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序章・伝説の導入編

・メルルさんの華麗なる日常

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 まだ日も昇りきっていない早朝から私の一日が始まる。



 まず、可愛らしいフリルのついたネグリジェを豪快に脱ぎ捨て、運動のしやすい軽装に着替えてから顔を洗い、入念にストレッチをし、自分の頬を叩き、軽い気付けを行う。



 勢いそのままに玄関から軽快に外に飛び立つ。よし! 今日も快晴一点の曇りなし。



 外に出た私は、まず最寄りの村へと向かう普通の道を走り出す。これは軽いランニングだ。走るのは良い、とても素晴らしい。熱る身体、にじみ出る汗、乱れる呼吸、その全てが生きていると実感させてくれる。それに、当然といえば当然だが体力もつく。

 別にチートによるレベルアップだけが強くなる道ではないのだ。まぁ、チートというだけあって、効率面ではどうしても差が出るのだけど。



 しばらく走っていると、森の中に入れる獣道と大差ないような道が現れる。もしかしたら実際に獣道なのかもしれない、それに私は躊躇することなく突入する。なぁに心配することはない、これは最早私のライフワークの一つと化した一連の流れだ。そして私は、森に踏み入ると同時にスキルを発動する。“気配遮断”これにより私は七歳にしてどこの暗殺一家の如き隠密性を発揮するのだ。



「へへ、癖になってんだ足音を殺して歩くの」



 冗談はさておき、このスキルは大変便利だ。何しろ相手に気取られることなく確実に始末することができる。実戦経験も確かに重要かもしれないが、この辺の魔物は大したことがないので、最近はより効率を重視するようにしているのである。



 そうしてしばらく森の奥へ進んでいくと、今日一番の獲物を発見する。



 ドル箱(仮)だ。



 今日は大変運がいい早速ドル箱(仮)に出会えるとは、この魔物は一言で言うなら巨大な蟻だ。中型犬程の大きさがあり、また、デカイが蟻らしく死肉等に群がり巣に持ち帰る習性を持つ。

 こいつらの最大の魅力はなんと言ってもその数である。一匹一匹の取得経験値は大したことがないものの塵も積もればなんとやら、数百数千のコロニーを形成するので、一気に大量経験値取得を狙えるいわばボーナスキャラ。勿論この場で殺すなど愚かなことはしない。巣まで尾行し、一網打尽にする予定だ。



 私はその場に這い蹲って、より隠密性を高めると、熊のような何かを解体し終えたドル箱(仮)の後を付ける。



 相手は一番のお得意様だ、万が一にも失敗は許されない。私は台所に潜む悪しき羽虫の如き動きで尾行を続けると、ついにドル箱(仮)の巣窟を発見することに成功する。



「ふふ、ふふふふふっ」



 大人でも軽く潜り込める程の大きさの洞穴から、巨大な蟻が頻繁に出は入りするという非常におぞましい光景ですら笑みがこぼれてくる。何しろこいつらは今から私の糧となるのだから。

 今から使うのは『俺氏』が考えた上級魔術、現在私が持つ中では最も殺傷能力が高いものだ。



『喰らい喰らえ、巡り巡りこの世の円環となせ、全てを貪り蝕む毒蛇の王“哭死病の八岐大蛇ヴェノムエイト



 俺氏の思春期の業が私から解き放たれる。



 禍々しい瘴気を放ちながら、黒い八つの首を持つ大蛇が蟻達のコロニーへと躍りかかる。彼等はもう助からないだろう。入口にいた奴らなど一瞬で蒸発してしまっている。奥の方にいる奴らもエイトさんの猛毒により息絶えるに違いない(自分で出した毒で殺したなら経験値は入ります)。



 俺氏が考えた魔術はとても強力だ、それはもう凄く強力だ。

 きっと神様補正でもかかっているのだろう。

 しかし恥ずかしい、とても恥ずかしい。穴があったら入りたいぐらいだ。



 あっ、目の前に穴があるが、実際に入るのは辞めておこう宝箱があるわけでもあるまいし。



「ふふふ、よし! きたきた。これで私はまた強くなった」



 今回のコロニーは中々の規模があったらしい。多量の経験値が私に流れ込む充足感の後、レベルアップを告げるBGMが鳴り響く。この瞬間だけはどうしても気持ちが高揚し、表情筋が綻んでしまう。今の私は他人には見せられないような、ふやけた顔をしていることだろう。



