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セイドリックのモテ期5
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「クソッ」
風呂から上がった俺は、濡れ髪のまま布団に寝転がり、濡れるのもかまわず枕に顔を押し付けた。
あれからアンリに連れられて詰め所に戻ったものの、夕食もとらぬまま部屋に戻った。
鍛錬もする気にならず、それでも気持ちをさっぱりさせようと風呂には入ったが、効果なく一人鬱々としていた。
「いつの間に相手ができたんだ」
忙しそうにしていたが、俺の知らないところで関係を築いていた、ということか。
そんな素振り、全くなかったじゃないか。
「ああっクソッ」
ボスッボスッと顔を埋めたまま、拳を枕に打ち込む。
だめだ。泣けてくる。
最後に見た二人の後ろ姿が目に浮かぶ。
あの後、コウさんのアパートに行ったのだろうな。
少し男臭い、狭く古いあの部屋に。
女が男の部屋に行くとは、そういうことだろう。
やり場のないこの思いを、どう決着つけるべきか。悶々とし、どう発散すべきか分からぬまま、枕に顔を押し付けた。
コンコンコン
部屋にノックの音が響く。
飯を食べに来ない俺を心配してライルが来たのかと、そう思い頭をあげ扉のほうを見た。
「……セイドリック殿? アンリです」
——扉をノックしたのは、アンリだった。
「……すまないが、今日はお前の話を聞く余裕はない」
自分でも驚くくらい低くかすれた声が出た。
「セイドリック殿、開けて下さい」
コンコンと何度もノックが繰り返し響く。
俺はしつこいアンリがうざったくて、布団をかぶり無視し続けたが、アンリのほうが輪をかけてしつこかった。
「ああっクソッ! しつこいぞ! 今日はダメだと言って……うぐっ」
コンコンと鳴り止まないノックに、苛立ちが募り、怒鳴り上げようと扉を開けた。だが大声を出す前に、扉のすぐ前にいたアンリにいきなり口を押さえられ、部屋に押し戻されてしまった。
「おいアンリ!」
俺はアンリの手を乱暴に振りほどいた。
だがアンリはそんなこと気にもとめず、扉を閉めると、ふふっと笑って持っていた袋を掲げて見せた。
「セイドリック殿! 今日は酒を持ってきました! 夜、何も食べていないですよね? つまみも少し、食堂から頂戴してきました」
「……今日はお前と飲めるような気分じゃない」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか。これちょっといい酒なんですよ」
机に酒やらつまみやらを広げはじめ、杯に注いだ酒を俺の前に突き出した。
「はい、セイドリック殿の分」
「……だからいらんと……! 怒るぞ」
「……レイル殿に聞きました。今日街で会った方が、セイドリック殿の好きな方だって。鍛錬場に行ったらセイドリック殿が来ないので、レイル殿に相手をしてもらったんです。今日の話をしたら、レイル殿がそんなようなことを言ってました。セイドリック殿の片思いだって」
……レイルの奴!! 俺のいない所でペラペラと……!!
「ああ、そんな怖い顔しないで下さい。酒がまずくなりますよ。こういうときはパーッと酒飲んで忘れちゃうのが一番です」
アンリはそう笑いながら酒の入った杯を俺の手に握らせた。
「美味しいですよ。俺の誕生日に仲間から貰ったやつです」
そう言うと杯に口をつけ、美味そうに飲んだ。
「……」
それを見て、俺もヤケクソになって、一気にあおった。
「……うまいな」
「でしょう!? ほら、まだあるので飲んで下さい」
アンリは俺を寝台に座らせると、酒を注ぎ、俺の横に座った。そして空になるたびに、俺の杯に酒を注ぐのを繰り返す。
——空っぽの胃に酒がしみる。たいして強くもないのに、こう飲め飲めと言われると、飲みすぎてしまいそうだ。
すぐに酔いが回り、まだ酒の残った杯をぼんやり眺めていると、アンリが俺の体に凭れてきた。
「どうした。人に飲ませておいて、自分はもう酔ったのか」
「……セイドリック殿、俺、やっぱりセイドリック殿が好きみたいです」
「……アンリ、酔ったのか? 寝てしまう前に帰れって、おい」
いつもの悪い冗談かと、のしかかる体を押し返そうとしたら、逆に手を掴まれてしまう。やはり力が強いな。
「……俺、酔ってません。いえ、酔ってるってことにしてしまってもいいです。俺、セイドリック殿を慰めたくて、ここに来たんです」
「は?」
何を言っているんだコイツは……?
