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第二章・鮮血の清算編
第八.五話 ・赦されざる所業
しおりを挟むーークロは限界だった。
どんなに歪んでいようと主は主、必死に自分に言い聞かせてきた。
如何なる残虐性を発揮しようと、相手は魔物。行動の結果だけを見れば、善良とも取れる行いを非難するべきではないと自分を誤魔化そうとしてきた。
カゲは影、主の人格など顧みず、ただ付き従う者である。自分を押し殺しすべきだと、己を叱咤してきた。
それも、もう限界だ。
彼女は、己の主は、メルル・S・ヴェルロードは、超えてはいけない一線を超えてしまったのだ。
メルルの人格は腐っている。
今回、ヴェルロード領を襲った国啄みは、彼女の差金だと思って間違いない。今思えば何故気がつかなかったのだろうかと、間抜けな自分に嫌気が差してくる。
彼女の異常な残虐性にばかり気を取られ、悪魔の如き頭脳を失念してしまっていたのだ。
彼女の魔物狩りは計画的なものであった。彼女は殺戮の限りを尽くす傍らで、死体をわざと放置し国啄みを発生させたのだ。勿論、本来ならその程度の事で国啄みが発生することは無い。しかし彼女の魔物狩りには偏りがあった。森の掃除屋を狙い森の自浄作用を麻痺させていたのである。
その上で、自分が領地にいる間は常に新鮮な屍の山を積み上げていき、死を回し続けてきた。
『死者は新たな死を望む、死が途絶えたとき死者の怨念は猛威を振るう』
それが、国啄みの正体だと言われている。つまり、定期的に死体が量産されている状況では国啄みは発生し得ない。事実、多くの死者が出る戦場では国啄みは発生せず、戦後になって漸く現れてきた。
よって、彼女が領地に留まっている間は国啄みは発生しない。彼女が聖都に向かい領地を離れてから、約一ヶ月の時を経て国啄みが発生したのだ。これも今までの事例を見るに早すぎる国啄みの発生であるが、彼女が好んで使っていた邪悪な魔術を思えば順当なところなのかも知れない。
他者を惨たらしく殺す事のみを念頭に於いて作られたかのような魔術は、死者の怨念を溜め込むのに最適であった事だろう。
そして、メルルは最高のタイミングを以て帰還を果たした。
決して、早すぎてはいけない。いったい誰のおかげで、のうのうと生きていられるのかを民衆の頭に叩き込まなければいけなかったからだ。被害が出ていなければ人は有り難みを実感しずらい生き物であると、彼女は理解していたのだろう。
されど、遅すぎてはいけない。被害は適度にリスクは最低限に、自らの懐は傷めずに自らの血は流さずに、己の力を誇示する必要があったからだ。
どこまでも傲慢な合理主義者、それが彼女の正体である。
彼女の聖都よりの帰還はスムーズなものであった。
それは、行きがけの寄り道が嘘のように最短の道程を辿り。まるで、タイミングの帳尻を合わすような帰路、全ては彼女の計算され尽くした行動だったのだろう。
そして、帰還を果たし予定通り救援を求められたメルルは、子供をダシに使い自らの行動の正当性を示したのだ。彼女の『計画通り』だと、言わんばかりの笑みはクロの脳裏に焼き付いて離れなかった。
また、カリスマ溢れる演説を以て、その場を掌握して見せる支配者の才能までもち合わせているようだ。このまま彼女を放置していれば、やがて大きな厄災へと成長を遂げるだろうと、クロは断言出来た。
なら、どうすればいい?
