クズ男はもう御免

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48 おかえりなさい

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 ——その日は唐突に訪れた。
 
 
 レイズンが仕事から戻ると、珍しいことに寮の部屋に屋敷からの使いが訪れた。
 
「ルルー様より、これからすぐにお越しくださいますようにとの言伝にでございます」
 
 その言葉を聞いたレイズンは、何がなんだか分らないままルルーの屋敷に向かった。
 
 ルルーから呼び出しがあるなんて、これまでなかったことだ。
 きっとハクラシスに何かあったに違いない。絶対にそうだ。
 
 最初はおとなしく、使いとして寄越された男の後ろをついて歩いていたレイズンも、次第にいても立ってもいられなくなり、最後は彼を置き去りにする勢いで猛烈に走り出した。
 
 アーヴァルの邸宅の庭に向かう道を走り抜け、庭門をくぐり、月光に照らされた美しい庭の中に足を踏み入れてようやく足を緩めたレイズンは、柔らかい明かりの漏れる屋敷の前で、ぴたりと足を止めた。
 
(……わざわざ呼び出すなんて、何があったんだろう) 
 
 よほどなことが起こったのではと、レイズンは不安で少し緊張していた。
  
 対面でしか言い辛いことなのだとすると、もしかするとあまり良くない知らせなのかもしれない。
 
 ——それならば覚悟を決めなくては。
 
 レイズンは目を閉じ、不安な心を鎮めるように大きく深呼吸した。
 
「あ、ああっ! レイズン様! ……はぁはぁ……待っていて下さったんですね! さすが騎士様はお早い。お待たせ致しました。さ、参りましょう」
 
 レイズンが心を落ち着かせている間に、後ろからハァハァと息を切らしながら置いてけぼりにした男が追いついてきた。
 
 とくに待っていたわけではなかったが、おかげで屋敷の中に入る覚悟ができた。レイズンは、促されるまま男が開けた屋敷のドアをくぐった。
 
 
 
 
「レイズン様がお着きです」
  
 屋敷の使用人は、レイズンを大きな扉のある部屋の前まで案内するとノックをした。
 主人からそうしろと指示されていたのだろう、使用人は中からの返事を待たずに、両開きの扉を開けた。
 
「へっ?」
 
 扉が開いた瞬間、レイズンの口からは間抜けな声が漏れた。
 
 扉の向こうには、なんと異様なまでに威圧感をまとった男たちでいっぱいだったのだ。

 男らはドアが開いたことに気がつくと、一斉にドアの前に立つレイズンを振り返った。
 
(え!? 何、何で? アーヴァル様に、部隊長殿に、あれは副騎士団長殿で……案内された部屋ここであってる!?)
 
 部屋にはルルーしかいないと思いこんでいたレイズンは大いに戸惑った。
 
 室内には騎士団長アーヴァルを筆頭に、副騎士団長や部隊長など居並ぶ上官たち。
 レイズンの知らない者も複数いるが、アーヴァルたちに引けをとらない風格は、それなりに地位のある者だろう。
 そして肝心のルルーは、アーヴァルの隣で椅子に座り、静かに佇んでいる。
 
「レイズン!」
 
 レイズンが圧倒されていると、男たちの中から声がかかった。
 
「来たか! 待ってたぞ」
 
(この声……)
 
 部屋を埋め尽くす人の輪をかき分けて、その中心から人が出てくる。
 
 まさか——
 
「小隊長殿!!」
 
「レイズン!」
 
 レイズンの前に進み出たハクラシスは、思っていたよりも元気そうで——だがその顔面の左側は、痛々しくも大きな眼帯で覆われていた。
 
「レイズン、どうした? さあ、中に入って来なさい」
 
 呆然とドアの前に立ち尽くすレイズンに、ハクラシスが手を差し伸べる。
  
 その一部始終を中にいる男たちが注目し、レイズンに痛いほどの視線を浴びせかける。
 まるで見世物だが、それよりも何よりも、レイズンの視線はハクラシスの顔の眼帯に釘付けになっていた。
 
 だがハクラシスはレイズンが固まっている理由が、自分ではなく周囲にあると考えたようだ。
 
「……おい、お前たちが睨むからレイズンが怖がってるじゃないか。用が済んだのならもう出ていけ」
 
「おいおい、ハクラシス。みんなお前を心配して集まったんだぞ」
 
「お前が大怪我なんぞするからだ。しかも帰還して早々、ここをすぐに出ていくと言うもんだから、みんな何事かと集まったんだぞ」
 
「それになんだアーヴァルと仲違いしたと聞いたが、それも嘘じゃないか。心配かけやがって」
 
 みんな口々にやいのやいのとハクラシスに文句を言い、それをアーヴァルが他人事のように眺めてはおかしそうに笑っている。
 
 じゃれあう男たちに、ああ、この人たちはみんなハクラシスの友達なんだなと、そこでようやくレイズンは気がついた。
 
 てっきり上官たちで重要な話し合いでもしているのかと思いきや、どうやらただハクラシスが帰還したことを知った仲間たちが集まってきただけのようだった。
 
 それにしても一匹狼に見えたハクラシスに、心配して集まってくれる仲間がこんなにいたとは。
 レイズンは驚いてその様子を眺めていた。
 
 
 
