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40 ちょっとだけ遠い背中
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ハクラシスとアーヴァルの乱闘騒ぎがあった翌日、騎士団内はその話で持ちきりだった。
「昨日の閣下と団長の喧嘩の話は聞いたか?」
「聞いた聞いた! 何があったんだ? 執務室は相当ひどい有様だったようじゃないか」
「俺も人伝てに聞いた話だからよく分からないんだがな。とりあえず先に手を出したのは閣下のほうで、これまで色々と腹に据えかねていたらしい。部屋に入るなり、こう、殴りかかってきたらしい」
「団長と閣下って、付き合いも長いし、仲がいいと思っていたんだがな」
「俺もそう思っていたんだけどな。二人はその後も何やら長いこと話し合っていたみたいだが、どうも決裂したということだ。部屋から出てくる二人を見た奴が、あんな怖い顔した閣下と団長は見たことないって震えてたって」
「ヒエッ! そう考えるとベイジル補佐官はよく止めに入ったよな……。そりゃ顔の骨くらい折るわ。でも決裂って、今後どうなるんだ? 閣下と団長とそれぞれ派閥ができて、面倒なことになるんじゃないのか」
「それなー。もう影響が出てるらしいぞ。どうやらもうすぐ大きな討伐があるらしいんだが、今回は団長ではなくて閣下が指揮をとるって噂だぜ。王陛下がそう任命したってさ」
「団長と閣下のどちらにつくか……それは悩むな。閣下の下で働いてみたいとも思うが……」
「俺もだ。団長のことは尊敬しているが、かといって閣下の指揮の元で戦うチャンスがあるなら、それは無駄にはしたくない。悩ましいところだ」
そんな風にいたるところでみんなが噂するのを、レイズンはこっそりと聞き耳を立てていた。
(アーヴァル様と小隊長殿が殴り合い!?)
まあいつも一触即発な二人ではあったが……一体何があったのか。
(えー……まさか俺のことで? ……いやいや、さすがに自意識過剰だろ。それで殴り合いに発展するとは思えない。他に何かあったとしか……)
自分が原因かとも思ったが、いくらなんでもさすがにそんな騒ぎになるようなことにはならないだろう。
アーヴァルがレイズンに執着しているならまだしも、そうではないのだし、ハクラシスがこれまでのことで怒ったとしても、せいぜい言い争うくらいだ。
そこまで酷い状況になるには、きっと他に何か重要な出来事があったに違いない。
だがそれを知ろうにも実のところレイズンは、お屋敷での食事会以降ハクラシスと会えていなかった。
それと同時にアーヴァルからのお誘いもパッタリとやんでしまったこともあり、彼らに一体何があったのか本人らから聞き出す手段はなく、レイズンには知る由もない。
(大丈夫かな……小隊長殿……)
ハクラシスは何とか小屋に帰れるようにすると言ってくれた。
しかしどうにもこの状況は、二人にとって悪い方向にいっているような気がしてならない。
不安がふと心をよぎる。
だがもし本当に何かあるのであれば、ハクラシスから何か連絡があるだろう。だから彼を信じて待てばいい。レイズンはそう考えていた。
しかし……。
数日経ってもハクラシスからの連絡はない。
おかしいことに仕事中、姿さえ見かけることすらない。
いつもなら、そろそろどこかを歩く姿を目撃してもいい頃なのに。一体今はどこで仕事をしているのか。
レイズンは今日もハクラシスに会えなかったと、不貞腐れながらベッドに倒れ込む。
(忙しいのは分かるんだけどさ。全然連絡もくれないし。もしかして寮に来るなとか食堂に来るなとか言ったから、会いにくくなっちゃったのかなあ……)
迷惑だからって、あんなこと言わなきゃ良かったと後悔しつつも、しかしあんなにマメに手紙を書くような人が連絡一つ寄越さないだなんて、それもなんだか不自然だよなあともレイズンは考える。
(もし手紙の新作が届くなら、それはそれでいいんだけどさ)
