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第2部.アドニア〜リムウル 第3章
12.しるし
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「やられた!」
目を覚ましたウィリアムは、叫んでいた。
レスターに眠り薬を盛られたに違いない。
そうでなければ、武人として訓練されたこの自分が、彼が出て行く気配に気づかないわけがない。
おそらくアイリーンと城を出ようとしたときに使った薬を、何かの時のためにと残してあったのだろう。
ウィリアムは部屋から走り出ると、彼の剣幕に驚いている宿の主人に詰め寄った。
「おやじ! 私の連れはいつ頃ここを出た?」
「二刻ほど前ですが……」
「よし!」
勢い込んで厩に走ろうとする彼に必死にしがみつき、宿の主人は懇願するように叫んだ。
「お待ちを! 手紙をお預かりしています!」
「手紙?」
「はぁ。あなた様がこれを読むところを、必ず見届けて欲しいと……チップも弾んでいただきました」
ウィリアムは仕方なく、はやる気持ちを抑え、手渡された手紙をその場で開いた。
手紙には大きく一文字、美しい飾り文字で “F”と書いてあるだけだった。
のぞき込んだ宿の主人が首をかしげる。
「何のことですかね?」
「……」
ウィリアムには心当たりがあった。自分がレスターの従者になったいきさつにまつわることだ。
池で溺れた後、レスターはさすがに水辺には近づかなくなったが、相変わらず、しょっちゅう従者をまいて行方をくらませていたという。
事故以来、神経質になった王や妃から、そのたびにとがめられるお守り役の従者は、たまったものではなかった。
次から次へと従者は変わったが、誰も彼も、半月と経たないうちに彼の従者を続けるぐらいなら王宮に仕える仕事を辞めさせてもらいたいと言い出すしまつだった。
困った大人達は一計を案じた。レスターの乳兄弟である7歳のウィリアムを従者に抜擢したのだ。
遊び友達や学友としてならともかく、いくら本人がまだ子供だからと言って、王子の従者を子供が務めるなど異例のことだった。
しかしレスターは気にもかけずに、やはり彼を置いて城の外に出かけてしまった。
そしてこれも異例のことだったが、彼の逃亡を阻止できなかった罪でウィリアムは鞭打たれた。
さすがに自分と同じ年頃の子供が体罰を受けるのを見て、思うところがあったのだろう。
それからしばらくレスターは、おとなしくしていた。
さぞや大人達はホッとしたことだろう。が、いくらもたたないうちにやはり彼は、勝手にウロウロし始めた。
しかし大人達が騒ぎ出す前にウィリアムが彼に追いつけるようにと、ウィリアムにだけわかる“しるし”を残していくようになった。
その中の一つがこの、アルファベット一文字の手紙だった。
それはしょせん子供が考えた他愛もない小細工だったから、大人達にはすぐにばれて結局二人とも後でひどく叱られた。
けれどそれぞれのアルファベットが何を、あるいはどこを示すのかということは、今に至るまでレスターとウィリアムしか知らぬことだった。
ほんの数年前まで、レスターは時折、思い出したようにこの暗号を用いて、ウィリアムに意志を伝えたものだ。
「おやじ、この屋敷に井戸はあるか?」
「井戸? へぇ、使っていない枯れ井戸なら一つありますが?」
そこへ案内してもらったウィリアムは、付近を調べた。
すると目立たないよう、でも探す者があればそれとわかるように石が積んである場所があり、その下から、小さな紙切れが出てきた。
そこには、豆粒のような小さな字で
『部屋に帰って服を脱ぐこと。注:これは大事なことだから、すぐ実行するように』
と書いてあった。
これにはウィリアムも首をかしげる。
“いったい何の冗談です? 時間稼ぎのつもりですか?”
目を覚ましたウィリアムは、叫んでいた。
レスターに眠り薬を盛られたに違いない。
そうでなければ、武人として訓練されたこの自分が、彼が出て行く気配に気づかないわけがない。
おそらくアイリーンと城を出ようとしたときに使った薬を、何かの時のためにと残してあったのだろう。
ウィリアムは部屋から走り出ると、彼の剣幕に驚いている宿の主人に詰め寄った。
「おやじ! 私の連れはいつ頃ここを出た?」
「二刻ほど前ですが……」
「よし!」
勢い込んで厩に走ろうとする彼に必死にしがみつき、宿の主人は懇願するように叫んだ。
「お待ちを! 手紙をお預かりしています!」
「手紙?」
「はぁ。あなた様がこれを読むところを、必ず見届けて欲しいと……チップも弾んでいただきました」
ウィリアムは仕方なく、はやる気持ちを抑え、手渡された手紙をその場で開いた。
手紙には大きく一文字、美しい飾り文字で “F”と書いてあるだけだった。
のぞき込んだ宿の主人が首をかしげる。
「何のことですかね?」
「……」
ウィリアムには心当たりがあった。自分がレスターの従者になったいきさつにまつわることだ。
池で溺れた後、レスターはさすがに水辺には近づかなくなったが、相変わらず、しょっちゅう従者をまいて行方をくらませていたという。
事故以来、神経質になった王や妃から、そのたびにとがめられるお守り役の従者は、たまったものではなかった。
次から次へと従者は変わったが、誰も彼も、半月と経たないうちに彼の従者を続けるぐらいなら王宮に仕える仕事を辞めさせてもらいたいと言い出すしまつだった。
困った大人達は一計を案じた。レスターの乳兄弟である7歳のウィリアムを従者に抜擢したのだ。
遊び友達や学友としてならともかく、いくら本人がまだ子供だからと言って、王子の従者を子供が務めるなど異例のことだった。
しかしレスターは気にもかけずに、やはり彼を置いて城の外に出かけてしまった。
そしてこれも異例のことだったが、彼の逃亡を阻止できなかった罪でウィリアムは鞭打たれた。
さすがに自分と同じ年頃の子供が体罰を受けるのを見て、思うところがあったのだろう。
それからしばらくレスターは、おとなしくしていた。
さぞや大人達はホッとしたことだろう。が、いくらもたたないうちにやはり彼は、勝手にウロウロし始めた。
しかし大人達が騒ぎ出す前にウィリアムが彼に追いつけるようにと、ウィリアムにだけわかる“しるし”を残していくようになった。
その中の一つがこの、アルファベット一文字の手紙だった。
それはしょせん子供が考えた他愛もない小細工だったから、大人達にはすぐにばれて結局二人とも後でひどく叱られた。
けれどそれぞれのアルファベットが何を、あるいはどこを示すのかということは、今に至るまでレスターとウィリアムしか知らぬことだった。
ほんの数年前まで、レスターは時折、思い出したようにこの暗号を用いて、ウィリアムに意志を伝えたものだ。
「おやじ、この屋敷に井戸はあるか?」
「井戸? へぇ、使っていない枯れ井戸なら一つありますが?」
そこへ案内してもらったウィリアムは、付近を調べた。
すると目立たないよう、でも探す者があればそれとわかるように石が積んである場所があり、その下から、小さな紙切れが出てきた。
そこには、豆粒のような小さな字で
『部屋に帰って服を脱ぐこと。注:これは大事なことだから、すぐ実行するように』
と書いてあった。
これにはウィリアムも首をかしげる。
“いったい何の冗談です? 時間稼ぎのつもりですか?”
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