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第三章 魔人
魔人 第二節
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「へいへいっ、今日仕入れたばかりのリンゴとポポルの実だよ!」
「取り立ての魚~!新鮮な豚肉や牛肉!今日はなんと珍しいゴブイノシシの肉まで仕入れてるよっ!」
「あのフィレンス有数なアーティスト達による工芸品はいかが~?」
三女神の彫像が建てられた噴水を中心とする大きな広場では多くの露店が並んでおり、その間を行き交う人々の喧騒と元気な商人たちの声が一層町を活気づけていた。
「おお…」
「どうだい兄貴、珍しいもの一杯あるだろ――」
カイの言葉を待たずに、すでにウィルフレッドは先に歩いて露店をあちこち見回っていた。
「はは、どうやら連れてきて正解だな」
「よね」
展示された色鮮やかな野菜に新鮮そうな肉類、美しく形作られた工芸品。喧々とする露店市場の中で人混みをかき分けては、ウィルフレッドは懐かしい感じを覚えた。
三人はある食材屋の前で立ち止まる。ざっと見ると、ほうれん草に白菜、様々な色の香辛料に、豚肉やヤギ肉などが並んでいた。品揃えは大抵、地球でも見られるものだった。もっとも、いま地球のものは全ては合成、人工栽培或いは変異したものだが。
(異世界と言っても、共通しているものは結構あるんだな…)
「お客さんっ、どうか見てって!欲しいものがあったら遠慮なくいってくれっ」
エリネが店主に尋ねる。
「すみません、苺はまだ仕入れてないのですか?」
「ああ、すまねぇな、苺はまだ農園から届いてなくてよ…。仕入れるのは来週になるだそうだ」
「そっか、仕方ないねお兄ちゃん」
「ああ、次の町までお預けだな。エリーのタルト」
「けど苺以外の新鮮食材なら一杯あるぞっ。ほら、今年のポポルの実も中々甘く出来上がってね。ここは可愛い君の顔を立たせて、一袋買ってくれればおまけにもう一袋送りますよっ」
「ほんと?ありがと店主さん。じゃあせっかくだから一袋お願いしようかな」
二人と店主のやり取りをよそに、ウィルフレッドはふと人の形に似た根みたいなのが棚に並んでるのに気づき、無造作にそれに触れてみた。
「ウキャキャキャキャキャッ!」
「うわっ!?」
触れられた根は突如甲高い声を上げてビクビクと動き、慌てて手を離れて後退するウィルフレッド。
「あはは、何やってんだよ兄貴」
「もうウィルさん、勝手に人の商品触ってはだめでしょ」
「す、すまない…」
まるで子供が諭されたように申し訳なくなるウィルフレッド。
「この根はいったい…」
「マントラの根ですよ。触れるとさっきみたいに大きな声出すの。これ使って煮込んだスープはとても旨いの」
「煮込む…のか…」
マントラが悲鳴を上げながら茹でられていく画面がウィルフレッドの頭に浮かぶ。
(…やはり、全部が地球と同じものって訳でもないな…)
エリネが店主から買ったポポルの実の袋から一つルルに食べさせては、引き続き市場を散策する三人。ふとウィルフレッドは、食べ物を売り出している露店の鍋の下に火がないのに、中身の湯が沸騰しているのに気づいた。
「カイ、あれって何か仕掛けがあるのか、火が通ってないのに湯が沸いている…」
「ああ、あれは魔晶石製のプレートが下に置いてあるからだな」
「魔晶石…?」
よく見ると、鍋は淡い赤色の光沢をもつプレートの上に置いてあった。
「マナに反応して様々な効果を発揮する鉱石ですよ。家の暖炉の原料にもなったり、色々と便利なの。えっと…お兄ちゃん、近くに魔晶石の店ある?」
「どれどれ…おっあそこに一軒あるな」
ウィルフレッド達がその露店の前に移動すると、棚には多種多彩な色と形の石が並べられていた。
「一杯あるでしょ?魔晶石はあくまで総称で、本当には様々な性質があってね。さっきのようにマナで発熱させて湯沸かしに使える熱石もあれば、特殊な音を出す音響石もあるの」