ハクラシスの手紙をベッドサイドの引き出しからいくつか取り出して、眺めてはため息を吐く。
今の慰めはこれのみ。
(妙なことになってないならいいけど……)
レイズンは不安な心を解消するかのように、ハクラシスの手紙を開いて読み始めた。
そんなある日、レイズンに上位騎士昇格試験の打診があった。
「へ? 俺が上位騎士試験??」
仕事終わりに部隊長から呼び止められ、いきなりそんな話を聞かされたレイズンは驚いた。
この隊に入ってからまだそんなに経っておらず、馴染むのに必死でたいした活躍もしていないのに。
「ああ。少し前に上からそういう話が出ていてな。復帰してまだ間もないお前がかと俺も驚いたのだが……。その話が昨日正式におりてきた。確かに最近また腕が上がったし、受験資格は充分だろう。せっかく資格を得たことだし、受けてみるといい」
「いや、でもなんでいきなり……」
「ああ、それがな、近々魔獣討伐を行うことになったんだ。今回はちょっと難しい討伐になるらしくてな。上位騎士から選抜し、精鋭部隊を作ることになったんだが、たぶんそれのためだろうな」
「魔獣討伐!?」
そういえば近々討伐があると、この前誰かが言っていた。
「ああ、お前行ったことあるか」
「以前、小隊にいた頃に……」
小隊にいた頃、補助要員として駆り出されたことはあったが、その時は手も足も出なかった思い出が蘇る。あの時小隊長のハクラシスが近くにいなかったら、レイズンたちは死んでいた。
「そうか。経験済みならだいたい分かるよな。今回はハクラシス閣下が、新設された総司令官の役目をテスト的に務めるということだ。そういえばお前、前はハクラシス閣下の小隊にいたんだったな。選抜されればまた閣下の下で動くことになるぞ」
「!!!」
これは僥倖とばかりに、レイズンは部隊長が持ってきた上位騎士試験の話にとびついた。
ずっと一緒に小屋に帰る日を夢見ていたが、今の状況をみる限りすぐにとはいかないようだし、もし選ばれれば少なくとも討伐が終わるまでは近くにいることができると思ったのだ。
最悪ハクラシスが現状逃げきれず総司令官の任務を全うすることになるならば、それはそれで仕方がない。
それならば、できれば彼が率いる部隊で一緒に活躍したい。こうやって会えないまま離れて暮らすよりも、そのほうがずっと幸せだ。
それにもし討伐で手柄を立てれば、その後も近いところで仕事ができるようになるかもしれないのだ。
昔は弱っちかったレイズンも、今はあの頃とは違って逞しくなった。魔獣とはまだ戦ったことはないが、大型の獣程度なら一人で仕留められるのだ。
復帰してからも著しく成長していると実感しているし、きっと認められる。大丈夫だと、レイズンは奮起した。
「俺、上位騎士試験受けます!!」
「お、おう、分かった。まあ、そうだよな。ではそのように手配しておこう。今回受かれば選抜リストにも入れるからな。そのつもりでいてくれ」
「分かりました! お願いします!」
それからレイズンは試験のために頑張った。
試験まで半月と時間に余裕がなく、仕事終わりに一人残って弓の練習を行い、苦手だった剣の鍛錬もしっかりやった。
帰るとクタクタで、食堂で夕食を食べ終わったらすぐベッドに直行するほどだったから、ハクラシスに会えない寂しさに浸る余裕もなく、クヨクヨする暇さえなかった。
むしろこれが受かればハクラシスに会えるチャンスが増えるのだと、逆に意気込んで元気になったくらいだ。
自分が上位騎士になったことが分かれば、きっとハクラシスも驚くだろう。そしてレイズンの頑張りをよくやったと褒めてくれるに違いない。
そんなふうに頑張ってきたおかげか、レイズンは試験に気合い十分で挑み、結果、見事上位騎士試験は合格。
——そしてあの魔獣討伐部隊選抜の日がついに来た。
この日選抜のため歩兵、騎兵、弓兵とそれぞれの部隊の上位騎士から立候補、推薦を受けた騎士らが広場へ一堂に集められた。
