10 / 41
セイドリックのモテ期5
しおりを挟む
「クソッ」
風呂から上がった俺は、濡れ髪のまま布団に寝転がり、濡れるのもかまわず枕に顔を押し付けた。
あれからアンリに連れられて詰め所に戻ったものの、夕食もとらぬまま部屋に戻った。
鍛錬もする気にならず、それでも気持ちをさっぱりさせようと風呂には入ったが、効果なく一人鬱々としていた。
「いつの間に相手ができたんだ」
忙しそうにしていたが、俺の知らないところで関係を築いていた、ということか。
そんな素振り、全くなかったじゃないか。
「ああっクソッ」
ボスッボスッと顔を埋めたまま、拳を枕に打ち込む。
だめだ。泣けてくる。
最後に見た二人の後ろ姿が目に浮かぶ。
あの後、コウさんのアパートに行ったのだろうな。
少し男臭い、狭く古いあの部屋に。
女が男の部屋に行くとは、そういうことだろう。
やり場のないこの思いを、どう決着つけるべきか。悶々とし、どう発散すべきか分からぬまま、枕に顔を押し付けた。
コンコンコン
部屋にノックの音が響く。
飯を食べに来ない俺を心配してライルが来たのかと、そう思い頭をあげ扉のほうを見た。
「……セイドリック殿? アンリです」
——扉をノックしたのは、アンリだった。
「……すまないが、今日はお前の話を聞く余裕はない」
自分でも驚くくらい低くかすれた声が出た。
「セイドリック殿、開けて下さい」
コンコンと何度もノックが繰り返し響く。
俺はしつこいアンリがうざったくて、布団をかぶり無視し続けたが、アンリのほうが輪をかけてしつこかった。
「ああっクソッ! しつこいぞ! 今日はダメだと言って……うぐっ」
コンコンと鳴り止まないノックに、苛立ちが募り、怒鳴り上げようと扉を開けた。だが大声を出す前に、扉のすぐ前にいたアンリにいきなり口を押さえられ、部屋に押し戻されてしまった。
「おいアンリ!」
俺はアンリの手を乱暴に振りほどいた。
だがアンリはそんなこと気にもとめず、扉を閉めると、ふふっと笑って持っていた袋を掲げて見せた。
「セイドリック殿! 今日は酒を持ってきました! 夜、何も食べていないですよね? つまみも少し、食堂から頂戴してきました」
「……今日はお前と飲めるような気分じゃない」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか。これちょっといい酒なんですよ」
机に酒やらつまみやらを広げはじめ、杯に注いだ酒を俺の前に突き出した。
「はい、セイドリック殿の分」
「……だからいらんと……! 怒るぞ」
「……レイル殿に聞きました。今日街で会った方が、セイドリック殿の好きな方だって。鍛錬場に行ったらセイドリック殿が来ないので、レイル殿に相手をしてもらったんです。今日の話をしたら、レイル殿がそんなようなことを言ってました。セイドリック殿の片思いだって」
……レイルの奴!! 俺のいない所でペラペラと……!!
「ああ、そんな怖い顔しないで下さい。酒がまずくなりますよ。こういうときはパーッと酒飲んで忘れちゃうのが一番です」
アンリはそう笑いながら酒の入った杯を俺の手に握らせた。
「美味しいですよ。俺の誕生日に仲間から貰ったやつです」
そう言うと杯に口をつけ、美味そうに飲んだ。
「……」
それを見て、俺もヤケクソになって、一気にあおった。
「……うまいな」
「でしょう!? ほら、まだあるので飲んで下さい」
アンリは俺を寝台に座らせると、酒を注ぎ、俺の横に座った。そして空になるたびに、俺の杯に酒を注ぐのを繰り返す。
——空っぽの胃に酒がしみる。たいして強くもないのに、こう飲め飲めと言われると、飲みすぎてしまいそうだ。
すぐに酔いが回り、まだ酒の残った杯をぼんやり眺めていると、アンリが俺の体に凭れてきた。
「どうした。人に飲ませておいて、自分はもう酔ったのか」
「……セイドリック殿、俺、やっぱりセイドリック殿が好きみたいです」
「……アンリ、酔ったのか? 寝てしまう前に帰れって、おい」
いつもの悪い冗談かと、のしかかる体を押し返そうとしたら、逆に手を掴まれてしまう。やはり力が強いな。
「……俺、酔ってません。いえ、酔ってるってことにしてしまってもいいです。俺、セイドリック殿を慰めたくて、ここに来たんです」
「は?」
何を言っているんだコイツは……?
