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第1部.アドニア 第3章
9.旅立ち
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「ふ~ん……そんなに腕の立つ軍人を、よく私の目から隠しておけたものですねぇ、父上。
あなた直属の護衛隊があったとは、初めて聞きましたよ」
レスターは心を決めかねるように逡巡している様子だった。
「……レスター」
王が万感の思いのこもった眼差しと共に声をかけると、彼はため息をついた。
「……わかりました」
そしてエリアードに向かい、早口で言った。
「君の腕を確かめるために一試合したいところだけど、そうも言ってられない。
急がないと、薬の効き目が切れる。夜明けまでに出来るだけ遠くへ行っておいた方がいい」
「はっ、ではすぐに出発します」
「どの道を行くつもり?」
「城下に控える警備隊もあなどれません。
追っ手が思ったより早くかかった場合を考えますと、街道を行くより隠れやすい森を進んだ方がよいと思われます」
「しかし森を行くとなると、盗賊の危険がある。一人で太刀打ちできるか?」
「接近戦になれば何人いようが自信はありますが、飛び道具で狙われて不意打ちを食らう危険は回避しなければなりません。
街から近い間はまず盗賊の心配はありませんから、警備隊の心配が少なくなる辺りまで森を進み、それから、街道に戻ります」
レスターの最終的な決断は、この男に対する彼の評価にかかっていたと言って良いだろう。
いくら父のため、国のためと言っても、エリアードがアイリーンを任せるに足る男ではないと思われたなら、レスターは決して承諾するつもりはなかった。
しかし、エリアードが示した逃亡ルートは彼が考えていたものと一致していた。
また、彼に気づかれないほど気配を消せる者など、そう多くはいない。
そのことは、剣の腕も相当なものであると思わせる材料だった。
「……オーケー。頼んだよ」
と言った次の瞬間、レスターが動いた。
キーンッ!!
はじかれた短剣が澄んだ音を立てて宙に飛び、数メートル先の地面に突き刺さった。
レスターがそのそぶりも見せずにエリアードの喉元に短剣を突きつけ、間髪入れずにエリアードがそれをはじき飛ばしたのだ。
アイリーンには何が起こったのかさえわからないうちの、一瞬の出来事だった。
「……お見事」
しびれた腕を押さえて、レスターは言った。
「ご無礼を仕りました!」
エリアードは平伏する。
「いや、これで安心した。任せたよ」
「はっ!!」
レスターはアイリーンに目を向けた。
「アイリーン、……」
アイリーンは何も言わないで、と言うように、首を振った。
「お兄様、ありがとう……ご恩は忘れません」
レスターはアイリーンを抱きしめた。
「こっちのセリフだよ。……気をつけて。ほとぼりが冷めたら、きっと会いに行くからね。それまで元気で」
アイリーンは少し涙ぐんで、うなずいた。そしてもう一度父と抱き合う。
「アイリーン、どこにいようと、お前の幸せを祈っているよ……」
絞り出すような、辛そうな声だった。
「お父様も、お身体に気をつけて……」
アイリーンは長い三つ編みを前に持ってきて、レスターに差し出した。
「お兄様、髪を切って下さい。旅には邪魔だと思いますので」
レスターは、城の外に出ることさえほとんどなかった彼女が、どうしてそんなことに気づくのだろうと驚きながら、言われたとおりにしてやった。
アイリーンは切り落とされた三つ編みを父に差し出した。
「これを……」
冷たい月の光の中にあって、彼女のつややかな金髪はそこだけ穏やかな日だまりであるかのように暖かく輝いていた。
父は辛そうに、それを受け取り、再びアイリーンを抱きしめた。
名残は尽きなかったが、アイリーンは二人に背を向けた。
エリアードが王とレスターに一礼して馬に乗り、アイリーンに手を差し出す。
彼の手とレスターに助けられ、アイリーンも馬上の人となった。
彼女は城を振り仰いだ。
16年間を暮らし、もう二度と見ることはないであろうアドニア城を。
そして自分を見上げる父と兄の顔に目を移す。
“お父様にも会えた……自分を愛してくれた人たちにこうして見送ってもらえるなんて……私は幸せだわ”
アイリーンは二人に、心からの笑顔を見せて手を振った。
朝露の中に咲く一輪の白い百合の花のような、たおやかで優しい、それでいて凛とした笑顔だった。
それは運命に立ち向かっていこうとする者の強さに輝いていた。
そして、二人は旅立っていった。
城下の町並みへと続くなだらかな坂を下っていくその後ろ姿を、月の光の中に佇み、王とレスターはいつまでも心配そうに見送っていた。
