婚約破棄された王子を拾いまして 解呪師と呪いの王子

大江戸ウメコ

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1巻

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 親切心からトレッサが言うと、レニーはうっと言葉を詰まらせた。

「なぁ、トレッサ。あの薬、もう少し味をどうにかできないのか?」
「え、味ですか。できなくはないかもしれませんけど、効果が落ちますよ?」

 味を改善しようと思えば、手間がかかる上に効能も下がる。だったら、苦いのを我慢して飲むほうがいいのではないか。
 トレッサはそう思うのだが、レニーは首を大きく左右に振った。
 どうやらレニーにとっては効果よりも味のほうが大事らしい。
 仕方がないので、トレッサはその日、薬の改善に努めることにした。


 レニーが日常の細々したことを片付けてくれるおかげで、トレッサの研究時間が増えた。
 それならばとトレッサは日々、レニーの呪いの研究に打ち込んでいる。
 呪いに関する研究資料は少なく、トレッサは残された師匠の手記をもとに解呪薬を作らなければならなかった。
 魔法の存在は広く知られているが、呪いはそうではない。
 罰当ばちあたりな行動をすれば呪われるぞと脅しに使ったり、あるいは魔獣が人を呪うという迷信めいたものはあるが、実際に呪いが存在すると確信を持っている人間は、この国にはほとんどいないのだ。
 ゆえに、呪いの研究もおこなわれていない。
 では、魔法と呪いはどう違うのか。
 魔法とは、魔力を使って自然原理をじ曲げることをいう。
 たとえば治癒魔法であれば、魔力を使って人体に直接影響を与える。
 また、火・水・風・土のいわゆる四大魔法は精霊に魔力を与えることで、それらの要素を自由に操る力を得ているらしい。
 一方、呪いとはなんなのか。
 師匠のカチヤは、呪いも魔法の一種だとトレッサに教えてくれた。
 誰かに恒常的に不具合を与える魔法が呪いの正体なのだとトレッサは認識している。
 別の国では、呪いではなく状態異常魔法なんていう呼ばれ方をしているらしい。
 ここリルヴェル国では呪いは魔法と認められておらず、ろくに研究もされていない。
 それどころか、呪いが本当に実在するのかさえ疑われている。
 そんな中、カチヤはずっと呪いの研究を続けていた。

「呪いは存在するよ。現に私が使える。この世界に呪いが存在する以上、それによって困る人だって絶対にいるはずなんだ。だから、誰になにを言われようと、私は彼らを救う研究を続ける」

 カチヤの言葉を思い出しつつ、トレッサはノートにペンを走らせた。
 呪いを解くのにも、多少の魔力が必要となる。
 トレッサは呪いに直接触れて解呪することはできないが、魔法薬を作り、それを介して解呪をおこなう方法を、カチヤから教わっていた。
 魔力の混ざった薬は魔法薬と呼ばれ、通常の薬よりもずば抜けて効能が高くなる。
 魔力によって素材本来の力を増幅させたり、あるいは違う方向にじ曲げたりできるからだ。
 解呪に使うものだけでなく、トレッサは様々な魔法薬の製法を学んでいた。
 だが、トレッサの知識はカチヤには遠く及ばない。経験もない。
 ただ、カチヤのこころざしを継ぐのだという意気込みだけはあった。わからないのならば、試して、調べて、知っていけばいいのだ。


 その日、トレッサは研究室で新薬を調合していた。新しくできたばかりの薬を瓶に詰めると、うーんとひとつ伸びをする。それから、研究室の扉に向かって大きな声を出した。

「レニー、ちょっと来てくれますか?」

 トレッサが呼びかけると、レニーがやってきた。
 小さな家なので、別の部屋にいても簡単に声が届くのだ。

「この薬を……なんですかその顔。大丈夫です。飲み薬じゃありません。いつもの解呪用の塗り薬ですよ」
「ああ、あれか」

 薬を取り出した瞬間レニーの顔が曇ったが、解呪に使う塗り薬だと聞いて表情が和らいだ。
 解呪以外にも睡眠薬や栄養剤を飲ませていたため、レニーはすっかり薬嫌いになってしまった。

「ちょっと不味まずいからって薬を嫌がるなんて、レニーは子供ですか」
「トレッサの作るものは、ちょっと不味まずいの範疇はんちゅうを超えている。舌が痺れて毒かと思う薬なんて、どう考えても普通の薬じゃあない」
「そうですか? 師匠は黙って飲んでくれたんですけど」

