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第2部.アドニア〜リムウル 第2章
8.ため息
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エリアード……いや、エリアードの姿をまとったギメリックは、足早に暗い通りを歩いていた。
宿から充分離れた場所まで来ると、エリアードの姿を脱ぎ捨て、本来の自分の姿に戻った。
眠っているときにまで姿変えの魔法の効力を保たせるのは、難しい。
彼ほどの魔力の持ち主でなければ到底、できないことだった。
その彼にしても、ずっと他人の姿をまとっていることは、かなりの魔力を消耗するのだ。
もう他人を装い続けることにも疲れ、嫌気がさしてきていた。
しかし彼女と旅を続ける限り、やむを得ない。
石を奪い、ティレルを殺すと宣言した自分が、何をどう説明しようと彼女が納得するとは思えなかった。
何より、彼女は自分を恐れている……。
彼はアイリーンから奪い取り、彼女に隠して肌身離さず身につけている“フレイヤの涙”を、服の上からそっと押さえた。
“いまいましい……手に入れさえすれば、この石に宿る力は即、自分のものになると信じて疑っていなかったのに……いったいなぜだ?
……石は自ら主を選ぶことがあると、聞いた気もするが……。
エンドルーアから遠く離れたこの国で、ぬくぬくと何も知らずに育ってきたあいつが、なぜ選ばれる……?! しかも、女とは!!”
もう数え切れないほど繰り返している同じ思い。
その激しい怒りにきつく拳を握りしめる。
“この石の力を必要としているのは俺だ!
この石の正統な権利者も、俺だ!
これはエンドルーア王家、直系の嫡男が代々受け継いできたものなのだから……。
なのに、なぜだ?!”
「ヴァイオレット……」
ギメリックの唇が、苦しげにその名前をつぶやく。
“あなたの仕業か?! ……なぜだ……”
今は人っ子一人いない広場に佇み、打ちひしがれた子供のように、ギメリックはうなだれた。
どれくらいの時が経ったのか……。
広場の噴水のふちに腰掛け、物思いに沈んでいた彼はふと気配を感じ、顔を上げた。
通りの向こうから、一匹の犬が近づいてきていた。
この時代、ペットとして犬を飼う余裕など庶民にはない。
しかし狩猟や放牧を生業とする者にとって、犬は仕事に欠かせない大切なパートナーだった。
白にところどころ茶色のブチのあるその犬は、近くまでやってくると足を止め、警戒半分、期待半分といった様子でギメリックを見上げた。
群れていないことや、どこか人なつこそうな顔つきから、野犬ではないと思われた。
どうやら腹を空かせているらしい。
“……どうした。主人とはぐれたのか”
心でのつぶやきに、犬はピクリと耳をそばだたせ、さらに期待を込めて見つめてきた。
個体差が大きいが、動物の中には魔力での心話に反応するものがいる。
その様子に苦笑し、ギメリックは言った。
「悪いが何も持ち合わせちゃいない。他を当たるんだな」
犬は動こうとしないギメリックに期待しても無駄と悟ったらしい。
また歩き出し、ウロウロと辺りの匂いを嗅ぎながら離れて行った。
犬を見送りながら、ギメリックは自分たちの食料のことを考えた。
“出発前にもう少し、食料を仕入れておかなければ……”
彼の口から、ため息がもれた。
アイリーンのあの様子では、森で狩りをして食料の足しにするわけには、いかないだろう。
狩りで得られる鳥やウサギの肉は無料で手に入るし、持ち運ぶ必要もない。新鮮で栄養豊富な、申し分のない食料なのだが……。
宿での食事の際、彼女がシチューに浮かんでいる肉片を恐ろしそうに見つめたまま、いつまでも手をつけないでいるのを見かねて、ギメリックは一つ一つ丁寧に探し出しては、それを自分の器によけてやった。
「貧しい者にとっては、贅沢な話なのですよ」と言いながら……。
アイリーンは神妙な顔をしてうなずいていたが、王宮育ちの彼女が真の意味で貧しさや飢えを理解することはないだろう。
つくづく、どうして自分がこんな苦労をしなければならないのかとうんざりする。
できることなら街へはあまり寄らずに済ませたかったが、今後も狩りで食料が得られないとなると、どうしても定期的に街に寄らなければならない。
それは危険を冒すということに他ならなかった。
彼はまた一つ、ため息をつくと立ち上がった。もうすぐ夜が明ける。
宿から充分離れた場所まで来ると、エリアードの姿を脱ぎ捨て、本来の自分の姿に戻った。
眠っているときにまで姿変えの魔法の効力を保たせるのは、難しい。
彼ほどの魔力の持ち主でなければ到底、できないことだった。
その彼にしても、ずっと他人の姿をまとっていることは、かなりの魔力を消耗するのだ。
もう他人を装い続けることにも疲れ、嫌気がさしてきていた。
しかし彼女と旅を続ける限り、やむを得ない。
石を奪い、ティレルを殺すと宣言した自分が、何をどう説明しようと彼女が納得するとは思えなかった。
何より、彼女は自分を恐れている……。
彼はアイリーンから奪い取り、彼女に隠して肌身離さず身につけている“フレイヤの涙”を、服の上からそっと押さえた。
“いまいましい……手に入れさえすれば、この石に宿る力は即、自分のものになると信じて疑っていなかったのに……いったいなぜだ?