今回総司令官としての役目を果たすハクラシスの戦略通りに部隊が組まれ、それに相応しい者が選抜される。もしこの討伐隊で成果をあげれば、昇級が望めるだけではなく、王から特別に褒美があるという話もあり、かなり多くの者が名乗りをあげた。
もちろんレイズンも上位騎士試験に合格後、すぐに立候補した。
弓兵は今回選抜人数が少ないということだったが、何よりレイズンには自信があった。今の部隊での経験は浅いが、技術で劣っているとは思っていない。むしろ自分の能力自惚れ、努力しない貴族出身の騎士よりは数段上だとすら思っている。
それにレイズンを「騎士団長のお気に入りだから、ズルで上位騎士試験に合格した」などと僻む者なんかに負けるはずはないのだ。
そうして迎えたこの日。
大勢の騎士が固唾を飲んで見守る中、壇上に騎士団長であるアーヴァルと副騎士団長、そして今回総司令官として指揮をとるハクラシスが上がった。
久々にみるハクラシスは、レイズンに見せる優しい顔ではなく冷徹と言われた上官としての顔で、集まった騎士らを見下ろすその目は、これまでにないほど鋭く冷たい。
きっとこの後こっそり呼び止めれば、いつもの優しい笑みを浮かべると分かってはいても、今のあのハクラシスからは笑顔など想像もできない。
そして騎士らが騒めく中、ハクラシスは持っていた杖でドンッドンッと勢いよく床を打ち鳴らした。
その途端、騎士たちはみな一斉に口を閉じ、広場はシンと静まり返る。
「——諸君らに無駄口は必要ない。これより魔獣討伐の選抜を始める。だがその前に今回の討伐について概要を説明をする」
ハクラシスは声を張り、今回の討伐部隊についての説明に加え、今回の討伐は騎士団長の下に総司令官という新しい役職を設け、テスト的に行うものであることを説明した。
そして自分のやり方について来れぬ者、納得できぬ者はその場でメンバーから外すから、そのつもりでいるようにと付け加えた。
「——説明は以上だ。今回の選抜部隊の各隊長について、第二王子であるルナーセル殿下を含め小隊長以上の階級の中からすでに選抜済みであることを付け加えておく」
第二王子の名に周囲にどよめきが広がったが、無能と呼ばれる第二王子のことを知らないレイズンにはみんながどよめく意味が分からず、キョロキョロと周囲を見た。
そんなどよめく群衆を静めるため、再度ハクラシスの杖が大きな音を立てて床を鳴らした。
「今回は諸君らのこれまでの戦歴や特性などを、事前にこちらで調査させていただいた。その中で今回のメンバーに相応しい者を選抜することにした。これよりその者の名を読み上げる。呼ばれた者はあちらへ並ぶように。では発表する。ひとり目は——」
ハクラシスが順に名を読み上げる。
みんな今回はその場で実技試験があるものだと思い込んでいたため、ハクラシスが名を呼び始めるとそれぞれ顔を見合わせ戸惑いを見せた。
そして二人、三人と読み上げていく中、ひとりの騎士が「閣下、質問があります!」と手を挙げた。
「——部隊名と名を言え」
眉間に皺を寄せ、ハクラシスはジロリと挙手した男に視線を投げた。
「はっ、私は歩兵部隊——」
「お前の部隊では、上官が話をしている最中に質問をしても良いと教えられているのか」
「——っ……いえ」
厳しい口調に怯み、口籠る男。
しかしそんな彼を尻目に、ハクラシスは名簿をざっと眺めると、持っていたペンでチェックを入れる仕草をした。
「今回お前はこの選抜から外した。帰っていい」
「はっ? ……えっ……?」
最初ポカンとした男も、その意味を理解し慌て始めた。
「閣下! 申し訳ありません! そんなつもりでは……」
「帰れ、と言ったはずだが。これ以上中断させるなら、それなりの覚悟あってのこととみなすがよいか」
「も、……申し訳ありません」
ハクラシスに冷たく一瞥された男は、真っ青な顔で広場を去っていった。そこからまたどよめきが広がる。