その心配が杞憂に終わらなかったことを、脳裏に焼き付いた彼女の笑顔とともに、その後何度も思い返すことになるとは思いもせずに……。
あなた直属の護衛隊があったとは、初めて聞きましたよ」
レスターは心を決めかねるように逡巡している様子だった。
「……レスター」
王が万感の思いのこもった眼差しと共に声をかけると、彼はため息をついた。
「……わかりました」
そしてエリアードに向かい、早口で言った。
「君の腕を確かめるために一試合したいところだけど、そうも言ってられない。
急がないと、薬の効き目が切れる。夜明けまでに出来るだけ遠くへ行っておいた方がいい」
「はっ、ではすぐに出発します」
「どの道を行くつもり?」
「城下に控える警備隊もあなどれません。
追っ手が思ったより早くかかった場合を考えますと、街道を行くより隠れやすい森を進んだ方がよいと思われます」
「しかし森を行くとなると、盗賊の危険がある。一人で太刀打ちできるか?」
「接近戦になれば何人いようが自信はありますが、飛び道具で狙われて不意打ちを食らう危険は回避しなければなりません。
街から近い間はまず盗賊の心配はありませんから、警備隊の心配が少なくなる辺りまで森を進み、それから、街道に戻ります」
レスターの最終的な決断は、この男に対する彼の評価にかかっていたと言って良いだろう。
いくら父のため、国のためと言っても、エリアードがアイリーンを任せるに足る男ではないと思われたなら、レスターは決して承諾するつもりはなかった。
しかし、エリアードが示した逃亡ルートは彼が考えていたものと一致していた。
また、彼に気づかれないほど気配を消せる者など、そう多くはいない。
そのことは、剣の腕も相当なものであると思わせる材料だった。
「……オーケー。頼んだよ」
と言った次の瞬間、レスターが動いた。
キーンッ!!
はじかれた短剣が澄んだ音を立てて宙に飛び、数メートル先の地面に突き刺さった。
レスターがそのそぶりも見せずにエリアードの喉元に短剣を突きつけ、間髪入れずにエリアードがそれをはじき飛ばしたのだ。
アイリーンには何が起こったのかさえわからないうちの、一瞬の出来事だった。
「……お見事」
しびれた腕を押さえて、レスターは言った。
「ご無礼を仕りました!」
エリアードは平伏する。
「いや、これで安心した。任せたよ」
「はっ!!」
レスターはアイリーンに目を向けた。
「アイリーン、……」
アイリーンは何も言わないで、と言うように、首を振った。
「お兄様、ありがとう……ご恩は忘れません」
レスターはアイリーンを抱きしめた。
「こっちのセリフだよ。……気をつけて。ほとぼりが冷めたら、きっと会いに行くからね。それまで元気で」
アイリーンは少し涙ぐんで、うなずいた。そしてもう一度父と抱き合う。
「アイリーン、どこにいようと、お前の幸せを祈っているよ……」
絞り出すような、辛そうな声だった。
「お父様も、お身体に気をつけて……」
アイリーンは長い三つ編みを前に持ってきて、レスターに差し出した。
「お兄様、髪を切って下さい。旅には邪魔だと思いますので」
レスターは、城の外に出ることさえほとんどなかった彼女が、どうしてそんなことに気づくのだろうと驚きながら、言われたとおりにしてやった。
アイリーンは切り落とされた三つ編みを父に差し出した。
「これを……」
冷たい月の光の中にあって、彼女のつややかな金髪はそこだけ穏やかな日だまりであるかのように暖かく輝いていた。
父は辛そうに、それを受け取り、再びアイリーンを抱きしめた。
名残は尽きなかったが、アイリーンは二人に背を向けた。
エリアードが王とレスターに一礼して馬に乗り、アイリーンに手を差し出す。
彼の手とレスターに助けられ、アイリーンも馬上の人となった。
彼女は城を振り仰いだ。
16年間を暮らし、もう二度と見ることはないであろうアドニア城を。
そして自分を見上げる父と兄の顔に目を移す。
“お父様にも会えた……自分を愛してくれた人たちにこうして見送ってもらえるなんて……私は幸せだわ”
アイリーンは二人に、心からの笑顔を見せて手を振った。
朝露の中に咲く一輪の白い百合の花のような、たおやかで優しい、それでいて凛とした笑顔だった。
それは運命に立ち向かっていこうとする者の強さに輝いていた。
そして、二人は旅立っていった。
城下の町並みへと続くなだらかな坂を下っていくその後ろ姿を、月の光の中に佇み、王とレスターはいつまでも心配そうに見送っていた。
その心配が杞憂に終わらなかったことを、脳裏に焼き付いた彼女の笑顔とともに、その後何度も思い返すことになるとは思いもせずに……。
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