「まあ量が非常に少ないし、まだ解明されていない部分も多いからその殆どは生活が便利になる程度ぐらいな感じで使われてるのだけどな」
淡く輝くそれらの魔晶石を見て、改めて周りをよく観察すると確かに、とある家の傍の水槽では住民が手を水槽の下に当てて水を沸かしたり、部屋の中でランプに手を触れては光るなど、あちこちで魔晶石を使っている場面が見られる。
「エリーの付けているその腕飾りもそうなのか?」
前に魔法の解説で聞いた、エリネの腕に付けてある行動補助用の腕輪のことをウィルフレッドは思い出す。
「うん、そうですよ」
エリネが腕飾りを見せると、淡い青色を堪える宝石がかすかに輝く。
「これはシスターが王都の教会総会に頼んだ特注品でね。前にも言ったようにこれのお陰で私もある程度自由に行動ができるようになったの。こうしてみると魔晶石ってやっぱり便利よね」
「ああ、今はまだ生活改善にしか使われてないけど、いつかこれを使って空まで飛べるようになるかもな」
「お兄ちゃんそういう話すきよね」
「だって空を飛ぶんだぜっ、それを憧れない男の子がいるかっての」
「女の子だって普通に憧れるわよ」
確かに、この技術系統は発展していけば非常に大きな利便性をもたらすだろう。だがこういうものは往々にして人に害をなすものになる可能性も内包するものだ。自分の世界の過剰発展、恒常化した紛争、戦争を思い出したウィルフレッドは頭を振ってその景色を振り払う。
市場を一通り回って広場の中央にきた三人。
「あれは…」
中央の噴水に付された、三体の女神の彫刻がウィルフレッドの目にとどまった。それぞれが優雅なポーズを取りながら、ある大きな円型のレリーフを三人で支えていた。
「三女神様の彫刻と三位一体の紋章だな。うち教会でもあった奴だ」
そういえば確かに教会の礼拝堂にも、これより簡素な形のものが置いてあったとウィルフレッドは覚えている。
円い枠内に正三角形が据えられ、三つの角にある小さな円はまたそれぞれ太陽、月、星と思われる紋様が描かれてある。左右と下にはそれぞれ大地、海、空の彫刻が施され、正三角の中心からは眩い光が発するような模様が刻み込まれていた。
「この三位一体は何か特別な意味があるのか?」
「ありますよ。これはいわば私たちの世界を表しているの」
「世界を…表す…?」
「前にシスターも説明してただろ兄貴。この世界が成り立つのは、三名の女神様のお陰だって」
ウィルフレッドはイリスが魔法の説明をしていた時のことを思い出す。
「そういえば言っていたな。確か…太陽、月、そして星、だったか?」
「ああ、俺たちの知る創世神話ではこのように語られている。今から数千年前、まだ世界が混沌とした時に、三名の女神、エテルネ、ルミアナ、スティーナが降臨し、この世界を形なす神羅万象を作り上げた。女神エテルネは万物を照らす太陽を、女神ルミアナは夜に浮かぶ月を、そして女神スティーナは夜空に輝く星々を。最後に力を合わせて私たちが生きるこの大地を。そして三女神により作られた自然から様々な生き物が生まれ、この世界が誕生した。…って内容だったよな確か」
「そうよ、この三位一体の紋章は三女神の加護を受けるこの世界を表す象徴と同時に、三女神様そのものの象徴でもあるの。三角の角にそれぞれ太陽と月、星が描かれてるよね?それが三女神を表して、周りは私たちがいる自然で、真ん中はこの世界に生きる全ての生き物の魂の輝きって感じね」
ウィルフレッドは改めて紋章を見る。実に魔法を有するこの世界に相応しい神話だ。しかも恐らく自分の世界とは違って、本当にそういう成り立ちなのだろう。
「数千年前と言ったが…、それはつまり、この世界…人々の歴史は生まれてまだ数千年ぐらいしかないってことなのか?」
「? まあそうなるよなエリー?」
「う~ん確か歴史の授業では、国自体が成り立ったのは今から千年前で、それ以前の歴史の正確な時間はまだ研究中だけど、そこまで長くないと言われてますから、多分そうだと思いますけど…。それがどうかしたのですか?」
