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セイドリックのモテ期3
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あの日から俺はまた、あの定食屋へ行けない日々が続いた。
コウさんにあんな態度をしてしまって、どうすればいいのか分からないのだ。
レイルは「コウさん、別に気にもしてないだろ」と言うのだが、俺が彼を無視したのは事実だ。
とはいえ、コウさんも忙しい。コウさんも定食屋には行けていない可能性も高いので、レイルの言う通り、俺が避けているとは思ってないかもしれない。
でもなあ。もしコウさんに会ってしまったら、どんな顔をすればいいのか。俺には分からん。
そして、俺には今、もう一つ悩んでいることがある。
それは、例の同じ隊のアンリのことだ。
実はあの告白の日から、定期的にアンリから奇襲をかけられ、俺は辟易していた。
コンコンコン
「セイドリック殿、いらっしゃいますよね? 俺です。アンリです。開けてください」
部屋に響くノックの音に、俺はまたかと寝台のふちに腰をかけたまま、頭を抱えた。
ちょうど俺は今、風呂から上がり、一息ついたところだ。——そう、彼はいつもこの時間を狙って部屋にくる。
「……アンリ殿。いつも断っていると思うが、なぜ来るんだ」
渋々扉を開け、アンリに小声で注意をするが、アンリはニコニコと全く聞いていない。
扉を開けなければいいじゃないかと思うかもしれないが、ここで開けないとアンリはしつこく俺を呼ぶのだ。
廊下での話し声は意外と他の部屋にも筒抜けで、なるべくなら他の者には聞かれたくない。
「さっき風呂から出るのを見ました! だから俺も急いで風呂にいってきたんですよ。湯冷めしそうなので、部屋に入れてください」
「声がデカい……あのな……、なら自室に戻れ」
「嫌です。今日こそ、お部屋に入れてください!」
俺は大きくため息をついた。
「セイドリック殿、みんなが見てますよ!」
ハッと気が付き、廊下を見回すと、たまたま通りかかったのか、数人の者が俺たちのやりとりを聞いたのかこちらを見ている。
くそっ!
「……分かった。入れ。期待はするな」
「はい!」
やられたとばかりに眉間に手をやる俺のことなど意にも介さず、アンリはしめしめとばかりに、部屋に上機嫌で入った。
「俺の部屋は誰かを呼ぶようにはできていない。散らかっているし、座るところもないぞ」
「ああ、別にいいですよ! 寝台が空いていれば!」
そうニコニコ顔で、俺の寝台に腰をかけた。
「へえー、セイドリック殿の部屋は、思っていたよりも整理されていますね。意外と几帳面!」
寝台に座ったまま、部屋を見回し、アンリは感心したように言った。
どうせ熊のような俺は、部屋も散らかり放題で、掃除もろくにしていないと思っていたんだろう。俺は意外でもなんでもなく、几帳面だから事務仕事を任されているんだ。
「隊長の部屋は、書類が山積みになっていて、結構散らかってるんですよね。脱いだ服も椅子に積まれていたりして、やっぱりいいところの家の人は、こういうこと自分ではやらないんだなあっていつも思ってたんですよ」
(へえ)
隊長の方こそ意外だな。あの方は、整理整頓をきっちりやっているイメージだったが。
「だからセイドリック殿もそうかなって思っていたんですけど。意外でした」
彼はそうにっこり笑った。
「さ、セイドリック殿、立っていないでこちらへ来てくださいよ」
「……ここにお前を入れたのは、人に聞かれたくないからだ。何度も言っているとおり、俺に伽は必要ない。隊長の代わりもできん」
「…………」
「……それにお前は、まだ隊長に未練があるのではないのか」
俺は恋愛には鈍感だ。そんな俺が言うのも何だが、さっきからのアンリの言動を見る限り、隊長に未練を残しているようにしか見えない。
「隊長のことが、本当に好きだったのではないのか」
そう尋ねると、アンリは黙ったまま俺の顔を上目遣いで見上げた。そして、俯くとははっと軽く小さく笑った。
