12 / 28
逃げられない(1)
しおりを挟む
翌朝、鈴は退職願を鞄に忍ばせていつもより二時間も早く出社した。引継ぎ資料を作るために、誰もいないオフィスで作業をしようと思ったからだ。流石にこの時間ならば誰も出社していないだろう。そう思っていたのだけれど。
「おはようございます、先輩」
「か、梶川くん、なんで」
「先輩のことだから、今日は早く出社するんじゃないかなぁと思って」
梶川はそう言うと、はいっと鈴にむかって手の平を差し出してきた。
「なんですか、その手は」
「出してください、退職願」
「どうして、私が退職願を持っているって思うの」
退職願を書いてきたのは事実だけれど、それを誰にもうちあけてはいない。まさか鞄からはみ出しているのかと、鈴は慌てて通勤バッグを見たが、きちんとファスナーは閉まっていた。
「御影先輩って、何を考えてるか読めないようで、めちゃくちゃ分かりやすいですから」
くすりと笑われて、鈴はむっと眉根を寄せた。
「お断り。退職願なら、ちゃんと直属の上司に渡します」
「でも、先輩が退職願を書いたのって、俺のせいでしょう?」
梶川はそう言って鈴に詰め寄った。つられて鈴は後ろに下がるが、すぐにガタンと背中が壁にぶつかる。背中を壁に張りつかせた鈴を見て、梶川はくすくすと笑った。
「そう警戒しないでくださいよ」
「昨日あれだけ好き勝手しておいて、どの口が言う」
「ええ、でもあれは、先輩の希望でもあったじゃないですか」
「う、うるさい。というか、どうして私が掲示板に募集をかけたことを知ってるのよ!」
掲示板に書き込んだのは鈴の家からだし、当然、そのことを誰にも話していない。なのに狙ったように梶川が応募してくるのはおかしいではないか。
鈴が怒鳴ると、梶川は綺麗な笑みを作る。
「先輩。いくら昼休みでも、会社のパソコンでプライベートメールを見るのは止めた方が良いですよ」
「なっ……いや、でも、あのとき、後ろには誰もいなかったはず」
「履歴、消してなかったでしょう。ああ、あと、ログインパスワードもちゃんと定期的に変えた方が良いですよ」
梶川の言葉に鈴は頬を引きつらせた。つまり彼は、鈴の業務用IDでログインをして、閲覧履歴を確認したということらしい。
「梶川くん、どうしてそんなことを」
「先輩がコソコソしていたから気になったんです。でも、確認して良かった」
梶川はそういうと、ドンと鈴の顔の横に手をついた。
「ねぇ先輩。あんな風にセフレを募集するのは良くないですよ? どんな相手がくるか分かんないんですから」
「言われなくても、二度としません」
匿名の掲示板など信用してはいけないのだと、鈴は身に染みて理解した。見知らぬ相手だと安心していたら、会社の後輩が来ることもあるのだから。あんな思いをするのは二度とごめんである。完全に懲りた。二度としない。
「本当に二度としないでくださいよ? あと、退職願。出してください」
「だから、どうして梶川くんに」
「その退職願を部長に渡したら、俺、部長に言っちゃいますよ? 先輩が仕事を辞めたい本当の理由」
脅されて鈴は顔を顰める。それだけは絶対に嫌だった。これ以上、あんな恥ずかしいことを誰かに知られるなんてごめんである。
「退職願を渡せば、黙っていてくれるの?」
鈴が問いかけると、梶川は考えるように顎に手を当てた。
「ねぇ、先輩。まだ、タイムカード押していませんよね?」
「まだ押してないけど」
「始業時間まであと二時間もあります。ついてきてください」
「ちょっと、梶川くん⁈」
梶川は鈴の腕を引っ張ると、オフィスを出て外へと連れ出した。早朝のビジネス街は人通りも少なく閑散としている。彼はぐんぐんと速足で街を歩くと、薄暗く細い路地へと入り込む。
「どこに行く気!?」
「ん、確かすぐ近くにあったはず……あ、やっぱり。ありました」
そう言って梶川が連れて来たのは、洒落た雰囲気の清潔感のあるラブホテルであった。ご休憩と書かれた看板の前で立ち止まり、彼はにやりと笑う。
「ねぇ、先輩。昨日のこと黙っていて欲しかったら、このまま俺につきあって下さいよ」
この状況でつきあうという意味が、何をさしているか分からない鈴ではない。
セフレを募集するような女だと、安く見られているのかもしれない。それでも、昨日のことを会社で言いふらされたらと思うと、鈴は梶川の言葉に従うしかなかった。
「おはようございます、先輩」
「か、梶川くん、なんで」
「先輩のことだから、今日は早く出社するんじゃないかなぁと思って」
梶川はそう言うと、はいっと鈴にむかって手の平を差し出してきた。
「なんですか、その手は」
「出してください、退職願」
「どうして、私が退職願を持っているって思うの」
退職願を書いてきたのは事実だけれど、それを誰にもうちあけてはいない。まさか鞄からはみ出しているのかと、鈴は慌てて通勤バッグを見たが、きちんとファスナーは閉まっていた。
「御影先輩って、何を考えてるか読めないようで、めちゃくちゃ分かりやすいですから」
くすりと笑われて、鈴はむっと眉根を寄せた。
「お断り。退職願なら、ちゃんと直属の上司に渡します」
「でも、先輩が退職願を書いたのって、俺のせいでしょう?」
梶川はそう言って鈴に詰め寄った。つられて鈴は後ろに下がるが、すぐにガタンと背中が壁にぶつかる。背中を壁に張りつかせた鈴を見て、梶川はくすくすと笑った。
「そう警戒しないでくださいよ」