「おい、伽の話はもう……」
「そうじゃありません! 俺がセイドリック殿を好きだという話をしているんです!」
怒ったアンリが俺の膝の上に、ずいっと乗り上がってくる。
「……何を言ってるんだ、お前、酔ってるだろう!?」
「酔ってませんよ!!」
「いいや、酔っている!!」
揉み合ううちにだんだんと顔の距離が近くなり、気がついたら鼻先が触れ合うほどに近くなっていた。
「……酔ってません」
「アン……!」
マズイ、と思った瞬間、アンリの唇が俺の唇に重なった。
「うっ! んんっ」
上から俺の肩を押さえつけ、まるで噛みつくかのように、吸い付き、唾液を流し込む。
そしてアンリの膝が俺の膝に割り込み、膝頭で股間を刺激し始めた。
「ん! ん!」
押しのけようにも体勢が悪い。
ここのところ真面目に鍛錬をしていただけあり、成果が出ている。自分より力の強い相手が抵抗できないよう、うまく俺を押さえ込んでいる。やるじゃないか。
と、感心している場合ではない!!
「わっ! いででででででででででで」
「お前な、いい加減にしろ」
強引な口づけを止めるため、俺はアンリの手を無理やり振りほどくと、上腕を握りつぶすかのごとく勢いで掴み、顔が離れると今度は頬を片手で思いっきり掴み上げた。
掴まれた方の腕は、しばらく痛みで上がらないだろう。それくらい本気でやった。
「しゅ、しゅみませぇん」
相当痛かったのか、アンリは涙目になっていた。まあ当然の報いだ。
「悪ふざけも大概にしろ」
「悪ふざけじゃないですよ! 俺は本気です」
俺が手を離すとアンリは掴まれた腕を痛そうに擦っていたが、その表情は至って真剣で、冗談で濁して終わり、とはいかなかった。
「……なんで俺じゃだめなんですか」
「俺にだって選ぶ権利はある」
「セイドリック殿、面食いですもんね」
「なんだ急に」
「だって、今日会った人! ……コウさんでしたっけ? すごく顔が良かったですよね。背も高くて、スラッとしていて。そういえば、隊長のお相手の方もオキレイな人でしたよね。……俺は見たことないですけど、他の者が店で見たって言ってました。華奢な美人だって。俺だって、隊の中じゃかわいいって言われてるんですよ!? そりゃ、たしかに体はゴツいです。でも仕方ないじゃないですか! 兵士なんですから! 俺だって……俺だって……」
まくしたてるアンリの眦に、痛みで浮かんだ涙とはまた違う涙が浮かぶ。
だがそれを拭ってやれるほど、俺は優しくない。
……ここで優しくしてしまったら、アンリをさらに勘違いさせてしまう。
「……アンリ。別に俺はお前の顔や体が気に入らない訳じゃない。お前が俺に惚れるのは勝手だが、俺にも惚れている相手がいる。だからお前を受け入れることができない。ただそれだけのことだ」
「相手に恋人がいても?」
そう問われるとさすがに返事はし辛い。
スーちゃんに失恋したときもそうだったが、ついさっきまでそれについて、一人悩み苦しんでいたからだ。
スーちゃんのときは、相手が相手だったし、コウさんとのことがあったからすぐに忘れることができたが、今度はすぐに諦めきれそうにない。
それにまだコウさんから、今日の女性が本当に恋人か、はっきり聞いていない。
失礼だが行きずりの女性、とも考えられる。
「……コウさんのことはすぐには忘れられない。それにあれが恋人かどうかはまだ分からん。しばらくは見守ろうとは思う」
「セイドリック殿、意外としつこいというか……諦めが悪いですね」
「そうなのか?」
「諦め、悪いです」
アンリは眉をハの字にして、はははっと笑った。まるで泣くのを堪えるように。
「俺も諦め悪いほうなんで! しばらくは好きでもいいですか」
「……」
さっきの話の流れがあるのに、嫌とは言えまい。
「好きにしろ」
「はは、よかった」
「ところでアンリ。お前の口づけ、はじめての奴とするにはエグいな」
「は」
「もっとやり方があるだろ。さすがにいきなりがっつかれるとな、俺も引くぞ」
「な、な、な、なんですか!? フッた挙げ句がそれですか!? 酷くないですか!?」
「誰に教えて貰ったんだ、あんな口づけ。手練のおっさんみたいだったぞ。……まさか隊長か!?」
「ち、違いますよ!! た、……隊長は、俺にはそんなことしてくれませんでしたから。あれは、ここに入ってから、俺を誘ってきた先輩ですよ。まだ経験なかった俺に、教えてやるって」
は? 俺の知らないところで、ここはそんなことがまかり通っているのか?