……石は自ら主を選ぶことがあると、聞いた気もするが……。
エンドルーアから遠く離れたこの国で、ぬくぬくと何も知らずに育ってきたあいつが、なぜ選ばれる……?! しかも、女とは!!”
もう数え切れないほど繰り返している同じ思い。
その激しい怒りにきつく拳を握りしめる。
“この石の力を必要としているのは俺だ!
この石の正統な権利者も、俺だ!
これはエンドルーア王家、直系の嫡男が代々受け継いできたものなのだから……。
なのに、なぜだ?!”
「ヴァイオレット……」
ギメリックの唇が、苦しげにその名前をつぶやく。
“あなたの仕業か?! ……なぜだ……”
今は人っ子一人いない広場に佇み、打ちひしがれた子供のように、ギメリックはうなだれた。
どれくらいの時が経ったのか……。
広場の噴水のふちに腰掛け、物思いに沈んでいた彼はふと気配を感じ、顔を上げた。
通りの向こうから、一匹の犬が近づいてきていた。
この時代、ペットとして犬を飼う余裕など庶民にはない。
しかし狩猟や放牧を生業とする者にとって、犬は仕事に欠かせない大切なパートナーだった。
白にところどころ茶色のブチのあるその犬は、近くまでやってくると足を止め、警戒半分、期待半分といった様子でギメリックを見上げた。
群れていないことや、どこか人なつこそうな顔つきから、野犬ではないと思われた。
どうやら腹を空かせているらしい。
“……どうした。主人とはぐれたのか”
心でのつぶやきに、犬はピクリと耳をそばだたせ、さらに期待を込めて見つめてきた。
個体差が大きいが、動物の中には魔力での心話に反応するものがいる。
その様子に苦笑し、ギメリックは言った。
「悪いが何も持ち合わせちゃいない。他を当たるんだな」
犬は動こうとしないギメリックに期待しても無駄と悟ったらしい。
また歩き出し、ウロウロと辺りの匂いを嗅ぎながら離れて行った。
犬を見送りながら、ギメリックは自分たちの食料のことを考えた。
“出発前にもう少し、食料を仕入れておかなければ……”
彼の口から、ため息がもれた。
アイリーンのあの様子では、森で狩りをして食料の足しにするわけには、いかないだろう。
狩りで得られる鳥やウサギの肉は無料で手に入るし、持ち運ぶ必要もない。新鮮で栄養豊富な、申し分のない食料なのだが……。
宿での食事の際、彼女がシチューに浮かんでいる肉片を恐ろしそうに見つめたまま、いつまでも手をつけないでいるのを見かねて、ギメリックは一つ一つ丁寧に探し出しては、それを自分の器によけてやった。
「貧しい者にとっては、贅沢な話なのですよ」と言いながら……。
アイリーンは神妙な顔をしてうなずいていたが、王宮育ちの彼女が真の意味で貧しさや飢えを理解することはないだろう。
つくづく、どうして自分がこんな苦労をしなければならないのかとうんざりする。
できることなら街へはあまり寄らずに済ませたかったが、今後も狩りで食料が得られないとなると、どうしても定期的に街に寄らなければならない。
それは危険を冒すということに他ならなかった。
彼はまた一つ、ため息をつくと立ち上がった。もうすぐ夜が明ける。
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