「おい、伽の話はもう……」
「そうじゃありません! 俺がセイドリック殿を好きだという話をしているんです!」
怒ったアンリが俺の膝の上に、ずいっと乗り上がってくる。
「……何を言ってるんだ、お前、酔ってるだろう!?」
「酔ってませんよ!!」
「いいや、酔っている!!」
揉み合ううちにだんだんと顔の距離が近くなり、気がついたら鼻先が触れ合うほどに近くなっていた。
「……酔ってません」
「アン……!」
マズイ、と思った瞬間、アンリの唇が俺の唇に重なった。
「うっ! んんっ」
上から俺の肩を押さえつけ、まるで噛みつくかのように、吸い付き、唾液を流し込む。
そしてアンリの膝が俺の膝に割り込み、膝頭で股間を刺激し始めた。
「ん! ん!」
押しのけようにも体勢が悪い。
ここのところ真面目に鍛錬をしていただけあり、成果が出ている。自分より力の強い相手が抵抗できないよう、うまく俺を押さえ込んでいる。やるじゃないか。
と、感心している場合ではない!!
「わっ! いででででででででででで」
「お前な、いい加減にしろ」
強引な口づけを止めるため、俺はアンリの手を無理やり振りほどくと、上腕を握りつぶすかのごとく勢いで掴み、顔が離れると今度は頬を片手で思いっきり掴み上げた。
掴まれた方の腕は、しばらく痛みで上がらないだろう。それくらい本気でやった。
「しゅ、しゅみませぇん」
相当痛かったのか、アンリは涙目になっていた。まあ当然の報いだ。
「悪ふざけも大概にしろ」
「悪ふざけじゃないですよ! 俺は本気です」
俺が手を離すとアンリは掴まれた腕を痛そうに擦っていたが、その表情は至って真剣で、冗談で濁して終わり、とはいかなかった。
「……なんで俺じゃだめなんですか」
「俺にだって選ぶ権利はある」
「セイドリック殿、面食いですもんね」
「なんだ急に」
「だって、今日会った人! ……コウさんでしたっけ? すごく顔が良かったですよね。背も高くて、スラッとしていて。そういえば、隊長のお相手の方もオキレイな人でしたよね。……俺は見たことないですけど、他の者が店で見たって言ってました。華奢な美人だって。俺だって、隊の中じゃかわいいって言われてるんですよ!? そりゃ、たしかに体はゴツいです。でも仕方ないじゃないですか! 兵士なんですから! 俺だって……俺だって……」
まくしたてるアンリの眦に、痛みで浮かんだ涙とはまた違う涙が浮かぶ。
だがそれを拭ってやれるほど、俺は優しくない。
……ここで優しくしてしまったら、アンリをさらに勘違いさせてしまう。
「……アンリ。別に俺はお前の顔や体が気に入らない訳じゃない。お前が俺に惚れるのは勝手だが、俺にも惚れている相手がいる。だからお前を受け入れることができない。ただそれだけのことだ」
「相手に恋人がいても?」
そう問われるとさすがに返事はし辛い。
スーちゃんに失恋したときもそうだったが、ついさっきまでそれについて、一人悩み苦しんでいたからだ。
スーちゃんのときは、相手が相手だったし、コウさんとのことがあったからすぐに忘れることができたが、今度はすぐに諦めきれそうにない。
それにまだコウさんから、今日の女性が本当に恋人か、はっきり聞いていない。
失礼だが行きずりの女性、とも考えられる。
「……コウさんのことはすぐには忘れられない。それにあれが恋人かどうかはまだ分からん。しばらくは見守ろうとは思う」
「セイドリック殿、意外としつこいというか……諦めが悪いですね」
「そうなのか?」
「諦め、悪いです」
アンリは眉をハの字にして、はははっと笑った。まるで泣くのを堪えるように。
「俺も諦め悪いほうなんで! しばらくは好きでもいいですか」
「……」
さっきの話の流れがあるのに、嫌とは言えまい。
「好きにしろ」
「はは、よかった」
「ところでアンリ。お前の口づけ、はじめての奴とするにはエグいな」
「は」
「もっとやり方があるだろ。さすがにいきなりがっつかれるとな、俺も引くぞ」
「な、な、な、なんですか!? フッた挙げ句がそれですか!? 酷くないですか!?」
「誰に教えて貰ったんだ、あんな口づけ。手練のおっさんみたいだったぞ。……まさか隊長か!?」
「ち、違いますよ!! た、……隊長は、俺にはそんなことしてくれませんでしたから。あれは、ここに入ってから、俺を誘ってきた先輩ですよ。まだ経験なかった俺に、教えてやるって」
は? 俺の知らないところで、ここはそんなことがまかり通っているのか?
