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19 ブーフの仕事
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もう雪がちらつくこともなくなり、普段通りの生活送れるようになったレイズンたちは、街へ行くことも増え、暇そうに街中をぶらぶらしているブーフに出くわすことも多くなった。
ハクラシスがいると挨拶程度で終わるブーフだったが、レイズン1人の日は長話を決め込むので、ハクラシスも毎回そのつもりで送り出してくれていた。
この日もレイズンは1人でいるところにブーフに声をかけられ、ちょっと一杯とパブに入った。
いつもならくだらない話で盛り上がる2人なのだが、この日のブーフはいつもと違った。
「なあ、レイズン聞いてくれよ。俺、ちょっといい仕事にありつけそうなんだよな」
それまで仕事など碌にせず、その日暮らしが最高だと言って肉屋のオヤジさんを泣かせていたブーフが、急にそんなことを言い出したのだ。
「え? ブーフが仕事? 何の仕事なんだ?」
「まだ言えねえんだけど、うまくやればかなり実入りがいいんだよな」
「……怪しいな。変な仕事じゃないんだろうな」
詳しく言えないなどそんな仕事怪しすぎると、レイズンは訝しげにブーフを見た。
こういう人に言えないような仕事って、詐欺や違法な仕事だったということが多いのだ。
相手がブーフだけに、かなり疑わしい。
「いやいやいや、仕事相手はしっかりしたところで、内容もそんなおかしいものじゃねえ。まだ流通前の商品で……あっとこれ以上はマズイ」
「商品? 流通って、運搬業か?」
「あ、いや~まあ、そんな感じか?」
ジトーッと猜疑心の塊のような目でブーフを見るが、ブーフは酒を一気飲みしシラを切った。
「そんな目で見るなよお。ほんと大丈夫だって。言えるようになったらレイズンに一番に教えるからよ。いや~俺もツキが回ってきたぜ。これでオヤジにも大きな顔できるぞ」
脳天気なブーフに呆れながらも、こんなにやる気を見せているのだから、妙なことを言ってケチをつけるのも悪い気がした。
「何かあったら俺に相談しろよ」
「はははっ心配症だな、レイズンは。まあ見てろって」
ブーフはレイズンのグラスに酒を注ぎ、上機嫌で乾杯した。
「次はもっとゆっくり飲めるようにオッサンに言っとけよ! それじゃあな、レイズン。気をつけて帰れよ」
「ああ、またな」
ハクラシスと約束した帰宅時間が近づき、いつものように飲み足りないと騒ぐブーフを宥めながら、レイズンは店を後にした。
いつもよりテンション高く、次から次へと酒を口に運ぶブーフに付き合ったレイズンだったが、意外と今日はそこまで酔っておらず、足取りはしっかりしている。
あまり酔うとハクラシスに怒られるというのもあるが、迎えに来てくれるハクラシスと一緒に帰る楽しみがある。
手を繋ぎつつ星を見ながらゆっくり帰るというのも、ロマンチックなデートのようでなかなかいいのだ。酔い潰れていたらそれもできない。
レイズンはハクラシスとの待ち合わせ場所に向かった。暗い道を家々の灯りを頼りに歩いていると、ふと誰かに呼び止められたような気がした。
もしかして先に着いたハクラシスが探しに来たのかと、立ち止まって振り返ったその時。
「……動くな」
「……!」
口を塞がれて、背後から羽交い締めされたレイズンは、そのまま無理矢理に路地へ連れ込まれた。男の力は異様なまでに強く、少し暴れたくらいじゃびくともしない。
しまった、酔っ払いを狙った強盗かとレイズンは男の懐から抜け出すチャンスを狙い、反撃をしかけようとしたときだった。
(……ん? この匂いは)
鼻にどこかで嗅いだことのある、重い香水の匂いが鼻を掠めた。
この匂いはまさか——
「……アーヴァル様?」
うんざりした顔で見上げると、そこにはあの端正な顔が月明かりに照らされていた。
「よく分かったな」
正体を見破られたアーヴァルは、ニヤッと笑い、手を緩めた。
彼がハクラシスに会いにあの小屋に来た日から、もう2ヶ月近くが経とうとしていた。もうこの街にはいないと思っていたのに、まさかまた会うことになろうとは。
「どうされたんですか、こんなところで。そしてその格好は……?」
アーヴァルの腕から抜け出したレイズンは、以前とは異なる雰囲気のアーヴァルに目を丸くした。
