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セイドリックのモテ期6

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 勢いでコウさんのアパートまで来たのはいいが、いざアパートを目の前にすると、急に目が覚めたように冷静になった。
 
 そう、今は夜中。
 日が変わるほど遅くはないが、それでも人の家を訪ねるには非常識な時間である。
 
 
(しまった…また衝動的にここまで来てしまった)
 
 アパートを見上げると、コウさんの部屋の窓から明かりが漏れている。
 コウさんは、現場に戻らずに今アパートにいる。
 
 ——今ならコウさんに会える。
 
 緊張のあまり胸がばくばくいっている。
 このまま扉をノックしても大丈夫だろうか。コウさんは、扉を開けてくれるだろうか。
 
 もし、もしも、中にあの女性がいたら——。いや、それならそれで諦めがつく。
 
 ……変な汗が出る。
 俺は手で額の汗を拭った。
 
 やめようか。
 
 ……いや、ここまで来たんだ。
 
 俺は意を決してアパートの中に入った。
 
 
 
 トントントン
 
 大きく深呼吸をし、汗を握りしめた拳で、安っぽいアパートの扉を叩く。
 
 中からは「はーい」というコウさんの声が。
 俺はゴクリと息を呑む。
 
 緊張し過ぎて、体が冷たい。
 
 ガチャッと音がし、扉が開き、中から光が漏れる——。
 
「——誰……あ、セイドリック、さん?」
 
 扉の外の俺に気がつき、驚いた表情のコウさんが、そこにいた。
 
「どうしたんだ? こんな夜更けに」
 
「いや、あの、その、なんだ、こんな夜中に、申し訳ない」
 
「何か急用か? ……すごい汗だな。まさか走ってきたのか? まあ、いい、とりあえず入ってくれ、セイドリックさん。俺も話したいことがあったんだ」
 
 ——話したいことがあったんだ。
 その言葉に俺はドキッとしながらも、コウさんに招かれ、部屋に入っていった。
 
 コウさんの話したいこととは、一体なんだろうか。
 
「こうして部屋に入るのは、あの日以来だったな」
 
「あ、……ああ。あのときは本当にすまなかった」
 
「はは、まあそのことはもういいさ。ほらこれ。汗を拭くのに使ってくれ。……ん? ちょっと酒臭いな」
 
 コウさんは、汗拭き用にと俺に手拭きを渡しながら、俺から漂うかすかな酒の匂いに反応した。
 
「あ、いや、別に今は酔ってない! 意識はちゃんとあるから、安心してくれ!」
 
「ははは、まあここまで来れたんだからそうだろ。正体をなくしてないなら大丈夫だ。そこに座ってくれ」
 
 以前酒で嫌な思いをさせたのに、コウさんは所在なく立っていた俺を気遣ってくれた上、椅子まで差し出してくれた。
 
 このアパートは古くてとても狭い。
 扉を開けるとすぐにキッチンのある部屋があり、その奥がコウさんの寝室。
 水をひいていないので、買ってきた水をコウさんは瓶に貯めて使っている。
 