「昨日あれだけ好き勝手しておいて、どの口が言う」
「ええ、でもあれは、先輩の希望でもあったじゃないですか」
「う、うるさい。というか、どうして私が掲示板に募集をかけたことを知ってるのよ!」
掲示板に書き込んだのは鈴の家からだし、当然、そのことを誰にも話していない。なのに狙ったように梶川が応募してくるのはおかしいではないか。
鈴が怒鳴ると、梶川は綺麗な笑みを作る。
「先輩。いくら昼休みでも、会社のパソコンでプライベートメールを見るのは止めた方が良いですよ」
「なっ……いや、でも、あのとき、後ろには誰もいなかったはず」
「履歴、消してなかったでしょう。ああ、あと、ログインパスワードもちゃんと定期的に変えた方が良いですよ」
梶川の言葉に鈴は頬を引きつらせた。つまり彼は、鈴の業務用IDでログインをして、閲覧履歴を確認したということらしい。
「梶川くん、どうしてそんなことを」
「先輩がコソコソしていたから気になったんです。でも、確認して良かった」
梶川はそういうと、ドンと鈴の顔の横に手をついた。
「ねぇ先輩。あんな風にセフレを募集するのは良くないですよ? どんな相手がくるか分かんないんですから」
「言われなくても、二度としません」
匿名の掲示板など信用してはいけないのだと、鈴は身に染みて理解した。見知らぬ相手だと安心していたら、会社の後輩が来ることもあるのだから。あんな思いをするのは二度とごめんである。完全に懲りた。二度としない。
「本当に二度としないでくださいよ? あと、退職願。出してください」
「だから、どうして梶川くんに」
「その退職願を部長に渡したら、俺、部長に言っちゃいますよ? 先輩が仕事を辞めたい本当の理由」
脅されて鈴は顔を顰める。それだけは絶対に嫌だった。これ以上、あんな恥ずかしいことを誰かに知られるなんてごめんである。
「退職願を渡せば、黙っていてくれるの?」
鈴が問いかけると、梶川は考えるように顎に手を当てた。
「ねぇ、先輩。まだ、タイムカード押していませんよね?」
「まだ押してないけど」
「始業時間まであと二時間もあります。ついてきてください」
「ちょっと、梶川くん⁈」
梶川は鈴の腕を引っ張ると、オフィスを出て外へと連れ出した。早朝のビジネス街は人通りも少なく閑散としている。彼はぐんぐんと速足で街を歩くと、薄暗く細い路地へと入り込む。
「どこに行く気!?」
「ん、確かすぐ近くにあったはず……あ、やっぱり。ありました」
そう言って梶川が連れて来たのは、洒落た雰囲気の清潔感のあるラブホテルであった。ご休憩と書かれた看板の前で立ち止まり、彼はにやりと笑う。
「ねぇ、先輩。昨日のこと黙っていて欲しかったら、このまま俺につきあって下さいよ」
この状況でつきあうという意味が、何をさしているか分からない鈴ではない。
セフレを募集するような女だと、安く見られているのかもしれない。それでも、昨日のことを会社で言いふらされたらと思うと、鈴は梶川の言葉に従うしかなかった。
0
お気に入りに追加
244
あなたにおすすめの小説
【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
孕むまでオマエを離さない~孤独な御曹司の執着愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「絶対にキモチイイと言わせてやる」
私に多額の借金を背負わせ、彼氏がいなくなりました!?
ヤバい取り立て屋から告げられた返済期限は一週間後。
少しでもどうにかならないかとキャバクラに体験入店したものの、ナンバーワンキャバ嬢の恨みを買い、騒ぎを起こしてしまいました……。
それだけでも絶望的なのに、私を庇ってきたのは弊社の御曹司で。
副業がバレてクビかと怯えていたら、借金の肩代わりに妊娠を強要されたんですが!?
跡取り身籠もり条件の愛のない関係のはずなのに、御曹司があまあまなのはなぜでしょう……?
坂下花音 さかしたかのん
28歳
不動産会社『マグネイトエステート』一般社員
真面目が服を着て歩いているような子
見た目も真面目そのもの
恋に関しては夢を見がちで、そのせいで男に騙された
×
盛重海星 もりしげかいせい
32歳
不動産会社『マグネイトエステート』開発本部長で御曹司
長男だけどなにやら訳ありであまり跡取りとして望まれていない
人当たりがよくていい人
だけど本当は強引!?
ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました
瀬崎由美
恋愛
穂香は、付き合って一年半の彼氏である栄悟と同棲中。でも、一緒に住んでいたマンションへと帰宅すると、家の中はほぼもぬけの殻。家具や家電と共に姿を消した栄悟とは連絡が取れない。彼が持っているはずの合鍵の行方も分からないから怖いと、ビジネスホテルやネットカフェを転々とする日々。そんな穂香の事情を知ったオーナーが自宅マンションの空いている部屋に居候することを提案してくる。一緒に住むうち、怖くて仕事に厳しい完璧イケメンで近寄りがたいと思っていたオーナーがド天然なのことを知った穂香。居候しながら彼のフォローをしていくうちに、その意外性に惹かれていく。
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる