薄明宮の奪還

ria

文字の大きさ
上 下
70 / 198
第2部.アドニア〜リムウル 第3章

2.祝杯

しおりを挟む
いくらも経たないうちに二人は、男性客しか入れない場末のパブに腰を落ち着けていた。

こんなところに馴染みを持つには、少年は少しばかり若すぎる感もあったが、男は何も言わなかった。

この国では王侯貴族の子供が社交界にデビューするのは12~15歳。
庶民の間でも、16ともなれば一人前と見なされる。

なみなみと注がれたビールのグラスを前に、喜々として少年は言った。
「ありがとう、あんたのお陰で、今までで一番の稼ぎだ」

男はフードの奥で笑顔を見せた。
「礼を言うのはぼくの方だよ。あこがれの職業を体験できてとても楽しかった」

「へぇ?……あこがれ? そんないいもんじゃないけどな」

少年は少し警戒心を抱いて男を盗み見た。
もしも彼が吟遊詩人をやるつもりなら、商売敵しょうばいがたきになりそう……と心配になったのだ。

少年とて自分の声にはそれなりの自負を持ってはいたが、あれほどの美声を聞かされては、彼が警戒してしまうのも無理はなかった。

男の竪琴の腕の方はわからないが、見ると、優美で長い、器用そうな指をしている。
きっとかなわないのではないかという気がした。

しかも、こうして明かりの下で見ると、フードで半ば陰になっているとはいえ、男の美貌が半端ではないことがわかる。

たとえ彼にそれほど音楽の才がなかったとしても……熱狂的な女性ファンがつき、束になって追いかけ回しそうだった。

「どうして? 好きで選んだ仕事じゃないのかい?」
「……」

何の屈託もなく、素直な好奇心を見せて聞いてくる男に、少年は自分の狭量な心が嫌になり、ぶっきらぼうに答えた。

「おれの師匠はすっごい厳しかったんだ。それだけの話。歌うのは、好きだよ。竪琴もね……まだ下手だけど」

それだけ言うと少年は急に話題を変え、
「ところで山分けの話だけど。ここで金を数えるのは、ちょっと……」と、言葉を濁した。

少々妖しげな連中もたむろするこんな場所で、大金を人目にさらすのははばかられる。

すると男は気のない様子で言った。
「ああ……いいよ、ぼくは。君がみんな取っておいてくれれば」

とたんにムッとして、少年は男をにらみつけた。
「おれが貧乏だと思ってバカにしてんのか?」

男は困ったように、秀麗な眉をひそめた。
「じゃあ、ここの払いを頼めるかな?」

「それくらいじゃ全然、山分けにならない」

「……すまない、君を侮辱したことになるなら、あやまるよ。
 実は少し気晴らしがしたかっただけなんだ。
 最初から無償で、なんて言ったら、君が警戒すると思ったんだよ」

「……」
少年は、男の様子を改めてじっくり観察した。

身に着けているのはごくありきたりのものだったが、耳に光る緑の宝石がもし本物なら、確かに裕福な身分なのだろう。

そう言えば、マントの陰にチラリと見えた剣も、細かな細工が施された見事なものだった。

それに、よく手入れされ、爪の先まで美しい彼の優美な手は雄弁に、彼が上流階級に属する人物であると告げている。

何より、その華やかで優雅な身ごなしからは、隠しようのない高雅な雰囲気がにじみ出ていた。

“ふぅん……どっかの領主の若様が、お忍びで遊びに来ているといったところか……”
と、少年は想像した。

“結構なご身分で……”と少々皮肉に思いもしたが、困った顔をしている目の前の男にはどこか憎めないところがあった。

少年はそれ以上、男の素性について考えるのはやめることにした。
何と言っても、彼のおかげで今夜は大もうけできたのだ。これで当分、ゆっくり休養が取れ、その間に風邪も治るだろう。

「……わかった。一つ借り、ってことにしといてやるよ」

男はホッとした様子で笑顔になり、グラスを差し出した。

「では改めて……ぼくたちの出会いと今日の成績に、乾杯といこうじゃないか」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...