クズ男はもう御免

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番外編

番外編 アーヴァルとハクラシス1

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 ※『39 アーヴァルの本心』の中にあるハクラシスがアーヴァルの要求を飲むかどうか悩むシーンから始まり、アーヴァルによる過去の回想へと話が続きます。アーヴァル視点です。

————————
 
 
「——まさか俺に伽をさせようと言うんじゃないだろうな」
 
 ハクラシスは自分の口から出た言葉に驚き、不愉快そうに顔をしかめた。
 
「そうだと言ったら? ……さあ、どうするハクラシス。お前次第だ」
 
 アーヴァルは、苦々しい表情のハクラシスを煽るように笑う。
 
(滑稽だな、ハクラシス。お前のほうからそんなことを言いだすとはな)
 
 隣が空いているのにわざわざ少し離れた場所に座るほど、ハクラシスは常にアーヴァルを警戒していた。それなのにハクラシスは願いの対価として、自身の体をアーヴァルに差し出さねばならないのかと、苦渋している。
 
 しかし実際のところアーヴァルは、願いの対価に体を差し出せなど、そんなこと一言も言っていない。ハクラシスが先程までの話の流れから、勝手にそうだと思い込んでいるのだ。
 
(せっかく長年の恋心を、俺のほうから告白してやったというのに)
 
 アーヴァルはおかしくて仕方がなかった。
 
(ハクラシスの奴、相変わらず俺が人を凌辱することが趣味だと思っているな。——まああながち間違いではないが)
 
 凌辱が趣味かどうかはさておき、ハクラシスの勝手な思い込みはむしろ好都合。
 
 自分と寝ることが何より屈辱だと思っている男を屈服させること以上の愉悦はない。
 
 だがハクラシスはまだその屈辱に耐えるべきか考えあぐねているようだった。
 
(お前が守ろうとしているあの小僧は、お前のために体を差し出したんだぞ、ハクラシス)
 
 お前も俺のものになればいい。
 
 アーヴァルは薄ら笑いを浮かべたまま、目の前の男の顰め面を眺めた。
 
 
 
 ーーーー
 
 
 
 ——ハクラシスとの出会いはいつだったか。
 
 アーヴァルの中でハクラシスと出会った一番古い記憶は、確か三十年ほど前の騎士団本部の廊下だった。
 
 
 
 当時アーヴァルは騎士団に入団したての十九歳、ハクラシスは入団三年目の二十五歳だった。
 
 公爵家のアーヴァルといえば、武芸に秀でた傑物として名高く、そしてその彫刻のような艶麗たる顔貌と雄々しく堂々とした体躯。誰もが見惚れるほどの美丈夫で、どの王族よりも王族らしく、陰気な王太子よりも剛気なアーヴァルのほうが王太子に相応しいとさえ囁かれたほどだ。
 
 これまでの人生で、彼自身を否定する者などどこにもおらず、常に人に傅かれる人生を歩んできたアーヴァルにとって、騎士団という組織も彼の力を誇示するだけの場所であった。
 
 公爵家だというだけで誰しもが平伏し、騎士団内での立場も、今は下位の騎士といえど上位の者に負けることはない。
 取り巻きも多く、彼らを全員引き連れて歩くと、ちょっとした分隊くらいの人数はあっただろう。
 
 いつも取り巻きに囲まれていたアーヴァルは、入団したこの当時も、当たり前のように取り巻きを引き連れて歩いていた。
 
 
 
「おい、貴様! 道をあけろ」 
 
 アーヴァルの取り巻きの一人にそう怒鳴られ、前から歩いてきたハクラシスはあからさまに顔をしかめた。
 
 騎士団本部の廊下は、筋肉の塊のような男たちが出入りするような場所であるから、それなりに広い。
 
 だがアーヴァルは取り巻きを多数引き連れているため、幅を取る。すれ違うにはどちらかが避けなければならない。
 
 相手は平騎士一人。対してこちらは公爵家のアーヴァルだ。人数も多いし、避けるのはあちらに決まっていると、取り巻きの一人が当然のごとくハクラシスに避けるよう怒鳴りつけたのだ。
 
 だがハクラシスは顔をしかめただけで、避けようとしない。
 
「……なぜ俺が避けなければならない。広い廊下で幅をとっているのはそちらだろう」
 
「何を!? 貴様はどこの家の者だ! 身分が上の者に譲るのが常識だろうが!」
 
「……ここは騎士団だ。騎士団では貴族の身分制度ではなく、上位か下位の騎士かによって立場が決まると聞いている。見たところそちらも俺と同じく、まだ下位のようだが」
 
 確かにアーヴァルも取り巻きの者らも、殆どが入団したてで下位のままだ。ハクラシスの返答に怒鳴りつけた者もグッと押し黙った。
 
 当然どちらも引く気配はなく、しばらく睨みあいが続くかと思われた時、その光景を黙って眺めていたアーヴァルが急に「ククッ」と笑い始めた。
 
「アーヴァル様!」
 
「ハハッ、お前たちの負けだ。この男の言う通りだな。俺もここではまだ下位の騎士だ。偉そうに歩ける立場じゃない。……俺の連れが失礼した。俺はアーヴァル。お前は?」
 
「……ハクラシスだ」
 
「まだ入ったばかりで貴族の慣習が抜けきれていないんだ。許してやってくれ。……では行くぞ」
 
 アーヴァルは目だけで笑うと、ハクラシスが通りやすいよう取り巻きたちに避けるよう手で合図し、道を譲った。
 ハクラシスはそんなアーヴァルをチラッと横目で見ながらすれ違う。お互い目があったがハクラシスは構うことなく、会釈の一つもせず通り過ぎて行った。
 
 
「——おい、今の奴だが、誰か知っている者はいるか」
 
 アーヴァルは愛想笑いを解くと、元の冷たい表情に戻り、歩きながら周囲に話を投げた。
 
「あ、俺知っています。先程の者は王太子殿下のお気に入りですよ」
 
 アーヴァルより一年早く入団した者が事情通らしく、ハクラシスを知っていた。
 
「お気に入り?」
 
「ええ、ほら以前殿下が誘拐されて山で見つかった事件があったでしょう。あの時殿下を助けた猟師の息子ですよ。名は確かハクラシス。入団当時、殿下の推薦で入団した奴がいるとかなり噂になったみたいです」
 
 それを聞いてアーヴァルも得心がいった。
 
「——ああ、ヤツがそうか」
 
 いくら貴族の身分制が通じない騎士団内とはいえ、公爵家のアーヴァルに道も譲らず会釈の一つもしないのは上官でもない限りありえなかった。
 だがそれも王太子の後見があってのことかと、大いに納得できた。
 
 王太子が誘拐され山に捨てられた事件については、アーヴァルもよく覚えていた。いや覚えているどころじゃない。
 その当時、誘拐犯を雇い王太子を厄介払いしようとしたのは王族の誰かではないかという疑惑が広がり、その首謀者の一人としてアーヴァルの名が挙がったのだ。
 
 勿論アーヴァル本人が犯人という訳ではない。アーヴァルを王太子に推したい誰かの犯行ではないかと疑われたのだ。
 
 自分の知らないところで勝手にそんな疑いをかけられ、もう少しで立場が危うくなるところだった。アーヴァルにとってもいい迷惑で、腹立たしい事件でもあった。
 
「ふん、なるほどな。それであいつ腕は立つのか」
 
 アーヴァルは、こちらのことなど一切も気にかけることなく去っていくハクラシスの背中を目だけで追った。
 背は自分ほど高くはないが、背筋が伸びて姿勢がいい。体格も……それなりか。
 
「さあどうでしょう。今のところ大きな討伐に出たという話も聞いてないですね」
 
「確か入団は三年前と聞いています。王太子の推薦があってもいまだ下位ということは、大した技量ではないでしょう。それに強いといっても基礎も学んでない平民ですよ。例え貴族であってもアーヴァル様に敵う者などこの国にはいませんよ」
 
 先ほどハクラシスがアーヴァルにとった無礼な態度を思い出し、取り巻きの一人がフンッと怒ったように鼻息を荒くした。
 
 まあ確かにあの事件で王太子を助けたと言っても、襲い掛かろうとした獣を一匹仕留めただけだとアーヴァルも聞いていた。
 猟師が猟に出たついでならば、獣を仕留めるくらい造作もないだろう。おまけでついていた息子にそこまで技量があるとは思えない。
 
(それこそ虎の威を借る狐、と言うわけか)
 