「……おい、誰だそいつは。そうやって、後輩食ってる奴がいるのか」
俺の言葉を聞いて、アンリは可哀想な人を見る目で俺を見た。
「……セイドリック殿。ここは血気盛んな若者が集っているんですよ。セイドリック殿くらいですよ、誰も引っ張り込んでないのは。あ、レイル殿もか。あの人女好きですもんね。とにかく、みんな仲間内で愉しんでますよ。とくに遠征後とか討伐後とか、溜まってる奴同士で声かけたりしてますよ。隣の神殿の若い神官を恋人に持つ奴もいるし。この前見習い神官をここに連れ込んで、問題になったこともあったじゃないですか」
「………だからといって、あたり構わず手を出すのはおかしいだろうが」
「何をいってるんですか。合意のもとですよ! じゃないとヤバイじゃないですか。俺たちみたいに体力仕事が基本のところで、男ばっかりが詰めている所はどこもこんな感じですよ」
体力仕事が基本のところは、こんな感じ……だと?
「おい、工事の現場とかもそうなのか?」
「? まあ、僻地に長く詰めてるところは、そうかもしれませんね。娼館も近くにないですし」
備品調査で現場に行った日、薄着で仲間らと仲良さげに肩を組み談笑するコウさんの後ろ姿が脳裏に蘇った。
僻地で休みはほぼ無い。
男ばかりの詰め所。
そして毎日の体力仕事……
もしかし恋人云々よりも、俺が心配すべきは、こちらのほうではないのか。
——ダメだ。
考えれば考えるほど気になってくる。これでは夜も眠れん。
コウさんに会いたい。
やはりちゃんと会って、直接話を聞くべきだ。
もし今日まだ現場に戻っていないなら、アパートにいるはずだろう。
「すまん、アンリ。俺はこれからちょっと出てくる。だからお前はもう戻れ」
急に立ち上がった俺に、アンリは目を丸くした。
「え、今からですか!? もうだいぶ遅いでけど、どちらに!? 酔ってるし、明日にしたほうが……」
「いや、もう酔いは冷めた。出かけてくる」
アンリを部屋から追い出すと、俺はなりふり構わず急いで寄宿舎を出た。
風呂から上がった俺は、濡れ髪のまま布団に寝転がり、濡れるのもかまわず枕に顔を押し付けた。
あれからアンリに連れられて詰め所に戻ったものの、夕食もとらぬまま部屋に戻った。
鍛錬もする気にならず、それでも気持ちをさっぱりさせようと風呂には入ったが、効果なく一人鬱々としていた。
「いつの間に相手ができたんだ」
忙しそうにしていたが、俺の知らないところで関係を築いていた、ということか。
そんな素振り、全くなかったじゃないか。
「ああっクソッ」
ボスッボスッと顔を埋めたまま、拳を枕に打ち込む。
だめだ。泣けてくる。
最後に見た二人の後ろ姿が目に浮かぶ。
あの後、コウさんのアパートに行ったのだろうな。
少し男臭い、狭く古いあの部屋に。
女が男の部屋に行くとは、そういうことだろう。
やり場のないこの思いを、どう決着つけるべきか。悶々とし、どう発散すべきか分からぬまま、枕に顔を押し付けた。
コンコンコン
部屋にノックの音が響く。
飯を食べに来ない俺を心配してライルが来たのかと、そう思い頭をあげ扉のほうを見た。
「……セイドリック殿? アンリです」
——扉をノックしたのは、アンリだった。
「……すまないが、今日はお前の話を聞く余裕はない」
自分でも驚くくらい低くかすれた声が出た。
「セイドリック殿、開けて下さい」
コンコンと何度もノックが繰り返し響く。
俺はしつこいアンリがうざったくて、布団をかぶり無視し続けたが、アンリのほうが輪をかけてしつこかった。
「ああっクソッ! しつこいぞ! 今日はダメだと言って……うぐっ」
