クズ男はもう御免

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31 現れたのは

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 しばらくすると、屋敷のほうからレイズンを呼ぶ声が聞こえてきた。
 
「レイズン……!」
 
 その声にレイズンはハッと顔を上げた。
 
「あ……」
 
 先程の人が呼んできたのは、なんとハクラシスだった。
 急いで出たのか、ハクラシスはランプも持たず外灯の明かりのみを頼りに、暗がりの中レイズンの姿を探していた。
 
「しょ……小隊長殿!!」
 
 レイズンは懐に抱いた手紙を落とさないように気をつけながら、立ち上がろうと一歩踏み出した。しかし足がよろけてドサッと転んでしまう。
 
「レイズン! そこか!?」
 
「小隊長殿!!」
 
 ハクラシスは音に素早く反応し、転がり出てきたレイズンを走り寄って抱きとめた。
 
「レイズン……! さっきはすまなかった。今までアーヴァルの元にいたのか? ……何があった?」
 
 眉根を寄せ心配そうにレイズンを見つめるハクラシスに、レイズンの目からは乾いたはずの涙がまた溢れ出た。
 
「ごめんなさい、小隊長殿……手紙ありました……! アーヴァル様の部屋でさっき見つけたんです。小隊長殿は約束を破っていなかった……! ちゃんと手紙を書いてくれていたのに、それなのに俺……」
 
 嗚咽しながらレイズンはハクラシスに、持っていた手紙を懐から出して見せた。
 
「……アーヴァルの部屋に……?  これは……——!」
 
 それは間違いなくハクラシスがレイズンに宛てて出した手紙だった。レイズンが持っているものがすべてではないが、なぜこんなところにあるのか、ハクラシスは目を疑った。
 
「……アーヴァルが持っていたのか……!」
 
 自分がレイズンからの返事を待っていることを知っていながら、あの男はしれっと知らないふりを装ったのだ。
 ハクラシスは手紙を握りしめ、怒りで奥歯をギリッと鳴らした。
 
 そして睨みつけるようにレイズンのすぐ背後にある茂みへ目を向けた。
 
「——アーヴァル出てこい」
 
 ハクラシスが低い声をだすと、背後の茂みががさりと音を立てた。
 
「そこにいるのは分かっている。アーヴァル……!」
 
「……気がついていたのか」
 
 よく通る低いその声に、ハクラシスの腕の中でレイズンの体がビクリと跳ねる。
 
「アー……ヴァル様……」
  
 レイズンが振り向くと、アーヴァルは死角となっていた木の陰からゆっくりと現れ出るところだった。
 
「レイズン。俺がシャワーを浴びている間に、急に部屋から消えるから心配したじゃないか。体も汚れたままで。せっかく俺がお前のために、寝室へ湯を用意して戻ってきたというのに」
 
「——あ……」
 
 優しい猫なで声に聞こえて、含みのある言い方だ。その遠回しに、先程まで二人が何をしていたかをハクラシスに匂わせる発言に、レイズンは動揺し体が冷たくなる。
 
「……どういうことだ」
 
「どうもこうも。そういうことだ。いちいち説明などせずとも分かるだろ?」
 
「なぜレイズンにお前の相手をさせているのかと聞いているんだ!」
 
「させているも何も、レイズンが自ら望んだことだ。俺は選択肢を与えただけにすぎない。そして彼にそれをさせたのはお前だ、ハクラシス」
 
 アーヴァルは嘲笑う。
 すべてはお前が悪いのだと。ハクラシスに罪悪感を植え付けるように。
 
「……では、この手紙はなんだ。なぜお前が持っている」
 
 今にも飛びかかりそうな苛立ちをハクラシスはぐっと堪えた。レイズンを抱くその腕にこもった力はハクラシスの激情を感じさせ、その圧に耐えるようにレイズンは身を硬くさせた。
 
「これは検閲し押収されたものだ。俺が持っていても何もおかしくない」
 
「なぜそれを俺に言わなかった。お前の手紙は検閲され送られていないと。貴様は俺が、レイズンから手紙の返事がないことを気にしていたのを知っていたはずだ。なぜ言わなかった!」
 
「監視対象にわざわざ告げる必要はなかろう。——それにお前を監視するよう指示したのは王であり、俺の独断ではない。これまで王からの呼び出しを無視していたお前への警戒からだ。外にいる恋人など、仕事には邪魔なだけだ」
 