 言いながらトレッサは薬瓶の蓋を開ける。とたん、濃厚な薬草の匂いが鼻をついた。
 トレッサは指で薬をすくってレニーを見上げる。

「薬を塗るので、前髪をよけてください」
「あ、ああ」

 よほど傷がコンプレックスなのか、ただれた肌を見せるときレニーはいつも微かに手が震える。
 そのたびにトレッサは申し訳なさを感じるが、呪いはその傷の上にかかっているのだから必要な作業だ。
 左目で呪いの範囲を見ながら、それに沿って薬を塗っていく。
 トレッサの指が触れるたび、レニーは居心地が悪そうにぴくりと身体を動かした。

「どうだ?」
「うーん。今回のもダメですね。理論上は効果が出るはずなんですけど、呪いがあまりにも傷に強くこびりついていて、薬が入り込む余地がない感じです」

 トレッサは近くに置いた布を水で濡らし、効果が出なかった薬を拭き取った。

「すみません。すぐに結果を出せなくて」
「いや、かまわない。むしろ、俺のほうが申し訳ない。長々と居候してしまって」
「とんでもない。いつまでもいてほしいくらいです」

 トレッサは心の底からそう言った。
 レニーが来てからというもの、薬草の棚が整理されて研究の効率があがったのだ。
 整理整頓が苦手なトレッサだったが、ものを片付ける大事さを実感した。

「いつまでもいてほしいか。そんなことを言われたのは初めてだ」
「信じられません。レニーはとても優秀じゃないですか」

 手早く家事をこなす今の姿からは想像できないが、レニーははじめ、家事のやり方を知らなかったのだ。ところが、虫干しのやり方も、掃除も、トレッサが軽く説明しただけであっという間にマスターしてしまい、今では効率のいい方法を自分で考えておこなっている。
 料理だって包丁を持ったこともない様子だったのに、初日からトレッサよりも上手かった。
 なにをやらせてもとにかく覚えがいいのだ。
 頭のいい人間とは、レニーのような男をいうのだろう。
 今は家事をやらせているが、別の仕事をしても結果を出してくるに違いない。
 トレッサがそう言うと、レニーは諦めたような顔で首を横に振った。

「なまじ能力があるぶん邪魔に思われることもある。それに俺は、こんな顔だ」

 レニーはただれた皮膚を撫でて自嘲した。
 そこまで気にするほどのことだろうかと思うのは、トレッサが当人ではないからだろう。
 おそらくレニーは傷がらみで嫌な目にあってきたのだ。
 その積み重ねが、根深いコンプレックスになっている。

「治りますよ」

 レニーを励ますようにトレッサは言った。

「呪い、絶対に解いてみせますから。そうしたら、傷を治しましょう」

 レニーはじっとトレッサを見つめると、ふっと表情を和ませる。
 ここに来たばかりの頃は警戒していたのか表情も硬かったが、最近はこのように柔らかい顔を見せてくれるようになった。

「ああ、よろしく頼む。……ありがとう」

 感謝の言葉を紡がれて、トレッサの心が浮き立つ。
 解呪の研究ができればそれでよかったはずなのに、最近はこうしてレニーの力になれることが嬉しいと思うようになっていた。


 その日からトレッサはますます研究に力を入れた。
 森に薬草を採りに行き、そうでないときは一日中調合をおこなう。
 薬に混ぜる魔力の配分を変えてみたり、素材を変えてみたり。とにかく試せることはなんでも試したが、なかなか成果が出ない。
 ちなみに、トレッサの研究室はレニーが来る前と比べると、同じ部屋とは思えないほど整理されている。
 床に無造作に積み上げられていた木箱は、レニーの手によって整頓され、ラベルまでついた状態で綺麗に棚に並んでいた。
 その中のひとつ、レグリル草の箱に手を伸ばしたトレッサは、中身が空になっていることに気がついた。レグリル草は魔力を薬に馴染ませる役目を持つ薬草なのだ。使用頻度が高いため、すぐに在庫が切れてしまう。
 仕方がない、森に採りに行くかとトレッサは重い腰をあげた。
 ずっと作業台の前に座っていたから、筋肉がり固まってぎこちない音を立てる。
 うーんと大きく伸びをしてから、トレッサは研究室を出てかごと二本のナイフを手に取った。
 一本は採取用、もう一本は護身用だ。
 トレッサが出かけようと思ったところで、二階からレニーが下りてきた。掃除の途中だったのか、手には雑巾を持っている。
 採取準備を終えたトレッサを見て、彼は目を丸くした。

