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セイドリックの恋4

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 あれからしばらく経ち、年間通して気温の変化の少ないこの国も雨季に入り、しばらく蒸し暑い日が続いていた。

 俺といえば相変わらず事務処理中心の仕事で、しかも仕事量はさらに倍増。本格的に文官にでもなったかのように書類に追われる日々で、少々鬱屈していた。

 俺の事務作業量が増えた原因は、今コウさんがかかわっている国の治水事業のせいだ。物資資材の手配やらなんやらの事務仕事が、無関係だったはずの俺たちの部隊に、まるで『お前たちも手伝え』と言わんばかりに回されてくるようになったのだ。

 俺はそんな面倒な仕事を勝手に引き受けた部隊長殿を恨んだ。

 他の兵士たち無関係なのでどうでもいいことだろうが、直接被害をこうむるのは俺たち事務作業要員なのだ。みんなが楽しそうに自主鍛錬や馬で街の巡回を行っている間、俺たちは鍛錬の時間を削り、必死で文字や数字と闘っているのだ。

(もうやっておれん!)

 俺はペンを投げ出した。

「レイル、ちょっと気晴らしに鍛錬場に付き合え」
「そうだな。俺たちだけ机に縛り付けられるのはかなわん」

 隣でテキパキと書類をさばいていたレイルがうーんと伸びをして、ボキボキと首を鳴らした。
 以前はまだ手伝い要員でしかなかったはずのレイルも、今では“事務仕事といえばセイドリックとレイル”と言われるほど、俺とともに事務室のぬしとなっていた。

 治水事業が決まったことで、日々増えていく書類に事務室は作業員不足に陥り、今では自動的にレイルにも事務仕事を割り振られるようになってしまったのだ。はん! ざまあみろ。

「この雨だと外の鍛錬場は今日も使えそうにないな」
「ああ。そろそろ外で鍛錬したいけど、今日も無理だなー」

 こんな鬱屈した日は、外で思いっきり体を動かして発散したいところだが、さすがにこの時期だとそうはいかない。昨日から続く雨が外の鍛錬場に大きな水たまりを作り、ひどくぬかるんでいる。こうなると雨がやんでも地面をならさないと使えない。

「今日は屋内の鍛錬場もいっぱいかもしれんな」
「まあそれでも組手くらいできるスペースはあるだろう」

 俺たちは降り続く雨を横目に屋内の鍛錬場に向かった。
 しかしこんなに雨ばかりだと治水工事も長引きそうだ。そうなると治水関連の事務仕事も延々と続く。終わらない大量の書類のことを考えると、またちょっと気が重くなってくる。

(……コウさんは今頃どうしてるだろうか)

 雨が降り続いているなら、工事はおそらく止むまで中止だろう。
 休みが長くなればコウさんはこちらへ戻ってくるんだろうか。

 ……まあもし戻ってきていてもコウさんとは話す機会など……もうないのだが。

(だめだだめだ!忘れるんだ!)

 そう悶々としながらも、鍛錬場の隅でレイルと組手でも始めようかとした矢先、鍛錬場の扉が激しく音をたてて開き、伝令係が飛び込んできた。

「おい! 緊急召集だ! 治水工事の現場が賊に襲撃された!! これから救助と賊共の討伐に向かう!!」

 いきなり入ってきた伝令の言葉に、鍛錬場にいた者らに緊張が走った。

「……賊だと!? おい、死傷者は!? 現場も今大雨でそれどころじゃないだろう!?」
「被害状況はどうなんだ! まだみんな無事なのか!?」

 現場に知人や家族がいる者もいる。現場の状況について問いただす声が飛び交う。
 そして俺の頭にも、最後に見たコウさんの後ろ姿がよぎった。

「この大雨に乗じて馬で踏み込まれたらしい。だが現場の人間も気性の荒い者が多い。傭兵も常駐しているし反撃に出ているとは思うが、我々の助けを待っているはずだ。お前たちも早く支度をしろ!!」

 おそらく賊の狙いは、現場にある工事資金と作業員らの賃金だろう。
 工事は今、河川から水を引くための深い水路を掘る工程に入っている。
 雨の日は事故が起こりやすいということで、工事は基本休みと定めている。そしてこの大雨で行く場所のない作業員らは詰所に集まるしかない。
 彼らが大雨で動けないところを、賊共は一斉に襲撃したのだ。

 なんと卑怯な!

「レイル! 俺たちも急ぐぞ!」
「ああ」

 俺たちはその場にいた者らとともに、部隊長のもとへ走り、雨が降り続く中、装備を整えると馬ですぐさま現地へ急いだ。
 ここ王都中央では雨は小雨になってはいたが、都市から離れるにつれて雨がだんだんと強くなり、現地に着くまでに本降りとなった。

(コウさん……! 無事で!!)