「いや、なんでもない。ちょっと気になっただけだ」
なるほど数千年、ウィルフレッドは自分の世界とこの世界のもう一つ大きな違いに気がつく。仮にここに宇宙の概念があって、三女神による創造が発端であることが事実であれば、この世界は、まだまだ若い。
永い冬という断絶があったものの、それでも地球は最初の文明から数十世紀以上は間違いなく経過している。宇宙誕生も含めて比べれば、この世界自体は正に赤子のように歩き始めたばかりともいえる。
だからこそ、ここの人々は自分の世界の人たちと違ってこうも活気に満ち溢れてるのかもしれない。技術面でもまだまだ伸びる余地が大いにあるが、それがどのように発展していくのか、地球の歴史を思い出してウィルフレッドは少々憂いを感じた。もっとも、異なる世界をそこまで比べる自体に意味はあるのかと自問すると、ただ苦笑する彼であった。
「兄貴ってひょっとしたらこういう神話とか興味あるの?」
「まあ、それなりには…」
ウィルフレッドは自分のツバメの首飾りに無意識に触れる。
「へえ、実は記憶喪失前にはそういう研究もしてたとか?」
「あっ、じゃあこの前話してた邪神戦争の神話をもう少し詳しく教えましょうか?記憶回復の助けにもなりますし」
そういえばこの前は簡単な説明しか聞いておらず、あの時の話の主旨ではなかったから詳細は聞けなかったことを思い出す。
「そうだな、できれば聞いてみたい」
「だったらあそこに行こうエリーっ、ほらバガンのおっさんのところっ」
「あっ、いいわね。バガンさんと会うのも久しぶりっ」
「バガン?」
「この町で工芸品の工房を開いてるおっさんだ。あそこに説明にうってつけものがあるからさ」
「確かここからすぐのはずよね。行こっ」
カイとエリネに連れられて、三人は市場を後にした。
******
クラトネ町の町長宅の接待室で、町長がレクスから渡された書類などを確認し終わると、満面の笑顔で向かい側に座るレクスとラナに頷く。
「うん、これで問題なし。領主の方はまた改めて書類を送るとして、レクス様の騎士団のクラトネ町での一晩滞在、ご歓迎しますよ」
「ありがと町長さん。本当はそちらも町の管理で忙しいはずなのに、こっちの対応をしてくれて」
「何を仰います。最近戦争であちこち盗賊騒ぎが頻発する中、騎士団がすぐ近くにいると言うのは大変心強いですよ。ははは」
気さくな町長の笑顔がふくよかな彼の頬を躍動させる。
「して、こちらが例の…」
「そ、独立領アトレからの特使レイナ様。本当はキャンプ地にお待ちしてても良かったのですけど、どうしても町長の町を見たいと言ってね」
ラナは姿勢を正し、片手を他方の手の甲に乗せてを膝にきちんと置くと、ゆっくり会釈した。ルーネウス王国における正式な作法だ。
「お初にお目にかかります、町長。レイナと申します。此度は護衛をご依頼頂いたレクス様の騎士団の滞在をお許しいただき、感謝の言葉は尽きません。戦時中に町で滞在できるのはそれだけでも心強いものですから」
涼やかに耳に響く心地よい声に、暖かな日差しのような柔らかな笑顔。その麗しい言動に町長が見入るばかりか、レクスさえも小さく心が高鳴った。
「い、いやぁ、こちらこそ、独立領アトレと言えばかなりの規模を有する港町と聞く。そんな特使が国王陛下に物資の支援の会談をするのは、国民としても心強く感じられますよ」
「いえ、礼を述べるべきはこちらです。昔からロバルト陛下に度々騎士団による海岸の魔獣掃討の支援をして頂いてきました。これぐらいの返礼は至極当然です」
さすがの対応とレクスが舌を巻く。実際独立領アトレは確かにルーネウス王国と親交が深く、ロバルトは時折外交の一環として魔獣掃討の支援をしていた。王族並みの作法な上になかなかの事情通。なるほど噂通りの手腕だ。
ここに来る前に彼女が同行を申し上げた時はどうしたものかと思ったが、どうやら杞憂のようだ。
――――――
「えっ、ラナ様も一緒にくるの?」