「隊長のこと……はは、そうですね。あんなに格好いい人いませんよ。知ってます? 隊長のアレ、すっごく大きいんですよ。俺、最初口にも入らなくて。……隊長、ぶっきらぼうだけど、優しくて、無理はするなっていつも……」
「…………」
「旅から帰ってきてから変わっちゃったんです。隊長。俺だけじゃなく、他の者も部屋に入れなくなって。俺、隊長に気に入られている自信、あったんだけどなあ」
「……隊長は以前から特別な者は作らないと宣言していた。だからアンリ殿を特別可愛がっていたとは思えん」
だが、隊長はあの旅で、スーちゃんという大事な者を見つけてしまった。アンリはスーちゃんのような"特別"にはなれなかったのだ。
俺の言葉にアンリの眉がつり上がる。
「……うるっさいな!! 分かってますよ! そんなの」
さっきまでの猫かぶりはどこへやら、怒ったようにいきなり枕を投げつけてきた。さすが鍛えているだけあり、結構な勢いで俺の胸にバシンっと力強く当たり、跳ね返って落ちた。
「……ひどいよ。いきなり恋人作っちゃうなんてさ。でも俺、それでもいいって隊長に言ったんだ。だけど相手にもされなかった。妾でも愛人でもなんで良かったんだけどなあ」
「……アンリ殿は、そこまでして隊長と共にいたかったのか」
アンリは乾いた笑いを浮かべた。
「あー……俺、本当は兵士なんて向いてないんですよね。没落貴族だし、でもお金も欲しいし、できることといえば体を張ることだけで。神兵の試験に合格したけど、やっぱり討伐とか戦とか怖い。体も皆よりも小さいし。だから結婚でもなんでもいいから、ここから出たかった。本当は誰でも良かったんです。名家名門の貴族の人なら」
そう言うと、薄ら笑みを浮かべ立ち上がり、俺に抱きついてきた。
アンリはそこまで背は低くないが、俺に比べると小さい。胸の辺りにしがみつくと、肩に顔をもたれかけさせ上目遣いで俺を見上げた。
「だから、セイドリック殿、俺にチャンスをください」
「無理だ」
「なんで……! うわっ! ぐえっ」
縋りつこうとするアンリを俺は無理矢理抱え上げると、寝台の上へボンッと投げ落とした。
そして動けないように、その背中の上にドスンと座った。
……俺の体重はアンリの二倍近くあるだろうから、苦しいかもしれない。が、これも鍛錬と我慢してもらおう。
「なぜ無理か。まず一つ目。それはお前のことが好みではないからだ」
「え! で、でも一緒に過ごせばちょっとくらいは好きになるかも……」
「ならない。次に、俺にも好きな者がいる。その者以外考えられん」
「……それって、もしかして隊長の……」
どうやらアンリも俺が以前、スーちゃん目あてで定食屋に行っていたことを知っているようだった。
まあ、あの頃はスーちゃんのことは隊で話題になっていたからな。俺以外にもスーちゃんに惚れていたやつはいた。
「違う。それは昔のことだ。今は違う」
「……」
「それにだな、俺は確かに名門の家柄だが、家を継ぐ身ではない。俺と一緒にいたとしても、ここから出る口実にはならんぞ。それに……」
「……それに?」
「お前、自分が思っているよりも、この仕事向いているぞ」
「え?」
「実は、お前から告白を受けたあと、事務所でお前の戦績や鍛錬記録を見た。……本当は勝手に見てはいけないのだが、お前がどんな者か知りたくてな。確かに体は小さいが、鍛錬もしっかりついていけているし、討伐記録も入隊して間もないのに戦績を出している。先ほどの枕も俺の急所にしっかりと当たっていた。軽くて狙いの付けにくい物を投げたのに、なかなかの腕だ」
「……」
「戦が怖いのは俺も同じだ。今はこうして事務仕事をやってはいるが、これまで何度も隊長と共に戦場を駆け抜けた。これからも何かあれば、俺も参戦することになるだろう。どうしても無理であれば、レイルのように医療班の手伝いなども仕事としてある。自暴自棄になる必要なない。自分の力でいくらでも這い上がれる」
「…………っ」
俺の尻の下で黙ったまま動かないアンリが気になって、チラッと見ると、アンリは寝台に突っ伏したまま、体を震わせていた。
「ど、どうした! 苦しかったか!?」
泣いているかのように見えて、慌ててアンリの上から降りてひっくり返してみると、アンリは笑っていた。涙を流して。