今日のアーヴァルは、小屋に訪れた時のようないかにも貴族といった上等な出立ちではなく、この街でもよく見かける庶民が着ているものと同じ着古して薄汚れたコートを纏っている。
そして顔についているのはかつて騎士団長のトレードマークだった立派な髭ではなく、ならずもののような無精髭。
「……まあ、仕事でな。あれからずっと滞在していた訳じゃないぞ。定期的に訪れているだけだ」
きっと悪目立ちしないよう変装しているのだろう。まあ庶民が多く暮らすこの街に、こんな金持ちの男前が滞在していたら、女性たちが放っておくわけがない。
しかも王立騎士団の団長ともなれば、町中の人間が一目見ようと宿泊している宿につめかけるだろう。それでは仕事にならない。
しかしわざわざこんな田舎街に団長自ら出向くというのが気になる。だが、これ以上詮索するなという圧が目の奥に見え、レイズンは口をつぐんだ。
「ところでレイズン、弓はどうだ? 扱えそうか」
「あ! 素晴らしいものをありがとうございます。かなり癖があって扱い辛いですが、馴染ませるのも楽しいです」
「だろうな。そういうのを選ばせた。ああいうものを手懐けるのもまた修行のうちだ」
レイズンが自身が贈った弓で苦戦していることを察すると、アーヴァルは喉でククッと笑った。
どうやらわざと扱いが難しいものを贈ったらしい。レイズンは素直に喜んでみせた自分がバカだったと内心ムッとしたが、それがどうやら顔に出たようで、アーヴァルがおかしそうに小さく声をあげて笑った。
「ははっ、そう怒るな。あれは最初は扱いが難しいが、手懐ければどんな猛獣でも一発で射抜くぞ。あれを普通の弓と考えるな。ハクラシスなら自在に操るだろうから、ゆっくり教えてもらえ」
たしかに、レイズンが使うときとハクラシスが使うときとでは、明らかに威力に差が生じていた。
しかもレイズンの場合、うまく遠くに飛ばず、失速し手前に落ちることもしばしば。思ったところに命中させるには、相当な集中力が必要だった。
あの立派な弓を引くハクラシスを思い出し、さすがは我が小隊長殿だとレイズンがひとり感心していると、アーヴァルが耳に口を寄せてきた。
「……そういえばだが、先ほど一緒にいた者はお前の新しい恋人か」
「……は?」
レイズンは驚いてアーヴァルの顔を見た。またレイズンを揶揄っているのかと思えば、至って真面目な顔で冗談を言っているようではなかった。
「……いえ、その、友人です」
「ふむ。なるほど、友人、か。一緒に酒を飲んで、やけに親そうだったな。あの男について知っていることは?」
ブーフと酒を飲んでいたことまで知っているなんて、一体いつから見られていたのだろうか。
だがアーヴァルの視線は先ほどとはうって変わって冷たく、まるで尋問を受けているように感じた。
「……この街の肉屋の息子で、よくこの辺でふらふらしているようですが……。普段何をしているのかなどは俺も知りません」
「一緒に寝たことは?」
何でいきなりこんなことを聞いてくるのだろう。友人と一緒に寝たかなど失礼なことを聞かれて、本当は怒るべきなのだろうが、質問の意図が分からずレイズンは戸惑った。
「どういうことですか? 彼は友人で、寝るなどあるわけがない、です。……彼は異性愛者で、好きな子がいるはずです」
「本当にただの友人ということか。ハクラシスは彼のことは知っているのか」
「……はい。何度か顔を合わせています。今日も迎えに来てくれているはずですが……」
「なんだ、ハクラシスが迎えにくるのか。随分過保護にしているな。こんな時間にお前のような酔っ払いが1人でうろつくなど、危険だから俺の泊まる宿にでも誘ってやろうかと思ったが」
アーヴァルがレイズンの頬を意味ありげに指で撫で、薄く笑った。まるで美しい獣が舌なめずりをして、レイズンを飲み込んでしまおうとしているかのようだ。
彼の話のどこまでが本気で、どこまでが冗談なのかレイズンには分からない。
「……冗談だ。そんな顔をするな。ハクラシスが待っているなら、そろそろ解放してやろう」
アーヴァルはレイズンをとんっと元来た方向へ押しやった。
「……ああ、そうだ。レイズン、よく分からぬ物は、貰っても口にするなよ」
「……え?」
振り返ると、アーヴァルはもう踵を返し、レイズンに背を向けていた。
汚いコートの襟を立て、みすぼらしいハンチングを深く被り、一見誰か分からない姿になったアーヴァルをレイズンが立ち止まって見ていると、アーヴァルはさっさといけと追い払うような仕草をした。