神聖オリシオン教会は教皇を筆頭に、メルルの加護に全力を注ごうと動きを見せ始めている。ヴェルロード伯爵は、メルルを宮廷に送り込むつもりである。ゆくゆくは、王妃の座を見据えているのは明らかであった。そうなってしまえばもう手遅れだ。
ベルフト王国はメルルの支配下に置かれ、彼女の残虐性は世界中に猛威を振るう事だろう。
協力者等、一人もいない状況。
しかし、今戦わなければ絶対に自分は後悔する事になるだろう。
クロの義憤による愚かな戦いは、始まりを告げる。
ーー草木も眠りにつく真夜中に計画は実行された。
今日の国啄みとの戦いは、流石のメルルをしても十分に疲弊させた事だろう。
泥のように深い眠りにつく彼女のために用意された、寝室の天井裏から標的を定めるクロ。
「一撃で決める」
もし失敗したなら自分に勝ち目はないとクロは自覚していたのだ。
刃の先端に魔力を集中させ、極限にまで貫通力を高める。
この刃は『毒針』と呼ばれるヴェルロード家のカゲに代々伝わるもので、刺突に特化されている。そして、トロールをも数分の内に死に至らしめる程の猛毒を仕込んでいるので、少しでも刺されば本来なら致命の武器である。今更メルルに毒など効くかどうか疑問ではあるが、気休め程度にはなるだろうとクロは自分を励ましながら行動に移す事にした。
天井板を外し再度メルルに狙いを定めると、刃を振り上げ身体を弓なりに反らす。
張り詰めた弦のようにクロの身体が悲鳴を上げるが、彼は気にも止めない。仮にこの一撃で、自身の全てが終わってしまおうと構わないとすら考えていたのだ。
そして、筋肉の緊張が最高潮に高まった時、クロは解き放たれた。
彼の身体は一閃の矢となり、メルルの心臓を穿たんと突き進む。
「ーーッ!」
クロは計画の失敗を悟る。
刃がメルルの左胸を貫く寸前に、肩で受け止められたのだ。
先程まで、確実に眠っていたメルル。そもそも寝たふりを決め込む理由もない。
……この獣は、危険を本能的に察知して致命の一撃を防いで見せたとでも言うのか? その考えに思い至った時、クロは己の浅はかさを呪う。
コイツは、自分一人ではとても相手にはならない怪物だ。
ここは一旦、体制を整えてからーー
「がッ?! ガァァァァァァァァァァ!!」
クロがメルルから離れようとする直前に、獣の如き絶叫が室内に木霊しクロを硬直させた、本能的に生まれた決定的な隙。
そして、彼の身体をなぎ払うように振るわれるメルルの腕に、抗う事も出来ず、吹き飛ばされ家具を破壊しながら転がる。
“圧倒的な暴力”
一撃でクロの身体は、満身創痍に変えられてしまった。
幽鬼のように立ち上がるメルル、対してクロは未だに膝を着いたままである。
「いたい、痛いぞ! おい貴様、なんて事をしてくれやがるんですか!?」
メルルが猛り狂う。
しかし、クロの思考を支配したのは、それよりも彼女の肩の傷。乱暴に毒針を引き抜いたのにも関わらず。出血が既に止まっているのだ。こちらは満身創痍、対してメルルは別段ダメージを受けてない様子である。
見下すメルル、見上げるクロ。
この構図は、正しく両者の力関係を表現しているのであった。
「だんまりですか? あんまりじゃないですか? ……死を以て償え、下郎ッ!」
メルルが足を踏み出す。もし彼女が、無詠唱魔術を使って来ていたのならクロは既に消し炭に変えられていた。彼女があくまで肉弾戦を挑んできたからこそクロは九死に一生を得たのであった。
咄嗟に鉄杭をメルルの足に放っていた。
足の甲を床に縫い付けられ、彼女はバランスを崩し転倒する。
「うがっ!」
この場にそぐわない、間抜けな声を上げるメルルに更なる鉄杭を浴びせかけ、衣服を床に縫い付けると、煙幕を展開しクロは逃走を開始した。
背後から、メルルが疾風の刃を放ち追撃を仕掛けてくるが、決して振り向きはしなかった。爆撃の魔術が周囲もろともクロを焼き殺そうと爆ぜ、彼を転倒させるが、転がりながらになんとか逃げ続けた。ここが集落の中で、あまり大規模な魔術を連発出来なかったのが彼の最大の幸運であった。