だが一部には、そのハクラシスの対応を当然といった面持ちで見ている者らもいた。年齢からしておそらく以前、ハクラシスと一緒に戦ったことがある者だろう。ハクラシスの気質をよく理解しているようだった。
今回の討伐部隊希望者には昇級を望む若い者騎士が多い中、レイズンよりもずっと年上の彼らは少し場違いに見えた。
しかし彼らはハクラシスの戦略に必要な人材なのだろう、ハクラシスがまた床を鳴らし名簿の読み上げを再開させると、全員ではないがその中からも数人か呼ばれて、場所を移動していくのがレイズンからも見えた。
そんな風に緊張した空気の中、名前の読み上げが進められ、とうとう弓兵部隊の選抜に入った。
レイズンも他の者と同様に、緊張しながらも大勢の人に混じってじっとハクラシスを見上げる。
弓兵は全部で三十人。一人ひとり所属部隊と名前が読み上げられていく。
レイズンは名前を聞き逃さないよう、祈るようにして耳を澄ませる。
周囲では名が呼ばれ、ヨシと小さく拳を握り締めて移動していく者が見え、レイズンは焦った。
(名前……俺の名前……)
二十人目、二十一人目と次々に名が呼ばれていく。
あと三人、あと二人。
——だが、ついにハクラシスの口からレイズンの名が読み上げられることはなかった。
「——以上だ。名を呼ばれた者は速やかに移動を。また本日ここに集まってくれた者の中で、見込みのある者については後日、補助要員として各部隊長から連絡がいくことになっている。魔獣討伐はこれだけではない。また今後国同士の諍いもないわけではない。次の大きな出征までに各人腕を磨き、しっかり備えておくように。ではこれで解散とする」
(はあああーーーーーー)
壇上から降り足早に去っていくハクラシスとアーヴァルを見ながら、レイズンは一人項垂れた。
「嘘だろ……」
人ごみにまぎれ、討伐部隊に選ばれた者らのいるほうに向かうハクラシスの背中をレイズンは見つめた。
期待とやる気に満ちた目でハクラシスたちを迎える、熱気に満ちたあの場所がとても羨ましかった。
ハクラシスもレイズンがこの選抜に志願していたことは知っていたはずだ。だが彼は冷静に、私情を交えず判断したということだろう。
「俺にはまだ早いってことか……」
レイズンはガックリと肩を落とし、選ばれた騎士たちの中心にいるハクラシスに背を向け、その場を去った。
ーーーー
「なんだ、結局あの小僧は選ばなかったのか」
「……」
ハクラシスが足早に壇上から降り、自らが選出した騎士たちが集う場所に向かおうとした時、後ろからついて歩いていたアーヴァルが声をかけた。だがハクラシスは不機嫌そうにその言葉を無視した。
「お前も壇上から見えていただろう、あの小僧がいたのを。期待した顔をしていたぞ。いいのか、部隊から外して。経験不足とはいえ、技量は申し分ない。資格は十分あっただろう。それにあの小僧ならお前の言うことを素直に聞くから、隊でも扱いやすい」
アーヴァルが眉根を八の字にして、まるで分からないといったように、大仰な仕草でハクラシスを咎めてみせた。
「わかっている! ……レイズンなら俺のためにと張り切って、手柄をたてようとするだろう。だがそれでは困る。王の思惑通りにするつもりはない。かわいそうだが彼には少し辛抱してもらう」
「はっ! 連れて行けばあっちで好きなだけイチャつけただろうにな」
「……レイズンがお前のテントに連れ込まれるのだけは御免だ」
アーヴァルは声をあげて笑いたいのを押し殺し、ククッと喉奥で笑った。
「疲れた時に勃つのは正常な証拠だ。ああ、すまない、お前は違ったな。それに俺の相手は別にあの小僧じゃなくとも、お前でもいいんだぞ?」
「それこそ御免だ。ベイジルに尻でも貸してもらえ」
「それは俺も御免だな」
クククと笑うアーヴァルに、ハクラシスは歩きながらバシンと杖をアーヴァルの足に一発入れた。
「——もう戯言はよせ。俺とお前は仲違いをしているんだぞ。口を閉じて顔を引き締めろ。みんなが見ている」
「ははっ仰せの通りに閣下」
それまで戯けたような態度をとっていたアーヴァルが、返事と共に自身の体に纏わりつくマントを手で払いのけた。