 なに、誰も見てはいないだろうし、今は存分にふやけていよう、何しろレベル上げという苦行の中の唯一の楽しみだ。

 レベルも上がったことだし、悪しき魔物も大量に退治した。今日はそろそろ家に帰ろうか、先程から私のお腹が情けない音を立てている。



 家に帰ると着の身着のまま食卓につく。私の後ろには執事のセバスが控えているが、彼も慣れたもので私の格好を窘めるようなこともない。

 そんな彼は私が初めてこの家に来た時からの付き合いで、私の人生で最も長い付き合いになる。



 ちなみにトーマスとニーナもセバスと同時期に知り合ったのだが、彼等二人は二ヶ月ほど前に駆け落ちしてしまっている。

 まったく、普通に暇が欲しいと言ってくれれば、少し寂しいけど止めやしなかったのに。

 それどころかお祝いの品ぐらい用意してあげたつもりだ。しかし、駆け落ちか……。実にロマンチックである。



 情熱的な恋の炎に身を焦がし、若い二人は何もかもを捨てて逃避行を果たす。決して楽しいことばかりではないだろう、しかし愛し合う二人には関係がない。むしろ障害が多ければ多いほど更に二人の恋は深まりやがて……キャー! 素敵! 憧れちゃう。まぁ、俺氏の影響によりロリコンレズとゆう、ややマニアックに歪んだ性癖を抱える私には縁のない話か……。



 うん! 自分で自分が哀れになってきた。



「……お嬢様、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫。別になんともないから」



 溢れる悲しみが表情にまで出てしまっていたらしく、セバスが心配気に声をかけてくる。



 セバスに気にしないように返事を返し私は気分を入れ替える。俺氏との兼ね合いはまぁ、おいおい付けていけばいい。何しろ俺氏は七歳児に負けるような貧弱メンタルだ。性欲だけは人一倍といえど、主人格はあくまで私、いつかは私も普通に乙女として生きていけるようになるさ。



 もしも、どうしようもならなかったら……。その時はお嫁さんでも貰うか? 伯爵家の権力にものを言わせ幼女を侍らすか? はははッ……はぁ。



 もういい、考えるのはよそう。

 その後、私はセバスと二三言、言葉を交わした後、食事をはじめる。



「創造主オリシオンよ、今日もささやかな糧を与えてくださったことに感謝します」

(ほんと、感謝してますよ神様。私に生きるチャンスをくれてありがとう)



 神様に感謝の祈りを送り、私は朝食をあくまでお上品にかつ大胆に平らげる。成長期の私には、何よりも十分な栄養が必要なのだ。



 セバスも私のお願いを聞き入れ、十分な量の食事を用意してくれている。そういえば、私の早朝ランニングに対しても誰も窘めては来なかった。有難い、きっと皆も私の回復を祝福し元気に走り回る私の姿を、微笑ましく思っているに違いないであろう。



 朝食を取り終え、少し休憩をした私は木刀を皮で包んだ訓練用の剣を片手に外に出る。小ぢんまりとした庭に出ると軽いウォーミングアップをした後、素振りをしながら先生を待つ。



 うっすらと、私の額に汗がにじみ始めた頃に待ち人は到着した。



「おはようございます。先生! 今日もご指導のほどよろしくお願いします!」

「おはようございます。メルル様、今日も精が出ますな。では、早速始めますか」

「はい! お願いします」



 待ち人、ロマンスグレーに染まった髪を後ろで縛った髪に、やや細身であるが引き締まったよく鍛えられた体つき、彼の戦歴を物語るいたるところに残る刀傷『ベクター・ヴァイルハイト』彼こそが、私の師であり先生と慕う人物だ。



「まずは、いつものように『影切り』から始めましょうか」

「はい!」



 影切り、簡単に言えばシャドーボクシングの剣バージョンだ。敵を目の前に想像し、それと戦い己を高めていく修行法である。この時、よりイアルにイメージできればできるほど修行の効果は高くなるため、高い集中力が求められる。先生の前では自然と気が引き締まり修行にも身が入る、私はかなり高いレベルでこの修行に取り組めていると思う。それでも、いや、だからこそかーー



