クズ男はもう御免

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38 乱闘騒ぎ

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 ハクラシスが王と謁見した翌日、騎士団長アーヴァルと補佐官ベイジルは出張先である国境の砦から戻ってきた。
 
 今回の出張は非常に慌ただしく、ベイジルはとても疲れていた。
 いつもならもっとゆっくり調査をして帰るのに、今回は砦周辺に出現した魔獣の様子が状況的にあまり宜しくないということで、急遽対策を練ることになったのだ。
 
 国境調査は毎年定期的に行っているものだが、例年ならもう少し日程は後。だが今回は砦から魔獣の動きが不穏だという知らせが急遽届き、騎士団を副騎士団長に任せ、騎士団長アーヴァルは補佐官ベイジルと数人の騎士を従えて、いつもより少し早めの調査に出ることになったのだ。
 
 魔獣とは獣に姿こそよく似たものではあるが、性質が違う。生き物のようであり、生き物ではない。生態も分からなければ、どうやって繁殖しているかも不明だ。一般的には獣のような繁殖の仕方ではなく、魔獣の持つ気のようなものが地中にあり、それが湧いて出て形を成すと言われている。
 
 頻繁に出るようなものではないが、いつも湧いて出る穴のような場所があり、その一つがこの砦近くの森だった。
 
 確かにいつもよりも魔獣の活動が活発化し、いつ砦が襲われるかわからない状況ではある。どこからか溢れ出る魔獣は定期的に駆除しなければならない。それも騎士団の役目であり、国同士の諍いのない今は、それが一番重要な仕事でもあった。
 
「ベイジル、調査結果をまとめたら、仮眠をとれ。俺は王に戻ったことを報告し、一度邸宅に戻る」
 
「はっ、承知しました」 
 
 今日は夜までに王都に着けるよう、日が明けぬうちから馬で走り通しだったベイジルはかなり疲れていた。しかし報告書を制作しなければ寝ることはできない。

 報告書を書き終わるまでの辛抱だと自分に喝を入れながら、アーヴァルと共に騎士団本部の執務室の重い扉を開けた。
 
 だがその時——
 
「……どけ!」
 
「は……っ!?」
 
 ドアを開けた瞬間、中から待ち構えていたように何者かが飛び出してきた。
 先頭にいたベイジルを突き飛ばし、アーヴァルに向かって突進していく。
 
「アーヴァル!」
 
「——ハクラシス……!」
 
 執務室から飛び出してきたのはハクラシスだった。
 不意打ちで突き飛ばされ床に尻をついたベイジルが呆気にとられている間に、ハクラシスはアーヴァルの胸ぐらを掴み上げ、執務室へ引きずり込む。
 
 ピリピリとした不穏な空気の中、二人は睨み合う。
 
「……おい、なんだいきなり。俺は出張から帰ったばかりで疲れているんだ。それに失礼だと思わないのか。その手を離せ」
 
「こっちだって、お前が帰ってくるのを待っていたんだ。貴様、なんで俺が怒っているか分かるか」
 
「ふん、どうせあの小僧のことだろう」

 アーヴァルが鼻で笑う。その表情がまたハクラシスの怒りを誘う。
 
「それもある。……それもあるが、とにかく殴らせろ」
 
 ハクラシスが怒りに任せて、掴んでいた胸ぐらをさらに引き寄せた。 
 
「珍しくやけに気色ばっているじゃないか。だが理由が分からんままでは、ちと理不尽すぎやしないか」
 
 アーヴァルも負けじと自身の胸ぐらを掴んだ腕を掴み返しにやりと笑うと、同時に二人は拳を振り上げた。
 
 そこからは、もう散々だった。ハクラシスもアーヴァルも部屋中を転げ回り、互いを殴りつけ、その勢いで椅子やテーブルをなぎ倒し、それはひどい有様だった。

 乱闘騒ぎを聞きつけ駆けつけた騎士らですら、あまりのことに呆然と見ているしかなかったくらいだ。
 
(これはどうすべきか……)
 
 この状況にさすがのベイジルも止めに入るにも隙がない。
 魔獣の如く形相で殴り合う二人の間に入るなど、そんな恐ろしいことバカでもやるまい。騎士たちでさえ恐ろしくて手が出せないと、ただ戸口で見守るのみ。
 