 雨に強い兵馬たちは、騎乗する神兵らの焦りを汲むかのごとく、泥水に怯むことなく緩急つけず駆け抜ける。
 出立してから約2時間。雨よけの蝋引きのコートやブーツをびしょ濡れにしながら、俺たちは襲撃にあった現場に到着した。

 ——現場はひどい有様だった。

 ぬかるんだ地面にはたくさんの馬の蹄の跡、そして泥の中倒れてうめき声を上げる男たち。
 所々ツルハシなど掘削器具が転がっているところをみると、武器を持たぬ者たちはそれで反撃したのだろう。

 だが、馬上で武器を構える者らに等しく対抗などできわけもなく、抵抗した者らは、馬で踏み抜かれ刀で斬り伏せられ、血だらけで地面に転がっていた。

「——!! なんてことだ……!!」

 そしてそれ以外にも、この長雨のせいで水路として掘り進んだ部分が崩落し、それをなんとか食い止めようと、雨水の溜まった穴で泥を掻き出している者らもいる。
 せっかくここまで掘り進んだのだ。みな必死になって崩落を阻止しようとしたのだろう。
 怪我をした者らを介抱する余裕もなく、泥にまみれ疲弊しきった者らがあちこちにいた。

 ——水害が起こったと同時に現れた賊共に、現場はさぞ混迷したに違いない。

「コウさんは、コウさんはどこだ」

 血と泥にまみれ倒れている男らを肩に担ぎながら、コウさんの姿を探すが、それらしき姿はない。水路では、必死で泥を掻き出す作業員に「今はまだ危険だから止めさせろ!」と部隊長の怒号が響き、目をやった。

(もしかするとあの中にいるのかもしれない。あの中にいてくれれば良いが)

 目を凝らすが、泥にまみれた人々の顔の判別がつかず、それよりも怪我人のほうが先だと確認を今は断念する。

「セイドリック! 負傷者は詰所に集めているぞ! そっちへ連れていけ」

 レイルが遠くから詰所らしき建物を指差す。
 まだ医療班のテントは建てられておらず、泥にまみれた人々が地面の水を避けて集まって蹲っていた。

「レイル! なぜ中に人をいれない!」
「詰所も襲撃され、金の管理をしていた者らが中で殺されている! 馬で踏み入れられ、中もひどい有様だ!」
「レイルは他の者らと医療班のテントの設営を手伝え! 俺は負傷者を運ぶ!」
「承知した!」

 レイルに急ぎテントの設営を指示し、俺は詰所まで急ぎ足で行くと、雨がかからないところに背中に担いだ負傷者を降ろした。

 ざっと見た限りでは、そこにいる者らみな泥だらけで重傷が軽症かすぐには判断がつかないが、死にかけているような者はいないようだ。

 ————この中にコウさんは……いない。

 安堵しつつも、もしどこかで大怪我をして倒れていたら……そう思うといても立ってもいられない。

(負傷者を救助しつつ、現場を隅々まで探そう)

 もしかするとまだ賊の残党がいるかもしれない。
 水でぬかるんだ地面に倒れた負傷者を担げるだけ担ぎながら、俺はコウさんを探した。みな泥にまみれているが、判別できぬほどではない。

 俺の脳裏にスーちゃんの傍らで笑うコウさんの顔が浮かぶ。

 最後に見たコウさんは、俺のせいで気まずそうな、そして少し辛そうな顔をしていた。いつもの余裕そうな笑みをたたえたコウさんが俺は好きなんだ。あの顔が最後だなんて思いたくない。

 俺の誠意なんてどうでもいい。謝って謝り倒して、また元の仲に戻って……いや、コウさんの言うとおり会わないほうがいいならそれでもいい。無事だとわかればそれで……!

「コウさん無事でいてくれ!!」

 負傷者を詰所近くの医療班のテントに引き渡し、俺は詰所奥の資材置き場に足を踏み入れた。
 詰所付近は最初に他の者らが捜索しているはずだが、念の為見ておきたかった。資材の影に残党が隠れている可能性もある。

 資材置き場に足を踏み入れ、俺は愕然とした。そこは資材置き場ではなくガラクタ置き場と化していた。馬で踏み荒らされ、せっかく集めた資材やら物資やらが泥にまみれて散乱し、一部は賊共によって持ち出されてしまったのか、ごっそりなくなってしまっているところもある。

「……これは酷いな。また資材の手配をしなければ工事が進まないじゃないか」

 俺が毎日書類とにらめっこして手配したものを、賊共に盗られるとは……! 
 しかもこんなに無茶苦茶にされてしまったら、残ったものも再利用できるかも分からない。

(クソッ!! 絶対に捕まえてやる!!)

 そう意気込んだところで、奥のほうで何やらうめき声らしき音が聞こえた。

「……今声が聞こえたか」

 ここはもうすでに負傷者は救助されているはずだが、もしや残党が……と賊共の馬が突き進んだ痕跡を辿り、瓦礫が散乱した中に足を踏み入れた。

「……おい。誰かいるのか!?」

 やや緊張した面持ちで、俺は腰の剣に手をかけながら慎重に進む。
 崩れた資材を足でのけながら、声の出処を探すが、見たところ人らしいものは見当たらない。

 気のせいか……。そう思い、その場を離れようとした。

「……う……………………」
「……!!」

 聞こえた!! うめき声だ!! 残党ではない、負傷者だ!!