「……おい、誰だそいつは。そうやって、後輩食ってる奴がいるのか」
俺の言葉を聞いて、アンリは可哀想な人を見る目で俺を見た。
「……セイドリック殿。ここは血気盛んな若者が集っているんですよ。セイドリック殿くらいですよ、誰も引っ張り込んでないのは。あ、レイル殿もか。あの人女好きですもんね。とにかく、みんな仲間内で愉しんでますよ。とくに遠征後とか討伐後とか、溜まってる奴同士で声かけたりしてますよ。隣の神殿の若い神官を恋人に持つ奴もいるし。この前見習い神官をここに連れ込んで、問題になったこともあったじゃないですか」
「………だからといって、あたり構わず手を出すのはおかしいだろうが」
「何をいってるんですか。合意のもとですよ! じゃないとヤバイじゃないですか。俺たちみたいに体力仕事が基本のところで、男ばっかりが詰めている所はどこもこんな感じですよ」
体力仕事が基本のところは、こんな感じ……だと?
「おい、工事の現場とかもそうなのか?」
「? まあ、僻地に長く詰めてるところは、そうかもしれませんね。娼館も近くにないですし」
備品調査で現場に行った日、薄着で仲間らと仲良さげに肩を組み談笑するコウさんの後ろ姿が脳裏に蘇った。
僻地で休みはほぼ無い。
男ばかりの詰め所。
そして毎日の体力仕事……
もしかし恋人云々よりも、俺が心配すべきは、こちらのほうではないのか。
——ダメだ。
考えれば考えるほど気になってくる。これでは夜も眠れん。
コウさんに会いたい。
やはりちゃんと会って、直接話を聞くべきだ。
もし今日まだ現場に戻っていないなら、アパートにいるはずだろう。
「すまん、アンリ。俺はこれからちょっと出てくる。だからお前はもう戻れ」
急に立ち上がった俺に、アンリは目を丸くした。
「え、今からですか!? もうだいぶ遅いでけど、どちらに!? 酔ってるし、明日にしたほうが……」
「いや、もう酔いは冷めた。出かけてくる」
アンリを部屋から追い出すと、俺はなりふり構わず急いで寄宿舎を出た。
風呂から上がった俺は、濡れ髪のまま布団に寝転がり、濡れるのもかまわず枕に顔を押し付けた。
あれからアンリに連れられて詰め所に戻ったものの、夕食もとらぬまま部屋に戻った。
鍛錬もする気にならず、それでも気持ちをさっぱりさせようと風呂には入ったが、効果なく一人鬱々としていた。
「いつの間に相手ができたんだ」
忙しそうにしていたが、俺の知らないところで関係を築いていた、ということか。
そんな素振り、全くなかったじゃないか。
「ああっクソッ」
ボスッボスッと顔を埋めたまま、拳を枕に打ち込む。
だめだ。泣けてくる。
最後に見た二人の後ろ姿が目に浮かぶ。
あの後、コウさんのアパートに行ったのだろうな。
少し男臭い、狭く古いあの部屋に。
女が男の部屋に行くとは、そういうことだろう。
やり場のないこの思いを、どう決着つけるべきか。悶々とし、どう発散すべきか分からぬまま、枕に顔を押し付けた。
コンコンコン
部屋にノックの音が響く。
飯を食べに来ない俺を心配してライルが来たのかと、そう思い頭をあげ扉のほうを見た。
「……セイドリック殿? アンリです」
——扉をノックしたのは、アンリだった。
「……すまないが、今日はお前の話を聞く余裕はない」
自分でも驚くくらい低くかすれた声が出た。
「セイドリック殿、開けて下さい」
コンコンと何度もノックが繰り返し響く。
俺はしつこいアンリがうざったくて、布団をかぶり無視し続けたが、アンリのほうが輪をかけてしつこかった。
「ああっクソッ! しつこいぞ! 今日はダメだと言って……うぐっ」
コンコンと鳴り止まないノックに、苛立ちが募り、怒鳴り上げようと扉を開けた。だが大声を出す前に、扉のすぐ前にいたアンリにいきなり口を押さえられ、部屋に押し戻されてしまった。
「おいアンリ!」
俺はアンリの手を乱暴に振りほどいた。
だがアンリはそんなこと気にもとめず、扉を閉めると、ふふっと笑って持っていた袋を掲げて見せた。
「セイドリック殿! 今日は酒を持ってきました! 夜、何も食べていないですよね? つまみも少し、食堂から頂戴してきました」
「……今日はお前と飲めるような気分じゃない」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか。これちょっといい酒なんですよ」
机に酒やらつまみやらを広げはじめ、杯に注いだ酒を俺の前に突き出した。
「はい、セイドリック殿の分」
「……だからいらんと……! 怒るぞ」
「……レイル殿に聞きました。今日街で会った方が、セイドリック殿の好きな方だって。鍛錬場に行ったらセイドリック殿が来ないので、レイル殿に相手をしてもらったんです。今日の話をしたら、レイル殿がそんなようなことを言ってました。セイドリック殿の片思いだって」
……レイルの奴!! 俺のいない所でペラペラと……!!
「ああ、そんな怖い顔しないで下さい。酒がまずくなりますよ。こういうときはパーッと酒飲んで忘れちゃうのが一番です」
アンリはそう笑いながら酒の入った杯を俺の手に握らせた。
「美味しいですよ。俺の誕生日に仲間から貰ったやつです」
そう言うと杯に口をつけ、美味そうに飲んだ。
「……」
それを見て、俺もヤケクソになって、一気にあおった。
「……うまいな」
「でしょう!? ほら、まだあるので飲んで下さい」
アンリは俺を寝台に座らせると、酒を注ぎ、俺の横に座った。そして空になるたびに、俺の杯に酒を注ぐのを繰り返す。
——空っぽの胃に酒がしみる。たいして強くもないのに、こう飲め飲めと言われると、飲みすぎてしまいそうだ。
すぐに酔いが回り、まだ酒の残った杯をぼんやり眺めていると、アンリが俺の体に凭れてきた。
「どうした。人に飲ませておいて、自分はもう酔ったのか」
「……セイドリック殿、俺、やっぱりセイドリック殿が好きみたいです」
「……アンリ、酔ったのか? 寝てしまう前に帰れって、おい」
いつもの悪い冗談かと、のしかかる体を押し返そうとしたら、逆に手を掴まれてしまう。やはり力が強いな。
「……俺、酔ってません。いえ、酔ってるってことにしてしまってもいいです。俺、セイドリック殿を慰めたくて、ここに来たんです」
「は?」
何を言っているんだコイツは……?
「おい、伽の話はもう……」
「そうじゃありません! 俺がセイドリック殿を好きだという話をしているんです!」
怒ったアンリが俺の膝の上に、ずいっと乗り上がってくる。
「……何を言ってるんだ、お前、酔ってるだろう!?」
「酔ってませんよ!!」
「いいや、酔っている!!」
揉み合ううちにだんだんと顔の距離が近くなり、気がついたら鼻先が触れ合うほどに近くなっていた。
「……酔ってません」
「アン……!」
マズイ、と思った瞬間、アンリの唇が俺の唇に重なった。
「うっ! んんっ」
上から俺の肩を押さえつけ、まるで噛みつくかのように、吸い付き、唾液を流し込む。
そしてアンリの膝が俺の膝に割り込み、膝頭で股間を刺激し始めた。
「ん! ん!」
押しのけようにも体勢が悪い。
ここのところ真面目に鍛錬をしていただけあり、成果が出ている。自分より力の強い相手が抵抗できないよう、うまく俺を押さえ込んでいる。やるじゃないか。
と、感心している場合ではない!!
