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第2部.アドニア〜リムウル 第3章
2.祝杯
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いくらも経たないうちに二人は、男性客しか入れない場末のパブに腰を落ち着けていた。
こんなところに馴染みを持つには、少年は少しばかり若すぎる感もあったが、男は何も言わなかった。
この国では王侯貴族の子供が社交界にデビューするのは12~15歳。
庶民の間でも、16ともなれば一人前と見なされる。
なみなみと注がれたビールのグラスを前に、喜々として少年は言った。
「ありがとう、あんたのお陰で、今までで一番の稼ぎだ」
男はフードの奥で笑顔を見せた。
「礼を言うのはぼくの方だよ。あこがれの職業を体験できてとても楽しかった」
「へぇ?……あこがれ? そんないいもんじゃないけどな」
少年は少し警戒心を抱いて男を盗み見た。
もしも彼が吟遊詩人をやるつもりなら、商売敵になりそう……と心配になったのだ。
少年とて自分の声にはそれなりの自負を持ってはいたが、あれほどの美声を聞かされては、彼が警戒してしまうのも無理はなかった。
男の竪琴の腕の方はわからないが、見ると、優美で長い、器用そうな指をしている。
きっとかなわないのではないかという気がした。
しかも、こうして明かりの下で見ると、フードで半ば陰になっているとはいえ、男の美貌が半端ではないことがわかる。
たとえ彼にそれほど音楽の才がなかったとしても……熱狂的な女性ファンがつき、束になって追いかけ回しそうだった。
「どうして? 好きで選んだ仕事じゃないのかい?」
「……」
何の屈託もなく、素直な好奇心を見せて聞いてくる男に、少年は自分の狭量な心が嫌になり、ぶっきらぼうに答えた。
「おれの師匠はすっごい厳しかったんだ。それだけの話。歌うのは、好きだよ。竪琴もね……まだ下手だけど」
それだけ言うと少年は急に話題を変え、
「ところで山分けの話だけど。ここで金を数えるのは、ちょっと……」と、言葉を濁した。
少々妖しげな連中もたむろするこんな場所で、大金を人目にさらすのははばかられる。
すると男は気のない様子で言った。
「ああ……いいよ、ぼくは。君がみんな取っておいてくれれば」
とたんにムッとして、少年は男をにらみつけた。
「おれが貧乏だと思ってバカにしてんのか?」
男は困ったように、秀麗な眉をひそめた。
「じゃあ、ここの払いを頼めるかな?」
「それくらいじゃ全然、山分けにならない」
「……すまない、君を侮辱したことになるなら、あやまるよ。
実は少し気晴らしがしたかっただけなんだ。
最初から無償で、なんて言ったら、君が警戒すると思ったんだよ」
「……」
少年は、男の様子を改めてじっくり観察した。
身に着けているのはごくありきたりのものだったが、耳に光る緑の宝石がもし本物なら、確かに裕福な身分なのだろう。
そう言えば、マントの陰にチラリと見えた剣も、細かな細工が施された見事なものだった。
それに、よく手入れされ、爪の先まで美しい彼の優美な手は雄弁に、彼が上流階級に属する人物であると告げている。
何より、その華やかで優雅な身ごなしからは、隠しようのない高雅な雰囲気がにじみ出ていた。
“ふぅん……どっかの領主の若様が、お忍びで遊びに来ているといったところか……”
と、少年は想像した。
“結構なご身分で……”と少々皮肉に思いもしたが、困った顔をしている目の前の男にはどこか憎めないところがあった。
少年はそれ以上、男の素性について考えるのはやめることにした。
何と言っても、彼のおかげで今夜は大もうけできたのだ。これで当分、ゆっくり休養が取れ、その間に風邪も治るだろう。
「……わかった。一つ借り、ってことにしといてやるよ」
男はホッとした様子で笑顔になり、グラスを差し出した。
「では改めて……ぼくたちの出会いと今日の成績に、乾杯といこうじゃないか」
こんなところに馴染みを持つには、少年は少しばかり若すぎる感もあったが、男は何も言わなかった。
この国では王侯貴族の子供が社交界にデビューするのは12~15歳。
庶民の間でも、16ともなれば一人前と見なされる。
なみなみと注がれたビールのグラスを前に、喜々として少年は言った。
「ありがとう、あんたのお陰で、今までで一番の稼ぎだ」
男はフードの奥で笑顔を見せた。
「礼を言うのはぼくの方だよ。あこがれの職業を体験できてとても楽しかった」
「へぇ?……あこがれ? そんないいもんじゃないけどな」
少年は少し警戒心を抱いて男を盗み見た。
もしも彼が吟遊詩人をやるつもりなら、商売敵になりそう……と心配になったのだ。
少年とて自分の声にはそれなりの自負を持ってはいたが、あれほどの美声を聞かされては、彼が警戒してしまうのも無理はなかった。
男の竪琴の腕の方はわからないが、見ると、優美で長い、器用そうな指をしている。
きっとかなわないのではないかという気がした。
しかも、こうして明かりの下で見ると、フードで半ば陰になっているとはいえ、男の美貌が半端ではないことがわかる。
たとえ彼にそれほど音楽の才がなかったとしても……熱狂的な女性ファンがつき、束になって追いかけ回しそうだった。
「どうして? 好きで選んだ仕事じゃないのかい?」
「……」
何の屈託もなく、素直な好奇心を見せて聞いてくる男に、少年は自分の狭量な心が嫌になり、ぶっきらぼうに答えた。
「おれの師匠はすっごい厳しかったんだ。それだけの話。歌うのは、好きだよ。竪琴もね……まだ下手だけど」
それだけ言うと少年は急に話題を変え、
「ところで山分けの話だけど。ここで金を数えるのは、ちょっと……」と、言葉を濁した。
少々妖しげな連中もたむろするこんな場所で、大金を人目にさらすのははばかられる。
すると男は気のない様子で言った。
「ああ……いいよ、ぼくは。君がみんな取っておいてくれれば」
とたんにムッとして、少年は男をにらみつけた。
「おれが貧乏だと思ってバカにしてんのか?」
男は困ったように、秀麗な眉をひそめた。
「じゃあ、ここの払いを頼めるかな?」
「それくらいじゃ全然、山分けにならない」
「……すまない、君を侮辱したことになるなら、あやまるよ。
実は少し気晴らしがしたかっただけなんだ。
最初から無償で、なんて言ったら、君が警戒すると思ったんだよ」
「……」
少年は、男の様子を改めてじっくり観察した。
身に着けているのはごくありきたりのものだったが、耳に光る緑の宝石がもし本物なら、確かに裕福な身分なのだろう。
そう言えば、マントの陰にチラリと見えた剣も、細かな細工が施された見事なものだった。
それに、よく手入れされ、爪の先まで美しい彼の優美な手は雄弁に、彼が上流階級に属する人物であると告げている。
何より、その華やかで優雅な身ごなしからは、隠しようのない高雅な雰囲気がにじみ出ていた。
“ふぅん……どっかの領主の若様が、お忍びで遊びに来ているといったところか……”
と、少年は想像した。
“結構なご身分で……”と少々皮肉に思いもしたが、困った顔をしている目の前の男にはどこか憎めないところがあった。
少年はそれ以上、男の素性について考えるのはやめることにした。
何と言っても、彼のおかげで今夜は大もうけできたのだ。これで当分、ゆっくり休養が取れ、その間に風邪も治るだろう。
「……わかった。一つ借り、ってことにしといてやるよ」
男はホッとした様子で笑顔になり、グラスを差し出した。
「では改めて……ぼくたちの出会いと今日の成績に、乾杯といこうじゃないか」
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