「——ところで、この坊主はなんのために呼んだんだ?」
 
 誰かが発したその言葉に、みんながまた一斉にレイズンを見た。
 
「えっ、えっ?」
 
「——あ、その子は……「そいつはハクラシスの恋人だ」」
 
 ハクラシスが答える前に、アーヴァルが遮って勝手に答えてしまった。
 
「おい、アーヴァル!  なぜお前が答えるんだ」とハクラシスが言いかけた時、周囲が「はあ? この若造が!? さすがに若過ぎだろう」「おいおいルルーはどうした!? ルルーとはまた一緒に住んでいるんだろう!? ルルー、君はそれでいいのか」「まさか若いツバメとよろしくやるために騎士団を辞めるのか?」と喧しく騒ぎ立てた。
 
 副騎士団長のセオドアも目を丸くして「おい、あれこの前俺の部屋に乱入してきた奴だよな」と部隊長に問いかけ、部隊長もうんざりした様子で「この度は大変失礼しました」と頭を下げ、アーヴァルはといえばその光景を見てクックックと腹を抱えて笑い、ルルーも口を押さえて笑っている。
 
 そんなめちゃくちゃな状況に、ハクラシスが業を煮やし怒鳴り上げた。
 
「喧しいぞ! 静かにしろ! お前たちはもう帰れ!」
 
 ハクラシスが周囲を睨みつけながら、レイズンの手を取る。
 
「——レイズン、奴らが失礼なことを言ってすまないな。もう何もかも済んだから、小屋に帰れるぞ。——ん? どうした?」
 
 ぼうっとハクラシスを見つめたまま動かないレイズンを見て、ハクラシスは少し戸惑った表情を見せた。
 
「レイズンどうしたんだ。上官ばかりで驚いてしまったのか? 奴らは気にしなくていい。すぐに出ていく」
 
 後ろで「そりゃないだろう」と野次が飛ぶが、ハクラシスは歯牙にも掛けず、レイズンを見つめ戸惑ったように声をかける。
 
「どうした? ……もしかして怒っているのか? その、ずっとほったらかしですまなかった」
 
「——いえ、その……目……」
 
 レイズンが絞り出すように声を出すと、そこでようやくハクラシスも自身のあり様に気がついた。
 
「ああ、この目か。俺としたことがちょっとヘマをした。これでもだいぶ良くなったんだ。ルルーの顔の火傷を治した治癒師をアーヴァルが偶然連れて来ていてな。これでも表面はかなりきれいになったんだ」
 
 そう言って目の下にかかった布を指で少し持ち上げてみせた。
 布の下からは少し引き攣ったような傷跡が見えた。
 確かにもう傷はきれいになっているように見えた。
 だが——
 
「あっ、おい、レイズンどうした」
 
 ハクラシスの焦ったような声が周囲に響く。
 
「——ぶ、無事で良かった…………」
 
 レイズンは瞬きをすることを忘れたようにハクラシスを見つめ、両目から大粒の涙をぼろぼろと溢れさせた。
 
 そしてその光景を見た者らも、ギョッとして口を閉ざした。
 
 騎士とあろう者が、仲間の怪我くらいで臆していたら話にならない。
 しかし相手が恋人であるならば、また話は違う。
 
 みんなレイズンの流した涙を見て、これは本物だと、これ以上は茶化すべきではないとそれぞれ顔を見合わせた。
 
「——目は? 目は見えるんですか……?」
 
「……目は完全には治らないと言われたが、視力は少し戻ってきた。お前の顔をずっと眺めていたいからな。——おっと」
 
 レイズンは「うーーー」という呻き声だか嗚咽だか分からない声をあげ、ハクラシスに抱きついた。
 
「心配をかけたな。これからはずっと一緒に過ごせる」
 
「お——……おかえりなさい」
 
「ああ、ただいま。心配かけたな」
 
 そう言って赤子をあやすように、肩に顔を埋めるレイズンの背中をポンポンと優しく叩いた。
 
 
 