そして顔を正面に向けた時には、いつもの威厳ある騎士団長の顔に戻っていた。
「昨日の閣下と団長の喧嘩の話は聞いたか?」
「聞いた聞いた! 何があったんだ? 執務室は相当ひどい有様だったようじゃないか」
「俺も人伝てに聞いた話だからよく分からないんだがな。とりあえず先に手を出したのは閣下のほうで、これまで色々と腹に据えかねていたらしい。部屋に入るなり、こう、殴りかかってきたらしい」
「団長と閣下って、付き合いも長いし、仲がいいと思っていたんだがな」
「俺もそう思っていたんだけどな。二人はその後も何やら長いこと話し合っていたみたいだが、どうも決裂したということだ。部屋から出てくる二人を見た奴が、あんな怖い顔した閣下と団長は見たことないって震えてたって」
「ヒエッ! そう考えるとベイジル補佐官はよく止めに入ったよな……。そりゃ顔の骨くらい折るわ。でも決裂って、今後どうなるんだ? 閣下と団長とそれぞれ派閥ができて、面倒なことになるんじゃないのか」
「それなー。もう影響が出てるらしいぞ。どうやらもうすぐ大きな討伐があるらしいんだが、今回は団長ではなくて閣下が指揮をとるって噂だぜ。王陛下がそう任命したってさ」
「団長と閣下のどちらにつくか……それは悩むな。閣下の下で働いてみたいとも思うが……」
「俺もだ。団長のことは尊敬しているが、かといって閣下の指揮の元で戦うチャンスがあるなら、それは無駄にはしたくない。悩ましいところだ」
そんな風にいたるところでみんなが噂するのを、レイズンはこっそりと聞き耳を立てていた。
(アーヴァル様と小隊長殿が殴り合い!?)
まあいつも一触即発な二人ではあったが……一体何があったのか。
(えー……まさか俺のことで? ……いやいや、さすがに自意識過剰だろ。それで殴り合いに発展するとは思えない。他に何かあったとしか……)
自分が原因かとも思ったが、いくらなんでもさすがにそんな騒ぎになるようなことにはならないだろう。
アーヴァルがレイズンに執着しているならまだしも、そうではないのだし、ハクラシスがこれまでのことで怒ったとしても、せいぜい言い争うくらいだ。
そこまで酷い状況になるには、きっと他に何か重要な出来事があったに違いない。
だがそれを知ろうにも実のところレイズンは、お屋敷での食事会以降ハクラシスと会えていなかった。
それと同時にアーヴァルからのお誘いもパッタリとやんでしまったこともあり、彼らに一体何があったのか本人らから聞き出す手段はなく、レイズンには知る由もない。
(大丈夫かな……小隊長殿……)
ハクラシスは何とか小屋に帰れるようにすると言ってくれた。
しかしどうにもこの状況は、二人にとって悪い方向にいっているような気がしてならない。
不安がふと心をよぎる。
だがもし本当に何かあるのであれば、ハクラシスから何か連絡があるだろう。だから彼を信じて待てばいい。レイズンはそう考えていた。
しかし……。
数日経ってもハクラシスからの連絡はない。
おかしいことに仕事中、姿さえ見かけることすらない。
いつもなら、そろそろどこかを歩く姿を目撃してもいい頃なのに。一体今はどこで仕事をしているのか。
レイズンは今日もハクラシスに会えなかったと、不貞腐れながらベッドに倒れ込む。
(忙しいのは分かるんだけどさ。全然連絡もくれないし。もしかして寮に来るなとか食堂に来るなとか言ったから、会いにくくなっちゃったのかなあ……)
迷惑だからって、あんなこと言わなきゃ良かったと後悔しつつも、しかしあんなにマメに手紙を書くような人が連絡一つ寄越さないだなんて、それもなんだか不自然だよなあともレイズンは考える。
(もし手紙の新作が届くなら、それはそれでいいんだけどさ)
ハクラシスの手紙をベッドサイドの引き出しからいくつか取り出して、眺めてはため息を吐く。
今の慰めはこれのみ。
(妙なことになってないならいいけど……)