「クククッ、セイドリック殿! あなたは優しすぎますよ。もう、本当、俺、すっかりその気をなくしてしまいました……!」
笑っているアンリを見て、ちょっとホッとしたが、いまいち状況が掴めない。まあ、もうその気がなくなったのなら、それで良い。
アンリは笑いながら眦に溜まった涙を指で擦ると、俺に手を伸ばしてきた。
「セイドリック殿。最後にちょっとだけ俺を抱きしめてくれませんか」
「?? あ、ああ」
もう俺のことは諦めたようだし、それでもその意図はちょっと掴めなかったが、俺は寝台の上に寝転がるアンリを上から覆いかぶさるようにして、そっと抱きしめた。
アンリが俺の脇腹から手を回し、ぎゅっと締め付けてくる。……俺を抱きしめているのだろうが、さすが、力は強い。
「……すごい筋肉ですね……。隊長の体を思い出します。俺も頑張ればこうなれるかな」
「まあ、俺や隊長は体質もあるからな。それでもしっかり鍛錬すれば、筋肉量は増える。そうすれば、できることも増えてくるぞ。接近戦が怖いなら弓など長兵という手もある」
「そうですね……。これから俺にも指導してくれますか」
「あ、ああ、それは構わないが、それなら他にも長けた者はいるぞ」
「いえ、セイドリック殿がいいんです」
そいういうと、アンリはさらにぎゅっと力を込めた。
それからというもの、アンリは鍛錬場で俺を見かけるたびに、声をかけてくるようになった。
「セイドリック殿! お手合わせお願い致します」
「おい、俺でなくてもレイルや他の者もいるだろうが」
「いえ、セイドリック殿が良いのです。お願いします!」
レイルも俺と対等に組み手ができるほどの腕なんだがなと思いつつ、そうやって下の者から乞われればやってやるしかない。
「いつの間にアンリと親しくなったんだ」
「まあ、いろいろあってな」
それまで不真面目だったわけではないが、熱心ではなかったアンリが一生懸命鍛錬を行うようになったのだ。それにつられて周囲の者も真面目にやるようになれば、戦力が底上げされ、戦や討伐で気を揉むことも減る。非常に良いことではないか。
「良かったな。これでコウさんにフラれても、アンリに慰めてもらえるじゃないか」
「な! レイル!!」
「ははは、冗談だ。ほらアンリが待っているぞ」
そうレイルに肩を押され、俺はアンリの前に立った。
コウさんにあんな態度をしてしまって、どうすればいいのか分からないのだ。
レイルは「コウさん、別に気にもしてないだろ」と言うのだが、俺が彼を無視したのは事実だ。
とはいえ、コウさんも忙しい。コウさんも定食屋には行けていない可能性も高いので、レイルの言う通り、俺が避けているとは思ってないかもしれない。
でもなあ。もしコウさんに会ってしまったら、どんな顔をすればいいのか。俺には分からん。
そして、俺には今、もう一つ悩んでいることがある。
それは、例の同じ隊のアンリのことだ。
実はあの告白の日から、定期的にアンリから奇襲をかけられ、俺は辟易していた。
コンコンコン
「セイドリック殿、いらっしゃいますよね? 俺です。アンリです。開けてください」
部屋に響くノックの音に、俺はまたかと寝台のふちに腰をかけたまま、頭を抱えた。
ちょうど俺は今、風呂から上がり、一息ついたところだ。——そう、彼はいつもこの時間を狙って部屋にくる。
「……アンリ殿。いつも断っていると思うが、なぜ来るんだ」
渋々扉を開け、アンリに小声で注意をするが、アンリはニコニコと全く聞いていない。
扉を開けなければいいじゃないかと思うかもしれないが、ここで開けないとアンリはしつこく俺を呼ぶのだ。
廊下での話し声は意外と他の部屋にも筒抜けで、なるべくなら他の者には聞かれたくない。
「さっき風呂から出るのを見ました! だから俺も急いで風呂にいってきたんですよ。湯冷めしそうなので、部屋に入れてください」
「声がデカい……あのな……、なら自室に戻れ」
「嫌です。今日こそ、お部屋に入れてください!」
俺は大きくため息をついた。
「セイドリック殿、みんなが見てますよ!」
ハッと気が付き、廊下を見回すと、たまたま通りかかったのか、数人の者が俺たちのやりとりを聞いたのかこちらを見ている。
くそっ!