コンコンと鳴り止まないノックに、苛立ちが募り、怒鳴り上げようと扉を開けた。だが大声を出す前に、扉のすぐ前にいたアンリにいきなり口を押さえられ、部屋に押し戻されてしまった。
「おいアンリ!」
俺はアンリの手を乱暴に振りほどいた。
だがアンリはそんなこと気にもとめず、扉を閉めると、ふふっと笑って持っていた袋を掲げて見せた。
「セイドリック殿! 今日は酒を持ってきました! 夜、何も食べていないですよね? つまみも少し、食堂から頂戴してきました」
「……今日はお前と飲めるような気分じゃない」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか。これちょっといい酒なんですよ」
机に酒やらつまみやらを広げはじめ、杯に注いだ酒を俺の前に突き出した。
「はい、セイドリック殿の分」
「……だからいらんと……! 怒るぞ」
「……レイル殿に聞きました。今日街で会った方が、セイドリック殿の好きな方だって。鍛錬場に行ったらセイドリック殿が来ないので、レイル殿に相手をしてもらったんです。今日の話をしたら、レイル殿がそんなようなことを言ってました。セイドリック殿の片思いだって」
……レイルの奴!! 俺のいない所でペラペラと……!!
「ああ、そんな怖い顔しないで下さい。酒がまずくなりますよ。こういうときはパーッと酒飲んで忘れちゃうのが一番です」
アンリはそう笑いながら酒の入った杯を俺の手に握らせた。
「美味しいですよ。俺の誕生日に仲間から貰ったやつです」
そう言うと杯に口をつけ、美味そうに飲んだ。
「……」
それを見て、俺もヤケクソになって、一気にあおった。
「……うまいな」
「でしょう!? ほら、まだあるので飲んで下さい」
アンリは俺を寝台に座らせると、酒を注ぎ、俺の横に座った。そして空になるたびに、俺の杯に酒を注ぐのを繰り返す。
——空っぽの胃に酒がしみる。たいして強くもないのに、こう飲め飲めと言われると、飲みすぎてしまいそうだ。
すぐに酔いが回り、まだ酒の残った杯をぼんやり眺めていると、アンリが俺の体に凭れてきた。
「どうした。人に飲ませておいて、自分はもう酔ったのか」
「……セイドリック殿、俺、やっぱりセイドリック殿が好きみたいです」
「……アンリ、酔ったのか? 寝てしまう前に帰れって、おい」
いつもの悪い冗談かと、のしかかる体を押し返そうとしたら、逆に手を掴まれてしまう。やはり力が強いな。
「……俺、酔ってません。いえ、酔ってるってことにしてしまってもいいです。俺、セイドリック殿を慰めたくて、ここに来たんです」
「は?」
何を言っているんだコイツは……?
「おい、伽の話はもう……」
「そうじゃありません! 俺がセイドリック殿を好きだという話をしているんです!」
怒ったアンリが俺の膝の上に、ずいっと乗り上がってくる。
「……何を言ってるんだ、お前、酔ってるだろう!?」
「酔ってませんよ!!」
「いいや、酔っている!!」
揉み合ううちにだんだんと顔の距離が近くなり、気がついたら鼻先が触れ合うほどに近くなっていた。
「……酔ってません」
「アン……!」
マズイ、と思った瞬間、アンリの唇が俺の唇に重なった。
「うっ! んんっ」
上から俺の肩を押さえつけ、まるで噛みつくかのように、吸い付き、唾液を流し込む。
そしてアンリの膝が俺の膝に割り込み、膝頭で股間を刺激し始めた。
「ん! ん!」
押しのけようにも体勢が悪い。
ここのところ真面目に鍛錬をしていただけあり、成果が出ている。自分より力の強い相手が抵抗できないよう、うまく俺を押さえ込んでいる。やるじゃないか。
と、感心している場合ではない!!