「採取に向かうのか?」
「はい。レグリル草が切れてしまって。ついでに他の薬草も採ってこようかと」
「わかった。少し待て、俺も一緒に行く」

 トレッサがなにかを言う前に、レニーは手に持っていた掃除用具をてきぱきと片付けて、手早く準備を始めた。
 予備のナイフを腰につけると、さあ行くかと彼女の隣に並ぶ。

「家で待っていてもいいですよ?」
「森の中には獣がいるだろう。もしかしたら魔獣も出るかもしれない」

 レニーは絶対に自分もついていくと言わんばかりに、ふんと鼻を鳴らした。

「心配しなくても大丈夫ですよ。何年ここで暮らしていると思っているんですか。魔獣なんてまず出ませんし、普通の獣なら自分で対処できます」
「だとしても心配だ。守らせてくれ」

 さらりとすごい台詞せりふを言われて、トレッサの顔が熱を帯びる。
 誰かに心配されるのなんて何年ぶりだろうか。
 胸の中にこそばゆい気持ちが芽生えて、トレッサは慌てて手に持ったかごを握り直した。

「ついてくるなら、レニーもかごを持ってください。持ち帰る薬草は多いほうがいいですから」

 突き放すような口調になってしまい、トレッサは慌ててレニーの顔色をうかがった。
 気分を害したのではないかと不安だったが、気にした様子はない。トレッサが付き添いの許可を出したことに満足したようで、言われるがままにいそいそとかごを用意していた。
 ほっと小さく息をはいて、トレッサはギシギシと軋む木戸を押し開けた。


 トレッサにとって、このクレバの森は庭のようなものだ。どこにどんな薬草が生えているか、どこを歩けば近道なのか、完全に覚えている。
 確かな足取りで森を歩くトレッサを見て、レニーは感心したようだ。

「似たような景色なのに、よく道がわかるな」
「そりゃあまあ。赤子のときからこの森に住んでいますから」
「赤子のときから?」

 おおきく膨らんだ木の根元を避けながら、レニーは不思議そうな声をあげた。
 クレバの森はとてもじゃないが、子育てに向いた場所ではない。
 野生動物がウロウロしているし、ふもとの村に行くにもかなりの距離を歩かなければならないのだ。

「私、捨て子なんです。両親がいなくて。それを、師匠が拾って育ててくれたんですよ」
「師匠というのは、俺が使っている部屋の、前の主だよな?」
「はい。元々、呪いの研究をしていたのは師匠なんです。クレバの森は色んな薬草が生えているから、研究にうってつけだって。私を育てながら研究を続けるのは大変だったでしょうに、師匠は私に色んなことを教えてくれました」

 薬草の見分け方に、薬の作り方。それに、呪いについて。
 カチヤはトレッサの師であり、たったひとりの大切な家族でもあったのだ。

「ちょっと変わっていましたけど、優しい人でしたよ」
「その師匠は、今は?」
「五年前に亡くなりました」

 トレッサの言葉に、レニーは表情を曇らせた。

「すまない。悪いことを聞いた」
「いえ。気にしないでください」

 当時のことを思い出すと、トレッサの胸は石でも詰められたかのように重くなる。
 五年という月日が流れた今も、カチヤの死をトレッサは上手く呑み込めないでいた。
 本当はこの森にいるよりも、人里に下りたほうがずっと暮らしやすい。
 けれどもそうしないのは、ここがカチヤとの思い出の地だからだ。
 この森を出る決心を、トレッサはずっとつけられないでいる。

「レニーはどうしてこの森で倒れていたんですか?」

 話の流れを変えるように、トレッサは気になっていた疑問をぶつけた。
 レニーがわけありなのはトレッサも薄々気がついていたが、今までは、そのわけを聞き出そうとは思わなかった。無理に聞くものでもないし、レニーの過去にそこまで関心がなかったからだ。
 けれども、生活を共にして、トレッサはもう少しレニーのことが知りたくなった。
 トレッサの問いかけに、レニーは困った顔をした。
 逡巡するように、口を開きかけては閉じることを繰り返す。
 トレッサは辛抱強くレニーの言葉を待った。

「言えば、トレッサは俺を追い出すかもしれない」
「そんな酷い事情なんですか?」
「……」
「いきなり追い出したりしませんよ。レニーが私になにかするなら別ですが」

 レニーがそんなことをしないというのは、この数日でよく理解していた。
 だから、レニーがどんな事情をうちあけようとも、トレッサは彼に出ていけと言うつもりはない。

「罪人だったんだ。だが、護送される途中で逃げてきた」
「なにか罪を犯したんですか?」
「殺人罪だ」
「レニーが誰かを殺した?」

 トレッサは驚いて目をまたたかせる。

冤罪えんざいだ。俺がやったわけではない」

 悔しそうにギリッと奥歯を噛みしめるレニーを見て、トレッサに同情心が芽生える。

「はめられたんだ。俺ではないと何度も訴えた。だが、信じてはもらえなかった」
「それは、辛かったですね」

 トレッサの言葉に、レニーは不思議そうな顔になる。

「トレッサは俺の言葉を信じるのか?」
「信じますよ」

 トレッサはまだ、レニーの人となりを全て理解したわけではない。
 けれども、やったことをやっていないと嘘をつく人間だとは思えなかった。
 それに、トレッサにはレニーを信じたい大きな理由があった。