「わっ! いででででででででででで」
「お前な、いい加減にしろ」
強引な口づけを止めるため、俺はアンリの手を無理やり振りほどくと、上腕を握りつぶすかのごとく勢いで掴み、顔が離れると今度は頬を片手で思いっきり掴み上げた。
掴まれた方の腕は、しばらく痛みで上がらないだろう。それくらい本気でやった。
「しゅ、しゅみませぇん」
相当痛かったのか、アンリは涙目になっていた。まあ当然の報いだ。
「悪ふざけも大概にしろ」
「悪ふざけじゃないですよ! 俺は本気です」
俺が手を離すとアンリは掴まれた腕を痛そうに擦っていたが、その表情は至って真剣で、冗談で濁して終わり、とはいかなかった。
「……なんで俺じゃだめなんですか」
「俺にだって選ぶ権利はある」
「セイドリック殿、面食いですもんね」
「なんだ急に」
「だって、今日会った人! ……コウさんでしたっけ? すごく顔が良かったですよね。背も高くて、スラッとしていて。そういえば、隊長のお相手の方もオキレイな人でしたよね。……俺は見たことないですけど、他の者が店で見たって言ってました。華奢な美人だって。俺だって、隊の中じゃかわいいって言われてるんですよ!? そりゃ、たしかに体はゴツいです。でも仕方ないじゃないですか! 兵士なんですから! 俺だって……俺だって……」
まくしたてるアンリの眦に、痛みで浮かんだ涙とはまた違う涙が浮かぶ。
だがそれを拭ってやれるほど、俺は優しくない。
……ここで優しくしてしまったら、アンリをさらに勘違いさせてしまう。
「……アンリ。別に俺はお前の顔や体が気に入らない訳じゃない。お前が俺に惚れるのは勝手だが、俺にも惚れている相手がいる。だからお前を受け入れることができない。ただそれだけのことだ」
「相手に恋人がいても?」
そう問われるとさすがに返事はし辛い。
スーちゃんに失恋したときもそうだったが、ついさっきまでそれについて、一人悩み苦しんでいたからだ。
スーちゃんのときは、相手が相手だったし、コウさんとのことがあったからすぐに忘れることができたが、今度はすぐに諦めきれそうにない。
それにまだコウさんから、今日の女性が本当に恋人か、はっきり聞いていない。
失礼だが行きずりの女性、とも考えられる。
「……コウさんのことはすぐには忘れられない。それにあれが恋人かどうかはまだ分からん。しばらくは見守ろうとは思う」
「セイドリック殿、意外としつこいというか……諦めが悪いですね」
「そうなのか?」
「諦め、悪いです」
アンリは眉をハの字にして、はははっと笑った。まるで泣くのを堪えるように。
「俺も諦め悪いほうなんで! しばらくは好きでもいいですか」
「……」
さっきの話の流れがあるのに、嫌とは言えまい。
「好きにしろ」
「はは、よかった」
「ところでアンリ。お前の口づけ、はじめての奴とするにはエグいな」
「は」
「もっとやり方があるだろ。さすがにいきなりがっつかれるとな、俺も引くぞ」
「な、な、な、なんですか!? フッた挙げ句がそれですか!? 酷くないですか!?」
「誰に教えて貰ったんだ、あんな口づけ。手練のおっさんみたいだったぞ。……まさか隊長か!?」
「ち、違いますよ!! た、……隊長は、俺にはそんなことしてくれませんでしたから。あれは、ここに入ってから、俺を誘ってきた先輩ですよ。まだ経験なかった俺に、教えてやるって」
は? 俺の知らないところで、ここはそんなことがまかり通っているのか?
「……おい、誰だそいつは。そうやって、後輩食ってる奴がいるのか」
俺の言葉を聞いて、アンリは可哀想な人を見る目で俺を見た。
「……セイドリック殿。ここは血気盛んな若者が集っているんですよ。セイドリック殿くらいですよ、誰も引っ張り込んでないのは。あ、レイル殿もか。あの人女好きですもんね。とにかく、みんな仲間内で愉しんでますよ。とくに遠征後とか討伐後とか、溜まってる奴同士で声かけたりしてますよ。隣の神殿の若い神官を恋人に持つ奴もいるし。この前見習い神官をここに連れ込んで、問題になったこともあったじゃないですか」
「………だからといって、あたり構わず手を出すのはおかしいだろうが」
「何をいってるんですか。合意のもとですよ! じゃないとヤバイじゃないですか。俺たちみたいに体力仕事が基本のところで、男ばっかりが詰めている所はどこもこんな感じですよ」
体力仕事が基本のところは、こんな感じ……だと?
「おい、工事の現場とかもそうなのか?」
「? まあ、僻地に長く詰めてるところは、そうかもしれませんね。娼館も近くにないですし」
備品調査で現場に行った日、薄着で仲間らと仲良さげに肩を組み談笑するコウさんの後ろ姿が脳裏に蘇った。
僻地で休みはほぼ無い。
男ばかりの詰め所。
そして毎日の体力仕事……
もしかし恋人云々よりも、俺が心配すべきは、こちらのほうではないのか。
——ダメだ。
考えれば考えるほど気になってくる。これでは夜も眠れん。
コウさんに会いたい。
やはりちゃんと会って、直接話を聞くべきだ。
もし今日まだ現場に戻っていないなら、アパートにいるはずだろう。
「すまん、アンリ。俺はこれからちょっと出てくる。だからお前はもう戻れ」
急に立ち上がった俺に、アンリは目を丸くした。
「え、今からですか!? もうだいぶ遅いでけど、どちらに!? 酔ってるし、明日にしたほうが……」
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