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第七章 小休止

小休止 第八節

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美しい動物や女神、凛々しくも優雅な騎士達の彫刻、そしてルーネウス王室の紋章が芸術的に描かれた飾りが至るところにかけられた、ルーネウス王都ペレネに座す王城。その造形は城下町と違和感なく渾然一体となっており、まるでその都自体が一つのアートでもあるようだった。

満月の明かりが指す室内で、髭を生やし、初老でありながら勇壮さと威厳に満ちたルーネウス国王ロバルトは、机に広げた国内の戦略図を眺めていた。

「父上、失礼します」
「ジュリアスか。入れ」
長い髪を後ろに纏めた長身の美丈夫の青年、ルーネウスの第一王子ジュリアスが部屋へと入る。その隣にはティーカップを載せたトレイを持った王妃ローザの姿もあった。

「ローザも一緒なのか」
「ええ、丁度廊下で鉢合わせになりまして」
「せっかくですからね。貴方の元に来ると聞いて、ついでにお茶でも入れてあげたいと思って」

「私は遠慮したかったのですが、母上がどうしても、でしたから」
「だって今みんな城の外にいて中々会えないんですもの。少しだけ母親らしいことをさせてもバチは当たりませんよ、ですよねあなた?」
「ふふ、ローザにそういう顔で言われたら誰にも断れないな」

三人は互いに小さく笑うと隣の小さなテーブルに座り、ローザからカップを受け取って暫くお茶を楽しみながら他愛ない雑談を交わした。


――――――


茶も飲み終え、ローザがカップなどを片付ける中、戦略図が広げられた机の前でジュリアスとロバルトは情報の確認を行った。

「先日ルイからの報告がありましたが、パレディア地方の戦線は落ち着きありつつ、いつもの膠着状態になるのかと」
「そうか…やはりラナ殿が考えたとおり、オズワルドは本気でこちらを攻め落とす気はないようだな」

ここ数週間、ラナがアイシャと合流して数日後、ラナからロバルト王に伝令を通しての連絡があった。途中で皇国軍に内容を強奪されるリスクを抑えるよう、連絡はそれ一度きりだった。

その内容にアイシャと神器が無事合流したことと、支援への感謝、並びにオズワルドや教団に対するその時点での情報、ラナやミーナの考えが含まれていた。戦線に出没する魔人ギルバートの件についても、ウィルフレッドのことを隠しながら最低限の情報を伝えていた。

「はい。現在王国内の都市を占拠している皇国軍も特に大きな動きはなく、例の黒い魔人もこちらが戦線を押し進もうとする所以外に出現報告はありません。やはりラナ様の仰るとおり、戦争自体は単に教団が動きやすくするためのものでしょう」
「そうだな。教団め、中々上手いところをついてくる」

「ええ。…今回はレクス殿に感謝しなければなりませんね。最初の召集に来なかったことが、逆にアイの支援に繋がることになったのですから」
「レクス…ロムネス男爵の一人息子だったな」
「はい。例の暗殺事件で亡くなったロムネス殿の爵位を継承したばかりで、その件もあって召集に応じる余裕がなかったようです」

ロバルトは暫し考え込む。
「ロムネスの息子か…案外、理由はそれ以外にもあるかもな」
「それは、やはり…」
「気にするな、ただの独り言だ」

ロバルトは改めて戦略図を見つめた。
「今頃ラナ殿たちはフィレンスあたりに到着しているはず。進行は順調のようだが、まだ油断はできない。戦線を推し進められないのなら、これを機に他の占拠地を解放し、早急に教団対策に取り掛かられねば」

「仰るとおりですね。ラナ様やアイの噂のお陰でわが国の騎士や民衆の士気が高くなりつつあります。国内の皇国軍の勢力を一掃するには今が好機でしょう」
「うむ。…アイには辛い荷を任せてしまったな。巫女として生まれたばかりに、王族以上の責務を背負わなければならないのだから」
片付けが終わり、静かに傍で座っていたローザの手にも思わず力が入る。

「大丈夫ですよ父上。アイは曲がりなりにも王族の一人、私の妹で、貴方達の誇る娘です。己の責務に押しつぶされそうなやわな子ではありません」
それをローザにも伝えるかのようにジュリアスは笑顔を向ける。ローザもただ優しく微笑んでは頷いた。

