ハルフェン戦記 -異世界の魔人と女神の戦士たち-

レオナード一世

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第六章 変異体《ミュータンテス》

変異体 第九節

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深夜、ラナ達が泊まっている館の庭園にある喫茶用のテーブルの前で、ミーナは椅子に座っては満天の星空を見上げていた。

そういえば初めて研究対象としてでなく、美しき景色として星空を眺めたのがエリクと一緒の時だったなと、複雑な思いとともに彼と過ごした日々の記憶が頭を過ぎった。


******


「あの…貴方がミーナ殿ですか?」
「ん?」
「すみません、読書の邪魔をしまって。私はビルマ様に管理者候補として選ばれたエリクです。同じ師を頂く生徒として、一つ挨拶しようと思って…」
「ああ、君がそうか、我はミーナだ、よろしく」

「…」「…」
「…まだなにか」
「ああ、いえ、せっかくだから一緒にお茶でもどうでしょう?」
「なんで我がおぬしとお茶を飲まなければならん?」

「いや、その、私と君は相弟子だから、今後のために親睦を深めた方がいいかなあと思って…」
「…いかにも人間ヒューマらしい考え方だが、研究と関係ないことは一切趣味ない。それより邪魔だ、さっさと出ていってくれ」
「あっ、ミーナ殿…っ」

――――――

「うぅ~む、この術式はいったいどうなってるのだ…?」
コトッ
「…ん?」「こんばんは、ミーナ殿」

「またおぬしか、研究してる時は邪魔するなど前にも言って…このお茶は?」
「虹の平原の蜜花を入れたお茶です。何かに行き詰った時にこれを飲むと良いアイデアが浮ぶっていうのですから、ミーナ殿の研究の助けになると思って…」

「…おぬし、人の話を聞いてなかったのか?ビブリオン族は他のエルフ族と違って数日食事せずとも体に支障は出ないし、食事する時間も決まっているのだと何度も言ってたのではないか」

「聞いてましたよ。だからこそ一度、今までとは違うタイミングでリラックスしてみた方が案外新しい発見が見つかるかも知れないじゃないですか。ミーナ殿、その術式を解くのにもう二日も時間かけてますよね?」

「…おぬし、余計なお世話という言葉知ってるか?」
「もちろんですっ」
「それをおぬしのような奴を言うのだ。すぐ部屋から出て行ってくれ」
「あイタっ、ミーナ殿っ…」

バタン

「ふう…」

「……」


「…………」



ゴクッ

――――――

「今度の巡礼はエリクとともに、ですか?ビリマ様」
「さよう、今この世界で何があるのか、何が起きてるのか、それを己の目でしっかりと見ることは管理者でなくとも、学問を追及するものであれば欠かせない課題じゃ。エリクはまだ若い、彼一人だけで巡礼させるのは少々不安じゃが、旅慣れているそなたが一緒ならワシも安心できるし、互いに切磋琢磨せっさたくまする良い機会と思うてな」

「ですが、巡礼の長旅は旅慣れない人には過酷なものです。長旅を一度もしたことがない彼には辛いのでは…なんだエリク、その笑顔は」
「ご心配なくミーナ殿、旅の仕度なら私に任せてください。テントや装備はもうちゃんと用意できてますよ」

「な?お前いつの間に」「あ、ちなみにテントは一人一つなのでそこは安心してください」「言いたいのはそういうことでは」「サイズも小さめの丁度いい奴を探してきましたよ」「だから人の話を」「いま持ってきますねっ」「おいこらっ!エリク!」

「ふほほ、仲睦まじいのは良いことじゃ」
「どこがですかっ、ビリマ様はご存じないかもしれませんが、あやつのお陰で私がどれだけ苦労したか…っ。研究時も読書の時もしょっちゅうお茶とかお菓子とか持ってくるし、勝手にうちの研究部屋を片付けるし、迷惑この上ないですっ」

「彼はそなたを案じてるのじゃよ。ビブリオン族はこと知識の収集や分析において他の追従を許さないほど秀でておるし、それを求める旅にも慣れてはいるが、それ故に疎かしている部分もあるから」
「…仰る意味が分かりません」
「そなたも少しは気付いておると思うがのう。昔には無い何かが心に芽生えているのかを」
「…」