「ええ、ここクラトネ町は来たことがなくてね。今回を機に見学していこうと思って」
レクスが騎士団の留守をマティに託し、野営地から出発しようとすると、ラナが彼に同行を申し出た。
「いやでも、ラナ様は追われの身でしょ?こう易々と歩き回っていいのかなぁ?」
「だからと言ってずっと隠れてばかりでも仕方ないでしょう。時には大胆に動くことも必要よ」
「まぁそれはそうだけどさ…」
困りそうな顔で頬を掻くレクス。
「元々今回私がオルネス領を訪れたのも、親善の一環としてルーネウス王国での見識をもっと広げるための旅でもあったわ。追手がいるからと言って、それを相手に台無しにされておろそかにするのは癪に障るし、それに…」
ラナがレクスを見ては不敵な笑みを見せる。
「ここは頼もしい護衛がその本気を見せるところじゃない?これぐらいの護衛でもできない訳ではないわよね?」
レクスは苦笑しては肩をすくめた。
「そう言われるとさすがに断れなくなるね。分かりましたよ、ただし道中はちゃんとフード被ってくださいよ」
「ええ、分かってるわ」
――――――
「それでは、自分はそろそろ自分の仕事に戻ります、構いませんね」
「勿論、ご協力ありがとさん、町長」
「ありがとうございます町長」
「礼には及びませんよ。レクス様達は明日の朝に出発ですよね。道中は気を付けてください。最近は戦争だけでなく、いろんな不穏な噂も流れているのですから」
「へぇ、例えばどのような?」
「なんでも最近どっかのカルト集団が子供を誘拐しているとか、町のど真ん中でテロ行動を起こしているとかそういうものです。まったく戦争だけでも十分迷惑なのに物騒な話だけで気が滅入りますなあ」
レクスとラナは心にひっかかるものを感じた。
「そそ、あともう一つ変な噂がありましてね。ある意味さっきの噂以上に不気味かも。なにせ、妙なものが戦場に出るって話ですから」
「出る?何がですか?」
ラナの問いに町長は少々誇張した顔で囁いた。
「――魔人ですよ」
【続く】
「取り立ての魚~!新鮮な豚肉や牛肉!今日はなんと珍しいゴブイノシシの肉まで仕入れてるよっ!」
「あのフィレンス有数なアーティスト達による工芸品はいかが~?」
三女神の彫像が建てられた噴水を中心とする大きな広場では多くの露店が並んでおり、その間を行き交う人々の喧騒と元気な商人たちの声が一層町を活気づけていた。
「おお…」
「どうだい兄貴、珍しいもの一杯あるだろ――」
カイの言葉を待たずに、すでにウィルフレッドは先に歩いて露店をあちこち見回っていた。
「はは、どうやら連れてきて正解だな」
「よね」
展示された色鮮やかな野菜に新鮮そうな肉類、美しく形作られた工芸品。喧々とする露店市場の中で人混みをかき分けては、ウィルフレッドは懐かしい感じを覚えた。
三人はある食材屋の前で立ち止まる。ざっと見ると、ほうれん草に白菜、様々な色の香辛料に、豚肉やヤギ肉などが並んでいた。品揃えは大抵、地球でも見られるものだった。もっとも、いま地球のものは全ては合成、人工栽培或いは変異したものだが。
(異世界と言っても、共通しているものは結構あるんだな…)
「お客さんっ、どうか見てって!欲しいものがあったら遠慮なくいってくれっ」
エリネが店主に尋ねる。
「すみません、苺はまだ仕入れてないのですか?」
「ああ、すまねぇな、苺はまだ農園から届いてなくてよ…。仕入れるのは来週になるだそうだ」
「そっか、仕方ないねお兄ちゃん」
「ああ、次の町までお預けだな。エリーのタルト」
「けど苺以外の新鮮食材なら一杯あるぞっ。ほら、今年のポポルの実も中々甘く出来上がってね。ここは可愛い君の顔を立たせて、一袋買ってくれればおまけにもう一袋送りますよっ」
「ほんと?ありがと店主さん。じゃあせっかくだから一袋お願いしようかな」
二人と店主のやり取りをよそに、ウィルフレッドはふと人の形に似た根みたいなのが棚に並んでるのに気づき、無造作にそれに触れてみた。
「ウキャキャキャキャキャッ!」
「うわっ!?」