「ーーッ!」



 私は先生、ベクター・ヴァイルハイトの幻影に一度として一撃も入れれた試しがない。先生に教えを請いたその日から、三ヶ月間の間一度も。



「そこまで、一度休憩としましょう」

「……分かりました」



 本当はもう少し続けておきたかった。



 影切りは一人でも出来る修行ではあるが、今の集中力やリアルなイメージは、先生の前であるからこそ維持できるのだ。それだけに少し惜しくはあるが、仕方がない。先生が今日の影切りはこれ以上無駄であると判断したのなら、その通りなのだろう。



 先生の戦いには一切の無駄がない。極限まで無駄を削り余計なものなど一切存在しない、それが先生の剣である。その理念は普段の行動にも現れており、今も休憩の時間を利用して先程の影切りについて先生の講釈が始まっている。



「メルル様、上段の突きを躱した後、すぐに反撃に移れる状態にありながら一瞬躊躇しましたね、あれは何故ですか?」

「あれは……カウンターを、いえ、私が敵の反撃を恐れ、踏み込めなかったからです」

「そうですか。正直なのはいいことですね、それに恐怖を恥じることはありません。恐怖を感じないのは血に狂った魔物ぐらいのものですよ」



 私はその時幻影に恐怖し、チャンスを見逃した。あそこは相手の出方を見るような場面ではなく、一気に攻勢に出るべきであった。しかし、先生は言い淀みながら自分の内心を告げた私に対し恐怖は当たり前の感情であると、優しく語りかけてくれた。

 幾分気持ちが和らいだのが自覚出来る。そこで、私は恐る恐るではあるが先生に対し、ある疑問を問いかけて見ることにした。



「……それは、先生も恐れを抱くことがあるということですか?」



「はは、もちろんですよ。私も恐怖を抱きながら生きる普通の人間なので。ただ、それを他人に悟られないようにするのが、少しだけ上手いだけです。いいですか、メルル様、必要なのは恐怖を無くすことではないのですよ? 恐怖と向き合い上手くコントロールすることが大切なのです。そうすることにより、より危険や脅威に対する鋭敏な反応が可能となり、戦いを制することができるようになるのです」



(ああ、やっぱり先生は凄いな)



 先生の深い皺と幾重の傷跡が刻まれた顔が綻び、確かな経験を積み上げた後に紡がれる言葉が私に安心感を与える。

 先生は強い、自分の弱さに向き合い、それに打ち勝つ程に、弱い私に進むべき道を定めしっかりと前を見させてくれる程に。しかし、いつかは先生にも勝たねばならない、魔王を倒すには超えなければならない壁それが、ベクター・ヴァイルハイトである。



 私は今、確かに上を向いて前に進んでいる。



 もしも、先生に出会えなかったら私は貰い物の力に慢心し、いつかその慢心により我が身を滅ぼすことになったに違いない。



 忘れはしない、先生と出会ったあの日のことをーー



 当時の私は己惚れ、自分の力にえらく慢心していたことだろう。

 着実にレベルアップを重ね、多くのスキルを獲得した私は更なる高みを目指すべく、お父様に剣術や魔術の指導者を付けてもらえるように手紙でお願いしたのだ。



 すると、お父様は驚くほど簡単に私の頼みを聞き入れてくれて、すぐに私の師匠なる人物が送られてきたのだが、しかし結果はあまり芳しいものではなかった。



 実は、私の剣術指南役は先生で三人目になる。初めの一人は王族の剣術指南を、勤めている流派の師範代であるらしい。

 自信に満ち溢れた顔をし、立派な剣を腰に携えた姿はまるで、どこぞの騎士のようで当時はえらく輝いて見えたものだ。



 彼は最初に武技について私に説いた。



 武技とは気迫を声に乗せ詠唱となし、型を持って魔法陣を表し、体を持って魔法となす。曰く、武技とは肉体に纏う一種の魔術であると。

 この辺の話は良かった、勉強にもなったし、私はさぞや目を輝かせ聞いていたことであろう。しかし、いかんせんこの後が悪かった。



 なんと、彼は一通り武技についての講釈を終えたあと実際に武技を見せてくれると言うのだ。彼はきっと武技を使う自分を見せ一気に私に尊敬の念を抱かそうと思ったのだろうが、これが良くなかった。