レイズンは不安な心を解消するかのように、ハクラシスの手紙を開いて読み始めた。
そんなある日、レイズンに上位騎士昇格試験の打診があった。
「へ? 俺が上位騎士試験??」
仕事終わりに部隊長から呼び止められ、いきなりそんな話を聞かされたレイズンは驚いた。
この隊に入ってからまだそんなに経っておらず、馴染むのに必死でたいした活躍もしていないのに。
「ああ。少し前に上からそういう話が出ていてな。復帰してまだ間もないお前がかと俺も驚いたのだが……。その話が昨日正式におりてきた。確かに最近また腕が上がったし、受験資格は充分だろう。せっかく資格を得たことだし、受けてみるといい」
「いや、でもなんでいきなり……」
「ああ、それがな、近々魔獣討伐を行うことになったんだ。今回はちょっと難しい討伐になるらしくてな。上位騎士から選抜し、精鋭部隊を作ることになったんだが、たぶんそれのためだろうな」
「魔獣討伐!?」
そういえば近々討伐があると、この前誰かが言っていた。
「ああ、お前行ったことあるか」
「以前、小隊にいた頃に……」
小隊にいた頃、補助要員として駆り出されたことはあったが、その時は手も足も出なかった思い出が蘇る。あの時小隊長のハクラシスが近くにいなかったら、レイズンたちは死んでいた。
「そうか。経験済みならだいたい分かるよな。今回はハクラシス閣下が、新設された総司令官の役目をテスト的に務めるということだ。そういえばお前、前はハクラシス閣下の小隊にいたんだったな。選抜されればまた閣下の下で動くことになるぞ」
「!!!」
これは僥倖とばかりに、レイズンは部隊長が持ってきた上位騎士試験の話にとびついた。
ずっと一緒に小屋に帰る日を夢見ていたが、今の状況をみる限りすぐにとはいかないようだし、もし選ばれれば少なくとも討伐が終わるまでは近くにいることができると思ったのだ。
最悪ハクラシスが現状逃げきれず総司令官の任務を全うすることになるならば、それはそれで仕方がない。
それならば、できれば彼が率いる部隊で一緒に活躍したい。こうやって会えないまま離れて暮らすよりも、そのほうがずっと幸せだ。
それにもし討伐で手柄を立てれば、その後も近いところで仕事ができるようになるかもしれないのだ。
昔は弱っちかったレイズンも、今はあの頃とは違って逞しくなった。魔獣とはまだ戦ったことはないが、大型の獣程度なら一人で仕留められるのだ。
復帰してからも著しく成長していると実感しているし、きっと認められる。大丈夫だと、レイズンは奮起した。
「俺、上位騎士試験受けます!!」
「お、おう、分かった。まあ、そうだよな。ではそのように手配しておこう。今回受かれば選抜リストにも入れるからな。そのつもりでいてくれ」
「分かりました! お願いします!」
それからレイズンは試験のために頑張った。
試験まで半月と時間に余裕がなく、仕事終わりに一人残って弓の練習を行い、苦手だった剣の鍛錬もしっかりやった。
帰るとクタクタで、食堂で夕食を食べ終わったらすぐベッドに直行するほどだったから、ハクラシスに会えない寂しさに浸る余裕もなく、クヨクヨする暇さえなかった。
むしろこれが受かればハクラシスに会えるチャンスが増えるのだと、逆に意気込んで元気になったくらいだ。
自分が上位騎士になったことが分かれば、きっとハクラシスも驚くだろう。そしてレイズンの頑張りをよくやったと褒めてくれるに違いない。
そんなふうに頑張ってきたおかげか、レイズンは試験に気合い十分で挑み、結果、見事上位騎士試験は合格。
——そしてあの魔獣討伐部隊選抜の日がついに来た。
この日選抜のため歩兵、騎兵、弓兵とそれぞれの部隊の上位騎士から立候補、推薦を受けた騎士らが広場へ一堂に集められた。
今回総司令官としての役目を果たすハクラシスの戦略通りに部隊が組まれ、それに相応しい者が選抜される。もしこの討伐隊で成果をあげれば、昇級が望めるだけではなく、王から特別に褒美があるという話もあり、かなり多くの者が名乗りをあげた。