「……そういう理由なら、王都にレイズンが来たことで解決しているはずだ。騎士団に復帰させれば、いずれ俺の知るところになる。それなのになぜそのことも隠した」
 
「それについては、そのレイズン自身が決めたことだ。ここにいることをお前に知られたくないとな。俺は義理堅くその約束を守っただけだ。そうだろう? レイズン。それにハクラシス、お前にはルルーがいる。そのルルーのいる前で、その男を守ろうとする行為が俺には理解できん」
 
 それまで二人を冷ややかに見ていたアーヴァルの視線が、ハクラシスの背後に移動する。
 その視線の先を、ハクラシスの腕に抱かれているレイズンが追うと、そこにはひとりの男が立っていた。
 
「……ルルー」
 
 来ていたのかと、振り返ったハクラシスがそう呟く。
 アーヴァル同様ハクラシスもその男、ルルーを見つめている。レイズンは無意識に、ハクラシスを掴む手に力が入った。
 
(あ、あれがハクラシスの奥さん……?)
 
 そこにいたのは銀の髪をした細身の男性だった。暗がりでよくは見えないが、スラックスにジャケットを羽織ったシルエットは男性のものである。
 
 その姿に、ずっとハクラシスの妻は女性であると思いこんでいたレイズンは目を疑った。
 
 よく見ると手には白っぽい手袋が見え、もしかして先ほど自分に声をかけてきたのは彼だったのではと思い返した。
 
 だとすれば彼はレイズンのことを知っていながら、ハクラシスを呼んできたことになる。
 普通なら夫と愛人を会わせないようにするはずだが……これはどういうことだろうかと、レイズンは戸惑った。
 
「ルルー、こんな時間に外に出たらだめじゃないか。体に障るぞ」
 
 アーヴァルがハクラシスとレイズンをチラリとみやりながらすぐ横を通り過ぎ、ルルーに自分の着ていた上着を着せかけようとした。
 
 しかしルルーはそれを手で払い除ける。
 
「……アーヴァル。久しぶりですね。最近屋敷に姿を見せないから、私のことなど忘れたのかと思いました」
 
 細く、少し枯れてはいるが、その声は凛としている。
 
「そんなはずないだろう。でなければ俺の屋敷を与えたりしない。お前の行動はすべて使用人らから報告が入っている。だから今もこうして俺が出張ってきたんだ」
 
 それを聞いてルルーがやはりというように首を振る。
 
「私が心配ならば、毎日直接様子を見に来ればいいでしょう。なぜそんな回りくどいことをするんです」
 
「……お前には愛する夫がいるだろう? 俺がでしゃばる必要はない。だが……ハクラシスひとりに任せるのは不安だからな。お前になにかあっては困る。すべてはお前のためだ」
 
「私だけではなく、ハクラシスの行動も監視するためでしょう? 私を保護し、治療してくれたことは感謝しています。だからといってハクラシスを閉じ込めて、何も知らない者を巻き込むのは……」
 
「さっきも言ったが、ハクラシスがここにいるのは王の裁量だ。それにこの者はお前が気にかける必要などない相手だ。彼は俺が引き取ってやるから、お前は安心してハクラシスと過ごせばいい」
 
「いいえ、夫の大事な方なら、それは私にとっても大切なお客様です。彼はこちらで引き受けます」
 
 しばしの間二人は、意味深にじっと見つめ合った。
 
 そしてゆっくりとルルーが口を開く。
 
「……アーヴァルあなたの言うとおり少しここは肌寒いですね。私はそろそろ夫とそのお客様と共に屋敷へ戻ります。……では、アーヴァル。よい夢を」
 
「……ああ。ルルー、よい夢を」
 
 
 
 
 レイズンが戸惑っているうちにルルーとアーヴァルの間で話がついたようで、ルルーに促されるまま、レイズンはハクラシス抱え上げられた状態で屋敷まで連れてこられた。
 
 屋敷についても玄関で降ろされることもなくそのまま二階の部屋へ直行すると、ハクラシスはレイズンをベッドに降ろすと「すぐ戻る」と出ていってしまい、部屋にはレイズンとルルーの二人だけになってしまった。
 