 だがこのまま見ているだけでは、この二人の暴走は止まらないだろう。

 ベイジルはひとり立ち上がった。

「お二人ともそこまでです!!」
 
 ベイジルは決死の覚悟で、今にも重い一発を繰り出さんとする二人の間に割り込んだ。
 
 
 
 ーーーー
 
 
 
「王陛下への報告はいいのか」
 
「この騒ぎがそろそろ王にも伝わっている頃だろう。明日でいいさ。それで? 一体どんな了見で俺に殴りかかった」
 
 眉を顰めたアーヴァルが、クッションのきいたソファにドカッと腰を下ろした。
 
 先ほどまで殴りあっていた割に、顔にはかすり傷程度でそこまで目立つ傷はない。もちろん目の前に立つハクラシスも同様だ。
 
 手加減したわけではない。一応は何発かお互いの拳を体に食らってはいる。
 
 互いが互いの拳をうまく避けることができた証拠ではあるのだが、避けて暴れたおかげで部屋に置いてあったものがとばっちりを受けてしまった。

 まあそれよりも一番のとばっちり被害者は、止めに入ったベイジルではあるのだが。
 
「……ベイジルは大丈夫だったか」
 
「ああ。まあ……奥歯が砕けたようだが、あいつのことだ大丈夫だろう。だがお前のせいで、報告書は俺が作らなくてはいけなくなった」
 
 アーヴァルが不服そうに足を組み、肘置きに肘をつきムスッと頬杖をついた。
 
「俺のせいじゃない。奥歯を砕いたのは貴様の拳だ」
 
「いいや、お前のせいだ。お前が理由も言わず殴りかかってくるからだ。お陰でせっかく居心地よく整えた執務室がぐちゃぐちゃだ」
 
 二人はあれから執務室から騎士団本部内にある書庫の控室に場所を移していた。
 ぐちゃぐちゃで目も当てられない状態になった執務室は、乱闘中手出しもできず見物人と化していた騎士らが、手分けして部屋を片付けてくれているところだ。
 
「……こんな殴り合いをしたのはいつぶりかな」
 
 アーヴァルが愉快そうにクククと笑った。
 
「さあな」
 
 笑うアーヴァルとは対照的にハクラシスはおもしろくなさそうな顔で、部屋の端に置いてあった椅子をアーヴァルの近くまで寄せると、ギシッと音を立てて座った。
 
「最近のお前はえらく大人しかったからな。昔のお前が戻ってきたようで嬉しいさ。それで? 俺を殴った理由が小僧じゃないなら、どうせまたルルーがらみか。それとも——」
 
「殴ったのはレイズンのことがあってだ。勝手になかったことにするな」
 
 せせら笑うアーヴァルをギロッと睨みつけるがそれも効果はなく、すぐに諦めたように息を吐いた。
 
「……まあいい。ところでアーヴァル、正直に言え。お前、王座を狙っているのか」
 
「——は」
 
 いきなり出た不穏な言葉に、アーヴァルはそれまでの嘲笑をピタリとやめ目を丸くした。
 普段驚いても顔に出さないアーヴァルが、狐につままれたような顔をしている。それほどまでハクラシスの口から出た言葉に驚いていた。
 
「はっ、なんだそれは。何かの冗談か」
 
「……では聞くが、そのようなことを誰かから唆されたりはしていないか」
 
「一体何を言っている。俺はとっくに王位継承権を放棄している。お前も知っているだろう。もし仮に誰かにそのようなことを言われたとしても、今の俺にその気はない」
 
「それを信じていいのか」
 
「……当たり前だろう」
 
「神に誓えるか」
 
「誓えるさ」
 
「王の前で堂々と同じように誓えるか」
 
 ハクラシスのその言葉からは、今出ている話がただの風評の伝聞などではなく、王が直接ハクラシスにアーヴァルに対する不信感を示唆したと受け取れる。
 
 この言葉の真意にすぐに気付いたアーヴァルの表情は、これまでの冗談めいていたものから真剣なものへ変わった。
 
「——は、なるほどな。……それでこの部屋に場所を移したのか」
 
 昨日の王との謁見でのことについて、ハクラシスはどうしてもアーヴァルに真意を確かめておきたかった。このままアーヴァルと敵対してよいものか、判断しかねていたからだ。 

 アーヴァルの考え次第では、訣別する覚悟もできている。しかし、この男なくしてこの国を守れようか。
 
 もちろん王の言うことも分かる。
 この国で騎士団長を務めるアーヴァルの騎士たちからの信頼は非常に厚い。彼の統率力は群を抜き、騎士であれば誰しも彼の傘下にと願うほど。もし彼に何かあればついて行く者も多いだろう。
 