 コウさんは、ここは不便だが、安いから金を貯めるにはちょうどいいんだと言っていた。
 
 俺は椅子に腰掛け、借りた手拭きで汗を拭きつつ、目の前で動くコウさんを眺める。
 
 コウさんは瓶から水を汲むと、茶を沸かしはじめ、手際よくポットに茶葉を入れた。
 俺のために茶をいれてくれたのだ。
 
「さ、何もないが、茶でも飲んでくれ」
 
「すまん。いただく」
 
 緊張して汗をかいてしまったせいか、ひどく喉が渇いていた。
 
「あちち」
 
「おい、沸かしたてだから熱いぞ」
 
 思わずがぶ飲みしようとして、舌を火傷するところだった。
 
 それにしても、この茶はなかなか美味い。
 安い茶葉のようだが、渋みが少ないから飲みやすく、後味がすこしスッとし爽やかだ。
 
「その茶、後味が変わってるだろ。汗をかいたあとに飲むと美味いんだ」
 
 コウさん、汗をかいた俺のためにわざわざこの茶葉を選んでくれたのか。こんなに嬉しいことはない。胸がジーンとする。
 
 大事に飲もう。
 
「——で、どうしたんだ? こんな遅くに。何かあったのか」
 
「ぐふっ! ……あー、いや、そんな大したことではないんだが……」
 
 大事に飲もうと心に誓ったばかりだというのに、もうちょっとで吹き出すところだった。
 だがまったくもって緊急性のない用事で突然夜中に来てしまったのだ。なんと言っていいか分からず、つい口ごもってしまう。
 
 どうしようか。言ってしまおうか。
 
「あ——もしかして、俺がここを引き払うの、レイルさんに聞いたのか?」
 
「——え」
 
 ここを引き払う?
 どういうことだと驚く俺にコウさんはあれ? という顔をした。
 
「え、あ、なんだ違うのか。てっきりそのことだと」
 
「コウさん、ここを出るのか」
 
 まさか、けっ、結婚してよそに引越すのか……!?
 驚いて思わず勢いよく立ち上がった俺に、コウさんは圧倒されたように仰け反った。
 
「あ、ああ。ちょっと工事のほうが忙しくて、休みが取れたとしても半日程度しか取れなくなってしまってな。今日も午後から休みを貰って、明日の朝イチで現場に戻る予定だった。だから、ここに帰れないなら、一旦引き払ってしまおうかと。誰も住んでないのに家賃が勿体ないだろ」
 
 ——違った。結婚ではなかった。
 俺はほーっと力が抜けたように、ストンと元の椅子に腰をおろした。
 
「じゃあずっと現場の詰め所で過ごすのか」
 
「そうなるな。あそこは個室じゃなく雑魚寝になるが、まあ今のところは問題ないから、しばらくはそれでも大丈夫だろう」
 
 雑魚寝!? 全然大丈夫じゃない!!
 俺の頭の中に、屈強な男どもに夜な夜な揉みくちゃにされるコウさんが思い浮かぶ。
 
「いやいやいやいや、ざ、雑魚寝はダメだ! あ、いや、それだと疲れもとれないだろう!? たまには帰ってきて一人でのんびりしたほうが良くないか? 美味いものだって食べたいだろうし、しばらくすればまた休みが取れるようになるんだろう。ここを引き払うのは性急すぎないか?」
 
 だめだだめだ!! せめて、せめて雑魚寝の回数を減らしてくれ!!
 そしてたまには俺に顔を見せて、安心させてくれ!!
 
「まだ人が集まらなくて、安定した休みが取れる目処もたたないからな。それに雑魚寝といっても今は人が少ないから、一人ひとりの寝場所は広いし、布の間仕切りも一応ある。今までもそうしてきたし、セイドリックさんが心配するほど、ひどい環境ではないから大丈夫だ」
 
 まくしたてる俺に、コウさんは心配ないと笑った。
 そうか、仕切りがあるならまあ大丈夫か……って、布なんかすぐにめくられてしまうじゃないか!
 
「それでも、心配だ……」
 
「いや、大丈夫だ。くっ、ははは」
 
 ひどく狼狽する俺に、コウさんは不思議そうに目を丸くしていたが、突然笑いだした。
 
「なんだ、なんで笑う」
 
「いや、この前レイルさんが、セイドリックのヤツ、コウさんが毎晩雑魚寝してるって、聞いたら卒倒するぞって。俺が仲間に襲われるんじゃないかって、絶対変に勘ぐって心配するって、くくく」
 
 レ、レイル~!!!!!
 
 ぐぬぬとレイルへの憤怒に震えていると、コウさんが腹を抱えて笑っていた。
 
 こんなに笑うコウさんは、はじめて見たかもしれない。
 顔いっぱいに口を開けて笑うコウさんに、レイルへの怒りも忘れて見入ってしまった。
 
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