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第2部.アドニア〜リムウル 第1章
15.レスターの出立
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半日ほど無言のまま進んだ。
日が傾き出すと、レスターは街道をそれ、森の中に続く路へと馬を乗り入れた。
そして小川に行き当たると、馬を降りて野営のしたくを始めた。
ウィリアムが黙ってかいがいしく手伝うのを、レスターは仕方なさそうに見ていた。
たき火が燃え出し、その前に座ったレスターは、やがてため息をついて言った。
「ウィリアム、なんでついてくるんだ? ぼくはもう、お前の望みをかなえることはできないんだよ」
「……それでも、私は、あなた様にお仕えしたいのです」
「もうそんな身分じゃなくなったと言ってるじゃないか」
「いいえ! もう、よろしいのです。
たとえあなたが王子の身分を放棄し諸国をさまよう道を歩まれるとしても……私は、おそばでお仕えさせていただきたく思います。
あなた様のお気持ちも考えず出過ぎた望みを持ったこと、この通りお詫び致しますから、どうかお願いです、お供をお許しください……!」
ウィリアムは沈痛な面持ちで頭を下げた。
言葉にしてみて初めて、彼は自分自身の、主人に対する純粋な思いを軽い驚きと共に悟っていた。
今となっては些細なことばかりと思える様々な城内の事情が、その思いを見えにくくし、彼を余計な方向へと走らせてしまったようだった。
女性に関する派手な醜聞を除けば、レスターは理想的な主人と言えた。
恵まれた容姿や高貴な身分を、ありのままに受け入れ時には目的のために利用する抜け目なさはあっても、決して鼻にかけることはない気さくさと大らかさを持ったこの主人を、彼は心から誇りに思い敬愛していたのだ。
「あなた様はエディス様の事件以来、ろくに眠っておられない、一人旅など危険です。……心配なのです」
「……」
レスターはまたため息をつき、額にかかる金の髪をかき上げながら横を向いた。
「弱ったね、全く……男に好かれても嬉しくないんだけど」
ようやくいつもの軽口が出たと知ってウィリアムはホッとし、顔を上げた。
レスターは横を向いたまま、何とも言えない表情を浮かべている。
困ったように眉をひそめているが、口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
穏やかな瞳がこちらを向いたとき、それが照れ笑いだとやっと気づいたウィリアムは感動とも言えるものを味わっていた。
改めて、その瞳の希有な色と同じく、これほどの主君はまたといない、この方に仕えることは自分にとって至上の喜びだとウィリアムは思った。
レスターは立ち上がり、馬はそのままにしてぶらぶらと森の中へと歩いていく。
後を追っていくと、急に目の前が開けて、高い崖の上へ出た。
沈み行く太陽の最後の名残の光が、赤く空を染め上げていた。
その空を見つめ、背中を向けたまま、レスターは言った。
「……さっきのは嘘だよ。
お前の気持ちは嬉しいし、ぼくみたいなワガママで手に負えない主人によく仕えてきてくれたと感謝もしている。
それに主従の関係を抜きにしても、ぼくは乳兄弟として、また同世代の友人として、お前に愛情も感じている。
だから……」
レスターは振り向き、にこにこしながら両手を広げたかと思うと、ウィリアムに抱きついた。
「レスター様……?」
「……すまない」
耳元で声を聞いた瞬間、ウィリアムの体に衝撃が走った。
当て身を食らわせて気絶させた彼の体を、レスターはそっと地面に横たえた。
ブルーグリーンの瞳が、少し憂いを帯びて彼を見下ろす。
「だから、お前にまで、アイリーンのために命をかけさせるわけにはいかないんだ……許してくれ」
それから立ち上がると、崖のそばへ寄り、目を細めて眼下に続く景色を遠く望み見た。
「さて、と。行く先は……エンドルーア、だな」
そこには、急速に闇に包まれていく世界が、濁った残光の下に延々と横たわっていた。
日が傾き出すと、レスターは街道をそれ、森の中に続く路へと馬を乗り入れた。
そして小川に行き当たると、馬を降りて野営のしたくを始めた。
ウィリアムが黙ってかいがいしく手伝うのを、レスターは仕方なさそうに見ていた。
たき火が燃え出し、その前に座ったレスターは、やがてため息をついて言った。
「ウィリアム、なんでついてくるんだ? ぼくはもう、お前の望みをかなえることはできないんだよ」
「……それでも、私は、あなた様にお仕えしたいのです」
「もうそんな身分じゃなくなったと言ってるじゃないか」
「いいえ! もう、よろしいのです。
たとえあなたが王子の身分を放棄し諸国をさまよう道を歩まれるとしても……私は、おそばでお仕えさせていただきたく思います。
あなた様のお気持ちも考えず出過ぎた望みを持ったこと、この通りお詫び致しますから、どうかお願いです、お供をお許しください……!」
ウィリアムは沈痛な面持ちで頭を下げた。
言葉にしてみて初めて、彼は自分自身の、主人に対する純粋な思いを軽い驚きと共に悟っていた。
今となっては些細なことばかりと思える様々な城内の事情が、その思いを見えにくくし、彼を余計な方向へと走らせてしまったようだった。
女性に関する派手な醜聞を除けば、レスターは理想的な主人と言えた。
恵まれた容姿や高貴な身分を、ありのままに受け入れ時には目的のために利用する抜け目なさはあっても、決して鼻にかけることはない気さくさと大らかさを持ったこの主人を、彼は心から誇りに思い敬愛していたのだ。
「あなた様はエディス様の事件以来、ろくに眠っておられない、一人旅など危険です。……心配なのです」
「……」
レスターはまたため息をつき、額にかかる金の髪をかき上げながら横を向いた。
「弱ったね、全く……男に好かれても嬉しくないんだけど」
ようやくいつもの軽口が出たと知ってウィリアムはホッとし、顔を上げた。
レスターは横を向いたまま、何とも言えない表情を浮かべている。
困ったように眉をひそめているが、口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
穏やかな瞳がこちらを向いたとき、それが照れ笑いだとやっと気づいたウィリアムは感動とも言えるものを味わっていた。
改めて、その瞳の希有な色と同じく、これほどの主君はまたといない、この方に仕えることは自分にとって至上の喜びだとウィリアムは思った。
レスターは立ち上がり、馬はそのままにしてぶらぶらと森の中へと歩いていく。
後を追っていくと、急に目の前が開けて、高い崖の上へ出た。
沈み行く太陽の最後の名残の光が、赤く空を染め上げていた。
その空を見つめ、背中を向けたまま、レスターは言った。
「……さっきのは嘘だよ。
お前の気持ちは嬉しいし、ぼくみたいなワガママで手に負えない主人によく仕えてきてくれたと感謝もしている。
それに主従の関係を抜きにしても、ぼくは乳兄弟として、また同世代の友人として、お前に愛情も感じている。
だから……」
レスターは振り向き、にこにこしながら両手を広げたかと思うと、ウィリアムに抱きついた。
「レスター様……?」
「……すまない」
耳元で声を聞いた瞬間、ウィリアムの体に衝撃が走った。
当て身を食らわせて気絶させた彼の体を、レスターはそっと地面に横たえた。
ブルーグリーンの瞳が、少し憂いを帯びて彼を見下ろす。
「だから、お前にまで、アイリーンのために命をかけさせるわけにはいかないんだ……許してくれ」
それから立ち上がると、崖のそばへ寄り、目を細めて眼下に続く景色を遠く望み見た。
「さて、と。行く先は……エンドルーア、だな」
そこには、急速に闇に包まれていく世界が、濁った残光の下に延々と横たわっていた。
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