クズ男はもう御免

Bee

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36 幸せに満ち足りた日

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 翌日、レイズンはいつにもまして晴れ晴れとした気分で朝を迎えた。
 
 昨日はあんなにもいろいろなことが起こり、寮の部屋でベッドに横になっても興奮してなかなか寝付けなかったのだが、朝は寝坊することもなくパッチリ目覚めることができたのだ。
 
 いつものように歯を磨いて朝の支度をし、部屋にあったパンで手早く朝食を済ませて仕事に出る。昨日までの暗い気分が嘘のように心は晴れていた。

 こんなウキウキな気分で仕事に向かうなど、ここに来て以来初めてのことではないだろうか。
 
 今日は朝から城壁での見張り仕事だ。
 城壁の上から城の外に異変がないか監視する役目なのだが、戦でもない平和な日常の中、異常など滅多に起こるはずもなく、普段退屈で死にそうなくらいなのだが、今日に限ってはそんな退屈な仕事もなんだか楽しい。
 
 雲ひとつない空は青々として清々しくとても気持ちがいいし、この高い城壁から眺める景色は美しく素晴らしい。
 
 早くこの城壁の門を抜けて、ハクラシスと共にあの山小屋に戻りたいと、遠くを眺めてはニマニマしてしまう。
 
 そんなふうに、いつもは誰に対してもムスッとしてニコリともしないレイズンが、今日はルンルンと上機嫌で仕事をこなしているのを、同僚たちは気味悪そうに眺めていた。
 
 心が晴れていると空気も格段と清澄に感じる。弓もよく言う事を聞いて、矢を狙いどおり真っ直ぐ飛ばしてくれる。
 昼前の弓の鍛錬でも、レイズンはこれまでにないくらい絶好調だった。
 
(さてと、昼飯でも食べにいこうかな)
 
 気持ちよく汗をかき腹を空かせたレイズンは、上機嫌のまま食堂に向かった。
 
 
 騎士団の敷地は広く、幾つもの地区に分かれている。
 それぞれに歩兵や弓、騎馬などの訓練場がある他、騎士らが快適に仕事をするために必要な施設も備わっていて、もちろん食堂もその一つ。
 レイズンは自身が所属する弓兵部隊がある地区の食堂をよく利用していた。
 
 ちなみにだが、騎士団員であればどの食堂を利用してもよく、補助もあるため格安で食べることができる。味や料理も食堂によって異なるため、こだわりのある者などはわざわざ遠くの地区の食堂に出向くこともあるが、基本みんな現在地に一番近い場所にある店で食事をとっていた。
 
 レイズンが利用するこの食堂は、自分の好きなものを好きなだけ皿に盛るカフェテリア方式の店だ。
 他の地区にはテーブルメニューのあるレストランや、定食屋など様々なのだが、レイズンはこのカフェテリアを好んで利用していた。 
 
 なぜなら、そう。好きなものを好きなだけ食べられるからだ。
 本来甘党で意外と好き嫌いの多いレイズンは、ハクラシスという厳しい保護者の目が届かぬ今、この店で好きなものを好きなだけ取って食べていた。
 
 
 そして今日もレイズンは食堂に入ると、いつものように並んだ料理を吟味した。
 
 ここはパンの種類も豊富で、なんと焼き菓子などのデザートもある。
 甘いものに目がないレイズンは、早速白い砂糖がまぶされたドライフルーツ入りのパンを取り、野菜はほんの気持ち程度に盛って、あとは塩気の強い分厚いハムを数枚取り、黄色いスープをカップに注ぐ。そして皿の隙間にデザートとして、ジャム入りのクッキーを乗せられるだけ乗せた。
 
 奥のほうにちょうど人があまり座っていないテーブルがあったので、そこに皿を置いて座ると、早速表面が砂糖で覆われたパンを手にとってかぶりついた。
 
「ん~うま」
 
 この上に白い砂糖のかかったパンはとてもうまい。
 あの街のパン屋では甘いパンはあまり見かけないので、小屋で生活している間は食べられなかったし、もし仮にあったとしても甘いものが苦手なハクラシスは「食事向きじゃない」といって買ってくれなかっただろう。
 
 手についた砂糖を舐めながらパンを食べていく。
 
 そんなふうにレイズンが夢中でパンをかじっている背後では、何があったのか食堂中に広がるような大きなざわめきが起こったが、レイズンはまったく気にしなかった。
 
 そして二つ目のパンを食べ終わった時、レイズンは隣に誰かがドカッと座ったことに気がついた。
 
(他にも空いている席があるのに、なんで隣なんだよ)
 
 ちょっとムッとしながら、椅子をちょっと横にずらして距離をとろうとしたとき、ふと鼻に昨日嗅いだ香水の匂いに気がついた。

(……へ? この匂い……)

 まさかと思い、レイズンは恐る恐る隣を見た。
 
「……お前、なんだその飯は……」
 
 隣には飲み物が入ったカップを持ったハクラシスが座り、信じられないといった表情でレイズンの皿を凝視していた。
 レイズンの喉がごくんと音をたてる。
 
「……小隊……じゃない、ハクラシス閣下……?」
 
「閣下と呼ぶな。お前、なんだその飯は。ちゃんとした飯を食べろとあれほど……」
 
「こ、これはその……」
 
 レイズンはそこでようやく周囲のざわめきにハッと気がついた。
 
 周囲からは「閣下……?」「閣下がなぜここに?」「上官殿がこんな食堂にくるなんて」と戸惑う声が聞こえてくる。
 
 そして彼らの視線の向く先は、ハクラシス、ではなく一緒にいるレイズンだ。
 周囲から注がれる視線からは『あいつは一体何をやらかしたんだ』と、そんな心の声が聞こえてくるようだった。 
 