「私の師匠も冤罪えんざいで殺されたんです。だから、レニーの言葉を信じます」
「トレッサの師匠も?」
「はい。殺人未遂の罪でした。師匠がそんなことをするはずないんです。だけど……」

 カチヤは無実だと、トレッサは必死に訴えた。
 けれども、トレッサの言葉をまともに聞き入れる者などいなかった。
 司法というのは、正しい者の味方ではない。力の強い者の味方なのだ。
 罪を犯していない人間が、誰かの都合で殺されることが容易にあるのだとトレッサは知っていた。

「レニーを信じますよ。追い出したりしません。誓ってもいいです」
「だが、俺がいることで、トレッサに迷惑がかかるかもしれない」
「そのときはそのときです。ですが、ここを見つけるのは大変だと思いますよ」

 行く当てがないと言っていたのに、呪いが解けたら出ていくという素振りを見せていたのは、トレッサに迷惑をかけないためだったのだろう。
 その必要はないと、トレッサは改めてレニーに告げた。

「行く当てがないなら、好きなだけここにいていいですよ。呪いが解けたあとでも」

 トレッサの言葉にレニーは迷ったような顔をしたものの、小さくありがとうと呟いた。


 濃い緑の匂いを嗅ぎながら、かごがいっぱいになるまで薬草を摘む。
 ふたりで作業したら、いつもより早く採取が終わった。
 服についた細かい葉っぱを払ったとき、トレッサの指先に小さな痛みが走る。

「痛っ」
「どうした?」
「あー、コムリの葉でちょっと切ったみたいです」

 地面に生えた細長い葉を摘まむ。コムリは葉の端がギザギザとしていて硬く、素手で触るとよく皮膚を切るのだ。

「平気か?」
「大したことないですよ」
「見せてみろ」

 レニーはかごを地面に置くと、慌てた様子でトレッサの手を取った。
 急に触れられて、トレッサの心臓が少し跳ねる。
 傷は大したことはない。少しばかり血がにじんでいるが、数日で治る程度だ。

「血が出ている」

 ほんのかすり傷だというのに、レニーは痛ましそうに眉根を寄せた。

「このくらい、なんてことありませんよ」
「少し、待っていろ」

 レニーはそう言うと、トレッサの傷口にそっとてのひらをかざす。
 なにをするつもりかとトレッサが首をかしげていると、温かいなにかがレニーのてのひらから流れ込んできた。トレッサの指先が熱を帯び、驚いているうちに、みるみる傷が塞がっていく。
 完全に傷が消えた指を見て、トレッサは目を丸くする。

「今の、まさか治癒魔法? レニー、魔力持ちだったんですか?」

 トレッサが驚くと、レニーは申し訳なさそうに頷いた。

「黙っていてすまない」
「驚きました。なるほど、それで治癒魔法の当てがあるような感じだったんですね」

 どうするつもりかと思っていたが、まさか、本人が治癒魔法の使い手だったとは。
 トレッサは治った指を太陽の光にかざしながら、感嘆の息をついた。

「治してくれてありがとうございます」
「それだけか?」
「それだけとは? あ、まさか金銭ですか? 勝手に治してそれは酷いですよ」

 治癒魔法の使い手は希少で、治療を受けるには高額な費用が必要のはずだ。
 トレッサが思わずレニーを睨むと、彼は慌てて首を振った。

「そうじゃない。なぜ魔法が使えるのかと、事情は聞かないのか?」
「あー、そっちですか。気になりますけど、隠していたことを聞き出すのもなぁと」

 彼は治癒魔法の当てがある素振りだったが、自分が治癒魔法を使えるとは言わなかった。
 であれば、そのことについて深く聞いていいものか。

「それに、なんとなく察しはついています。護送中にしてはかなりいい服を着ていましたから。レニーって、元々は貴族なんじゃないですか?」

 裕福な庶民かとも思ったが、魔法が使えるのであれば十中八九、貴族だろう。
 どこかの貴族の息子が冤罪えんざいをかけられて護送された。クレバの森を通るということは、向かう先はこの国の西端にある孤島だったのかもしれない。あの島はよく、罪人の流刑に使われると聞く。