「ワシがそなたら二人を候補者に選んだのもそこにある。そなたの欠けてる部分は、一人だけでは決して補えない故に。そしてそれは彼にも同じことなのじゃ。ミーナよ。ハルフェン世界を知るだけでなく、自分に欠けたものを、エリクを通して理解してみると良い。そして彼が欠けてる部分を補ってあげてみなさい。そうすれば、いつかそなたはより高みへと至ることができるであろう」

――――――

「ミーナ殿、こんな夜中にテントで寝てないで何をしているのですか?」
「見れば分かるだろう、星象を観察しておる」
「あ、となると星象学の勉強を?すごいですねっ、その研究は因果学など複数の分野も触れていないといけない奥深い学問だと言われてますのに」
「それが分かってるのなら話しかけるな、気が散る」
「ええ、分かりました」

「………」「………」

「ミーナ殿」
「…またどうした?」
「貴方は星空を星空としてみたことあります?」
「? どういう意味だ」

「いえ、今の貴方の表情見ると、研究がなかなか進展しないようですから、一度それをやめてただ頭を空っぽにして星空を楽しむのもいいではないかと。せっかく晴れて綺麗な星空が見えるのですから」
「そんなことに何の意味がある?」

「意味はない…いえ、あるでしょうか、深く考えずに景色を楽しみましょうということですよ」
「それこそナンセンスだ。我らビブリオン族にとって、この世全てのものはあくまで研究対象に過ぎん。他のエルフ族や人間、ドワーフのように情緒に囚われることなく、ただ客観的に物事を観察する。それだけだ」
「そう言わずに」

ボスッ

「ほら、このように大の字で草の上に横たわって空を見上げると、とても気持ち良いですよ」
「つまらん。我はやらんからな」

「…」「……」「…………」
「…あー分かったっ!分かったからその気持ち悪いにやけ顔を我に向けるでないっ!」

ボスッ

「うん、それで良いのですよ」


「…」「……」「………」
「あっ、流れ星っ、見ましたかミーナ殿っ?」「見ておるっ、子供のようにはしゃぐでないっ」「あはは、すみません」



「…」「……」「………なぜだ」「え?」
「何故おぬしはそこまで我に固執する?確かに我らは相弟子ではあるが、それ以外に接点なぞないし、必要以上に固執してくる理由なぞどこにもないはずだ。それなのに何故こうしてお節介してくる?」

「理由ですか。確かに最初の頃、貴方のことは里の皆が囁いているように、ただの影が薄い一人篭りの研究者としか見てませんでした。を見るまでには」
「笑顔?我は誰かに笑顔を向けることなど――」
「里の春咲の庭のネネ」「なに?」「ほら、庭で時々顔を見せる子猫のことですよ」「ああ、あの子か。あの子がどうかしたのか?」

「覚えてません?貴方は一度、鳴き続けていたあの子にミルクを差し上げたことがありましたよね」
「うむ、煩くて研究の邪魔だったから、静かにさせるようにあげたこともあったが、おぬしそれを見てたのか?」
「丁度そこを通りかかってましてね。あの時の貴方、皿のミルクを美味しそうに舐めてたあの子を撫でて小さく微笑んでいましたよ」

「…してたのか?あの時の我は?」「気づいてなかったのですか?」
「………」

「いつも表情を顔に出さない貴方ですが、だからでしょうか、その笑顔は私にとても素敵に映っていました」
「………………」

「その時から、できれば貴方のほかの表情も見てみたいといつも思いまして。ですから貴方と一緒に管理者候補に選ばれたと知った時はとても嬉しかったのですよ。それまでは話しかけられるきっかけが中々なかったのですから」

「理解できん。そんなことのためだけに、おぬしは我に付き纏っていたというのか?」
「私には、いえ、誰かが何かに熱中する理由としては、十分だと思いますけどね」
「………」

「それよりもどうです、今の貴女が見る星空は?先ほどとはまた違った感じに見えません?」
「知らん、星空は星空だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「………」「…………………だが」

「だが?」
「たまにこうして何も考えずに星空を見つめるだけというのも、悪くはないのかもしれない」
「それだけ感じられるだけでも十分です」「だからそのにやけた笑顔はやめろっ」
「ミーナ殿のそのイキイキと怒ってる表情も素敵ですよ」「…っ!もういいっ!付き合いきれんわっ!」


******


(人のことさんざんとちょっかい出してきおって、自分の管理を疎かにしては話にならないだろうが)