触れられた根は突如甲高い声を上げてビクビクと動き、慌てて手を離れて後退するウィルフレッド。
「あはは、何やってんだよ兄貴」
「もうウィルさん、勝手に人の商品触ってはだめでしょ」
「す、すまない…」
まるで子供が諭されたように申し訳なくなるウィルフレッド。
「この根はいったい…」
「マントラの根ですよ。触れるとさっきみたいに大きな声出すの。これ使って煮込んだスープはとても旨いの」
「煮込む…のか…」
マントラが悲鳴を上げながら茹でられていく画面がウィルフレッドの頭に浮かぶ。
(…やはり、全部が地球と同じものって訳でもないな…)
エリネが店主から買ったポポルの実の袋から一つルルに食べさせては、引き続き市場を散策する三人。ふとウィルフレッドは、食べ物を売り出している露店の鍋の下に火がないのに、中身の湯が沸騰しているのに気づいた。
「カイ、あれって何か仕掛けがあるのか、火が通ってないのに湯が沸いている…」
「ああ、あれは魔晶石製のプレートが下に置いてあるからだな」
「魔晶石…?」
よく見ると、鍋は淡い赤色の光沢をもつプレートの上に置いてあった。
「マナに反応して様々な効果を発揮する鉱石ですよ。家の暖炉の原料にもなったり、色々と便利なの。えっと…お兄ちゃん、近くに魔晶石の店ある?」
「どれどれ…おっあそこに一軒あるな」
ウィルフレッド達がその露店の前に移動すると、棚には多種多彩な色と形の石が並べられていた。
「一杯あるでしょ?魔晶石はあくまで総称で、本当には様々な性質があってね。さっきのようにマナで発熱させて湯沸かしに使える熱石もあれば、特殊な音を出す音響石もあるの」
「まあ量が非常に少ないし、まだ解明されていない部分も多いからその殆どは生活が便利になる程度ぐらいな感じで使われてるのだけどな」
淡く輝くそれらの魔晶石を見て、改めて周りをよく観察すると確かに、とある家の傍の水槽では住民が手を水槽の下に当てて水を沸かしたり、部屋の中でランプに手を触れては光るなど、あちこちで魔晶石を使っている場面が見られる。
「エリーの付けているその腕飾りもそうなのか?」
前に魔法の解説で聞いた、エリネの腕に付けてある行動補助用の腕輪のことをウィルフレッドは思い出す。
「うん、そうですよ」
エリネが腕飾りを見せると、淡い青色を堪える宝石がかすかに輝く。
「これはシスターが王都の教会総会に頼んだ特注品でね。前にも言ったようにこれのお陰で私もある程度自由に行動ができるようになったの。こうしてみると魔晶石ってやっぱり便利よね」
「ああ、今はまだ生活改善にしか使われてないけど、いつかこれを使って空まで飛べるようになるかもな」
「お兄ちゃんそういう話すきよね」
「だって空を飛ぶんだぜっ、それを憧れない男の子がいるかっての」
「女の子だって普通に憧れるわよ」
確かに、この技術系統は発展していけば非常に大きな利便性をもたらすだろう。だがこういうものは往々にして人に害をなすものになる可能性も内包するものだ。自分の世界の過剰発展、恒常化した紛争、戦争を思い出したウィルフレッドは頭を振ってその景色を振り払う。
市場を一通り回って広場の中央にきた三人。
「あれは…」
中央の噴水に付された、三体の女神の彫刻がウィルフレッドの目にとどまった。それぞれが優雅なポーズを取りながら、ある大きな円型のレリーフを三人で支えていた。
「三女神様の彫刻と三位一体の紋章だな。うち教会でもあった奴だ」
そういえば確かに教会の礼拝堂にも、これより簡素な形のものが置いてあったとウィルフレッドは覚えている。
円い枠内に正三角形が据えられ、三つの角にある小さな円はまたそれぞれ太陽、月、星と思われる紋様が描かれてある。左右と下にはそれぞれ大地、海、空の彫刻が施され、正三角の中心からは眩い光が発するような模様が刻み込まれていた。
「この三位一体は何か特別な意味があるのか?」
「ありますよ。これはいわば私たちの世界を表しているの」
「世界を…表す…?」
