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第1部.アドニア 第3章
2.冤罪
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コツ、コツ、コツ、……
階段を上ってくる足音に、少々ゆるみ気味だった緊張感を取り戻し、牢番はしゃんと背筋を伸ばして足音の主を待ちかまえた。
そろそろ真夜中になろうかというこんな時間に、罪人が裁きの場に引き出されることも、公的な面会人が来ることも、あり得ない。
ただ、この、塔の上の牢獄は地下牢と違って、罪人と言っても元は身分の高い者が収容される場所だ。
お忍びで面会に来る者も、当然、それなりの身分の者と決まっていたから、面会は暗黙の了解で見て見ぬふりをされることが多かった。
しかし、と、牢番は首をかしげる。
今、ここに入っている者に会いに来る者など、いるのだろうか……?
恐ろしい、尋常ならざる力を使う魔女に……。
自分だって役目でなければ、こんな近くで夜を過ごすのはごめんこうむりたいと思う。実際、初めの数時間はびくびくものだった。
牢番がそんなことを考えている間に、足音はついに最上階までやってきた。
その主の姿を見て、牢番はあわてて最敬礼をした。
彼のような低い階級の兵士でも見間違うはずがない、それは、国民……特に女性の間で絶大な人気を誇る、第二王子のレスターだった。
「ご苦労様。ちょっと入らせてもらうよ。鍵は下の鍵番にもらってきた」
気さくに声をかけて、レスターは牢の扉に向かう。
こんな所には全く不釣り合いな、最高級の生地と仕立ての衣装に包まれた、すらりと長身のきらびやかなその姿に、まだ年若い牢番の兵士は頭に血が上るほどの緊張を覚えていた。
「はっ!」
最敬礼のまま、牢番は答えた。
「……あ」
思い出したように、レスターは立ち止まって彼の横に立った。
「すまないけど、席を外しててもらえるかな? これで一杯飲んで来るなりして、ね?」
無邪気な、と形容したくなるような、曇りない笑顔を向けて彼は牢番の手に銀貨を一つ握らせた。
「し、しかし私は……」
間近で見る美しい顔にますます緊張を募らせながら、牢番は口ごもった。
「君に迷惑をかけるようなことは絶対しないよ。交代の時間はいつ?」
「あ、明け方までが私の任務ですが……」
「それじゃ交代の少し前に帰ってくるといい。それまで、ぼくが代わりにここにいるから」
「そ、そ、そんなことはっ」
あまりの恐れ多さに目がくらむ思いで、牢番は叫んだ。
「いいから!……頼むよ。どうせ、長引くと思うんだ」
微かな焦燥を含むその声の響きに抗いがたいものを感じて、牢番は引き下がった。
「はぁ……わかりました。しかし、これは受け取れません」
牢番は銀貨をレスターの手に押し戻すと、再度、最敬礼をして、階段を下りて行った。
「へぇ……我が国もまだまだ、捨てたもんじゃないね」
どこか人ごとのように、それでも嬉しげにレスターはつぶやいた。
小さな部屋に粗末なベッドがしつらえてあり、囚人はぐっすり眠っているようだった。
レスターは彼女の寝顔を見下ろした。
まだ16になったばかり、少女と言っていい年齢だ。
一週間前はあどけなさの残る丸みを帯びた頬をしていたのに、この2日で、さらに痩せた。恐怖と不安で憔悴している……当然だろう。
痛ましげに見やり、できることなら起こしたくなかったが、そっと肩に手を置いてゆすった。
ハッとして飛び起き、おびえたように後ろへ下がる。
「アイリーン、ぼくだよ。レスターだ」
部屋の中は暗いが、格子の向こうに掲げられた松明の明かりが、彼の整った顔の片側を照らし出していた。
「……お兄様……」
明らかにほっとした様子に、レスターは目を和ませた。
「ごめんよ、もっと早く来られたら良かったんだけど。不安だったろう?」
アイリーンはうつむいた。
けなげにも、涙をこらえているのだろう。
「お、お兄様は、怖くないの? ……私が……お姉様を殺したと、みんな思ってるのに……」
「君にそんなことできるはずないだろう!」
レスターは強く言った。
「みな、恐怖でまともな判断ができなくなってるんだ。何があったか話してくれるね?」
アイリーンは首を振った。
「みんなに言ったとおりよ……本当に、それ以上のことは、私には何も……」
「エディスが殺された時のことじゃない、それより前のこともだよ」
アイリーンはハッとしてレスターの顔を見上げた。
彼のブルーグリーンの瞳が、鋭い光をたたえて真剣に見返してくる。
「あんなに嫌いだった宴に出てきたり、君、明らかに様子がおかしかった。今回のことと、無関係じゃないだろう?」
アイリーンは肩を落としてうつむいた。その肩が震えている。
「……ダメ……言えません」
「アイリーン!! このままでは、君はエディス殺しの犯人として処刑されてしまう!!」
階段を上ってくる足音に、少々ゆるみ気味だった緊張感を取り戻し、牢番はしゃんと背筋を伸ばして足音の主を待ちかまえた。
そろそろ真夜中になろうかというこんな時間に、罪人が裁きの場に引き出されることも、公的な面会人が来ることも、あり得ない。
ただ、この、塔の上の牢獄は地下牢と違って、罪人と言っても元は身分の高い者が収容される場所だ。
お忍びで面会に来る者も、当然、それなりの身分の者と決まっていたから、面会は暗黙の了解で見て見ぬふりをされることが多かった。
しかし、と、牢番は首をかしげる。
今、ここに入っている者に会いに来る者など、いるのだろうか……?