「そうだな…」
ロバルトは顔を上げる。
「ジュリアス。君は騎士団と第六師団を率いてアルゼナ地方の解放に向かえ。パレディア戦線が落ち着いたのならば、そこで挟み撃ちにあう可能性もなくなったはずだ」
「はい。明日すぐにでも出発します。それでは。…母上、どうか体にはお気をつけください」
「ええ、貴方もね」

ジュリアスを見送った後、ロバルトはテラスへと出て月を見上げては、今ラナとともに連合軍を率いるアイシャのことに思いを馳せた。

優雅さと礼儀作法を重視するルーネウス王国の王女として生まれ、同時に巫女という身分をも背負うことになったアイシャが背負うプレッシャーは容易に想像できる。幼い頃では実際、何度か自分にそれを訴えることもあった。ミーナや妻のお陰で健やかに成長したとしても、王である自分以上の重荷から避けられないことに、やはり父として心痛まずにはいられなかった。

「大丈夫ですよあなた」
あたかも夫の考えを察したように、彼の傍に寄るローザはロバルトの腕に手を添えた。
「ジュリも言いましたでしょう。アイは芯の強い子よ。きっとミーナ殿達と無事使命を果たしますから」
「…うむ」

ローザの肩に手を置くと、ロバルトはいとし子のアイシャを思い描きながら、彼女とともにルミアナに祈りを捧げた。
「ルミアナ様、どうかアイをお導きくだされ」


******


「あはははははっ!かんぱ~い!」

フィレンスの大通りから少し離れた、二階建ての賑やかな酒場の中。アイシャは喜々とビールで満たしたジョッキを掲げては、ゴクゴクと豪快に、美味そうに一気に飲み干した。向かい側に座るウィルフレッド達は唖然とその姿を見つめ、カイもまた杯を手に持ったまま口を半開きして固まっていた。

「う~ん美味しいぃっ!さすが領主様お勧めの店ですねっ!すみませんっ、お代わりお願いしますっ!」
ウェイトレスが代わりの木製ジョッキを持ってきたものの、とても心配そうにアイシャを見た。

「あの~お客さん大丈夫ですか?これでもう五杯目になりますけど…」
「平気ですよっ、これぐらいまだまだ序の口なんですのでっ」
頬を少し赤く染めては満面の笑顔で応えるアイシャ。ウェイトレスは傍に座るラナを見ると、彼女ただ小さく苦笑して頷いた。

「んぐんぐ…ふぁ~っ!ワインもいいですけど、やっぱり楽しく飲むにはビールに限りますねっ、そうでしょラナちゃんっ」
「ラ、ラナちゃん…?」
レクスが唖然とする。

「相変わらずよねアイシャ姉様。でもちゃんと量は弁えてね。でないと私達が持たないんだから」
「やだもう、分かってますって」
そう言い、アイシャはジョッキのビールを再び豪快に飲んでいく。

「あの…本当に大丈夫ですよねアイシャ様。声がなんだかフワフワになってますよ?」
隣に座るエリネが少々心配そうに尋ねると、アイシャはその顔をずいっとエリネに近寄せた。

「…ひょっとして、心配してくださるの?」
「えっ、そ、それは勿論…」
「やだぁエリーちゃんかっわいいぃっ!けなげぇっ!妹にしたいぐらい愛らしいです~~~!」
「ひゃああああっ!?」
エリネを抱きしめて頬をすりながら頭を撫でるアイシャ。

「ちょっとアイシャ姉様落ち着いてっ」
彼女をラナがなだめるように引き離し、ウィルフレッド達の顔がますます変顔になっていった。

「おう姉ちゃん、いい飲みっぷりじゃねえか。どうだ、ここで俺らとちょいと飲み比べしてみねぇか?」
騒ぐ彼女に引き釣られたのか。数名の大男たちが楽しそうに手に数杯のジョッキを持っては寄ってくる。

「ちょっとおい、勝手に人の席に寄ってくるんじゃ――」
「ええっ。大歓迎ですよっ。ついでに負けた方が今夜の酒代をおごるという条件付きでどうでしょう?」
「おしっ、乗ったぜ!」
「ちょっ、アイシャさ―!?」