「前にシスターも説明してただろ兄貴。この世界が成り立つのは、三名の女神様のお陰だって」
ウィルフレッドはイリスが魔法の説明をしていた時のことを思い出す。
「そういえば言っていたな。確か…太陽、月、そして星、だったか?」
「ああ、俺たちの知る創世神話ではこのように語られている。今から数千年前、まだ世界が混沌とした時に、三名の女神、エテルネ、ルミアナ、スティーナが降臨し、この世界を形なす神羅万象を作り上げた。女神エテルネは万物を照らす太陽を、女神ルミアナは夜に浮かぶ月を、そして女神スティーナは夜空に輝く星々を。最後に力を合わせて私たちが生きるこの大地を。そして三女神により作られた自然から様々な生き物が生まれ、この世界が誕生した。…って内容だったよな確か」
「そうよ、この三位一体の紋章は三女神の加護を受けるこの世界を表す象徴と同時に、三女神様そのものの象徴でもあるの。三角の角にそれぞれ太陽と月、星が描かれてるよね?それが三女神を表して、周りは私たちがいる自然で、真ん中はこの世界に生きる全ての生き物の魂の輝きって感じね」
ウィルフレッドは改めて紋章を見る。実に魔法を有するこの世界に相応しい神話だ。しかも恐らく自分の世界とは違って、本当にそういう成り立ちなのだろう。
「数千年前と言ったが…、それはつまり、この世界…人々の歴史は生まれてまだ数千年ぐらいしかないってことなのか?」
「? まあそうなるよなエリー?」
「う~ん確か歴史の授業では、国自体が成り立ったのは今から千年前で、それ以前の歴史の正確な時間はまだ研究中だけど、そこまで長くないと言われてますから、多分そうだと思いますけど…。それがどうかしたのですか?」
「いや、なんでもない。ちょっと気になっただけだ」
なるほど数千年、ウィルフレッドは自分の世界とこの世界のもう一つ大きな違いに気がつく。仮にここに宇宙の概念があって、三女神による創造が発端であることが事実であれば、この世界は、まだまだ若い。
永い冬という断絶があったものの、それでも地球は最初の文明から数十世紀以上は間違いなく経過している。宇宙誕生も含めて比べれば、この世界自体は正に赤子のように歩き始めたばかりともいえる。
だからこそ、ここの人々は自分の世界の人たちと違ってこうも活気に満ち溢れてるのかもしれない。技術面でもまだまだ伸びる余地が大いにあるが、それがどのように発展していくのか、地球の歴史を思い出してウィルフレッドは少々憂いを感じた。もっとも、異なる世界をそこまで比べる自体に意味はあるのかと自問すると、ただ苦笑する彼であった。
「兄貴ってひょっとしたらこういう神話とか興味あるの?」
「まあ、それなりには…」
ウィルフレッドは自分のツバメの首飾りに無意識に触れる。
「へえ、実は記憶喪失前にはそういう研究もしてたとか?」
「あっ、じゃあこの前話してた邪神戦争の神話をもう少し詳しく教えましょうか?記憶回復の助けにもなりますし」
そういえばこの前は簡単な説明しか聞いておらず、あの時の話の主旨ではなかったから詳細は聞けなかったことを思い出す。
「そうだな、できれば聞いてみたい」
「だったらあそこに行こうエリーっ、ほらバガンのおっさんのところっ」
「あっ、いいわね。バガンさんと会うのも久しぶりっ」
「バガン?」
「この町で工芸品の工房を開いてるおっさんだ。あそこに説明にうってつけものがあるからさ」
「確かここからすぐのはずよね。行こっ」
カイとエリネに連れられて、三人は市場を後にした。
******
クラトネ町の町長宅の接待室で、町長がレクスから渡された書類などを確認し終わると、満面の笑顔で向かい側に座るレクスとラナに頷く。
「うん、これで問題なし。領主の方はまた改めて書類を送るとして、レクス様の騎士団のクラトネ町での一晩滞在、ご歓迎しますよ」
「ありがと町長さん。本当はそちらも町の管理で忙しいはずなのに、こっちの対応をしてくれて」
「何を仰います。最近戦争であちこち盗賊騒ぎが頻発する中、騎士団がすぐ近くにいると言うのは大変心強いですよ。ははは」