もちろんレイズンも上位騎士試験に合格後、すぐに立候補した。
弓兵は今回選抜人数が少ないということだったが、何よりレイズンには自信があった。今の部隊での経験は浅いが、技術で劣っているとは思っていない。むしろ自分の能力自惚れ、努力しない貴族出身の騎士よりは数段上だとすら思っている。
それにレイズンを「騎士団長のお気に入りだから、ズルで上位騎士試験に合格した」などと僻む者なんかに負けるはずはないのだ。
そうして迎えたこの日。
大勢の騎士が固唾を飲んで見守る中、壇上に騎士団長であるアーヴァルと副騎士団長、そして今回総司令官として指揮をとるハクラシスが上がった。
久々にみるハクラシスは、レイズンに見せる優しい顔ではなく冷徹と言われた上官としての顔で、集まった騎士らを見下ろすその目は、これまでにないほど鋭く冷たい。
きっとこの後こっそり呼び止めれば、いつもの優しい笑みを浮かべると分かってはいても、今のあのハクラシスからは笑顔など想像もできない。
そして騎士らが騒めく中、ハクラシスは持っていた杖でドンッドンッと勢いよく床を打ち鳴らした。
その途端、騎士たちはみな一斉に口を閉じ、広場はシンと静まり返る。
「——諸君らに無駄口は必要ない。これより魔獣討伐の選抜を始める。だがその前に今回の討伐について概要を説明をする」
ハクラシスは声を張り、今回の討伐部隊についての説明に加え、今回の討伐は騎士団長の下に総司令官という新しい役職を設け、テスト的に行うものであることを説明した。
そして自分のやり方について来れぬ者、納得できぬ者はその場でメンバーから外すから、そのつもりでいるようにと付け加えた。
「——説明は以上だ。今回の選抜部隊の各隊長について、第二王子であるルナーセル殿下を含め小隊長以上の階級の中からすでに選抜済みであることを付け加えておく」
第二王子の名に周囲にどよめきが広がったが、無能と呼ばれる第二王子のことを知らないレイズンにはみんながどよめく意味が分からず、キョロキョロと周囲を見た。
そんなどよめく群衆を静めるため、再度ハクラシスの杖が大きな音を立てて床を鳴らした。
「今回は諸君らのこれまでの戦歴や特性などを、事前にこちらで調査させていただいた。その中で今回のメンバーに相応しい者を選抜することにした。これよりその者の名を読み上げる。呼ばれた者はあちらへ並ぶように。では発表する。ひとり目は——」
ハクラシスが順に名を読み上げる。
みんな今回はその場で実技試験があるものだと思い込んでいたため、ハクラシスが名を呼び始めるとそれぞれ顔を見合わせ戸惑いを見せた。
そして二人、三人と読み上げていく中、ひとりの騎士が「閣下、質問があります!」と手を挙げた。
「——部隊名と名を言え」
眉間に皺を寄せ、ハクラシスはジロリと挙手した男に視線を投げた。
「はっ、私は歩兵部隊——」
「お前の部隊では、上官が話をしている最中に質問をしても良いと教えられているのか」
「——っ……いえ」
厳しい口調に怯み、口籠る男。
しかしそんな彼を尻目に、ハクラシスは名簿をざっと眺めると、持っていたペンでチェックを入れる仕草をした。
「今回お前はこの選抜から外した。帰っていい」
「はっ? ……えっ……?」
最初ポカンとした男も、その意味を理解し慌て始めた。
「閣下! 申し訳ありません! そんなつもりでは……」
「帰れ、と言ったはずだが。これ以上中断させるなら、それなりの覚悟あってのこととみなすがよいか」
「も、……申し訳ありません」
ハクラシスに冷たく一瞥された男は、真っ青な顔で広場を去っていった。そこからまたどよめきが広がる。
だが一部には、そのハクラシスの対応を当然といった面持ちで見ている者らもいた。年齢からしておそらく以前、ハクラシスと一緒に戦ったことがある者だろう。ハクラシスの気質をよく理解しているようだった。
今回の討伐部隊希望者には昇級を望む若い者騎士が多い中、レイズンよりもずっと年上の彼らは少し場違いに見えた。