レイズンが少し歩いてもう一度後ろを振り返ると、もうそこにアーヴァルの姿はなく、暗い闇だけが路地に残っていた。
「なんだ遅かったな。そろそろパブのほうへ様子を見に行こうかと思っていたところだ。……どうした? ブーフと何かあったのか」
酒が入るといつも上機嫌のはずのレイズンが、今日に限ってはなんだか暗く、様子がおかしいことにハクラシスが気づいた。
顔を覗き込むようにして頭を撫でるハクラシスに、レイズンは先ほどアーヴァルとのことを言おうか迷った。
「どうしたんだ? 何かあったのなら、言ってみろ。理不尽なことを言われたのなら、俺からもブーフにガツンと言ってやろう」
まるでいじめられた子供の親のような言い方に、レイズンは思わず吹き出した。
「大丈夫です、何でもありません。ブーフがちょっと変な仕事に手を出しそうなことを言っていたので、心配になっただけです」
「なんだ? 詐欺まがいのことにでも引っかかったのか? あのぼんくら息子ならあり得そうだな」
「ブーフですからね。大事にならなきゃいいなとは思ってますが……」
「ふん、まあいい。何かあればお前が助けてやればいい。助けられることがあるならな。友人なんだから」
ハクラシスが何気なくレイズンの手を握り、家の方向へ歩き始めた。
手など繋がなくてもレイズンは真っ直ぐ歩けるのに。まるで迷子になることを恐れているかのようで、先ほどアーヴァルに『過保護にしているな』と言われたことを思い出した。
たしかに成人した男を迎えにくるなど親でもしない。恋人になってからさらに過保護になったのではないだろうか。
(俺、大事にされてるよな~)
「へへへ」と嬉しそうにハクラシスの手を握り返すと、ハクラシスがまた握り返す。
レイズンはもうアーヴァルと会ったことなど、どうでも良くなっていた。
彼と話した内容もブーフとの浮気を疑われただけのこと。ブーフとのことさえなければ、アーヴァルだって姿を見せなかったはずだ。
それにこの話をすれば、またレイズンに手を出そうとしたとハクラシスが腹を立てるだろう。星のきれいな夜に、そんな話などしたくない。
レイズンは、腕に縋るようにして、歩きながらハクラシスにもたれかかった。
「どうした? 寒いのか」
「へへへ、何でもない」
2人は、まだ寒さが残る澄んだ夜空に浮かぶ星を眺めながら、ゆっくりと帰路についた。
ハクラシスがいると挨拶程度で終わるブーフだったが、レイズン1人の日は長話を決め込むので、ハクラシスも毎回そのつもりで送り出してくれていた。
この日もレイズンは1人でいるところにブーフに声をかけられ、ちょっと一杯とパブに入った。
いつもならくだらない話で盛り上がる2人なのだが、この日のブーフはいつもと違った。
「なあ、レイズン聞いてくれよ。俺、ちょっといい仕事にありつけそうなんだよな」
それまで仕事など碌にせず、その日暮らしが最高だと言って肉屋のオヤジさんを泣かせていたブーフが、急にそんなことを言い出したのだ。
「え? ブーフが仕事? 何の仕事なんだ?」
「まだ言えねえんだけど、うまくやればかなり実入りがいいんだよな」
「……怪しいな。変な仕事じゃないんだろうな」
詳しく言えないなどそんな仕事怪しすぎると、レイズンは訝しげにブーフを見た。
こういう人に言えないような仕事って、詐欺や違法な仕事だったということが多いのだ。
相手がブーフだけに、かなり疑わしい。
「いやいやいや、仕事相手はしっかりしたところで、内容もそんなおかしいものじゃねえ。まだ流通前の商品で……あっとこれ以上はマズイ」
「商品? 流通って、運搬業か?」
「あ、いや~まあ、そんな感じか?」
ジトーッと猜疑心の塊のような目でブーフを見るが、ブーフは酒を一気飲みしシラを切った。
「そんな目で見るなよお。ほんと大丈夫だって。言えるようになったらレイズンに一番に教えるからよ。いや~俺もツキが回ってきたぜ。これでオヤジにも大きな顔できるぞ」
脳天気なブーフに呆れながらも、こんなにやる気を見せているのだから、妙なことを言ってケチをつけるのも悪い気がした。
「何かあったら俺に相談しろよ」
「はははっ心配症だな、レイズンは。まあ見てろって」
ブーフはレイズンのグラスに酒を注ぎ、上機嫌で乾杯した。
「次はもっとゆっくり飲めるようにオッサンに言っとけよ! それじゃあな、レイズン。気をつけて帰れよ」
「ああ、またな」