「わっ! いででででででででででで」
「お前な、いい加減にしろ」
強引な口づけを止めるため、俺はアンリの手を無理やり振りほどくと、上腕を握りつぶすかのごとく勢いで掴み、顔が離れると今度は頬を片手で思いっきり掴み上げた。
掴まれた方の腕は、しばらく痛みで上がらないだろう。それくらい本気でやった。
「しゅ、しゅみませぇん」
相当痛かったのか、アンリは涙目になっていた。まあ当然の報いだ。
「悪ふざけも大概にしろ」
「悪ふざけじゃないですよ! 俺は本気です」
俺が手を離すとアンリは掴まれた腕を痛そうに擦っていたが、その表情は至って真剣で、冗談で濁して終わり、とはいかなかった。
「……なんで俺じゃだめなんですか」
「俺にだって選ぶ権利はある」
「セイドリック殿、面食いですもんね」
「なんだ急に」
「だって、今日会った人! ……コウさんでしたっけ? すごく顔が良かったですよね。背も高くて、スラッとしていて。そういえば、隊長のお相手の方もオキレイな人でしたよね。……俺は見たことないですけど、他の者が店で見たって言ってました。華奢な美人だって。俺だって、隊の中じゃかわいいって言われてるんですよ!? そりゃ、たしかに体はゴツいです。でも仕方ないじゃないですか! 兵士なんですから! 俺だって……俺だって……」
まくしたてるアンリの眦に、痛みで浮かんだ涙とはまた違う涙が浮かぶ。
だがそれを拭ってやれるほど、俺は優しくない。
……ここで優しくしてしまったら、アンリをさらに勘違いさせてしまう。
「……アンリ。別に俺はお前の顔や体が気に入らない訳じゃない。お前が俺に惚れるのは勝手だが、俺にも惚れている相手がいる。だからお前を受け入れることができない。ただそれだけのことだ」
「相手に恋人がいても?」
そう問われるとさすがに返事はし辛い。
スーちゃんに失恋したときもそうだったが、ついさっきまでそれについて、一人悩み苦しんでいたからだ。
スーちゃんのときは、相手が相手だったし、コウさんとのことがあったからすぐに忘れることができたが、今度はすぐに諦めきれそうにない。
それにまだコウさんから、今日の女性が本当に恋人か、はっきり聞いていない。
失礼だが行きずりの女性、とも考えられる。
「……コウさんのことはすぐには忘れられない。それにあれが恋人かどうかはまだ分からん。しばらくは見守ろうとは思う」
「セイドリック殿、意外としつこいというか……諦めが悪いですね」
「そうなのか?」
「諦め、悪いです」
アンリは眉をハの字にして、はははっと笑った。まるで泣くのを堪えるように。
「俺も諦め悪いほうなんで! しばらくは好きでもいいですか」
「……」
さっきの話の流れがあるのに、嫌とは言えまい。
「好きにしろ」
「はは、よかった」
「ところでアンリ。お前の口づけ、はじめての奴とするにはエグいな」
「は」
「もっとやり方があるだろ。さすがにいきなりがっつかれるとな、俺も引くぞ」
「な、な、な、なんですか!? フッた挙げ句がそれですか!? 酷くないですか!?」
「誰に教えて貰ったんだ、あんな口づけ。手練のおっさんみたいだったぞ。……まさか隊長か!?」
「ち、違いますよ!! た、……隊長は、俺にはそんなことしてくれませんでしたから。あれは、ここに入ってから、俺を誘ってきた先輩ですよ。まだ経験なかった俺に、教えてやるって」
は? 俺の知らないところで、ここはそんなことがまかり通っているのか?
「……おい、誰だそいつは。そうやって、後輩食ってる奴がいるのか」
俺の言葉を聞いて、アンリは可哀想な人を見る目で俺を見た。
「……セイドリック殿。ここは血気盛んな若者が集っているんですよ。セイドリック殿くらいですよ、誰も引っ張り込んでないのは。あ、レイル殿もか。あの人女好きですもんね。とにかく、みんな仲間内で愉しんでますよ。とくに遠征後とか討伐後とか、溜まってる奴同士で声かけたりしてますよ。隣の神殿の若い神官を恋人に持つ奴もいるし。この前見習い神官をここに連れ込んで、問題になったこともあったじゃないですか」
「………だからといって、あたり構わず手を出すのはおかしいだろうが」
「何をいってるんですか。合意のもとですよ! じゃないとヤバイじゃないですか。俺たちみたいに体力仕事が基本のところで、男ばっかりが詰めている所はどこもこんな感じですよ」
体力仕事が基本のところは、こんな感じ……だと?