しかし彼らはハクラシスの戦略に必要な人材なのだろう、ハクラシスがまた床を鳴らし名簿の読み上げを再開させると、全員ではないがその中からも数人か呼ばれて、場所を移動していくのがレイズンからも見えた。
そんな風に緊張した空気の中、名前の読み上げが進められ、とうとう弓兵部隊の選抜に入った。
レイズンも他の者と同様に、緊張しながらも大勢の人に混じってじっとハクラシスを見上げる。
弓兵は全部で三十人。一人ひとり所属部隊と名前が読み上げられていく。
レイズンは名前を聞き逃さないよう、祈るようにして耳を澄ませる。
周囲では名が呼ばれ、ヨシと小さく拳を握り締めて移動していく者が見え、レイズンは焦った。
(名前……俺の名前……)
二十人目、二十一人目と次々に名が呼ばれていく。
あと三人、あと二人。
——だが、ついにハクラシスの口からレイズンの名が読み上げられることはなかった。
「——以上だ。名を呼ばれた者は速やかに移動を。また本日ここに集まってくれた者の中で、見込みのある者については後日、補助要員として各部隊長から連絡がいくことになっている。魔獣討伐はこれだけではない。また今後国同士の諍いもないわけではない。次の大きな出征までに各人腕を磨き、しっかり備えておくように。ではこれで解散とする」
(はあああーーーーーー)
壇上から降り足早に去っていくハクラシスとアーヴァルを見ながら、レイズンは一人項垂れた。
「嘘だろ……」
人ごみにまぎれ、討伐部隊に選ばれた者らのいるほうに向かうハクラシスの背中をレイズンは見つめた。
期待とやる気に満ちた目でハクラシスたちを迎える、熱気に満ちたあの場所がとても羨ましかった。
ハクラシスもレイズンがこの選抜に志願していたことは知っていたはずだ。だが彼は冷静に、私情を交えず判断したということだろう。
「俺にはまだ早いってことか……」
レイズンはガックリと肩を落とし、選ばれた騎士たちの中心にいるハクラシスに背を向け、その場を去った。
ーーーー
「なんだ、結局あの小僧は選ばなかったのか」
「……」
ハクラシスが足早に壇上から降り、自らが選出した騎士たちが集う場所に向かおうとした時、後ろからついて歩いていたアーヴァルが声をかけた。だがハクラシスは不機嫌そうにその言葉を無視した。
「お前も壇上から見えていただろう、あの小僧がいたのを。期待した顔をしていたぞ。いいのか、部隊から外して。経験不足とはいえ、技量は申し分ない。資格は十分あっただろう。それにあの小僧ならお前の言うことを素直に聞くから、隊でも扱いやすい」
アーヴァルが眉根を八の字にして、まるで分からないといったように、大仰な仕草でハクラシスを咎めてみせた。
「わかっている! ……レイズンなら俺のためにと張り切って、手柄をたてようとするだろう。だがそれでは困る。王の思惑通りにするつもりはない。かわいそうだが彼には少し辛抱してもらう」
「はっ! 連れて行けばあっちで好きなだけイチャつけただろうにな」
「……レイズンがお前のテントに連れ込まれるのだけは御免だ」
アーヴァルは声をあげて笑いたいのを押し殺し、ククッと喉奥で笑った。
「疲れた時に勃つのは正常な証拠だ。ああ、すまない、お前は違ったな。それに俺の相手は別にあの小僧じゃなくとも、お前でもいいんだぞ?」
「それこそ御免だ。ベイジルに尻でも貸してもらえ」
「それは俺も御免だな」
クククと笑うアーヴァルに、ハクラシスは歩きながらバシンと杖をアーヴァルの足に一発入れた。
「——もう戯言はよせ。俺とお前は仲違いをしているんだぞ。口を閉じて顔を引き締めろ。みんなが見ている」
「ははっ仰せの通りに閣下」
それまで戯けたような態度をとっていたアーヴァルが、返事と共に自身の体に纏わりつくマントを手で払いのけた。
そして顔を正面に向けた時には、いつもの威厳ある騎士団長の顔に戻っていた。
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