「スラァーアァァシュッ! ……ふぅ、どうかなこれが、最も有名であると言われるスラッシュですよ」

「プーックスクスクス」



 どうか思わず吹き出してしまった私を責めないで欲しい。

 だって、だって、スラッシュ(笑)ですよ! ププッ。

 いい年こいた大人が、全力全身を懸けたスラッシュからの素敵すぎるドヤ顔。このコンビネーションの威力は並では無かった。



 誰でも笑うだろう、笑ってはいけないと言うシチュエーション以上に笑いを堪え難い状況を私は知らない、よって仕方がなかったのだ。



「な、何がおかしいのかねメルル君!」

「だって、スラッシュですよ!? そんなショボそうなの見せられったって、あぁ、ダメだお腹痛い」

「ーーッツ! そんなに笑うというのなら君はもっと上級の武技を使えるとでも言うのかね!」

「ははは、勿論ですとも! ……あっ!」

「ほう、ならば見せてもらおうか君の武技とやらをな」

「くっ、分かりました」



 言ってしまってから自分の失言に気がついた。彼曰く、武技とは秘技とか必殺(この場合、見たからには絶対に殺すと言う意味)と銘打たれるものが多く、スラッシュなど一般的に知られている武技など極一部に限られ、基本的には各流派で秘匿されているものであるらしい。

 そして、私が使える武技は俺氏のオリジナルのみであり、勿論一般的に知られるものなどではない。どう考えても私が武技を使うのは不自然である。やってしまった。



 とゆうか、失礼すぎるだろ、さっきまでの私。ああ、こんなことなら、あんなに煽らなければよかったのに……。いや、後悔など必要ない。

 見たいと言うならば見せてやれば良い、俺氏の華麗なる業をな! 半ばやけくそになりつつ私は武技を放つ。



「餓狼斬翔!」



 武技の発動と共に、私の身体は強制的に錐揉み回転を始める。



 この技は落ちるのではなく上昇していくわけだけどね! 今回は敵がいないので刃は空を切るだけではあるが、高速で回転しながら斬撃を繰り返し、敵共々上昇した後、最後に神速の打ち下ろしと打ち上げを繰り出す。

 妙にハメ技チックなこの技は、飢えた狼は決して獲物を逃さない、という意が込められているのだ。曲芸じみたこの技であるが、魔力的補助も相まって一度発動してしまえば、そうそう止められるものではなく強力な武技であると言えるだろう。



 そして、この技を目にした彼はというと、「嘘だ! そんなはずが……」とかブツブツ言いながらまともに口を聞いてくれなくなってしまった。

 彼は次の日にはいなくなり行方知れず、その後彼の姿を見たものはいない。まぁ後半は捏造だが、とりあえず彼は私の前から姿を消してしまったのでしたとさ。



 二人目の指導者が来た。



 彼は冒険者ギルドの元A級冒険者で、今は引退して新人冒険者の育成などに力を入れているらしい。やっぱり、この世界でも冒険者ギルドがあるのか、などと感心し持ち私は彼に期待した。前回は所詮王宮剣術、貴族共のお遊びに過ぎない……。



 いや、まぁ、私の勝手な想像だし私も貴族なんだけど。



 とにかく私は冒険者とやらに期待したのだ。俺氏が読んでいたサブカルチャーでも冒険者達の戦い方は実践向きで騎士なんかよりも、よっぽど強いものだと相場が決まっている。

 これだ! と、思った。私は試合で強くなりたいわけではない、人魔入り乱れる戦場で生き抜く力が欲しいのだ。



 私の期待を一身に受けた彼は言った。「まずは、お前の力が見たい全力で打ち込んでこい」私は答えた「はい、全力で行きます!」と。



「餓狼斬翔!」

「ちょ、まッ! おごごごご」

「五月雨突き!」

「ふぶぶしゅ、らべッ」

「暗黒舞闘・椿!」

「ギョぶららららぁー!!!」



 私なりに考えたコンボを受けた彼は、飛んで叩きつけられ、跳ね上げられて突き回され、最後には吹き飛んで2バウンドを決めてピクリとも動かなくなってしまった。なんとか一命は取り留めたものの結構やばい状況であったらしい。当然のことながら、彼は二度と私の前には現れなかった。



 私は思った、この世界はちょろいと。



 下手したら私は既に世界でもトップウラスの実力者なのではないのかと、剣など学ばなくても適当にレベル上げをしていたらさえ十分ではないのか?