ほうほうの体で逃げに徹したクロはなんとかメルルから逃げ延びる事に成功したのである。
随分な距離を走り、周囲の安全を確認したクロは手頃な木にもたれ掛かりながら、呟きを漏らす。
「……はぁ、はぁ、全く酷い目に合った」
この場にはクロと、いたとしても獣の類しかいないはずである。
しかし、有り得ない筈の返答が闇より出せれた。
「ふふ、本当に酷く醜い顔ですね。全く、従者の謀反ほど見るに耐えないものはありませんよ」
闇から現れたのは、肩口辺りまでの清潔感を感じさせる青髪と、鋭い藤色の瞳にメイド然とした服装が印象的な少女。
「ーーッ、誰だ!」
「これは失礼、私の名前はアクア・エクリプス。お嬢様にお仕えする従順な騎士です」
『お嬢様』その単語に最悪の想像がクロの脳裏をよぎった。
「まさか、メルルの刺客か」
「いいえ。実はまだ、私が勝手にお嬢様とお慕いしているだけでして、正式には従者ではないんですよ」
さも残念だと言わんばかりに目を閉じ首をふるアクア。
しかし、彼女がメルルの関係者。それも信望者の類だと分かった今、クロが取るべき行動は一つしかない。
ーー得体は知れないが、自ら目を閉じるとはど素人が、
袖口に仕込まれた鉄杭を放とうとして、違和感。
右腕がヤケに軽い。
「まずは二分割、お嬢様が受けた辱めは計九つですので、あと七回」
彼女の言葉が、状況がいまいち理解できないでいた。ただ、クロに一つ分かるのは、自分の右腕が目の前に転がっている事ぐらいである。
欠損を確認した後に遅れて激痛が彼を襲う。
「ぐ、ぐああああ!」
「血が出ていないでしょう? 止血だけは得意なんですよ」
予期せぬ激痛に絶叫を上げるクロ。彼に構わずアクアは残酷な現実を告げる。
「ほら、九分割はまだまだ先ですよ? 気をしっかりお持ちになってください」
「やめろ……やめてくれ!」
クロは、今まで体験したことのない激痛に命乞いを始める。
おそらくは、水の魔術が関係しているのであろうソレは、神経を鋭敏化させつつ正気を失う事を阻害しているようだ。
「いいえ、なりません。過ちに責任が伴う事は必然なのですよ。貴方のした“赦されざる所業”は、九分割の罰でのみ清算されるのです」
アクアは、漸く巡り合えた主に思いを馳せながら断罪を行う。
『完全に見えて不完全が望ましい』
私の主は完全に近い者が望ましい。何故なら優秀な主に仕え誠心誠意、奉仕することが従者の本懐であるからだ。
私の主は不完全な者が望ましい。何故なら完全な存在とは、もう生物として終わっているのだから。個にして完結している者は主足り得ない。
私の主は、完全に見えて不完全な者が望ましい。完全な存在だと周囲には思われながらも、実際には欠点があり、それを知る者は私一人だけ。その欠点を補い、私が完全な存在へと昇華させ、共に主の望みを叶えていこう。
メルル・S・ヴェルロード、彼女はやっと見つけた私の主様。
私は漸く、生きる意味に出会えたのですよ? お嬢様……。
・設定紹介
死者の祟とリッチロード
全ての生命体には、多かれ少なかれ魔力が宿っている。この魔力は宿主の死後大気に溶けだし、本来なら周囲のマナと同化するのだが、死の直前に強いストレスを与える事や死骸を放置し続ける事により、その性質を闇系統の物へと変化させる事が可能である。
尤も、これは邪術に分類される行いであり、一般的には知られていないのだが、人々は経験的に祟の存在を理解しており、祟を恐ている。
リッチロード(国啄み)はその祟りの最たる例であり、エルズランドの恐怖の代名詞でもあるリッチロードは、死の連鎖を拡大する事にのみ執着する害悪そのものだ。
また、あまり知られていない事実であるが、リッチロードは魔物に分類されているものの正確には精霊の亜種である。両者には存在としての明確な違いはないのだが、人類の敵であるかどうかを基準に、魔物か精霊かの区別がなされているに過ぎない。
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