ハクラシスと約束した帰宅時間が近づき、いつものように飲み足りないと騒ぐブーフを宥めながら、レイズンは店を後にした。
いつもよりテンション高く、次から次へと酒を口に運ぶブーフに付き合ったレイズンだったが、意外と今日はそこまで酔っておらず、足取りはしっかりしている。
あまり酔うとハクラシスに怒られるというのもあるが、迎えに来てくれるハクラシスと一緒に帰る楽しみがある。
手を繋ぎつつ星を見ながらゆっくり帰るというのも、ロマンチックなデートのようでなかなかいいのだ。酔い潰れていたらそれもできない。
レイズンはハクラシスとの待ち合わせ場所に向かった。暗い道を家々の灯りを頼りに歩いていると、ふと誰かに呼び止められたような気がした。
もしかして先に着いたハクラシスが探しに来たのかと、立ち止まって振り返ったその時。
「……動くな」
「……!」
口を塞がれて、背後から羽交い締めされたレイズンは、そのまま無理矢理に路地へ連れ込まれた。男の力は異様なまでに強く、少し暴れたくらいじゃびくともしない。
しまった、酔っ払いを狙った強盗かとレイズンは男の懐から抜け出すチャンスを狙い、反撃をしかけようとしたときだった。
(……ん? この匂いは)
鼻にどこかで嗅いだことのある、重い香水の匂いが鼻を掠めた。
この匂いはまさか——
「……アーヴァル様?」
うんざりした顔で見上げると、そこにはあの端正な顔が月明かりに照らされていた。
「よく分かったな」
正体を見破られたアーヴァルは、ニヤッと笑い、手を緩めた。
彼がハクラシスに会いにあの小屋に来た日から、もう2ヶ月近くが経とうとしていた。もうこの街にはいないと思っていたのに、まさかまた会うことになろうとは。
「どうされたんですか、こんなところで。そしてその格好は……?」
アーヴァルの腕から抜け出したレイズンは、以前とは異なる雰囲気のアーヴァルに目を丸くした。
今日のアーヴァルは、小屋に訪れた時のようないかにも貴族といった上等な出立ちではなく、この街でもよく見かける庶民が着ているものと同じ着古して薄汚れたコートを纏っている。
そして顔についているのはかつて騎士団長のトレードマークだった立派な髭ではなく、ならずもののような無精髭。
「……まあ、仕事でな。あれからずっと滞在していた訳じゃないぞ。定期的に訪れているだけだ」
きっと悪目立ちしないよう変装しているのだろう。まあ庶民が多く暮らすこの街に、こんな金持ちの男前が滞在していたら、女性たちが放っておくわけがない。
しかも王立騎士団の団長ともなれば、町中の人間が一目見ようと宿泊している宿につめかけるだろう。それでは仕事にならない。
しかしわざわざこんな田舎街に団長自ら出向くというのが気になる。だが、これ以上詮索するなという圧が目の奥に見え、レイズンは口をつぐんだ。
「ところでレイズン、弓はどうだ? 扱えそうか」
「あ! 素晴らしいものをありがとうございます。かなり癖があって扱い辛いですが、馴染ませるのも楽しいです」
「だろうな。そういうのを選ばせた。ああいうものを手懐けるのもまた修行のうちだ」
レイズンが自身が贈った弓で苦戦していることを察すると、アーヴァルは喉でククッと笑った。
どうやらわざと扱いが難しいものを贈ったらしい。レイズンは素直に喜んでみせた自分がバカだったと内心ムッとしたが、それがどうやら顔に出たようで、アーヴァルがおかしそうに小さく声をあげて笑った。
「ははっ、そう怒るな。あれは最初は扱いが難しいが、手懐ければどんな猛獣でも一発で射抜くぞ。あれを普通の弓と考えるな。ハクラシスなら自在に操るだろうから、ゆっくり教えてもらえ」
たしかに、レイズンが使うときとハクラシスが使うときとでは、明らかに威力に差が生じていた。
しかもレイズンの場合、うまく遠くに飛ばず、失速し手前に落ちることもしばしば。思ったところに命中させるには、相当な集中力が必要だった。
あの立派な弓を引くハクラシスを思い出し、さすがは我が小隊長殿だとレイズンがひとり感心していると、アーヴァルが耳に口を寄せてきた。
「……そういえばだが、先ほど一緒にいた者はお前の新しい恋人か」
「……は?」
レイズンは驚いてアーヴァルの顔を見た。またレイズンを揶揄っているのかと思えば、至って真面目な顔で冗談を言っているようではなかった。
「……いえ、その、友人です」
「ふむ。なるほど、友人、か。一緒に酒を飲んで、やけに親そうだったな。あの男について知っていることは?」