 魔術も同様だ。この時既に三人の魔術士が私のもとを訪ねて来たが、全員が全員。私の魔術を見たら尻尾を巻いて逃げ出していったものだ。



 この時の私は天狗になっていた。他人の力など必要ない、私は一人でも十分強くなれるのだと。



 そんな時出会ったのが先生である。



 引退した騎士であり、現役時代は常に最前線で剣を振るってきたという話だが、どうにも胡散臭い。目の前で穏やかに微笑む初老の男性がそんな大した者には私にはとても見えなかったからだ。

 そこで、私は木刀を彼に向けこう言ったのだ。「一本お付き合い願えますか?」と、すると彼は困ったお嬢さんだと笑いながら私の不躾な誘いに乗ってきたのだった。



 私は我流の構えをとるが、彼は構えない。彼はただ、いつでもどうぞと微笑みかけてきた。



(顔の傷は負け犬の証、思い知れ! 一瞬で転がしてやるッ!)



 何度も言うが、この時私は天狗になっていたのだ。そしてすぐに世界の広さを知ることとなる。



「餓狼斬しょーー」



 私が持ち得る最強の武技の組み合わせ、一度嵌れば抜け出す事の叶わない必殺のコンビネーションを繰り出そうとして、気づいた時には私は転がされていた。



 『今日は空が青いな』などと益もないことを考えていると、視線を感じたのでそちらに目を向けてみる。



 視線の先には、優しそうな顔立ちの初老の男性が立っていた。男性の手には木刀が鋒をつまむように収められており、ようやく私は自分の状況を理解した。

 そうだ、私は闘いの途中だったんだ、情けない姿を見せてしまった。早く立たないとーーあれ、景色が歪んで……。



 次に目が覚めた時には私はベットの上であった。これが私と先生の馴れ初……出会いだ。







 ーー「メルル様、メルル様」



「え? ああ、すいませんついぼーとしてしまって」

「大丈夫ですか? 体調が悪いようでしたら今日はこのへんで……」

「いえ、大丈夫です! 私はまだやれます!」

「そうですか、ならいつものように実践訓練を始めましょうか」

「はい!」



 この訓練は普通に試合形式で行われる。お互いに木刀を構え合い、私が打ち込んで隙があれば先生も打ち返してくることで進んでいく。

 初めの頃とは違い、最近は私も先生の攻撃に反応が出来るようになってきたが、それでもまだ届かない。



 先生は別に剣撃のみにはこだわらず、時には拳をあるいは足を使い戦う、それに倣い私もあらゆる攻撃方法を念頭において攻撃や防御を行っている。

 この型に拘らないスタイルは、接近戦での魔術の使用も視野に入れていきたい私としては大変有難いものだ。



 尤も、私は魔術を使わずに先生を超えたいと思っている。無謀かもしれない、人生の大半を剣に戦いに生きてきた先生を、先生の土俵で倒したいと私は考えているのだ。

 ただの自己満足だろうか? いや、私はそうは思わない。魔王を倒す、世界を救う、そんな大それたことをなそうとしている私が一度そう思ってしまったのだ。ならば、成さねばならない。ここで折れてしまえば私は私を保つことが出来ないと思うから。



 一瞬、先生の体がブレたように見えた。

 刹那遅れて視界が傾き、踝のあたりに鋭い痛みが走ると、ようやく状況を理解した。足を払われたのだ。



 ーーやばい、来る。



「スラッシュ!」

「ーーくッ!」



 武技はその性質上、一度見られてしまえば行動を先読みされてしまうリスクがあるのだが、要は使い方次第だ。こんな、初心者向きの武技ですら使い方次第では十分な脅威になり得る。



 ちょうど、今みたいに、



 崩れた体制の私では先生の繰り出したスラッシュを流しきれず、木刀が飛ばされる。

 そして、地に手をつき飛び跳ねるように体制を立て直そうとした私の喉元に木刀が突き立てられる。私は己の敗北を覚った。



「……参りました」

「もう、やめますか?」

「いえ、もう一本お願いします」



 当然蹴られれば痛いし、木刀を頭にでもくらおうものなら意識は朦朧とする。しかし、私はこの訓練を辞めたいなどと思ったことは一度もない。今はただ、目標に少しでも近づいて行くのが楽しかった。目標を持って生きることができるのが嬉しかったのだ。



 影切りとは違いこれは、私が諦めるまで続けられる。つまり私が立てなくなるまで、続いていくのだ。これについて先生は何も言ってこない。私の意気込みを買ってくれているのだろう、有難いことだ。