エリクに腹立ちながら、あの時とは正に色んな意味で異なる星空を見上げ続ける。感情が雑然と煮えては思わず唇を噛み締めた。

ミーナは懐から、今日坑道で拾った魔晶石メタリカの小さな欠片を手にとって改めてよく観察した。エリクの目に湛える赤い輝きと近い色を持つ魔晶石からは、奴隷として酷使された子供達の恐れ、怒り、悲しみ…そしてなによりも、憎悪の感情がひしひしと伝わってくる。

(この、もはや呪いと言っても良いぐらい強い単一の思念がこびりついてると、魔法的に用途は非常に限られる。ゾルドの封印解除に用いるのは間違いないが、が少なすぎる。たとえこれが大量あっても、膨大な魔法因果が複雑に絡んだ女神の封印を破るには全然力不足だ。これを作って集めるのはおぬしの指図なのか、エリク?だとしたら、いったい何を企んでおる)

ふと館の方から、誰かが会話している声が聞こえた。
「君には本当に感謝してる、レクス。君の言葉があったから、今日彼らと打ち明けることができたから」
「お役に立てて光栄だよウィルくん。いつもは君に助けてもらってばかりだからね」
「このお礼はいつか何らかの形で必ず返す。約束する」
「あはは、約束ってそんな大げさな。律儀だねウィルくんは。…あ、ミーナ殿じゃないか」

「どうした二人とも。就寝前の散歩か?」
「うん、さっき部屋に戻ろうとしてウィルくんと会ってね、寝る前に少しお話でもと僕が誘ったんだよ。せっかくだから満天の星空を見ながらね。そういうミーナ殿は?同じく就寝前に星空を堪能しているとか?」
「似たようなところだ。おぬしらも一緒に座っても構わんぞ」
「いいのかい?んじゃお言葉に甘えるよ」

二人はそのまま空いている椅子の方に座ると、ミーナのように星空を見上げた。晴れやかな空に散らばれた美しい星の輝きは、たとえ見慣れたレクスでも小さくため息が出るほど綺麗で、ウィルフレッドは言わずもがな、ここに来て何度見ても足りないぐらい素晴らしい景色だった。

「…本当に綺麗な星空だな。なによりも、見ていて心が安らげる」
「おぬしの世界の星空はそうでもないのか?」
「こっちではそもそも、星空が見られること自体が限られてるんだ。色々とあってな」
「そうか…」

ウィルフレッドは思い出す。今の地球は工業発展と度重なる環境改造により、人が暮らすシティは大抵曇りや雨の日が殆どで、光害も加えてシティで星自体さえ見ることが稀だった。シティから離れた荒野で運よく晴れていても、劣悪な環境や危険な変異動物のせいで落ち着いて見上げることも稀だった。

「…ミーナ、今日は君の機転のお陰で無事あの変異体ミュータンテスを倒せた。感謝する。そしてすまない。俺の世界のものが、君たちを危険に晒してしまって…」
申し訳なそうな顔をするウィルフレッドを、ミーナは意味ありげに見た。

「…礼も詫びもする必要は無い。あれは別に我だけの力ではないし、ゴーレムが化け物にならなくとも、我々に危険があったこと自体に変わりはなかったからな」
「ミーナの言うとおりだよウィルくん。それに今日のあれはあのギルバートとかいう奴のせいでしょ?君が負い目に感じる必要なんてどこにもないからさ」

「うむ。それに詫びなければならないのはこっちも一緒だぞ。うちの馬鹿のお陰でこの世界自体が危険に晒されているのだから」
「エリクのことだね」
ミーナが頷く。

「邪神を封じた水晶を奪って、かつその復活を狙っているのだぞ?こっちがいくら詫びても詫びきれない大失態だ。それに比べておぬしのことなぞどうということはないと思わないか?」
ミーナとレクスが笑い、ウィルフレッドが少し照れ笑いする。
「そう、かもな。ありがとう二人とも」

「だから礼を言わなくても良い。あれほどの大罪を犯してしまったあいつを、おぬしが真っ先に助けることを言ってくれたことに礼を言いたいぐらいだからな」
「……操られてるのに大罪とは言い過ぎじゃないのか?」
ウィルフレッドの一言にミーナとレクスは少し驚いていた。

