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二十二

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 直之が西園寺に帰って来る迄、沙弥は字の読み書きの練習をしていた。

「…………綺麗な字にならないわ」
「字は性格が出ると言いますが、お嬢様の字は柔らかな優しい字だと八千代は見えますよ」
「なよなよした字だと言いたいの?」
「それが、女性らしさではないですか」
「褒められている気がしないわ」

 自分が書いた書写を見つめ、漏れる溜息に沙弥は肘に顎を乗せていた。

「はしたいですよ、お嬢様」
「駄目なの?これ………直之様はよくされてるわ」
「男性は良いですが、その仕草は女性らしさの微塵もありません」
「所作も細かいのね………麗華ちゃんやお義母様の所作見てはいたのに、知らない事が多くて、頭の中詰め込み過ぎてないかしら」
「お嬢様、あんな香子やその娘を手本にしてはなりません!」
「…………八千代は本当に、お義母様を目の敵にするんだから………私が愚痴れなくなったじゃないの」

 西園寺家の女中や家令達の中で、風祭家で働いていた者達は、風祭家の家族達を良く思っておらず、沙弥が風祭家の事を話をし出すと、一喜一憂し、代わりに怒ってくれたりしている。
 肘を立てるのを止め、再びペンを握る沙弥はまた書写を再開した。

『沙弥お嬢様、ご入浴の準備が整いましたが、如何なさいますか?』

 直之がまだ帰宅していないのに、沙弥が入る訳にはいかないだろう。

「直之様が帰宅なさった後で良いのだけど」
「帰宅は遅くなられますし、気になさる方ではないと思いますよ?」

 準備をしている、という事は、直之の指示もあったのかもしれない。

「…………気分を改めたいし、入ろうかしら……」

 少しずつだが、西園寺家の生活に慣れた沙弥は、遠慮をしつつも薦められた事は、断る事をしなくなった。
 就寝用の浴衣を持ち、風呂場へと行く。

 ---浴衣を持ってきてしまったけど、直之様ともお話あるし、また着物を着直すのも面倒よね………如何しましょう……

 浴衣の上に羽織ればまだ卑猥さも軽減されるので、考えた末卑猥な姿にならない様に工夫しようと、湯船の中で瞑想していると、屋敷内が騒がしくなってきていた。

『風呂に入ってくる。葉巻の匂いを取りたいからな』

 ---え?

『あ!旦那様!今は…………あぁぁぁぁぁっ!』

 一瞬の事だった。

 脱衣場の傍での会話が風呂場に入ってきたのだ。ガラッ、そして直ぐに風呂場と脱衣場の引き戸が開けられると、湯船に入っている沙弥と、半裸の直之と目が合った。

「……………た、ただいま………」
「お、お帰り………なさいませ………」

 ピシャリ、と直之が引き戸を締めた直後。

『沙弥が入っているなら早く教えてくれ!』
「っ!」
『申し訳ありません!お止めしようとしましたのに………』

 あまりにも突然過ぎて、悲鳴も挙げれなかった。
 それよりも、直之が驚いていたと見たが、固まってと済ました事で、沙弥もと釣られてしまう。

『お嬢様、脱衣場に旦那様は居られませんから、出て頂いても大丈夫ですよ』
「で、出ます!」

 風呂から出ると半裸の姿から、シャツだけ羽織り、ボタンを止めていない直之が、壁に凭れて沙弥が出てくるのを待っていた。

「す、すまない………あの………見てない……から………」
「は、はい………」
「俺が風呂から出たら話しがしたい」
「は、はい………」

 入れ違いで風呂に入っていく直之の後ろ姿は小さくなっていた様に見えた。

「ご結婚されてたら、如何なってたでしょうねぇ」
「八千代………」
「許婚ですから、そう緊張なさってるのは今だけですよ、お嬢様」
「八千代、お願いがあるの…………直之様とのお話中、傍に居てくれないかしら」
「八千代が居ない方が良いと思いますが」
「……………私から直之様にお話する事は、私の罪を伝える事だから………」
「お嬢様、それならば尚の事、八千代が居てはなりません!」

 沙弥は、八千代に手を取られ、力強く握られる。
 水仕事で皹や皺ばかりの八千代の手は、荒れているが、沙弥の好きな手だ。その手を突き放す事は沙弥には出来ない。

「良いですか?お嬢様………お嬢様が熱で此方のお屋敷に来られた時、八千代はお嬢様のお身体を見ております!何があったのか、お身体は物語っておりました………そのお嬢様を連れ帰られたのは旦那様です………分かっておいでですよ。耐え忍ぶお嬢様も私と万智はお傍で見ておりました。幸い、お身体の傷は痕が残らなかったものの、お心の傷を癒える迄は私も知らぬ振りをしておりましたが、もし…………お嬢様が旦那様との未来を見るのならば、向き合いなさいませ。その場に八千代は不要です」
「……………ご存知だったの?」
「……………はい」
「見られた?」
「それは無いかと………お嬢様は着崩れておられましたが、着物は着ておられましたので」
「……………そう………分かったわ……おやすみなさい、八千代………」
「お嬢様?」
「直之様をお部屋で待つわ」

 沙弥は、直之にも知られていたと、この日初めて知る事になった。
 言えるか如何か分からなかった沙弥に、心の支えで八千代に居て欲しかったが、知られているのに、どう言って切り出していいか分からなくなってしまった。
 八千代にそれでもその場に居て欲しい、とも言えず、知られている衝撃に、心が折れそうだった沙弥だった。
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