 打つたび、打ち込まれるたび、私はほんの少しずつだけ研ぎ澄まされていく。

 いつか私が先生を超えるその日まで、私の進歩は止まることないだろう。





 ーーやがて膝が震え自重を支えきれなくなった私は、庭に転がりながら先生に先に帰るようにお願いすると、しばらく休憩をとる。



 十分間ほど大の字に寝転がり呼吸を整えた私は、確かな足取りで立ち上がり、やや遅くなってしまったが昼食を取るべく玄関の方へと歩みを進めた。そして、昼食を上品かつ豪快に平らげた私は足早に書庫へと足を向ける。



 一つ言っておこう、私はそんじょそこらのロリとは違う、凄いロリ(体力的な意味で)なのだ。ふふふ、俺氏考案スキルはやっぱりチートだということですよ。



 午後からは、書庫にて日々お父様から送られてくる魔術の本や、趣味である冒険譚の読書に当てられている。

 少し前までは連日魔物狩りに繰り出したものだが、最近は少し違うと、言うのもはっきり言ってレベルアップの効率が遥に落ち込んでしまっているからにほかならない。



 ドル箱さん以外の魔物を討伐しても手に入る経験値は微々たるものでなかなかはかどらない。それでもサーチアンドデストロイは基本だし、魔物狩りも週5で続けているのだが、いかんせん気長な作業だ。この辺のドル箱はたいてい狩り尽くしてしまった。



 今日は本当に運が良かっただけなのだ。よって、余裕と言うのもなんだが、たまには文化的な生活を送るようにしているわけである。



 魔道書を読み魔術の造詣を深め、英雄譚に心躍らせていると時間が過ぎるのは早いもので外はもう暗くなりつつあった。



 私は後ろ袖を引かれる思いで、愛読書『ガイル・ハルバートと黒き暴竜』四巻に栞を挟み就寝前にもう一度読もうと決心しながらも、夕食を取るべく食卓につく。



 夕食を食べ終えるとセバスから不意に声がかけられた。



「お嬢様、旦那様よりお手紙が届いておりますよ」

「ほんとに? やったー!」



 お父様から『王都での仕事が一段落ついた』と、手紙が届いてからは結構頻繁に手紙のやり取りをつづけているものの、それでもお父様から手紙が届くと嬉しいもので、表情は綻ぶし心は暖かくなる。

 お母様は私を産んだ際に死んでしまったらしい、三人いる兄姉達は私に関心がないらしく、すっかり疎遠になってしまっている。それでも、お父様だけは私に愛情を注いでくれる。それはもう、溺愛と言ってもいいほどで、私のお願いはなんでもきいてくれるのだ。



 先生を雇ってくれたし、魔道書だって送ってくれる。そんな安いものでもないだろうに、本当に申し訳なくなる。この恩はいつか魔王を打倒した暁には、しっかり親孝行をさせてもらうことで返していこう。



 部屋に帰ると、お気に入りの小説もそっちのけで早速お父様からの手紙に目を通す。



「ふふふ、お父様ったら」



 お父様はよほど末娘の成長が気になるらしく。魔術はどのクラスまで使えるようになったかとか、剣術のほうはどうだとか、生活に不自由はないか本家、あるいは王都に来て一緒に暮さないか? とか、しきりに聞いてくる。

 私を気遣う言葉の数々に、私の表情筋が仕事を疎かにするのを誰も責めやしないだろう。しかし、お父様と一緒に暮らせるというのは非常に魅力的ではあるものの我慢しなければならない。私はこの地での、レベルアップ作業を止めるわけには行かないのだ。



 いかに最近は効率が落ち込んだといえど、やらないわけにはいかない。



 せめて、先生を越えてから……。

 その時にもう一度考えてみよう。



 私はお父様の手紙を読み終え、フゥと、息を漏らし、天井を仰ぎ見る。楽しみだな、そう楽しみだ。手紙の最後には再来月の私の誕生日に、ささやかながらパーティーを催したいと書かれていた。

 それも、ビックリするようなサプライズつきだという。お父様に会える。それも、私のために催しものまで用意してくれるというのだ。またもや、私の表情筋は仕事を辞めてしまう。



 よしっと、軽く声に出して、私は机に向き直ると、お父様に向けて手紙をしたためる。感謝の言葉と、楽しみにしているという事実と、





 “最上級魔術”を習得したという報告を共に。














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