「おい! どこだ!? どこにいる!! 音を立てられるか!? なんでもいい!! 何か音を立てろ!!」

 俺は必死に呼びかける。敵だろうがなんだろうが、負傷者であるならば見つけてやらねばならない!!
 ゴン……ゴン……と弱々しい音がどこからか聞こえた。

(見つけたぞ!!)

 音がしたと思われる場所には、水路の壁の補強に使う分厚い木の板が幾重にも重なって崩れていた。俺は躊躇なく重なり合った大きな木の板に手をかけ、「ふんっ!!」と勢いをつけ馬鹿力で持ち上げた。

 ぐぐぐっと持ち上がった隙間を必死で確認する。足が見え、手が見え、体が見え……

「コウさん!!」

 顔が見えたとき、俺は思わず倒れている者の名を叫んだ。血だらけで顔が腫れてはいるが、コウさんだ。間違いない。コウさんは俺の声に反応し、薄っすら目を開けた。

「コウさん!! 今助けるからな!!」

 よく見るとコウさん以外にも下敷きになっている者がいる。
 このままじゃ二人とも圧死だ。早くなんとかせねばと、俺は無我夢中であのクソ重い板を背中で押し上げると、そのままひっくり返し、すぐにコウさんを抱き上げた。

「コウさん!! すぐに医療班のところへ連れて行くからな!!」
「…………セ、ド……リック……さ、んか……」

 木の板で圧迫されていたコウさんの呼吸は浅く、息をするのも辛いだろうに、かすれたか細い声で俺の名を呼んでくれた。

「肺がやられてるやもしれん! もう話すな!!」

 だがコウさんはしきりに自分の横にいた人物を気にして、俺に目で合図を送る。

「分かっている! 心配いらない!! 彼も俺が連れて行く!!」

 倒れている男は意識はないものの、呼吸はある。まだ生きている!

「……少しキツイが頑張ってくれ」

 俺はロープを使い二人をいっぺんに背中に背負うと、ゆっくりと立ち上がり、詰所に向かった。
 二人とも内臓がやられているらしく、少しでも揺れると苦悶する声が背後から漏れ、俺は焦らずゆっくりと地面に散乱した資材を避けながら進む。

「……コウさん、大丈夫か? キツくないか?」

 何度も呼びかけながら俺は歩く。声をかけると、俺の肩に置かれたコウさんの手に少し力がこもる。それを確認すると、まだ意識があるなと少し安堵する。

 だがあと少しで詰所だというときになって、コウさんの手から力が抜け、もう少しで俺は背中から二人を落としかけた。

「コウさん!?」

 もう呼びかけにも反応しない。医学の知識のない俺には今の状況を的確に判断できないが、このままだと危険だということだけは分かる。

 ここまで来たらもうゆっくりなどしていられない。俺は二人を落とさないようしつつ早足で詰所前に設営されたテントに駆け込んだ。

「おい!! こっちは重傷者が二人だ!! 頼む!! すぐに診てくれ!!」

 俺の取り乱した様子を見て、レイルがすぐに飛んできた。

「まだ負傷者がいたのか!」

 レイルが俺の背中から二人を降ろし、布を敷いた場所に寝かせる。

「……セイドリック、お前、顔が真っ青だぞ」

 俺の顔をみてレイルがギョッとした。

「…………」

 俺なんかよりもコウさんだ。コウさんの顔は真っ青を通り越して真っ白だ。俺はコウさんの横に座って、雨に濡れた彼の顔を布で拭いた。顔にこびりついた血も拭き取ったが、そこからは擦り傷と打撲痕が痛々しく現れた。
 やはり肺をやられているのか、コウさんの胸は浅く早く上下し、息をするたび喉から空気の漏れるような音がしていた。

 おそらく、コウさんは資材置き場を荒らす賊を止めようとしたのだろう。
 そして仲間とともに馬で蹴散らされ、板の下敷きに……。

 俺は握りしめた拳で床を殴りつけた。
 コウさんをこんな目に合わせた賊どもが憎くて怒りで目から涙が溢れ出る。

(絶対に捕まえてみせる……!)

 涙を流す俺をレイルが呆然と見つめる。

「ど、どうしたんだ、セイ……」
「レイル!!」
「お、あ、ああ!」
「賊どもの討伐部隊には、まだ参加可能か!?」
「あ、ああ。今部隊長が仕切っている。討伐に参加するなら今すぐ行け! もう出てしまうぞ!!」

 レイルにコウさんの……いやこの現場のことは任せ、俺は討伐に参加するため走って馬に戻り、部隊長の元へ参じた。部隊長は「珍しいな、セイドリックは医療班の手伝いに残るかと思っていたぞ」とやや嬉しそうに俺の肩を叩いた。俺は体格が良いから敵を威嚇する要員として役に立つ。俺は普段なら絶対に立たない、陣頭の騎馬の中に向かった。
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