 レイズンがハクラシスにしがみつい泣いている間、部屋にいた者らはみな気を利かせて部屋を出ていった。
 
 最後まで居残っていそうなアーヴァルも気がついたらいなくなっていて、部屋にはレイズンとハクラシスの二人きりになっていた。
 
 ハクラシスは「レイズン」と優しく声をかけ、肩に伏せていた顔を上げさせた。
 そして涙でグシャグシャになっているレイズンの顔を両手で包み、濡れた頬にそっとキスをした。
 
「俺、小隊長殿が戻ってこなかったらどうしようって、ずっとそればかり思っていて……。砦に行きたかったのに、部隊長殿に止められて……」
 
 途中片手で涙を拭いながら、レイズンはハクラシスに恨み言を吐いた。
 
「すまなかったな。部隊長にはお前をここに留めおくように言っていたんだ。本当に心配をかけた。だがもう安心だ。明日にでもここを立つことができるぞ」
 
「……陛下は小隊長殿が辞めることを認めてくださったんですか」
 
「この怪我だしな。まあ隻眼でも働けるが、こんなヘマをやった男を上に据えてもしかたがないだろう?」
 
「第二王子殿下を庇って怪我をしたって……。まさか、辞めるためにわざと怪我をしたんじゃ……!」
 
 レイズンが顔を青くしてハクラシスを見た。
 
「そんな訳ないだろう。たまたまだ。だがこの怪我を利用して『この程度で大怪我するようでは王子殿下を守ることなどできません』と突っぱねてきた。それに元々この討伐は殿下に指揮をとってもらう予定にしていた。殿下は武芸はイマイチだが、戦術など頭を使うことに長けた方だ。俺とアーヴァルは後方で、殿下が指揮をする様子を見ているだけの予定だったのだが……。俺が油断したせいで計画が台無しになって。申し訳なかった」
 
 どうやら元々の計画では、ハクラシスが指揮をすると見せかけて、全ては第二王子であるルナーセルに任せ、ルナーセルの指揮官としての才能を王に認めてもらう算段にしていたようだ。
 
 ハクラシスは、これから先騎士団を盛り上げていくだろう選りすぐりの若い精鋭で殿下のための部隊を作り、殿下が騎士団長になった暁にはアーヴァルの派閥ではなく彼らが騎士団を引っ張っていく、そんな絵を描いていた。
 
「……アーヴァルがな、俺が引退するのならば自分も引退すると言ったんだ」
 
「へっ? 引退……!? アーヴァル様が!?」
 
 あのアーヴァルが引退するという話に、レイズンの涙も引っ込んだ。
 騎士団長がアーヴァルでない騎士団など、今は考えられない。
 
「王がアーヴァルに不信感を抱いていると言っただろう? だからアーヴァルは引退し、領地に引っ込むと言い出した。だが突然騎士団長がいなくなると困る。これから五年ほどかけて殿下を育て、その後しばらくは相談役として残り、ルナーセル殿下が一人前になったと判断できれば引退する、ということになった」
 
「でもよくそれで陛下も納得されましたね……」
 
 これまでの話を聞く限りでは、何だかんだと引き止めそうな気がするが……。
 
「あのアーヴァルが陛下の前で、自身に王位を簒奪する意思がないことを宣言し、もしそのようなことがあれば家門の廃絶も辞さないと誓ったんだ」
 
「廃絶……!」
 
 まあそれだけ王座に興味がないということなのだろうが、由緒正しい公爵家を廃絶など、かなりの覚悟がないと言えないだろう。
 
 ——アーヴァルはハクラシスからの願いを自分なりに解釈し、聞き届けたのだ。
 
 たったキス一つくらいでとハクラシスは思ったが、それを言ってしまうともっとまずいことになりそうだったから黙っていた。
 だがそのおかげで、王は渋々ながらもハクラシスを罷免してくれた。
 
「だからもういつでもここを立つことができるぞ」
 
「お、俺はどうしたらいいんです? 俺はまだ部隊長に何も言っていないのですが……」
 
 騎士団を辞める時は、部隊長の承認を貰ったりいろいろ手続きが必要で、城門を出るにも許可が必要だ。
 
「何を言っている。さっきまでここにいたのは誰だ? みんな揃っていただろうが。そんなものすぐに受理される。——それともここに残りたくなったか?」
 
「え、いや違いますよ! 小隊長殿が帰ってくるの待ってたんですから! 俺もすぐに辞めて一緒に帰ります!」
 
 レイズンのその言葉にハクラシスは嬉しそうに目を細めた。
 
「よし! ではすぐに手続きだ」
 
「え」
 
「おい、アーヴァル!! アーヴァルを呼んでくれ!!」
 
 ハクラシスはいきなり部屋の外に向かって大声でアーヴァルを呼びつけた。
 
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