 だからこそ、王は脅威に感じているのだ。
 あのカリスマ性が次代の王権を脅かし、今代で内乱が起きたように次代でも同じ轍を踏むのではないかと。
 
 確かに次期騎士団長候補がいない今、次代を担う王太子を支えるためにも第二王子を騎士団長の座に据えることは、ハクラシス自身も賛成だ。
 
 彼があまり武芸に長けておらず、内向的な性格であったとしても、それは今後次第だ。あの最下位の小隊でくすぶっていたレイズンだって、今は立派にやっているのだから。
 
 だからこそ無能なままトップに据えるよりは、長い時間をかけてでもアーヴァルに第二王子を次期騎士団長として育ててもらう方が、逆に国の安寧への近道だ。
 
 それにだ。もし王の言いつけ通りに従うのならば、もう王都から出ることは叶わず、おそらく一生レイズンと小屋には帰れないだろう。
 
 それだけは御免だ。
 
 だからアーヴァルから本音を引きださないことには話が始まらない。
 
 ——だがその話をしようにも、アーヴァルの邸宅や屋敷はおろか、本部の執務室でさえも密かに監視の目が光っていた。
 だからと言って、こそこそとするのも余計に分が悪い。
 
 ハクラシスはアーヴァルと密談をするために、誰にも怪しまれぬ方法としてアーヴァルとの喧嘩を利用し、執務室を使えなくしたのだ。
 周囲に仲違いをしたと思わせることもできた上、これまで溜まっていたアーヴァルへの鬱憤晴らしにも丁度いい。
 
 そしてこの書庫の控室を選んだのは、騎士団の武器の資料など機密書類が多い書庫は管理が厳重であり、使用するにも鍵を持つ者が限られているからだった。
 
 火にも強い分厚い壁の書庫は、昔から上官の密談の場所としても使われていた。ここなら誰にも邪魔されず、アーヴァルと心置きなく話ができる。ハクラシスはそう考えたのだ。
 
 
 
「それで? 王が俺が玉座を狙っていると言ったのか? ——全くいつまで俺を疑うのか」
 
 アーヴァルがやや自嘲めいた笑いを浮かべる。
 
「……奥方との結婚の理由も知った。まさかお前が保身のために結婚をしたとはな」
 
「まあ、あの時は身内から裏切り者が出たんだ。仕方がない。それにいつかは結婚しなければならなかった。以前からあった話だったしな、いい頃合いだったんだ。……おかげでルルーをお前に取られてしまったがな」
 
「またその話か! いい加減にしろ。お前だってわかっているんだろうが。ルルーがなぜ俺のところに来たのか」
 
「わかっているさ。だからお前とルルーとの婚姻を邪魔をしなかっただろ? 他の奴なら婚姻どころか家門も潰していたかもな。……まあお前には潰すべき家門もなかったが」
 
 ククッと喉奥でアーヴァルが笑うが、すぐにその笑みを消した。
 
「……まさかお前のせいでルルーが殺されるとは思わなかったがな」
 
 その通りだ。自分と結婚などしなければ、ルルーがあんな目に遭うことはなかった。
 
「——それについては言い訳をする気はない。俺と結婚さえしなかったら、あんなひどい目にあうことはなかった。お前にルルーを助けて貰えたことは、本当に感謝している。……だがずっと隠してきたものを、今になってなぜ俺と再会させた? 俺が小隊の指揮をとっていた頃にはもうルルーはお前の屋敷にいたはずだ。お前はまだルルーを愛しているんじゃないのか?」
 
 ハクラシスはアーヴァルの目をじっと見つめた。アーヴァルの本心がどこにあるのか、それを見定めるために。
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