「そ、そうじゃなく! ……なんでここにいるんですか……!」
 
 レイズンは声を抑えて、ヒソヒソとハクラシスに尋ねた。
 
「なんでって、昨日お前は寮に戻ってしまうし、寮には来るなというから、昼に会いにいくことにしたんだ。お前の所属する弓部隊なら、昼はきっとここだろうと思ってな。……もしかして迷惑だったのか」
 
 レイズンの反応でハクラシスもようやく周囲の状況に気がついたようで、目だけをキョロキョロと動かした。
 
「いや、会えるの嬉しいですよ? でも、ここも普段は上官たちが来ないところなので……」
 
 普通は上の階級になればなるほど、このような食堂に来ることはない。ほとんどが補佐官に食事を頼み執務室で食べるか、もしくは階級持ちの騎士らしか出入りしない食堂があるので、そこへ行く。一応部下に気を遣わせず、食事をしてもらおうという配慮からきているものらしい。
 
 ハクラシスもようやくそれを思い出し、しまったなという顔で額を押さえた。
 
「……まあいい、お前に会う口実として、ルルーから夕食の誘いを預かっている。今日は仕事が終わったら屋敷へ来なさい」
 
 ハクラシスは小さな封筒をこっそりとレイズンに渡した。

 それはとてもきれいな花の透かし模様の入った封筒で、透かしから便箋の薄い紫がのぞいている。同じような誘いでも、いつもベイジルが寄越す無粋なメモとは大違いだ。
 
「……ありがとうございます。今日お伺いしますとお伝えください」
 
 レイズンが微笑むと、ハクラシスも目を細めて頷いた。だがそれに連動するように、周囲にどよめきが広がる。
 
 普段滅多なことで笑わないハクラシスが笑ったので、みんな驚いたようだ。

 ハクラシスはわざと威嚇するようにゴホンと軽く咳払いすると、途端に周囲は静かになり散っていった。
 
 レイズンはホッとした。
 
「ではルルーにそのように伝えておこう。楽しみにしている」
 
「俺も楽しみにしています。あ、……それと、昨日手紙を預けたままになっているので、今日はそれも俺に返してくださいね」
 
 茶を啜ろうとしていたハクラシスが、ブホッとむせかけた。
 
「……手紙はもう不要だろう」
 
「え、だって俺ほとんど読んでませんよ。それに俺宛なんでしょう?」
 
 ハクラシスは困ったように眉間に皺を寄せた。
 
「いや、だがな……」
 
 ハクラシスはどうやらあの手紙をレイズンに渡したくないようだ。
 妙に渋っている。きっと昨日ルルーに笑われたのがショックだったからに違いない。
 
 でも待ちに待った手紙なので、レイズンとしても絶対に返して欲しいし、ゆっくりじっくり読みたい。
 
「今度こそちゃんと受け取りたいので、手紙は絶対返してくださいね」
 
 そう言われてしまうとさすがに拒否もできず、ハクラシスも仕方ないと渋々頷いた。
 
 
 
 その夜、レイズンは仕事を終えると招待状の時間通りに屋敷に行った。そこでレイズンはルルーとハクラシスから手厚いもてなしをうけた。
 
 ルルーがハクラシスから聞いたのか、テーブルにはレイズンが好きなものが並び、この日はお酒まで用意されていた。

 昨日も酒を出そうと思えば出せたのだが、レイズンが年齢よりも幼く見えて、酒は飲まないだろうとルルーが思い込んでいたらしい。ハクラシスからレイズンが酒豪だと聞いて、美味しいお酒を用意させたと言って笑っていた。
 
 庭でアーヴァルやベイジルに会うこともなく、レイズンは久々に何も憂えることのない穏やかな夜を過ごした。
 
 食事をした後は三人で楽しく語らいをし、ルルーからは若き日のハクラシスの話を聞かせてもらった。

 当のハクラシスはかなり居心地が悪そうだったが、若い頃のハクラシスの活躍が聞けて、レイズンはとても楽しかった。
 なんせ三人とも酒が入りほろ酔い気分で上機嫌だったから、レイズンだけではなく、ルルーもハクラシスもずっと笑いあっていた。
 
 
 そして寮に戻ったレイズンの手には、あの手紙の束が。
 
 ハクラシスは渡したくなかったようだったが、別れ際に渋々だったが渡してくれたのだ。
 
 レイズンは布団の中で、ベッドサイドのランプの明かりを頼りに、それを一枚一枚大事に読み進める。
 書いてあることは本当にお小言ばかりで、それがいかにもハクラシスすぎて布団の中でニヤニヤしてしまう。
 
 そして今日の帰り際、木の陰に隠れてそっとキスをしたことを思い出す。
 
 
 ——本当に幸せな一日だった。
 
 
 この夜、レイズンは王都に来てから初めて、心の底から満ち足りた気持ちで眠りについた。
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