「……分かった。入れ。期待はするな」
「はい!」
やられたとばかりに眉間に手をやる俺のことなど意にも介さず、アンリはしめしめとばかりに、部屋に上機嫌で入った。
「俺の部屋は誰かを呼ぶようにはできていない。散らかっているし、座るところもないぞ」
「ああ、別にいいですよ! 寝台が空いていれば!」
そうニコニコ顔で、俺の寝台に腰をかけた。
「へえー、セイドリック殿の部屋は、思っていたよりも整理されていますね。意外と几帳面!」
寝台に座ったまま、部屋を見回し、アンリは感心したように言った。
どうせ熊のような俺は、部屋も散らかり放題で、掃除もろくにしていないと思っていたんだろう。俺は意外でもなんでもなく、几帳面だから事務仕事を任されているんだ。
「隊長の部屋は、書類が山積みになっていて、結構散らかってるんですよね。脱いだ服も椅子に積まれていたりして、やっぱりいいところの家の人は、こういうこと自分ではやらないんだなあっていつも思ってたんですよ」
(へえ)
隊長の方こそ意外だな。あの方は、整理整頓をきっちりやっているイメージだったが。
「だからセイドリック殿もそうかなって思っていたんですけど。意外でした」
彼はそうにっこり笑った。
「さ、セイドリック殿、立っていないでこちらへ来てくださいよ」
「……ここにお前を入れたのは、人に聞かれたくないからだ。何度も言っているとおり、俺に伽は必要ない。隊長の代わりもできん」
「…………」
「……それにお前は、まだ隊長に未練があるのではないのか」
俺は恋愛には鈍感だ。そんな俺が言うのも何だが、さっきからのアンリの言動を見る限り、隊長に未練を残しているようにしか見えない。
「隊長のことが、本当に好きだったのではないのか」
そう尋ねると、アンリは黙ったまま俺の顔を上目遣いで見上げた。そして、俯くとははっと軽く小さく笑った。
「隊長のこと……はは、そうですね。あんなに格好いい人いませんよ。知ってます? 隊長のアレ、すっごく大きいんですよ。俺、最初口にも入らなくて。……隊長、ぶっきらぼうだけど、優しくて、無理はするなっていつも……」
「…………」
「旅から帰ってきてから変わっちゃったんです。隊長。俺だけじゃなく、他の者も部屋に入れなくなって。俺、隊長に気に入られている自信、あったんだけどなあ」
「……隊長は以前から特別な者は作らないと宣言していた。だからアンリ殿を特別可愛がっていたとは思えん」
だが、隊長はあの旅で、スーちゃんという大事な者を見つけてしまった。アンリはスーちゃんのような"特別"にはなれなかったのだ。
俺の言葉にアンリの眉がつり上がる。
「……うるっさいな!! 分かってますよ! そんなの」
さっきまでの猫かぶりはどこへやら、怒ったようにいきなり枕を投げつけてきた。さすが鍛えているだけあり、結構な勢いで俺の胸にバシンっと力強く当たり、跳ね返って落ちた。
「……ひどいよ。いきなり恋人作っちゃうなんてさ。でも俺、それでもいいって隊長に言ったんだ。だけど相手にもされなかった。妾でも愛人でもなんで良かったんだけどなあ」
「……アンリ殿は、そこまでして隊長と共にいたかったのか」
アンリは乾いた笑いを浮かべた。
「あー……俺、本当は兵士なんて向いてないんですよね。没落貴族だし、でもお金も欲しいし、できることといえば体を張ることだけで。神兵の試験に合格したけど、やっぱり討伐とか戦とか怖い。体も皆よりも小さいし。だから結婚でもなんでもいいから、ここから出たかった。本当は誰でも良かったんです。名家名門の貴族の人なら」
そう言うと、薄ら笑みを浮かべ立ち上がり、俺に抱きついてきた。
アンリはそこまで背は低くないが、俺に比べると小さい。胸の辺りにしがみつくと、肩に顔をもたれかけさせ上目遣いで俺を見上げた。
「だから、セイドリック殿、俺にチャンスをください」
「無理だ」
「なんで……! うわっ! ぐえっ」
縋りつこうとするアンリを俺は無理矢理抱え上げると、寝台の上へボンッと投げ落とした。
そして動けないように、その背中の上にドスンと座った。
……俺の体重はアンリの二倍近くあるだろうから、苦しいかもしれない。が、これも鍛錬と我慢してもらおう。
「なぜ無理か。まず一つ目。それはお前のことが好みではないからだ」