「それはそうだろう。操られたとはいえ、エリクの手はわが師を含めた多くの人達に手をかけてしまったのだから」
「だよねぇ。まあ僕達が気にせずとも、本人は納得いかないと思うし」
「ウィルはそうは思わないのか?」

少し困惑そうに手を顎に添えるウィルフレッド。
「ああ。昼でも少し触れていたが…俺の世界ではサイバー技術による脳改造が一般的になっている。その技術を利用してハッキング、電脳ウィルスによる他人の記憶や意識の改ざん、それを利用しての誘導犯罪が一時的に多発していたんだ」

首を傾げるレクス。
「あ、相変わらず難解な単語が一杯だけど…ようはウィルくんの世界では、他人を操ることは日常的によく起こるってこと?」
「ああ。今はファイアウォール等の技術も進歩して頻度は減ってはいるが…とにかくそのせいもあって、立証さえできれば操られた人が裁判で有罪になることはまず無いし、怒りが彼らに向けられることはあまりなくて…」

「へぇ~。ウィルくんの世界と僕達の世界の考えの違いって奴かなあ。ちょっと興味深いね」
恐らく、ここは女神信仰等を基にした倫理感によって築き上げられたものに対し、自分の世界は道徳という言葉自体が無視され易く、混沌とした社会になっている故だろうとウィルフレッドは思った。

「とにかく俺が言いたいのは、ミーナは教団のせいで起こしてしまったことに、エリク当人も含めて気負いを感じる必要はないってことなんだ――」
ミーナが思った以上に目を大きくして自分を見ていることに気付き、ウィルフレッドは申し訳なく口を手で隠した。

「すまない。その、他世界の人である俺がこういうのも説得力ないと思うが…」
かしこまった彼を見て、ミーナは軽く息を吐いては苦笑した。
「いや、良い。面白い話を聞けたし…随分と助けられた。感謝する」
彼女が小さく微笑むと、ウィルフレッドもまた安堵の笑みを見せた。


――――――


夜も深くなると、ウィルフレッドとレクスはミーナに手を振って部屋へと戻った。一人になったミーナはまた星空を見上げては困惑していた。ほかでもない、ウィルフレッドのことだ。

気恥ずかしそうに微笑い、己の危険を顧みずに自分達を助けようとし、心に傷を負った子供をなだめ、自分に不安がる騎士達に良き触れ合いを広げようとするこの男が…、エリクのことを案じてくれたこの男が、本当にザーフィアスの言うように取り返しのつかない事態を招くのだろうか。

変異体ミュータンテスのこともあり、彼とギルバートという異世界の来訪者は確かにこの世界ハルフェンに言いようのない亀裂じみた感覚をもたらしている。けれと同時に、少なくともあのウィルフレッドは周りに良き影響をもたらしてるのも事実だし、彼の性格も多少理解した今、何かに危害を加えることなぞ考えられない。どちらかと言うと、封印の秘密の一部を知るエリクの方が、それをしでかす可能性が遥かに高い。

ミーナは星辰から何か見出せるのかと観察するが、やはり自分でもそれを窺えることはできなかった。そもそも、未来を紐解く星象学は極めて複雑かつ奥深い学問だ。発展途上でさえ言えない浅い内容しかなく、星の女神スティーナ自身でなければその真髄を理解することはできないとさえ言われている、正に神のみぞ知る神秘だ。

それと別系統で未来を視るドラゴンの力ならまだしも、いちエルフに過ぎない自分が未来を計ろうとするなぞ、おこがましいにも程があるというものだ。

これ以上考えるのも仕方なく、ミーナは考えるのをやめると、立ち上がってエリクのことを思った。彼の術を解いて助けるとラナ達はいうが、もし、万が一彼を倒せなければならないことになれば、自分は果たして手を下せるだろうか。

…愚問だ。正式な交代儀式は行われていなかったが、自分は今や当代の封印管理者で、相弟子であるエリクの後始末をする義務がある。迷うことなんて許されない。それが彼がくれた情緒によるものなら尚更だ。

ミーナは紅茶を一口すすった。そういえば昔は決まった時間以外に飲み物を口にすることはなかったが、最近は研究や休息の合間でもお茶を飲むようになったのもエリクのせいだったなと、ミーナの胸に苦い感情が迫る。

「…馬鹿もの」

最後に愚痴をこぼし、ミーナはつかつかと自分の部屋に戻った。



【第六章 完 第七章に続く】

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