「そのとおりだ。色々と秘密にしていてすまない」
「仕方ないですよ。よく知らない相手にベラベラと喋れませんよね。罪人で、貴族で、治癒魔法の使い手なんて、いくらでも利用価値がありそうですし」

 国に突き出されたくなければ言うことを聞けと脅されて、魔法を使わされるだとか。
 そうでなくても、治癒魔法の使い手がいるなんて噂が立てば、すぐに居場所がバレてしまう。
 逃亡中の身であれば秘密にするのが当然だろう、とトレッサはレニーの謝罪を受け入れた。

「なぜニヤニヤと笑う」
「え、ニヤニヤしていました?」
「ああ。している」
「ちょっと嬉しいなって思って。話してくれたってことは、少しは信用できると思ってくれたってことですよね?」

 バレれば、身の危険にさらされかねない秘密だ。
 おそらくレニーは、全てを黙ったまま治療を終えてここを出ていくつもりだったのだろう。
 それなのに、トレッサに秘密を教えてくれた。トレッサを信じてくれたのだ。

「そんなことが嬉しいのか?」
「嬉しいですよ。レニーと仲良くなれている感じがするじゃないですか」

 トレッサが言うと、レニーは目をまたたかせた。

「トレッサは、俺と仲良くしたいと思ってくれているのか?」

 なぜか真剣な口調でレニーが問いかける。

「そうですね。信用してもらえたら嬉しいですし、仲良くなりたいです」

 トレッサの言葉に、レニーは相好を崩した。

「そうか。君は俺の呪いにしか興味がないのかと思っていた」
「きっかけはそうだったんですけど。でも、レニーのことは好きですよ」

 トレッサが笑うと、レニーの身体が固まった。
 そして、酷く驚いた表情で、じっとトレッサを見つめてくる。

「好き?」
「はい。レニーはすごいですよね。なにもしなくてもいいって言っているのに、いつも家事をしてくれて。本当に感謝しているんです。ありがとうございます」

 トレッサが改めてお礼を言うと、レニーはなぜか残念そうに肩を落とした。

「ああ、なるほど。そういうことなら俺もトレッサに感謝している。俺を受け入れてくれて、呪いを解こうと努力してくれてありがとう」

 レニーにお礼を言われ、トレッサはなんだか身体が軽くなったような気持ちで、薬草の詰まったかごを握り直した。

「戻りましょう。薬草も、これだけあれば十分です」
「ああ、そうだな。戻ろう」

 柔らかく笑うレニーの顔を見ると、トレッサの胸が温かくなる。
 木々の間からキラキラと差し込む木漏れ日を眺めながら、この時間がもう少し長く続けばいいのにとトレッサは思った。


 呪いの研究は順調とはいえなかったが、少しばかり進展があった。レニーの魔力を混ぜると薬の効果があがったのだ。
 長期間かかっていた呪いは、かなりの強度でレニーにへばりついている。けれども薬にレニーの魔力を混ぜることで、レニーの一部だと誤認させて、呪いを吸着させることができた。
 とはいえ、長年魔力を薬に混ぜる練習を続けてきたトレッサと違って、レニーが薬に魔力を混ぜるのは難しいようだ。何度やってもちょうどいい具合には混ざらず、狙ったとおりの効果が出ない。
 薬に魔力を混ぜるには、とても繊細な魔力のコントロールが必要になる。
 たとえば、オニグリ草に四の魔力を注ぐと増幅の効果になるが、五の魔力を注いでしまうと効果は消滅する。魔法薬作りはそのくらい繊細なのだ。その微妙なコントロールを習得するにはどうしても修練が必要となり、一朝一夕で覚えることはできない。
 そのため、トレッサはレニーの魔力が溶けた物質から、魔力を取り出す方法を考えた。
 その代表が血液である。魔力を持っている人間の体液には、一定の濃さの魔力が溶けているのだ。
 レニーの血液を使って魔力を移してみたが、魔力が濃すぎて上手くいかない。
 血液に溶けている魔力の濃さが六だとすると、そのうちの四だけを取り出すということができないのだ。四の魔力が必要ならば、四の濃度で魔力が溶けこんでいる物質を探さなければならない。
 唾液や涙でも試してみたが、今度は弱すぎて駄目だった。

「うーん。難しいですね」
「血も唾液や涙も駄目。爪も駄目だったな」
「あともう一歩って感じなんですけど。レニーの魔力が溶けているもの、他にないですかね」

 トレッサはうんうんと唸りながら、なにか手掛かりはないかと書物に目を通していく。


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