「え! で、でも一緒に過ごせばちょっとくらいは好きになるかも……」
「ならない。次に、俺にも好きな者がいる。その者以外考えられん」
「……それって、もしかして隊長の……」
どうやらアンリも俺が以前、スーちゃん目あてで定食屋に行っていたことを知っているようだった。
まあ、あの頃はスーちゃんのことは隊で話題になっていたからな。俺以外にもスーちゃんに惚れていたやつはいた。
「違う。それは昔のことだ。今は違う」
「……」
「それにだな、俺は確かに名門の家柄だが、家を継ぐ身ではない。俺と一緒にいたとしても、ここから出る口実にはならんぞ。それに……」
「……それに?」
「お前、自分が思っているよりも、この仕事向いているぞ」
「え?」
「実は、お前から告白を受けたあと、事務所でお前の戦績や鍛錬記録を見た。……本当は勝手に見てはいけないのだが、お前がどんな者か知りたくてな。確かに体は小さいが、鍛錬もしっかりついていけているし、討伐記録も入隊して間もないのに戦績を出している。先ほどの枕も俺の急所にしっかりと当たっていた。軽くて狙いの付けにくい物を投げたのに、なかなかの腕だ」
「……」
「戦が怖いのは俺も同じだ。今はこうして事務仕事をやってはいるが、これまで何度も隊長と共に戦場を駆け抜けた。これからも何かあれば、俺も参戦することになるだろう。どうしても無理であれば、レイルのように医療班の手伝いなども仕事としてある。自暴自棄になる必要なない。自分の力でいくらでも這い上がれる」
「…………っ」
俺の尻の下で黙ったまま動かないアンリが気になって、チラッと見ると、アンリは寝台に突っ伏したまま、体を震わせていた。
「ど、どうした! 苦しかったか!?」
泣いているかのように見えて、慌ててアンリの上から降りてひっくり返してみると、アンリは笑っていた。涙を流して。
「クククッ、セイドリック殿! あなたは優しすぎますよ。もう、本当、俺、すっかりその気をなくしてしまいました……!」
笑っているアンリを見て、ちょっとホッとしたが、いまいち状況が掴めない。まあ、もうその気がなくなったのなら、それで良い。
アンリは笑いながら眦に溜まった涙を指で擦ると、俺に手を伸ばしてきた。
「セイドリック殿。最後にちょっとだけ俺を抱きしめてくれませんか」
「?? あ、ああ」
もう俺のことは諦めたようだし、それでもその意図はちょっと掴めなかったが、俺は寝台の上に寝転がるアンリを上から覆いかぶさるようにして、そっと抱きしめた。
アンリが俺の脇腹から手を回し、ぎゅっと締め付けてくる。……俺を抱きしめているのだろうが、さすが、力は強い。
「……すごい筋肉ですね……。隊長の体を思い出します。俺も頑張ればこうなれるかな」
「まあ、俺や隊長は体質もあるからな。それでもしっかり鍛錬すれば、筋肉量は増える。そうすれば、できることも増えてくるぞ。接近戦が怖いなら弓など長兵という手もある」
「そうですね……。これから俺にも指導してくれますか」
「あ、ああ、それは構わないが、それなら他にも長けた者はいるぞ」
「いえ、セイドリック殿がいいんです」
そいういうと、アンリはさらにぎゅっと力を込めた。
それからというもの、アンリは鍛錬場で俺を見かけるたびに、声をかけてくるようになった。
「セイドリック殿! お手合わせお願い致します」
「おい、俺でなくてもレイルや他の者もいるだろうが」
「いえ、セイドリック殿が良いのです。お願いします!」
レイルも俺と対等に組み手ができるほどの腕なんだがなと思いつつ、そうやって下の者から乞われればやってやるしかない。
「いつの間にアンリと親しくなったんだ」
「まあ、いろいろあってな」
それまで不真面目だったわけではないが、熱心ではなかったアンリが一生懸命鍛錬を行うようになったのだ。それにつられて周囲の者も真面目にやるようになれば、戦力が底上げされ、戦や討伐で気を揉むことも減る。非常に良いことではないか。
「良かったな。これでコウさんにフラれても、アンリに慰めてもらえるじゃないか」
「な! レイル!!」
「ははは、冗談だ。ほらアンリが待っているぞ」
そうレイルに肩を押され、俺はアンリの前に立った。
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