいっと近づいた。
「あのっ、アイシャ様っ」
「は、はいっ?」
いきなり急接近されてドキッと胸が高鳴るアイシャ。

「俺は王族のこととか、王宮でのこととか、本当に良く分からないガサツな人なんだけどさっ。だからこそ、俺に礼儀とか作法とか全然気にしなくて良いからっ。それに素のアイシャ様も魅力的だし、無理にラナ様と比べなくてもいいじゃないかなっ。少なくとも、その…じ、自分の前には、偽らなくてもいいからさ、辛いときとか構わずに俺に話しかけていいからっ、いつでも俺に頼っていいからっ、俺、年上とか全然気にしないしっ」
力説するカイをアイシャはポカンと目を見開いたまま見つめた。

「あっ、いや、これはその、他意はなくてだなっ、仲間としてっつーか、レクス様達含む全員ということでぇ、あ、でもレクス様は一応貴族だからある程度体面は必要か?ええと」
頭が混乱してて妙に取りとめてない言葉で必死に弁解するカイを見てて、アイシャがはにかんだ。膝を抱えて、心の底から嬉しそうな笑顔を見せる。
「ありがとう、カイさん。とても嬉しいです」

普段の優雅な笑みとはまた違った、屈託のない艶やかな笑み。膝に頬を当てて、稚気を感じられながらも女性らしい麗しい姿勢。そして甘くも透き通った美しい声。素の姿でありながら自然に溢れるこの気質こそが、真に女神ルミアナが体現するものであるのかもしれないと、動悸が一層早まるカイはアイシャに見とれながら思った。

「それじゃさっそくですけど、これから貴方のこと、カイくんって呼んでいいですか?」
「へ、くん?」
「ええ、私、年上な訳ですし。その代わり、私のことは呼び捨てで構いませんから」
「ア、アイシャ様を呼び捨てって…」
「嫌ですか?さっき気兼ねなく頼っていいって言いましたのに…」
「うぐっ、そ、そうだよな…」
悲しそうに拗ねる気味のアイシャの表情がまた可愛いと思って少し悔しいと思ったカイ。

相変わらず耳を真っ赤にしながら、カイは言葉を搾り出した。
「それじゃ、その…ア、アイ、シャ…」
それは、家族以外の人から初めての呼び捨てだった。予想以上のくすぐったさにアイシャもつられて頬を桜色に染めて身を軽くよじった。

「ふふ、なんだかちょっと照れますね。でもありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね、カイくん」
「あ、ああ」

互いに照れながら温かい気持ちが心を満たす。その夜、少年は幻想が砕かれると同時に、改めて目の前の少女に恋していった。



【第七章 終わり 第八章へ続く】

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