 アーヴァルは、ハクラシスの尊大にも見える酷薄そうな顔を思い出した。
 
(まあもし本当に技量がないのであれば、上位騎士の資格も得られず、下の部隊でくすぶって終わるだろう)
 
 たかが平民。自分が気にするほどの男ではない。
 
 だがアーヴァルのこの嘲りが実は全くの見当違いだったということを、この後嫌でも思い知ることになる。
 
 
 
 
「あのアーヴァル様が演習で平民相手に剣を落としたって本当か!?」
 
「ああ、事実らしい。今回そのアーヴァル様を打ち負かした奴が敵側の陣頭指揮を執ったらしいが、それが大当たりだったらしくてな。あっという間に敵陣を制圧して、大将であるアーヴァル様の首を取ったらしい」
 
 下位の歩兵部隊同士で白兵戦演習が行われた際、たまたまハクラシス所属の部隊とアーヴァル所属部隊がかちあったことがあった。
 
 負け知らずだったアーヴァルの部隊は、この時も余裕で勝利を収める筈であったが、相手方の指揮官がハクラシスになったことでその図式は大きく崩れることになった。
 
 なんと無敵かと思われたアーヴァルの部隊は決戦開始から十分足らずで敵に制圧され、気がついた時には時すでに遅し。大将であるアーヴァルの目の前には敵指揮官のハクラシスが立っていた。
 慌てて剣を抜き、身構えてから剣を落とされるまで、本当にあっという間だった。
 
 これは指揮官が平民のハクラシスであったことを侮ったことも敗因ではあるが、ハクラシスの"獲物を罠に追い込み短時間で仕留める"という猟で培った経験が勝利へと導いた。
 
 
(——この俺が平民ごときに負けた)
 
 それも制圧されただけではなく、油断していたとはいえ得意の剣ですら敵わなかったのだ。
 
 この時、アーヴァルの体は酷い恥辱に震えた。 
 
 たがこれは、これまで敵なしだったアーヴァルに突如として現れたライバルへの、体の奥底から沸き起こる歓喜の震えでもあった。
 
 アーヴァルが睨むように目を上げると、そこには剣を突きつけ冷たく見下ろすハクラシスがいた。
 
(この男をいつかこの手でめちゃくちゃにしてやりたい)
 
 アーヴァルの胸には、この屈辱的な光景が強く鮮明に刻まれた。
 
 
 それからだった。アーヴァルがハクラシスに関心を示すようになったのは。
 
 何かとハクラシスのことを話題に出し、そしてどこか道ででも見かけると、わざわざ揶揄うために出向いていく。
 
 これには周囲の取り巻きも戸惑った。
 これまでどれだけ媚びへつらっても、誰にも何にも関心を抱くことなどなかったアーヴァルが、たかだか平民ごときに執着を見せているのだから。
 
 だがアーヴァルは、誰が何を言おうとハクラシスに付き纏うことをやめなかった。
 
 
 それから二人は偶然にも上位騎士の試験を同時期で合格し、配属先、そして寮までも同じに棟に振り分けられることになった。
 
 ……今から思えばハクラシスにアーヴァルの監視役をやらせるための布石だったのかもしれないが、ハクラシスの気を引きたいアーヴァルにとってはこの上ない僥倖であった。
 
 なにしろ他の者であれば、少し目をかけてやるだけで尻尾を振って媚びてくるというのに、ハクラシスだけはそうはいかない。
 
 何をしても眉間に皺を寄せ、拒否される。
 話しかければ鬱陶しそうに無視される。
 手が届くところまで近づくことすら許されないのだ。
 
 アーヴァルは自分になびかないハクラシスに夢中だった。
 夢中になればなるほど、ハクラシスは面倒くさそうにはねのける。
 
 それがアーヴァルには面白かった。
 
 これが恋慕なのか、それともただの興味本位なのかは分からない。だがこれまで付き合ってきた者たちの誰よりも興味をそそられたのは確かだ。
 
 だからわざとハクラシスの周りをうろついて見せた。
 
 ハクラシスからすればたまったものではなかっただろう。
 だがアーヴァルはそんなこと構いやしない。
 傍から見ればきっと、親しい間柄に見えたに違いない。そうなるように仕向けてきた。
 
 そして上位騎士になってからは、二人が協力し合う場面も増え、アーヴァルは自然とハクラシスの"親友"の座に収まっていた。
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