「おい、工事の現場とかもそうなのか?」
「? まあ、僻地に長く詰めてるところは、そうかもしれませんね。娼館も近くにないですし」
備品調査で現場に行った日、薄着で仲間らと仲良さげに肩を組み談笑するコウさんの後ろ姿が脳裏に蘇った。
僻地で休みはほぼ無い。
男ばかりの詰め所。
そして毎日の体力仕事……
もしかし恋人云々よりも、俺が心配すべきは、こちらのほうではないのか。
——ダメだ。
考えれば考えるほど気になってくる。これでは夜も眠れん。
コウさんに会いたい。
やはりちゃんと会って、直接話を聞くべきだ。
もし今日まだ現場に戻っていないなら、アパートにいるはずだろう。
「すまん、アンリ。俺はこれからちょっと出てくる。だからお前はもう戻れ」
急に立ち上がった俺に、アンリは目を丸くした。
「え、今からですか!? もうだいぶ遅いでけど、どちらに!? 酔ってるし、明日にしたほうが……」
「いや、もう酔いは冷めた。出かけてくる」
アンリを部屋から追い出すと、俺はなりふり構わず急いで寄宿舎を出た。
0
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説
幼なじみは(元)美少女(現)ゴリラ
田中 乃那加
BL
―――華奢で可憐だった幼馴染。
10年後……再会したら、ゴリラでした。
高校生の岸辺 陸斗(きしべ りくと)は、10年振りに従兄弟の五里合 吾郎(ごりあい ごろう)と再会する。
女の子と間違える程に、可愛くて可憐。
それが2m近い、マッチョに変貌!?
幼き頃の約束『結婚』を盾に迫ってくる!
ゴリラが!
ゴリラが!
ゴリラが!
……美形ゴリラが!!!
好き好きアピールの爽やかゴリラ系後輩(従兄弟)
×
ツンデレ。ノンケ。マッチョ嫌いの先輩(従兄弟)
の情報量大渋滞、SAN値削られ必死なラブコメディ(?)
欲にまみれた楽しい冒険者生活
小狸日
BL
大量の魔獣によって国が襲われていた。
最後の手段として行った召喚の儀式。
儀式に巻き込まれ、別世界に迷い込んだ拓。
剣と魔法の世界で、魔法が使える様になった拓は冒険者となり、
鍛えられた体、体、身体の逞しい漢達の中で欲望まみれて生きていく。
マッチョ、ガチムチな男の絡みが多く出て来る予定です。
苦手な方はご注意ください。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
【完結】この手なんの手、気になる手!
鏑木 うりこ
BL
ごく普通に暮らしていた史郎はある夜トラックに引かれて死んでしまう。目を覚ました先には自分は女神だという美少女が立っていた。
「君の残された家族たちをちょっとだけ幸せにするから、私の世界を救う手伝いをしてほしいの!」
頷いたはいいが、この女神はどうも仕事熱心ではなさそうで……。
動物に異様に好かれる人間っているじゃん?それ、俺な?
え?仲が悪い国を何とかしてくれ?俺が何とか出来るもんなのー?
怒涛の不幸からの溺愛ルート。途中から分岐が入る予定です。
溺愛が正規ルートで、IFルートに救いはないです。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~
るなかふぇ
BL
海底皇国の皇太子・玻璃(はり)は、ある嵐の夜、海に落ちた陸の帝国第三王子・ユーリを救う。いきなりキスされ、それ以上もされそうになって慌てふためくユーリ。玻璃はなんと、伝説と思われていた人魚だった……!?
数日後、人の姿に変貌した玻璃がユーリを訪ねてきて……。
ガチムチ人魚皇子攻め、凡人・人間王子受け。
童話「人魚姫」の姫が屈強ガチムチ人魚皇子だったら……? ってな感じのお話ですが、似ているのは冒頭だけだと思われます。
コメディ部分多めですが、一応シリアスストーリー。お楽しみいただけましたら幸いです。
※R18シーンには、サブタイトルに(※)、R15残酷シーンには(※※)をつけていきます。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる