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第1部.アドニア 第2章
5.保護者
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「姫、飲み物をどうぞ」
「あ……、ありがとう」
アイリーンが受け取とろうとしたグラスを、後ろから伸びてきた手が先に取り上げた。
きらびやかな大きな指輪をした、長い指を持つ優美な手だった。
「この子にあまり強い酒を勧めないでほしいね。まだ慣れてないんだから」
ソファに座っていたアイリーンは振り向き、手の主を見上げた。
彼女の回りに集まっていた何人もの貴族の青年たちの間に割り込んで、先ほど皆に請われて竪琴を弾きに行ったレスターが立っていた。
いつも口元に浮かべている微笑みはそのままだが、彼の少し切れ長の目には、剣呑な光が宿っている。
「悪いね、君たち。彼女、ちょっと疲れてるようだから、しばらくそっとしておいてやってくれないかな?」
やんわりとした口調の中に否とは言わせぬ強い意志をちらつかせたその言葉に、青年たちは、バツが悪そうに口の中でモゴモゴ言いながら散り散りに去って行った。
クスクスと笑いだしたレスターにアイリーンが驚いた目を向けると、いつもと変わらぬおどけた様子で、彼は言った。
「シスコンの兄が妹にガードを張っていると憤慨する、彼らのうわさ話が聞こえてくるようだ。人の恋路を邪魔するのは、いや全く、実に楽しいねぇ」
「お兄様……? あの、竪琴は?」
「今から弾きに行くよ。君が困っている様子だったから、引き返してきただけ」
それにしては随分面白がっている、と思いながらも、その気遣いをありがたいと思い、アイリーンは礼を言った。
実際、この5日間というもの、レスターなしではどうしていいかわからなかっただろう。
彼は最初の夜以来、特にしつこく理由を尋ねることもなく、連夜の宴会通いにつきあってくれていた。
アイリーンにはそれだけで十分ありがたかったが、どういうわけか不慣れなアイリーンの保護者めいた振る舞いを、彼自身とても楽しんでいる様子だった。
「アイリーン、教えただろう? 片手に飲み物の入ったグラスを常に持っていれば、新しいのは勧められなくて済む、って。えーと……」
レスターは盆の上にグラスをいくつも並べて人々の間を動き回っている小姓を一人、呼び止めた。
「ほら、これ」
シャンパンを選び取り、アイリーンに手渡した。
「全部飲んでしまわないようにね。もし別のを勧められても断ること。体調が万全でないときは、あまり飲まない方がいい。ひどいことになるよ」
そう言い残し、レスターは去って行った。
“体調、か……”
アイリーンは、一つ、深いため息をついた。
睡眠不足も極限に達すると、眠気は、常につきまとうと言うよりも、こちらが気を抜いた隙に一気に襲いかかってくるという感じになる。
黒髪の見知らぬ男に襲われて以来、アイリーンは、やっとの思いで緊張に耐えてきた。
昼間は、何かと理由を付けて部屋に侍女を呼び、身の回りの世話や用事を頼んで一人にならないようにすることができた。
その間、しばらくでもうたた寝をすることもできた。
でも夜になると、侍女たちは皆、控えの部屋に帰ってしまう。
普通なら、自分付きの侍女がいて当然の身分なのだが、第一王妃の嫌がらせから始まって、今ではアイリーン自身、特に不自由も感じていなかったのだ。
そんなわけで、夜一人にならないためには、こうして宴の席に出ることぐらいしか、アイリーンは考えつかなかった。
それに宴に出席することは、エンドルーアの情報を集めるにも好都合。
まさに一石二鳥……と、思ったのだが。
そうはうまく運ばなかった。
エンドルーアに関する情報を知っている者は、ほとんど皆無に等しかったのだ。
“やっぱり、レスター兄様に聞いてみるのが一番かしら……でも……”
ちゃらちゃらと遊び回っているだけに見えるレスターだが、何と言ってもこの国の第二位の王位継承権を持つ王子なのだ。
国を支える重鎮の一人として、それなりの情報は持っているはずだと踏んで、最初はレスターに聞いてみようと思っていたのだが。
それを考え直したのは、彼に詮索の機会を与えることになりそうだと思ったからだった。それに……
“明日は満月、ティレルに会える……”