 レイズンはベッドの縁に座らされたまま、落ち着かずモジモジと足先を重ねあわせた。正直言うと居たたまれず、すぐにでも部屋を飛び出したい気分だ。
 
(いきなり二人きり……)
 
 こういう時どういうふうに挨拶すべきなのか。
 
『ハクラシスの恋人です』も『ハクラシスにはお世話になっていて』もおかしい。どうすべきかわからないまま無言の時間が流れる。そして肝心のハクラシスはまだ部屋に戻らない。
 
 レイズンはおそるおそる顔をあげて、ルルーのほうをチラッと見た。
 
「ふふ、緊張しているのかな。……あ、そうか、ご挨拶をしなければいけませんね」
 
 レイズンの視線に気づいたルルーが、優しく笑って立ち上がった。そして優雅な仕草で美しいお辞儀をした。
 
「はじめまして、私はルシェリルー。一応ハクラシスの妻をやっております」
 
「は……はじめまして! レ、レイズンと申します!! あ、あの、ハ、ハクラシスさんとは、その……」
 
 驚いたレイズンがベッドから跳ねるように立ち上がり、優雅なルルーとは真逆のぎこちないお辞儀を返した。
 そしてなんと言っていいか分からないまま、モゴモゴと言葉を濁す。それを見たルルーがふふふと優しく笑った。
 
 ルルーはとても美しかった。
 
 まるで女性が男装したかのように華奢で麗しく、年齢はレイズンよりは上だとは分かるものの、何歳なのかは分からない。笑う目尻には少しシワができるし、若く幼いという雰囲気でもない。
 
 だが年齢を感じさせない美しさは、若いレイズンからみても目を見張るものがあり、その穏やかで上品な佇まいには同性ながら見惚れてしまう。
 
(こんなきれいな人が小隊長殿の奥さんなのか……)
 
 こんな人を相手に嫉妬することすらおこがましく思える。
 
「体は大丈夫? すぐに私が抱えていけてたら、さっきみたいなことにはならなかったのだけど……。長いこと寝たきりだったせいで、まだ筋力が戻らなくてね」
 
 申し訳なさそうに眉根を寄せるルルーに、やっぱりさっきレイズンに声をかけてくれたのはルルーだったんだと思いながらも、レイズンはあわあわしながら、ぶんぶんと首と両手を振った。
 
「……ハクラシスが気にかけている子だから、どんな子かと思ったら……ふふ、かわいらしい。彼はここに来てからずっと、あなたのことばかり話していたんですよ。毎夜手紙を書いてね。返信が来ないんだって、ずっと心配していてね。さっきも仕事から戻ってきたかと思えば、見たことないくらい酷く落ち込んでいて……何があったのかと聞けば君に会ったと言うものだから」
 
 にこにこと屈託なく話す様子を見て、レイズンは不安になった。
 
 この人はもしかして、レイズンのことをハクラシスの恋人だと思っていないのでは、と。
 
 さっきのアーヴァルとの会話もかなり濁した感じであった。ハクラシスのいつもの愛情表現自体、親が子に対するものと近いので、勘違いしている可能性は高い。
 
(どうしよう。はっきり言わないと。……でも小隊長殿が、本当はどんなふうに俺のことを思っているのか、ちょっと分からないしな……)
 
 口づけはされるけど、エッチどころか彼は服さえ脱いだことがない。その上愛してるとも言われたことがないし、正直自分達が実際どこまでの間柄なのか、レイズンにもちょっと分からなくなっていた。
 
 レイズンを眺めてはにこにこしているルルーに、レイズンはどう言うべきかずっと悩んでいると、やっとハクラシスが現れた。
 
「すまない。待たせた。これだけ用意させて、使用人はもう下がらせた」
 
 手にはポットと三つのカップを乗せたトレーを持っていた。
 ハクラシスはポットとトレーをサイドボードに置き、ルルーにカップのひとつを差し出すと、彼は頷いてそれを受け取った。
 そして残りのカップを手に取ると、ひとつをレイズンに持たせた。
 
 レイズンの鼻を優しい甘い匂いがくすぐる。カップには黄金色のスープが入っていた。この匂いはきっとカボチャだ。
 
「これを飲んで少し力を抜け。……今日はいろいろあったから疲れただろう」
 
 レイズンはチラッとルルーの方を見ると、ルルーが微笑みながら頷く。
 
 ハクラシスは自分の分を手に持つと、よいしょと言いながらルルーの隣……ではなく、なぜかベッドに腰掛けたレイズンの隣に座った。
 そしてフーフーと息を吹きかけてはズズズと音を立ててスープをすするレイズンを、目を細めて眺めた。
 