気さくな町長の笑顔がふくよかな彼の頬を躍動させる。
「して、こちらが例の…」
「そ、独立領アトレからの特使レイナ様。本当はキャンプ地にお待ちしてても良かったのですけど、どうしても町長の町を見たいと言ってね」
ラナは姿勢を正し、片手を他方の手の甲に乗せてを膝にきちんと置くと、ゆっくり会釈した。ルーネウス王国における正式な作法だ。
「お初にお目にかかります、町長。レイナと申します。此度は護衛をご依頼頂いたレクス様の騎士団の滞在をお許しいただき、感謝の言葉は尽きません。戦時中に町で滞在できるのはそれだけでも心強いものですから」
涼やかに耳に響く心地よい声に、暖かな日差しのような柔らかな笑顔。その麗しい言動に町長が見入るばかりか、レクスさえも小さく心が高鳴った。
「い、いやぁ、こちらこそ、独立領アトレと言えばかなりの規模を有する港町と聞く。そんな特使が国王陛下に物資の支援の会談をするのは、国民としても心強く感じられますよ」
「いえ、礼を述べるべきはこちらです。昔からロバルト陛下に度々騎士団による海岸の魔獣掃討の支援をして頂いてきました。これぐらいの返礼は至極当然です」
さすがの対応とレクスが舌を巻く。実際独立領アトレは確かにルーネウス王国と親交が深く、ロバルトは時折外交の一環として魔獣掃討の支援をしていた。王族並みの作法な上になかなかの事情通。なるほど噂通りの手腕だ。
ここに来る前に彼女が同行を申し上げた時はどうしたものかと思ったが、どうやら杞憂のようだ。
――――――
「えっ、ラナ様も一緒にくるの?」
「ええ、ここクラトネ町は来たことがなくてね。今回を機に見学していこうと思って」
レクスが騎士団の留守をマティに託し、野営地から出発しようとすると、ラナが彼に同行を申し出た。
「いやでも、ラナ様は追われの身でしょ?こう易々と歩き回っていいのかなぁ?」
「だからと言ってずっと隠れてばかりでも仕方ないでしょう。時には大胆に動くことも必要よ」
「まぁそれはそうだけどさ…」
困りそうな顔で頬を掻くレクス。
「元々今回私がオルネス領を訪れたのも、親善の一環としてルーネウス王国での見識をもっと広げるための旅でもあったわ。追手がいるからと言って、それを相手に台無しにされておろそかにするのは癪に障るし、それに…」
ラナがレクスを見ては不敵な笑みを見せる。
「ここは頼もしい護衛がその本気を見せるところじゃない?これぐらいの護衛でもできない訳ではないわよね?」
レクスは苦笑しては肩をすくめた。
「そう言われるとさすがに断れなくなるね。分かりましたよ、ただし道中はちゃんとフード被ってくださいよ」
「ええ、分かってるわ」
――――――
「それでは、自分はそろそろ自分の仕事に戻ります、構いませんね」
「勿論、ご協力ありがとさん、町長」
「ありがとうございます町長」
「礼には及びませんよ。レクス様達は明日の朝に出発ですよね。道中は気を付けてください。最近は戦争だけでなく、いろんな不穏な噂も流れているのですから」
「へぇ、例えばどのような?」
「なんでも最近どっかのカルト集団が子供を誘拐しているとか、町のど真ん中でテロ行動を起こしているとかそういうものです。まったく戦争だけでも十分迷惑なのに物騒な話だけで気が滅入りますなあ」
レクスとラナは心にひっかかるものを感じた。
「そそ、あともう一つ変な噂がありましてね。ある意味さっきの噂以上に不気味かも。なにせ、妙なものが戦場に出るって話ですから」
「出る?何がですか?」
ラナの問いに町長は少々誇張した顔で囁いた。
「――魔人ですよ」
【続く】
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ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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