何か言おうとするカイをミーナが阻止した。
「慌てるな。ここは静かに見といた方が賢明だぞ」
「え…?」

――――――

「んぐ、んぐ、んぐ」
「ん、んぐぅ…お、だ、だめだ…降さ、んぐぅっ」
最後の大男が、既に酔い倒れた他の男達の上に倒れると、アイシャは勝ち誇ったように飲み干したジョッキを掲げ、周りで物楽しそうに勝敗を見守った客たちが一斉で歓声を挙げる。

「やったあー!ありがとうございますー!」
「いいぞ姉ちゃーん!」「すげえなあアンタ!こんな豪快な飲みっぷり中々見ねえもんだぜ」「お姉さん素敵ー!」

人々の賞賛を楽しそうに両手を上げて受け止めるアイシャ。そんな彼女をウィルフレッドやレクス達はもはや顔ならぬ顔となり、カイに至ってはもはや顎が半分くらいはずれてるぐらいに落ちていた。

「ミーナ殿?アイシャ様って昔から、そのぉ、これぐらい快活なお方でして?」
「そうだぞレクス。昔は社会見学という名義でこっそりと城下町に出掛けた際は、飲み放題大会を開催していた酒場一つが危うく潰されそうになることもあったな」

「私もアイシャ姉様と会うたびに必ずワインを飲むよう彼女に付き合わされたわ。王宮内で騒ぐのは流石にまずいから自制はしてたけどね」
苦笑するミーナとラナは、楽しそうに他の客様と杯を交わすアイシャをただ遠い目で見守った。

「こ、これが…あの、アイシャ様…」
カイの後ろにガラガラと今までの彼女の淑やかなイメージが崩壊すると、完全に放心状態となってしまった。

――――――

「「「月明かりの夜に~♪ 星々の夢を見て~♪ 我々は歌う~♪」」」
興に乗ったアイシャ達が他の客たちと並んで互いに肩に手を回し、吟遊詩人らしき客の軽快なリュートの旋律とともに踊りながら歌い始めた。ようやく落ち着いたウィルフレッド達はついその歌に聞き入れてしまう。

「…前の結成式の時もそうだが、アイシャの歌声ってとても心地よいな」
「うん。私もアイシャ様の声大好き。とても涼やかな表情をして、心の奥まで洗われていくみたい」
「それはもう、アイシャ姉様の歌は有名オペラ歌手でも公認のものよ。王宮でアイシャ姉様の歌声を知っている人達はひっそりと歌姫とあだ名付けているぐらいだから」

「へえ、そうなんだ。これもやっぱりアイシャ様が巫女故なのかなミーナ殿」
「どうだがな。確かに女神ルミアナは歌を体現する側面もあるが、我としてはアイシャ自身の才能だと信じたいな」

賑やかに歌うアイシャ達に釣られてレクスが手拍子を打ち始めると、エリネ達も合わせて打ち始めて歌い出す。アイシャもまた満面の笑顔でより気持ちを込めて歌い上げた。

ショックから意識を取り戻したカイは改めてそんなアイシャを見つめた。心の底から楽しそうに笑い、元気に歌うその姿は、暫く前で見てきた淑やかなアイシャとは違って素朴な美しさがあった。活気溢れるアイシャの笑顔に、思わず見とれていくカイであった。


******


ドンチャン騒ぎも一段落し、食事を一通り済ませたウィルフレッド達は酒場の主人が招待してくれたデザートや飲み物で一息ついていた。ラナの傍で、ウィルフレッド達はデザートのポポルの実の塩漬けやケーキを食べながら雑談していた。

「あれ?アイシャ様はどこ行ったの?」
飲み物のお代わりを取りに戻ったレクスは、先ほどまで最後の一杯を飲み干したアイシャの姿がいないことに気付く。
「風に当たるって二階のベランダに出たわ。カイくんも一緒にね」
「へえ~、カイくんが、そうなのか」

レクスが意味ありげな口調で言うと、ラナの向かい側に座る。
「アイシャ様のこと、ラナ様は初めから知ってたんだね」
「子供の頃からの付き合いからね」
「昔のアイシャ様ってどんな感じだったの?やっぱさっきのように元気一杯な方だったとか?」

ラナは少々憂うような表情をして、ポポルの砂糖漬けを一つ手に取った。
「寧ろ逆ね。私が最初に会ったアイシャ姉様はそれはもうとても礼儀正しくて優しい、正にお姫様と言える方だけど、なんていうか、自分を抑えっぱなしな感じもしたわ」