恐ろしい、尋常ならざる力を使う魔女に……。
自分だって役目でなければ、こんな近くで夜を過ごすのはごめんこうむりたいと思う。実際、初めの数時間はびくびくものだった。
牢番がそんなことを考えている間に、足音はついに最上階までやってきた。
その主の姿を見て、牢番はあわてて最敬礼をした。
彼のような低い階級の兵士でも見間違うはずがない、それは、国民……特に女性の間で絶大な人気を誇る、第二王子のレスターだった。
「ご苦労様。ちょっと入らせてもらうよ。鍵は下の鍵番にもらってきた」
気さくに声をかけて、レスターは牢の扉に向かう。
こんな所には全く不釣り合いな、最高級の生地と仕立ての衣装に包まれた、すらりと長身のきらびやかなその姿に、まだ年若い牢番の兵士は頭に血が上るほどの緊張を覚えていた。
「はっ!」
最敬礼のまま、牢番は答えた。
「……あ」
思い出したように、レスターは立ち止まって彼の横に立った。
「すまないけど、席を外しててもらえるかな? これで一杯飲んで来るなりして、ね?」
無邪気な、と形容したくなるような、曇りない笑顔を向けて彼は牢番の手に銀貨を一つ握らせた。
「し、しかし私は……」
間近で見る美しい顔にますます緊張を募らせながら、牢番は口ごもった。
「君に迷惑をかけるようなことは絶対しないよ。交代の時間はいつ?」
「あ、明け方までが私の任務ですが……」
「それじゃ交代の少し前に帰ってくるといい。それまで、ぼくが代わりにここにいるから」
「そ、そ、そんなことはっ」
あまりの恐れ多さに目がくらむ思いで、牢番は叫んだ。
「いいから!……頼むよ。どうせ、長引くと思うんだ」
微かな焦燥を含むその声の響きに抗いがたいものを感じて、牢番は引き下がった。
「はぁ……わかりました。しかし、これは受け取れません」
牢番は銀貨をレスターの手に押し戻すと、再度、最敬礼をして、階段を下りて行った。
「へぇ……我が国もまだまだ、捨てたもんじゃないね」
どこか人ごとのように、それでも嬉しげにレスターはつぶやいた。
小さな部屋に粗末なベッドがしつらえてあり、囚人はぐっすり眠っているようだった。
レスターは彼女の寝顔を見下ろした。
まだ16になったばかり、少女と言っていい年齢だ。
一週間前はあどけなさの残る丸みを帯びた頬をしていたのに、この2日で、さらに痩せた。恐怖と不安で憔悴している……当然だろう。
痛ましげに見やり、できることなら起こしたくなかったが、そっと肩に手を置いてゆすった。
ハッとして飛び起き、おびえたように後ろへ下がる。
「アイリーン、ぼくだよ。レスターだ」
部屋の中は暗いが、格子の向こうに掲げられた松明の明かりが、彼の整った顔の片側を照らし出していた。
「……お兄様……」
明らかにほっとした様子に、レスターは目を和ませた。
「ごめんよ、もっと早く来られたら良かったんだけど。不安だったろう?」
アイリーンはうつむいた。
けなげにも、涙をこらえているのだろう。
「お、お兄様は、怖くないの? ……私が……お姉様を殺したと、みんな思ってるのに……」
「君にそんなことできるはずないだろう!」
レスターは強く言った。
「みな、恐怖でまともな判断ができなくなってるんだ。何があったか話してくれるね?」
アイリーンは首を振った。
「みんなに言ったとおりよ……本当に、それ以上のことは、私には何も……」
「エディスが殺された時のことじゃない、それより前のこともだよ」
アイリーンはハッとしてレスターの顔を見上げた。
彼のブルーグリーンの瞳が、鋭い光をたたえて真剣に見返してくる。
「あんなに嫌いだった宴に出てきたり、君、明らかに様子がおかしかった。今回のことと、無関係じゃないだろう?」
アイリーンは肩を落としてうつむいた。その肩が震えている。
「……ダメ……言えません」
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