ブーフと酒を飲んでいたことまで知っているなんて、一体いつから見られていたのだろうか。
だがアーヴァルの視線は先ほどとはうって変わって冷たく、まるで尋問を受けているように感じた。
「……この街の肉屋の息子で、よくこの辺でふらふらしているようですが……。普段何をしているのかなどは俺も知りません」
「一緒に寝たことは?」
何でいきなりこんなことを聞いてくるのだろう。友人と一緒に寝たかなど失礼なことを聞かれて、本当は怒るべきなのだろうが、質問の意図が分からずレイズンは戸惑った。
「どういうことですか? 彼は友人で、寝るなどあるわけがない、です。……彼は異性愛者で、好きな子がいるはずです」
「本当にただの友人ということか。ハクラシスは彼のことは知っているのか」
「……はい。何度か顔を合わせています。今日も迎えに来てくれているはずですが……」
「なんだ、ハクラシスが迎えにくるのか。随分過保護にしているな。こんな時間にお前のような酔っ払いが1人でうろつくなど、危険だから俺の泊まる宿にでも誘ってやろうかと思ったが」
アーヴァルがレイズンの頬を意味ありげに指で撫で、薄く笑った。まるで美しい獣が舌なめずりをして、レイズンを飲み込んでしまおうとしているかのようだ。
彼の話のどこまでが本気で、どこまでが冗談なのかレイズンには分からない。
「……冗談だ。そんな顔をするな。ハクラシスが待っているなら、そろそろ解放してやろう」
アーヴァルはレイズンをとんっと元来た方向へ押しやった。
「……ああ、そうだ。レイズン、よく分からぬ物は、貰っても口にするなよ」
「……え?」
振り返ると、アーヴァルはもう踵を返し、レイズンに背を向けていた。
汚いコートの襟を立て、みすぼらしいハンチングを深く被り、一見誰か分からない姿になったアーヴァルをレイズンが立ち止まって見ていると、アーヴァルはさっさといけと追い払うような仕草をした。
レイズンが少し歩いてもう一度後ろを振り返ると、もうそこにアーヴァルの姿はなく、暗い闇だけが路地に残っていた。
「なんだ遅かったな。そろそろパブのほうへ様子を見に行こうかと思っていたところだ。……どうした? ブーフと何かあったのか」
酒が入るといつも上機嫌のはずのレイズンが、今日に限ってはなんだか暗く、様子がおかしいことにハクラシスが気づいた。
顔を覗き込むようにして頭を撫でるハクラシスに、レイズンは先ほどアーヴァルとのことを言おうか迷った。
「どうしたんだ? 何かあったのなら、言ってみろ。理不尽なことを言われたのなら、俺からもブーフにガツンと言ってやろう」
まるでいじめられた子供の親のような言い方に、レイズンは思わず吹き出した。
「大丈夫です、何でもありません。ブーフがちょっと変な仕事に手を出しそうなことを言っていたので、心配になっただけです」
「なんだ? 詐欺まがいのことにでも引っかかったのか? あのぼんくら息子ならあり得そうだな」
「ブーフですからね。大事にならなきゃいいなとは思ってますが……」
「ふん、まあいい。何かあればお前が助けてやればいい。助けられることがあるならな。友人なんだから」
ハクラシスが何気なくレイズンの手を握り、家の方向へ歩き始めた。
手など繋がなくてもレイズンは真っ直ぐ歩けるのに。まるで迷子になることを恐れているかのようで、先ほどアーヴァルに『過保護にしているな』と言われたことを思い出した。
たしかに成人した男を迎えにくるなど親でもしない。恋人になってからさらに過保護になったのではないだろうか。
(俺、大事にされてるよな~)
「へへへ」と嬉しそうにハクラシスの手を握り返すと、ハクラシスがまた握り返す。
レイズンはもうアーヴァルと会ったことなど、どうでも良くなっていた。
彼と話した内容もブーフとの浮気を疑われただけのこと。ブーフとのことさえなければ、アーヴァルだって姿を見せなかったはずだ。
それにこの話をすれば、またレイズンに手を出そうとしたとハクラシスが腹を立てるだろう。星のきれいな夜に、そんな話などしたくない。
レイズンは、腕に縋るようにして、歩きながらハクラシスにもたれかかった。
「どうした? 寒いのか」
「へへへ、何でもない」
2人は、まだ寒さが残る澄んだ夜空に浮かぶ星を眺めながら、ゆっくりと帰路についた。
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