「抑えっぱなし、か」
「ええ。貴方もルーネウスの貴族なんだから少しぐらい心当たりはあるんじゃない?」
「うん。まあね」

ルーネウスは文芸を重視する国が故、礼儀作法や典雅なスタイルへの要求は男女問わずに三国でも一番高い。特に貴族階級では、礼儀作法を精通しない人は出世なぞ夢とも言われるぐらい厳しく、レクスが王族との親交をしたがらない理由の一つは、正にもそういう風潮が嫌いということもあった。

そんな国の王女であり、一部の人しか知らないとはいえ、月の巫女であるアイシャが背負うものは、一般貴族よりも遥かに重いものであることは想像に難しくなかった。

「だからアイシャ姉様が私と言う友人ができた時はとても楽しそうだったわ。私もそんな姉様の気を紛らわすために、一緒に人たちの目を盗んでは豪快に遊んだり、食べ物いっぱい食べて、酒が飲める年齢になると、一生分ぐらいのビールを飲み干してたの。全然平気だった時はさすがに驚いたけどね」

「あはは、なんだか目に浮ぶよ。でもその気持ちは分からなくないね。王都は何度か行ったことあるけど、あそこの王族の堅苦しい雰囲気と言ったらもう、ね」
「そのとおりよ。アイシャ姉様は繊細な人だから、私以外にも誰かが支えてあげればといつも思ってるけど、カイくんなら割と適任かもね」

「やっぱラナ様も気付いてたのか。カイくんがアイシャ様に気があることを」
「気付くまでもないわよ、そこまであからさまな反応してるとね」
「それもそうか」
苦笑する二人。

「でもだからこそ、自分を偽らなければいけないアイシャ姉様とは結構悪くない組合わせだと思うのよ。姉様はまんざらでもなさそうだし、自分を着飾らないカイくんなら、少しは姉様のプレッシャーを和らいでくれるかも知れないから」
「そうだね。…まあ、カイくんにとって、最後まで支えるには障害が果てしなく高いものだけど」
レクスの言葉の意味を、同じ王族であり巫女であるラナは当然すぐに理解できた。

「そこは二人次第だと思ってるわ。確かに一国の王族と平民が結ばれる話なんて聞いたこともないし、最後まで発展しても間違いなく王族達は反対するでしょうね。でもお互いにその気持ちがあるのなら、後は私達なりのサポートを出来る限りするだけよ。女神様が良き結果へと導くよう祈りながら、ね」

「それしかないよね。…ラナ様は友達思いだね。尊敬し直しましたよ」
「貴方、それ褒め言葉で言ってるの?」
ちょっと不機嫌そうなラナにレクスはいつもの自己流の丁寧さで返答する。
「当然、褒めてますよ。不快に感じさせたのなら、ここは一つお詫びということで」

レクスが立ち上がると、ナプキンをとってワインボトルを丁寧に持ち上げ、流れるような動きでラナのグラスにワインを適量に注ぐと、また流麗な動きでボトル口を拭いて収めた。ルーネウス貴族における正統の女性へのワイン注ぎの動きだ。

「あら、ありがとう。…貴方、やろうとしたらちゃんとできるじゃない」
「お褒めに預かり光栄ですよ」
その割にはいつものような冗談交じりの笑顔にラナが苦笑する。

「よく分からない人ね。それにしてもお詫びがワイン注ぎだなんて、まさか酔わせようという魂胆ではないでしょうね?」
「滅相もありません。この僕が恐れ多くもそのような不埒なこと考える訳ないでしょ?」

いつもの調子に呆れて笑うラナ。
「そういうことにしとくわ。確かに貴方にそれをしようとする度胸も酒量もなさそうだしね」
「むっ。そこは聞き捨てなりませんね。度胸はともかく酒量はマティにも定評があるぐらい飲めるのですから」

「へえ。そこまで言うのならサシで勝負してみる?言っておくけど、アイシャ姉様に鍛えられた私に生半可な覚悟で挑まないように。でないと痛い目見るわよ」
「上等ですよっ。勝負に負けた人は三日間のデザートを譲渡することでどうかな?」
「乗ったわ」
妙な対抗心を燃やしながら互いを見てニヤリと笑うラナとレクスにより、酒場での飲み比べ第二ラウンドのゴングが鳴らされた。



【続く】

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