無事、ティレルに会えたら、彼が何もかも話してくれる、きっと……。
「あ……、ありがとう」
アイリーンが受け取とろうとしたグラスを、後ろから伸びてきた手が先に取り上げた。
きらびやかな大きな指輪をした、長い指を持つ優美な手だった。
「この子にあまり強い酒を勧めないでほしいね。まだ慣れてないんだから」
ソファに座っていたアイリーンは振り向き、手の主を見上げた。
彼女の回りに集まっていた何人もの貴族の青年たちの間に割り込んで、先ほど皆に請われて竪琴を弾きに行ったレスターが立っていた。
いつも口元に浮かべている微笑みはそのままだが、彼の少し切れ長の目には、剣呑な光が宿っている。
「悪いね、君たち。彼女、ちょっと疲れてるようだから、しばらくそっとしておいてやってくれないかな?」
やんわりとした口調の中に否とは言わせぬ強い意志をちらつかせたその言葉に、青年たちは、バツが悪そうに口の中でモゴモゴ言いながら散り散りに去って行った。
クスクスと笑いだしたレスターにアイリーンが驚いた目を向けると、いつもと変わらぬおどけた様子で、彼は言った。
「シスコンの兄が妹にガードを張っていると憤慨する、彼らのうわさ話が聞こえてくるようだ。人の恋路を邪魔するのは、いや全く、実に楽しいねぇ」
「お兄様……? あの、竪琴は?」
「今から弾きに行くよ。君が困っている様子だったから、引き返してきただけ」
それにしては随分面白がっている、と思いながらも、その気遣いをありがたいと思い、アイリーンは礼を言った。
実際、この5日間というもの、レスターなしではどうしていいかわからなかっただろう。
彼は最初の夜以来、特にしつこく理由を尋ねることもなく、連夜の宴会通いにつきあってくれていた。
アイリーンにはそれだけで十分ありがたかったが、どういうわけか不慣れなアイリーンの保護者めいた振る舞いを、彼自身とても楽しんでいる様子だった。
「アイリーン、教えただろう? 片手に飲み物の入ったグラスを常に持っていれば、新しいのは勧められなくて済む、って。えーと……」
レスターは盆の上にグラスをいくつも並べて人々の間を動き回っている小姓を一人、呼び止めた。
「ほら、これ」
シャンパンを選び取り、アイリーンに手渡した。
「全部飲んでしまわないようにね。もし別のを勧められても断ること。体調が万全でないときは、あまり飲まない方がいい。ひどいことになるよ」
そう言い残し、レスターは去って行った。
“体調、か……”
アイリーンは、一つ、深いため息をついた。
睡眠不足も極限に達すると、眠気は、常につきまとうと言うよりも、こちらが気を抜いた隙に一気に襲いかかってくるという感じになる。
黒髪の見知らぬ男に襲われて以来、アイリーンは、やっとの思いで緊張に耐えてきた。
昼間は、何かと理由を付けて部屋に侍女を呼び、身の回りの世話や用事を頼んで一人にならないようにすることができた。
その間、しばらくでもうたた寝をすることもできた。
でも夜になると、侍女たちは皆、控えの部屋に帰ってしまう。
普通なら、自分付きの侍女がいて当然の身分なのだが、第一王妃の嫌がらせから始まって、今ではアイリーン自身、特に不自由も感じていなかったのだ。
そんなわけで、夜一人にならないためには、こうして宴の席に出ることぐらいしか、アイリーンは考えつかなかった。
それに宴に出席することは、エンドルーアの情報を集めるにも好都合。
まさに一石二鳥……と、思ったのだが。
そうはうまく運ばなかった。
エンドルーアに関する情報を知っている者は、ほとんど皆無に等しかったのだ。
“やっぱり、レスター兄様に聞いてみるのが一番かしら……でも……”
ちゃらちゃらと遊び回っているだけに見えるレスターだが、何と言ってもこの国の第二位の王位継承権を持つ王子なのだ。
国を支える重鎮の一人として、それなりの情報は持っているはずだと踏んで、最初はレスターに聞いてみようと思っていたのだが。
それを考え直したのは、彼に詮索の機会を与えることになりそうだと思ったからだった。それに……
“明日は満月、ティレルに会える……”
無事、ティレルに会えたら、彼が何もかも話してくれる、きっと……。
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