(……なんだこの状況。お父さんとお母さんに見守られている気分……)
 
 まさかこの二人の養子になるとか、意味の分からない展開にならないだろうなと心配になってきた。
 死んだ子供の代わりに……と言われてもおかしくない状況だ。
 
 そんな妙な心配をしながらレイズンはスープをすすった。
 
 それにしてもこのスープはとても美味かった。夕食抜きで、とても疲れていたからレイズンの身に染みる。
 レイズンは舌を火傷する勢いで、あっという間に平らげてしまった。
 
「うまかったか?」
 
 頷くレイズンからカップを受け取ると、ハクラシスは自分の分と一緒にトレーに戻した。
 そして今度はレイズンの隣ではなく、ルルーの横に置いてある椅子のほうに座り直す。
 
 ……こう二人が並んでいるのを見ると、とてもお似合いの夫婦だなとレイズンは思った。

 年齢も佇まいも違和感がない。
 厳格そうな騎士の夫に寄り添う美しく儚げな夫人。同性同士である点を除けば、まるで絵画にでも描かれる、誰しもが憧れるような完璧な夫婦に見えた。
 
 この二人を前にして、またレイズンは落ち込んで俯いた。
 そしてそんなレイズンが気になったのか、ハクラシスが手を伸ばしてそっとレイズンの手を握る。
 
「……その、レイズン、紹介しよう。こちらはルシェリルー。俺とアーヴァルがルルーという名で呼んでいる人だ。書類上では俺の妻となっている」
 
 ハクラシスの言葉に、ルルーはその場でお辞儀をした。
 
「先程挨拶をさせて貰いましたが、あらためて宜しく」
 
「そしてルルー、こちらは俺の恋人のレイズンだ」
 
「——え」
 
 その言葉にレイズンは俯かせていた顔をパッとあげて、まじまじとハクラシスの顔を見た。
 
「……なんだ、恋人と紹介してはいけなかったか」
 
 いやいやそれはこっちのセリフだと、思わず言い返しそうになるのを飲み込んだ。
 妻の前で堂々と愛人を恋人と紹介するバカがどこにいるのか。
 
「え……いや、嬉しいです、……じゃなくて、だって、その……奥さんにそんな堂々と……」
 
 目を白黒させるレイズンを見かねて、ルルーが助け舟を出す。
 
「あー……ほら、ハクラシス。彼、状況が分かってなくてビックリしてる。ちゃんと説明したんです? これじゃまるで浮気相手を堂々と妻に紹介するクズ夫のように見えますが」
 
「クズ夫……」
 
 妻にずばりと言われ、ショックを受けたような顔でハクラシスがレイズンを見た。レイズンもその通りだとすかさず頷く。
 そんな " お前もまさかそんな風に思っているのか " という顔で見られても……。
 
「ハクラシス、彼にちゃんと事の経緯の説明を」
 
「あ、ああ、そうか、そうだな。すまなかった」
 
 ルルーに冷静に促され、気を取り直すようにハクラシスはゴホンと咳払いをした。
 
「レイズン、俺とルルーは契約結婚……というべきか、お互い納得した上での偽装結婚をしたんだ」
 
「——は?」
 
「そう。お互いどうしても誰かと婚姻しなければいけない時期があってね。私とハクラシスは友人同士だったし、何かと都合が良かった。数年したら離縁する予定だったのだけれど……」
 
 ルルーは片方の手にはめていた手袋を取った。手にはひどい火傷の痕があり、ひきつれてうまく動かせないようだった。
 
「死ぬような目にあってね。顔はなんとかきれいにしてもらったけど、手や背中とか酷かったところはまだこんな感じなんですよ。本当ならハクラシスとは死に別れてそこで終わるはずだったのだけど、ご覧の通り生き残ってしまって。婚姻が継続されたおかげでハクラシスが呼び戻され、あなたと引き裂くような形に」
 
 ルルーは口には出さなかったが、彼の表情からは申し訳ないという気持ちが滲み出ていた。
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